4-52 血も凍りつく眠りの中で
ある朝、目を覚ますと割腹自殺をしていた。
寝起きの頭ではよく状況が理解できない。痛みを遮断していることもあって実感もない。まだ夢の中の出来事のように思えるが――いつまでもぼんやりとはしていられない。強くまばたきして視界をはっきりとさせる。
両手は簡素なこしらえの短刀を逆手に握り、刃を腹に突き入れていた。
寝間着がはだけられ、白い肌が露わになっており、とめどなく流れる血が正座している膝と寝台の敷布を赤く染めていく。
頭と身体に浮遊感。口から寝言が垂れ流される。「わたしにーさま私とひとつ、刺して殺してアキラ貫く、晴れて一緒に悶え死ぬ」みたいなことを延々と呟いているようだが、俺はどうかしてしまったのだろうか。
いや、『私』は正常だ。これこそ私/俺の完成に必要な統合なのだから。
冷静な思考に混ざる不協和音。思考が縦に割れる。そのまま義肢の制御に割り込みをかけて『大蛇』の横っ面に平手を叩きつけた。
「落ち着け。今はお前の内的闘争に付き合う気は無いし、それは完成じゃない」
指摘すると、イツノは露骨にむすっとした表情を作り、喉からせり上がってきた血を勢いよく吐き出した。腹部の激痛を遮断しつつ前のめりに倒れ込む。脳内でちびシューラにドクターコールをしながら、油断していたことを悔やんだ。
とにかく顔がいいのでアイドル活動には必要な人材であるのだが、これからは十分に気を付けなければならないだろう。中身が地雷過ぎる。
弛緩した体を寝台に横たえつつ、呪術医の治療があるにしてもこれで今日一日はアイドル活動ができないな、と予定を全て諦める。
そんなわけで、不意に降って湧いたオフの時間。
イツノは絶対安静だが、『俺』の方はもともと使っていた義体を利用すれば活動可能だ。偵察や情報収集などできることは幾らでもある。
地底の瘴気もいつまで抑え込んでいられるかわからない。
限られた時間を有効に使わなければ。
デザイン画に集中したいというトリシューラを置いて、ふらりと外出する。
カーインは瘴気を堰き止めている結界のメンテナンス中なので、常にマネージャーかボディーガードが傍にいたいつもとは違って身軽に動けるのが新鮮だ。
といっても一人ではない。隣には奇妙な道連れがいる。老人の身でありながら音楽に乗って軽快に歩むカシュラム人は意外なほどこの空間に馴染んでいた。
曲のテンポに合わせるように、音楽的に老いていく。
楽しげに朽ち、快く果て、骨と皮ばかりの身軽な死へと突き進む。
闇と穢れに満ちた再生者たちの楽園に、その姿はとてもよく溶け込んでいた。
自然体の滅びを体現する老賢者は、何かに気付いて俺を見ると厳かに口を開く。
「推しのブログと自撮りから恋人の影を見出す、おおこれぞブレイス」
全て言い終わらないうちに顎を掴んで強引に閉じさせた。豊かな白髭の形が歪み、がちんと歯がぶつかる音がした。老人の呪力に呼応して歪み出していた空間が正常に戻る。まったく、油断するとすぐ滅亡を招こうとする。
彼がいる空間に安全は無いが、最近だいぶ抑え方がわかってきた。
危険性に十分注意していればその力は有用だ。使えるだけ使わせてもらおう。
「今日も情報収集、よろしく頼む」
まことの名をオルヴァ、仮の名を『髭大夫』という老人は小さく肯きを返した。
この老賢者にはライバルとなるアイドルたちの情報を集めてもらっている。過去視と短期的未来予測によって厄介な相手への対策を練ることができるのは大きい。
「見えた――『うずめ、遂に再三の勧告に屈してボディペイントライブで妥協』――明日は彼女のファンが荒れるだろうな。心が離れた瞬間、こちらが付け入る隙が生まれる。シナモリアキラよ、脱ぐがいい」
「脱がない。そういう路線じゃない」
その能力を有効活用できるかどうかはともかく、極めて強大なオルヴァの力は、本人の危険性からトリシューラによって厳重に封印されている。
未来への干渉は『良く当たる占い』レベルにとどまっているし、過去の改竄も現代の対抗呪文で打ち消せる程度の強度しかない。空間移動が可能な距離も視界の中に限るという弱体化ぶりだ。
しかしながら、トリシューラの話では『この方が長期的な勝率は高くなる』のだという。というのも、圧倒的な力を持っていると『逆転劇』や『サクセスストーリー』が演出しづらくなる。
特にこのような『劇的な舞台』では、無名のアイドルがトップアイドルに挑み打ち勝つといったような物語が好まれる傾向にある。実際『シナモリアキラ』もそういうストーリーラインでランキングを駆け上がっていく予定なので、オルヴァにはここぞという時に活躍してもらうのがいいわけだ。
「普段は『髭大夫』で通すんだから、あんまりブとかレとかは控えてくれよ、御隠居。バレバレでも正体は隠すこと。あくまで隠者ロールに徹してくれ」
「承知した――ブレイ」
「おい」
素早く顎を押さえつけた。二度もブレイスヴァ発言を止められて悲しかったのか、一層老け込んでいく。今にもぽっくりと逝ってしまいそうな老賢者は悄然と項垂れた。このままおとなしくしていてほしい。
オルヴァの力を最大限に発揮するには、ある系統の物語が必要だ。
そのため、普段はなるべく力と正体を隠していてもらわねばならない。
「ほら、行くぞ」
老人の手を引いて先を急ぐ。薄く弱い手の感触。浮き上がった血管がグロテスクな彫刻のようだった。目立たないようにフロアを移動し、ライブが行われていればこっそりと観客席に潜り込む。
現在地下フロアで同時多発的に行われているライブは大いに盛り上がっていた。
どのステージも相応に華やかで、なるほど今一番勢いのあるグループだけある。
沢山のステージ、様々なパフォーマンスを見ていくが、実際の所これらはすべてたったひとつの名前に集約される。ファンの評価でランクが決められるルールでは、このタイプのアイドルグループは手強い。
盛んに宣伝される『総選挙』の文字。
煌びやかな衣装に身を包んだアイドルたちは、外部のアイドルよりも内側を見ているように見えた。彼女たちは互いに競い合い、それが頂点の質を高めている。
地下アイドル空間に聳え立つランキング。
厳しさの象徴であり、競争による質の向上にも役立つシステムだが、ならばその利点をアイドルグループ内に取り込めばどうなるか。
システマチックに『強者』を生産する完成されたアイドルグループ。
アイドルという世界に参入した以上、このシステムと対峙して勝利しなければ未来は無いと言ってもいいだろう。それくらいこの相手は単純な強さを持っている。
準備はいくら重ねても足りないほどだ。集めたデータを『サイバーカラテ道場』経由で共有してちびシューラに分析を任せていくうち、現在の情勢がわかってきた。ランキングは俺がラリスキャニアを下したあと、このように変化している。
一位:『狂イ姫-†囚焉舞イ血ル妬環ノ華†』
二位:『ハンズ・オブ・グローリー』
三位:『アマランサス・サナトロジー』
四位:『パイロマスター・イン・ヘルファイア』
五位:『動物想』
六位:『うずめ』
七位:『チョコレートリリー・空組』
八位:『ラリスキャニア』
九位:『シナモリアキラ』
十位:『Frozen/Torch』
意外だったのは、『空組』の連勝記録がここにきて止まったことだ。
普段とは打って変わって不調に陥り、先日倒したばかりの『うずめ』に敗北してランクを下げてしまっている。メンバー間の行き違いが原因ともっぱらの噂だ。グループ内の人間関係がぎくしゃくしていると、本来のパフォーマンスも発揮できない。ユニットを組み、個々のアイドルの力を『使い魔』の相乗効果で引き上げるのは効果的だが、リスクも存在するというわけだ。
不調なのは彼女たちばかりではない。これまで好調だったネクロメタルバンド『Frozen/Torch』が勢いを落とし、安定したパフォーマンスを維持するラリスキャニアに挑まれて敗北。おかげで俺たちまで抜き返されてしまった。何度俺たちの前に立ちはだかるというのだろう、あの触手アイドル。
『Frozen/Torch』は再び這い上がると宣言したらしいが、あるいはすぐ上に位置付けている俺たちに挑んでくる可能性も十分にあった。対策を練るため、俺とオルヴァは『Frozen/Torch』が活動の拠点にしているあたりを訪れていた。
流れているBGMは速めのポップス、俺の解釈ではハードロック/ヘヴィメタルに分類される系統のもので、必然的に人々の歩みも速くなる。叩きつけるような歌声をなんとなく聞き流しながら、異世界の音楽というものについて思いを馳せた。
この世界の音楽史は当たり前だが前世とは大きく異なっている。
呪術的な文化に根差したエスニック系のサウンドが鑑賞と実用の両面で大きなシェアを占めており、宗教的儀式に用いられる荘厳な教会音楽系、多種多様な形に発展した聖歌などは『上』でも『下』でも存在感を示している。
一方、そうした既存の音楽形式に反発する形で密かに続いてきた『低俗な音楽』とされる系統の文化も根強い人気を誇っており、それらが最近になって第五階層に流れ込んできている。確かにネクロメタルなんて代物はこの地こそふさわしい。
激しいビートが虚無の心臓を駆り立てる。穢れたシャウトが亡者の魂を代弁する。不安を掻き立てる弦の揺らぎが暗黒の瞳を開かせる。墓の下から響き渡る耳障りなコーラスは卑俗と醜悪の極致、教会に響く聖歌を裏返したかの如き穢れに満ち満ちている。
「この時代の歌、そしてアイドル文化というものは興味深いな」
出し抜けにオルヴァはそう呟いた。
全てを見透かしたような彼のこの発言は少しばかり意外だった。どうしてかと訊ねると、老人はこのようなことをもってまわった言い回しで語った。
一般的にアイドルは穢れから縁遠いもの、気高く聖なるものとして扱われるが、だとするとこの地の現状は奇妙と言わざるを得ない。穢れに満ちた地下に集う穢れ無きアイドルという構図。
だがそれは互いが互いを際立たせているということでもある。
聖と俗、貴と卑、美と醜。
それはアイドルとファンの関係に似ているのかもしれない。
老人の言葉は俺に対しても向けられているのだと気づいて、首を傾げる。
「聖なるもの、ねえ」
自分がそんなものになった自覚は無い。
どちらかと言えば、誰にでも利用できる『サイバーカラテ道場』は俗の極みだ。
というより、『杖』という系統はそうした聖なるもの、高貴な幻想を俗に卑しく貶めることを得意としている。身も蓋もない無機質さに美しさが無いかといえば、それはまた別の話なのだが。
その文脈から語れば、次に戦うかもしれない相手は優雅や洗練からほど遠い。
『Frozen/Torch』は不気味なコープスペイントと『ShAdE』ブランドで全身を固めたネクロメタルバンド。地上から自由な音楽を求めてやってきた悪魔崇拝メタラーと再生者たちが結成した反槍神団体で、『凍れる松明』という冒涜的なバンド名は命知らずの証明だ。ライブイベントに特化しており、その演奏技術は高い。ちなみに『Truth』という抗死臭香水をプロデュースしていることでも知られている。
俺とオルヴァは目的地にたどり着く。
半野外のライブステージに立って野獣のように体を揺らす集団がいた。
荒々しく、それでいて陰鬱さが漂う楽想――腐った魂を揺り動かす激情がそこにある。中央に立つ男が冒涜的な言葉を叫ぶ。途端に盛り上がる観衆たち。
リーダーが槍を振り上げ、勢いよく床に叩きつけてへし折った。
槍神をも恐れぬ狂気のパフォーマンス。ファンはますます加熱して、家畜の血をぶちまけながら頭を振って盛り上がる。
視界を埋め尽くすファンの昂揚。
熱源となっているのは、ネクロメタルバンドを構成する四人のメンバーたちだ。
リーダーはギター・ヴォーカル担当。
『上』出身の悪魔崇拝メタラーで、数か月前にいちど再生者化したが直後に吸血鬼になったという、いわゆる『ドラトリア系夜の民』だ。
世に言うところの『リールエルバの子供たち』はスキリシアの王女を『血の母』として敬う傾向がある。この人物もリールエルバの噂を聞きつけてこの地下アイドルの戦場に足を踏み入れたようだ。ちなみにサイバーカラテユーザーらしい。
美しい火傷顔に熱視線を集めている焼死体ゾンビはベース担当。
『ShAdE』ブランドのトップモデルでもあり、不気味なファイアパターンのTシャツ、銅製のアクセサリやリストバンド、ベルトの横には骨のチェーン、髑髏の肩パッドというものすごいファッションだ。
他のメンバーも、胎教にいいからという理由で音楽を始めたキーボード担当の白骨死体妊婦(当然腹の中に見えている胎児も白骨死体だ)に、冷凍睡眠者の代理人格が入力した打ち込みのドラムスを念動マニピュレータで生演奏する自律型の『眠り棺』と個性豊かだ。
不調だと聞いていたが、ぱっと見た限り異常があるようには思えない。
メンバー同士で仲違いがあったという噂もある。男女関係とか、音楽性の違いとか、売れるためにレーベルにおもねってポピュラー寄りになるか昔のままの独自性を貫くかとか、定番の揉め事なら幾らでも思いつくが、実際はどうなのだろう?
「髭太夫、出番だ」
「いいだろう。目を閉じろ、感覚だけを遡らせる」
爆音の中にいる自分自身を切り離すように目を閉じる。
老人の声が重く反響し、俺の精神と融け合っていくように感じた。
曖昧になっていく世界で、夢のような光景を見た。
楽屋で激しく言い争う四人。
荒々しく冒涜的なテイストを前面に押し出した楽曲を作りたいギター。
ファッションブランドとの提携をアピールし、ヴィジュアル面でもファンを作りに行くべきだと主張するベース。
『空組』のひとりに触発されてシンフォニックでメロディアスなサウンドを試してみたい主張するキーボード。
仲裁に回るが逆に反感を買ってしまうドラムス。
ライブ直前だというのにメンバーにまとまりはなく、出番を伝えに来たスタッフの声でどうにか口論は中断された。
夢のような光景が掻き消えて、気が付くとライブそのものも終わっていた。
オルヴァのまじないで見た『Frozen/Torch』の直近の過去。こうした不仲が積み重なると目に見えないところでパフォーマンスの低下に繋がり、ぎりぎりのランク争いで勝ち星を落とすという結果になるのだろう。
俺たちにとってはこのまま仲違いしてもらった方が都合がいいのだが、さてどうしようか。いっそ介入して火に油を注ぐのも手だな、とかろくでもないことを考え始めた俺だったが、横でオルヴァが何やら考えにふけっていることに気付く。また周りごと自爆しようとしているんじゃないだろうな。気になってどうしたのか訊いてみると、意外な言葉が返ってきた。
「あの妊婦から妙な気配を感じた。気になってもう少し過去にさかのぼってみたのだが――奇妙なことに、地下に来る以前は妊娠していなかったようだ」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
妊婦のまま死んで再生者になった、ではなく。
「再生者が妊娠した?」
そもそも、そんなことが可能なのだろうか。ちびシューラに訊いてみたが今のところそのような事例は確認されていないとのこと。
最初から『死』を孕んでいる再生者は『生』を創り出すことができない。
それが可能なのはただひとり、偉大なる森の女神だけ。『死』を『生み出す』という行為が可能だからこそ、彼女は死人たちの女王足りうるのだ。
あの妊婦が孕んでいる胎児は、外から見た限りでは再生者そのものだ。
それが何を意味するのか、ちびシューラにも答えが出せないようだ。
戸惑っていると、オルヴァが重々しく口を開く。
「あれは――『死せる者どもの王子』と同じ純粋な再生者になるだろう。彼ほど死の根源に近いということは無いにせよだ」
「王子? 純粋な再生者?」
老人が何について言及しているのかいまひとつわからない。王子という言葉で、何かを思い出しそうになったが――あれは誰のことだったろう?
「ただひとりの純粋な再生者、それが増えるかもしれん。『死人の森』に変化が起きようとしている。あるいは、女神の覚醒が近づいているのか」
ちびシューラの耳打ちで、オルヴァが誰について言及しているのかがわかった。
『死人の森』の王子にして純粋な――つまり『元々の種族』を持たない再生者とは、女王につき従う刃のごとき男、クレイのことだ。六王に比べて影が薄いし最近見ないからすっかり忘れていた。
「で、御隠居はあの妊婦がクレイと関係があるって?」
「いや、直接の繋がりは無いだろう。むしろ、『再生者が孕めるようになった』という事実こそが重要だ。何かあったとすれば、地下の闇に囚われている我らが女神にであろうな」
その言葉に、危機感が募るのを感じた。
この迷宮の奥には何かがある。地上へ溢れ出そうとする瘴気、何ゆえかトップアイドルとして君臨するリールエルバ、『女王』をかどわかしたアルト・イヴニル――いずれも放置できない厄介な問題。無論、あれほど強大な神格にそうそう危険が及ぶとは考えがたいが、万が一ということもある。
最近嵌っているゲームがわかりやすいうちは多分余裕があるんだろうなとは予想できるのだが。俺たちがアイドル活動なんかをやっていられるのも、この空間にどこか『遊び』があるからだろう。ステージは真剣に、しかし華やかさと楽しさは忘れずに。コルセスカはきっとまだ大丈夫だ。
しかし、彼女の魂と同居するもう一人、『女王』についてはわからない。
オルヴァと二人、閑散とし始めたライブ会場を離れていく。
ぼんやりと『女王』について考えていると、不意にオルヴァが身を固くして立ち止まる。老人はある一点を見て不快そうに顔を顰めているようだ。
「相変わらず眠気を誘われる呪力だ。それに、未だに嫌われている」
どこか疲れたような言葉だった。
驚いた。オルヴァは苦手な相手に出くわしたような顔をしている。
彼の見ている方に視線を向けると、そこには手足の付いた棺桶が立っていた。
正確には寝台とか揺り籠と言った方がいいだろう。
なにしろあれは冷凍睡眠装置なのだから。透明なガラス窓から、目を閉じて安らかに眠る犬と霊長類の中間のような顔が覗いていた。
「はじめましてシナモリアキラ。それとひさしぶり『紫の』。ちょっと話せる?」
『Frozen/Torch』のドラマーは、クリアな機械音声でそう言った。
(解説が必要かな?)
俺にしか見えないちびシューラがよっこらしょ、と目の前に出てきて幾つかの資料を広げていった。出し過ぎて視界の妨げになっている。口で言えよ。
(ごめんごめん)
途端、情報が流れ込んでくる。
理解は早かった。確か、俺の前世にも似たシステムがあったからだ。
それは転生よりも早く実用化された命への未練――あるいは死への抗議。
冷凍睡眠者。夢すら見ない深い眠りにつくことで、肉体の時間を停止させて未来へと進もうとする時間旅行者たち。
その技術はこの世界にも存在した。しかし一般的なものではない。
あくまで『下』の一部で実験的に行われ、それが長期にわたって続けられている、ということらしい。それも長寿種族との寿命格差を解消するためという、なんとも『下』らしい目的で。
方法も幾つかあり、おおまかに古典的な『安置保管型』と『代替身体型』に分かれている。『代替身体型』も『遠隔操作方式』と『装置移動方式』の二つに細分化され、問題の相手は『装置移動方式』のようだ。
冷凍睡眠装置である『代替身体』に本人の『ふるまい』を再現させる仮想使い魔を憑依させ、覚醒後、本人に使い魔の記憶を高速で転写する――コスト、記録容量、法整備、記憶転写時の本人への負荷、更には冷凍睡眠そのもののリスクといった様々な問題はあったものの、『違う時間を生きる誰かと共に生きたい』というニーズには合致しており、様々な困難を経て実現された技術。そのへんは記憶に残る俺の前世と似たようなものらしい。
アヌビス740と名乗った『下』の『眠り棺』は俺たちを手近なバーに誘った。
軽食と生演奏が楽しめるというふれこみの、この場所ではありふれた店だ。低ランクのアイドルやバンドが腕試しに集い、新しい原石を探すのが何より楽しみな者たちが談笑しながら品定めを行っている。中にはどこかのスカウトなんかが混ざっているのかもしれない。
でかい図体で器用にテーブル席に進む『眠り棺』。店員に断ってから椅子を脇に寄せ、機体の下部を床に着けて直立。機械仕掛けの脚部を折り畳んだ状態がこの相手にとっての『座る』と言う行為らしい。
「おごるから何でも頼んで? 私たちは生憎と見て楽しむことしかできないから、その分そっちが味を楽しんでくれると嬉しいかな」
遠慮せず、再生者たちが得意とするヒュールサスの郷土料理を注文する。山菜や茸が中心のようだが、どこから採っているのかは謎だ。
料理を待つあいだ、簡易ステージに立つバンドの演奏を聴きながら目の前の相手を観察する。ずんぐりとした円筒形の機械に手足が付いたどこか間抜けな姿。
機械音声ながら情感豊かで、機械式の手足は滑らかによく動いて感情をアピール。好奇心豊かな少年めいた印象さえ受けるのは、性能の証明だろうか。
なにやらオルヴァと因縁があるらしい『眠り棺』――滑らかな外装に朱色のラインが走り、それが呪術的な紋様となって呪具の手足を動かしている。その振る舞いはどう見ても起きている人間のものだが、これで中身の冷凍睡眠者には意識が無いというから驚きだ。
(アヌビス搭載型コクーンの第七世代――のローエンドモデルだね。ネットの評価によると低価格帯としては耐久性能が良くて、コスパを重視する冷凍睡眠業者に好評を博した人気の『眠り棺』みたい)
ちびシューラは冷凍睡眠装置に対して興味を抱いた様子だが、俺はどちらかと言えばこのハードウェアを動かしている呪術的な仕組みが気になった。確かこの人物、『Frozen/Torch』のメンバーでは一番有名なドラマーだったと記憶している。
仮想人格の打ち込みを念動マニピュレータで再現するという生演奏へのこだわりと、機械的で正確無比な演奏制御に定評のある冷凍睡眠ドラマー。
(『黄金の城』に招かれ、『夢見人たちの王』の御前で演奏したこともあるという新進気鋭のドラマーで、コールドスリーパーの中でも社会的成功を収めているうちのひとり――って話だよ。『下』の有名人だね)
ちびシューラが各種資料を視界の隅に展開しながら説明する。
実際は、目の前にいるこの『眠り棺』は厳密な意味での『本人』ではなく、本人の覚醒時の記録を参照して『それらしい言動』を実行する仮想使い魔である。
といっても人工知能のような大それたものでは無いし、本人の意識を全て転写するような大規模な呪術も使われていない。
『下』の言語支配者が夢の底に築き上げた集合無意識のネットワークを参照しているのだ。乱雑な記憶やイメージの総体である膨大な『夢のパターン』から『無秩序さ』と『整合性』を的確に拾い上げ、再配列することで『夢のような人生』というストーリーを組み立てる。
(『これ』は、たったひとりの大呪術師が現在進行形で行っている大規模な呪術儀式の一部でしかない。数十万にも及ぶ『眠り棺』は全て夢の支配者の人形なんだ)
ちびシューラは更に解説を続けていく。
冷凍睡眠者は、眠りにつく前までに見た全ての『夢』をある言語支配者に捧げる。神への捧げ物にも似た夢の供物は言語支配者への信仰の証明であり、それによって彼は神にも等しい呪力を得ているという。
その言語支配者は捧げられた夢を参照し、夢すら見ないほど冷たく眠った自らの信徒たちに『夢見人』としての代わりの人生を与える。
預けた夢を運用して更なる夢を生み出し、冷凍睡眠に入った者により整理された夢を返してやる。そして自らが作り上げた夢の仮想使い魔、超高度人工知能アヌビスを使役して冷凍睡眠者を演じさせているのだ。
「私たち夢見人はそこの狂人と古い知己なんだよ。どうせまたぐるぐる無意味に回っているんだろうけど、邪魔だけはして欲しくないから釘を刺しに来たよ」
『眠り棺』は個人を出力する総体ゆえに一人称複数で自分たちを物語る。
彼らは冷凍睡眠者であり、仮想使い魔であり、同時に言語支配者でもある。
最古の夢占い師にして言語支配者がひとり、マーブシュズール。
『朱』の天主と呼ばれる夢の支配者は、古い時代には賢者と呼ばれオルヴァとも親交があったそうだ。
「私たちはあまり仲が良くなかったけどね。『女王』個人に関して言えば、堕ちたハザーリャの暴走を止めてくれたことには感謝しているけれど。彼女のおかげで眠りの世界は少し平和になった」
確か『女王』が取り込んだ死の神ハザーリャは眠りの神でもあった。確かに眠りと死は似たところがあるし、このマーブシュズールの――本人と言うか、総体のような存在とも何らかのかかわりがあるのかもしれない。
「一応、こっちでも暴走しないように気をつけておくが――」
「ブ」
老人が唇を震わせた瞬間、二つの機械義肢が同時に動いた。
長く伸びた念動アームが上から、俺の左手が下から、老人の頭と顎を挟み込んだのだ。すんでの所で間に合った。歪み始めていた空間が元に戻る。
棺と顔を見合わせて、揃って胸を撫で下ろす。
「気を抜くとすぐこれだ」
「本当にこいつは――くれぐれもよろしく頼むよ」
カシュラム王の危険性を再確認しつつ、暴発させないように努力すると約束した。しかし相手の素性はわかったものの、その目的までは見えてこない。
予言王によって破滅に導かれたくない目的とは何なのだろう。
隠し事というわけでもないらしく、質問すると冷凍睡眠者は事情を語り始めた。
「私たちは『下』のとある財団から依頼されてこの地を訪れた。実は近頃、その財団の存続に関わる重大な問題が起きてね」
聞くところによれば、その財団は『クライオニクス』――いわゆる死亡直後の遺体を凍結させて未来での蘇生に望みを託すという事業を行っていたらしい。
死を受け入れず未来への信仰に縋り付く。
記憶にある知識だ。俺の前世でも人気の宗教だったのだろう。
財団が管理する冷凍死体は数万にも上り、それらは厳重に保管されていた。
だが『死人の森』が復活し、再生者たちが増加し始めると状況は一変する。
冷凍された死体たちが次々と復活を始めたのだ。
壊死した細胞を強引に動かして、冷たい肉体を鈍化した知覚で操作しながら、凍れる死者たちがふたたびの生を謳歌しようと起き上がる。
各地の保管所は大混乱に陥った。財団は医療や呪術の発展によるものでない予期せぬ一斉蘇生という事態に対応しきれずにいるという。
『森』の加護を受け入れられない家族への説明。
大量発生したクライオニクス再生者たちの一時避難場所の確保。
発生し続ける問題に財団は頭を抱えた。
万策尽きた彼らは、自分たちの庇護者たる絶対的存在に縋り付いた。
その相手こそが『朱』の天主マーブシュズールだったわけだ。
「財団の意向としては、『家族や子孫たちに拒絶されたクライオニクス再生者たち』を第五階層に受け入れて欲しいみたいだね。ここは再生者が多いし、なにより冷凍保存された政治犯や反体制勢力なんかを大量に抱えてるから、さっさと『下』から追い出したいという切実な事情もある」
冷凍保存や冷凍睡眠に縋るのは何も難病患者だけではない。犯罪者や社会の異分子、政治的理由で未来へ逃れようとする者なども含まれている。最悪な例だと、『司書』と呼ばれる過激思想の持ち主によって行われた特定種族に対する強制冷凍処置などという事件もあったらしい。
クライオニクス再生者の問題が差し迫っていることは相手の真剣な様子からも伝わってきた。『死人の森の女王』に直談判したくもなるだろうが、事が第五階層全体に関わることなのでこちらとしても反応に困る。トリシューラならどう判断するだろうか。そもそも、今の混乱した情勢で大量の移民が雪崩れ込んでくるのは問題しか無いわけだが、その辺はどう考えているのか。
「もし受け入れてもらえない場合、彼らは『死人の森の女王』に対して損害賠償を請求する用意がある。事前に予告の無い強制的な再生者化により財団は甚大な損害を被った。財団の弁護士たちは法と裁きの神ティーアードゥの名のもとに、『死人の森の女王』と争うことも覚悟している」
神の加護のせいで発生した損害に対して賠償を求めるって、そんなことできるのか? と疑問に思ったが、法の神がいるくらいだしその相手に力を借りれば可能なのかもしれない。神々だろうと無法は許されないということか。
「言っておくが、『死人の森の女王』はティーアードゥと同化している。彼女は今、法と裁きの女神でもあるのだ」
ぼそりとオルヴァが言った。
そういえばそうだった。こういう場合ってどういう決まりになっているんだろう神々の世界。自分の権限で自分を裁いたりできる? それとも別に法の神みたいなのがいたりする? 深く考えるとややこしいことになりそうだったので、俺は思考をちびシューラに丸投げした。
(ぎゃー問題が重いよー!)
悲鳴を上げている。頑張れ、王国民は女王の完璧な統治に期待しているぞ。
とりあえず、相手の目的はわかった。
しかし肝心な『死人の森の女王』は囚われの身だし、第五階層は内紛で移民を受け入れるどころではない。現状を探るために斥候として派遣されたのが目の前の個体、ということのようだ。
「彼らの『女王』がアイドルたちの頂点だけが辿り着ける地下深く、冥府の向こう側にいるという噂も聞いた。だから私たちはこの個体のユニークな感性に期待して、ドラマーとして参戦することにしたんだよ。そして良きバンドメンバーに巡り会えた――はず、だったんだけど」
言葉が力を失い、棺桶が項垂れるように僅かに傾いた。
四人の内輪もめを思い出した。
あの中でただひとり仲裁に回っていた『眠り棺』は理性的だったが、それがかえって周囲の反感を買ってしまったようだった。
たしかベーシストの焼死体はこんな感じの罵倒をしていた。
「いつもいつも機械みてえな喋りしやがって。てめえの音には熱さがねえんだよ。どうせ今だって、マジで話してねえだろうが。もっと魂込めてみろや」
焼死体だからなのか、言う事もなんだか暑苦しい。言い掛かりなのではと思ったが、冷凍睡眠者は思うところでもあったのか傷付いたように黙りこくってしまっていた。多分、関係の修復は未だできていないのだろう。
公表されているプロフィールによると、焼死体ベーシストのモットーは『今を生きろ』『死の先なんざ考えるな』という刹那的なものだ。
燃え尽きて死んだという彼の言葉はむしろ再生者の心を動かすらしく、個人として独立した人気がある。確かモデルとしては三十位くらいだったはず。
「別に魂を込める必要も、今を生きる必要も無いと思うけどな」
ぽつりと呟いた俺を、不思議そうに見つめる『眠り棺』。
それに、死の先を考えるのはむしろ人の性だとすら思う。
焼死体の言いようが間違いだとは思わないが、正しさに服従することが良いとも限らない。だいたい人生など良し悪しだけではないだろうに。
「あなたはそういうタイプなのか、シナモリアキラ」
「その納得の仕方、よくされるんだけど、今回はそこまで変なこと言って無い」
多分だけど。
いずれにせよ、こういった人間関係の問題は専門外だ。
口出しする気にはなれなかった。『使い魔』が得意なシナモリアキラでも連れてきて換装すれば可能かもしれないが、そもそも他人事だ。
しかし、『眠り棺』と『Frozen/Torch』が抱えている問題はそれだけではなかった。夢見人が次に告げた言葉が、俺の態度を変えた。
「問題はまだあるんだ。実は、バンド内部で三角関係っぽくなってる」
よりにもよって既に妊娠まで話が進んでいた。
実は白骨死体キーボードが身籠もっているのは吸血鬼ギタリストとのあいだにできた子供らしい。そして焼死体ベーシストは白骨死体キーボードに気がある素振りをみせていた。バンド内の空気が悪くなったのはキーボードの妊娠が発覚してからという話なので、冷凍睡眠ドラマーの心労たるや筆舌に尽くしがたいものがある。
「問題は、再生者の出産が当たり前の現実になってしまうことだよ」
「そうか、再生者たちのあいだで人気のあるネクロメタルバンドの一人が出産なんてしたら、彼女に続けって感じでベビーブームが起こりかねない」
この世界の人々、ただでさえ流行りものに流されやすいし。
そうなれば第五階層は再生者だらけになり、場合によっては『上』や『下』にまで溢れ出していくかもしれない。これはあらゆる意味でまずい。
「再生者にこれ以上増えられると困るんだ。ただでさえ、『下』は際限の無い人口の増加と医療技術の進歩による長寿者の存在に悩まされている。私たち夢見人も含めてだけど」
『下』らしい社会問題だ。
だからといって第五階層に丸投げされても困るが――そういえば以前トリシューラが世界槍は星間移民船みたいなことを言っていたような? 幾つもの世界を開拓地と捉えれば、あながち間違った対処でも無いのか? どのみち戦場になっている場所に移民や難民を送り込むのは非人道的と言わざるを得ないが。
「再生者そのものを否定することは『下』の理念に反する。それは断じて許容できない。だから、今は『女王』に直訴して再生者の加護を規制してもらう他ない。私たちの目的はそこにある」
『眠り棺』は、再生者の出産制限を(ひょっとしたら復活の抑制も)望んでいるようだった。そうした要望そのものは予想されたことだから当然だと思ったが、それが天主という権力者の口から出てきたというのは予想外だ。
おそらくこの『眠り棺』の動きは俺が考えている以上に『重い』はずだ。
立場上おおっぴらに動くことは難しいのだろうが、かなりはっきりとした意思を持ってこの場所にいるのだろう。
ちびシューラ情報によると『朱』の天主は『下』側とはいってもジャッフハリムとはまた別の国家に属する言語支配者だから、立場的にも微妙なはずだ。
密かに、しかし速やかに任務を終えたい。
だがその為にはアイドルとして有名にならなくてはいけない。
だからこそ、『眠り棺』の中でも芸能活動をしても不自然でない人材が選ばれたということのようだ。冷凍睡眠者は努めて冷静に事態に対処しようとしている。
「提案がある。私たち、共闘できないかな? 衝突を避けて、まずは上のランクを目指す。そして、壁になっているあの巨大アイドルグループを協力して倒すんだ」
思いがけない申し出だったが、実際の所それはずっと考え続けてきたアイデアでもあった。『あれ』の巨大さに個人で抗うのは非常に困難だからだ。
トリシューラとミルーニャは『シナモリアキラ』と『チョコレートリリー空組』が協力すればあるいは、と話していたが、バリエーションは豊かな方がいい。
何せ相手は多様性の極致だ。
超巨大アイドルグループ、『アマランサス・サナトロジー』。
正規メンバーである十二人、二軍三軍と連なる予備メンバーを含めれば数百人にも及ぶ大所帯のアイドルユニット。個性の軍勢たるアイドルドールズの牙城は簡単には崩せない。だからこそこちらも徒党を組んで戦うのだ。
そして『眠り棺』は、テーブルに腕をついて必死に頼み込む。
「だから、私たちのバンドを元に戻す手助けをしてほしい」
確かに人手は欲しいのだが、よりにもよって苦手分野で攻めてくるのはやめてほしかった。人間関係とか勘弁してくれ。人間は無理。
「よかろう」
ぎょっとした。
こちらに確認もせずに安請け合いしたのは隣の老人。
ちょうど届けられた料理で髭を汚しつつ、十字の瞳を輝かせるカシュラム人は、不敵な表情で言い放つ。
「これも何かの縁だ。絡まりほつれた人の環の呪縛、私が解きほぐしてみせよう」
こう言っては何だが、破滅の予感しかしない。
俺と『眠り棺』は寒気を感じたかのようにぞっと身を震わせた。




