4-41 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ8
かつて、ヴァージルという少年はオルヴァをこう評した。
――馬鹿すぎて一周まわって賢者に見えてきそうな人、と。
それは少年の偽らざる本心だったが、同時に誰よりもオルヴァを高く評価していたのも彼だった。
『死人の森』の六王としてもっとも身近でその呪術の冴えを目の当たりにしてきたヴァージルは、ほとんどの面においてオルヴァの方が呪術師として高みにあると認識していた。それでも、狂王子が賢王を恐れたことは一度として無い。
なぜならば。
「紀人であること。それがあなたの脆弱性だよ」
敬意と侮蔑を込めて。
ヴァージルはアストラルの海の中に意識を漂わせながら呟いた。
交錯する意識、激突する魂、満ち溢れる混沌。
戦場の全てを俯瞰しながら、悪戯っぽく笑みを作る。
「それじゃあ、始めようか――勝負しよう、オルヴァ」
余裕に満ちた宣戦布告。
少年の戦意は広漠とした情報の海に小さな波を作る。
ゆっくりと広がり、虚空の彼方に消えていった。
あらゆるものが移ろい、ただ消えていく。
虚無の摂理を前にして、人は絶望と希望のどちらかを抱く。
オルヴァは絶望。そしてヴァージルは希望を胸に。
「僕はね、人にも世界にも絶望していないんだ。だから教えてあげるよ、民よりも王国を信じたあなたに、人の持つ可能性というものを」
少年は歌う。
声も嗄れんばかりに、この世の果てまで届けと。
それは不可思議なメロディの呪文だ。
不定形の宇宙の中心で、少年は多様な姿の亡霊たちを使役して楽団を編成する。捻じれた黄金の喇叭と白銀の笛が楽団を組んで少年の周囲を踊り狂い、魚の鰓と蛸の触手、馬の頭と七つの眼球を有する異形の神々が産声を上げた。
レミルスは屋上から飛び降り、遙か遠方の標的に狙いを定めた。
日の差し込まぬ路地裏を、薄汚れた街角を、尋常ならざる速度で矢のように進んでいく。実際、彼は自らの存在を矢に擬えていた。長い棍を脇に持ち、鼻先を前に突き出した前傾姿勢。矢の走法は男の肉体を飛翔体のように加速させていく。
視界に映るのは『サイバーカラテ道場』の各種ユーザーインターフェース、小さなデスクトップワルシューラ、そして標的の位置情報。獰猛に牙を見せて唸る。
ワルシューラが監視使い魔の視界をクラッキングして目的地の映像を表示。
数秒後に辿り着くであろう戦場が映し出された。
長い髪の男が軍服の男を追いつめ、今まさに貫手を突き出した瞬間だった。槍のごとき一撃が屈強な肉体を貫き、背中から抜ける。口から血反吐を垂れ流しながらよろめく男。『鬼』はロウ・カーインの前に敗れ去った。
辺りに横たわるのは軍服の屍兵たち。
文字通りの死屍累々。辺りに蔓延する高濃度の瘴気によって強制的に機能を停止させられている。操っていた『鬼』が致命傷を受けた今、意思無き使い魔たちが再び蘇ることは無いだろう。アルセミットという国が誇る精鋭部隊は二度壊滅したのだ。
「見事。正々堂々たる一騎打ちで強者に敗れる。武人にとってこれほどの誉れが他にあろうか」
『鬼』は死の淵にあってなお満足げに笑った。
対するカーインの表情はほとんどわからない。黒い靄が頭部を覆い、かろうじて口元が見えているのみ。カーインは前面にはほとんど手傷を負っていなかったが、背や側面には打撲痕や創傷が多く見られ、多数に包囲されながら戦っていたことがわかる。『鬼』が使い魔たちを盾にしながら背後からの不意打ちでカーインを仕留めようとしていたことも監視使い魔たちは記憶していた。
『鬼』の頭部で金属製の『角』が回転し、作動音を響かせる。
彼の現実は揺るがない。
誇り高き武人として人生を歩み、満足と共に逝こうとしている。
戦いの中で拳ひとつに全てを託し、戦乱の世を駆け抜ける。
己は荒野にひとりきり、ゆるがぬ心は闘争の中に。
それはひとつの可能性だった。
「君は、それで満足なのだな。シナモリアキラ」
カーインはどこか羨むようにそう言って、弔いの言葉に代えた。
『鬼』は弱々しく微笑む。
「ああ、俺は、こんなふうに死ねるのか」
遠い目をして呟く。叶わなかった夢の続きが『鬼』を救う。
それから、少しだけ寂しげに、唯一の心残りを伝えた。
「ロウ・カーイン。勝手な願いと知っての頼みだ。巨人の力を振るう岩肌種と出会ったら戦ってやってくれないか。そして、すまないと伝えてほしい」
「ああ。伝えよう。私が勝利した後でな」
それを聞いて、『鬼』は満足したように息を吐き出した。
最後に残されていた生命力が身体から失われていく。
「皆、今そこに行くぞ。遅れて、すまなかっ」
男の全身を支えていた筋肉が弛緩して、膝から崩れ落ちていく。
カーインは手を引き抜くと、軽く男の身体を支えて地面に横たえた。
屈んだ状態、絶好の機会。
隙だらけの背中を見逃すレミルスではない。
長い棍を体の横に構えて突撃。
稲妻を纏った一撃がカーインの無防備な背に迫る。
度重なる『鬼』の攻撃でカーインの服は破れ、素肌が露わになっていた。呪的強化繊維に覆われていない脆弱な肉体へ『呪雷』を叩き込めば相手は一撃で戦闘不能に陥る。柔よく剛を制すというのがレミルスの戦法ではあるが、だからといって受けるばかりが能ではないのだ。
滑るように間合いを詰めて一息で突きを放つ。
棍の先端が大気を灼いて走るが、カーインの背に黒々とした靄が収束。
両者の間で衝突した呪力が戦場を震わせた。
「今日の私は背後を狙われてばかりだな。そういえば、背に誰も庇っていなかった。がら空きに見えるというわけだ」
独りごちるカーインの左背面に次々と集まって翼のように並ぶ闇の塊。襲撃者は小さく舌打ちした。必殺を期した不意打ちが振り向きすらしていない相手に軽々と防御されたのだ。苦々しい表情を浮かべながら飛び退って距離をとった。
カーインを守るように瘴気の内側から漆黒の腕が生えてくる。
靄の中から生えてきた腕は合計六本。
長い指、鋭く硬質な爪、浅黒い肌、盛り上がった筋肉、肩の辺りで霞と消える不可解な輪郭。それぞれが意思を持っているかのように独立して浮遊し、鋭い爪や手掌で攻防をこなす。レミルスは抜群の感覚でそれらを全て捌き切った。
ワルシューラによる分析。あの腕は瘴気を凝縮させた使い魔だ。神経細胞の塊が単純なアルゴリズムに従って六本もの腕を自律行動させている。蛸のようだと虹犬は思った。
六本の腕は自在に宙を飛び回り、ありとあらゆる方向からレミルスを強襲。
しかし棍使いは必要最小限の動きで攻撃を捌き切った。
まるで背後や頭頂部にも目が付いているかのような知覚能力。
垂れた耳と黒い鼻先がかすかに動き、つぶらな瞳が余人には知りえない世界を認識する。ゆったりとした胴着を纏った虹犬の若者は一瞬だけ強く放電して周囲を威嚇すると、調息して棍を構えなおした。隙のない立ち姿を見て、カーインは一言。
「そういえば、雪辱戦がまだだったな」
「何度やっても同じですよ」
彼はいちどだけ公式試合でカーインに勝利している。そうでなくとも『サイバーカラテ道場』にはカーインの試合記録が大量に収められており、有効な戦術パターンを割り出すためのデータには事欠かない。挑発的な言葉が放たれる。
「俺の見たところ、トリシューラ陣営で二番目に強いのはカーイン、あんただ。ここで本気のあんたを倒せば、グレンデルヒが出てくるかな」
瞳には仇への憎悪。親友はヴァージルのおかげで蘇った。しかし友を傷つけられた以上、恨みを晴らさずにはいられない。グレンデルヒとアズーリアは殺す。絶対にだ。瞳が憎悪に燃える。
虹犬の全身を走り抜ける雷光。発動した『神経支配』の術が思考を加速、反射速度を電撃的に向上させていく。カーインの連撃を軽々と回避。棍が円の軌道を描いて遠隔操作される腕を巻き込み、側面に回り込んでいたカーインの貫手を弾く。
片手を得物から離して、無造作に掌を標的の胸に押し当てた。
無防備なカーインの肉体に沈みこんでいく掌。
「死ね」
電磁発勁。発電器官を兼ねた筋肉が活性化。殺傷力を有した高圧電流が発生し、カーインを灼き尽くさんと荒ぶり猛る。必殺を期した一撃であったが、カーインはわずかに顔を顰めながらも跳び退ってみせた。黒々とした靄が男の全身を覆い呪的に防御していた。口元には余裕の笑み。
「常人を超える肉体改造。君も『お山』の出身か」
「そういうあんたは、やっぱり『あの』カーインだったわけだ。霊長類だって聞いてましたけど、その瘴気はどうやって? 脳に疑似細菌でも移植したんですか?」
「もし君が私に勝てたら教えて」
あげよう、と言い終わらぬうちに動き出し、一歩の踏み込みで距離を詰める。長い棍は厄介な武器だが、懐に潜り込んでしまえばそこはカーインの距離だ。鋭い貫手が虹犬の正中線、腹の中心を狙う。一方でビーグル犬氏族は相手の筋肉が緊張した瞬間から迎撃の準備を整えていた。奇襲は不成立。得物から両手を離した虹犬は攻撃の腕を引き込みつつ足を払って相手を投げ飛ばす。
転がって受け身を取るカーインを次々と襲う稲妻の矢。
更に棍を拾ったレミルスによる更なる猛攻。
多数の手で絶え間ない反撃を行うが、一向に成果は上がらない。
虹犬に隙は無い。ある種の動物が地磁気などを感知するように、レミルスもまた生体が発する磁気を読み取って機先を制することができるからだ。
筋肉や軸索が分化して形成される発電器官が彼の邪視発動部位である。彼は筋細胞の活動電位や軸索が発生させるシナプス電位を邪視感覚によって増幅させ、頭部を正極、足部を負極とすることで発電を行う。発生させた電気は瞬間的な攻撃に使える上、邪視によって『虹弓』を構築すれば雷の矢すら射出できる。だが、その本領は周囲に電磁場を形成することによって可能となった感知能力にある。
カーインは体表面にまとわりつかせている闇を一層濃くしながら呟いた。
「攻撃の起こりを読むのか」
レミルスの前では尋常な武術も使い魔による全方位攻撃も共に無意味。
虹犬の『間合い』は球形に広がっている。一種のレーダーと呼べる超感覚をかいくぐって有効な打撃を命中させるのは至難の技だ。更にカーインの持つありとあらゆる攻め手は解析され尽くしていた。
六本の腕は一見すると脅威だが、実際には今まで不可視であった瘴気攻撃が可視化されただけに過ぎない。実体を持ったことで威力は増しているが、軌道を読みやすくなったぶんだけこの虹犬にとってはやりやすくなったと言えた。
「最適な戦術も定石も既にインドアユーザーたちによって完成されている。あんたの底は見えました。これで終わりです」
蔑みや失望を通り越した無関心。見切りをつけたように言い放つ虹犬だったが、対するカーインは落ち着き払ってこう言い返した。
「機械女王の勢力から離反した君がどうして『サイバーカラテ道場』を使用しているのか、そもそも何故あえて私を狙うのか、どちらも不明だが、最適化学習だけを連続して行うのは危険だと言っておこう」
どこかピントのずれた発言だった。
虹犬は怪訝そうに「何ですか、それ?」と訊き返す。
カーインは自然体のまま言葉を重ねた。
「『最適』など日々変化し続ける。サイバーカラテの特性を知り、手の内を隠すことが最善と信じる秘密主義者が相手ならなおさらだ」
サイバーカラテの教えによれば。
有効性を試験し、欠陥と短所を把握すること。
そして『古い手法』のバックアップを取っておくことは必須だ。
敵が常に決まった行動ばかりをしてくれるとは限らない。
最後にものを言うのは己が信じる『視座』ひとつ。
すなわち肉体に刻まれた武の体系のみ。
闘争とは突き詰めれば互いが出す手の読み合いであり、情報こそが必殺の武器。
よって武術の神髄は門外不出、隠匿されるべき神秘に他ならない。
すなわち、武術は呪術的な力を宿している。
カーインが操る六手がそれぞれに異質な呪力を宿して淡く光る。
風邪、寒邪、暑邪、湿邪、燥邪、火邪。すなわち病の原因とされる『瘴気』の多様な形態、その一種だった。
虹犬は低く唸る。
病と使い魔、高い身体能力。
猟犬はカーインの正体を判じかねていたが、ワルシューラはこれまでに得られた情報から『高位吸血鬼の眷族となった第二から第三世代の吸血鬼』だと推測した。元々が鉄願の民であるならば、過去の情報とも矛盾せず、高い身体能力にも納得が行く。
「それがあんたの視座ですか、吸血鬼」
「ご期待に沿えず申し訳無いが、少し違う」
カーインは予測を否定した。
纏った闇は少しずつ晴れていく。サイバーカラテユーザー相手に秘密を開示する。それはここで勝負を決めるという意思表示に他ならない。
張り詰めていく空気。虹犬は腰を低く落として身構える。
カーインの六手が本人の左腕と動きを揃え、一斉に虹犬を向いた。
次々と射出される瘴気の腕。
弾丸となった貫手を棍が全て叩き落とすが、それらは弾かれた瞬間に霧散した。形の無い瘴気が目眩ましとなり、更には磁場がかき乱されて感知の精度が低下。舌打ちして瘴気の外へと逃れようとする猟犬だったが、闇を裂いてカーインが肉薄してくる。かつてないほどに膨れあがる威圧感。
露わになったその面相を見て、虹犬の瞳が驚きに染まる。
「角?!」
瘴気に染まった浅黒い肌、鋭い爪、血と闘争心に彩られた瞳、鋭い牙。そうした変化よりも劇的な身体的特徴は、カーインの頭部に顕れていた。
それは角。すぐそこに転がっているシナモリアキラだったものが脳に埋め込んでいた装置とは異なる、紛う事なき生来のものだ。
カーインが野獣のように笑う。
禍々しい牙は血を啜るためというよりも、肉を喰らうためのものに見えた。
『百々目鬼』たちはワルシューラ経由で虹犬と視界を共有しながらカーインの正体を分析し続ける。こうして離れた場所からでも瘴気による呪的侵入を妨害することは可能だ。
実質的にこの戦いはカーイン対レミルスの一騎打ちではなく、サイバーカラテを身に付けた自警団員たちによる集団戦だった。
正面の戦闘に集中しながらも、彼ら『百々目鬼』の構成員たちは第五階層各地で戦闘を繰り広げている。欠員が出るたびに捕縛した犯罪者を取り込み、新たな『百々目鬼』として迎え入れて新陳代謝を繰り返していく。最初の構成員が誰だったのかについて、彼らが拘ることは無いし、誰も記録していなかった。
自警団はどのような場所にでも発生しうる。
だが第五階層ではその性質が少々異なっていた。
最初は機械女王トリシューラの取締りを回避するために、その後は『不殺』という信念に基づいて。徒手空拳で凶悪犯罪に対抗すべく、自警団はサイバーカラテを導入した。
それは最初、『流行』に近かった。誰かが使っていたから自分も。便利そうだし我々の斑でも。情報を共有するようになってからは無い方が不便であることから使用が義務化されていった。
サイバーカラテの同時運用によって動きを同期させ、より効率的に集団戦闘を行う研究は日夜繰り返されている。それを最も実践し続けてきたのが彼らだ。
そこに脆弱性を見出した呪術師によってあっけなく支配されたのも、それを危険視した機械女王とシナモリアキラによって解放されたのも、正式な認可を受けて事実上の警察組織として活動を始めたのも、サイバーカラテを導入したために起きた出来事だ。
『百々目鬼』とサイバーカラテを切り離すことはもはや不可能だった。
だからヴァージルの掌握した『サイバーカラテ』をそこに潜ませるのはひどく簡単だった。機械女王から奪ったワルシューラたちはこの準警察組織を手始めに、ありとあらゆる社会の基盤を奪い続けていくだろう。
「うん。いいね、サイバーカラテはいい。僕が管理するにふさわしい」
『百々目鬼』の働きを見下ろしながら少年は言った。
「サイバーカラテシステムは、荒野における自力救済を可能とした上で闘争の秩序を構築する。流動し続ける慣習は柔軟性のある暴力の法となり、私法と契約との三位一体が理想の無政府国家、更新され続ける夜警国家を実現するだろう」
夢見るように。あるいは恋するように。
少年はサイバーカラテを愛している。
制御された暴力を、彼はこの上無く好む。
「あらゆる暴力は必然的に暴走する。なら愚かな人類は叡智によって制御されねばならない。サイバーカラテは暴力を完全に外部化する! 人はサイバーカラテにその身を委ねるべきだよ」
省庁を擬人化したワルシューラはその特権によって人民の生活を管理して最小規模の電子政府として利用され続けるツールとなるだろう。
『最適な秩序』が支配する王無き王国。
機械女王とはシステムでありツールでもある。
腐敗と堕落、制度の硬直化と権力の暴走。
人が持つ暴力性を抑制するため。
サイバーカラテ夜警国家の樹立は必要悪なのだ。
自警団員たちの真上に立体幻像が浮かんでいる。
その愛らしい美貌に複数の溜息が漏れた。若き王子は微笑みを浮かべる。
「きみたちならきっとオルヴァに、そしてシナモリアキラにも勝てるよ」
激励しつつ、ヴァージルは『百々目鬼』たちに規格外の呪力と複雑怪奇な呪文の秘奥を授けた。自警団の内部に渦巻く無数の意思総体、そのアストラル体に。
今の『彼ら』は最強の戦士に他ならない。倒すべき他のシナモリアキラの居場所は既に全員分特定している。
『百々目鬼』は第五階層に荒れ狂う暴力を制御するための機構だ。
悪は制御されなければならない。敵対する犯罪者を。自分たちの総体それ自体を。
『シナモリアキラ』を制御しなければ!
それは義務感というより存在を脅かされたことへの反射行動に近かった。『百々目鬼』の総体は自己の保存と存在の防衛のために動き出した。
「ランキング上位者を全て制御し、サイバーカラテの管理を盤石なものとする!!」
ロウ・カーインと猟犬はサイバーカラテに近い場所にいながら『道場』を活用していない。カーインはインストールのみでアプリを利用していないし、虹犬はトリシューラへの不信からアンインストールしてしまった。にもかかわらず、彼らはトリシューラによってランキングに登録されている。
「全ての暴力はサイバーカラテが管理する。あらゆる体系を飲み込むサイバーカラテこそ、野放図な力を束ねる最小の暴力装置。武術家はサイバーカラテユーザーとなれ」
ヴァージルの幻術は完璧な仕上がりだ。虹犬は本人の意思にワルシューラが介入していることに気付いていない。強制的に『サイバーカラテ道場』をインストールさせた十三番義肢『コキューネー』はヴァージルが自ら改造した特注品だ。今やあのビーグル犬氏族は根っからのサイバーカラテユーザーでありシナモリアキラのひとり。
「頑張って、レミルス。頑張って、『百々目鬼』のみんな。君たちは僕のともだち。君たちがシナモリアキラに、そしてオルヴァになるんだ。そうしてぼくと一緒に秩序に満ちた管理社会を構築しよう」
優しく肯定してくれるヴァージルの言葉が耳に心地よい。
彼の下で『百々目鬼』たちは存分に望みを果たせる。
愚かな人々を戒め、暴力を管理することで世界は平和になるだろう。
洗脳という手段もまた暴力には違いないが、理性ある夜警が人々を管理する限り不都合が出ることはない。誰が彼を見張るのか、そうした慎重な意見が取り交わされることもあったが、
「『百々目鬼』。そろそろ彼らを動かすときだよ」
「はい、直ちに。ヴァージルの言うことはいつだって正しい」
ヴァージルが管理してくれるのだから、何も心配することはない。
少年の言うとおりにしていればいい。
少年の言うことは絶対で完璧なのだ。
赤い瞳に魅入られたように『百々目鬼』たちが熱狂する。
「覚醒の時だ戦士たち! お前たちの『シナモリアキラ』を見せてみろ!」
命令に従って、呪術医院に運び込まれて拘束されていた『鎌鼬』が起き上がり、『件』が目を覚ます。既に『百々目鬼』の制御下だ。『百々目鬼』としての思考を無意識下に刷り込まれ、自由意思を保ったまま知らず知らずのうちに『正しい行動』を選択するようになっている。
立派な自警団員となった犯罪者たちが病院の中を疾走し、次々とドローンを破壊していく。標的はトリシューラと彼女が保護するシナモリアキラたちだ。全てのシナモリアキラを支配下に置く。そしてオルヴァをも取り込み、ヴァージルの目指す新世界秩序に組み込まれるのだ。幸せな気分に浸っていた『百々目鬼』たちは不意に冷や水を浴びせかけられた。ジャックした視界の中央に立ちはだかる不快なシナモリアキラ。
涼やかな女の声が響いた。異形の義肢に崩した和装もどきという格好。
「わたしにーさまがひい、ふう、それと『向こう』にもいっぱい。じゃない。まとめてひとり? まとめてみっつ、三はいい数。品森晶を示す数字。とてもいい、だから死ね」
長い黒髪を靡かせた『大蛇』の晶が水流を操って襲い掛かってくる。迎え撃つ『鎌鼬』と『件』。『百々目鬼』に所属する言語魔術師たちが呪文を紡ぐ。
「違法シナモリアキラを取り締まれ!」
『コキューネー』から伸びる接続端子からアストラルの触手を伸ばして遠く離れた呪術医院へと投射する。宣言通りに捕縛、アストラル絞殺を実行するつもりなのだ。晶は人形のように端正な顔を薄く笑みの形にすると、両腕の義肢で三者を同時に相手取った。
呪術医院の窓が、通路が、病室が、次々と爆散。ドローンに避難誘導されていく人々は震え、忌まわしいシナモリアキラを恐怖した。そうした恐怖が呼び水となり、地面から異形の怪物たちが這い出してくる。
半透明のシナモリアキラ『火車』が出現し、増え続ける狂怖を従えて進撃を開始。まっすぐにトリシューラのいる院長室へと進む。態勢を立て直した彼は、背後に大魔将イェレイドの分体を従えていた。ひとつの勢力を強引に攻め落とすには十分な戦力だ。
暗躍するヴァージルと『百々目鬼』、死闘を繰り広げるシナモリアキラたち。
呪術医院を中心として、第五階層の空に暗雲が立ち込める。
黒々と広がる雲と共に冬の大気が湿り気を増して、次第に雪が舞い落ちてくる。
はらはらと舞う雪。通常であれば第五階層には降らないはずの異常である。
この地の天候制御システム『気象庁』は階層の南ブロックにある。
度重なるヴァージルの呪的侵入にも耐えきった難攻不落の要塞でもあるこの建物も、遂に少年呪術師の手に落ちたのかと事情を知るものたちは慄いた。
だが、当のヴァージルは訝しげに眉根を寄せる。
「雪? 珍しい。姫が目覚めかけているのかな?」
不思議そうに呟く少年。彼には事態の全容が見えていなかった。並行してアルト・イヴニルとの戦闘を行っているのだ。ヴァージルとて全知全能ではないのだ。
準備は水面下で進められた。ひそやかに、だが着実に。
ドローンたちが資材を運び込み、一定数の技術者たちが『気象庁』へと送り込まれていく。要塞にも似た鋼鉄の建物に吸い込まれていく人員たちはみな目隠しをされており、外に連れ出される際にも同様の措置がとられていた。
そして、運ばれていく物資に紛れて巨大なコンテナがひとつ。ドローンたちが警護・運搬するその荷物の中には、『大入道』という名のシナモリアキラが封じ込められていた。コンテナは建物の中に消えると、二度と出てくることは無かった。
稲妻を纏った虹犬は野獣を思わせる唸り声を上げながらカーインの猛攻を凌いでいく。彼の感知能力は完璧だ。力を受け流して利用する技術もまた卓越している。しかし、棍を握る手は痺れ、激戦の疲労によって息が上がってきていた。
確かに先ほどまでは優勢だった。そのはずなのに。
焦りが虹犬の瞳に浮かぶ。
二人は門派は違えど同系統の体系に属する武術を修めた達人同士だ。
実力が同等なら他流試合ゆえの相性差も重要な要素となってくる。
万物の源たる『神気』を経絡に通して戦うカーインに対して、『神経』を支配するレミルスの合気は天敵と言えた。
単純な外功使いであれば容易くその運動エネルギーを利用して投げ、内功を重視する相手であれば体内の呪力を奪って反撃に転じる。
そうして若き天才は勝ち続けてきた。
例外は同世代で最強を競い合っていたサイザクタートのみ。
雷撃で牽制してから距離を置いて長柄武器を構えなおす。気息を導引して体力を回復させつつ、相手の精神をかき乱そうと試みた。舌戦もまた戦闘の一部である。
「教えておいてあげます。『サイザクタート』の襲名候補は最終的に二人に絞られた。初代の子孫である本命と、それに比肩すると言われた親友の天才美少年」
猟犬の自己評価は、丁寧な口調がもたらす控え目な印象に反して極めて高い。そして実際に過小でも過大でもない適切な評価であった。文武呪の三道で抜きんでた才覚を示しており、虹犬の基準なら彼は絶世の美男子である。霊長類の感覚でも丸一日撫でまわしていても飽きないほどのビーグル犬ぶりと来ている。小柄でありながら力強く、可愛らしい垂れ耳わんこが素晴らしいのは全世界的な真理であった。
「最終的には順当に子孫の方が襲名しましたけどね」
ビーグル犬は己の敗北を口にしながらもどこか誇らしげだ。
幼馴染の親友で好敵手。そんな相手が歴史に名を残す勇士に名を連ねたことが心から嬉しい。だからこそ彼はカーインが理解できない。
「なんで四十四士の栄光をどぶに捨てた? 守るべき主君にその爪を向けた? 俺はあんたのことを知らない。だが愚かな、いや支離滅裂な行動をしてるってことだけはわかる。あんたは一体何がしたくてこんな場所にいるんだ?」
カーインはしばし答えを探すように沈黙した後、短く言った。
「主命なれば、是非も無し」
「その主を、あんたは裏切ったんだろうが! あの方以上に仕えるべき主がいるとでも言うのか、四十四家の恥さらしがっ!」
激昂を涼しげに受け流し、カーインは再び瘴気から六手を形成した。
瘴気は実体ある腕と不定形の靄の二形態へと自在に変身し続ける。
磁場を掻き乱す高濃度の『穢れ』と六淫を叩きつける剛腕。
二つの攻め手は多彩な組み合わせとなって猟犬を翻弄した。
それでも誇り高い雷獣の自信は揺るがない。
「確かに、俺は『サイザクタート』に選ばれなかった。軍勢を率い、拠点を守り、敵軍を薙ぎ払うことが俺にはできなかったから。けど、あいつは近接戦闘では一度も俺に勝てなかった」
青い稲妻が棍を這い、猛犬は更に加速する。
『神経支配』は運動ニューロンが支配する骨格筋繊維群を一つの単位として掌握する呪術だ。神経が筋肉に対して下す収縮・弛緩の命令を制御して運動機能を向上させたり、相手の動きを支配することができる。
接触さえできれば相手の動きを制御してまるで演武か稽古、やらせの大道芸じみた派手な投げ技すら可能となるのだ。横軸の動きがカーインを誘い、軸足は大地を捉えつつも上体が攻撃の手を引き寄せていった。電流が迸り、輝く毒蛇の牙がカーインの筋肉を、神経を、そして脳を支配せんと神経毒を注ぎ込んでいく。
「終わりだ!」
虹犬は投げの態勢に入った。受け身など取らせない。地面に叩きつけ、頸部をへし折り、意識という抵抗力を失った脳髄を焼き尽くす。殺意に満ちた邪視の稲妻がカーインの全身を捉え、支配の手を及ぼしていく。脳神経科学的侵入と呪的侵入、二つのクラッキング呪術がカーインを襲う。
その瞬間、猟犬の主観意識はビーグル犬型アバターとなってアストラル界を疾走し、カーインという漆黒のアストラル体の内側に侵入した。
どこかで誰かが呟いた。『特定した』と。
一秒は永遠のように引き延ばされ、意識が限りなく加速して時間がひどくゆっくりと流れていった。停滞した世界を置き去りにして光の世界を犬が踏破する。
足から腰、胴から手や肩と走り抜けて脳内に到達。
魂の深層に前脚をかけると何重もの防壁を強引に突破。
鈴のような咆哮は邪を打ち払う呪文だ。カーインの体内に渦巻く瘴気が吹き散らされて、彼がひた隠しにしてきた内心が明らかにされる。ビーグル犬の電気的な仮想使い魔は露わになった脳内の構造を見て、愕然とした。
「ようこそ。私の世界へ」
頭蓋の中は広々とした一室だった。
白骨の壁は壁紙によって柔らかい象牙色に変えられており、床には虎の毛皮が敷かれている。ソファに体をあずけてすっかりくつろいだ姿勢の部屋の主は足を組んだままビーグル犬に何かを投げ渡した。骨だ。
「歓迎する。しゃぶっているといい」
怒りと共に飛びかかる。稲妻そのものとなって本体と思われる小さなカーインの脳内へと侵入。今度こそ隠された秘密を暴き出す。猟犬は、『百々目鬼』は、そしてヴァージルは不確定要素を排除すべくカーインという神秘をここで零落させようとしていた。
「ここまで侵入してくるとはな。まあ寛いでいくといい」
小さなカーインは操縦席に座っていた。
頭部の中は様々な精密機器で満たされ、正体不明の男は操縦桿を握って『外の人』を操縦している。神経を逆撫でされ、『百々目鬼』は猟犬を更なる深みへと潜らせた。稲妻の獣が小さなカーインの頭部へと侵入を果たす。
「ロクゼン茶でもどうかね。バーゼリア産の良い茶葉が入ってね」
更に頭部の中へ侵入するとそこには似たような部屋があって更に縮んだカーインが寛いでおり、更に中へ中へと進んでいくと今度こそ真のカーインがいるに違いないと確信して次へ、また次へと深く深くさらに奥へと進みカーインの頭蓋の中でカーインが外側の身体を動かしておりそのカーインを動かしているのも頭の中の小さな小人であり今度こそ本当の彼が全ての秘密を抱えて待っているに違いないと確信したヴァージルは『百々目鬼』に命じて猟犬を更なる深みへとますます深く深く――。
ヴァージルは咄嗟に自らのアストラル体を切断して緊急避難。取り残された『百々目鬼』の言語魔術師斑と猟犬は巨大な守護者に見放されたことを知って恐怖に震えた。
いま彼らは敵の腹の中にいる。これは罠なのだ。
この探究に先は無い。
カーインの秘密主義の奥にあるのは秘密を覆い隠すヴェールのみ。
隠されるべきものなどなく、秘密だけがそこにある。
『隠』という呪力。ただそれだけで成立する『何者か』。
それは真の意味で『何者か』でしかない。
あるいは底の底には何かそれらしい真実があるのかもしれないが、それが見えないのなら同じ事。『正体不明な隠されたもの』と定義された種族は、何をしようと全てが秘密の靄に覆われたままなのだ。
「お前は、お前は何なんだ!」
問いが答えだった。
未知に対する原初の恐怖。
猟犬は急いでカーインの頭蓋の外へと脱出を図るが、外へ外へと急いでも一向に脱出は叶わない。いったい、無意識のうちにどれほど深く誘い込まれてしまったのだろう? 時間の感覚などとうに無い。
やがてレミルスは現実世界へと脱出した。
途端に色付いていく風景。世界が加速し、虹犬がカーインを豪快に投げ飛ばす。支配こそ出来なかったが、現実の攻防で上回れば問題は無い。
だが、突如としてカーインが重くなった。投げを断念して離れる。カーインは見る間に巨大になって天井に角がぶつかりそうになる。
「天井?」
レミルスは疑問のままに周囲を見渡した。
そこは外の世界などではなく、色付いた世界が幻像として頭蓋骨のスクリーンに投影されているだけの小さな一室。
カーインの頭部の内側だった。
愕然として、更なる外へと脱出。骨の壁を割って外へ向かう。虹犬の身体は大きくなってカーインの頭部から飛び出した。着地したのは間違い無く第五階層の大地。そのように見せかけた頭蓋骨の部屋。恐怖に駆られて外へ、更に外へと脱出を続けるが、一向にカーインの内側から逃げられない。
内側にも外側にも無限に連なるカーインの世界。
「当然だ。世界とは、頭蓋骨の内側で完結しているものなのだから」
無限の牢獄に囚われた虹犬が絶叫する。彼は肉体ごと異界の中に取り込まれ、出口の無い迷路を永遠に彷徨い続けるだろう。自警団の本部は大混乱に陥っていた。主立った言語魔術師たちが軒並み廃人と化している。替えのきかない優秀なスキルを持ったインドアユーザーたちの大半が壊滅した事実にヴァージルは舌打ちする。
アストラル体の一部を引き裂かれた痛みに耐え、荒く息を吐いた。
戦いの終結を見届けたヴァージルは険しい顔で仮想窓を睨み付ける。瘴気の中に隠れていくカーインの姿は常と変わりないように思える。
「内世界型の浄界。無限後退の小人幻想を拡張したの? でもそれを外側に広げるなんて、まるで内側と外側が反転しているような」
またしても迷路の中に誘われる思考を強制的に打ち切って、ヴァージルはしばしカーインへの手出しを控えることを決意した。
危険過ぎる。未知というものは単純な強さよりたちが悪い。
囚われた猟犬の救出は後回しにして、今は壊滅的被害を受けた『百々目鬼』の立て直しとトリシューラ及びグレンデルヒへの対策に注力しよう。自警団の実働部隊たちに引き上げを命じる。行動の方針を定めたヴァージルだったが、戦況を把握すべく呪術医院の映像を表示したとたん、呆けた表情になって固まってしまう。
状況は彼の予想を超えていた。
グレンデルヒを中心とした『マレブランケ』とドローンが狂怖たちを退けているのはいい。最有力と思われていた『大蛇』が『件』と『鎌鼬』の猛攻に押され気味なのも想定の範囲内。追い詰められた『件』が世界終末の大顎を具現化すればそうそう負けることはない。『鎌鼬』のナイフは考え得る限り最悪の殺人鬼の学習装置であり、素人同然の動きは加速度的に改善されていた。
戦いの終わりは近付いている。
シナモリアキラという形式がどのような形で成立し、オルヴァがどの段階で十二人を生贄に捧げて降臨するのか。あとは紀人同士の読み合いとなるだろう。
そうなるはずだと、ヴァージルは思っていたのだ。
それが、なぜ。
呪術医院の上空で爆炎の華が咲き誇り、光の軌跡がアストラル空間を裂いていく。腰の噴射孔から爆炎を吐き出して、エネルギーの翼を背に広げながら飛翔する者がいた。黒銀の装甲は破壊と再生の炎を燃え上がらせ、緑の瞳が二重になって標的を見据える。回転する歯車の左手が『火車』のアストラル体を捉え、増幅された転生力を叩きつけた。
地上から放たれたイェレイドの攻撃。呪詛と強酸の吐息が襲いかかるが、青と銀の右手がそれらを全て停止・凍結させていく。
鮮血色の髪が放熱しながら風になびき、降りしきる雪が音を立てて溶けた。
機械仕掛けの炎天使が『発勁用意』の呪文を唱える。
彼は魔女。彼女は転生者。
二人は既にひとつ。重なり合うが融け合わず、外と中を規定し続ける。
きぐるみと役者の関係のように。
「馬鹿な」
ヴァージルは思わず呟く。
あの『きぐるみ』から発せられている呪力の波形は全くの未知。
十二人のシナモリアキラの誰とも該当しない。
ならば、あれは一体誰なのだ?
炎天使のサイバーカラテがイェレイドを打ち据え、立て続けに『火車』の呪的侵入を弾く。逆探知からの『氷』による反撃。アストラルアキラが苦痛に呻いた。
強化外骨格となったトリシューラを纏い、聖婚の儀を完成させた転生者。
突如として現れた『十三人目』は、不敵に宣言する。
「来い、シナモリアキラ。お前らに、本当のサイバーカラテを教えてやる」
新たなアキラの背後で回転する機巧曼荼羅の中央で、巨大な瞳が強く輝いた。




