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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ
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幕間『死人の森の父』



 六人の王は夢を見る。

 銀色の森でひとりきりで誰かを待ち続ける、小さな少女の夢を。

 麗しき王は少女に導きを欲した。彼女は見知らぬ母のように温かだった。

 正しき王は少女に肯定を望んだ。それは使い慣れた道具のように確かだった。

 賢き王は少女に絶望を見つけた。彼女は見慣れた終端のように死に近かった。

 狂える王子は少女に抱擁を求めた。彼女は帰りたい子宮のように愛おしかった。

 強き王は少女に鎖からの解放を見た。それは彼自身の解放の代償行為だった。

 孤独な王は少女が自分とは違うのだと知った。寂しさを埋めて欲しかった。


 王たちは少女に撫でて欲しかった。認めて欲しかった。赦しが欲しかった。

 それぞれがどんなに傑出した英雄であっても、彼らにだって弱さはあったから。

 よくがんばりましたね。えらいえらい。そう言って優しく包み込んでくれれば、それで十分だった。だから森は彼らに庇護を与え、永遠の中に閉じ込めた。


 けれど少女はどこか寂しそうで――ここにはいない誰かを見ていた。

 それを見ると六人の王は見捨てられた小さな子供のような気持ちになった。

 構って欲しくてわがままを言ったりいじわるしたり、とにかく少女を困らせる。

 少女は仕方無さそうに溜息を吐いて、男の子たちを優しく叱っていく。


 そんな、穏やかな家庭のような光景。

 王たちは気付いていた。

 足りないのが、父親だということに。

 少女がいつだって誰かを待ち続けているということに。

 だから思ったのだ。いつまで経っても待ち人が来ないのなら、自分が少女の寂しさを埋めてあげようと。

 『大きくなったらお母さんをお嫁さんにする』と宣言する男の子のように。




 一面の闇と天頂の月。

 スキリシアを端的に形容すれば、このように味気ないものになってしまう。

 だがそれは遠くから俯瞰した時のこと。

 よく目を凝らせば、柔らかい岩の影に、地中の暗がりに、静かな川の底に、黒い霧に覆われた森の奥に、様々な小世界が広がっていることがわかる。

 スキリシアを構成する闇は変幻自在。常にその姿を変容させるがゆえに一度として同じ顔を見せることは無い。


 幻想によって綴られた夜の彼方、想像することしか叶わない隠された大地。

 『人類ロマンカインド』が世界の果てを知らぬ頃、彼らはあらかじめ遺伝子に組み込まれた、そして模倣子が獲得してきた形質に従って数々の異界に思いを馳せた。

 海の果てには美しい珊瑚の国があり、そこでは賢い蛙たちが暮らしている。

 森羅万象の理の裏では大自然を司る精霊たちが世界の均衡を守っている。

 水面と鏡の中、影の裏側、死後に向かう地中、森の奥。

 未知なる世界は過去に存在しており、それゆえに今も存続していた。


 そんなスキリシアの広さというのはとても曖昧だ。

 距離などはあってないようなもの。

 共同体間の距離は両者が友好的であれば近くなり、敵対的であれば遠くなる。

 物質的な性質も兼ね備えているが、どちらかと言えば霊的な性質が強い。


 そんな中、『表』と『裏』の両方で連邦制を敷くドラトリアにおける夜の民たちのための行政区、通称『影の州』は『地上の諸州』との関係性の深さから比較的固定された位置を維持していた。

 それも、しばらく前まではの話だ。


 言震ワードクェイクによる北ドラトリアの分離。

 魔将復活によるエルネトモランの騒乱。

 秋の事件以降に大量発生した吸血鬼ことドラトリア系夜の民は、大神院によって正式に天使の眷属種として認定された。エルネトモランでも吸血鬼たちは特別居住区で暮らしている。それはエルネトモラン内に小さなドラトリアが存在しているということだった。


 エルネトモランから影の中へと潜行し、地上では遥か東方に位置するドラトリアに移動する、ということが夜の民ならば可能なのだ。

 エルネトモランを貫く世界槍の中であってもそれは同じ。

 月明かりが照らす黒色の大地の上に、蠢く雲のような塊がある。

 それは何もない荒野を驚くべき速度で移動していた。

 六王の一人にして吸血鬼の王。

 ジャッフハリムが誇る四十四士が一。

 カーティスが群れをなして夜の世界を駆け抜けていく。


 途中、先回りして待ち構えていたアストラル体の軍勢――海の勇者イアテムが放った数千からなる部隊を『ぷちり』と轢き潰し、何事も無かったかのように突き進む。数を頼みにするイアテムは戦い方からして間違っていた。カーティスに数で勝つことはできない。かの王は『大勢』なるもの。漠然とした『多さ』のイメージは正確な数を定義させず、十分な戦力の用意を許さない。恒常的に展開している原始呪術『戦場の霧』は黒々とした靄となってカーティスたちを覆い、その全容を決して掴ませないのだった。相対する者にとって、闇の王の兵力は無限に等しい。


 やがて王は懐かしい故郷に足を踏み入れる。

 濃く深い色を基調とした建物の数々。

 近年の流行か、煉瓦を積み上げた尖塔や黒曜石を敷き詰めた床などが目につく。青や緑が好まれるが、まれに血のような色彩がアクセントとして屋根や看板に使われていたりもした。

 中央の市街はすっかり近代化が進んで血管のようなチューブが道路となって中を箒が飛び交い、骨のようなビルディングから漏れ出る呪術照明が街を眠らせない。行きかう人の種類は様々で、地上から来たらしき者も多く見られた。

 人が集まればさまざまな情念、衝突、融和が生まれる。

 紛れもない大都市の空気感がそこにあった。その景色は彼が知る頃から大きく様変わりしていたが、肌で感じる瘴気は紛れもなくドラトリアのものだ。


 伝統を維持するため近代化の波にも負けず鼠車が観光客を運び、コウモリの使い魔たちが荷物や情報を運んでいく。清浄な流水を苦手とする血統のために下水の通った道の上には伝承遮断の呪文が刻まれ、境界を跨げない血統や招待や許可が無ければ共同体に足を踏み入れられない血統のためにあらゆる場所に通信用のグロートニオン結晶が設置されている。

 人の死や病、悪しき空気への恐怖は伝承を生み出し、それらに影響されて吸血鬼は性質を変化させる。多様な血統への配慮は吸血鬼国家としての必然であった。


 一際目を惹くのは闇の中で煌めく力ある宝石の輝き。

 地上と影の下、両方で採掘できる呪宝石は至る所に見られ、精錬や加工、流通や販売に関わる者たちは花形職業としての誇りを胸に抱きながら働いている。

 周辺業界である服飾や製造はもちろん、建築や呪具関連、研究機関に芸術といった分野とも関わりが深いのが呪宝石だ。名高いドラトリア産の呪宝石を求める者たちや観光客は目を輝かせて宝石都市を歩いていく。ドラトリアは小国ながらも栄えており、首都であるカーティスリーグはその輝きの中心なのだった。

 

 全てが懐かしかった。多くの変化はあれど、ここはまさしくドラトリア。

 始祖たちの王国の中で、最も繁栄したとされる麗しの都だ。

 カーティスはしばし瞑目し、深呼吸をした。それから、


「さて」


 とつぶやくと、無数の自己が次々と各地に散っていく。

 あるカーティスは市民の影から影へと渡り、あるカーティスは旅行者やアンケート調査を装って地道に聞き込みを行い、またあるカーティスは相手を強引に物陰に引きずり込んでその牙の餌食とし、己の眷属にして手足を増やした。

 恐るべき人海戦術で瞬く間に情報を収集し、即時に全体で共有する。

 子孫であるリールエルバの置かれている状況、敵であるカルト教団の規模と拠点の位置、政府の対応、市民たちの様子――それら全てを並列で把握、処理して高速で結論に至り、ぼんやりとした表情で呟いた。


「助けに来たよ、私の遠い裔」


 カーティスの感染は拡大していく。瘴気の流れは都市全体に伝播し、必然としてその場所に辿り着く。

 全て、造作も無いことだった。

 もとよりドラトリアはカーティスの腹の中なのだから。




 近頃ドラトリアを騒がす悪質なカルト宗教団体、聖マローズ教団は度重なるテロ行為をエスカレートさせ、ついに王族たるリールエルバを誘拐するに至った。

 このようなケースでは槍神教の異端審問部隊が介入してくるのが常であるが、エルネトモランの事件以降、アルセミットは部隊の再編で忙しい。

 更に言えば現在ドラトリアと槍神教の関係は極めて微妙なバランスの上でかろうじて均衡を保っている状態だ。槍神に対して反旗を翻した北部を簡単には切り捨てられず、しかし槍神教本山のある大国アルセミットに楯突くなど考えられない。


 国内勢力とて一枚岩ではなく、多様な勢力の利害が絡み合い政情は悪化の一途を辿っている。リールエルバとセリアック=ニアがエルネトモランの危機を救い、その後も吸血鬼化してしまった者たちの保護を行っていることから、世論は彼女らの英雄的な振る舞いを称賛する方向に傾いていた。新王族派勢力はこの機に発言権を強めようと暗躍し、アルセミットとの関係性を回復させようとする槍神教徒たちはリールエルバに接近を試みている。


 拉致事件が発生したのはそんな時だった。

 あるいは、そのような時期だからこそ起きた事件と言うべきか。

 聖マローズ教団は唯一神である槍神を否定し、マロゾロンドを主神として崇める原理主義的な宗教だ。

 彼らは神を、自国を、民族を、自分たちを愛し、それ以外を憎悪していた。

 彼らの愛は王族にも向けられ、それを蔑ろにする者には敵意を抱いていた。


 わけても王国の祖カーティスに向けられているのは崇拝そのものであり、彼らが復活した始祖を『再びドラトリアの王に』と望むのは当然の帰結だった。

 王族を人質にとった狂信者たちの要求は『カーティスの魂』。

 無茶苦茶な要求であるなどとは思っていない。

 それが神託によって下された神の命令であるからだ。

 信仰によって動く千人規模の大集団。


 おまけにいずれかの勢力に支援を受けているのか、一世代前の呪具で武装している。中には呪術師も含まれており、その戦力は侮れるものではない。セリアック=ニアのショッキングな死の映像は人々に絶望を植え付け、リールエルバの運命もまた絶望的だろうという空気が流れていた。

 聖マローズ教団が唐突に内部崩壊し、内紛を始めて勝手に自壊し始めるまでは。


 カーティスの一人が辿り着いたのは都市のほぼ中央に位置する円形広場。

 歴史的建造物であるマロゾロンド大神殿の前だった。

 マロゾロンドが守護天使と読み替えられたあと、この場所は天使を通して槍神へと祈りを捧げる尊崇の祭壇とされ存続を許されていた。

 そんな場所で、祈りの言葉が高らかに響く。


「ぶひっ、ぶひぃぃぃぃ!!」


「ほうら、豚は豚らしく可愛く滑稽に鳴いてご覧なさい?」


「ぶうっ、ぶうっ、ぶひっ、ぶっひぃぃぃぃぃ!!」


 聖マローズ教団分裂後、新教団が名乗り始めた名を聞くと、誰もが聞き間違いだと考えてほぼ確実に聞き返す。そして今度は相手の頭を心配する。

 その名を、『絶対美少女吸血姫神リールエルバ様教団』という。


「リールエルバ様ぁぁぁっ!」


「あら、豚のくせに人語を解するのね。おりこうさん。良い子、良い子。もっと私の名前を呼んでいいわよ」


「ぶひぃぃ! ありがとうございます、リールエルバ様! リールエルバ様!」


「フゴッ、アオッ、オインク!!」


 彼らは狂っていた。

 狂える姫君の美しさに熱狂し、大真面目に信仰に殉じようとしている。

 『支配』と『虜』の呪力が空間を覆い尽くす。

 成人男性が四つん這いで地に鼻を擦りつけ、恥など知らぬとばかりに豚の真似をしている。壮年の女性が涙を流しながら美しいものに祈りを捧げ、若い男女が繰り返し教祖にして崇拝する神の名を呼んでいる。


 緑色の髪を揺らすさまに群衆の視線が集まり、よりいっそう呪力が昂ぶる。

 極めて珍しいことに、少女は服を着ていた。

 それも豪華絢爛な舞台衣装、舞い踊って躍動するための軽やかなものだ。

 首筋を守るチョーカー、手の甲を覆う鋭角の袖、細く絞られたウエストに腰に添えられた小さなコウモリの羽が愛らしい。シルクを重ねてリボンで飾ったスカートはふわりと膨らみ、幾何学模様のレースが可憐さを強調する。目の細かい網タイツには複雑精緻な模様が浮かび、赤いパンプスが小さな足を少女らしく飾っていた。


「この恥ずかしい豚ども! 這い蹲ってお前たちの神を讃えなさい!」


「ぶっひぃぃぃぃ!!」


 霊媒や血贄姫といった聖職者が歌や踊りで神への祈りを捧げるためのステージに立ち、艶然と笑みを浮かべながら満足そうに自らの崇拝者たちを眺める。

 とても人質にされていた少女とは思えぬ態度だ。 

 しなやかな手を伸ばし、長い脚は片足立ちで回転と跳躍を繰り返す。重力を感じさせない軽やかさ、自在に曲がる全身のしなやかさ、小気味よいリズムを刻むステップの全てが動的な美となって少女を華やかに見せていた。少女は歩み、跳ね、曲線を描きながらある方向へと移動していく。熱狂の中にある観客たちは誘われるようにステージの上へと昇り、そのまま神殿の奥へと突き進む。


 彼らは虜。情熱の奴隷。

 その興奮は、しかし少女の首を覆うチョーカーが幻影で偽装された首輪であったことが明かされると同時に怒りへと変化する。

 誘われた人々は気付く。この神殿の奥に少女に鎖をかけた憎むべき敵がいると。

 既に完全な支配下にある元教団メンバーたちが群衆に武器を配り、作戦行動を開始。先行するコウモリの使い魔が情報を絶えず送って敵の位置を常に捕捉。陽動と側面からの奇襲、少数に多勢で当たるということを徹底して繰り返す。


 都市に恐怖をもたらしたカルト教団。

 彼らはこの神殿の隠された地下納骨堂に潜伏しているのだという。

 それを知った民衆が叫ぶ。正義は我らにあり。

 悪を許さない市民たちの怒り、生活を脅かされることへの恐れ、隣人や愛する世界を守ろうとする優しさ、人々を駆り立てるのはそうした感情だった。


 罪なき人々を虐げる人でなしどもに罰を。

 悪魔のように血も涙も無い怪物たちを退治せよ。

 その胸に槍を突き立て、顔に呪符を貼り付けて爆殺し、炎の呪いで焼き尽くす。

 市街地に出現した異獣の討伐は順調に進んでいた。


 ふとその動きが止まる。

 観客たちは熱狂を突然中断させて、一斉にある一点を見た。

 彼らを誘い、導き、狂騒の中に引き摺り込んだ舞い手。

 緑の髪と紅い瞳が美しい、大人びた艶のある少女。

 狂い姫と呼ばれた吸血鬼に声がかけられた。


「やあ、はじめまして――というのもおかしいかな」

 

 年齢も性別も容姿も声も何もかもバラバラな大勢の群衆が、異口同音に同じ台詞を口にする。ひとつの意思が集団に宿ったかのような完璧な同調。

 いつの間にか漆黒の書物が浮遊して集団の頭上を彷徨っている。

 ひとりでに捲られていく項、燐光を放つ文字列、そしてそこから溢れ出てくる夥しい量の瘴気が人々を覆っていた。

 『感染』は既にカーティスリーグの全域に広がっている。この都市の名は『カーティスのもの』という意味であり、当然と言えばそれまでのことだった。

 彼らの言葉が連鎖する。反響する。次々と繋がり、一つになる。


「私たちが誰かは」「わかっているだろう?」「君がそうなんだね」「助けに来たつもりだったけど」「いらないお世話だったみたいだ」「流石は私の血を引いているだけのことはある」「ああいや、実際は違うんだっけ?」


 そこで、群衆は言葉を止めた。

 カーティスたちがしげしげと少女を見る。

 少女の方は最初こそ動きを止めていたが、すぐに我に帰った様子で、


「お目にかかれて光栄です、大父祖カーティスよ。私の名はリールエルバ・ヴォーン・アム=オルトクォーレン。御身の血統、その意味を受け継ぎ――」


 と名乗ろうとする。

 しかしカーティスは途中でそれを制止して言った。


「いいよ、仰々しいのは。もっと気楽に構えておくれ」


 気安く手を振って、影をするすると伸張させていく。

 神殿内の呪石照明に照らされた影が少女の足をつつき、かかとのあたりを柔らかく包み込んだ。夜の民が行う、影による『握手』である。触手も手足も似たようなものなので、手と足の区別はどうでもいいことだ。


「なるほど」「確かに違うようだ」


 少女は身を固くした。緊張の面持ちで相手の表情を探ろうとして失敗する。相手が多すぎて、誰のどんな表情から内心を推し量ればいいのかわからなかったのだ。


「まあ些細なことだよ」「似ているなら同じ」「近いなら私」「そっくりなら私たち」「遠い子孫でもそっくりさんでも私にとってはだいたい一緒さ」「夜の民とは摸倣者であり」「完璧な摸倣ならそれは本物と同じものだ」「君は確かに私の子孫だ」「そう見える」「だから子孫でいい」


 突然現れたカーティスに驚き、緊張した様子の少女。

 その困惑には一切構わずに、カーティスは次々と言葉を連ねていく。


「なるほど、中々に優れた資質を持っている。これならスキリシアを任せてもいいと思えるよ。そして君は可愛いのでおじいちゃんがお小遣いをあげよう」


「あ、ありがとうございます、大父祖様」


 畏まった様子で一礼。カーティスたちが朗らかに笑った。


「ははは、おじいちゃんもしくはおばあちゃんと呼んでくれてもいいのだよ」


 じっさい、カーティスの中にはそう呼んで差支えない高齢者も含まれる。少女は可愛らしく媚態を作ってみせた。声がまだ少々ぎこちなく、わざとらしい風ではあったが。


「おじいちゃん大好きー」


「よしよし、可愛い奴め」


 そうして、二人は邂逅した。

 予定通りに。





「予定通り、疑似餌にかかったな」


 闇の中、神殿の地下深く。

 そこには広大な空間があった。ドーム状の半球、壁の奥はへこんで収納となっており、防腐処置をした遺体がその中に安置されている。

 火葬が法で禁じられているドラトリアにおいて、蘇生能力の低い者たちが一時的に死亡状態となった際、体を預かっておく死体安置所。神殿の下に眠っているのは『加護』の力を高めて蘇生を促進させる為であり、各地の宗教施設の地下は納骨堂や地下墓所となっており、半ば病院の寝台として機能していた。


 そんな場所に隠れ潜んでいたのは、当然と言うべきか吸血鬼たち。

 集団の中心に立っている黒衣の内側から次々と影の触手が伸びていく。

 平坦な漆黒の手足は長く虚空に伸びると黒衣の近くでぶちりと千切れ、蛇かナメクジのように独立して動き出した。

 触手が厚みを増し、粘土をこねるようにして人の形へと変化していった。

 燐光と熱が生まれ、影の人形は次第に色づいていく。

 その数は十二。


「さあ目覚めの時だ、『アタリアの十二使徒』。月の終端、光の貪り、我らが神はここに無し。理の限界を知る賢者たちよ。聖なる『虚無マローズ』の名の下に集い、豊穣と繁栄を喰らい尽くせ」


 ドラトリア国内においても異端とされるカルト教団の教えは、きわめて古い形のマロゾロンド信仰を基盤としている。

 彼らは自分たちの始祖とされる聖マローズを崇拝する祖霊崇拝者たちであり、同時に竜神信教系の分派でもあった。

 かれらは世界そのものである紀竜の一体とマロゾロンドを同一視しており、その竜が司る摂理と一体化して自然のままに身を任せることを最高の美徳としている。


 すなわち、天変地異、悪疫病魔、不作、戦争、虐殺、人心の荒廃、炎上、ネットバトル、なりすまし、ソーシャルエンジニアリング、情報漏洩、デマゴギー、サーバーダウン、マテリアル界とアストラル界の転倒――。

 あるいは害虫、細菌、ウィルス、あわせて瘴気と呼ばれる悪しき空気。

 人の世に災いをもたらす全てを聖なるものとして讃え、自然のままに死と絶望が蔓延することこそが神の望みであるとする教義。

 人はありのままで生きて死ぬが定めとして、『杖』という摂理に反する悪魔崇拝者たちを憎み、徹底的に排斥する過激派集団。

 文明は堕落。発展は邪悪。機械による統治など以ての外。


 ――都市全域に蔓延する『自分』たちが集めてきた情報によれば。


 狂信者たちを率いる者の名を、ラリスキャニアといった。

 聖マローズ教団の教主にしてマロゾロンドの霊媒。

 出身は『影側の』ドラトリア首都、カーティスリーグ。

 両親は片方が青い鳥ペリュトンで片方が吸血鬼ヴァンパイア

 遠縁ながら王家に連なる血統の生まれ――貴族である。ただし、当然リールエルバやセリアック=ニアらよりは家格は落ちる。

 幼少より恵まれた環境で英才教育を受けてきた。

 長じては遥か西方にある『星見の塔』に留学、世界最高最古の叡智に触れて呪術の秘奥を学んだ俊英。

 望みさえすれば何不自由の無い人生を送ることも可能だったはずだ。

 しかし、その声から迸るのは泥のように粘ついた鬱屈と強迫観念。


「ようやく、ようやくここまで来た。これでボクは、本物になれる。あいつ、あいつを蹴落として、今度こそボクが選ばれるんだ」


 震える声、憎しみと嫉妬、そして溢れそうな期待と歓喜。

 野望の達成を目前としているがゆえの緊張と興奮。

 ラリスキャニアの黒衣の内側はうかがい知れないが、その感情を推し量ることはあまりにも容易い。


「ボクは『影の姫』では終わらない。リールエルバを追い落とし、真の王権を我が身に取り込めば、もう誰もボクを無視できない。ボクを彩石の魔獣にすら選ばなかった『塔』の馬鹿どもだって見返してやれる。リールエルバだけじゃない、あの忌々しいアズーリアも貪り尽くしてボクこそが呪文の候補に――いや、最後の女神になってやるんだ」


 教主の前に並ぶ十二人の使徒たちに自らの劣等感と野蛮な大望を捲し立てるラリスキャニア。自らの創造主が感情を昂ぶらせることに応じて被造物たちも興奮し、賛意を示す。そのことに満足した教主はうなずき、十二人とは別に背後に控えていた教団員に問いかける。


「王を誘い出すことには成功した。ここからの詰めを誤らなければ完璧だ――おい、『あれ』の護送はもう終わったんだろうな」


「はっ。既に教団の各支部員は『扉』を経由して本命の隠匿と護衛に取り掛かっております。あとは『蝕』を待つだけです」


 と、先ほどようやく支配下に置いた『自分』が答える。記憶を探ると、厳重に封鎖されていた。念の入ったことだと感心する。だからと言って見逃しはしないが。ともあれ居場所は見つかった。せっかく招待されていることだし、急いで馳せ参じることにしよう――と好戦的な『自分』たちが逸る。


「選定序盤でリールエルバに敗れたあと――ラクルラール先生に拾われなければ今のボクは無かった。ボクが成功すれば、先生も『塔』の愚かな長老たちを追い落として真の頂点に登りつめることができる」


 ぶつぶつと呟くラリスキャニアの足元はがら空きだった。

 続々と小さな鼠が集まっていることに気づきもしない。

 ざわざわと暗がりが騒ぎ出し、影の下から無数の実体が出現しつつあるというのに、対処することすらできていなかった。

 一斉に現れたカーティス、カーティス、カーティス。

 それは偏在し、密集し、分散し、溢れ出して止まらない。

 鼠の大群、蝙蝠の群れ、濃い霧、鼻をつく異臭、流れ落ちる血の雫。

 夜の王による包囲網が完成する。

 しかし。


「馬鹿め、かかったな! お前の腕の中にいるリールエルバはボクの触手が模倣した疑似餌だ! 『影』として育てられたボクの模倣は完璧――始祖王であっても見破ることはできなかったというわけだ!」


 得意げに笑い、十二の触手が追従して嘲る。

 敵陣の真ん中に誘い出されたカーティスたちは平然とそれを眺めていた。

 その中の一人であるリールエルバ、かつてラリスキャニアの一部であったものがつまらなさそうに口を開く。実際、彼女は退屈を感じている。


「どちらでもいいじゃないか。そんなことは」


「何?」


 そこでようやく、ラリスキャニアは目の前の『端末』が自らの制御を離れていることに気付いた。

 リールエルバに続いて、彼女の信奉者たちが口々に言葉を連ねる。


「真似を本物と区別しない」「それが私たちの流儀」「クローンでも」「疑似餌でも」「演じられた役でも」「リールエルバであることに変わりはないよ」「どの彼女も尊重してやりたい」「カーティスわたしは子孫の助けになりたい」


 総体としてのカーティスは、どうやら大量の信奉者とリールエルバを人格ごと複製した疑似餌を取り込んだことにより、すっかりリールエルバのファンになってしまったらしい。

 孫を溺愛する祖父母の気持ちというのは、こういうものなのだろう。


「君を倒して」「リールエルバを助ける」「それで全てが恙なく終わる」


 平坦な口調で言ってから、影を伸ばしていく。

 工夫は要らない。攻撃は単純でいい。

 こちらには、圧倒的な数の力があるのだから。


「そ、そんな――まさかここまで力の差があるなんて」


 震える声でへたり込む哀れなラリスキャニア。背後で操っていた者から正確な情報を与えられていなかったのだろう。無論、カーティスについて真に正しいと言える知識などあったためしはないのだが。

 無数の影が生贄の鼠に殺到する。

 ラリスキャニアは霊媒みこ、つまりは血の生贄でしかない。

 絶望の悲鳴が響く。


「こ、ここで終わり――? ここが終点、ここがボクの終端、馬鹿な、ヴァカな、ヴぁッ、ヴぁヴァあヴぁあああああ――嗚呼、見よ、天頂の月に陰りあり! あれなるはこの世の終焉、万象を貪り尽くすブレイスヴァに他ならぬ!」


 フードの内側で紫色の十字が輝いたかと思うと、目に見えない『何か』がカーティスの触手を上下から強引に挟み、千切り潰した。

 まるで巨大な顎だ。

 錯乱してわけのわからぬことを喚き始めたラリスキャニア。

 闇色の衣が清廉な白に染まり、紫色のオーラが周囲一帯に漂い始める。


 夜の民であったはずのラリスキャニアは「呪われよ、おおブレイスヴァ!」と叫んで獣が口を開くかのような構えをとった。

 左手を上に、右手を下に構え、広げた五指は牙の如し。

 前後に開いた足は左側が前で右側が後ろ。

 柔らかく屈曲した膝の下、体重はおよそ七対三で後ろ脚にかかり気味。

 膝のばねに蓄えた力を解放すれば踏み込み一歩で絶大な掌力を生み、受けに回れば鉤手が相手の突きを掴んで手痛い反撃をお見舞いできるというわけだ。


 一歩の踏み込みからは神速の突き、十字手からは必倒の返し。

 カーティスという総体は、それをよく知っていた。

 『彼』が今更なにをしようと不思議では無いが――。

 それでも少しばかりの驚きがある。


「こんな所にまで現れるとは。裏で糸を引いているラクルラールとやらは、ここで我々カーティスと君をぶつけてどちらかを潰したいのかな」


 異界と未来から伝来し過去の術理と融合を果たし、奇形の進化を遂げたカシュラムの古流武術ブレイスヴァカラテ。そのルーツはカシュラムの古武術とサイバーカラテ道場のデータベースに蓄積されていた形意拳と呼ばれる武術まで遡れるという。同じものから違う成果を得ていたカーティスはそれを知っていた。


「陽が翳り、月が大顎に追いつかれ、万雷の拍手と共に再演の幕が引かれていく――かくして未来と過去は消え去った、おおブレイスヴァよ恐れられてあれ!」


 復活したオルヴァが十字の瞳で見るのは破滅の未来。

 具現化した終末の光景――それすら貪り尽くす圧倒的な虚無が全てを飲み込んでいく。カーティスという群れも例外なく掻き消されていった。

 それだけではない。


 ラリスキャニアだったものが従えていた十二人。

 彼らもまた身体のどこかにカシュラム十字の紋章を浮かび上がらせて、オルヴァには及ばないまでも圧倒的な力を振るい始めたのだった。

 すなわち、時空を操る灰と紫の力を。


「聖マローズ教団とカシュラム人の共通点――広義の終末思想か」


 人種としては夜の民でも、終末思想に近付けばカシュラム人となる。信仰は種族や民族よりも強く存在を規定するのだ。

 カーティスは自分が次々と喰われていくのを見ながら冷静に分析を行った。

 危機感が欠如しているのか、それともこの程度はまだ危機と呼べないのか。

 影占いという古呪術で時空に干渉できるのはカーティスも同様だ。

 オルヴァに対抗する術を持たないというわけではない――しかし。


 圧倒的であったはずの趨勢が一気に塗り替えられていった。

 オルヴァたちが加速して、少数精鋭が大軍を翻弄する。

 寡兵で大軍に抗するにはどうすればよいか。

 答えは単純で、数で上回ればいい。戦いは数だ。当然の帰結である。

 そのためには交戦の瞬間のみ数と練度で上回ることが必要になってくる。

 用兵の速度、地形の把握、罠や伏兵などの謀略。様々な工夫が必要となるが――オルヴァには圧倒的な優位性があるためにそれらが不要だった。


 すなわち、先を見通す目と時を操る力である。

 カーティスたちは影占いによる疑似的な時間操作を試みるが間に合わない。

 生と死の女神を除けば六王で最も時空に干渉するまじないを得意としているのがオルヴァだ。カーティスにも幾らかの心得はあったが、大賢者とまで呼ばれた男には及ぶべくもない。


 部隊を展開して包囲するよりも速く攻撃が大軍を食い荒らす。

 外界を減速、自己を加速させることで事実上の時間停止を実現して攻め立てるオルヴァに、多さだけで攻めていたカーティスは次第に追い込まれていった。

 強大な六王にもそれぞれ相性がある。

 カーティスにとっての天敵がオルヴァなのだった。


 時間と空間を貪る猛攻がカーティスの総数を見る間に減らしていき、遂に最後の一人となった。リールエルバの姿をしたカーティスに十二使徒の魔の手が迫る。

 突き込まれた神速の掌底、少女の顔に過ぎる絶望、物質的事実だけを考えれば既にラリスキャニアだけになっている戦場。

 瞬間がゆっくりと流れ、圧倒的な終端がカーティスに訪れようとした瞬間。


 時空の彼方より飛来した氷の矢が、光よりも速く使徒の腕を貫いた。

 そして、闇の奥から現れたのは一人の女。

 山野にでも出かける時のような出で立ちの、氷の弓を携えた狩人だ。

 停滞した時の中で平然と動きながら口を開く。


「とりあえず七回試したけど。うん、やっぱ最速で駆けつければこのタイミングで割り込んで面倒なカシュラムを処理できる。ラリスキャニア経由で取り込まれたカーティスからのブレイスヴァとマロゾロンドの同時降臨はもうやりたくないし、このルートでいいな」


 背後には時計を抱えた半透明の蝿。

 カーティスとオルヴァは同時に目を見開いた。

 ――『彼女』の気紛れな未来語りで耳にしたことがある。

 女王を過去に転生させ、死人の森が誕生する直接の切っ掛けを作りだした女。

 たしか名前は、


「サリア。はじめまして。パターン化してあるから足掻いても無駄だけど、せいぜいなんか珍しい断末魔台詞とか捻り出して死ね」


 やる気のない宣名の直後、使徒の手首が吹き飛んだ。





 あらゆる音が無く、熱も無い。

 時の止まった世界で、サリアは落ち着き払って氷の弓に矢を番えた。

 両肘によって体を中心から分かつように弦を引き、限界まで達したところで静止する。止まった時の中で動ける使徒が迫る。サリアの肉体は容易く引き裂かれるが、既にエネルギーを蓄えた矢が過去へと飛翔して使徒を貫く。攻撃の事実が消滅し、サリアは無傷のまま次の敵に狙いを定めた。

 残りは十二、使徒とオルヴァ。


(おいおいおい、まぁーた同じ展開じゃねえか。つらいねー繰り返し繰り返し。コルセスカちゃんのやってるゲームみてえに既読スキップとかできねえもんなこれ)


 サリアの視線が一瞬だけ揺れる。視界の隅に、奇妙な生き物が浮遊しているのだ。尖った牙のコウモリがベースだが、背後から煙突が伸びて黒々とした煙を出しているのが特徴的だった。デフォルメされたマスコットキャラクターにも似てどこかユーモラスな顔つきをしている。


「ゼール、減らず口はいいから装甲を展開しろ」


(へいへい。ご主人サマの仰せのままにっと)


 背後から強襲。人類には反応不可能な加速呪術を使用しての突撃。

 しかし無駄なこと。どのタイミングで襲ってくるのかがわかっていれば、罠を仕掛けておけば事足りる。突如としてサリアの足元から立ち上ったのは血まじりの赤黒い煙。使徒はあっけなく黒煙に飲み込まれて生きながら消化吸収されていく。

 生命吸収――吸血鬼が最も得手とする呪術だ。残りは十一。


 霧とも煙ともつかない闇の塊はサリアの全身を覆い尽くしたかと思うと、鋭角のシルエットを持つ鎧となった。疑似細菌が構築する強化繊維が人工筋肉となり、大量の呪詛を含有した血液が各部に送り込まれる。ポンプが血液を送り出し、生命エネルギーと流体が入力するエネルギーが油圧式アクチュエータによって出力されて腕力を増幅。呪動装甲が速度を持ち、単純な打撃が減速呪術が発動するより先に使徒の顔面を打ち抜いた。残り十人。


 自在に伸びる影の牙、吸血鬼の触手が床面を、壁面を、天井を疾走。

 逃げても無駄。逃走ルートは記憶済みだった。影が先回りしていく。

 一人、二人と捕縛して一息に全ての生命力を奪い尽くす。残り八人。

 呪動装甲が血を啜り、生命を味わえるという喜びに打ち震える。

 黒を基調とした装甲の肩や腕、目にあたる部分が鮮血に染まったかと思うと、急速な変形が始まる。腰が大きく展開して菱形のパーツが幾つも垂れ下がり、肩から腕、脚から踵にかけて灰色のチューブが伸びて緩い接合部から汚染液を垂れ流す。背中からせり出してくるのは鉄錆色の煙突で、大量の煤煙を吐き出していた。


 『杖』らしい変貌を遂げた鎧は最小規模の歩く工場。腰のスカート状パーツから次々と前装式の小銃を排出し、背中から飛び出してくるコウモリモチーフのドローンがそれらを保持していく。弾丸は既に装填済み。

 銃声が響き、空間に穴を空けて逃れようとしていた使徒が蜂の巣に。残りは七人。銃を使った代償として銃とドローンがことごとく粉々になるが、それらは幾らでも生産が可能。次から次へと出現する使い捨ての銃士たちがカシュラムを追い立て、制圧射撃で高速機動を妨害する。


 大量生産の使い魔による工業製品の運用。

 漠然とした『杖』のイメージが死の恐怖となって具現化した邪視。

 サリアの視座であり、同時にサリアの視座ではないもの。これは鎧が見ている夢だ。サリアはそれを恐れ、現世に呼び込んでいるに過ぎない。

 サリアは狩人だ。遠いミアスカから中原に渡ってきた祖父から教わったのは弓の扱いと獣の追いかけ方、自然の中での生存術だけ。

 幼いころから山野を駆け巡り、森を友とした。

 ――だから彼女は、都市が怖い。


(サーリアちゃーん、あっそびーっましょぉぉぉおお!!! ギャハハハ!!)


 鎧が笑う。耳障りな声。ゼール・コゼーヌがサリアの精神に残した呪い。

 これは幻聴だ。

 怖い始祖がサリアとコルセスカを脅かすことはもう二度とない。

 エルネトモラン最悪の始祖吸血鬼は既に封印されたのだから。

 強制隷属の呪詛が鎖となって復活しようとする怪物を拘束。

 きぐるみ妖精ドーラーヴィーラ製の第一世代型、レトロなスタイルというラベルが神秘を工業製品に貶める。

 旧式の呪動装甲として生まれ変わった『これ』はただの服でしかない。

 

「カシュラム人もそこの始祖も、六王は黙ってコアに従え。さもなくば消えろ」


「そうか、君はそういう存在か」


 カーティスがサリアを見て何かに気付き、無造作に手を差し出そうとする。

 それが何を求めた行為なのかが明らかになることは無かった。

 サリアの無慈悲な一瞥が全てを切って捨てる。

 大量の黒い煙――吸血鬼の操る瘴気がリールエルバの姿をしたカーティスを飲み込んでいく。生命吸収によって始祖を取り込み、支配を試みる。サリアにとってはこの場のすべてが油断ならぬ敵だった。


 ――生まれ育った森は死の坩堝。だからこそ私は生きている。


 逆説的な推論で生を確かめてきた。そこに嘘はない。サリアにとって世界の原風景は死に満ちた森に他ならない。

 だから都市を初めて見たとき、彼女はそこを異界だと感じた。

 そこでは生と死が反転していた。命に満ち溢れた世界。整然とした街並み。

 本当は森こそが異界で、サリアは捩れた異界の中で生きていたのだけれど、そんなことは知らなかった。


 ――だからこそ、都市の中で私は死んでいる。

 サリアの錯誤は都市を恐怖の化身へと変質させ、市民たちの無意識の底に眠っていた怪物を呼び起こした。

 それは都市の悪性を凝縮した悪夢。

 大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、悪臭、地盤沈下、外部不経済の黙認、呪波汚染――近代以降、都市が併発した九つの病。


 都市の怪物が笑う――女になったら喰ってやるよ。

 怪物は美食家で、恋を知るようになったばかりの乙女を何よりも好んだ。

 『生贄』として気に入られてしまったサリア。

 以来、いずれ必ず訪れる死の影に追われ続けてきた。

 始祖を殺すために積み重ねた修練は彼女を裏切らない。強化外骨格が極限まで研ぎ澄まされた身体能力を超人の域へと押し上げる。空間断層の連撃を片端から回避していき、反撃の五指が心臓を抉り取って生命力を吸い尽くす。残り六人。


 地面を滑るように疾走、大腿部から飛び出した短刀を逆手に持って使徒の一人を切り裂く。カシュラム人の時間が逆流して負傷が高速再生。構わずに斬撃を繰り出し続け、破壊速度が再生速度を上回る。塵となって使徒が消滅。残り五人。


 たった一人にかまけている隙を突いて他の使徒がサリアへと攻撃を集中。ドローンを盾にしながら危なげなく回避。全て体が覚えている。死ぬようなルートにはもう逸れない。それよりも先ほどから最も危険なオルヴァの姿が見えないのが気がかりだ。既に未来に跳躍ジャンプしているのか。いつもより早い。


 真後ろに短刀を突き入れると肉を裂く手ごたえが返る。見るまでもない。全てを朽ち果てさせる呪いも当たらなければ無意味だ。残り四人。

 並行宇宙の自分を呼び出そうとした一人が空間に開いた穴に手を突っ込むが、握りしめた腕の肩から先が無いことに気付いて愕然としている。隙だらけの身体に千切れた腕ごと銃撃を浴びせた。残り三人。


 時間が吹き飛ばされた。戦闘の過程ごと時空が消失し、結果だけが残される。

 勝利を確信して結果へと跳んだ使徒は、自分が到着地点に追いつけないことに気付いて恐怖した。原因から結果までの跳躍は永遠となり、時計を抱えた蝿が矢のように飛び去っていくのを横目で見ながら、速さと遅さの存在しない永劫の平面上に取り残された使徒はやがて自死を選んだ。残り二人。


 最後の使徒に斬りかかると、相手は攻撃の軌道をあらかじめ知っていたかのように難なく躱して見せた。二度、三度、四度と繰り返すが当たらない。弾幕も瘴気も、触手も蹴りも完璧に対応される。


「ここまで『覚える』のに、何度死んだことか」


 使徒が小さく呟く。声に滲む疲労と苦痛を、サリアは良く知っていた。

 相手が踏込む。こちらの間合いに差し出した前の足は誘いで、遅延発動する呪詛がこちらを狙っていることは既に知っている。だがサリアも絶え間ない攻防の流れで重心が前に移動してしまっていた。

 ここしかないというタイミングで未来へと跳躍していたオルヴァが背後から仕掛ける。瘴気を集中させて防御するが衝撃で前に突き飛ばされる。最後の使徒による掌底と空間圧搾の呪詛がサリアを死の運命に引き寄せた。


「お前――」


 静かな呟き。死を目の前にしてもサリアに焦りは無い。

 死とは生の実感だ。


「――時間遡行戦は初めてか?」


 サリアと同じループ能力を有する最後の使徒は、口を開こうとしてそのまま絶命した。掌底を抱え込んで体ごと空間圧搾呪詛に突っ込む。使徒を巻き添えにしてサリアの右半身が黒い装甲ごと潰れて肉塊となった。致命傷がもたらす激痛の中、サリアは割れた兜の中で獰猛に笑う。残るは一人。


 互いにこの戦場の全てを知り尽くし、最善の行動を選ぶ特権を持つ者同士。

 両者の違いは一つ。

 サリアは最善の行動を選ばないことで相手の計算を狂わせた。

 ループ能力の優位性は突き詰めれば情報の格差だ。

 時間遡行者が対決すれば、自然と情報の隠匿やブラフ合戦といった心理性に発展する。読み合いに勝つために必要なのは不合理を恐れないことだ。リスクを踏んでセオリーを破壊する。


「下の下だな。手札を隠すことも知らない」


 半死体のサリアを強制的に生存させようとする始祖の鎧。

 瘴気が傷口に集い、血が肉を作る。疑似細菌の生体組織化。

 既に大半が置き換えられたサリアの肉体はほとんど吸血鬼のそれに等しい。

 それでも彼女は霊長類だ。マロゾロンドの加護を拒絶する信仰がサリアの存在を規定している。鉄の願いが身体性を強固に定め、傑出した自己を保ち続ける。


「お前はどうだ、未来を見る獣。あとどれほどの牙を隠している?」


あかの底と記憶あおの奥、人類ロマンカインドの全てが我が紫の奥義に他ならぬ」


 オルヴァの双掌に色号の輝き。

 満身創痍のサリアを前にしても油断は微塵も無い。

 十字の瞳が強い視線で半死体を睨む。


「見える――死が見える。そうか、お前が我が女神キシャルの最果てか」


「違う。私は終わりじゃない」


「お前は死だ。死の母が冬の魔女ならば、森の父こそ彼女に仕える狩人であろう」


「――コアのつがいって所だけ肯定しておいてやる」


 時空を支配するオルヴァの周囲、その何もかもが歪んでいく。

 そこには夢があった。滅びたカシュラムの全て。その栄華と衰退の光と闇。

 一変した世界の風景。ここは既にスキリシアであってスキリシアでない。

 カシュラムの大草原。そこに展開されたカシュラム最盛期の大軍勢だ。

 そして記憶があった。死と苦闘の歴史。

 カシュラムが鍛えた鉄、戦と狩りの技術、人々を統べる法。

 練り上げた神秘と呪術が幻想となって結実する。

 その、全てを。


「邪魔だ」


 サリアはただの一言で否定し殲滅した。

 狩人は背後に異界を背負っていた。

 彼女は『死』そのもの。

 存在しているだけでカシュラムを殺し尽くす。


「異形の娘。森の狩人よ。お前は死を追い立て、死に挑むのか。死人の森を恐れぬお前は、我らが母とは相容れぬ」


「山出しの田舎者で悪かったな。どうせ学は無いし文字も読めないよ――あとな、コアが誰を選ぶかはコアが決めることだ。お前も赦されたのなら大人しく従え」


 狩人は天然の異言者グロソラリアと称される。

 いかに強い力を持つとはいえ、それだけでは運命の本流に足を踏み入れ、破格の力を有する王たちと渡り合うことはできない。


 だが彼女は山で育った。

 森で生きてきた。

 それだけの事実。

 それゆえの異形。


 恐るべき超越者は、果たしてどちらなのか。

 十字の瞳が放つ光が微かに揺れる。

 二人は時を見ていた。

 既にこの交戦は始まりも終わりもわからないほどに繰り返されている。

 十二の使徒は幾度となく屍を積み上げ、オルヴァとサリアの激突はスキリシアの大地を蹂躙したのち地上のドラトリアを焼くに至っていた。互いが互いを殺し、そこで見せた切り札を罠として次の周回で奇襲を仕掛ける。

 繰り返す円環。どこともいつとも知れぬ中で、言葉だけが乱舞していった。


「愚かな娘よ、お前は理解しているはずだ。真なる永劫の果て、大いなるブレイスヴァには誰も抗えぬ」


「抗えるさ。火竜は私が殺す。私と、コアが」


「その愚かさこそが死人の森を生み出したと?」


「お前たちは道具でしかない。戦力増強のための。過去から力を引き出すのはコアの得意技。森は私の力をどこまでも引き上げる」


「私はお前たちが不思議でならない。お前たちはマシュラム人ではない。『あれ』を見ることすらできずにいるカシュラム人よりも、お前たちの方がよほどカシュラム人らしいとすら言えるだろう。だというのに、どうして諦めずにいられるのか」


「――楽しいから」


 狂ったように、サリアが笑う。

 勝算など無くていい。称賛などあるわけがない。

 欲しいのは、彼女と歩む永劫の道。

 致命傷を負い、首をねじ切られ、空間ごと圧壊し、掌底が心臓を破裂させても、時蝿が光よりも速く時間を巻き戻す。何巡も何回も迷って惑って繰り返す。


(やっほー生きてるぅ? サリアちゃんたのしーい?)


「ああ、最高だ。なんたって戦う度にコアに近付いてる」


 心からの喜びを感じて、死にながらサリアは笑う。

 視界の隅にへばりついた幻影。

 目を閉じてもそこにいる異物は慣れを許さない不快感を発し続ける。

 それはサリアの恐怖と死、その具現だからだ。

 常人ならとうに発狂しているほどのストレス。

 

 幾度となく怪物に挑み、数え切れないほど殺し合いを繰り広げた結果として、サリアはこの始祖の全てを理解した。それは文字通り『全て』だ。性質、弱点、言動や癖、個人史の全て。戦いの果てにサリアが心の内に飼い慣らすようになった狂気は形を持ち、動き出す。幻影は再現された始祖そのものだ。


(サリアちゃんどうするぅぅぅ? コルセスカちゃんがいないからこのまま行けば発狂コースだぜー? 俺様としちゃあ涎ダバー頭アビャーな挽肉サリアちゃんを美味しくいただくってのもアリだけど――)


「ゼール、『加工』を急げ」


(へーい。今やってまーす)


 つまらない、とふて腐れるゼール・コゼーヌ。こんな振る舞いもサリアの妄想に過ぎない。彼女は理性的に狂っていた。

 狂っているように見えるだけで理性を保ち続けているオルヴァとはそこが違う。むしろ、カシュラム人であり誰よりもはっきりと『あれ』を直視していながら理性を保ち続けているオルヴァは狂気から最も遠い所にいる。


「キャカラノートに仕えた初代十二賢者、その筆頭。『紫』のオルヴァ――果たしてお前の始まりは『そこ』だったのか? あるいはもっと後のカシュラムか。もしかすると今この瞬間、いや更なる未来でお前という存在は発生したのか――」


「お前という異形が、それを言うのか」


 サリアとオルヴァの激突が時空に亀裂を走らせる。

 もはや闘争は人知の及ぶところではない。

 竜たちが摂理の崩壊に怒りの咆哮を轟かせるが、天地を揺るがす衝撃に眉一つ動かさず、両者は互角に渡り合った。


 未来転生――どのような因果か、彼らが執着する『女王』もまた未来より来たりて過去に神話を刻んだという運命の捩れと歪みを持つ存在であった。未だ訪れていない先の出来事を回想する十字の瞳、そして時空を操る恐るべき神秘の業。オルヴァが歴史改変者であるとするならば、彼の異常性にも一定の説明がつく。


「オルヴァ、オリヴィア、Olva――『オリーブ』ね。男性形ならオリヴィエとかオリヴァーってとこ? あえて『オルヴァ』にしてるのはどんな含みがあるのやら」


「王子は流れ着いた方舟に触れ、猫の叡智を授かることで獅子王となった。彼が私に与えた賢者としての秘儀の中に、油を注ぐ儀礼があったというだけのことだ」


「権力の授与、地位の確定。叙任権の呪術は『猫の国』由来か。道理で教会が圧倒的に強いわけだ。お前らのせいで地上は今日もお綺麗で住みよい楽園だよ」


「それは結構なことだ」


「皮肉だ死ね!」


 会話と戦闘を並行して行う二人の間から次第に緊張感が消え始める。

 死闘が日常へと変化し始めている。

 馴れ合いとなった戦争の先に、惰性化した死があった。

 下らない結末に唾吐くように、サリアが言い放つ。


「甦ったオルクス=ハイどもと戦ってわかった。お前が六王で一番ヤバい。だからこそ、ここで私が無力化する」


 ――それでも抑えきれるかどうか微妙な所だけど。

 小さくそう呟いて、苛立たしげに顔をしかめる。


「魔教、聖マローズ教団、杖を許さない労働者の集い、ワルシューラシスターズ、ゼド盗賊団、公社、木霊地底妖精エコーノーム武装商会――カシュラム人はどこにでも現れる。お前たちは言語でも血統でも無く、『理解』の上に生まれる民族だからだ。『あれ』を僅かでも分かってしまった連中はカシュラム人になる」


 ゆえにカシュラムは不滅だ。

 何度でも蘇り、不可避の破滅が訪れる。

 必ず滅びる定めを背負うが故に、必ず甦る王国。

 それがカシュラムの不死性の正体だった。


「歴史に直接楔を打ち込んで、カシュラム復活の可能性を根刮ぎ破壊する!」


「できると思うか、この『紫』――人類すべての『歴史』を超えて!」


 『夢』と『記憶』――二色の幻想が絡まり、オルヴァの絶大な呪力の根幹とも言える膨大な時空圧がサリアを襲う。

 夥しい量の呪力を前に、サリアは変わらぬ笑みを浮かべた。

 彼女は危地でこそ笑う。その先に最愛がいると信じているからだ。


「なら、歴史ごと人類を引き裂いてやる!」


(ギャハハハハ! 殺せ殺せぶっ殺せぇぇっ!! そうらこっからが本番よ、六王には六王、始祖喰らいカーティスのお出ましだあ!!)


 サリアの鎧が変形し、捕縛して影の中にある工場で加工していたカーティスの成れの果てが姿を現す。

 それは黒金。複数の銃身を回転させながら連続射撃を行う機関銃。

 人が保持して射撃することなど到底不可能。

 だが強化外骨格が与える出力はそれを可能に変える。

 片腕と一体化した『カーティス砲』を構えてサリアが叫んだ。


「私とコアの幸せな未来の邪魔になるなら、人類なんざ滅びろ!!」


 カーティスという名の銃身が高速で回転し、内包する無数のカーティスたちを射出していく。それは病であり災害であり死であり差別であり不吉であり恐怖を具現化する瘴気という名の闇の弾丸だった。


 カーティスは長い時の中で様々な存在を取り込み、自らの眷族と変えてきた。

 その全てが『死』となってオルヴァが展開する歴史を破綻させる。

 沢山の吸血鬼たちがある村落に流行病をもたらして。

 吸血鬼の貴族たちがある地域を支配下に置き。

 最も古き王たちがカシュラムを、人類史を蹂躙する。


 歴代のカシュラム王たちは【頭痛(メグリム)】のザッハークに苦しめられ、【黒死(プレイグ)】のカズキスによってカシュラムは近隣諸国もろとも滅びに瀕した。【毒花】がヘレゼクシュかぜを運んでくるとそれは東方諸国の歴史と文明に致命的な打撃を与え、半減した人口と共に多くの知識と技術が失われた。【悪疫(ポックス)】のブイオ・ガルッピによる破壊は生き延びた人々にも重い爪痕を残し、呪われた民として迫害された生存者は仮面を被ってひっそりと生きることを強いられた。


 カーティスが内包する破滅的な病魔の数々は、人類の歴史を破壊するだけの呪詛を蓄えていた。しかし反動でサリアの腕は一瞬で炭化していき、更にカーティス砲にも亀裂が入り始める。押さえ込んできた自分と同格の始祖たちを完全な状態で解放したため、カーティス自身がその力によって自壊しつつあるのだ。


 オルヴァとカーティスは互いが互いの天敵だった。ただし、カーティスが全力でオルヴァを倒そうと思えば、自らも滅びる覚悟が必要になる。

 紫色の呪力ごと削り殺されていくオルヴァは必死の形相で抵抗した。


「大量死でカシュラム発生を抑制すると? 傲慢な狂人がっ!!」


「乱数調整は得意なんだ――『混沌蝶流バタフライエフェクト』ッ!!」


 破滅の渦が、破滅に魅せられたカシュラム人すらも消し飛ばしていく。

 時空の狭間、歴史の断片が砕けて消える無限の闇で、二人は死の舞踏を踊る。

 速く、速く、もっと速く。

 死が紫色の歴史を砕き、カーティスがオルヴァを貫いて永劫の果てに放逐した。


 オルヴァが、カーティスが、死にながら人類を虐殺する狂人に殺意を向ける。

 『これ』は人の世にあってはならないものだ。

 森という異界の摂理を内側に飼う、死の申し子。

 この異世界人こそは冥府の太母を六王たちから奪う最悪の敵に他ならない。

 異界の悪魔は心底から愉快そうに嗤った。


「ママを取られて悔しいのか? ボクちゃんたちっ!」


(寝取られ王と幼女誘拐王はパパが恐いこわーい! てめえらがねんねしてる間にパパとママはファックしてんだよチンポ擦って寝てろクソガキどもが!)


 憎悪を蹴り飛ばしてサリアが世界を笑い飛ばす。

 無限の悪意が二人の王を引き裂いて、時空の狭間に追放した。

 サリアもまた無限の虚無へと落ちていく。

 時空の断裂は『竜』が勝手に直すだろう。それよりも、サリアは王たちが戻ってこないよう、念入りに叩きのめさなくてはならない。


 もう父親に反抗することが無いように――『ほう』を刻み込む。

 わがままな王様こどもたちを律することが出来るのは、かみの勅命だけであるからだ。

 ゼオーティアが遠ざかっていくのを感じる。

 それでもサリアの目に絶望は無かった。

 冬の魔女の傍。それが彼女の居場所。

 それ以外の未来など、彼女は見えていない。


「――まあ、第五階層は放置になっちゃうけど。リールエルバはあっちに移されてるだろうし、助けるのは黒百合に任せればいいか」


(ひゃは、つーか誰を助けに来たんだかわかんねーな! 六王シバいただけじゃねーかよ! まじつかえねーご主人様だぜ!)


「やかましい」


 虚空を漂いながら、サリアは激痛の中で思考を重ねる。

 並行して、カーティスの残骸を駆逐しながら、だ。


「アルマと一緒にラクルラールども締め上げたルートでは、戦乱によってトリアイナを誕生させるとかいう設定だった――問題は分岐で設定が書き換わる場合だ。第五階層にはアルマが向かってるだろうし、心配は無いと思うけど」


 仲間への信頼は揺るぎない。

 サリアにとって最も優先されるのはコルセスカだが、その次がアルマだった。

 何しろ付き合い自体はコルセスカよりずっと古い。

 二人が揃っていて乗り越えられない難局などそうそうあるものではない。

 始祖ゼール・コゼーヌとの戦いも、相棒である幼馴染みと引き離されて『何故かアルマと親しげにしているいけすかない女』と永劫の環に放り込まれたからこそ苦戦を強いられることになったのだ。


「ヴァージルじゃアルマに勝てないし、アルトやパーンの正攻法でも十分対応できる。マラードは試してないけど、あの感じだと一番楽そうだし大丈夫でしょう」


 自分の力が万能ではないことをサリアは良く知っている。

 様々なルートを周回して時空と運命の全てを知った気になっていても、自分が向かわなかった場合の展開を知るためにはその先の破局を経験する必要があった。

 つまり、完全な情報を知るまでに遅れがあるのだ。

 時にそれは致命傷に繋がる。


「あとはお願いね。終わったらちゃんと戻るから、一緒にコアを迎えに行こう」


 暢気にそんなことを呟いて、サリアは戦線から離脱した。

 オルヴァとカーティスを異次元の彼方へと道連れにして。




 スキリシアの地下で人類史を破壊する凄絶な戦いが繰り広げられたあと。

 遙かなアルセミットとジャッフハリムの狭間、世界槍の第五階層にて。

 『彼ら』はそれに気付いた。


「なんたることか、予言王がお隠れになったとは」


「全ての生あるものよ、呪われてあれ! ブレイスヴァの貪りから逃れることなどかの偉大なる王にすら叶わぬということだ!」


 嘆きとも喜びともつかぬ声。

 彼らは『サイバーカラテ道場』にアーカイブされた古流武術――ブレイスヴァカラテの伝承者たち。六王たちが第五階層を争乱の渦に巻き込んで以来、破竹の勢いでランキングを駆け上がっている手練れたちだった。


「だが我らは未だ大いなるブレイスヴァへの畏れに戸惑う修行者に過ぎぬ」


「王の知恵が必要だ。真に最果てを見据えることができる王の導きが」


「救い主を復活させねばならぬ」


「ならば駆け上がるか、きざはしを」


「序列が」「階段が」「階級が」「『地位』こそが」


「定められるべき地位があれば、オリーブ油オルヴァはそこに注がれる」


 サイバーカラテランキング。

 彼らは導きを求めてラダーを登っていく。

 強さを求めたその先に、虚無しか無いと知っていても。

 彼らは拳を交え、ブレイスヴァの口の中へと突き進むのだ。

 闘争が闘争を呼び、求道の果てに魂の階梯を駆け上がる。


 サイバーカラテは今やアストラルネットを通じて世界中に広がっている。

 地上の各地から、地獄の全土から、腕に覚えのある者が第五階層に集い始めていた。彼らはみな、一様にある人物の名を唱える。

 それは神格化された個人名。

 そこに至ることを目標として、ランキングの頂点を目指すのだ。

 久しく変動が無かったランキングが大きく塗り替えられる。

 外界から集った達人たちが上位に名を連ねては次の瞬間に敗北して消えていった。激しい競争の中、存在感を示した十二人がいた。

 彼らは口々にこう名乗った。


「我こそは賢王」「我こそは拳王」「我こそは未来王」


 発勁用意、と口にしながら。

 個人ではなく、称号として。

 偉人の再来として自らに名を付ける。


「我こそはカシュラムの王シナモリアキラ! 嗚呼! 大いなるブレイスヴァよ、畏れられてあれ!!」





 闇の中、次元の彼方。

 漂う『尊敬』の書がありとあらゆる出来事を書き連ねていく。

 その場にいる全ての者の心を綴り、大切に項の中に仕舞い込む。

 あまねく意思すべてを『私』として記述していく。

 無差別に自動的に、意思の全てが尊いと。


 心で溢れそうな『断章』は、永劫の闇の中で静かに項を増やし続けた。

 文字列は無尽蔵に無制限に増えて漆黒の塊へと変貌する。

 自然界に無限に存在する暗黒の泥という数列を掬い取り、名前という魔術を対応させて事象として分節化する。


 それは原初の混沌を翻訳して『魔』と呼ぶ行為。

 もっとも古いまじないにおいては、かつて全ては一つであり、一つは全てでもあったとされる。ことばがそれを切り裂き、世界を形作ったのだと。

 世界を説明すること。それは神話という視座。

 最古の神話を紡ぐものたちは、自らを言語魔術師と名付けた。

 魔という理を体現するかのごとく。

 『われわれ』もまた同じである。






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