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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ
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4-32 祈りは流星に似て




 昔語りが好きだった。

 失われた栄華。美しかった過去の残り香。

 星は遠い過去の輝きで、今はもう存在しないのだと誰かが教えてくれた。

 それは少し寂しくて、けれどその儚さこそが美しい――そんなことを、幼心に漠然と考えていた。


 記憶はとてもあやふやで、思い出話なんて語る度に脚色されるいい加減なもの。心の寄る辺とするにはいかにも頼りない。

 それでも、美しいならそれでいい。全てが残酷に消えていくというのなら、せめて綺麗であってほしいと願う。

 夜には死が満ちていて、星屑の墓場は煌めきに溢れている。

 遙か彼方の終焉、そのなんと不気味で輝かしいことか。

 知らないモノを懐かしむように、そっと呟く。


「ラフディの黄金期、球形大地の時代か。かつては夜空に散らばる星の全てが球体だったとは俄には信じがたいが――胸躍る空想だ」


 傍らに、誰かがいた気がする。踏みしめる大地のように確かな存在感。

 視線を向けるまでもない。何故なら大地は常に自分と共にある。

 だから見つめるのはいつも空だった。天を仰いで息を吐く。


「煌めく星々がこんなにも近い。ずっと昔は、絶対に手が届かないと思っていたような気がする」そう言って振り向くと、そこにはいつも誰かがいた。「だが今は全てが輝いて見える。お前のお陰――いや、どうだったか。昔の事になるとどうにも記憶が曖昧だ」――あれは、誰だったのだろう。


 届かないと知っていても、美しいものを求めずにはいられない。

 この世で最も美しい『かたち』とは自分のことだと知っていた。

 ――傍らの誰かが教えてくれたから。

 なら、『かたち』の無い美しさはどこにあるのだろう。

 そんな疑問がずっと胸の内にあった。

 己にはそれが欠けているのだ。

 飢えは満たされず、求めるままに彷徨い続ける。

 未だ、答えは見つかっていない。


「見ろ『 』。星が墜ちていく――嗚呼、燃え尽きる姿すらも美しいのだな」


 全ては遠い過去。過ぎ去っていく。終わっていく。

 何もかも手遅れになり、美しかったものはことごとく屍と成り果てる。

 それでも、人は骸に縋り付かずにはいられない。

 死を崇め、冥府に幻想を抱く。手を伸ばして願いを託す。

 美しかったもの、失われたものを取り戻そうと祈りを捧げる。

 流星ひとつ、願いはふたつ。

 瞬く間に消えてしまうあの星をこの手に掴めれば、思い出せない願いもはっきりとするのだろうか。寂しさを埋めたくて、空に手を伸ばす。

 一繋がりの片割れが、どうしても思い出せない。




 瓦礫。巻き上げられる粉塵。揺れて砕ける硬い土。

 見上げるほどの巨躯は松毬まつぼっくり状の鱗片に覆われている。

 後頭部から生えた長い鬣を風に棚引かせ、槍の如き尾を引き摺りながら、轍を作りつつ疾走する一頭の怪物が咆哮を轟かせた。


 トカゲとセンザンコウを無理矢理一つの生き物として纏め上げればこのような怪物ができあがるだろうか。容易く象を踏みつぶせるほどの巨体――いつか戦ったカッサリオよりも雄々しくそして痛々しい。彼は戦士でも狩人でもないというのに荒ぶる野獣であることを強要されている。運命、あるいは悲しみによって。

 地竜マラードが嘆きの咆哮を響かせる。大樹の如き足が振り下ろされる度に激震が走り、脅威の接近を知らせていた。

 間もなく接敵する。腹腔に力を入れ、鋭く呼び声を上げた。


「来い、トバルカイン!」


 巨大な質量に、矮小な人は抗う術を持たない。

 根本的な重さが、筋肉が出せる出力が違いすぎるからだ。

 ならばそのための力は外から持ってくればいい。

 高く振り上げた左腕の真上に、高々と跳躍した骨狼が到達、眩い光が閃いた。

 迫り来る力に対抗すべく、骨の装甲を瞬時に身に纏う。

 だが今回はそれだけに留まらない。


 『ルバーブ』は足下を流れる地脈を探り、大地から素材を引き剥がしていく。

 全身を覆う骨組みに付加されていくのは土と石の装甲だ。

 要領は人形の操作と同じ。呪術による石像の使役は大地の民の得意技である。

 大地そのものを身に纏い、この身は巨大な石像(ゴーレム)となる。


 トバルカインという『骨組み』は強化外骨格の基礎。

 隙間を埋める装甲や呪術的な動力部はその時々の即興で『創造』される。

 トリシューラの基本設計にルバーブの呪力が付加されたことで、【錬鉄者(トバルカイン)】は新たなる形態を獲得していた。


 重量を増した肉体で敢然と地竜に立ち向かう。蟻と象だった比は猫と象くらいに改善されていたが、まだ足りない。

 圧倒的な質量が真横を抜けて地面を砕いた。踏みつけを躱しつつ足裏や周囲の瓦礫から質量を補填。岩石をごてごてと全身に取り込んで更にサイズを増していく。機敏さと引き替えに得たのは威圧的な巨躯だ。


 巨大な相手に立ち向かうなら、こちらも大きさを増せばいい。『私』という力がある今、ありふれた『大地』という素材を利用しない手は無い。

 世界を単純化する。加工しやすいブロック片になった岩石素材が次々と集まり、『創造クラフト』の業によって強化外骨格の外側に強化外骨格を形成していく。


 不格好な巨大化を阻止すべく、地竜が巨体を屈めて突進。頭突きを見舞おうと頭部を下げ、太い角を突き出してきた。

 襲来する鋭角の頭頂部はさながら突撃槍。両手で圧倒的質量を受け止め、ぎりぎりで踏み留まる。

 足下の岩盤が削れ、凄まじい勢いで背後に押される。二条の轍が大地に刻まれて両足が悲鳴を上げた。

 とても受けきれるものではない。掴んだ頭部を強引に真横に逸らして、そのまま転がるようにして真横に退避。


「サイズが足りない。トリシューラ、ゾーイの時みたいにもっと高速で巨大化できないか?」


 荒く息を吐きながら態勢を立て直す。勢い良く走り抜けていった地竜はなだらかなカーブを描き、再びこちらへの突進を開始。

 回避プランを選択しつつ、ちびシューラが視界隅で困り顔を作った。


(リソース不足だよー。もうちょっと時間を貰えればなんとかなるけど)


 現在、ガロアンディアンの支持率は大幅に下がっている。

 六王の台頭と第五階層の混乱はこちらの戦力を確実に奪っていた。

 それでもこちらを支持する者がいなくなったわけではない。

 ちびシューラは少しずつ『創造』の為のリソースをかき集めてくれている。


 攻撃をやり過ごしながら、少しずつサイズを増していく。地竜が破壊を振りまいてくれるお陰で素材集めは捗っていた。

 見上げるような地竜の巨体にどうにか追いつきそうだという所で、ふと違和感が思考を掠める。

 順調すぎる。

 地竜の無差別な破壊は、ただ理性を失ったからというよりも――。

 疑問が明確な形になるよりも早く、地竜の巨大な前足が、長大な尾が、ラフディの見事な建造物を次々と破壊し尽くした。

 その中にはマラードが手がけた美しい建築物も含まれている。


 一瞬のうちに、『俺/私』の胸に去来する幾つもの記憶と感情。

 都心部の一等地に美容院を建てる計画を楽しげに語るマラード。積み木遊びをする子供のように、思い描く理想の世界を組み立てる。

 積み上げられた夢世界は、しかし幼子の激情によって儚く砕け散った。

 『私』がかつて理想と仰いだのは、壊すことしかできない醜い王ではなく、創造に長けた美しい王だ。

 その夢が穢されている。貶められている。歯を軋らせ、拳を握りしめた。

 と、睨む視線の先に意外な光景が現れる。


 地竜によって破壊された瓦礫が、次々と浮遊して組み合わさっていく。

 警戒を促す理性の声が遠ざかる。私はその光景に魅入られた。

 破壊の中から、創造が生まれつつあった。

 破片が積み上がり、組み合わさり、新しいものを構築する。


 出来上がったのは『塔』だ。

 交叉する棒状のパーツが張りのある『髪の毛』によって繋がれた異形の塔。

 驚くべき事に棒同士は触れ合っておらず、繋がっているのは呪力の込められた強靱なワイヤー、つまり髪だけだ。

 それは危ういバランスの上に成り立つ芸術作品のような建築。


 複雑な模様を織りなす塔の群れが、一斉に歌い出した。

 あれらは呪文の砲塔だ。次々とまじないが起動。こちらを追尾する光弾、動きを阻害する風、地面から隆起する石の槍、放射される猛火。地竜の周囲に並ぶ塔は攻防一体の陣地を作り上げて空間を制圧してくる。


 マラードの『創造』センスは防衛用の塔を構築するだけに留まらない。

 瓦礫が地竜の周囲に集まり、幾つもの部品を組み合わせて鎧を構成する。

 無思慮に見えた暴虐は、『物質創造能力』を行使する為の布石だったのだ。

 とすれば、『マラード』はまだ完全に消えたわけではない。

 希望はある。窮地のただ中、心が躍る。


 塔の群れが次々と屹立していく。トリシューラ本体からの援護射撃が塔から飛来する呪術と激突し、空中で幾つもの爆発の花を咲かせた。

 『弾道予報』を起動して呪術の雨をかいくぐる。損耗していく岩石装甲は後で修復すればいい。今はとにかく果敢に前進。


 マラードの間合いへと地を割る勢いで踏み込む。

 足を出しただけの誘いだが、巨獣は容易く引っかかった。

 近接格闘が不得手な王の弱点が露呈。引き込んだ相手の角を腕に見立て、ルバーブの剛力で掴むとこちらの側面へと誘導、固定した状態で顔側面に突き上げるような一撃。嵩にかかって攻め立てた。


(アキラくん、下がって!)


 だが、結果としてその猛攻は無意味に終わる。

 前足の膝裏に命中した掌打は二発。後の連撃はひらりと躱され、塔によって築き上げた陣地に未練を残さず軽やかにその場を離脱。

 竜は一瞬で丸くなり、球形のまま転がって回避を行ったのだ。

 更に丸くなっていた竜に無数の繊維が絡みついて膜のように覆い尽くす。

 竜が全身を伸張させた時、その姿は変貌を遂げていた。


 後頭部から生える長く滑らかな髪、そして全身を覆う硬質な岩石の外骨格。

 髪は伸縮性のある素材となって竜を覆い尽くし、筋繊維を模した構造に変化。

 幾つもの太い糸が四肢を、胴体を取り巻いていく。

 重力を無視して浮き上がりながら全体を保持しているかのようなフォルムはあまりに異様でグロテスクだった。


(髪を筋繊維や筋膜になぞらえた、テンセグリティの強化筋肉だ! テーピングで負荷を分散するのと似たような理屈だけど、アイデア重視の無茶デザインだよ! ずるいずるいずっこい!)


 人体は骨格のみで支えられているわけではない。

 筋肉と全身の調和・統合――要するに重要なのはバランスだ。筋繊維を覆う筋膜が発生させる圧縮と伸張のエネルギーは負荷を小さな足裏だけに集中させずに分散させる。気を失うと人体が重くなるのは、筋肉が弛緩して自分で自分を支えることをやめてしまうからだ。地竜は重さの最適な分散と自律構造を実現している。


 髪は最も強靱な呪物であり、マラードの髪こそは世界最上の繊維だ。最高の呪的素材で編んだ人工筋肉なら、自らの体重で自壊しかねない歪な地竜を支えることすら可能というわけだ。

 浮かんでは消える無数の戦術パターン。忙しなく検討を繰り返すが、結局は圧倒的な質量と物量のため『却下』の結論。でかい、重い、硬い、よって殴っても致命打に届かない。おまけに脅威は目の前の巨竜だけではない。


 空が荒れていた。塔が対空呪撃を繰り返すも、全ては嵐に飲み込まれて消失。

 八枚の翼が赫々と燃え上がり、朱金の鎧が地上を無差別に焼き払う。

 稲妻の雨が塔を次々と破壊。ちびシューラによればこの【神の怒り《ナチュラルディザスター》】という術は背の高いものから順番に破壊していくらしい。崩落する塔の建材が岩石の雨となってこちらを襲う。


 炎天使アルマは天災そのものだった。何らかの原因で暴走しているのか、ところ構わず破壊して回っている。

 凶暴性では地竜よりもこちらの方が上だ。逃げ遅れた人々が悲鳴を上げて炎と雷の雨から逃げ惑う。


「【地獄に堕ちろ(ジャッジメント)】」


 感情の無い声が響き、赤い甲冑が急降下。地竜に両刃の斧を叩きつけた。

 それは修道騎士たちが修練の末に辿り着く最上級神働術。

 一方的な裁定が下されて地竜の足下が溶岩と化す。更に電流を纏った斧が頭上から挟撃。さしもの地竜もこれにはひとたまりもないかと思われたが、マラードはその大顎を開いて口腔をアルマに向けた。


「【球神の吐息】よ」


 無機質な呪文詠唱。視界に表示される呪術の解説によれば、それは防御不可能な重圧を発生させる球神系の高位呪術。

 古の合戦において、その呪いは孔雀の妖精王に率いられたアヴロノの軍勢を一人残らず轢殺したと言われている。

 マラードは四肢を焼き焦がしながらもはっきりとアルマを見据え、大気を吹き飛ばす渾身の吐息(ブレス)を放つ。

 質量の嘔吐。すなわち竜と神の力による投石の集中豪雨。

 神話が甦り、炎天使の斧が罅割れ、鎧が砕け散り、炎と雷が吹き散らされていった。破壊の渦がアルマを彼方まで吹き飛ばしていく。


 そして駄目押し。上空で『援軍』と戦っていたアレッテ・イヴニルが密かに構築していた長大な呪文を解き放つ。

 輝く文字列で構成された呪文竜――オルガンローデが天空を駆け抜ける。

 溶岩の罠から抜け出したマラードがそれに応じて大地から『創造』、浮遊するのは表面に文字が刻まれた無数の球体。

 それらが光輝くと、人形姫の呪文竜へと情報の群を送り込んでいく。

 ラフディが誇る呪文発生装置【球形石版】は個人レベルで最高とされる呪文を軍事用のものに変質させる。

 準戦術級オルガンローデは際限なく巨大化、アルマの放つ熱量を全て飲み込んで肉薄、反撃の機会すら与えず一息に噛み砕く。

 直後、呪文竜が盛大な花火となって空を彩った。


(まー花火だから綺麗なだけで終わるよね)


 ちびシューラが嘆息する。彼女の言うとおりになった。爆炎と閃光が消え去ったあと、五体無事なままのアルマが現れたのだ。

 炎が鎧を覆うと破損箇所が手品のように修復されていく。キロンにも比肩しうる治癒能力は通常の攻撃が無意味であることを予感させた。


(カテドラル・グロソラリア――噂には聞いていたけど、あれほどだなんて)


 知っているのか、と心中で問うと、ちびシューラは頷いて答えた。


(今のアルマ――『炎天使』は形の無い聖遺物によって出力されるかりそめの表象。人にして人ならざる神聖機械――地上の教皇ファザーシステムを守る為に開発された最終聖絶兵器。それが人工転生者【カテドラル・グロソラリア】)


 ちびシューラによれば、『あれ』は神や天使といった霊的存在からの言葉を正しく受け取る為の架空言語で唱えられた仮想使い魔なので、仮定された神以外にその言葉を理解できる者はいないのだという。よってあらゆることば=呪文は通じず、呪文竜すら無意味なノイズとして無効化してしまうのだとか。


(今までのアルマは神聖不可侵な内的宇宙で瞑想状態にあると思う。あらゆる情報を遮断した封印状態って感じ)


 説得はできないのか。呪文詠唱はこちらにも理解できる言葉だった。なら対話で眠っているアルマを呼び覚ますことができるのでは。


(あれは言語の反射。ただ周囲に合わせて音を出しているだけで意味は通ってないよ。会話をしても、成立しているように見えるだけで成立してないと思う。あれには本当の意味で意識が無いんだ。物凄く単純な応答パターンがあるだけ)


 でもドルネスタンルフ系の加護は効いてたしマラードとぶつけて漁夫の利を狙うのが現状はベストかなー、と呟いていたちびシューラが不意に硬直。

 まさに地竜と炎天使の激突が凄まじい破壊を生み、余波が大地を消し飛ばしていく最中のことだった。

 逃げ遅れた人々が絶叫に沈み、救助ドローンがスクラップと化す。血と絶望が連鎖した果てに、惨劇の幕が上がる。


(まさか、そんな――早すぎる)


 呆然とするちびシューラ。終末の風景に、更なる狂乱が芽吹きはじめていた。

 『それ』は逃げ惑う人々を捕食していた。迎撃するドローンと融合していた。

 大地から湧き出しているのは、恐怖そのものだ。

 無辜の犠牲が生まれる度、地の底から湧き出る異形の怪物。

 虐殺の種から咲いた異形の花。一つとして同じ姿は無く、この上無いおぞましさからそれらが同種の邪悪であることは明白。

 『俺』はそれを第六階層で見たことがあった。『私』はそれをジャッフハリムとの戦いで見たことがあった。

 そして、かつて人狼をこの手で虐げた時にも。


 第六階層に跋扈する『純粋な異獣』。望まれた敵対者。

 概念的に定義された生まれながらの絶対悪。

 それらの名を『狂怖(ホラー)』と言った。

 げらげらと嗤いながら這い出してくるのは華奢な少女。

 華美で歪な衣装を身に纏い、スカートの下から無数の牙と触手と節足を乱雑に生やした悪夢の具現。

 忌むべき大魔将イェレイド、その分体。


 何故あれが。疑問に思う『俺』に答えるように、『私』はやはりと納得する。

 恐らくはティリビナ人虐殺の記憶と、それに付随する人狼迫害の記憶が呼び水となったに違いない。あるいは、あの痛ましい我が主の姿が大地の民に対する嫌悪や忌避を喚起したのやもしれぬ。


 排除、差別、隔離。『異獣』とはそうした人間の認識から生み出されるもの。

 ゆえにその『呪い』が一箇所に凝縮された時、あれらは世界に湧き出すのだ。

 人に望まれて、『創造クラフト』される。

 幾多の世界が並立する槍の中で、この第五階層は最も混沌の度合いが高い。

 物質創造能力が万民に開かれているからだ。

 『創造』が現在を変革し、言理の妖精が過去を引き寄せ、死人の森が復活して正しき理は崩れて消えた。

 何より全ての根源である『呪祖』がすぐ隣の階層にいるこの地には、奴らが出現しやすい土壌が既に出来上がり始めている。


 それは人類の病巣。伝染する恐怖。

 しかし、希望は常に闇の底から生まれる。

 虐げられる弱き人々。そんな彼らに差し伸べられる戦うための力。

 誰だって戦士になれる。『それ』があれば、平凡な一般人でも英雄になれる。


 一人の勇者が立ち上がり、おぞましい怪物に立ち向かった。

 それに呼応した市民たちは共通の敵を打倒すべく身の回りの全てを武器に、無力な身体に戦う意思を宿らせて再起する。

 混沌とした状況の中で生まれたのは整然とした秩序。

 求めるは均質な勇気。同質の決意。今こそ我らの力を結集し奴らを打ち倒せ。

 かくしてここに甦る、異界由来の新たな幻想。

 次々と起動する『サイバーカラテ道場』。発勁用意の声が高らかに上がった。

 襲い来る『異獣』を、『撃退』すべく。


(まずい、止めないと!)


 切迫したちびシューラの声が虚しく響く。走ろうとするが、地竜と炎天使の激突の余波で態勢を崩してしまう。間に合わない。

 サイバーカラテユーザーたちの拳が、棒が、刃が、異獣を攻め立てる。

 狂怖(ホラー)の歪な身体が吹き飛び、ティリビナ人の男性が殴り倒され、大地の民が囲まれて滅多打ちにされる。

 『上』と『下』の住人の間で衝突が発生し、探索者集団が抗争を開始する。

 「NOKOTTA!」「NOKOTTA!!」「NOKOTTA!!!」サイバーカラテは弱者の拳。力無き者たちの逆襲が異獣を打ちのめす。


 『敵』を倒す為に。

 ならば、退治するための敵が必要だ。戦う為には相手がいなければならない。

 『言理の妖精語りて曰く』――祈りの言葉が奇跡を招く。

 英雄は拡散と普遍化を繰り返して万民の身体と重なり合う。一人の男の輪郭がぼやけ、曖昧な『英雄像』が重なっていく。

 イメージは老若男女を問わずその心身に宿り、サイバーカラテの精神と共に彼らにある属性を宿らせた。


 『シナモリアキラ』という属性を。

 アキラが拳を振るう。『俺』は跳躍し、腰を深く落として突きを放ち、弓を引き絞り、槍を振るい、獣を駆逐する。

 十九魔将や守護の九槍、四英雄さえ退けてきたその力で邪悪を退ける。

 狂怖の心臓を貫いて殺し、ティリビナ人の首にナイフを突き立てて殺し、大地の民の首を絞めて殺した。

 飛び散る血は善行の快楽。誰かを救い、守り、助けることは気持ちが良い。正義の戦い、守るための戦い。

 殺して、殺して、殺して殺して「発勁用意」殺し続けて殺戮は軽く命は安上がりに大量消費の殺人鬼として誰かを守るために戦う。

 

(――っ同期停止! 思考掌握比率を変更、300秒以内の感情記憶を隔離、認識フィルタリング実行、『E-E』の機能を一部制限――)


 ちびシューラの声が遠くから聞こえてくる。

 『俺』はどこで聞いている。『俺』はどこにいる。

 ぐるぐると、意識が巡る。意思が循環する。

 拳は敵を打ち据え、悲鳴を上げ、助けを求めて血が恍惚をもたらして――意識が明滅する。敵を、守る、やらなきゃやられる、助けて、怖い、恐い、こわい、何もしなければ殺されてしまう!

 暗転。


 もちろん、『俺』がやるべきことはひとつ。シナモリアキラはトリシューラの使い魔で、彼女の腕となればいい。自明な結論。思考を停止して、ただ環境条件として周囲の状況を把握。うん、それでオッケーだよとちびシューラが微笑む。


 反撃の狼煙が各地で上がる度、地の底から黒々とした粘液が湧き出して、そこから異形の怪物たちが産声を上げていく。

 呪い、呪い、呪い。第五階層は余りにも呪いに満ちている。炎天使が「呪われてあれ」と祈り、地竜が愛を求めて吠える。


 止めねばならない。あれは、『私』の罪だ。

 同時に『俺』が招いた報いでもある。

 サイバーカラテという呪いを拡散させたことの本当の意味を、俺は正しく理解していただろうか。『暴力』を拡散させるということの意味を。

 だが何もかも手遅れだ。六王とその歴史に刻まれたサイバーカラテを無かったことにすることはもうできない。

 俺に何ができる? 拡散してしまった『俺』という脅威への対処はどうする?

 現在進行形で自分が虐殺を実行しているというのに、ひどく冷静だった。

 視界隅のちびシューラを見る。何かを考えようとして、やめた。

 言語化する前のごちゃまぜの思考を『めんどくさいからあとで考える』フォルダに放り込む。


(今はマラードやアレッテの対処が先だよ! とりあえず狂怖(ホラー)の撃破ポイントを吊り上げて攻撃対象を誘導してみるけど)


 本体シューラは『マレブランケ』のメンバーを率いて住民の避難誘導に狂怖ホラーの撃退にと忙しなく動き回っているが、溢れ出る異獣の群れを全て凌ぐことはできていない。ちびシューラが悔しそうに唇を噛む。

 地上では地竜と炎天使が拮抗し、上空では猫のような少女がアレッテを押し気味な今、俺たちが動けば停滞した状況を打破できるかもしれない。揺れる感情を凍らせて、ちびシューラが示す決定に従って動き出す。

 その時、回線に聞き覚えのある声が割り込んできた。


「ちょっとトリシューラの使い魔! あなたってばさっきから動けてませんけど、やる気あるんですか?!」


 純白の翼をはためかせ、白い少女が降下してくる。

 仲間からひとり離れて降りてきた少女は攻撃的な童顔でこちらを睨み付けた。

 ちびシューラが痛い所を突かれたとばかりに呻く。

 白い少女が手を振ると、彼女に付き従うように飛行する黒い本が淡く光を放った。共鳴しているようだ。

 少女は早口で捲し立てる。どうもこちらの不甲斐なさに激怒している様子。

 

「『断章』あるじゃないですかそれですそれを使うんですよこのぽんこつっ」


(ぽんこつ言うな!)


「ぽんこつだからぽんこつって言ったんですぅー! このぽんこつぽんこつポンコツロボット! いいからばかみたいな力押しは止めて絆を繋いで語り直すんですよ! 事情は聞いてます、再演やったんでしょう? 過去視の手間もいらないんですから、遡るのは可能な筈です!」


 ぽかん、とする俺/私、そしてちびシューラ。理解の遅い生徒に苛立つように眉をきりりと吊り上げて、少女は人差し指をびしりと突きつけてくる。


「あのオルガンローデを語り直して解体します。主旋律は私が。貴方たちはそれに続けて歌ってください。詳しく説明してる暇ないですから、流れで理解する! はいじゃあ行きますよ――『言理の妖精語りて曰く』!!」


 言うが早いか、空高く飛翔していく白い少女。

 歌うような声が誰かの物語を紡ぐ。少女の口を借りて語られる、届かない星空を見上げる誰かの視点。

 欠落を感じつつも何が欠けているのか、その輪郭が掴めないもどかしさ。語ること――呪文の力で、文脈をこちらに引き寄せる。

 直後、大量のデータを受信。マラードという王に関連する資料。

 それも史実関係よりも脚色、美化されたフィクションが圧倒的に多い。

 本来の歴史とは異なる解釈、解釈、解釈。語り直すという少女の言葉。

 俺の理解より早くちびシューラが騒ぎ出した。更に謎の混線。


(メ、メートリアンってば! 乙女回路ばっちし入ってるじゃんいいなっそういうとこが呪文の座だ! 星だよ星、流れ星!)(おねーちゃん超リリカル可愛いよ! 攻める時も勘違い可愛さ路線じゃなくてそっちで行こう!)(にあ! よぞら、ほし、ほうせきばこ、きれい! みるーにゃ、にあとおなじのすき!)


 途端に騒がしくなる通信回線。頭がキンキンする。

 なんか折角良い感じに状況が打開されそうだったのに白い少女が盛大に茶化されている。いや可愛がられている――?

 翼の歌い手は白い肌を気の毒になるほど赤く染めて烈火の如く怒り出した。


「あーもうばっかじゃないですかっ死ね!」


 毒気を抜かれながらも、急速に理解が広がっていく。

 『私』がやるべきことは、ならば一つだ。

 ちびシューラが導線を引く。与えられた情報から文章を構築、選択肢として表示して物語を体験させる。『コキュートス』のゲーム的世界観が彩るテキスト選択式ノベルゲームの方法論。俺はこれを知っている。コルセスカと一緒にやった六王の乙女ゲームと同じだ。


「任せろ、いける。マラードならもう攻略した」


 そう――あの美しい王のことを、『俺/私』は誰よりも知っている。

 本当に――? 疑問が胸をよぎる。

 ただ自分勝手な願いを託しただけ。彼の本心に寄り添って支えていたと、お前は胸を張って言えるのか。

 それでも、彼は美しかった。それだけは確信を持って言える。

 できることは一つ。

 ただ、彼の美しさを語ること。それだけだ。


「『断章』経由の間接的な情報じゃこっちで語るのも限界があります! 細部は直接の関係者であるそちらで詰めて、大事な事はちゃんと自分で伝えて!」


 白い少女の助言。

 それに対抗するように、紅紫の人形が憎しみを叫ぶ。


「そうはさせない――可哀相なマラードのことは、私が一番知っているの!」


 これから行われるのは欲望の綱引きだ。失われつつあるマラードの心を再解釈して、その輪郭を定める語り直し合戦。

 傲慢で、切実で、万感込めた粘性の愛。

 だからこれは――熱病のような愛のうた(アフェクション)


「言理の妖精――」


 白い少女が歌い、


「――語りて曰く!」


 紅紫の人形が呪う。

 そして俺たちは、もう一度過去へ遡る。  




 生きるためなら何だってやった。食堂の手伝いをして残飯を分けて貰ったり、壊れた人形の墓場から使える部品を集めて売ったり。

 ルピナス爺さん――元人形師の老人に弟子入りできたのは望外の幸運だと考え、必死に教えを吸収した。師が逮捕され、初めてそれが邪法だと知った。

 死した赤子の魂を人形に封じ込めた(かど)で絞首刑。広場で無惨な姿を晒す師の姿を目に焼き付けてから、隠れ潜むように路地裏で生きた。邪法は後ろ暗い仕事をするのには向いていたのだ。


『お前の親は多分、純粋な大地の民じゃねえ。俺に近い、夜と夢のにおいがする。どっちつかずの混じりものだ。だがお仲間とは違うな。光か影か。そういや(くるわ)の女どもに受けがよかったな。魅了のさががあるなら、血吸いかね』


 師はそんなことを言っていた。

 けれどこの場所は球神の加護が宿る王国。どんなに生きづらくても、見た目が周囲の人々と違っても、居場所はここで作るしかない。

 生まれが『そう』であるなら、そのように生きる。それだけだ。

 唾を吐かれても、自分を恥じたりはしたくなかった。


『髪に込められたまじないの力は大した物だ。もしかすると半分くらいは大地の血が混じっているのかもしれん。それか、とびきり球神に愛されているかだ』


 老人の言葉は支えだったのか呪いだったのか分からない。

 ただ、遠い王宮を眺めて過ごした。

 太陽が沈んでいく、夕焼けの景色。まあるい王宮と整然とした街並み、角張った所の無いなめらかな建物たち。

 汚れた都市の周辺には木板を組み合わせた不格好な小屋しかなかったから、綺麗な曲線に憧れた。

 彼方を見つめるのが好きだった。遠くには美しい輝きがあるのだと思った。


 太陽が沈めば、真っ暗な夜空に星々が輝く。

 宝石なんて偽物しか見たことが無いけれど、きっと王宮にある宝石箱はこんなふうに綺麗なのだろう。

 砂で関節が軋むようなことのない清浄な空気。泥の混じっていない水。汚れていない布。均整のとれた柱やアーチ、階段や天井。

 思わず手で触れて滑らかさを確かめたくなるような丸屋根。

 勇ましい英雄たちの石像。


 沢山の夢を見た。子供時代には輝きが溢れていた。それは幸せなことだった。

 世界にはきれいなものがたくさんあると、そう信じていられたからだ。

 遙か彼方の美しさを羨んで、喜びの予感に胸を高鳴らせる。

 それが幸福だと信じてきた。今も、信じている。

 

 ――ある時、まあるい形の運命に出会った。

 とても不思議なことに、それはあまり美しくなかった。

 きれいなものばかり夢見ていたから、それが不思議でならなくて、それからずっと世界の端に佇むようになった相手のことがいつしか面白くて楽しいものだと感じるようになっていた。これは何だろう、どういうものなんだろう。

 馴染んだ夢の中にも出てこない、これはとびきりおかしくて新しい世界だ。

 伸ばされた手をとったことは、だからきっと正しかった。




 震脚、選択、詠唱、踏み込み、足を前に引き付けて掌打、移動させた重心をずらして反撃を躱す、目の前に選択肢、頭上から響く物語に合わせる形で最適な道を掴み取る。それはマラードの心を辿る物語。彼が自らの半身を切り捨てるまでの感情の動きを辿り、絡まった因果の糸を解きほぐす試み。


 語りながら、巨竜の足を打撃する。呪文を拳に乗せて、直接に届かせる。

 荒れ狂う炎天使の脅威を躱しながら利用して、地竜の猛攻をどうにか凌ぐ。

 三つ巴の死闘は徐々にその様相を変えていった。少しずつ、地竜の機敏な動きに翳りが見え始めているのだ。


 一方で、頭上の戦いも苛烈さを増していく。

 嵐のような炎天使の攻撃を回避しながら呪文を撃ち合う白い少女と紫の人形。

 そこに箒の魔女と猫の少女が加わって、ほとんど乱戦のようになっていた。


「邪魔です、さっさと消えなさい、トリシル六号!」


「――私をその名で呼ぶな。私はアレッテ。アレッテ・イヴニル!」


 静かな激怒と共に、人形が髪を逆立たせて叫ぶ。

 怨念じみた気迫がその大きな瞳に宿り、眼光が世界を染め上げていく。

 空間が捩れ、空気が塗り替えられた。呪文合戦の主導権を奪われたのだ。


「『そう、世界にはきれいなものが溢れている。なのにどうして、こんなにもこの胸のうちは空虚なのだろう』」


 諦めに満ちた言葉が、物語を別の視点から語り直す。




 貧民街の子供、とその来歴は語られる。

 説明になっているようで、それは説明になっていない。

 砂にまみれた路地裏の記憶より前は真っ白だった。

 白い世界が、目に映る全て。


 始まりは白い部屋。幾つもの薬瓶、消毒液の臭い、清潔な空気。

 無機質な機械の音楽が響く。無数の人が目の前を通り過ぎていく。

 与えられるのは色々な薬や刺激、頭蓋を貫く針と糸。

 そして言葉の渦。


 『アダム・カドモン』『最終始祖イネクシュネ』『原初の土』『ベルラクルラール』『代替者』『レゴン細胞』『ワイヤード』『呪髪の精神加工端子化』『最終実験』『負荷テスト』『失敗』『耐えきれなかった』『仕方無い』『失敗』『失敗』『封印処理』『廃棄』『次こそは上手くいくでしょう』


 意味の分からない断片的な記憶は明瞭な形を作る前に霧散してしまう。 

 ただ、憐れむような掌が一度だけ頭を撫でてくれたのを覚えている。

 いつの間にか薄暗い場所に立っていた。鼻をつく様々な臭い。つんとする。

 砂ぼこりの世界は清潔さからは遠く、なんだかいつもよりわくわくした。

 すぐにそれがただ苦しいだけのものだと理解して、嫌になった。

 それもじきに慣れ、苦しむ心は順応して静かになっていく。空虚を抱えて生きる術を知る。やすりのような日常に縋り付く毎日を繰り返すようになる。


 その心には、何も無かった。

 他人事のような何かに対する飢え。

 静かな衝動だけを持てあましながら、暗がりで命を繋いでいく。

 突如として現れ、身勝手な都合で光の中へと引き上げられたものの、そのあとの日々もどこか満たされないものを感じていた。

 誰もがその容姿を褒めそやし、美しいと感嘆する。

 そんな承認では足りない。そんなものでは感動できない。

 渇きが心を苛む。それはまるで砂漠で水を求めるように。

 物質的には豊かでも、心の奥底では常に退屈を抱えたままだった。


 ――『この場所』には何も無い。


 どこか、あるいはだれか。

 新しいモノだけが希望だった。

 見飽きたつまらない光景が心を満たしてくれることは一度だって無かった。

 世界中から高名な画家や美術品をかき集めた。

 時には自ら都市を造り直したりもした。

 

 ――全て虚栄だ。

 ――美しいものとは何だ。

 ――お前たちは俺の何を褒め讃えている。

 ――『俺』は、いったい何なのだ?


 疑念は日毎に強まっていくばかり。

 己の価値と存在意義。ありふれた思春期の悩みと言葉にすればそれまで。

 だが、巨大な空白と常にその身を苛む違和感が、悩みを猛毒に変えていく。

 思考と記憶、そして行動。

 気付けば王宮にいた。王として放蕩の限りを尽くした。

 その生き方と、過去の空白が噛み合わないような気がする。

 意識に絡みつくのは糸か、それとも。


 恐い。嫌だ。

 俺は、確かなものが欲しい。

 この世で最も美しく、何より価値があり、素晴らしく強く、足場となって安心を与えてくれる、完璧な『真実』。

 それを他者の中に探すのは簡単なことだった。

 微笑み一つ、流し目一つであらゆる者は陶然と心と体を蕩けさせる。

 魂まで美しき王に捧げ尽くして、一夜の幸福に夢を見る。

 誰より完璧な髪で一撫ですれば、操り人形の如く従順に振る舞うだけ。

 芝居で知った言い回しを真似ての恋のままごと。

 それでも足りない。

 最初は刺激的に思えたものの、所詮はお遊びでしかない。

 やはりこれは『ほんもの』ではない。

 

 しかし、そんなものがあるのだろうか。

 果たして、果たして、果たして。

 疑いを抱いたまま、それでも砂漠で足掻き続ける。蜃気楼に手を伸ばす。

 そんなある日。

 突然として目の前に現れた、賢者を名乗る見知らぬ少女。

 これは何だろう。

 新しいもの、未知なるもの。


 小さな子供が浮かべる静かな微笑み。

 それは安らげる寝台のように柔らかく、やさしい子守歌のようにあたたかい。

 それが深い郷愁なのだと、理解することはできなかった。

 過去は空白。生まれる前、試験管の羊水に浮かんでいたその魂は、母と過ごす故郷というものを知らなかった。

 母を知らないという、欠落。

 父のような人ならいた。か弱い子供を守ってくれる力強い大人ならずっと傍にいてくれた。しかし、彼は臣下として常に一線を引いて接してきたから、王として応えざるをえなかった。それが互いにとっての最善だった。


 だからきっと、彼女に心惹かれたのは必然だったのだ。

 分かってみれば簡単なこと。

 知らない温もり。抱擁の優しさ。それが欲しかっただけ。

 寂しかった。ただそれだけ。

 



「――ああ、可哀相なマラード! あなたはぬくもりを求めていた。唯一無二の真実が欲しかった。そんなものは無いと知りつつも、幻想を追いかけずにはいられなかった! だからこそあなたにはこの『愛情ナラティブ』が相応しい!」


 人形姫が紅紫の眼を輝かせながら呪文を叫ぶ。

 遙か上空を浮遊し、幾つもの妖しげな人形を操って魔女たちと戦いながら、こちらに対抗しうる『正しい過去』を紡いでいく彼女もまた、マラードの心に近付きうる存在なのだ。


 彼女は自分の紡いだ過去を正史にしようとしている。

 ラクルラール陣営に都合の良い現在に誘導しようとしているのだ。

 こちらも対抗してあの呪文を打ち破る過去を紡がなければならない。

 焦るなと『自分』にいい聞かせる。

 あくまでも王の振る舞いと心に寄り添った過去を語らなくてはならない。

 強引な欲望だけを押しつければ、矛盾を現実が許容できずに破綻する。

 

 この呪文はマラードが受け入れてもらうもの。つまりこの戦いは過去の改竄というよりもマラードの説得合戦といった方が正確だ。

 上空で、白い少女が悔しげに呻く。


「厄介ですね。こっちが知らない情報をあちらは知っているようです。はっきり言って頼りになるのはあなたたちの知識と感情だけ。協力してあげてるんですから、精々気合い入れて頑張ることです。あなたたちの戦いなんですからね」


「協力に感謝する! この騒動が終わったら、歌姫のライブ成功に向けて全力を尽くすと誓おう!」


 地竜の猛攻を凌ぎながら、少女に向けて叫ぶ。

 すると白い少女はふんと鼻を鳴らして、


「当然です! 他陣営と手を取り合うんですから、対等な互助関係でなくては話になりません。このくらいでいちいち窮地に陥らないで下さい、ぽんこつ王国」


 照れ隠しのようにも突き放されたようにも聞こえる言葉。

 ちびシューラがむきー! とかわめいているが、本気で怒ってはいないようなので結構気安い間柄なのかもしれなかった。


 一方、空中では箒の魔女と猫の魔女が力を合わせて炎天使の猛攻を躱し、人形の群を押し返していく。その戦い振りは凄まじいの一言だ。

 とにかく速い。圧倒的なスピードで空を駆け巡る。


「言理飛翔――十倍加速」


 その詠唱は音を突き破り、衝撃破が世界を破裂させる。

 弾丸となった魔女が人形の一体を破砕、生み出された疾風が炎を消し飛ばす。

 人形の呪いは宝石の輝きに吸い込まれ、帽子の中から生まれてくる雲の使い魔が群をなして人形たちを飲み込んでいく。


「よっしゃ絶好調! なんか第五階層来てから調子いいぞ私!」


「にあーっ!」


 凄惨な戦場には似つかわしく無い軽やかな叫び。

 泥臭い地上のことなど構いもせず、広い大空を自由に飛翔する。

 箒を駆る奔放なその姿。『私』は脳裏にある尊大な男を思い浮かべた。

 似た所などせいぜい箒とその圧倒的な飛翔速度くらい。

 しかしなにものにも囚われないその姿は、王者としての才気を感じさせた。


「ていうか、アレッテ・イヴニルさー!」


 速度を落とし、音速以下の低速で空をぐるぐる回りながら魔女が叫ぶ。

 どうやら敵に呼びかけているらしい。しかも雑談の気安さで。

 暢気だが、あれも『器』なのかもしれない。


「恋バナで『本物』とか『真実』とか言っちゃうのってロマンチック~♪ 可愛い、それふつーにカワイイって! 敵だけどちょっと友達になれそうだと思ったね! シアンとマゼンタだし色合い的にも! 知らんけど!」


「な――はあっ?!」


 さしもの人形姫も唖然として呪文を中断させてしまう。

 それはこちらが態勢を立て直す隙となり、呪文を選び出す好機となる。

 決意と同時に、空に浮かぶ『呪文の座』から参戦している三人の『喉』が強烈な光を放った。それは見覚えのある漆黒の輝き。

 断章の輝きだ。


(そうか、パーンとカーティス――クロウサーとドラトリアの血統!)


 ちびシューラが何かに思い当たったように言う。

 三人の魔女が放つ光は空から地上へと下るせせらぎとなってこちらに流れ込み、溢れんばかりの呪力が全身に宿る。地竜の攻撃を強引に弾き返し、今度はこちらが尾を掴んで力任せに投げ飛ばす。


(直系じゃなくても『イエ』で繋がっている三人には王権を受け継ぐ資格がある。あのコたちが援軍に来たのは偶然じゃないんだ。そういう『流れ』――操り糸に仕組まれたものかもしれないけど、今は利用させてもらうよ!)


 詳しい事情は知らない。

 それでもここには力がある。呪文がある。

 借りる事ができるなら、あとは使うだけだった。

 呪力を引き寄せ、手掌から強く発する。




 呪文は交叉し、歌は重なり反発し合う。

 俺の前を通り過ぎていく女たちは風。

 捉えきれぬ幻。感触だけが肌に残る、泡沫の夢。

 それもまた栄華の一幕。浪費と退廃に彩られた遊戯。

 美しき退廃の王には相応しい献上品が必要だ。

 愛も恋も、全ての逢瀬は王の完璧さを彩る装身具。

 

 享楽の歌を打撃と共に解放すれば、空虚の糸が垂らされる。

 女たちはみなお人形。

 誰にも愛されない可哀相な王さまは操りの呪力で愛の言葉を囁かせた。

 全ては滑稽な独り遊び。


 否、そうではない。

 一夜の夢、飾りとしての愛。

 しかし王が下賜する恋の幻想はたとえ偽りであっても美しいきらめきだった。

 その一瞬の虚栄、それとて生の一幕には違いない。

 ならばそれも本物。

 次の瞬間には消え去る虚しい恋でも、その感触だけは真実だ。

 汚れた熱情も肉の欲望も、王が与えるならそれは恋のまじないに変わる。


 いいえ、違う違う。

 彼女たちは髪の呪いによって理性を奪われた哀れな犠牲者。

 精神を加工する悪しき傀儡呪法。魂まで美しい髪に縛られた命ある人形たち。

 戯れに愛し、飽きたら捨てる。その繰り返し。

 人形たちが宿した小さな命は生まれる前に人知れずいなくなる。

 祝福されなかった子供たちは地の底へと埋められた。

 かわいそうかわいそう。きっと綺麗な父親に会いたかったことでしょう。

 抱きしめて欲しかったことでしょう。

 子供は寂しがるもの。親を求めるもの。

 愛を欲するものなのだから。


 糸が巨大な竜を操り、暴虐を岩石の巨腕が受け止める。

 天の炎を疾風が押し返し、白き翼と邪眼の呪いがぶつかり合う。

 戦場には過去が躍っていた。

 次々と流転する物語の光景が呪文に乗せて世界を塗り替えていく。

 世界槍を構成する要素が解体され、言理の妖精が再構築。

 泡が弾けて次々と融け合い、世界は互いに矛盾する幻想の光景に包まれる。


 美しき王。

 愛を欲する王。

 一人の男を巡っての真実を探る戦いは佳境に差し掛かっていた。


「虐殺! そうよ、愚かさは人を殺す! 『それしかない』という視野狭窄、大局を見据えられぬ王器の欠如、それが王国の基盤を打ち砕いた! 全ては卑劣な前王がその役目を怠り、逃避を続けていたがゆえの悲劇!」


 アレッテはルバーブを糾弾する。

 それに対抗することはしない。全て事実だからだ。


「お前はマラードを言い訳に使った。彼を利用した。王者の責を押しつけた! その罪、生ぬるい死くらいで贖えるものではないと知りなさい!」


 人形の叫びには本気の怒りが込められていた。

 彼女の心の奥底にあるものまではわからない。

 それでも彼女がしばしば見せる諦めのように、この戦いに対しても空虚な態度で臨んでいるわけではないようだ。アレッテはマラードに執着している。


「そうだ。あれは『私』の弱さ、そして罪だ! 理念も思考も放棄し、与えられた力をいたずらに振るった! 行使を許されていた権力によって大量の死を肯定した。そうすれば王の民が守られるという大義名分があったからだ!」


「守る為の力、正義の為の犠牲! お前たちはいつもそう! それが暴力を、権力を振るう理由になると信じて疑わない!」


 憎悪。

 邪眼を紅紫に輝かせる人形姫は、掛け値無しの殺意を放射して叫んだ。

 地上で繰り広げられるサイバーカラテによる自衛のための戦い。

 それを含めての断罪なのか、アレッテの怒りは『俺』と『私』の双方に向けられているようにも思えた。


「仕方無い、仕方無い、仕方無い――ああそうね。確かにその通り。お前たちには正義がある。それは正しくて――だから私はガロアンディアンが嫌いなのよ」


 無数の糸が斬撃となって荒れ狂う。

 破壊の嵐をかいくぐり、それでもと前に進む。

 『俺』の思考は、むしろ彼女に共感を示していた。

 力は力で、殺しは殺しだ。

 罪は罪でしか無く、そこには何の色づけもされていない。

 

 しかし、だからこそ。

 俺とルバーブは手綱捌きが拙劣だという糾弾を甘んじて受けねばならない。

 制御されない力ほど醜悪なものはない。

 勁道の通らぬ乱れた発勁などサイバーカラテは許していない。


「フィードバック、だ」


「何ですって?」


 唐突なこちらの言葉を、訝しげに問い質すアレッテ。

 気息を整え、頭上を見据えて言い放った。


「失敗は次に活かす。改善をもって償いとさせて欲しい」


「し」


 人形の瞳が目一杯見開かれ、


「死ねぇぇぇぇっ!!!」


 渾身の絶叫、竜に変化した頭髪による必殺の一撃が大地に叩きつけられる。

 震脚によって岩盤を跳ね上げて盾と為し、竜のあぎとを受け止めて時間を稼ぐ。その隙に先へと進み、地竜の間合いに踏み込んだ。


「そうだ、もう一度!」


 やり直す機会が欲しい。

 拒絶によって終わってしまった関係性を、もう一度繋ぐ。

 その為の呪文、その為の仮初めの命。

 存在を魔女と異界の悪魔に売り渡してでも成し遂げたいただ一つ。

 

「あなたは誰よりも美しい王だ! だからこそ、私の罪に穢されてそのような暴君に堕とされてはならない!」


「違う、彼は哀れな犠牲で操り人形! 私と同じ糸の玩具! だからもう王などやめていい、人を振り回して不幸にするだけの権力ちからなんて捨てていい!」


「どうか美しき王に戻って下さい!」


「安らぎを求めていいの! あなたを縛る全てを壊して、愛を叫んでもいい!」


 求めと赦し。

 相反する呪文が悲鳴のようにぶつかり合う。

 地竜は目の前を流れていく呪文に惑うように後ずさりした。


「俺は、戻れない。俺が俺であるためにお前を殺した。自分で選んだ道だ」


 地竜の喉から紡がれるのは理性ある言葉。

 呪文によって意識が戻っているのか、マラードは確かに対話に応えていた。

 『私』は全身で王の言葉を否定する。


「私は、あなたのためならば永遠の死とて厭いませぬ!」


 そう、殺されたことなどはどうでもいい。

 この身は王のもの。命を捧げ尽くして滅ぶならば本望だ。

 

「それでも、至高の美たるそのお姿が醜く貶められることだけは受け入れられない。麗しの王、それこそがあなたのまことのかたちなのだと思い出して下さい」


 糸の嵐がこちらの言葉に覆い被さるようにして襲い来る。


「黙れ、お前は哀れなマラードを自分の思うとおりにしたいだけよ。自分の理想の美しさがなければマラードではない。そんな傲慢、お人形遊びでしかないわ。私は違う。彼がどんな姿になろうとも、その心が真に欲する願いを肯定する!」


 地竜の頭が、アレッテとルバーブを交互に見た。

 迷い、戸惑い、去来するのはいかなる感情か。


「私はあなたに美しい王であって欲しい」


「私はあなたが醜いけだものでもかまわない」


 答えは竜の鱗に覆い隠されてけして見えない。

 マラードの心を身勝手に語り、探り、こうではないのかと採点を求める。

 言理の妖精語りて曰く。その呪文のなんとか細く脆弱なことか。

 『断章』が紡ぐ夢の泡、呪文の群れが地竜を取り巻き、次々と破裂する。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 美しい光景。なつかしい思い出。

 虚ろな感情。焦がれる熱情。

 彼は恋に恋していた。知らないものを欲していた。

 それが彼の欠落だったからだ。

 だが――。


「俺は、俺自身の――俺が俺であるためにっ」


「ならば後悔など、未練など私ごと打ち棄てられよ! 偉大なる王よ、我が屍があなたの足場となるならば、これ以上の幸福はございません!」


 彼が暴君に、荒ぶる地竜になっているのはそこに罪の意識があるからだ。

 王として犠牲を許容できるのなら、彼は美しい王のままで進めばそれでいい。

 そしてそれこそが従僕の望み。

 マラードは、長く共に歩んだ従僕を誰よりも知る王は、そんなことは言われなくても分かっていた。呪文など最初から紡ぐまでもなく。


「俺は許されると知っていてルバーブを殺した! これが自立なものか、これが操り人形であることへの反抗なものか。これは甘えだ、俺の弱さだ!」


 マラードが望めば、それは叶えられたのだ。

 彼の意思は真実の王となることを望み。

 彼の感情は傀儡の王として従僕と共に在ることを愛おしんだ。

 罪があったとすればその一点。

 後悔など、王道にふさわしくない。

 どのような愚王であったとしても、王としての在り方を自分で信じることができないのならば、それは美しさからはほど遠い。


 この世で最も美しい王。

 虚構の中でだけ素晴らしい王として語られるマラード。

 彼は幻想。愚かさの中で踊る綺麗な人形。

 その現実が無惨な血に彩られていたとしても。

 呪文は、醜悪を醜悪なまま賛美できる。


「ああ、そうだ。楽しかったな、ルバーブよ。放埒の日々、退廃の日常」


 全ては夢の中。

 求めたものはついに手に入らなかったけれど。

 最後には何もかも屍の山に消えてしまったけれど。


「あれは、綺麗だったなあ」


 マラードは懐かしむように彼にしか見えない過去を見つめた。

 白い翼がはためき、糸の竜を弾いて叫ぶ。


「今です!」


 ここしかない。

 左腕を活性化させる。最適な武装を選択、過去最高の速度で再構築。


「換装・十二番!」


(【イングロール】エミュレート!)


 流星の輝きが収束し、星を砕く為の重機が顕現する。

 余りにも巨大な腕。ルバーブの剛力ですら支えるのがやっとの隕石除去用の義肢は、宇宙空間で活動するための装置だ。

 マラードが夢見た世界、その彼方に広がったのは星々の夜空。

 王の美貌に引き寄せられた恋する星の嫉妬を砕きながら巨腕を振りかぶる。


「させない、いや、いやよっ」


 アレッテの必死な声が星を乱舞させていく。

 紅紫の視線に従って星々が動き、次々と襲来。

 軌道はあまりにも読みやすかった。なにしろ視線の動きに沿っている。


「『弾道予報Ver3.0』――砕け散れっ」


 赤い弾道予測線の全てを弾いて砕く。

 星の残骸を抜けて、彼方の地竜に腕を叩きつけた。

 衝撃。そして閃光。

 夜の空を墜ちていく。

 地竜の鱗が、岩石鎧の装甲が、大気圏突入の高熱で剥がれて消える。


「ああ、そうか。俺の星は、ここにあったのか」


「陛下、私は、常にあなたのお側に」


 声は途切れて消えた。

 夢が醒めるように世界は消失。

 夜の闇を切り裂いて、天空から巨大な剣が落下する。

 幻想の法、ダモクレスの剣。

 それは権力を選定し、制御を失った暴力を切り裂く。

 暴君を殺して王国を滅ぼす一撃だ。

 咄嗟に庇おうと前に出る。

 しかし、巨大すぎる裁きの前には何の意味も無く。

 地竜となった暴君と、ラフディという古き王国は一夜にして滅び去った。

 全て、はかない夢であったかのように。





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