死人の森の/断章取義のアリュージョニスト
重なり合うのは生と死の言葉。
無彩色の呪文が代弁した死者の遺志。
深き森の女王が甦らせた再生者の意思。
どちらが正しいのか。どちらを選ぶのか。
押しつけられた二択。そんなものは否定すると俺は叫ぶ。
選ばない。
決定しない。
そんなことはとてもできない。
そんな甘えを、微睡むような意識の中で夢に見た。
大小の泡がその軽さに耐えかねて海面へと浮上していく。
あの先には生者の世界があるのだろう。沈んでいくこの意識は、重力に引かれて冥府へと誘われる死すべき定めの朽ちた魂に過ぎない。
そう、始めから生きている事が間違いだったのだ。
俺は死者だ。二度目の命を肯定する道理がどこにあるのだろう。
それを肯定する市場の論理――異世界転生業も、法を遵守し、利益が出せる範囲で、という但し書きを付けた上で成立している。
薄氷を踏むようにそっと、卵を積み上げるように危うく。
前提が失われた俺の命は違法で赤字。ゆえに死ぬ。
人間には価値があり、俺の値札はマイナスだということ。
単純な理屈だ。
悪夢のように透明な泡が、幾つも幾つも目の前を通り過ぎていく。光が遠ざかるにつれて、暗い闇が大きなかいなを広げてこの身を誘う。深海の底に広がる大地は、冷たくなった母の骸だ。帰りたいと、胎内回帰の願いが胸に広がる。春に旅立ち、冬に帰る。それが自然の理で、何一つ抗う必要などない。
本当にそうだろうか。
ぱちんと、大きな泡が弾けて消えた。
暗闇の光景が消えて、瞬きの間に色鮮やかな世界が視界いっぱいに広がっていた。既視感を覚えて、眩しさに眼を細めた。そこで気付く。顔が――無い。
好敵手の渾身の蹴りによって失われた頭部はそのままがらんどうで、細めたと思った目はどこにもなかった。だというのに、俺は世界を認識出来ている。恐らくは通常の理で世界を見ているわけではないためだろう。
存在しない目で、改めて新しく生まれた世界を眺めた。
一面に広がる、澄明なる空色。
深い青の花が咲き乱れる屋外庭園は静謐で、四季のどの感覚とも異なる現実感の無い空気に満ちている。綺麗に整えられた芝生、迷路を形作る生垣。様々な色彩に煌めく宝石は精巧な技術によって削り出されて造花を形作り、生垣に散りばめられて迷宮を可憐に飾っていた。
眩暈のするような蒼穹の庭園に、俺は息を飲んだ。美しさは理解できるが、漂う上品な空気感に場違いさを感じて気後れしてしまう。
ずっと、そんな場所で誰かを待っていた。
この高貴さと気高さが相応しい、来ないと知っている救い主を、ずっとずっと、悪夢のように待ち続けていた――愚者のように。
「悪夢。そう、これを悪夢と捉えるのが貴方の世界観ということ」
金属が軋むような響きがして、透き通った空に巨大な時計が浮かび上がる。
鈍色の歯車と、文字盤が九つという奇妙な時計。紫水晶振動子が揺らめいて、ぜんまいねじが巻かれる音と共に彼女はいつのまにかそこにいた。
「トリシューラ?」
違う、と存在しない口から声に出して気付く。
赤い髪、緑の瞳、黒銀の躯体、そして良く観察すれば半身たる氷の少女に似ているとわかる顔の造作。普段の明るさを取り払った無表情と口調からは、より姉に似た面影が覗いているように見えた。
それでも、彼女は二人の主のどちらでもないと直感が告げている。
既知の中にある未知を直観して、知らないはずの名を呼んだ。
「あなたがアーザノエルか」
「私の棲み家にようこそ。歓迎する、品森晶」
庭園の中心にある円形の広場には白塗りの円卓と椅子が用意されていて、アーザノエルはそこに腰掛けている。対面に座るように促されて、俺は言われるがままに椅子を引いた。すると、どこからとも無く青く煌めく蝶が飛んできて、翅を畳むとその姿が超現実主義の絵画のように歪み、卓上に一揃いの茶器が現れた。構造色の表面を持った茶器が軽やかに舞い、ひとりでに容器に青い液体を注いでいく。
「食欲のそそられない色だな。着色料使ってるのか?」
「天然もの。貴方の想像力百パーセント」
他人事のように少女は呟く。
不可思議な輝きを湛えた液体を口に運ぶと、痺れるような酸味と強い苦味が舌に広がる。存在しない眉根を寄せた。
「俺の想像力ってのはこんなものか」
不味い、と顔を顰める。アーザノエルは静かに肯定した。
「そう。ゆえに、欠落は外側から持ってきたもので補うしかない」
継ぎ接ぎのように、補綴すること。
それが身体性の拡張という視座に根ざした思考の枠組みである以上、俺たちはそれに従うだけだ。慣性の矢が時によって摩耗するその瞬間まで。
「最新の技術が有効なのは、賞味期限が切れるまで」
「ああ。だが、俺には今まさにそれが必要なんだ。すぐに使えなくなるとしても、その時はまた新しいものに取り替えればいいだろう」
「貴方の場合、消費期限すら既に切れている。それに対する答えは如何?」
「既に出ているだろう」
淡々としたやり取りを交わして、俺たちはお互いの意思を確認し合った。
ようこそ、というアーザノエルの言葉の意味を噛みしめる。
答えは出ている。この夢を思い出すことはきっとできない。
それでも、慣性のまま進んだ先で辿り着いた答えを、選ばないという選択を、俺は自らのものとして受け入れなければならない。
目の前を往く先人たちのように。
「そろそろ行くよ。多分、また会う事になるんだろう?」
アーザノエルからのいらえは無く、人形になったかのように微動だにしない。問うべき言葉を投げかけた以上、この瞬間の役目は終わったということなのだろう。俺は立ち上がると、踵を返して庭園の奥へと進んでいく。生垣の迷宮を進み、外を目指すのだ。俺は本当はその道を選ぶべきだったのかもしれないと、もうどうにもならないことを思った。やはり、俺には碌な想像力が備わっていないようだ。それはきっと呪術の世界において致命的な欠落に違いない。
だから、足りないものを手に入れる為に、歩きだそう。
確かに存在する、この両腕のように。
新たな地平に、一歩を踏み出す。
そこが俺の居場所となるだろう。
頭蓋骨に幽閉され孤立した魂の、頼りない荒れ野を行くような寂しさを癒すのは、踏みしめた足場の感触だけだ。重力を感じながら我が身の質量を意識する時、人は広大無辺な宇宙の中で己の座標を自覚できるのだから。
蒼穹の世界を背に、先の見えない迷路へ入り込むと、途端に世界が暗黒に包まれる。寒々しい死の芳香が周囲に立ちこめて、見当識を失って底へ底へと落ちていく。上下左右すら曖昧な中で、俺を引き寄せる重力だけを感じていた。
光が差し込んで、手が伸ばされる。
いつかもこんな景色を見たことがあった。
既視感に満ちた光景に郷愁を覚えて、俺はその場所に帰っていく。
一面の闇の中で、赤い髪の少女がそっと囁いた。
「揺らぐ真実のどちらかを選び、切り捨てるのは違うと品森晶は叫ぶ。選択肢を傲慢にも切り捨ててしまうと、酷薄に」
それは悪だと、アーザノエルは少しだけ笑った。
選ばないということ。
その可能性の全てを受け止めるということ。
それこそが、彼女が望んだ原初の混沌なのだと彼は正確に理解している。
「ゆらぎの神話、その再生。それこそが私の望み」
生者の世界と死者の世界は分かたれてなどいない。
それは言葉が切り裂くもの。
二つは一つであって一つでない。
心がそうであるように。
アーザノエル語りて曰く、私はみんなであってみんなじゃない。みんなは私であって私じゃない。
言葉が世界を分かつのならば、それを繋ぎ合わせるのもまた言葉だ。
夢の深層で囁かれた言葉は、誰にも知られずに泡沫となっていく。
それが、神話であるということだ。
宙に放り上げられたシナモリアキラの拉げた頭部を、左右非対称の手が受け止めた。骨の右手で支え、左の繊手で柔らかく撫でる。愛おしむように、死人の森の女王ルウテトが彼の誕生を言祝いだ。
七頭十角の巨獣が咆哮し、それぞれの魂が死者に対して呼びかける。
ゾーイデルヒは頭上に現れた新たな難敵を見据え、構えをとった。
だが、ルウテトは無防備な姿勢のまま腕の中の生首を見つめたまま。相手をする気がないかのように。自分は役者ではないのだと、知っているかのように。
「さあ、再演の旅路が歴史に刻んだ足跡を、今こそ世に示す時。目覚めなさい、六人の王たちよ!」
ルウテトの言葉に従って、巨獣が有するそれぞれの頭部の前方にうっすらと透けた幻影が浮かび上がる。亡霊じみた六人は、それぞれが女神に忠誠を誓った永遠の下僕たち。ひとりひとりが歌うように言葉を紡ぐ。
「あの時、確かに感じたのだ。この身に触れた、目に見えぬ操り手を」
「身体に何かが降りてきた――それはこちらに従うようであり、同時にこちらが従わされるようでもあった」
「僕たちも同じ体験をしたよ。身体の中に神さまを降ろすあの感じにとても似ていた。あれはきっと、どこか遠くから何かを伝えようとしていたんだ」
「おお、それこそはブレイスヴァ!」
「我々の歴史という物語に刻み付けられたあの未来人の痕跡は、『役者の癖』として残っているということだ。偉大なるこの俺を演じるには、いささか以上に役者が不足してはいたがな」
「私たちはみな覚えているよ。未知なる知識を、この身体の感触で」
六王たちが口々に語るのは、シナモリアキラが再演によって過去へと干渉したその結果。彼らに刻み付けられた『身体性の記憶』だ。
役であった彼らは、役者によって仕草の全てを規定されていた。
同時に、役者は役に支配され、演出の操り糸に絡め取られる。
双方向的な支配関係がそこには存在した。
全員が『身体に何かが降りてきた』という記憶があり、現代に甦った彼らはサイバーカラテという未知の技術を知る。そして、知らないはずの未来の技術に対して既視感を覚えていることに気がつく。
『我々はこの武術、この理念を既に知っている』
そして、第五階層全てに響くほどの大音声で巨獣が咆哮した。
誰もが知る、ステルスマーケティングという無様な工作によってその本質が露呈したがらくたを体現する言葉を。失望と落胆に彩られた、零落した価値を。
「発勁用意!」
六人分の咆哮が呪文となって世界に響き、幻影の王たちがそれぞれ拳を、蹴りを、尾を、呪文を振るって己の知るサイバーカラテの技を示す。
その瞬間、ゾーイデルヒの目が驚愕に見開かれた。
手品の種が割れ、ありふれたものと化したはずのサイバーカラテ。
そのはずが、
「何だ、それは」
六人が繰り出した型、堂に入った演武は想定外の代物だった。
それぞれ合理性の対極を行くような、いかなる集合知を参照してもいずれは淘汰されるであろう奇形の武術。閉ざされた体系の中で歪に発達した、孤島の文化のような異形のサイバーカラテ。再生者たちはそれをこのように位置付ける。
「無論、これこそ本家本元のサイバーカラテ、またの名をラフディ相撲」
「元祖サイバーカラテは竜王国で誕生したものだ。あらゆる流派を統合した万能の武術が、この多種族が混淆する王国で生まれたのは必然と言えるだろう」
「僕のサイザクタートはちゃんと覚えてるって言ってるよ。きっと自分たちを見放した神さまが降りてきて、この叡智を授けてくれたんだって」
「起源にして終端! それこそがブレイスヴァカラテ!」
「俺と未来人の腕、そして杖の属性が共鳴している――時系列などはどうでも良い。俺が全てであり頂点、それだけだ。遍く武術はこの俺に従う」
「最も古い闇の奥底で、未分化の呪力を私は生んだ。天啓と共に私が培ってきた全ての業こそが、この時代で言うサイバーカラテなのだと今なら理解できるよ」
それぞれが起源を強く主張し、彼らに連なるあらゆる歴史と文化にその摸倣子が流入していく。否、既にそれは起きていたのだ。ただ、この瞬間に名前を与えられて気付いただけで。
ドラトリア出身の夜の民たちが気付く。今まで何となく体得していた触手を用いた柔法は、実はサイバーカラテの流れを汲むものだったのだと。
遠くで黒騎士と死闘を繰り広げているネドラドが理解する。自分が振るっていたガレニスに伝わる武術、それこそはサイバーカラテという幹に繋がる枝のひとつだったのだと。
第五階層の片隅で魔教と呼ばれながらもブレイスヴァの名を唱え続けるカシュラム人たちが再認識する。嗚呼、全てはブレイスヴァの口の中にあったのだと。
兎たちが自分たちが操る呪文の中にサイバーカラテの理念を見出し、祖先を竜王国に持つ数多くの種族が振る舞いの至る所にサイバーカラテを再発見し、数を減らして混血が大半となった大地の民たちが自分たちの伝統とサイバーカラテの類似性を発見して驚愕する。
歴史や伝統的な文化だけではない。とりあえず似ているものは何でもかんでもサイバーカラテに放り込んでおくという雑な思考が広がっていった。全てを内包していくのがサイバーカラテだからだ。しかし、それを取捨選択する機能が、この瞬間だけは沈黙している。集合知も機械の女神も、知らぬ存ぜぬとばかりに乱雑な混沌が膨張するのに任せたままだ。
機能不全を起こしているのか、正しい答えを選べなくなっているのだろう。多くのサイバーカラテユーザーはそう考えた。しかし違う。それこそがサイバーカラテ道場が選んだ『最適解』なのである。
まるで脚本家も演出家も仕事を放棄した即興芝居。
神殿で行われる原初の儀式は役者たる巫女たちに全てが委ねられ、自由に解放された躍動が、互いの眼差しによって束縛され、また更なる飛躍を促される。
役者が総体として脚本と演出を決める、それがサイバーカラテ道場における集合知の在り方。不合理が合理となる、その有様を呪術的と呼び表す。
そして、転生したサイバーカラテは呪術性を内包する非合理の体系だ。
「貴様ぁ――六王の権威をサイバーカラテに取り入れたな!」
ゾーイデルヒによる糾弾。
彼の言う通り、サイバーカラテは新しい技術だ。
ゆえにそこには伝統が無い。歴史がない。誇れるだけの文化性が無い。
グレンデルヒに対抗できるだけの、権威という呪力が無いのだ。
飽きられてしまえば人は新しいものから離れてしまう。
賞味期限が切れたコンテンツは、終わったと見なされてがらくたになる。
価値とは人が付けた値札の呪文によって決定されるのだから。
足りないのは時間。
ならば、その積み重ねを他者に任せれば良いのでは?
種を蒔いたら、あとは収獲の季節を待てばよい。
星見の塔から来た魔女たちが過去干渉という道を示し、勝利への布石を置けと助言したのは、過去の事件を改変しろという意図からではない。
全てはサイバーカラテを歴史の中に刻み込むため。
再演の過去遡行。
最下層の暗闇で幾度となく再現した、竜帝ガドカレクとの摸倣の遊戯。
王たちの身体に覚え込ませたシナモリアキラとサイバーカラテの身体感覚は、肉体言語魔術という振る舞いの呪術によって彼らの魂に刻まれた。仕上がったのは、奈落の底から未来へと上昇していく戦いの中。
六王は演劇の役になるほどに歴史の中で極めて強い影響力を有している。ゆえに彼らの振る舞いは呪力となって世界へと伝播していったのだ。
過去への遡行は改変結果ではなく、その過程にこそ意味があったということ。サイバーカラテの理念を体現したシナモリアキラがその足跡を刻み付けた道は先へと続いている。その道を、他ならぬ彼が踏みしめるという事に意味があった。
「発勁用意!」
六王がふたたび叫ぶ。それは悪魔を喚起する呪文だ。アキラは役者であったが、同時に彼らにとっては役でもある。六王はそれぞれ見覚えのある感覚を思い出しながら、記憶の中にいる誰かを演じようとした。再現されていく動作。過去に刻み付けられたアキラの『権威』が、グレンデルヒの『権威』によって上書きされたアキラという存在を凌駕する。
世界中に、サイバーカラテ本来の在り方が波及していく。
それは伝統文化である。サイバーカラテ道は相手を傷つけることを目的とした武術ではなく、精神修養を目的とした己と相対する為の『道』だ。サイバーカラテ道を掲げる団体がサイバーカラテからの分離独立を宣言。ただしサイバーカラテ道場のシステムと集合知は引き続き利用し、情報も共有するものとする。
非合理性に見えるモノは、長い歴史の中で受けた弾圧から逃れるための必然であったり、舞踏と化したサイバーカラテがより美しく変化するための精練であったりした。忘れ去られた古い呪術儀式を発掘し、現代の呪術理論から見れば非合理な神秘を呪術的合理性として取り込む。
また、若者たちがSNSで動画を拡散させる。今までも行われてきた文化的営為ではあったが、それがサイバーカラテと結びつけられることを誰かが再発見して、既存の概念にそう名前を付けたのだ。面白い動画をアップロードすることがインドアユーザーたちの楽しみの一つとなっていく。集団演武はほぼダンスと化してエンターテインメントとなり、様々な新しい文化、古い芸能がその空間に流入していく。高尚も低俗も、聖も俗もそこではひとまとめにされ、必然的に生じた反発と争いすらも内側に取り込んでしまう。人々が己が持つ呪術性と世界観をぶつけ合い、答えのない『最適』を模索し続けるその小宇宙は、いつしか文化交流の場となっていた。
「情報の拡散と循環が速い――更なる炎上すら無効化するというのか!」
ゾーイデルヒの呪術は渦を巻くミームに飲み込まれて消えていく。炎上の火種すら取り込んで己の燃料とするのが加速した情報の流れというものだ。
それが、網羅する時間すら与えられないアストラルネット時代の世界の有り様だった。『神話2.0だ』などと誰かが訳知り顔で呟いた。
本来ならば、ミームの伝達過程は地域と位相が異なればその変遷の様子も変わってくるもの。しかし、物理的距離は扉によって無意味となった時代。分断された世界の情報的な隔たりも、第五階層という境界がある現在は在ってないようなものだ。
文化変遷は加速する。SNS、BBS、念写動画投稿サイト、テキストやイラスト、音楽などの創作系コミュニティ。多種多様な空間が混沌を作り出す。
現代の神話とは、加速し続ける混沌の中で生まれて消える泡にも似た幻想だ。
それでもなお、古来より連綿と受け継がれてきた形式と構造は変わらない。
人が人であるがゆえ、知性が知性であるがゆえ、言葉が言葉であるがゆえに生まれる包括的な枠組みは、伝承や民話、物語の有り様を貫く元型と終端を様々な形で内包する。それはストックされたキャラクターとして、役割として。
『王さま』『王子さま』『お姫さま』『まじない使い』『大臣』『人食いの化け物』――それから様々な職業に加えて、王国の登場人物を家族という構造が代替する。小人に妖精に太陽や月、風や大地までもが擬人化されて、森羅万象の全ては神話の中に入り込む。現代においては、それはネットの中の全ても自然として擬人化するのだ。情報はそこかしこに宿り、躍動し始める。
だから、ゲームやアニメ、映画や音楽、漫画や小説、その他様々な娯楽が聖なる神として世界の秩序を支配することも、またありふれたことに過ぎない。
冬の魔女が構築した幼き世界が、最新最古の神秘を具現する。
「アツィルト――」
頭部の失われた身体の中で、残された冬の魔女が瞬きの間だけ繋いだのは、世界を壊す禁戒呪法。個の境界を融解させる青の呪い――その対極に位置する、個の有り様を最も美しい瞬間のまま留め置くための記憶の万華鏡。存在を凍らせて、揺らぐ真実を確定させる。神話化の呪術が自らの欲望を具現化させ、一人のキャラクターによって世界観を表現する。
「――アッシアー!!」
禁呪の発動を受けて、高らかに声が響く。
無数の腕と無数の頭部で身を飾る、荒ぶる女神がそこにいた。
倉庫街の残骸を踏み越えて、機械の頭部を足蹴にした機械魔女の名はトリシューラ。足下でケイトの残骸が粉砕され、形の無い情報生命が鋼鉄の中から離脱する。死闘を制したトリシューラは無数の腕で幾つもの頭部を保持していた。【マレブランケ】と名付けた彼女の私兵集団、その生首。血の滴る頭を、握りしめるための宝珠に、首飾りに、浮遊する衛星にして、血塗られた戦女神は冒涜的にあらゆるものを隷属させる。そして、愛嬌を振りまくような明るい表情で舌の先をちろりと出して片目を瞑る。
鮮血の女神が発動させた禁呪が彼女の手首から赤い色彩を迸らせた。
存在を代償にして流れ出した呪わしい真紅の血液が、冬の冷気に触れて凍りついていった。二つの禁呪が重なり合った瞬間、トバルカインの装甲に包まれた二つの義手が二色の光に包まれる。
起こりつつある異変を妨害すべくゾーイデルヒが放った蹴りを、死せる強化外骨格トバルカインの右腕が防御。意思無き身体であっても、鎧はその肉体を守る為に自ら動くのだ。
二つの呪力が二重螺旋を描き、遺伝子という発想の原型となった摸倣子モデルを中空に映し出す。天上では死せる冬の女神が、地上では命無き春の女神が、新たなる同胞の新生を祝福する。
凍り付いた幻の輪郭が設計図なら、鮮血の軌跡を宙に描きながら放り投げられた生首は共通規格の交換部品。軽やかな声が予定調和の未来を作り上げた。
「お待たせ! 新しいアキラくんだよっ!」
そして、首の接合部とその頭部がぴったりと重ね合わされる。
端整な顔に生気が宿り、長い睫毛が開かれていく。
――グレンデルヒを人間集団に宿る使い魔の紀人、コルセスカを神話に宿る邪視の紀人とするなら、トリシューラとシナモリアキラは身体性の拡張に宿る杖の紀人だ。
身体性の拡張――それは増設、補綴された人工的部位であり、受け継がれ精練された技術、流派でもある。シナモリアキラを顕現させるのは【鎧の腕】たる義肢や肉体の部位であると同時に、技術と流派でもある。
つまりは、こういうことだ。
「発勁用意」
それこそが召喚の呪文。
サイバーカラテ道場のデータベースに登録された構え、型をなぞることこそがその力を引き出す為の儀式。
「俺自身が、サイバーカラテの体現者となるということ」
シナモリアキラこそがサイバーカラテであり、サイバーカラテとはシナモリアキラである。没個性で交換可能な人間は、その最も特徴的な『属性』や『記号』が最大の個性となる。ならば、外部から欠落を補うことをその本質とする存在がいたならば、彼はどんな記号で捉えることができるだろうか。
その答えが、ここにある。
そして、『私』は覚醒した。
首を横に倒すとこきりと音が鳴る。ふうん、我らが陛下の云う通り、中々しっかりとしたものじゃない。ちょっと身体に違和感があるけど、まあ愚痴をこぼすのも可哀相よね。アキラちゃん、こないだ足の長さがもうちょっと欲しいってこっちを物欲しげに見てたし。
そんなことを考えながら、私ことマラコーダは目の前の敵手が放った神速の蹴りをサイバーカラテ道場が提示する戦術行動プラン通りに低く屈んで回避、身を低くした状態から両手を地面に突いて倒立するように蹴りを放つ。選択肢として提示されたミアスカ流脚撃術の回転連続蹴り。強化外骨格によって強化された身体能力が力士の巨体を痛打する。足裏から浸透していくのはコルセスカちゃんの冷たい呪力。
相手が怯んだ隙に距離をとる。一度負けた返礼も済んだところで、何か威勢のいいことでも言ってやろうと思ったけれど、そこではたと思い出す。
いけない。思わず癖で女言葉で喋りそうになっちゃったわ。
この、自分でもわざとらしすぎるって思っちゃうようなコッテコテの役割語や女性態。こんな言葉遣いを思考の中でも徹底しているのは、女王陛下の指導のお陰。身の処し方と呪いを解いてくれたお礼は身体で返さないとね。
(ちょっとマラコーダ! 役作り、きっちりやってよねー? あなたには一番時間かけて演技指導したんだから!)
網膜で短い手足を振り回すのは可愛らしい姿の、私の女王陛下。
承知致しました、それではどうか、特訓の成果をご覧じろ。
挑発的な表情を作り、低く抑えた声で不敵に告げる。
「どうした英雄。首の挿げ替えくらいそっちでも日常茶飯事だろう?」
「貴様、まさか脳すら置き換えて――そうか、仕草と演技。サイバーカラテ。シナモリアキラ、再演と肉体言語魔術で甦ったか!」
こちらの呪術の種を即座に看破してみせたゾーイデルヒに向かって、『俺』は力強く言い放った。
「ご明察だ、使い魔の紀人。悪いがこの国じゃ、脳は交換可能な部品って扱いなんだよっ!」
そうして俺ことシナモリアキラは、マラコーダによって演じられることでこの場所に再生される。俺という記憶を呼び覚ますのは、俺たちに共通する仕草。すなわちそれは、
「発勁用意!」
『私』が告げたサイバーカラテの発声こそが召集の呪文。この生身の脳が幻視し幻聴し幻覚した幻肢幻脳にアキラちゃんは宿る。『俺』は役として、演じられると同時にマラコーダという人格を演じる。それはどちらが主従でもなく、相互に対象が変化していく関係性だ。俺はマラコーダの端整な顔で片目を閉じてみせた。おお、凄い、ウィンクが綺麗にできる。やっぱいいわねこの顔。
(アキラくん、女言葉がわざとらしくてきもい。マラコーダの演技するなら真面目にやってよ)
――失礼ね。今のは私よ。
俺/私はトバルカインを駆動させて大地を駆け抜ける。力士の巨体へと立て続けに呪的発勁が叩きつけられるが、マラコーダという蹴り技を得意とする人格となっている今、そのセンスと経験を生かした攻め方が可能になる。身体を交換したことによる違和感をちびシューラが感覚補正し、それでも埋まらない身体能力をトバルカインが補って強化する。
「腑抜け。女を天にし、自分を地にするような男は呪われてあれ。去勢された雄はすべて罪人であると知るがいい」
口汚く罵り声を上げるゾーイデルヒに思考が一瞬だけ乱れるが、そのストレスは即座に凍結して消えていく。
憑依した『私』ことコルセスカの呪力が右半身を駆け巡って手掌と脚部から放出される。次々と切り替わる一人称の視座は、もはや混濁して純粋な個人とは言い難い域に達している。しかし、それこそが『私たち』の強みだった。
【マレブランケ】とは、シナモリアキラの換装用頭部。
予備人格を確保しておくための弾倉にして武器庫の名前。
トリシューラは複数の頭部を保持したままこう言った。
「アキラくんの冗長化――まだ未完成だけど、ギリギリで機能して良かったよ。物理媒体に保存するのもいいけれど、それだと改竄や破壊が怖いからね。もっと広く、もっとふわっとした形態で、クラウドなアキラくんを実現するためのアイデアがこれってわけ。予定より随分と前倒しになっちゃったから、主要なアキラくんの換装部品が十二人全員揃ってないけど」
蹴り、蹴り、蹴りの応酬。圧倒的な速度と重さを兼ね備える力士の猛攻に、一瞬の隙が生まれる。直撃こそ回避したが、衝撃の余波が接続部を軋ませ、強烈な負荷がかかる。網膜に広がる警告の文字。緊急離脱していくマラコーダを見送りながら、私は次なる人格を迎え入れて個として凍結させる。
「僕の計算によれば勝利確率は百パーセントくらいじゃ、ない、かと――」
見上げるような巨体を前にして、僕ことファルファレロの声が縮こまっていく。いやだって、僕ちょっと前までインドアユーザーだったし? ちょっとこれきつくね? いや、そもそも首ちょんぱされてるとか寝耳に水なんですけどマジでトリシューラ大姐怖過ぎる。逆らえないし逃げられない。
(いいからはよいけ)
「はいいぃぃぃ! ええい、言理の妖精、発勁用意!」
そして俺は、本来碌に操れないはずの言理の妖精の力をその身に纏う。
全身を取り巻く呪文の帯は、眼鏡の少年が見ている世界の形だ。この世界に向き合うためのツールとして呪文を選んだ者の道。端末を叩くようにして、呪文と拳を同時に突き出す。
転移して回避したゾーイデルヒだったが、摸倣子の痕跡を辿って妖精の呪文が飛躍する。それは光の速度すら超えて相互に影響を及ぼす遠隔作用。転移者に対して放たれた呪的発勁は回避不能の一撃となって転移先の力士を蹲らせた。
「次! カルカブリーナ!」
女王の命令に忠実に従って、ゴーグルを付けた頭部が投擲される。
放物線を描いて僕の頭を弾き飛ばしってちょっと扱いひどくないですか――と、やや荒っぽいが接続成功か。肉体の動作を確認し、ゴーグルに表示された陛下の指示に従って「発勁用意」と声を上げる。俺自身と一緒に投げつけられた機関銃を両手で保持して、俺は銃士としての適性を存分に発揮する。
「サイバーカラテの『遠当て』ってものを見せてやる」
両手で保持した鋼鉄の杖に手掌と指先から呪力を伝達させ、引き金を引いて銃弾をばらまいていく。前世ではせいぜい猟銃や拳銃を多少触ったことがある程度の俺にとって、こうした『杖銃』の扱いは多少困難なものとなる。だがそこにカルカブリーナの銃士適性が加わることで、俺は自在に銃撃が行えるようになる。手足のように銃口を動かしていくと、回転する銃弾が刻印された呪紋から輝きを放って次々と力士の巨体に突き刺さっていく。
そのまま力士の『本体』を蜂の巣にしてやろうと全身を銃弾で探っていこうとするが、相手もやられっぱなしではいてくれない。ゾーイデルヒは足に呪文の帯を纏わせて、勢い良く大地を踏み抜いた。大仰な四股踏みではなく、最速の震脚だ。衝撃波が呪力を伴って大地を伝い、隆起していく岩盤が無数の槍となってこちらに迫り来る。
やべえ、死ぬ、逃げるか、いやもう降伏しちまえばいいか――そんなことを俺は一瞬だけ考えるが、ふと脳裏に浮かぶのは親父を見捨てずにいてくれた陛下の姿と、道場で拳を交わしてきた師範代の顔。不思議な事だが、どうしてかその顔は毎日鏡に映っている俺自身の顔だった。まあ俺は俺だから同じ顔なのは当たり前なんだが――。
そんな事を考えている内に足下で隆起した岩槍がトバルカインの胴体に接触、装甲が弾き返そうとするが、槍にまとわりついたゾーイデルヒの高位呪文が強化外骨格を粉々に砕いて腹部を貫き、そこから枝が伸びるように小さな槍が生えて全身が内部からずたずたに引き裂かれてしまう。
激痛を受け持ったコルセスカの思考が一瞬だけ乱れ、続く力士の突撃を回避しきれない。今度こそ死ぬ。いや、死んでたまるか幾ら何でもそいつは御免だ。
(うん、その思考は正しいよ。ほどほどの忠誠心で仕えてね、交換可能なカルカブリーナ)
ちびシューラの賞賛と同時に、背後から巨大な肉体がシナモリアキラの胴体部分を弾き飛ばす。義手とカルカブリーナが接続され、屈強なレスラーの周囲に張り付いていく狼の骨。強化外骨格が再構成される。
「おらあああああ!」
頭はそのままなのでまさか胴体の性質が伝わったわけでもないだろうが、俺は腹から大音声を響かせて突進していく。
トリシューラが投げたのは、今度は頭部でなくカニャッツォの肉体だ。屈強な筋力がトバルカインによって強化され、『超鍛えた俺は強いパワー』が染み込んだ汗臭い肉体が跳躍する。強化外骨格の運動性能が可能とする、両足を揃えてのドロップキックがゾーイデルヒの顔面に直撃。
「喰らいやがれ!」
吼えながら、相手の後ろから右腕を伸ばし、もう一方の手で相手の後頭部を押し込むことで喉を締め上げる。右腕による空間凍結によって転移を封じ込めた、渾身の裸締め。頸動脈を圧迫して『落とす』のが狙いだが、力士の巨体が想像を超えた怪力を発揮、揺れる禿頭が放電しながらこちらを弾き飛ばす。
「まだまだ、交換可能な部品はいくらだってあるんだよ!」
俺の後方で後方支援に専念するトリシューラが強気に叫んで見せた。
今の彼女は浮遊する衛星脳、頭部の首飾りといった装飾のみならず、夥しい数の手足や胴体をその足下に積み上げていた。がらくたにも見える残骸の山頂で、彼女はその全てを俺の拡張身体として扱っている。
主人である以上、犬を足蹴にするのは当然だろう。その有り様は、あまりにも自然に感じられて思わず穏やかな気持ちになるほどだ。
無機物の腕と有機物の脚が連なったスカートを身につけたトリシューラが、次から次へと追加兵装を投げつけてくる。俺もまた彼女を見倣って複数の腕を強化外骨格と接続。サイバーカラテ道場における多腕型サイボーグ/種族用戦闘プログラムを駆使して次から次へと打撃を繰り出していく。
――かつてのトリシューラはシナモリアキラがいた世界の転生設備をそのまま利用しており、いわばそのシステムをクラッキングすることで外世界人を使い魔として我がものとしていた。
いくら頭部を取り替えようと情報としてそれらが同一であるならば、その枠の中でシナモリアキラは維持され続ける。エネルギーを喰らいながら他者を絶えず踏みつけにして生きながらえる。
(そんなの当たり前なんだけどね――でもアキラくんは頭が悪いから、『そんなこと』で苦しんでしまうんだ。私は、そんなアキラくんの頭を良くしてあげたいの。人を食い物にしながら楽しく大量消費する生き物になって欲しい)
それは、いつか俺が望んだ殺人鬼の言い換えだった。
ちびシューラの声が、柔らかく俺の心に届いてくる。
(人の欲望によって引き出され、人の仕草によって再現される、振る舞いとしてのサイバーカラテ――そしてその型と動作は記号としてアキラくんに結びつけられる。蓄積された歴史そのものが、武術体系を擬人化させるんだよ)
無数の脳は断片的な記憶と視座となってサイバーカラテ道場の中に取り込まれていく。破損した脳、再起不能な心が様々な視座と連結することで仮想的に息を吹き返していく。それは、脳を補うというサイボーグとして。彼らは俺の一部であり、俺は彼らの力を借り受けることでその存在を保てている。サイバーカラテ道場こそが俺の命であり居場所だ。
(ねえ、アキラくんはこんなにも沢山の人に生かされている。集合知なんて、まだまだ無駄も沢山あるのにね)
その無駄は、きっとコルセスカが生かしてくれているのだろう。
集合知サイバーカラテの真髄は、その幻想を呪術として幻視することから始まるのだと俺たちは理解しているはずだ。
俺はもう、まともな意味でのサイボーグでもなんでもない。
幻想を再帰させる呪動有機体。
(私が一番上手にアキラくんを演じられるんだから)
そしてトリシューラは、俺の全てを代行する。
望み望まれた、俺たちの在り方を体現するために、全力で。
「来い、グレンデルヒ。お前に本当のサイバーカラテを教えてやる(キリッ)」
――茶化すのは止めろ、トリシューラ。
地上で続いていく泥臭い血戦。
その上のステージで、上位者同士が対峙する。
そこは現世でありながら異なるレイヤーの空間。
戦場と重なり合うもう一つの戦場で、グレンデルヒと俺たちは向かい合う。
紀人の階梯に至った俺の左側には、トリシューラが立っている。
神に近い座へと存在の位階を上げた俺は、ようやくこの場所に来ることができた。コルセスカとグレンデルヒが俺とゾーイを操作して戦っていた上位次元。世界を俯瞰で眺めるという一人称を超えた三人称の視座。
眼下では一人称視点で俺の操作に集中しているコルセスカとマレブランケが力士と渡り合っていた。こうやって見てみると始めてわかることがある。一人称という個人はとてもあやふやで、ふとした拍子に他者と影響し合い、互いに融け合ってしまうものなのだと。
人は相互に影響し合い、己という存在を誰かに投げかけ、また誰かという存在を己の中に受け入れやすいもの。自覚の有無にかかわらず、人類とは大いなる使い魔の環の中にいる。
トライデントが強い理由、その一端が理解できた気がして身が震えた。階梯を昇ったといっても、未だ紀元槍に触れる資格を手にしただけに過ぎない。まだまだ俺は『人』の範疇に留まっている。
「これこそが邪視と杖の複合呪術、【千の顔を持つ英雄】だよ。アキラくんという類型的キャラクターを演じる役者たちを呪具として用意して、様々な解釈とそのゆらぎが一つの世界観を紡ぎ上げる。サイバーカラテ道場という史上最大級の肉体言語魔術の仮想魔導書が、一人分の紀人を生み出すの」
トリシューラが言うとおり、俺はその在り方を変質させている。というより、今もなお変質させ続けている。
俺は多種多様なサイバーカラテユーザーたちの演技を摸倣して、同時に俺を演じているサイバーカラテユーザーたちの役を演じる。
役であり、役者でもある。それが今の俺だ。
何の事は無い、再演の旅路で俺がずっとそう在ったのと同じこと。
上位トリシューラによって計画されていた、使い魔の紀人化計画。
それが遂に完成しただけだ。
思えば、目の前にいる紀人グレンデルヒも、そして情報の新陳代謝により不死を体現する外世界の転移能力者たちも、保守的な在り方から逸脱した人類だ。特にゾーイとケイトに関しては、定義上俺と同じテセウスの船型サイボーグという位置付けが可能である。
つまり、今ようやく俺たちは同じ土俵に上がることが出来たのだ。
(役者の視座――ふむ。キャラの名前が覚えられないから声優さんの名前で識別するみたいなものですね)
戦いの最中にコルセスカが納得したという表情で頷く。視線は『画面』から動かしていないままだが、よくわからないたとえだった。というか、どうやらトリシューラから俺の存在の在り方を変質させることについて相談は受けていなかったらしい。不満は無いのだろうかと思ったが、考えてもみれば単にコルセスカと同じになるだけなのでそんなものが出るはずもなかった。
「いや、別に声優に限らず役者全般そうだけど――まあセスカが理解しやすいならそれでいいや。そう、アキラくんそれ自体のキャラが乗っ取られて弱体化させられたのなら、高い存在強度を持つ役者に演じてもらえばいい。数は多ければ多いほどいいよね。とりあえず主要な『劇団員』を絞って回していく予定」
トリシューラが語るのは、存在強度のアウトソーシングだ。
『キャラクター性』を外側から借りてくるという呪術。その役者が過去に演じてきた幾多のキャラクター、無数の仮面から覗く役者の『顔』や『色』――それらを参照し、引喩する。
俺の痕跡を歴史に刻んで復活させる契機となった六王たちは役者ではないが、歴史や物語として語られる中で多様な顔を演じてきた。
ゆえに、その全てのイメージが集結したとき、それは全てサイバーカラテに統合されていく。
「下らん。それはお前ではない」
粗雑な牽制の呪文を、俺はサイバーカラテ道場から引き寄せた一つの流派を呪力に変換して迎撃する。呪力の流れが激突し、攻防はいつしか近距離での殴り合いへと突入する。俺とグレンデルヒが拳を交える間にも、この超人は口から呪文を紡ぎ出してこちらの存在を砕こうとしてくる。それに対抗するのは、【千の顔を持つ英雄】を維持しているトリシューラだ。
「そんなことない。アキラくんはここに、私たちのそばにいるよ! 『自己』とは、心という抽象的な概念だけに宿るのでも、脳という器質的な実体だけに宿るのでもない。有機的なシステムとしての固有性――その運動とゆらぎの中に、継続して存在し続ける――それが私が目指すもの。神話という幻想を再帰させ続ける、無限の自己複製はここにある!!」
そこではもはやサイバネティクスの根幹を成す入力と出力、それに伴うフィードバックという概念が存在しない。
『自己』の境界を自ら定めるがゆえに内部と外部の区別は無く、ただ自己複製を自律的に行い続けることができる、閉じた円環の系。
外的情報の処理と制御というサイバネティクスのその先へ。
それは、システムそのものが内部からシステムを観察する、再帰的情報制御機構。
サイバーカラテは適応を繰り返す。代謝と異化、形式の破壊と集合知の内破が新たなる秩序を繰り返し生み出していく。変態するように、転生するように。
「発勁用意――NOKOTTA!!」
咆哮と掌打。激突する呪力と呪力。ここにサイバーカラテは再認された。
セカンドオーダー・サイバネティクス。
その名はサイバーカラテ道場。ミーム渦巻く原初の混沌。
乳海攪拌より誕生するゆらぎの神話。
そこに存在するシステムを、観察し、記述し、認知するというプロセスを実行するのは超高度人工知能たるトリシューラの役割。
そして、幾多の視座を統合し、『シナモリアキラ解釈』の結節点を見定め、固定するのはコルセスカの役割だ。
だが、この【千の顔を持つ英雄】という呪術は危険を孕んでいる。
自己同一性を融解させる禁忌――使い魔の禁戒呪法、融血呪に余りにも近付きすぎているからだ。
存在の神話化、紀人への到達。
その為にトリシューラがとった手段は余りにも危うすぎる行為だった。
トライデントの細胞、【左腕】のトリシューラ。
彼女が否定したその未来が、現実になってしまうのだろうか?
「違うよ。だって、ここには無数の視座がある」
上位レイヤーで俺とグレンデルヒが、下位レイヤーでマレブランケとゾーイが死闘を繰り広げる中、トリシューラとコルセスカは真摯なまなざしでその戦いを見届ける。そしてそれこそが俺という存在を強化する最大の支援だった。
「同じ役を演じていても、同じものは一つとしてない。だってそこには役者の解釈が、視座があるんだもの。同じ存在を参照していても、それは常に揺れ動いて新しい世界を生み出すんだよ。同じように、役は媒体となって役者の異なる側面を引き出していくんだ!」
サイバーカラテユーザーたちが織りなす、愚かしくも賢しらな巧拙入り交じった演技の揺れ幅。それが個というパターンの神秘性であり、その運動こそが自他を切り分ける。他ならぬ身体性の躍動がそれを規定する。
ならばそれは自我の叫びであり、個の主張だ。
「これは融合じゃない。愚かな反発と激突だらけの、でたらめな不協和音の集積は綺麗な音楽なんて響かせない。これは混沌。絶えざる破壊を繰り返し、瓦礫の山から再構築を行う、色界の頂、三千世界の主が天意!」
雄々しく巨大な野望を宣言するトリシューラ。
サイバーカラテ道場を統べる超高度人工知能として、全てを掌の上に。
女神候補の一人として、暴君の欲望を世界に押しつける。
「ありふれた欲望、ありふれた癇癪だ。人に仇為す悪とは、皆お前たちのような類型的な思考をしている。暴力で意思を押し通しておいて特権者気取りか、この屑どもめ。力あるものとして、紀人として、卑しい在り方は許されん!」
グレンデルヒはそんなトリシューラの有り様を根底から否定し、貶める。
それは身勝手な欲望で他者を巻き込む悪だと、英雄として正義を掲げて立ち向かう。秩序を揺るがせようとする魔女と悪魔を打倒しようとする英雄という構図は、至極真っ当な物語の流れに沿っている。
「私はこの世界に望まれて在る英雄として、邪悪なる存在を討ち滅ぼさねばならない。忌まわしき悪魔よ、悪しき女よ、我々の世界から去れ!」
加えて、俺とトリシューラの人格と悪性が類型的だと示す事で、その価値を低下させ、存在を貶めていた。典型的な呪術戦闘の定石だ。
しかし、俺たちはそんなことは百も承知の上でここに立っている。
そんな弾劾は、もはや何の意味も無い。
「私はね、アキラくん。別にあなたじゃなくてもいい。そして、私はあなたの、そういう凡庸な、あなたじゃなくてもいい所ゆえにあなたを欲するの」
己を交換可能な存在と位置付ける世界観。
それこそが交換不可能な価値観となってこの呪術世界に根付くとき、俺という異邦人は『杖』の根本原理を体現した紀人に至る可能性を持つようになる。
グレンデルヒの浄界、【闘争領域の拡大】もまた価値を操作する呪術。
ならばトリシューラと俺は、共にグレンデルヒと激突する運命だったのだ。
同じ『座』を巡って、奪い合うがゆえに。
拳と拳が、呪文と呪文が、意思と意思が激突し、どちらのものかもわからない鮮血が飛び散っていく。グレンデルヒが叫んだ。
「この『私』こそが、比較される価値の最上位にして絶対者。槍持つ英雄として地母神を屈伏させる雄々しき紀人なり!」
それを受け、俺もまた吠える。
ちびシューラの演技指導に従って、台詞を読み上げるように、芝居をするように、呪術儀式を執り行うかのように。
「『俺たち』は、混在する視座の編纂者にして調整者。はじまりの混沌である沼へと槍を突き立て、共にかき混ぜることで新たな秩序を生む破壊の紀人」
グレンデルヒが応じて曰く。
「私が立つこの場所こそが英雄の座」
男の背後に輝くのは屹立する槍。あらゆるものを貫き、引き裂き、屈伏させる武力の象徴。男性的暴力の顕現。
「俺たちが立つこの場所こそが暴君の座」
俺の拳を取り巻いて輝くのは蓮華。
そして、その裏に重なるように広がる三弁の黒百合。
運命の大鍋。血の壺。子宮の中の胎児。大地の中の屍。流転する命。花びらに包まれていく槍。回帰する闇の門。それは洞窟。それは森。
交わす拳は演武のように。
定められた手順をなぞった攻防が、向かい合う双方の空間を埋めていく。
グレンデルヒが振り下ろし気味に叩きつけた拳打を外側に流して、渾身の一打を突きだした。呪力と共に、新たに得たまことの名を手掌から解き放つ。
宣名発勁。俺を体現する新たなる形が衝撃となってグレンデルヒを貫いた。
そして俺は、新生した脳内アプリケーションを起動する。
「法境-意識制御アプリ【Epoch-Emulator】!!」
解放された宣名呪力が、六王が蓄積したサイバーカラテの権威を一点に収束させ、グレンデルヒの体内で炸裂した。
浸透した呪力が肉体を内部から膨張させ、グレンデルヒは絶叫を上げる。
目、鼻、耳、口と穴という穴から閃光を溢れさせていく。
最強の英雄であった男が、一歩、二歩とよろめくように後退。一瞬の間を置き、全身を塵にして四散していった。
消えゆく存在が、捨て台詞のように囁きを届けてくる。
「――忠告しておいてやる。すぐに奈落の蓋が開くことだろう。お前たちは取り返しのつかない災厄を過去から呼び起こしてしまったのだ。私に任せていれば、確実に災厄を抑え込めたというのにな。その為に『太陽の都』を目指した。その為に第五階層の覇権を狙った。しかし、時計の針はもう戻らない。再演という解釈の刻印は不可逆だ。情報は消す方が難しい。これより、この内世界は血みどろの戦国時代に突入するぞ。お前たちの行動の代償は高くつくであろう」
不吉な予言。
しかしトリシューラは鼻で笑って一蹴して見せた。
「敵がより強大な敵から人類を守ってた、って良くある展開ね。うんうん、知ってた。でもね、だから何? 私は私の目的の為に、他の誰でもないこの私が第五階層を救う女神でありたいの。私に従属しない英雄は死ねばいいよ」
「その為に、人々が犠牲になってもいいと?」
暴論に対するまっとうな問い。
だが、それに対してすらトリシューラは一貫した姿勢を崩さない。
「うん。私はこの欲望の器を満たす為に動く。良き為政者ではなく暴君であるのが私という荒ぶる女神だからね。災害だと思って、せいぜい死力を尽くして立ち向かってくることだね。相手になるよ、か弱い人間さん」
開き直った我欲の化身の有り様に、グレンデルヒはどこか羨むような眼差しを送りながら、それでも最後に聞くに堪えない罵声を浴びせて消えていった。
トリシューラがむーっ、とふくれてみせる。
「私、生殖機能とか無いもん! しっつれいしちゃうよね!」
その憤りはよくわからないが。
何も無くなったその場所で、俺は新たに得た自分の輪郭を確かめる。
感覚・感情制御アプリ【Emotional-Emulator】のその先へ。
壊れた過去の輪郭を縫い合わせた、継ぎ接ぎのツールであっても、それは確かに再生してエネルギーを生み出していく。
そうして転生した存在が、世界に向けて己の在処を主張するのだ。
産声を上げるかのように、歓喜と絶望を引き裂くように。
今ここに、新紀元を画し、偽りの紀人が生誕した。
グレンデルヒの存在が消えて、瓦礫の中に残ったのは外世界から来訪した力士、ゾーイただひとり。包囲された彼女は劣勢に立たされている。戦闘用の機体を失ったケイトが傍に出現するが、一度トリシューラに敗北した記憶は新しい。
力士はグレンデルヒの敗北を悟ると、深く溜息を吐いて、
「ったく、負け戦だなー。もうやってらんないわー」
(おいおい、職務放棄かい? 流石にそれは看過できないな。ただでさえ予定してた滞在日数超過しそうだってのに、怒られちゃうよ?)
「うっわー、嫌な現実を見せないでよ。ま、この状況でも潔く降伏なんてできないのが悲しいところだよねーっと。んじゃ、いっちょ派手にぶちかますか。ケイト、アレやるよ!」
ゾーイが両手で柏手を打って派手に大気を揺らした。
気力を入れ直した表情には活力が宿っている。
(正気かい? まあ、いいか。ここまできたら、どこまででもやってやろうじゃないか。出来れば死なないでくれると嬉しいけど)
俺たちは、一応といった体裁で問いかけておく。
「こっちとしては退いてもらえると嬉しいんだが」
「ここまできてそれは無いだろ。グレンデルヒの横槍が入って楽しめなかったし、私はもうちょっとその状態のあんたとやり合いたいって感じ。いいじゃん、もうちょっと楽しもうぜ? ほら同じ名前の仲じゃんか」
どういう仲だよと思ったが、軽い口調で言うゾーイの言葉に共感している『自分たち』がいるのもまた確かだった。
複雑なことを何も考えずに異世界で派手に暴れたかった『俺』と、一度負けた返礼と蹴り技の名手という誇りを取り戻したいという『私』と、地下闘技場で無敗を誇ったこの『俺様』がこの力士と正々堂々とした決着を望んでいるという――カニャッツォ、お前内心の一人称そんなんだったのか。
肉体パーツを入れ替え続けた今の俺は三面六臂の阿修羅像のような姿で、操作するコルセスカは「追加ユニットの重量配分とエネルギー効率、更にビジュアル面も勘案するとこの形態が最強のアキラです! 完璧!」とかそんな感じの事を俺の口から漏らしている。大丈夫かこいつ。
「わかったよ。どっちにしろ避けては通れない道だしな。じゃあ、やるか」
合意は成立した。瓦礫に満ちた広大な荒れ野、ここが俺たちの土俵となる。
トリシューラとコルセスカは既にやる気に溢れており、空中で巨大怪獣みたいなのに乗っている死人の森の女王(なんかどえらい姿になってる。人の事は言えないが)と六王はすっかり見物する姿勢だ。
「がんばってくださいねー♪ 勝ったらご褒美ですよー♪」
敵と見定めていたグレンデルヒを倒したからだろうか、すっかり空気が弛緩して、なにか娯楽を観賞するような姿勢だ。
だが、事実として俺はこの相手との戦いを楽しんでいる。トリシューラはこの戦いをネット配信して新生したサイバーカラテの宣伝にするつもりだ。
サイバーカラテは、戦いは娯楽だ。それはもはや、興行に近い。
「それじゃ、異世界巡業といきますか!」
ゾーイが気合いを入れると、俺と力士の中間に浮遊した行司姿のケイトが独特の節回しで、
「ひーがーしー、沼ー乃ー花ー、沼ー乃ー花ー」
とゾーイの四股名を呼び上げる。沼乃花っていうのか。
続いて俺の名が呼び上げられる。それは、
「にーしー、品ー森ー晶ー」
俺の前世での名ではなく、あくまでもこの世界における転生者としての名前だった。敵が俺をそう認識しているということ。それが愉快でならないと俺の中の誰かが感じていた。
俺は演出で盛り上げたいというトリシューラの指示に従ってゾーイから距離をとり、『土俵』に向かって軽快に駆けていく。トリシューラが威勢の良い曲を再生し、同時に腰に取り付けた大量の腕を投擲。何らかの呪術で空中にずらりと並んだ手を片っ端から叩いていく。死人の森の女王が地の底から呼び出した巨大な骨の柱と連なった筋肉のロープが目の前に出現。俺は高々と跳躍し、骨の頂点に手をかけると土俵の中に飛び込んでいった。
そこで、死人の森の女王の浄界が発動。視野を狭めて限定的に展開された浄界が、リングの内側に広大な異世界を構築していく。ここならばこれ以上第五階層を破壊せずに自由に戦えるというわけだった。
青い大河が傍を流れ、丈の短い草木が足下でそよぐ。
広々とした彼方には山脈が壁として立ち塞がり、蒼穹の天井が高く築かれる。
水辺の両側には平坦な草原が広がり、純粋に闘争だけに専念できるといった空間となっている。空中には透明な泡に包まれた観客たちが口々に野次や応援を飛ばしていた。
力士が片足を高々と掲げ、四股踏みを行おうとしている。
巨大な脚が振り下ろされると同時に、彼女は力強く宣言した。
「いくぞ、超力士合体!」
「は?」
唖然としていると、ゾーイの足下から伝播した衝撃によって俺は吹き飛ばされた。え、何これ。もうずっとこんな感じではあるが、いやそれにしてもこれは。
次元の壁を突き破ってまず現れたのは巨大な軌道船。更に大地を割って二つのドリルが出現、無限軌道を回転させて大地を駆ける。その後を追って消防車、鉄球クレーン、更にはグラッフィアカーネを引き摺ってリニアモーターカーが土俵の中に侵入してくる。
「な、何なんですか、これはっ! 頭おかしい!」
絶叫しながら文句を言うビーグル犬が振り落とされて空中に投げ出された。死人の森の女王の計らいか、泡に包まれて空中で保護される。
無人機はゾーイの周囲を高速で走り回り、大気が渦を巻いていく。巻き上げられた水と草が竜巻に巻き込まれて天へと昇り、稲妻が走って轟音が響く。
(成功率は0.01パーセントを切っているんだ。無理をするなよ?!)
ケイトの気遣わしげな声にも構わず、ゾーイは肉体を強引に膨張させていく。限界質量を超えて自重で崩壊する部位を瞬時に転移、再構成させてより強固な肉体を生み出し続ける。全ての転移能力を巨大化に費やす、自滅的な力士の挑戦。
「足りない分は! 愛と勇気と信じる心で補うんだよっ!!」
絶叫が風を巻き上げ、見上げるような巨体が完成していく。
(やれやれ、君はそういうの好きだよね。まあいいさ、ふんばれ、一気に行くぞ! 出力限界を突破! 110パーセント、120パーセント、130パーセント――まだまだ、もっとだっ!)
「おおおおおおおっ!!」
嘘だろ。
もはや呆然と見上げるしかできない俺の目の前で、信じがたい奇跡が現れる。っていうかこれ、前世の常識に照らし合わせてもちょっとおかしいよね?
俺の困惑とは関わりなく、力士の闘気は際限なく上昇していき、そして。
「これが! 1000パーセントの!! 力だぁぁぁぁぁっ!!!」
ケイトが空中に浮かんだ謎の鍵穴に軍配団扇を差し込み、勢い良く捻る。
そして彼の目の前に現れたのはこのような文字列だった。
――DOSUKOI承認――
――DOSUKOI承認――
――DOSUKOI承認――
――Gotts/anders迅速変形――
集結した無人機の数々は、雷光を放つ力士の元へと集い、それぞれが変形を開始していった。全てが紫電を纏って天へと舞い上がっていく。
力士もまた、カブキスタイルの顔に気迫を漲らせて肉体を膨張させた。肉の質量が追加され、力士の巨体が更に膨れあがっていく。
巨大化した力士が、背後に軌道船を背負うように密着。肉体に生成された接合部が硬質な音と共に接続される。装甲車輌の先端に付いたドリルの角度がずれて、空いた空間に巨大化した脚部が侵入していった。ブーツのような装甲車輌が唸りを上げて肉と密着し、膝部分でドリルを回転させる。
更に、右腕に鉄球クレーン、左腕に消防車が嵌め込まれ、回転しながら迫り出したのは硬質な生体装甲に包まれた巨大な手。
最後に、変形した軌道船の上部をリニアモーターカーが貫通し、三両に分離して両端が肩を覆うパーツとなる。展開した軌道船が巨大力士を覆っていく。それはまるで鎧――否、強化外骨格のように。
それこそは大機巧力士の顕現。
巨大化したカブキスタイルの頭部の上に、軌道船から飛び出した鋼鉄の大銀杏が接続され、腰には巨大な注連縄型排熱管が形成されて大気を歪めていく。
無限軌道が足となり、踵には噴射孔。
巨大化した人類を覆うための、巨大な強化外骨格。無人機はその偽装に過ぎなかったのだ。ゾーイとケイトが如何なる手段でこのような兵装を手に入れたのかは不明だが、いずれにせよ信じがたい脅威であり、驚異でもあった。
消防車とクレーン車の両手を打ち合わせ、ゾーイが宣名する。
「異世界巡業ごっつあんです! 横綱大神! ゴォォォッツアンデルスッ!!」
柏手と四股踏みを繰り返し、天地を鳴動させながら超巨大力士が世界に己を叫んでいた。俺の中でやたらと盛り上がっているコルセスカが「よいしょー!」とか言ってるけど楽しんでるなお前。
息を飲む。状況は極めて険呑だった。俺たちが共有する虫喰いの知識が、目の前の現象に対する理解をもたらしていく。
横綱大神ゴッツアンデルス。
『異神』とでも訳すべきその言葉は、樹状積層都市ヴェストドイチュラントに伝わる幻獣バルトアンデルスから引用されたものだ。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスの著書『幻獣辞典』において紹介されたバルトアンデルスは、様々に姿を変える神を起源としているのだという。由来の定かならぬ異貌の神々――まさしく外界から越境してきたアウターゴッズ、つまりゾーイたちのことに他ならない。『異世界巡業』を繰り返し、異世界転生業の汚点を消して回る掃除屋としての自意識がそのようなひねくれた名前を付けさせたのだろうか――邪推しても仕方が無いことだが。
(驚いているようだね。これが僕たちの切り札、多世界汎用人型決戦兵器ゴッツアンデルスさ。力士の肉体を拡張し、その力を増幅する強化外骨格。これは本当に偶然だけど、シナモリアキラ君がかつて使用していた右腕と同じアイゼルネハント社製の兵装だったりするんだよね)
ケイトが意外な事実を明かす。
有名なトライデントホールディングス傘下のその会社は、かつては欠損部位を埋める補綴器具などを取り扱う医療器具メーカーだった。現代では技術進歩の流れの中で機械義肢や強化外骨格なども取り扱うようになっている――という知識が浮かび上がってくる。なるほど、意外な縁だ。
と、そこで引っ掛かりを覚える。
トライデント?
いや、偶然だよなこれ。ありふれている固有名詞だし、こっちの四魔女は前世の三叉槍から名前をとっているって聞いたし。
(どうだろうね。シューラはそれを確かめたいな――というわけで、頑張って勝ってね、アキラくん!)
無茶にも程がある。
見上げるような、それこそちょっとしてビルディング並の巨大さを誇るあの巨体相手にどう立ち回れというのだ。
(何言ってるの。高さも重さも、足りないものは外側から持ってくればいいんだよ。アキラくんが言ってたことでしょう?)
ちびシューラの言葉に気付きを得る。そうだ、俺にはサイバーカラテがある。第一左腕のウィッチオーダーが熱を持ち、異形となった俺の身体に合わせてくれているトバルカインが無言で応えてくれる。
強化外骨格は拡張身体だ。ゆえに、それがどれだけ巨大であっても杖という枠組みの中に含まれる。
サイバーカラテ道場の公式トピックは三次元的な立体映像としてアストラルネットに居を構えているが、そこにちびシューラが現れて全てのサイバーカラテユーザーに呼びかける。
(はーいみんな、元気してるかな? 今日は良い子のみんなにお願いがあるんだ。特に第五階層にいるみんなにね!)
現れたちびシューラに野次と歓声が飛ぶ。ヘルプ:お前を消す方法って投稿したカラスアバターを無言で蹴り飛ばしてちびシューラが話を続ける。
(今、第五階層でシューラたちが異界の格闘家と戦ってるのはみんなが知ってる通りだけど、そこでみんなにお願い! みんなの視座をアキラくんに貸してほしいんだ! 今こそサイバーカラテユーザーの力を結集して、道場破りにサイバーカラテの強さを見せつけるんだ!)
小さな妖精が求めているのは、サイバーカラテユーザーの視座と、第五階層の住人が持つ物質創造能力だった。
それはマテリアル界に干渉する杖の呪術。トリシューラによって解放された知識は今や様々な独創と発展を生み出しており、フィリスの呪文の万能性と組み合わさって、あらゆることを可能にする。
(成果に応じて特典ポイントが付くし、有効打アイデア入れた人とアシストした人には更にボーナスだからね! 更に参加するだけで『文化多様性の確保に貢献したで賞』をプレゼント! 参加しない手は無いよ!)
ちびシューラが明るく説明していくと、サイバーカラテユーザーたちはこぞって参加を表明する。この戦いをお祭り騒ぎやイベントとして認識しながら。
事実、これは興行なのだった。
ウィッチオーダーを基点にして、ガロアンディアンを構成していた掌握者権限がトバルカインを更に強化拡張していく。
更に、俺というサイバーカラテの総体すらも変幻し、マレブランケやトリシューラが用意した補助部品などを取り込んで異形へと変じていく。
拡張身体としての巨大強化外骨格。それは六番義肢【鮮血のトリシューラ】が詠唱する杖のオルガンローデと同じように、幾多の光の粒子を吸い込んで新たな部位を無限に追加し続ける。
それはガロアンディアン、サイバーカラテ道場という『王国』が築き上げる混沌とした視座の結節点。ああでもないこうでもないと修正を加え合いながら、増改築を繰り返す歪な巨大構造物。俺という存在が、無限に拡張され改変される。
(色々な部位や解釈を加えて、君だけのオリジナルアキラくんを作り上げよう! 最強の組み合わせを見つけて、ライバルに差を付けろ!)
ちびシューラがそう言うと、コルセスカが勢い良く提案を口にする。
(あのあの、名前を変換できるようにするってどうですか。アキラっていう主人公に没入しやすくするように。どうせ顔も不定ですし――あ、私はこのままでいいんですけど)
(採用!)
そういうことになった。
(好きな一人称を入れてね)は鋭角の柱となった足で大地を踏みしめる。巨大な質量が足下を激震させ、大河の水が荒れ狂った。巨大な左腕は黒銀のウィッチオーダーをそのまま大きくしたような形で、右腕は氷の義手を核として白銀の装甲で覆う形になっている。これが今の(好きな名前を入れてね)の姿。力士(ライバルの名前を入れてね)が不敵に笑う。
「いいね、気合いの入った姿だ。そうでなくちゃ張り合いが無い。さあ、千秋楽を始めようか"NAME1!!」
(あっ、これちゃんと表示されてない! ちょっと(ヒロイン1の名前を入れてね)、修正です修正! (ヒロイン2の一人称を入れてね)たちの視点では普通にアキラでいいですから!)
――俺は拡張された筋骨と人工筋肉、それらを覆う積層装甲に呪力を伝導させ、正面のゾーイと視線を合わせる。
作法に従い、双方が土俵に両手を突く。相手は堂に入った力士のように。俺の方はクラウチングスタートのような変則的な姿勢で。
外部から入力されたミームエネルギーが内蔵された呪術円陣によって変換され、各運動器系人工器官が唸りを上げて、骨軸と周囲の人工筋肉繊維に送電開始。全身で渦巻く呪力が回転運動から生み出されたエネルギーを動力に変換。
「発勁用意!」
「はっきよい!」
完全に同時だった。
双方の機械的駆動の呼吸が噛み合い、大地を揺らしながら巨大質量が激突する。先にこちらを圧倒したのは力士ゾーイだった。強靱な足腰が生み出す神速の突進によって、こちらは一瞬のけぞりかける。しかし。
「NOKOTTA!!」
気合いと共に脚部が変形。前後左右に割れると、光の粒子が収束してそれぞれの脚部を補強。六脚となった俺は身を低くして前を向いたまま高速で後退していく。多脚歩行戦車じみた挙動をしながら、俺は左腕外側から迫り出した杖砲にエネルギーを充填、間を置かずに発射する。
巨大力士は腕の消防車から高圧の消火剤を噴射して凝集光を減衰させ、続いてもう片方の腕から鉄球を射出。轟音と共にこちらの胴体に直撃し、盛大に吹き飛んで後方の脚が関節から砕けていく。
生じた隙を狙って、力士が大跳躍。独歩跳膝とでも言うべき飛び膝蹴りがドリルの回転を伴ってこちらの頭部を粉砕。電子兵装が破壊されケイトの呪文が侵入を開始するが、それをコルセスカの【氷】が防ぐ。俺は内包したチリアットから借り受けた魔将ダエモデクの細胞を活性化させ、胸から生えた亜竜の頭から毒霧の吐息を吐き出した。生体装甲を腐蝕させる攻撃に、たまらずゾーイが後退していく。
攻防は一進一退。俺は巨大な肉体を絶えず拡張させていくが、量子力士たる相手もまた条件は同じ。ゾーイがリニアモーターカーの肩から流れ出す磁力を両手に纏わせて抗磁力突っ張りを繰り出せば、俺は右手の凍結発勁でそれを受け止め、左手に作り出した釘撃ち器から巨大釘を射出。
毒霧の吐息、火炎放射、釘撃ち、ドリル。砲口が火を吹いて、蹴りが大気を震撼させ、巨体同士とは思えないほどのアクロバットな空中戦が繰り広げられる。
サマーソルトキックを警戒させてからのドリル射出という奇襲によってこちらの胴体が貫通され、一時的に右腕が動かせなくなる。修復に回すリソースが足りないまま、力士が突っ張りを放つ。回避が間に合わず、消防車の梯子に偽装された刃が右腕を切断。戦力を半減させた俺に密着したゾーイは、両手をこちらの腰部分に回した。装甲の突起を掴まれる。
まわしをとられた。
死の確信が意識を駆け巡り、打開策が渦を巻くが妙案は浮かばない。この状況でゾーイにまわしをとられるということは、それほどの窮地である。
身体が浮遊し、豪快な上手投げが決まる。大地に叩きつけられて、各部位が損壊して警報が鳴り響く。容赦のない殺し合いはここで決着しない。ゾーイが巨大な足を持ち上げた。とどめは足でこちらを踏み潰すつもりなのだ。
まずい。
今の俺は、サイバーカラテ道場の威信をかけて戦っている。
道場の看板を外世界人に奪われたとなれば、その権威は失墜。
俺という存在は紀人としての力を失い、最悪消滅してしまうだろう。
(消滅しなくても、零落して『一発屋のサイバーカラテ芸人』とか『怪人サイバーカラテマン』とかそのレベルの存在になっちゃうよ!)
ちびシューラの言うとおりになれば、俺は羞恥のあまり生きる気力を失って死んでしまうだろう。俺のメンタルは恥ずかしさに抵抗力を持たない。
絶体絶命の窮地。振り下ろされる足、迫り来る『サイバーカラテ? ああそんなのあったね』の未来。閑古鳥の啼く寂しい道場。
時間の感覚が引き延ばされ、一瞬が永遠となる。
それだけは絶対に許容できない。
奮起した意思が、最適解を求めて生き足掻く。
集合知の混沌に打開策は無い。ならば、外側から持ってくるまで。
サイバーカラテという巨大な渦が、高みの見物を決め込んでいた観戦者たちを招き寄せる。強引に、支配するように。
――面白い。
そんな意思が六つ、俺の中に流れ込む。
時間が加速し、力士の足が踏み下ろされた。
激震と巻き起こる粉塵。
割り砕いたのは、誰もいない大地。
俺は間一髪で回避に成功していた。全身に鱗のような装甲を纏い、球体のように丸まって地面を回転していったのだ。大河の中に入り込むと、その姿を更に変貌させていく。それは白き蜥蜴の牙と、稲光を纏う猛犬の頭部と、数秒先の未来を予測する十字の目と、多関節の機械腕、そして漆黒の翼を兼ね備えた異形。
六王たちの力を土壇場で取り込んだ俺は、全ての呪力を集約して最後の突撃を敢行する。もはや余力は無い。これで全てを決める。
俺の視界に次々と映っていく無数の顔。
その全てが俺自身の姿。
外部から取り込んだ力、それは俺自身ではないのと同時に、全てが俺を構成する一部となる。俺には外部しかない。他力本願、それが俺の本質だ。
流れていく顔ぶれが、全て俺に呪力を注ぎ込む。
数々の見知らぬサイバーカラテユーザーのアバターが浮かび上がり、続いて良く見知った顔ぶれが俺の中に浮かんでいく。
トリシューラとコルセスカをはじめとして、気紛れに力を分け与えてくれている六王、レオとカーイン、それから俺、俺、俺、俺、俺、そして。
「俺、お前も来てくれたのか――!」
(待たせたな)(ここでお前に負けて貰っては困る)(勘違いするな、善意でやっているわけではないのだからな)(これからは心機一転、サイバーカラテユーザーとして頂点を狙っていく)
俺、それに俺まで!
次々に現れる俺たちが、鋼鉄の頭部を上書きしていく。それは蓬髪を逆立たせた巨大な俺の顔だった。
「んなアホな――?!」
ゾーイが愕然として叫ぶ。
無理も無いが、これは必然だ。
紀人は通常の意味で死ぬことはできない。とりわけ、使い魔の紀人は。
俺、つまりサイバーカラテに敗北して存在を零落させたグレンデルヒは、卑小な存在へと貶められる寸前、一計を案じてトリシューラに取引を持ちかけた。
自分をサイバーカラテの内部に取り込まないかと。
彼自身がサイバーカラテの内部に吸収されれば、彼が最強の英雄であることは矛盾しなくなる。サイバーカラテは最強であり、それを使うグレンデルヒもまた最強。相互に高め合う権威の呪力が、俺の力を増幅させる。
(今ここに、グレンデルヒ=ライニンサルという存在をアキラくんの中で再定義する! 汝の名は【アルレッキーノ】!!)
かつて敵であった強大な英雄を、【マレブランケ】という呪いで束縛する。
異界の名で呪縛されたグレンデルヒがその形を変えていき、道化師のような拘束具で自由を奪われる。杖の魔女を上位者として絶対服従を誓わされた英雄から、膨大な呪力が絞り出されて俺を強化していった。
俺の背後に増設された三角錐のブースターが高濃度の呪力を噴射して、更なる速度を生み出した。勢いのまま繰り出すのは渾身の突き。多種多様な呪術を付加した混沌発勁が大地を激震させながら放たれる。ガードした力士の腕装甲がガリガリと音を立てながら削れていった。
相手は攻撃に耐えながら虎視眈々と反撃の機会を狙っている。カシュラム十字の予測眼が数秒先を幻視。相手が間合いを超越した転移吸い込み投げを狙っていることが明らかになり、俺は選択を迫られる。
打撃の出力を上げて押し切るか。それとも退くか。あるいは相手の脇下を突いて投げを抜けるか。サイバーカラテ道場を様々な議論が行き交っていく。統合制御して情報を取捨選択したちびシューラが、俺の目の前に選択肢を表示。
数が絞られてもまだ俺には決定出来ない。この土壇場であっても、ゾーイ相手に最適解を見出す事ができはしない。彼女はそれほどの難敵だ。どの道を選んでも必ず失敗の危険がつきまとう。
だから判断したのは、俺のストレスを全て受け止めてくれるもう一人の主人。
幻のゲームパッドを持ったコルセスカだ。
俺の意識に憑依した冬の魔女の魂が、思考時間を高速化させていった。
そして、ついに伸び上がった力士の腕が迫り来る。
だが相手が行ったのは転移によって間合いを広げた投げだけではない。
大地がひび割れ、こちらの足下が揺れていく。ゾーイは足裏を大地に押しつけ、完全に無駄のない効率でその大質量を下方向に押し込んだのだ。
こちらが気づけないほどに見事な無音の震脚。呪術的な託宣で高精度の予測を行うオルヴァの眼に気配すら悟らせぬ技量は、俺のそれを遙かに超えている。
だが、それでも勝つのはサイバーカラテだ。
加速した私/俺の認識は、逡巡の間すら超えて須臾を捉える。千兆分の一秒。生き物が認識出来ない僅かな時。極度の集中状態でなければ認識出来ないほどの微細な時間構造体が強固な縄のように感じられた。加速を制限する時の呪縛を、私は今この瞬間に生命の息吹より心臓の鼓動より速く超えていく。
――私以外の全てが遅い。
十倍の加速。瞬息の域に突入。時が凍る。
百倍の加速。弾指の域を突破。制止した世界に亀裂が入る。
千倍の加速。世界が砕け散る。
刹那の速度域。停止した時の中で指がボタンを叩く。
溶けだした時が急激に流れ出し、こちらの右腕が持ち上がる。広がった五指は投げを狙う形。だが態勢は悪く、相手の方が早く、引き込む範囲も広い。
だがコルセスカの瞳は正確に相手の挙動と間合いを見切っていた。
空間を超越して手だけを転移させる引き込みは、時空を凍結させる彼女の邪視によって知覚可能なものだ。そして己の土俵で負ける邪視者はけっしていない。何故なら邪視者とは、己の世界で最強であるものを言うのだから。
空間が揺らめいた一瞬、コルセスカが操る俺の腕が収束していく光の粒子を掴み取った。形成されたゾーイの腕をとると、逆にこちらに引き寄せられた力士の巨体が宙を舞う。強化された膂力が可能とする、豪快な一本背負い。
大地に叩きつけた巨体、その胸の中心部を狙う。
一切の躊躇無く足を振り下ろし、巨大な鋼鉄と肉塊の複合装甲を次々とぶち破って残骸と鮮血を吹き上げながら大地まで貫通させた。
呪的発勁。束ねた力が大地を爆砕させて、力士の巨体を内側から盛大に崩壊させていく。それを受けて、一部始終を見ていたケイトが行司としての役目を果たす。悲しみを瞳に浮かべ、俺の方を向いて軍配団扇を上げた。
呼び上げられた勝者の名を、サイバーカラテユーザーたちがそれぞれの勝利として受け止めて、歓喜の声を上げていく。
それが幕切れとなった。
「千の顔を持つ英雄――なら、私が負けるのは望まれた台本だったってことか」
大銀杏のようなフォルムをした機械が浮遊しながらそんなふうに言葉を発した。ゾーイの巨体を形成していた彼女の本体は、全ての力を使い果たして力士としての形態をとれなくなっている。穏やかな口調は、己の運命を受け入れたもの特有の諦めに満ちていた。
「殺しなよ。覚悟はできてる」
戦いの後、俺たちは瓦礫の荒れ地に移動して向かい合っていた。
俺はマレブランケのメンバーの部位を適当に継ぎ接ぎした状態で自分の『役』を上にかぶせていた。
顔の輪郭がいまひとつ判然としないが、紀人としての存在が強まればグレンデルヒのように強固なイメージで顔や姿を上書きできるようになるだろう。
(頼むよ、どうか彼女だけは殺さないでくれ! 僕にできることなら何だってする、だから!)
ケイトの必死な懇願に、トリシューラは無数の腕をカシャカシャと動かしながら首を傾げた。
「うん、殺さないよ? だって貴方たちを殺しても第二第三の刺客がやって来るだけで、面倒なだけだもの。というわけで、上手いこと事態を収めるために」
暴力を背景にしながら、トリシューラはにこやかに恫喝した。
「話し合いをしよっか。穏便に、平和的にね」
血塗られた多腕女神の笑顔に、浮遊する機械と情報生命が怯えるように身を寄せ合って、揃って頷いた。
トリシューラは微笑んだまま、言葉を重ねていく。
「そもそも、もう問題自体が存在しないんだよね。アキラくんは紀人化したし、頭だってもう挿げ替え済だもの。まあそっちの世界の遺伝子操作技術とナノマシンで強化されまくった首から下のアキラくんは惜しいけど、しょうがないよね。消しちゃっていいよ。アキラくんもそれでいいよね?」
「ああ、要するに俺の転生は自前でどうにかできるって話だろ?」
トリシューラはその通り、と肯定した。
「アキラくんは完全に前世から切り離されて、この世界の――ガロアンディアンの住人になるってこと。もう前世から干渉される謂われは全く無いんだよ」
シンプルな解決。これで俺は、完全にこの世界の住人となったのだ。
それからトリシューラは、外世界人ふたりに向かって「だから」と付け加えるのも忘れなかった。
「私の王国に帰属する全ては私のもの。手出しはさせない――誰であっても。わかるよね?」
二人に頷く以外の選択肢が残されていようはずもない。
その後、トリシューラは強者という立場を笠に着て次々と無茶な要求を相手に通していく。戻った後も連絡を寄越せ、『向こうのトライデント』に関する情報を探れ、それからサイバーカラテを導入して俺の一部になれ。
「それはこっちも望むところ。正直見直したよ、サイバーカラテ」
またやろうぜ、と破顔する禿頭の女からは、何かが吹っ切れたような雰囲気が感じられた。立場上敵対していたが、気の良い相手なのかもしれない。
ゾーイとケイトは自分をより高めるためにサイバーカラテ道場を導入してみると言って、トリシューラの協力者として異なる世界へと帰還していった。
「ゾーイはいいね。特にアキラって名前が。もしかしたら、名前が同じっていう利点を生かせるかもしれないし」
とトリシューラが語るので、どういうことか訊ねると、
「ゾーイがサイバーカラテの黒帯レベルになれば、アキラくんをその身に直接降ろすことも可能になるでしょう?」
恐らく、彼女ほどの使い手ならばそれにそう時間はかからないだろう。
その時は、あらゆる戦術に適応し、習熟し、更なる強者となったサイバーカラテ力士が誕生する。
期待が膨らむのを感じながらも、俺はトリシューラに問いかける。
「それって、元の世界に彼女の体を借りて戻れるってことか?」
「必要になればね。トライデントがあっちにも勢力を伸ばしているかどうかも色々と確認したいし――とりあえず今は私たちと一緒にいてもらうよ。今のアキラくんは、ガロアンディアン人なんだから」
トリシューラは朗らかな口調でそう言うと、俺に手を差し伸べた。
憑依したコルセスカのアストラル体が俺の右手を重なって、黒い機械の掌と触れ合った。戦いが終わり、俺たち三人はまた旅路を再開する。
未知なる末妹に至るまでの道のりは長い。
だが、使い魔である俺が紀人に至ったことは大きな前進だ。
暗躍するラクルラール、そして死人の森の女王と六人の王。
解決すべき問題は山積みだが、ひとまずはここで勝利を喜んでおくとしよう。
「大儀であった! 褒美に、セスカには最新のゲームをなんでも、アキラくんには美味しいドッグフードをとらせよう!」
「それは勘弁してくれ」
(やったー! じゃあ私これとこれとこれと――)
騒ぎながら、俺たちは非日常から日常の空気へと戻っていく。
幾度もの死を超えて、俺はここに戻って来た。転生設備を占有していた以前の俺は完全に消滅し、新たな俺がこの場所から始まる。
その先に何があるのか。
サイバーカラテ道場が内包した混沌が、何を生み出すのか。
未だ神ならぬこの身ではとてもわからないが、それでも三人でなら前に進めるだろうと、俺は信じた。その為の使い魔。その為のサイバーカラテ。
そして俺以外の全ては、困難を解決する為にある。
この先どのようなことがあろうとも、俺が、そして俺以外が道を切り開いていくことだろう。矛盾してはいるが、それは同じことなのだ。
そんなこんなで英雄と力士を打倒したことにより、今日もまた、サイバーカラテの他流派試合の勝率が上昇するのだった。




