(34)『調べ事』
クラエスの森南西部――。
「ぅ出発ッ!」
シャノンの溌剌とした声が、まだ日も昇っていないせいで薄暗い森の奥に響いて消える。
「おい、ルーク。お前の嫁さん朝っぱらからテンション高ぇな」
「まだ嫁じゃねえっす」
ギルドハウスの正面、半径六メートルほどの円に近い形の開けた場所に立ってシャノンの様子を遠巻きに見ていたルークは、昨夜一晩で多少仲良くなったギブリと小声でそんな遣り取りを交わす。
「何だ、まだ結婚前か」
つまらなそうに肩を落としたギブリはぺちんとスキンヘッドを右手で打ち鳴らしつつ、またDにちょっかいを掛け始めたシャノンに視線を戻す。
「ギブリ、地味に誤解生むから、ちゃんと結婚って言えっす」
「意味同じじゃねえか」
抑揚のない声で呟くようにツッコミを入れるギブリは足元の小石を爪先で小突く。
「リアルっぽくて生々しいんすよ。今んとこリアレーションないっすし」
「うっせ、リア充爆殺する」
「おい、それ、ただの犯行予告」
「うるせーっ、≪螺旋風≫は男系ギルドなんだよっ!」
「男系ってかただ単に女の子いないだけっすよね。GLを見る限り」
ルークの容赦ない一言でダメージを受けたギブリが仰け反ったその時、件のGL――ロンバルドが寝違えた首を擦りながら≪弱巣窟≫ギルドハウスの中から出てくる。
それを見たシャノンは――
「これで全員?」
――ルーク、ギブリ、Dとさらに視線を泳がせ、最後にきょろきょろと周囲を見回して首を傾げた。
「あれ? ねぇ、ディー。テラくん何処行ったの? まだ中?」
「さっき周りを偵察に行くって目で語って出てったよ。あの子が何か変なのはいつものことだから気にしないで」
「目が語ってるって…………あ」
シャノンが声を上げて、Dが後ろを振り返った途端、噂をすれば影が差すを体現するタイミングで森の中から銀髪の少年――Tが姿を現す。
静かに佇み、息を潜めた希薄な存在感のままにぼんやりと歩いてくるその姿は、まるで見る者に風景を錯覚した時のような感覚を与える不思議なものだった。
「おかえり、テラくん」
「何かあった?」
Tは徐にポケットの中を探ると、逸早く歩み寄ったシャノンとD――女性陣の目の前に無言で何かを差し出す。
「何これ? 鏃?」
シャノンは、Dの問いにこくりと頷いたTからその鏃を受け取ったシャノンは、まじまじと掌に載せたそれを見つめる。
金色の箆――矢の棒部分は五センチほど残して折れていて、その先には淡い銀白色の光沢を放つ金属製の鏃が被せられている。基本的に一度放ってしまえば使い捨ての矢にしては、箆に随分と贅沢な意匠が施されている。
「あれ? ここって弓を射ってくるようなモンスターいなくない?」
Dが首を傾げると、Tが無言でこくりと頷き、シャノンが「うん」と最低限の返事を返す。
クラエスの森に出現するモンスターは虫、植物、爬虫類や哺乳類、魚類、鳥類、ドラゴンとかなり多彩だが、基本的に弓を武器にするのは機械系と人型モンスターだ。
「これ、確か『ヴァーチャー・アーチャーの矢』だよ。ほら、ヘヴンスガーデンの」
シャノンの言葉を聞いたDの脳裏に浮かんだのは、巨塔第二百五十八層『地上の安息園』だ。
中世ヨーロッパ風の閉ざされた古い村と、その規模に比べて不釣り合いに大きな神殿の二つのエリアから構成される、巨塔の五百あるフィールドの中でも比較的狭いフィールドだ。
そして、力天使の射手隊は、このフィールドのボス――機械のような外見の天使系モンスター“行使者ヴァーチャー”に付き従ってプレイヤーを攻撃してくるオプション・モンスターだ。
特殊な弓“力能の弓”を武器として用い、その矢が触れた武器や防具は、一時的に付加されたスキルパラメータを失う効果を持つ。
敵に回せば相当厄介な相手だが、戦闘中に射ってくる矢や倒した後にドロップする矢は武器として用いることが可能で、通常の弓系武器に使用する矢とはまた違った扱いのアイテムだ。
「え? じゃあ弓使いが何かと戦ったってこと?」
「何かじゃなくて誰かだと思うよ? ヴァーチャー・アーチャーの矢の効果は対人以外には効かないし。テラくん、他には何も見つからなかったの?」
シャノンの問いに一拍遅れて、Tは無言でこくりと頷いた。
「シャノン、どうする気?」
「え? 勿論ほっとくよ? 私の予想通りなら、私たちには関係ないからね」
「相変わらず何でもわかってるみたいに嘯くね、シャノン」
「あは、それディーに言われたくない」
その頃、傍から女性陣の遣り取りを眺めていたTを除く男性陣三人の心中は、『怖くて割り込めねぇ』で人知れず一致していた。
「さてさて、ルーク。捜索範囲分担の打ち合わせは全部済んでるよね?」
「問題ないっす」
「それじゃ、さっさとコレ片付けて捜索始めようか~」
シャノンは鏃をくるくると手の中で弄んで、ストンと胸元の隠しポケットに落とし込むと、振り返ってギルドハウスを見上げる。
そして、シャノンはポップアップウィンドウからギルドハウスの管理メニューを開き、[解体]のボタンに触れた。
途端に開かれた設置解除確認の警告ウィンドウでシャノンが[はい(YES)]を選択すると、六人の目の前に聳え立つ大きな洋館全体がガタガタと揺れ始めた。
「おー。そう言えばうち、ギルドハウス解体直に見るの初めてかも」
「そんなに凄いものじゃないよ~」
建物の全形が一瞬ぐにゃりと歪み、色彩が消えていくと共にレイヤーテクスチャー状の線だけの立体図形に変化する。
「そう言えば、この時に中にプレイヤーがいた場合ってどうなるんだ?」
ロンバルドがそう訊ねると、シャノンは「ん~」と少し迷うような反応を見せ、
「たぶん死ぬ?」
「マジか」
訊いたロンバルドだけでなく、ルークとTを除く三人――Dとロンバルド、ギブリの表情に驚愕が浮かぶ。勿論、驚かなかった二人についてもただ単に“知っていただけ”と“反応が薄いだけ”と正反対なのだが。
線だけを残して透明になったギルドハウス空間の中心に黒い光の球が現れ、ぐぐぐっと吸い込まれるように歪んだ周囲の線から順番に消えてゆく。
「あんまり知られてないんだけど、ギルドハウスにも耐久値があるの」
その光景も相俟って静かになった中、息を呑む音と共に三人の表情の驚きの色がさらに顕著になる。
一般的な認識では、ギルドハウスは唯一とまで言える絶対安全領域だからだ。
「それでも確か目眩がするぐらいな桁数だったし、普通のオブジェクト同様時間経過で自動回復もするから、マトモな方法で削れるわけないんだけどね」
私が千単位いても無理だよ――――と付け足して一人笑うシャノンに対して、他の五人は無言を余儀なくされる。
「設置解除っていうのは要するに、建物と中の構造物の耐久値を丸ごと削っていってるだけなの。皆気を付けてね~。もし、中にいる時に巻き込まれたら――――自演の輪廻でどうなるかわかんないよ?」
背筋の凍りつくようなことを笑顔で呟いたシャノンは、目の前のギルドハウス跡地に視線を戻す。既にギルドハウスは完全に解体され、吸い込むもののなくなった黒い光の球体はふよふよと滞空しながら、ゆっくりとシャノンの方へと近付き始めていた。
「解体完了♪」
シャノンがウィンドウを閉じると同時に、黒光りする球体はフッと消えた。
「んー、じゃ……各自解散ねっ」
Dがややテンションの下がっている雰囲気をかき混ぜるようにそう言うと、ロンバルドとギブリ――≪螺旋風≫の二人もハッとしたように地図ウィンドウを開いて、ひそひそと打ち合わせを始めた。
「どしたの?」
急に空気が変わった原因に気付いていないシャノンが、歩み寄ってきたルークに屈託なく首を傾げた。
「んや、ただ単に皆、シャノンにドン引きしてるだけっす」
「ドン引きっ!?」
「それはもう」
言ってることと表情のギャップがかなり怖い自覚がまったくなかったらしいシャノンは、指摘された途端に慌て始める。
現状ギルドハウスを管理できるのはシャノンただ一人で、他の五人――――特に≪GhostKnights≫と≪螺旋風≫の四人は協力プレイの一貫としてそれを休息の間、間借りしているに過ぎない。つまりシャノンの動向次第では、安全だったはずのギルドハウス自体が最悪の檻の罠になりかねない、ということだ。
勿論シャノンにそんなつもりはなく、そのつもりならそもそもロンバルドの問いに真正直に答える必要がないことからもそれは垣間見えるのだが、この辺りは普段の行い――――というよりは時折何を考えているのかわからなくなる本人の気質と、『策謀巡らす弱巣窟』というギルド自体の評判のせいでもあるのだろう。
彼女と親しいDやTはともかくとしても、ほぼ初対面も同然のロンバルドとギブリに淡く警戒心が生まれるのもある意味必然だった。
「それじゃあ、俺たちは先に行くぞ」
「また夜にな」
ギブリとロンバルドはそう言うと、一跳びで樹上に登り、枝から枝へと跳び移りながら瞬く間に森の中へと姿を消した。
「そんじゃ、うちらも行くよ。また後でね、シャノン、ルーク」
「うん、気を付けてー……」
「いてらっす」
明らかにテンションの下がったシャノンと、基本的に態度の変わらない様子のルークに見送られ、DとTも森の方に向かって歩き出す。
「僕らも行くっすよ、シャノン。ぶっちゃけ僕らが一番捜索範囲広いんすから」
「あはは、それはレベル順だから仕方ないよ。機動力も私たちが一番高いんだしねー……ってあれ?」
シャノンがさっきと同じすっとんきょうな声を上げて、首を傾げた。その視線はルークの後ろに向けられている。
その視線を辿るようにルークが振り返った先には、さっきDと一緒に行ったはずのTがそこに立っていた。
「どうしたの、テラくん?」
「っていうかさっき、こっちから……方向違くないすか? ツッコんだら負け?」
ルークがジト目を向ける中、それを軽くスルーしたTはとことことシャノンに歩み寄り、『内緒話』とでも言いたげに手のひらを口の横に添えて隠す。
「うん?」
あまり身長の変わらないシャノンがTに耳を寄せると、Tはシャノンの肩にポンと手を置き、何事か耳打ちして少し離れた。
それを聞いた途端、シャノンの表情が豹変し、真剣な面持ちになる。
「……それホント?」
Tがまた無言で頷くと、シャノンは思案顔で俯いた。
「どうしたんすか?」
「んー……ルーク、ごめん。急用ができたから二日目はディーとテラくんについて一緒に回ってきて」
「へっ? ちょ、それ、どういう――」
「調べ事」
キュゥゥッとシャノンの目尻が鋭く吊り上がり、纏う空気が“死神”から情報屋“千羽鴉”に激変する。
「うっわ、この時のシャノンさん超苦手……」
「酷っ! 変わってないよ、私シャノンのままだよっ!?」
「人の話聞かなくなるっすもん、シャノンさん」
「さん付け禁止~ッ」
若干涙目になりながらもルークに詰め寄るシャノンだが、ルークがそれをさっと躱すと、べちゃっと地面に倒れる。
そして苛立ち紛れにがしがしと頭をかいたルークはシャノンに手を貸して助け起こすのも諦めて、先に立ってDが向かった方に歩き始めるTについていく。
「ようわからんけど、あんま無茶しちゃダメっすよ、シャノン」
ルークの言葉と同時にぺたんと尻餅をつくように身体を起こしたシャノンは、袖口で潤んだ目尻を拭うとゆっくり立ち上がり、
「行こ……」
最初にTが鏃を拾ってきた方に向かって歩き出した。
「ホント……何考えてるんだろ、あの二人」
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
ロードウォーカー
黄金羊
――タイムリミットまで残り五十四時間二十七分。




