(31)『夜営の準備』
「そろそろ暗くなってきたねぇ」
開始から七時間以上が経過した夕方六時前。
シャノンの暢気な声と同時に、ドシャッと湿ったような生々しい音が薄暗闇の森に響く。そしてシャノンは大戦鎌の刃をしゃりんと鳴らし、足元に崩れ落ちて尚も蠢く巨大なモウセンゴケのようなモンスターの茎の膨らみ――核球にその切っ先を突き立てる。
フィールド徘徊型植物系モンスター『消耗氈苔』
現実世界のモウセンゴケとは違ってフィールド内を群れで動き回って餌を探すモンスターで、核球というのはその動物的な行動を可能にしている謂わば脳に当たる致命的な弱点。普通なら粘液で獲物を絡め捕るへら型の葉に守られているが、既にその葉どころか地上を這い歩くための根まで斬り刻まれている消耗氈苔に核球を守れるだけの余裕すらない。
「相変わらずおっかねー鎌っすね、それ」
しゃりしゃりと刃を研いでいるような異音を奏でながら、まるで心臓の鼓動のようにトクントクンと鎌全体が脈打って震える。
そして、その度にノイズが走ったようにザザッと鎌の輪郭が震える仕様は、ルークの感想通り、見ていて気持ちのいいものではない。貫かれたまま、枯れるように萎んでいく核球を見れば、何をしているのか朧気にわかる分、尚更不気味だった。
「まー、怖さはあっても弱さはないし、このぐらいインパクトがあると“死神”の名前に箔が付くってものじゃない?」
瀕死の消耗氈苔の残体力を吸い切って禍々しい輝きと鋭さを取り戻した【鎌妖・霊位】を引き抜いたシャノンは、ルークに振り返り、ふふっと柔らかな微笑みを浮かべて見せる。
「実際に死神って呼ばれ出したのは、それ手に入れるずっと前っすけどね」
ルークは適当にそう返しつつ、同じく斬り伏せた別の消耗氈苔の核球を小太刀型の魔刃剣【倭刀・神通】で真っ二つに切り裂くと、ヒュンっと高速で振って粘液を振り払い、鞘に収める。
「ホント、アプリコットも酷いよねぇ。普通女の子に死神なんて二つ名付ける? その前の“可憐な策略家”はなかなか良かったのに」
無論アプリコットがただそんな二つ名を付けたとは思えないだろうが。
「呼び名でも二つ名でも、人の記憶に残りやすいのはインパクトの強い方っすからしゃあないっすよ。 …………ある意味ぴったりっすし」
「何か言った? ルーク♪」
「いや、何もっす」
大戦鎌の刃が妖しい光を放った途端、ルークは即座に態度を翻して否定に入る。抑揚のない棒読みでそれができるかという問題はあるが、シャノンもルークが何を言っていたのか本当に聞いていなかったわけではない。元よりわかっていても特に気にするつもりはなかったものの、一応窘める程度の注意をしただけだった。
「で、夜間はどうするんすか?」
消耗氈苔の群れを殲滅した場所から二百メートルほど離れた場所にあった少し開けた小さな丘までやってくると、ルークが周囲を見回しながらそう言った。
現在シャノンとルークの二人が一日目で回れた範囲は表フィールド全体の十分の一程度の広さ。それでも他チームより三時間以上の遅れで始めた割にはかなり善戦している方だが、三日間七十二時間の日程で全てを探し切るにはやはり遅れている。
ルーク個人の意見としては、一部の危険なモンスターが活動を始める夜間は、『クラエスの森』に比べて遥かに単調なフィールド環境の『碧緑色の水没林』を調べに行くべき、と考えているところだが、一応上司であるシャノンを立てるつもりで訊いてみた。
のだが――。
「もう疲れた。休みたい」
「上司とは思えん返事が返ってきた!? ってか子供っすか!」
「だって疲れたもん。肌寒くなってきたし、暖かいところで休みたーいー」
唇を尖らせて駄々を捏ねるシャノンにルークは呆れたような目を向ける。
「≪シャルフ・フリューゲル≫の捜索はどうすんすか……?」
「どうせ何処も暗いんだから、作業の効率も精度も落ちるよ。無駄無駄ー」
ひらひらと手を振ったシャノンは、大戦鎌をアイテムボックス内に戻し、釈然としない思案顔で黙り込むルークに、『何か反論は?』とばかりに首を傾げてみせる。
「いや、何も言い返せないっすけどホントにいいんすか? 相当時間無駄にするっすよ?」
日が沈んでからを夜間とするなら、およそ六時を基準にして日が再び昇って辺りが明るくなってくるまで十一時間と少し。つまり三日の総計で七十二時間の半分の三十六時間を休息に費やすということになる。今日一日の三時間を無駄にしている時点で今日の捜索時間は五時間弱、単純計算でもシャノンとルークの二人ではタイムリミットまでには表フィールドすら捜索しきることはできない。
それでは、裏フィールドに足を伸ばすこともできず、結果的に竜流泉の隠し水路を進んだ最奥にある≪シャルフ・フリューゲル≫ギルドハウスを見つけることは不可能に近かった。
「いーのいーのっ。それよりほら、せっかくパーティ組んだんだし、他の皆、迎えに行ってきて。私はその間にこの辺で夜営の準備をしておくから」
悪戯っぽく笑うシャノン。
しかし、その笑みの意味を知らないルークは、何処かシャノンの態度に嫌な予感を覚えつつ、とりあえず考えるのをやめた。
シャノンのやることに間違いはない、というわけではないが、彼女の判断に従っていれば結果論的にそれほど酷いことにはならない、というのは彼女の関係者の共通認識だったからだ。
「はぁ……。いや、まぁ上司の判断には従うっすけど……。こっち一人で大丈夫っすか? なんなら連中と合流してからの方が……」
「大丈夫大丈夫~。あ、でもどうしても夜も捜索するっていう組は無理に誘わなくてもいいからね。その分今日の晩御飯の一人当たりの取り分が増えるだけだから」
「シャノン、マジで料理だけは僕が見てるトコでお願いするっす」
「それどういう意味!?」
冷や汗だらだらの真顔でそう懇願したルークだが、叫ぶように訊き返すシャノンの目尻には透明な雫が――涙が光っていた。
しかしルークはそれで躊躇を覚えることはなかった。むしろ、ここで彼女の料理を止めることこそが彼女のためになると信じて疑わなかったのだ。
「さすがにクラエスの森を全焼させるシャノンは見たくないっす」
「そこまで酷くないよ! ルークの毒舌の方がよっぽど酷いよっ」
「そりゃ現実を叩きつけられりゃ本人には毒だろうっすけど、もう僕にはわかってるっす。今日はいつもよりちょっとした失敗が目立つっすからね。これはもうそろそろでかいのがドカンと来る予兆っす。もうこのパターンは読み切ってるっす!」
「私、連続爆破事件かなんかと同じ扱い!?」
拳を握って、額に汗を浮かべてまで力説するルークの言葉に、ガーンとショックを受けたようによろめくシャノン。あと一歩さらに踏み込んでしまえば泣く、というぐらいギリギリだが、しかしこれは逆にシャノンの自暴自棄じみたやる気を生じさせかねない危険な状態。
ここは心を鬼にしてトドメを刺すべき――――と考えたルークは、今にも転びそうなシャノンの肩に手を置いて支えつつも、
「いや、頻発する地震的な何かっす」
「ふぇぇぇぇぇぇっ!」
遂に涙をぼろぼろ流し始めたシャノンを木の幹に凭れさせるようにして座らせたルークはその頭を撫でてやりつつ、片手間に開いたマップウィンドウで一日目で協力関係を結ぶことになった他のパーティメンバー三組六名――――≪地獄の厳冬≫の[ルチアル]と[ロキ]。≪螺旋風≫の[ロンバルド]と[ギブリ]。そして、中でも唯一顔見知りの≪GhostKnights≫、[D]と[T]の位置表示を確認する。
DとT以外は最初の予定にはなかったものの、シャノンが即OKを出してしまったためサブリーダーですらないルークには拒否することはできなかった。
「皆、案外近いところにいるっすから、夜営の準備だけ頼んだっすよ、シャノン」
「うぇぅ……」
ルークは思わず「何て言ってるかさっぱりわかんねっす」と返しそうになるところを堪え、了解してるものとして立ち上がると、シャノンを置いたまま一番近い二つの光点に向かって歩き出した。
そろそろ誤解がありそうだから明言しておくが、ルークは別に加虐嗜好者でもなければ、好きな子を苛めてしまう小学生並みの精神年齢の持ち主というわけでもない。確かにシャノンの料理を止めなければならないという危機管理意識は本物だったのだが、それでもシャノンが普通の女性であればもう少し言い方を選んだだろう。
何だかんだ言っても“死神”と称されるだけあって、シャノンという人間は精神的には相当強い方なのだ。それこそ本心から悲しくて泣いた今ですら、その五分後には泣き止んでもぞもぞと動き出し、一日目の夜営の準備を始められるくらいには――――。
そしておよそ三十分かけて(説得に成功した)≪螺旋風≫と≪GhostKnights≫のニ組四名と共にその丘に戻ってきたルークは、
「おかえり、みーんなー♪」
「「え゛……」」
笑顔のシャノンと明るい光を放つ大きなギルドハウスに出迎えられ、≪GhostKnights≫のGLの小柄な少女――[D]と完全にシンクロした絶句のリアクションを見せた。他の三人――T・ロンバルド・ギブリは絶句するというより呆然と目の前の光景にしきりに目をこすっている。
五人の心中は概ね『何故、このフィールドのど真ん中にギルドハウスが?』という疑問で一致している中、まるで悪戯が成功した子供のような表情でくすくすと笑ったシャノンは、
「ようこそ、当方≪弱巣窟≫のギルドハウスへ~♪」
してやったりというようにそう言った。
確かに、この“巡り合せの一悶着順争”にギルドハウスを持ち込んではいけないというルールはないが、下手すると反則という扱いにされるかもしれないスレスレの所業をシャノンは悪びれもなくやってのけた。
“木の葉隠れの番蝶”を通して、その光景も当然目の当たりにしていた≪シャルフ・フリューゲル≫では、これくらい当然という顔のアンダーヒルと仮名、そして「まさかホントにやる馬鹿がいたとは思いませんでしたよ、さすがシャノン♪」と大爆笑するアプリコットを除く全員が、やはり同じように唖然とした表情だったという。
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“巡り合せの一悶着順争”――
現在の脱落ギルド。
≪ロードウォーカー≫
≪黄金羊≫
――タイムリミットまで残り六十ニ時間四十三分。
消耗氈苔の振り仮名は、Sunder Sundew。
SunderはThunder(稲妻)ではなく、切り裂く等の意味を持つ単語です。
Sundewはそのままモウセンゴケを意味する英単語ですね。
消耗戦とモウセンゴケを掛けた、これもちょっとした言葉遊びです。




