(2)『初めまして』
相見えるは黒き人影、現る情報家“物陰の人影”
その名を知らぬ者はなく、その姿を知る者はなし。
刹那、リュウ、シンの三人のフレンドチェックが、殆どの相手にはまだ繋がらないという結果で一区切り付いてきた頃――
ピッポン。
何処かで聞いたことのあるような、何かが弾む時の効果音として挿入される音がギルドハウス二階ロビー全体に響いた。
そしてその次の瞬間、どう押したら外来用インターホンの音をこんな鳴らし方ができるのかという疑問を覚え、途端にそれが来客を示す音なのだと至極当たり前のことに気がついた。
もちろん本来の音は『ピンポーン』である。
「シーナー! ウーチーやーでー!」
勢い余った元気な声が中にまではっきり聞こえてくる。
すぐに元気印がトレードマークのNPCメイド、理音がぱたぱたと階段を駆け下りてエントランスホールに下りていき、扉を開ける。すると、予想通りで予告通り、トドロキさん一行が中に入ってくる。
「こっちよ」
刹那が手招きで上に呼び寄せると、トドロキさんを筆頭に左右に分けられた内のロビー側から見て右側の階段を上がってくる三人に刹那が手を振って呼び寄せ、そのままホワイトボードの前に据えられているテーブルとソファーに案内した。
「よう考えたらここに入んのは初めてやな」
天井を見上げたりロビーを見回していたトドロキさんが、
「なぁ、大きい建物見るとぶっ壊したくならへん?」
「いきなり物騒なこと言わないで下さい」
言動が突拍子もないというか、相変わらず何考えてるのかわからない人だ。まぁ、何を考えているのかわからないという意味ではアイツ――――この世界においても稀有な扱いを受けるあの変神の右に出る者も上に立つ者もいないのだが。
閑話休題。
トドロキさんの後ろから続くようにネアちゃんを手近なソファに誘導し、その後に次いで階段を上がってきた人物の風体にぎょっとする。
(これが……“物陰の人影”?)
今の俺よりも小柄な身長のせいか、目深に被ったフードの陰が顔を殆ど隠してしまっている。確かにそれだけでも身長の高いリュウやシンには何も見えないだろうが、目の前のソイツはさらに黒い包帯〈*ブラックバンデージ〉で顔を覆い隠していた。
そして何より、その包帯の隙間から唯一露出している瞳の黒い左目が、全身を覆い隠す名称不明の古ぼけたローブ装備と相俟って、不気味な雰囲気を醸し出していた。そのローブの裾は足元まで伸びていて、最早下に何を着ているのかすらもわからない。
頭上に出ている[アンダーヒル]という名前から、その人物がかの情報家であることはわかるのだが、見たところ主戦力となるような大きさの武器を帯びているようには見えないから、後衛型の魔法使いだろうか。
「とりあえずお前はそっちに――――って、おい?」
トドロキさんとネアちゃんは俺の指示通りにソファに腰を下ろしたのだが、アンダーヒルはそれをスルーしてホワイトボードの前に立った。
そして、ホワイトボードにちらりと視線を遣ると、すぐにソファの並べられている方向に向き直った。
そして――――じっ……。
何故か俺の方を左目で見つめ、威圧するかのように無言で立ち尽くす。咄嗟には何故かわからなかったが、その静寂が一秒、二秒、三秒と経つにつれて何となく悟り、手近にあったソファに腰を下ろした。
すると案の定、アンダーヒルは俺から正面に視線を戻した。
「口で言え」
「仮にもギルドリーダーであれば察してください」
視線も向けずに坦々とした口調でそう切り返してくるアンダーヒル。
仮にもも何も、仮で決まったギルドリーダーに何を求めてるんだよ、こいつは。どうせ俺じゃ、儚の代わりにはならなかったんだよ。
というか、今の声――
「初めまして、≪アルカナクラウン≫の皆様。私は“物陰の人影”です。以後お見知りおきを」
――コイツ、女なのか。いや、確かにここまで小柄な男はそこまでいないだろうけど、それ以上にまさか物陰の人影がこんな子供だったことの方が驚きだった。
「じゃあ、僕らも自己紹介しなきゃな。僕は――」
「結構です、凶太刀の新丸。仕事柄、貴方方のことはよく知っていますので」
「その名で僕を呼ぶなッ……!」
シンが中二病的な台詞を突然叫び始める。
無理もないだろう。凶太刀はシンの黒歴史なのだから。
「そちらの長身の方は暴嵐の竜虎ですね」
「少し古いが、まあそうだな……」
今の二つ名は『剛力武装』だが、一昔前――具体的には半年ほど前には今アンダーヒルが言った呼び名で呼ばれていた。
「棘付き兵器の刹那」
「コイツ、わざとやってんじゃないの?」
それは刹那の黒歴史。
黒歴史とはいえ残念ながら、黒歴史だと思っているのは本人だけでこの呼ばれ方は今でも健在である。何もかもコイツの性格の悪さが裏目どころか表に出ているせいなのだが。
「それに革天使のネアですね」
「えっ、えぇっ!?」
オーバーリアクションで驚くネアちゃん。
強ち褒め言葉というわけではない呼び名だが、かといって刹那たちのような悪名というわけでもない。最初に得た二つ名としては、それなりに無難でインパクトもあるし、ネアちゃんは運がいい方だろう。
少なくとも刹那よりは。
「レベル1で二つ名がつくなんて珍しいから。理由はどうあれ誇ってもいいと思うよ、ネアちゃん」
「はい、そしてあなたは誰ですか?」
俺が戸惑っている様子のネアちゃんにフォローを入れると、最後の最後でアンダーヒルは予想だにしなかった質問をしてきた。
「おかしいですね。≪アルカナクラウン≫所属の『魔弾刀のシイナ』は男性と伺っておりましたが、女性だったのですか?」
「あ……え、えっと――」
「あるいは同名の別人、ということもありえますが、私が知る限りベータテスター及びサービス開始後今までに同名でアカウント登録されたのは千二百六十八件。その中に[シイナ]という名前は含まれていません。また――」
FOユーザーの名前を全部記憶してんのか。
俺がどうでもいいツッコミを心中のアンダーヒル像に入れている間に、アンダーヒルはパズルを組み上げるように論拠を組み立てていく。
「――遵って、あなたは『魔弾刀』本人に間違いないと判断できます。スリーカーズ、私は『魔弾刀』と思われる彼女に状況説明を求めてもいいのでしょうか?」
「ええんちゃうかな。シイナはウチが言うまで隠す気なかったようやし、第一ジブン、何でウチに訊くねん」
何故か眠そうにあくびを一つしたトドロキさんは頭の後ろで手を組んで、ソファに深く背中を預ける。
「説明を要求します、シイナ」
黒い包帯の隙間から覗く左目尻がカミソリの刃のように細く尖り、何の感情も読み取れないような虚ろに澄んだ瞳で、アンダーヒルは静かに俺と視線を重ねてくる。その身体は、揺らぎを見せないとでも言うように微動だにしなかった。
「この前のサーバーダウンの後、アバターがこうなってたんだよ」
嘘を吐く意味はない。
俺は単純に、自分がわかっているコトだけを話す。
「それだけですか?」
「他にも色々消えたけどな」
「いえ、アバターに関してはそれだけですか、という意味で訊いています」
「アバターに関してはそれだけだ」
「本当ですか?」
「しつこいな。それだけだ」
真偽を計るように、アンダーヒルは視線をまっすぐ合わせてジーっと見つめてくる。不思議なことに、瞬きも目を逸らすこともできなかった。
「嘘を吐くメリットはないだろ」
「はい」
即肯定しやがった。
その時、アンダーヒルの視線が一瞬逸れ、それを隠すようにアンダーヒルはスッと目を閉じた。
そしてゆっくりと瞬きをしたかのように――――目を開ける。
「失礼しました。事前に得ていた情報の確度を見るためのことなので、差し支えなければお気になさらず」
「事前に……?」
視線がトドロキさんの方に自然と流れる。しかしトドロキさんは『我関せず』のしたり顔のまま、自分のポップアップウィンドウに向かって、忙しくなく手を動かしていた。
さっきまで欠伸してたくせに――――さては自分はあんなこと言っておきながら、よりにもよってこんなヤツに漏らしたな。
それにしても“物陰の人影”アンダーヒル。
情報収集・情報提供など、こと情報に関連することに並々ならぬプライドと責任感を持っているのだろう。さすがは[FreiheitOnline]最高の情報狂い。
個性もさることながら、凄まじい印象だった。
「それでは“闇蝙蝠”、よろしいですか?」
「思い出したようにウチの忌み名を持ち出すな、お前!」
「沈黙は了承とみなします」
「ウチがいつ黙った!?」
「ギルド≪アルカナクラウン≫の皆々様」
トドロキさんを見事なほど冷徹にスルーしたアンダーヒルは、ボロボロのローブの下から白く細い手を差し出してきた。
その小さな手のひらに乗っているのは、縦十センチほどの巻物二巻だった。
「これは?」
「はい。端的には[アンダーヒル]及び[スリーカーズ]両名の入団申請書です」
Tips:『ベータテスト』
リリース前に正式サービスと同じ環境で行われる総合的な動作テストのこと。FOにおいては正式サービス開始の一ヶ月前までの期間(2038年5月~9月)で行われたクローズドベータテストを指し、公募抽選枠150人と関係者招待枠50人の計二百人が参加した。このベータテスト経験者を指す言葉にベータテスターがあり、期間中に作成されたユーザーデータは正式サービス開始時に引き継ぎが可能というあまり類を見ない仕様が告知されたこともあって当時は嫉妬や羨望の入り混じった視線を向けられることも多かった。




