05
「見事……」
正に、と横合いから零れた声に頷きかけた信士は、それまで自身がウサミとレイジーが織り成す円舞曲の観衆ででもあったかのように見入っていたのを実感した。
それほどまでに、其の一言に集約されたように。
流れるように動き、予定されたように次の位置へ。
フィナーレを告げるように、レイジーのクレイモアが砕けると同時、手に握る得物を瞬時に換え、幕を引くように数合で。演者が一人、舞台を降りた。
カーテンコールを告げるように響く、小さな小さな足音が、主役を務めた少女に抱きつき、幕の下りた舞台を現実へと引き戻し始めていた。
「素晴らしい、というより…美しい、かな。あれほどの人物が居たとは…世界とは広いものだな」
美しい。
自分としても其のティラミスの言葉に全面的に同意した。
昔からも状況に応じては武器を持ち替え、場面に対応するという器用な戦闘スタイルではあったものの、それを視認するだけでここまでの物になるとは思って居なかった。
それに、駆けつけた時の状況が状況だ。
見ただけでも視界遮断の状態異常を被っているのは解る。
その中にあって。
きっと迷走した思考の中で、暗闇の効果が切れると同時、あそこまでに華麗な動きを見せてのけた。
身震いすら感じる。
あれだけの戦闘を出来る者が、ウエポン・マニア等という言葉で、たったそれだけの言葉で表せる程に安く軽い物なのだろうかと。
「……惜しむらくは、始まりから見れなかったことか。いや、これから私と―――」
ぎょっとして隣へ視線を転じれば、うきうきとした様子で自身の愛用の得物へと手を伸ばし始め、そこへと向かうべく足を一歩前へと進めている姿がある。
ちょっとちょっとちょっと! 待て待て待て! いやこれヤバイヤバイ!
と即座に伸ばされた手は、肩を掴もうとして空を切り。
しかし其の先に伸びる手首をがっちりと掴むと、途端に不機嫌そうな顔を向けられた。
まるで嫌いな食べ物を目の前に出された子供のような。
あれ? でもそういえばこの人って頂点プレイ……嫌、怯んでいられない。
「駄目です、行かせません。止めてくださいそんな嬉しそうな顔で武器に手を伸ばすの」
「な、嬉しそうにはしていないよ。見たまえこの顔を。いや何、先程素晴らしい物を見せて貰った手前是非賞賛と手合わ、んんっ! えー、そう、賞賛と、激励? それをしなければ」
「漏れてます。本音駄々漏れです。隠せてません、一ミクロンも」
ケチな男だねと肩を竦められるも、それ以上は抵抗する素振りは見せなかった。
それから何度も念を押すように、刷り込むように、洗脳だと言われても否定できないほどに口酸っぱく手を出さないでくださいね、戦闘ダメ絶対。と繰り返しながら。
はいはいと渋々頷くティラミスと共に、信士は二人の下へと歩き始めた。
だから、忘れてしまった。見落としてしまった。
そしてそれは、一つの悲劇を生んだ。
啜り上げるような音が聞こえ、予想以上に妹に心配を掛けてしまったと罪悪感を覚える前に、顔を上げたカーリンの表情は、それでも懸命に笑顔を浮かべて迎えてくれていた。
もう二度と、とは考えるものの、この先を思うとその考えに暗雲が立ち込めるのが解る。
そうして意識が外に向かうと、小さくも足音と会話する声が聞こえ始める。
その音が何かと考え、時間が掛かったから迎えに来てくれたのかと視線を移すと。
見知った姿の隣に居るのが、最近見慣れてきた背の高い男の姿ではなく。
視線が合う。
それだけで、その挑みかかるような視線に釘付けに成る。
何に? 何を?
その視線の意味に、その理由を探しては心に不安が込上げる。
しかし、視線を外すことが出来ず、ただその距離が詰まるのを待つだけで。
「おーい。最後辺りは見てたぞ。見事だったよ、本当に」
声が聞こえ、その声を聞いただけで何か安堵したように気持ちが落ち着く。
それから、聞こえた言葉のその内容に、少しこそばゆい気持ちも沸き起こる。
最後辺りは見てた……本当だろうか? もしかしたら最初から見てたんじゃ……。
いや、大丈夫。きっと本当のことを言っただけだろう。
そう思い、視線をその顔へ向けると、やはり何故か怯んでしまいそうで。
そして、次に聞こえた声に。
初めて聞くその声、その音に乗って聞こえた言葉に、驚けずには居られなかった。
「やぁ、はじめまして。先程は素晴らしい物を見せて貰った。あれは見事だ。美しいと思ったほどだ。
それは私だけでなく隣の『ご主人様』も認めている。いやあれは実に見事。あそこまでともなると余程武器に精通「いや、ちょっと待て、ちょっと待て待ていや今なんつった俺のこと」うん?『ご主人様』?」
呆然とした表情で何かを確認するように会話を遮った男の声に、焦る何かを感じる。
そして響く大絶叫。
いや、何でこんなに冷静にそんなことを分析しているんだろう?
え? 何、『ご主人様』? え、それってどういうこと?
えっと、つまり…え? えぇ、と……。
纏まらない思考の中で、それでも自分が何かに驚いたように、信じられないとでもいうように。
空白に染まりつつある意識の中で、それでも自分も同じように大声で何か叫んでいたような気がした。
「いやぁっはっははは。何だろうね少し目を離したと思ったら。随分とまぁ面白い状況になって。
さて、一番まともそうなのは……ティラミス殿、これはどういった状況なのか尋ねても?」
一人だけ何かを堪える様に蹲ってお腹に手を当てる大変いいお顔のその女性に声をかける。
ちょっと待ってとでもいうように伸ばされた手は、そのままの姿勢を維持するのも辛そうに小刻みに震えている。
それだけで誰が何かをしたのかという構図はわかるのだが、さてどんなことをしたものかと考えるも、其処から先へは理解が向かわなかった。
「はぁ~。いや久しぶりにここまで笑わせて貰ったよ。今日は本当にいい日になった。この出会いも何かしらの運命なのかもしれブフゥ」
これは当分このままなのかな、と再び波に飲まれたティラミスの姿に、それでも、言いかけただけのその言葉の意味を考えると、確かにいい日で、いい出会いなのかもしれない、と思った。
「えー、ごほん。いいか、二人とも。あれは俺が言えとか言ったわけじゃない。それは解るだろ?
俺がそんなこと言うと思うか? そんな目で見んな! 言うわけあるか!」
たっぷり十分は魂状態で遊泳していたと思えるほどに、ようやく意識を取り戻した三人は、その場に見知った姿が居るのに気がつき、それから先程の言葉を思い浮かべ。
自然集まる視線にやや狼狽しながらも、憮然とした表情を浮かべて言葉を放った。
その仕種もどこかいい訳染みて見え、ますます嫌疑が膨らみ始める中、その会話のやりとりで先程の光景を思い出した一人が笑いだし、その会話で全てを悟った一人もそれに習った。
「成程、いやはや何がどうなってと思ったものも、こうして蓋を開ければ納得できるものだね。それにしても、中々貴重な体験をしたんじゃないかい? ご主人様」
「黙れ! もともとお前が変なこと言い始めたからだろうが! 何でそんな我慢しなさいみたいな言い方してんだよ!」
ちらりとアイコンタクトをするリーとティラミスは、互いに頷くと我が意を得たりと言葉を続ける。
「まぁまぁ、よいではないかご主人様。ここで逢ったのも何かの縁という物。これを大事にしたいという私なりの心遣い、無駄にしないで欲しいのだよ、ご主人様」
ガッデム! マイガッ! と叫び始めた信士を、その場に居る二人はまるで我が子を見守るように、残る二人はその悪魔的な二人に恐怖の視線を、その被害者に悲哀の視線で見守ることにした。
「屋上へ行こうぜ……久しぶりに……キレちまったよ…… 」
遂にという感じでゆらりと動きを見せた信士の姿に、その背後に別の誰かが居るように見えた。
リーの何かを崇める様な視線と、微かに聞き取れた「…タロウ」という言葉。
それに次いで、物凄くうれしそうな顔を浮かべ立ち上がった一人の姿。
「この展開は考えていなかったが、あぁ、勿論私がその権利を貰おう。何少し運動するだけだ、余り気負わなくてもいい。いやしかし今日は本当に嬉しい一日だね」
嬉々と信士の後を追うその姿に、リーも仕様が無いなとばかりに腰を上げて後に続く。それを見上げた後どうしようかと悩むような妹の姿に、私達も行こうかとその手を引いて立ち上がらせると、どこまで行くのか考えながらその後に続いた。
五分も歩いたかどうかという頃、漸く歩みを止めた信士は、はっとしたように動きを止めると、あれ? ここどこだ? と気の抜けた声を上げていた。
「ここでいいのかい? なら早速はじめようじゃないか、ご主人様」
振り向き、ムキィと声を出した後、ん? 始める? と疑問の声を寄せていた。
それで、振り向かれた後向けた視線に、移動の意味を悟ってしまった。
信士が振り向き確認するように私の隣へ、カーリンの存在がそこに在るのか確かめるように視線をめぐらせたのを。
しかし。ここまで連れて来てしまった手前、今更自分達だけこの場を離れるのもおかしいというのが解ってしまうだけに、如何すべきか悩んでしまう。
巡らす視線がカーリンの姿を越え、その向こうにあるリーへ辿り着くと、彼もまた信士の視線の先を認め、そこに示された意図を読み込んだかのように頷いていた。
「頭は醒めたかい? 信士。なら少しお話をしようじゃないか。そうだね八章開始について、この辺で全て話し合うべきだと思うのだよ」
八章開始。
メインクエスト内の一つの章であり、商業都市 ハルムーンにて始まる章である。
その言葉に含まれる意味は、それを全て話し合うと言う意味は。
ちらりとカーリンへ視線を向ければ、よく解ってないという表情でリーの姿を見上げていた。
前方へ視線を戻すと、信士が女性の脇を着いてくる様に示しながら此方へ歩む姿が見える。
そういえば、名前も聞いていなかったな、と思いながらもその到着を待ち、これから話す内容と、その後に思い浮かぶ展開に、さて私は妹に何と言えばいいのだろうかと、それに対する思考へと意識を向け始めた。
「何と言うか、話が終わるまで待って欲しいということらしいね。八章とか聞こえたが…それが何かはわからないが、そこまで重要なものなのかい?」
それに大仰に頷くリーは、やはりこれから話す内容が内容なため、真剣な表情を浮かべたままに何時もの無駄口すら繰り出していない。
短い付き合いながらもそれだけで解ったというように座り込むその女性の姿に、自然皆がその場に腰を降ろしていた。
「済まないね。しかし大事な話でもある。確認したいことと、伝えなければならないこと、それに私達の今後に係わることなのでね」
そう切り出し語り始めたリーは、詳細に全てを話すのではなく、要点だけをゆっくりと、しかし重々しく響く声で話し始めた。
死者の復活は無いと。
この世界にはPKが存在するのだと。
それを生業にしている者がハルムーンを牛耳っていると。
「私と信士はそれを承知の上で、それでもクエストを進める予定でいる。カーリンとウサミッチには、この話を聞いてこれ以上無理だと思ったならここで降りてもらって構わない。いや、どちらかというと無理はして欲しくないというのが本音だね」
小刻みに震え、その話された内容の衝撃の大きさに、カーリンは声も出せず視線すら彷徨わせるようにふらり、ふらりと頭を揺らしていた。
「……今の話は、確かな物だと?」
それまでの軽薄さが消え、剣呑な気配を見せる。
「より詳しく、より詳細に。そこで何が、どのようにと、知りえるだけ全て教えてもらいましたよ」
そうか、と黙り込む姿から考えられるのは、今話された情報の内何一つ知らなかったからだろう。
「……数々の教え、感謝を。しかし、私はこのような生き方しか知らない人間でね。知った上でもう一度、厚かましくも頼みたい。一度手合わせを願っても?」
そうして向けられる視線の先は。変わることなく信士を捉え。
「……一つ、条件と。それからそこまで俺に拘る理由が聞きたいですね」
「条件は何だろうと飲もう。理由か、いやなに、君がもし”あの”山田殿なのだとしたら、『ラタトゥスク』と聞けば、それが何か解ってもわえるだろうか?」
あぁ、と漏れたその声には、ややうんざりとした雰囲気が滲み出て。
それを示すように諦めたような表情を浮かべると、憮然とした声で続きを促した。
「……聞きたくない名前が出たもんですね。えぇえぇ、解ってますが、それで?」
「やはり……。山田殿は、あれを十分も掛けずに討伐したと」
真偽を確かめるように。
その真偽とは、今の話の内容というよりは、目の前の人物が『その山田』本人かどうかと。
「まぁ、確かにあの時は焦って色々やった気はしますがね。しかし大袈裟に話が広まっただけだと思いますよ。十分掛からずって無理でしょあれ? 普通に十分越えてたと思いますがね」
「私がそれを聞き一人で挑んだとき……倒せる気すらしなかったよ」
でしょうね、と頷きながら、二度目で漸くでした、とその時のことを考えながらという顔で返事をする。
しかし、それにすら驚きの視線を向けられ、あれ、まずった? という表情に変わり。
「五度ほど挑んで漸くだったよ私は。その間に一度パーティーでの討伐方法というのを見せて貰って、その後に漸くだ。それが、たった二度で……」
「あー……えぇもうこれ以上話すと色々と追い詰められそうなので解りました始めましょうか」
観念するようにうな垂れながらも、未だやりたくないという気配を発するその背中に、酷く哀愁が漂い始める。感謝を、と告げた後、少し場所を変えますかと向けられた視線の先には、未だ虚ろなままのカーリンの姿。
前に進む者。前にしか進めない者。
その背中を眺めて、しかし腕の中にあるかけがえの無い温もりに。
もしこの子が降りるとしたら。
私はその手を握るのだろうか?
きっと信士はその時手を差し伸べはしないだろう。
その手を掴むには、握られた手を振り払うしかない。
どちらを諦めるのか。
どちらかを諦めるしかないのか。
わからない。
わからない。
わからない。
―ガチャリ
「『ただいま戻りました、サタン様』」
「えっ! お、お帰りリヴィ、ア? ……何してんのアムおじさん」
「ブフフゥゥ、いや、ちょっ! 何その満面の笑顔! どんだけ笑わせんだよ!」
「……なにそれ、レコーダー? ホント何しに来たの? 死ねよ」
「げらげらげら! ほんとおもしれぇわ! あ? そう睨むなよ、わかった帰るよ」
―ガチャ
「あのー、新聞の契約勧誘すけど、今ならお米券つけますがとりあえず二ヶ月どうすか?」
「無理です、節制してるんです、諦めてください」
―ガチャ
「お前が魔王か! 漸く辿りついた! いざ勝負」
「何やる気だしちゃってんの? あーはいはい、これで死んでてね」
「なっ! ぐはぁ!」
―ガチャ
「私のパンチを受けてみよ!」
「色々アウトだよその発言。何TA○TOに喧嘩売ってんだよ」
「ぐえっ!」
―ガチャ
「見つけたぞ!魔王! わが一撃を」
「あぁはいはい、面倒くさいなぁもう!」
「がはぁっ!」
―ガチャ
「ただいま戻りました、サタン様」
「何だよもう今日はホントに! まだ居たのかよお前、もう帰れよ!」
「………」
「まだ何をっ! お、おぉぉ? あの、えーと……本物、で御座いますよね?」
「はぁ、まぁそう言われればそうと答えることはできますが。では帰ります」
「いやあのちょっとお待ちを! いやほんと待ってください! 誤解ですこれには深い訳があっただけで決して心からそう思って出た言葉ではなくいやホント今日はいろいろ合ってというか」
「はぁ……相変わらず駄目な犬ですねサタン様は」
「えぇそりゃもうほんとこんなもんなんすよえぇ。こんなもんっすよ魔王とかいっても」
「……まぁ、今回はこの辺で勘弁しようと話が決まりましたので。えぇ、それでは今後もよろしくお願いします、サタン様」
「あぁ……うん。そうだね、うん、漸くいつも通りって感じだ。これからもよろしくね、リヴィア」