第4話 魔王、学園に通うと宣言する
朝の柔らかな光が、キッチンの窓から差し込んでいた。
香ばしいトーストの匂いと、目玉焼きの黄身の甘さが空気を満たす。
――だが、そのいつもの朝の“安心感”を、一瞬で台無しにする存在が、テーブルの向かいに座っていた。
――下着の上に、俺のTシャツを羽織った“姉ちゃん”。
黒髪ロング。優しい顔立ち。だがその瞳には、かつて見たことのない光が宿っていた。
「さて、東雲照人。今日は我が、この世界を“支配”するための第一歩を踏み出す日じゃ」
その声は、豪胆であった。朝の温もりとは裏腹に、“支配”という言葉が冷たく響いた。
俺は慌ててトーストを口に運んだが――速度が速すぎて少しむせた。
「……何言ってるんだよ、姉ちゃん……いや、いの姉ちゃんじゃなくて……悪魔……。ってか、姉ちゃんだけウィンナー大盛りだし」
「ふふ、我は魔王じゃ。悪魔ではない――魔王じゃ。
そしてこのウィンナーとやら、美味いな。我は気に入ったぞ。」
「悪魔でも魔王でも、どっちでもヤバいやつだろそれーーー!!!」
俺は思わずテーブルを叩き、夢であってくれと両手で顔を覆った。
だが、この不可思議な朝は続いていく。
「この世界で、民の心を掴むには……まず“若者の集う場”を知る必要がある」
ヴェルネスは立ち上がり、トースト皿を脇に置いた。
「すなわち――“学園”じゃ!!」
俺の頭の中のトーストは、文字通り飛び散った。
「学園? おいおい!魔王が高校に通おうとすんな!!」
その瞬間、茶碗の中の卵が軽く波打ったように見えた。たぶん気のせいだ。いや、気づかないようにしよう。
「お主と同じ学園、“私立聖凰学園”高等部じゃ。すでに手続きも制服も準備済みじゃ」
紙袋を取り出すヴェルネスの手。
その中から見えたのは――俺と姉ちゃんが幼稚園から大学まで通ってきた、学園の制服だった。
懐かしい。だがこの状況では、懐かしいどころではなかった。
「え……いつの間に……?」
「昨日のうちにな。書類、申請、手続き――我の魔力で一気にな」
「魔力でって……お前、犯罪は犯してないだろうな!?」
俺は赤面しながらも、紙袋を手に取った。制服は変わらずシンプルで、でもどこか新しく映る――
それを見て、俺は少しゾッとした。
――
聖凰学園は幼稚舎から大学まである。
幼稚舎から俺も姉ちゃんも聖凰学園に通っている。
優等生で、クラスの中心で、笑顔を絶やさず、でも……
高校に上がった直後から何かが変わった。
誤解、嫉妬、暴言、そして扉を閉じる日々。
進級を逃し、長期不登校となった彼女。
今年度も“高等部1年生”という位置にいるはずだ。
「つまり……俺と同じ1年生ってことか……?」
「そうじゃ。お主と同じクラスになっておる。運命かな……ふふっ」
「勝手に話を進めんな!!」
俺は頭を抱えた。
「姉ちゃんが、ただ“再登校”するだけならいい。だが“魔王が代わりに入学”ってどういう意味だよ!?」
ヴェルネスはにこりと笑い、人差し指を上げた。
「我の器であるこの身体は、姉の肉体そのものじゃ。
書類上も“東雲いの”で登録されておる。だから――何も不自然ではない」
「不自然しかないだろって──!!」
俺の絶叫は、朝の静けさを破った。
――そして、変化は静かに始まった。
「照人。お主の姉は、今、我の世界で我の力を継ぎ、民を導いておる」
「……ああ、前にもそれ聞いたけど……」
「なぜなら、あやつが望んだからじゃ。
“ここでは、私は誰かの影になる。あちらでは、私は私になれる”と。
だから我も、この世界で“自分として”生きる。恐れず、堂々と、民の前に立つのじゃ」
その言葉に、俺は少しだけ心が震えた。
姉ちゃんの目にあった“弱さ”は消え、そこには“決意”があった。
俺は苦笑しながら、ヴェルネスを見た。
それは、姉ちゃんの顔で、魔王の魂が宿る顔。
違和感しかないが、なぜか真実に思えてしまう。
「民の心を得るには、まず笑顔から!」
ヴェルネスが両手をギュッと握り、顔を引き上げた。
「にっこにっこに〜☆」
「はああああああああ!!!!くそっ!妙に可愛いのがムカつく!!!」
俺のツッコミが、再び朝のリビングに響いた。
だが、振り返ると――
姉ちゃん(の身体を使った魔王)は、穏やかな笑顔を浮かべていた。
――明日から、我々の“高校生活”が始まる。
俺と、魔王。
同じクラスで。
同じ学園で。
同じ制服で。
どう考えても、俺の平穏な日常は終わっていた。
窓の外、朝日が綺麗で、澄んだ空気が気持ちいい。
それでも、俺の胸は妙にざわめいていた。
「……まあ、準備だけはしておくか」
そう呟き、俺はリビングを後にした。
制服を眺め、背筋を伸ばし、明日の入学式を思い描いた。
――その時、背後から静かな足音が近づいた気がした。
振り返ろうとした瞬間、気配は消えた。
(――やっぱ人間じゃねぇ……)
俺は制服の上着をそっと手に取り、深呼吸した。
明日は、ただの学校ではなく――“魔王の学園初日”だ。




