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亡骸群落  作者: yuki
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亡骸群落~第八話:『シニイキルモノ』その弐~

 清書【亡骸群落~第八話:『シニイキルモノ』その弐~】


川島葵が失踪した。

それは、幽霊ビルの一件から1ヶ月程が経過し、刑事二人が本部に戻った頃。そして祖母から死皇についての話を聞いた後、自分なりに死皇についての考察を行なっていた頃だった。

幽霊ビルで怪我をして精神を蝕まれ、市民病院に入院していた葵が、突然退院した。

彩子がそれを知ったのは、お見舞いの為に病院に訪れた時だった。

退院に関する葵からの連絡はなかった。

電話も通じない。

会社にも来ていない。

自宅を訪れてみたが、戻っている気配もない。

病院の人間に聞いてみたところ、何人かの女性が現れて、身支度を整えて一緒に出て行ったという。

「その時の葵ちゃん…川島葵さんはどんな感じでしたか?」

「えぇ。とてもニコニコしてましたよ。入院していた時が嘘みたいに元気でした。」

病院の人間も詳しい事情は存じないようであったが、回復した患者を引き留める理由はない。

問題は、その葵ちゃんの行方が杳として知れないことだ。

失踪。

その言葉が彩子の脳裏にぎる。

この街での失踪とは。

それは即ち、死皇に喰われる。

それと同義なのだから。

川島葵の行方を探し、彩子は街を捜索する。

警察に届け出るのは躊躇われた。多分、取り合ってくれないし、例の教団との繋がりも考えられ、頼ることができない。

しかし、誰の協力もなく、この広い街から女性一人を探し出すなど、困難な話だった。

そんな中。

葵の姿を発見できたのは、偶然だった。

彩子の心持ちとは正反対に、嫌味かと思うほどの晴天の冷たい空の下。

この街で最も人がいる駅前のビル街。当てもなくその場所を訪れた時。

駅前のロータリーに数台の宣伝カーのようなトラックやバンが停車しているのに、彩子が気付く。

選挙運動だろうか。それにしては駅前のロータリーを占有するとは。

大規模な話だ。

有名なタレントか歌手か何かのイベントだろうか。

その仰々しさに何となしに引き寄せられ、彩子もロータリーに足を向ける。

彩子が駅前のロータリー広場に着いた時。彩子は気付く。そこで行われていたのは、イベントでは無かった。

宣伝カーに架けられた看板を見て彩子は目を見張る。

天祓過神教あまつはらえのまかがみきょう

看板にはその名が大仰に描かれていた。

白無垢にも似た格好をした教団の人物と思われる人達が、ビラを配ったり、道行く通行人に声を掛けたりしている。 

神の亡骸…死皇を祀ると推測される新興宗教団体である天祓過神教。駅前の広場で、白昼堂々と、その宣伝勧誘活動が行われていたのだ。

あなたを救いたい。

あなたの助けになりたい。

そんな耳障りの良い言葉が彩子の耳朶を打つ。

新興宗教団体の大規模勧誘活動。その光景に、彩子の額の古傷が、ずきりと痛む。…だが、今はそんな事を気にしてる時では無い。

そう気持ちを切り替え、彩子はその新興宗教団体の布教の光景に目を向け直す。

教団の人達は、当然、忌まわしい死皇の名前などは一切口にしない。

その内容も、主には教団が開催する集会への参加の勧誘のようだった。

人集りの中、その場の流れに身を任せ、彩子もビラの一枚を受け取る。

集会の場所は…教団の本部施設だった。

数年前、街の郊外に建てられた巨大な建築物。それが教団の本部。以前に葛籠がそう教えてくれた。

「こんな大っぴらに活動しているなんて…。」

彩子は教団の影響力に改めて驚く。

ふと、人集りの中に、彩子の目に留まるものがあった。

女性の集団だった。

ビラと共にドライフラワーの花飾りを配っている女性達。皆、教団の人間なのだろう。

真っ赤なドライフラワーが一杯に入った籠を手に抱え、道行く人々に一輪ずつ配る女性達。

彩子の眼には、その花の真紅が酷く毒々しく映る。

花籠を持つ人達が寄り集まったその光景は、巨大で真っ赤な花束がその身を千切ってばら撒いているように見えた。

だが。その光景の中に。

一際、美しい花…華があった。

それは華ではなかった。

花のように美しい、1人の女性の姿だった。

その美しさの根幹にあるのは、姿形や服装といったような単純な見た目ではない。

その華やかな笑顔と穏やかな態度。そしてその淑やかな佇まいにあった。

それは、道ゆく人々を魅了し、注目を集め、足を止めさせるに充分であったろう。

しかし、彩子がその女性に注視した理由は、それではない。

驚きに目を見開く彩子。

…葵…ちゃんだ。

一際美しい姿で花を配っている女性は。

病院から忽然と去った彩子の探し人。

川島葵だった。

探していた葵ちゃんが、あろうことか、何と天祓禍神教の宣伝広報活動に協力していた!

どういうこと?

その事態に、彩子の頭は混乱する。

とにかく、葵ちゃんは見つかったんだ。まずは話しかけてみよう。

そう思い立ち、彩子は広報活動中の集団の群れに近付く。

しかし、人混みによるものか、それとも彼女に触れさせまいとする誰かの意思なのか、容易に葵に近付けない。

そうこうしているうちに、葵は宣伝カーの一台の中に消えていった。

だめだ。この場では葵ちゃんに話しかけることができない。

どうしよう。

洗脳。マインドコントロール。

そんな言葉が彩子の脳裏に過ぎる。

焦る彩子は、ふと、握りしめてくしゃくしゃになっていたビラ紙に気付く。

…教団本部で開催される集会。それに参加すれば、葵ちゃんと話せるチャンスができるかも知れない。

なんとしてでも、葵ちゃんに会わなければならない。

彩子は、先程の広報活動をしていた葵の姿を思い浮かべる。

彼女は、確かに、笑っていた。病院で伏せていた時とは大違いだ。

しかし、彩子はそこに歪なものを感じていた。

葵ちゃんは元々可愛い。笑顔の素敵な子だ。私なんかより余程、人から好かれる。

しかし、今日見た葵ちゃんの笑顔は…。

傷だらけの身体を包帯でぐるぐる巻きにして、その上から笑い顔を書き込んだような…作り物のような、とても歪んだもののように見えた。

有り体に言えば、『心の底から笑っていない』。今日の葵の姿に、彩子はそう感じた。

そのように見えたのは、彩子の霊が視える力…魂の輪郭を感じ取れる能力、それ故だろうか。

葵ちゃんはまだ、危険な状況に置かれている。

今度こそ、助けなければならない。

教団の集会が開催されるのは…明後日。

走り去る教団の宣伝カーを見つめながら、彩子は葵を救う決意を新たにする。

その時の彩子には知る由もなかった。…この快晴の空に相応しくなく、宣伝カーが停まっていた場所を中心に地面はジメジメと濡れそぼり、異常な速度で黒いカビの繁殖が進んでいたことに。

月の灯りすら差し込まぬ闇の部屋の中で。

一つに交わっていた影が二つに分かれる。

艶かしい細い影が、もう一つの細長い影に囁く。

「私は悪い事をしました。その罪悪感から逃れたくて、必死に自分を誤魔化してきました。」

長い影が細い影に囁く。

「その罪悪感から君は解放される。君にとっての救済の時がきたのだ。」

「枢樹さん。あなたが私を救ってくれるんですね。」

「私ではないよ。神が君を救ってくれるんだ。」

「神?」

「そうだよ。君が過去の罪に苦しみ続けるのなら、神が君の罪をはらゆるそう。

私には君の苦しみの記憶が読める。神の御力によってね。

君は、人の社会から弾かれる存在に堕ちてしまう事を恐れている。あの小汚い老人のように。だが、そうはならない。神が君の居場所を作るからだ。

君は特別な存在になりたいと願っている

そしてそれはもう叶わぬ願いだと思っているんだろう。しかし、それは違う。

神を君を必要としている。それはとても尊い事であり、それ以上の特別があるだろうか。」

「枢樹さん。私はあなたにも必要とされたい。」

「私は君を見つけただけだよ。神の瞳を使ってね。」

「どうして貴方は、私を見初めてくれたのですか?」

甘い華の香りが暗闇の室内に漂う。彼女の思考に優しい洞が空く。

「君は普通だ。普通の女性だ。

君が抱える苦しみは、多かれ少なかれ、誰もが抱くもの。そんな君が『特別』になっていく。その変化が私にとって価値のあるものであり、その君の価値は同時に周囲の人間にも影響を与えていくだろう。それが私の願いなんだよ。」

月の灯りすら差し込まぬ闇の部屋の中で。

分かれていた影が再び一つになっていく。

その影は二つでは無かった。三つ。四つ五つ。もっとたくさんの影が、細長い影に群がり一つになっていった。

駅前で行われていた天祓過神教の大規模勧誘活動から二日後。

教団の集会日になった。

彩子は駅前からバスを使い、街の郊外に建てられた天祓過神教の本部施設に到着する。

その教団本部の建物を見て、彩子は感嘆する。

巨大な建物とは聞いていたが、その規模は想像以上だった。

建物自体の大きさも相当だが、その外観にも驚きを覚える。

基本は球場のようなドーム型なのだろう。左右に卵のような円形の輪郭が延びている。

しかし施設の入り口がある正面側は瓦を模したような推型の屋根が幾重にも積み重なり、日本型の建築様式を踏襲している。

更に目を引くのがドーム上方に建てられたオブジェだろうか。台座の上に鎮座する巨大な瞳から両翼のように伸びた掌が印象的だった。

新興宗教と言えども、その基本には既存の宗教がベースになっている場合が多い。その建物様式も仏教風だったり西洋宗教風だったりする。

しかし、この教団の建物は…てんでバラバラなモチーフを掻き集めて無理やり合成したような、とって付けた感が強い。

しかし、少なくとも、邪悪な神を連想させるような意匠は感じない。

教団施設の正面入口に連なる階段を登る彩子は、鞄から覗く携帯電話の画面にちらりと目を向ける。

着信は、無い。

怪しい宗教に嵌った家族や親友を連れ戻そうとして、自分も嵌ってしまうなんて良く有る話だ。

まぁ、過去そういった事例に触れてきた自分が嵌るなんてないとは思うが…。教団には得体の知れない部分がある。気を付けなければならない。

だが、このまま教団施設に赴けば、「死皇には手を出してはならない」と言った祖母の指示を破る事になってしまう。

そう思い、昨夜祖母に連絡を入れてみたが、未だ電話が繋がらない。

だが、早く葵ちゃんに会わなければならない。彩子の脳裏に二日前に目撃した葵の姿が過ぎる。

これ以上、時間を掛けるのは危険な予感がする。

意を決して、彩子は教団施設に足を踏み入れた。

教団施設の中は、アイドル歌手のコンサートに使われるようなドームの造りに似ていた。

ベンチが備えられたロビーが横に広がり、分厚い防音扉の向こう側はメインホールになっている。

ロビーには大勢の参加者がおり、順番に防音扉を潜りメインホールに消えていく。

これだけの人間を集めるとは。天祓過神教の影響力の大きさに彩子は感嘆する。

ロビーを見渡すが、葵の姿は見当たらない。

葵を探し、彩子も参加者の流れに身を任せ、メインホールへの扉を潜る。

メインホールの中も、参加者で溢れていた。

参加形式的に、おそらくこの集会はセミナーに近いものなのだろう。

その宗派が崇拝する神について、どれほど素晴らしいものであるかを語り合う勉強会。いわゆるセミナーを開催した経験は彩子にもある。

その目的は、新規の入信者を増やすこと、そして信者同士の繋がりを深める事にある。

セミナーの中には数日泊まり込みで行うものもある。そのような集団での活動を通して、信者同士の団結を深めるのだ。そして、人が人を呼び、宗教団体は大きくなっていく。

今日の集会は日帰り形式であり、新規の入信者の獲得が目的であろう。

メインホールの一番奥には講堂のようなステージが設けられている。そこには集会のプログラムが書かれた段幕が下げられていた。

今日の集会の主な内容は、入信して幸福を得たという信者の体験談、信者と参加者の座談会となっている。

一見してその内容は、『よくある』ものである。

ふと、彩子は集会のプログラムにある一文に目が留まった。

集会の最初のプログラム。それは天祓過神教の代表者の挨拶。

代表者。つまりはこの教団の管理者であり、教祖なのであろう。

枢樹蘭堂。

それが、天祓過神教の中心人物。彩子はその名を胸に刻む。

集会が始まった。

広いホール内。厳かな雰囲気の中。口を開く者はおらず、会場内はシンと静まり返り、誰しもが正面中央の壇上を注視している。

集まった参加者の目前。3人の男女が壇上に姿を現す。

壇上の3人は、一際身長の高い男性を中央に並び立つ。

その立ち位置的に、中心の男性がこの教団の代表者であろうか。という事は、その左右に並ぶ男女2人は、代表者の側近といったところであろう。

教団の代表者。名前は…枢樹蘭堂。そうプログラムには記されていた。

色白の肌に緑のメッシュが入ったオールバックの壮年男性。整った顔立ちではあるが、黒のスーツに身を包むその男性は新興宗教の教祖と言うよりも、実業家かビジネスマン、悪ければ、マフィアのボスを思わせるような見た目だった。

その漆黒の格好からか、どこか他人を畏怖させる威圧的な風体を感じさせる。

しかし、彩子が壇上の3人に感じたことは、それだけでは無かった。

並び立つ3人の男女のシルエットに、彩子は既視感を覚える。

彩子が記憶を探る中。教祖・枢樹蘭堂が口を開く。

集会参加者に向けて、教祖としての言葉を語り出す。

「世界は足りないもので満ちています。例えば、平和を愛する心、他人を許せる心が足りないから、諍いや争い…戦争が起こる。例えば、分け与える気持ち。思い遣りが足りないから、飢餓が起こる。病が蔓延する。

それは世界だけでは無い。人間も一緒なのです。人間も足りないもので満ちています。人の欲求…求める心に際限は無く、人は何かに依存して生きています。それは地位や名誉だったり、仕事だったり、家族だったり、子供であったり、夢であったり、酒や性欲であったり、…力であったり。みんな、何かに隷属して生きているのです。

しかし、そこにこそ、人間の救済があると私達の教団は信じています。

欲求を持つこと。それは悪いことでしょうか。求めすぎるなと偉人は言います。しかし、私達は人間です。幸せになることを求めて何が悪いのでしょうか。他のものに寄り掛かって自分が成り立つのであれば、それで良いではないですか。

自身の欲求に向き合い、満ち足りた人生を送ることこそ、真の幸福であり、我が教団だけが、人間が持つべき幸福への道を示す事が出来るのです!」

そこで、枢樹は言葉を一旦区切る。

自身の言葉とその意味が参加者に浸透する。それを待っているかのような時間が流れる。

彩子の教祖の言葉を自分なりに咀嚼してみた。

例えば、キリスト教。宗派によって教義に差はあれども、清貧、貞潔、従順といった基本的な生き方を信者に求める事は共通している。

それにおける清貧とは、信仰の足かせとなる富への欲求や、所有欲といったものを捨て去り物から自由になり、神だけを頼る生き方と言える。

しかし、今、教祖が語った内容はそれとは全く真逆と言えた。

この教団の言うところの教義…言わば命題は、『欲を満たすことで救われる』であった。

この世界は足りないもので満ちている。人間は何かに依存して生きている。それを満たせば救われる。

それが、天祓過神教の教義。

しかし、だ。以前にこの教団が管理している(と推測されている)アプリ『MutualAid』に触れた時にも感じた事だが…。

全ての人間の欲を完全に満たすなんて、可能なのか?

少なくとも、この教団が具体的にどうやって信者の『欲を満たす』のか。教祖の話からは、その方法については一切語られなかった。

そんな彩子の疑問の中。再び教祖・枢樹蘭堂が口を開く。

「最後に、ここにいる皆様にお伝えしたい事があります。それは、死についてです。飢餓からも、病からも、戦争からも、逃れる方法はあります。しかし、死からは決して逃れることはできません。それだけは、人の身である以上、どうしようもない事実なのです。

しかし、その苦痛から救済される方法はあります。私たちの精神は、死を支配することができるのです。我が教団を、そして我が教団が神を祀る先に、本来であれば逃れることのできない筈である死の恐怖を超越できる世界が待っているのです。

私が伝えたかったことは、これが最後になります。我らが神は、そして我が教団は、死の支配と救済を、ここにいる皆様に約束します。私からは以上となります。」

教祖の挨拶はそれで終わった。

その後も集会はプログラム通りに進行する。

続く内容は、信者の体験談の披露であった。

次々に壇上に立つ信者達。その者らは皆、この教団に入り如何に幸福となったかを滔々と語る。

ある中年男性は、不幸な目に遭い全ての財産を失ったが、そこで教団に出会い、今ではまともな生活を送れているそうだ。

ある青年は、大学生活中に精神的に病み、普通の生活を送ることも困難となっていたが、教団の援助を受けて以降、贅沢な生活を送る事で鬱病が解消されたとのことだった。

ある女性は、会社を辞めた後、懇意にしてくれた男性に養われながら何不自由なく暮らしていると言っていた。彩子は、その女性に見覚えがあった。以前に会社を辞めた同僚だ。

信者の体験談が語られるたび、参加者からは拍手が鳴り響く。

こういった集会にはサクラを配置して盛り上げるのが普通ではあるが、中には信者の話に羨望の眼差しを向け、感化の涙を流している者もいる。

その光景に彩子は冷めた目を向ける。

誰だって、苦しんでいる。苦しみのない人生なんてあり得ない。

彩子にだって、消し去りたい過去はある。

この苦しみを消し去れるものなら、なんだってする。

しかし、それを物欲や他者依存で満たすのは、一時の誤魔化しでしかない。

根拠の無い教えに感化などせぬように。自分にそう言い聞かし、彩子は葵の捜索を再開する。

メインホールを隈なく歩き、目を凝らしたが、葵の姿は見当たらなかった。

人の波に疲れた身を休めるため、彩子はロビーのソファーに座り休憩を挟む。

この施設は広い。探す場所はメインホールだけではない。

おそらくこの建物の規模であれば、奥には来客用スペースやスタッフルーム、宿泊施設や鍛錬施設もあるだろう。

その捜索範囲に彩子はやや途方に暮れ、ソファーに身を沈めた。

柔らかなクッションに身を預けながら、彩子は何気なく携帯電話を開く。

携帯の画面を見る彩子。祖母からの着信は…無い。

同時に、開いた画面の端っこの表示された一つのアイコンが視界に入る。

樹木を模したイラストのアプリ『MutualAid』。教団との関係性も示唆されている、フリーマーケットに類すると思われるアプリ。

おそらくこれも、教祖・枢樹蘭堂が語った教義と無関係ではないだろう。

疲弊した頭でそんなことをぼんやりと考えていた時。

「彩子さんじゃないですか。」

突然名前を呼ばれ、「わぁ!」予期せぬ事態に彩子はソファーから腰を浮かす。

「驚かせてすみません。お久しぶりですね、彩子さん。」

突然現れた声の主を見て、彩子は驚く。

そこにいたのは、かつて葵達と共に幽霊ビルに侵入した、元不動産屋のサラリーマン・上川だった。

一カ月程ぶりの再会であろうか。幽霊ビルで見かけた時の上川は、擦り切れたビジネスコートを身に纏っており浮浪者を連想するような格好であった。

しかし今の上川は、教団の正装と思わしき白いパーカー様の格好に身を包んでいる。

…と言うことは、上川も、この教団に取り込まれてしまったのだろうか。だったら、信用するわけにはいかない。

「…上川さん。お久しぶりですね。」

言葉は丁寧。だが彩子の顔には隠せない警戒心が浮かんでいる。

「えっと、信用していないって顔ですね」と上川。その表情には苦笑いが浮かんでいる。

「えぇ、まぁ。幽霊ビルの時、あの黒づくめ集団とお知り合いみたいでしたから。」

彩子の脳裏に、幽霊ビルから黒づくめ集団とともに彩子達を残して先んじて脱出していっていった上川の姿が思い浮かぶ。

「いや、あの時は、ああするしかなかったんですよ。仕方ないじゃないですか…。」

…確かにその通りでもある。

上川のあの時の行動は、囮になってくれたようなもの。共にいた刑事の葛籠もそう言っていた。

「…上川さんは、なんでここにいるんですか?」

彩子は上川の現状を確認する。

「うん。あのビルを出た後、僕はこの施設でスタッフとして働いているんです。仕事が無いって言ったら、教祖が受け入れてくれたんですよ。」

教祖…。じゃあやっぱり…。

「ビルで遭遇した黒づくめの一人。あれは…。」

「そう。教祖・枢樹蘭堂その人です。」

上川の言葉で、事故物件から始まる幽霊ビルでの出来事。そして街で相次ぐ失踪事件に、この教団が関係していることが確実となった。

当の上川自身も、この教団と街の失踪事件を関連付けている。

「僕は、あなた達がここに来るのを待っていました。」

と、上川が彩子に告げる。

「どういうことですか、上川さん。」

「以前、葵さんや刑事さんには話したんですが…。自分がこの街の人たちに何をしてしまったのか。僕は真実を知りたいんです。そのために、この施設で働きながら教団のことを調べていたんです。」

つまり、上川はここでスパイ活動をしていたということか。

「この街で起きている失踪事件の真実を暴こうとしているあなた方に、この教団の本当の姿を伝える。それが僕のなすべきことだと思い、ここであなた方を待っていました。」

そう述べる上川であったが…。信用していいのものだろうか。

確かに、タイミング的に上川が葛籠や彩子の連絡先を知る事は難しかった。だから彩子や刑事達がここに来る事を待っていた。その辻褄は合う。

今の状況は、上川なりに、事件の真実を暴こうとして行動していた結果なのだろう。

上川を全面的に信頼しているわけではない。

しかし、葵の捜索や施設内の探索には、内部からの手引きは必要だ。

ひとまず、上川の言っていることを信じてみる事にした彩子は、質問を口にする。

「葵ちゃんもこの施設の中にいる筈なんです。見掛けませんでしたか?」

「見ましたよ。葵さんもこの施設で働いています。」

葵ちゃんはやっぱりここにいる!。しかし…。

「けれどね、葵さん、なんだか様子がおかしかった。僕が声をかけても、全く相手にされませんでした」そう続く上川の言葉に不安を覚える

やはり、ただことでない何かが葵ちゃんの身に起きているのだ。

「ところで彩子さん。刑事さんは来ていないのですか?」

上川が、刑事の葛籠の所在を聞く。

「はい。葛籠さんは、教団と自治体のつながりを明らかにするために、東京の本部に戻っています。ここには来ていません。」

「そうですか。刑事さんがいれば心強かったんですが」と、上川が肩を落とす。

「私だけですみません…」上川の落胆に思わず謝ってしまう彩子。

「いえ。彩子さんにだけでも、僕がここで突き止めた教団の裏の姿をお見せします。」

そう言って上川は、彩子をロビーの端っこにある教団職員専用の扉に案内した。

スタッフ専用。そう書かれた扉を過ぎた後、上川は通路脇のボイラー室のドアを潜る。

「…薄暗い場所ですね。」

「これから行く場所は、この教団本部における裏の顔。秘匿性の高い場所でしてね。関係者以外の人間が入るには、この裏道を使うしかないんですよ」と上川。

教団の裏。おそらくそれは、『人間の欲を満たす』というこの教団の教義に関わる場所なのだろうか。

暗く蒸し暑い通路を移動している最中。彩子は上川に、アプリ『MutualAid』と教団の関係について聞いてみた。

教団のスタッフとして働き、裏の顔とやらの事も知り得ている上川であればアプリについても把握しているのではと予想しての質問だった。

「はい。そのアプリも教団の裏の顔に大きく関係しています。」

このアプリについて上川が調べたところ、アプリの機能そのものは健全なフリーマーケットアプリらしい。

しかし、教団は裏でこのアプリを用いて、アプリに触れた者の情報収集を行い、更に非合法な売買行為を行なっているとのことだった。

「本来、こういった売買に関わる行為には商品取引法や薬事法、古物営業法といった法律で厳しい取り決めがあります。フリマアプリのようにインターネットを用いる場合でも強固な検閲や制限が掛けられています。全てのモノを自由に取引する事は難しい。

しかし、人が欲するモノは様々。『欲しい鞄を安く手に入れた』『いらないアクセサリーが高く売れた』そんな些細な物欲では人間は満たされない。

では、この際限の無い欲望を、教団はどうやって満たそうとしているか。

その答えが、この先にあります。」

上川の先導で、彩子は薄暗い通路の出口に辿り着く。

分厚い扉を開けた先には、窓ひとつ無い、広い空間が広がっていた。

先ほど集会を行なっていたホールがコンサート会場サイズだとしたら、この部屋は学校の体育館ほどの広さであろうか。

しかしその構造は全く違っていた。外部に通じるような窓も扉も一切なく、息苦しい雰囲気が漂っている。しかし壁や天井に備えられた装飾品は純白色であり、豪華絢爛さと重苦しさが共存するような異質な空間であった。

位置的には教団本部施設の中央辺りになるのだろうか。

「この場所は、教団に選ばれた者しか通されません。僕も、ここに入れるようになるには、かなりの信用が必要でしたよ。」

関係者以外が入り込むのは難しい場所なのだろう。

その空間は幾つかのブースに区分けされており、区域ごとにステージと椅子が並べられている。

「ここでは一体何が行われているんですか?」と彩子。上川は答える。

「この教団の教義の根幹は、『欲』です。欲を満たす事。それが幸福だと説いているんです。変わってますよね。」

「それは私も感じました。」

数多の宗教が禁欲を戒律とする。欲を抱くことを禁じ、欲を発散することを禁じ、さも欲など存在しないように生きよ。清貧。幾多の宗教はそう諭す。

でも、ここは全く逆の教えを説いている。

「…誰だって生きていくにはお金は必要。それは現代人であれば当然です。」

「は?」何の話かと訝しむ彩子。

「けれど、僕は今まで、この教団に全財産を寄付する人がたくさん見てきました。」

「…新興宗教に多額の寄付をしてしまうケースは、私も知っています」と彩子も返事を返す。上川の言わんとする事が解ってきた。

「でも、自身や家族が破滅するような巨額の寄付をするなんて、信じられない。」

そう。いくら信心深くても、そこまでする人間は、普通はいない。

「そうやって全財産を失った人間が自殺してしまう姿も目にしました。」

この街の自殺者の増加。それにも教団は関与しているのだ。

「そうやって寄付されたお金を、この教団はどうしていると思います?」

「…教団の運営費に充てる、とかですか?」

「いいえ。寄付された金銭はほぼ全て、信者に配ります。」

「は?」

「そうやって、教団は信者の金銭欲を満たしているんです。」

金銭欲。それは確かにほぼ全ての人間が持つ物欲だろう。

身の余る泡銭を困窮者に与え配る。それは良い意義を持つ行為だ。しかし、自死を選ぶほど追い詰められるような財産を与え配る行為には、当事者の判断力を疑う。

葛籠達刑事が教えてくれた自殺者の人数を数えれば、おそらくは何十人、いや、その、家族を入れたら100に届こうという人間が自ら死んでいったのだ。

本来、寄付とは善性のある行為だ。例えば募金のように、救済の為に金銭を募って集める行為は尊ばれるものだろう。

だが、この教団における寄付は違う。

確かに、財を与えられた者の金銭欲は満たされる。ある意味での幸福を得るかもしれない。

しかし、与えた側が破滅する事を知っていて、与えられる財を迷いなく享受するのであれば、それは与えられる側も狂っている。

彩子の脳裏に、一匹の獣を集団で貪り食い合う獣の群れのイメージが思い浮かぶ。

「でも、彩子さん。それだけじゃないんです。ただお金を持っているだけでは満たされない欲望もあるんです。それを満たすのが、この場所なんです。

上川が連れてきた部屋。そこに広がっていたのは、その際限無い欲を満たすための空間であった。

オークション会場のようなステージに立つ1人の女性。いや。女性というにはあまりにも若い。少女と言っても過言ではないだろう。椅子に座る男性達が、数字が書き込まれた看板を掲げている。その数字は数分の間に十万単位で増えていく。そして最も大きい数字が書き込まれた看板を持つ中年の男性と共に少女はステージの奥に消えていった。

「あそこでは女性が売られているんです。汚らしい欲望を満たす為にね。反吐が出ますよね」と上川。

若い女性が、小袋に詰められた白い粉を男性に渡していた。その女性には見覚えがあった。葵が入院していた市民病院に勤務している看護師だ。じゃあ、あの粉は…薬?

「そっちでは麻薬の取引きがされています。質の良い麻薬ほど快感が得れるみたいですね。手に入れる方法?。病院から横流しするんです。」

一際暗めの空間では、曰くありげな木像がオークションに賭けられていた。その四本腕の木像には見覚えがあった。以前、彩子が危険だと判断し封印を勧めた像だった。呪われた忌みいみもの。なんでこんな所にあるんだ?

「ああいったモノを使って他人に呪いを掛けたい酔狂な人間もいるらしいですよ。他人を妬んで足を引っ張る欲望もあるんですね。」

譲渡、売買、搾取。

欲望を満たす為であればなんでもありの違法取引が跋扈する空間。

それがここであった。

「こんなのは序の口ですよ、彩子さん。」

上川が言うには、この場所で手に入らないものは無いと言っても大袈裟では無いそうだ。

「違法な取引。通常であればそれらは警察が取り締まる。インターネットを用いても厳しい検閲が入る。不可能です。」

上川が淡々と説明を続ける。

「では、それらをどうするか。答えは簡単です。見つからなければ良い。この施設の深部を利用し、暗部の中で行う限り、この行為は秘匿できる。」

「上川さん?」

先程から、妙に饒舌な上川に、彩子は違和感を感じる。

「警察に訴えても無駄です。奴らは警察とも繋がっている。ここでは拳銃だって手に入りますよ。」

その口数とは裏腹に、怖いほど、上川は無表情であった。

「きっと今頃、あの女の子は、あの醜い中年の欲望の吐口になっているんでしょうね。」

淡々と、冗談では済まないような事を上川は口にする。

制欲を満たす為の人身売買。呪われた呪物の悪用。違法な麻薬取引。それらはまだ序の口であり、それ以上に見るのも口にするのも憚られるような行為もここでは為されているのだろう。

その倫理感の欠落した空間に、彩子は憤る。

しかしそれと同じくらい、平然としたままで最悪な行為を淡々と口にする上川に、彩子は怒りを覚えた。

「あなたはここで行われている行為を知っていて、ずっと放っておいたんですか!」

人間の売り買い。呪物の闇取引。違法薬物の横行。間違いなく不幸を招く行為だ。そんなものは今すぐにでも止めなければならない。彩子にとっても許せぬ行為を、平然と、淡々と説明する上川の態度が、彩子のかんに触れたのだ。

彩子の怒りの矛先となった上川。その瞬間。

「許せるわけがないでしょ!」

腹を抉るような、静かで重い声が上川の口から発せられた。

その怒声に驚く彩子。

上川の顔は…その言葉とは裏腹に、笑っていた。

いや…。泣いている?

怒りと苦痛をぐちゃぐちゃに混ぜ合わした上で、無理やり笑っている。そんな表情を上川が見せる。

その笑っているような泣いてるような上川の表情を見て、彩子は初めて気づく。

淡々とした上川の態度。しかしそれは実のところ、冷静でも平然でもなかった。禍々しい光景の渦中に身を置き続け、耐え続けていた結果だったのだ。

「まだです。まだこの教団の、真の裏の顔に辿り着いていません。これまでずっと耐えてきたんです。今騒げば、僕はここから追い出される。真相を暴けなくなる。だから、まだ動けません。」

上川にとっても、ここで行われている行為は到底看過できるものではなかったのだろう。

それでも耐えなければならないという多大なストレスを、精神的な苦痛を、上川は誤魔化し続けていたのだ。

「信じられないかもしれませんが、ここには、人の通常の判断力を狂わす何かがあります。」

そうだ。そうでなければ、いくら秘匿されているからといっても、この国の人間の倫理観で人間の売り買いが平然と行われる環境が成立するとは思えない。ここにいる人たちはその狂気を嬉々として受け入れているように見える。

「人を狂わす何か。それを為してるモノが、教団の真相なのだと僕は思っています。」

そう。これが教団の全てではない。

人間の精神を蝕む何か。この場所で行われている狂気を止めるには、それを突き止める必要がある。 

だが、彩子は同時にもう一つの疑問を覚える。

「上川さん。」

「どうしました、彩子さん。」

彩子が抱く疑問。それを上川にも話してみる。

「上川さんのおかげで、この場所が、人間の欲を満たそうとする場所であることは理解できました。」

「ええ。」

「ですが。ここで行われている『欲を満たす為の行為』は、この教団にとって、どんな意味があるのでしょうか?」

そう。この教団は、人間の欲望を叶えようと大掛かりな仕組みを構築している。

しかし、その行動は、この教団にとってどんな意味があるのだろうか。

それが彩子の抱える疑問だった。

その疑問に、上川は迷いながらも答える。

「えっと…信者を増やすためとか?」

「なぜ、信者を増やそうとするんだと思います?」

「うーん。お金の為…ではないだろうな。しっくりこない。」

そう。過去、彩子が携わっていた新興宗教の管理者である両親の目的は『儲けるため』であった。受け入れたくはないが、理解はできる。

しかし、この教団にとって『お金』は、稼ぐモノではなく、流すモノ。そう受け取れる。

では、教義のためか?

この教団が抱える教義は、言わば『現世利益』。欲を満たす、その損得勘定を重視する教義自体がダイレクトに『人を集める』行為に繋がっている。しかしここでも、人を集めたその先…結果については言及されない。

一体、この教団は何を目指しているのか。

人間の欲を満たす行為が、この教団にとって、どんな成果に繋がるのか。

それは、この教団と関係が深いと推測される死皇と関係ある事なのか。

天祓過神教。その深淵は、未だ視えない。

その時。

「彩子…?」と、女性の声が掛かる。

その聞き覚えのある声に、彩子ははっとして声の方向に目を向ける。

「葵ちゃん!」

そこにいたのは、彩子がここに来た目的。その行方を探し続けた女性。川島葵だった。

教団の仕様と思われる白いスーツに身を包んだ葵も、予想だにせず目の前に現れた彩子の姿に驚きを禁じ得ない様子であった。

葵ちゃん。こんな所にいてはいけない。一緒に帰ろう。そう言いたかったその言葉を彩子が口にする直前。葵が一人ではない事に気付く。

「その女性は、川島さんのお知り合いかな?」

葵の後ろから、一人の男性が姿を現す。その男は…先程、巨大なホールの壇上に立ち、堂々と、かつ整然と教団の教義を語った人物。天祓禍神教•教祖その人。

「枢樹…蘭堂…さん。」

「ほう。私の名前を知っているんだね。しかし、私は君に見覚えがない。教団の人間ではないのだろう。」

…この場所は、教団に深く関与している人間しか入れない場所。関係者ではない自分は疑われている。

タイミング的に、上川と私の会話は聞かれてない、はず。

だが、この状況をどう乗り切るか…。

「えっと、あの…」彩子は言葉を濁す。

数秒の好ましくな沈黙が流れた中。

「あの、教祖様!」と、上川が口を挟む。

「君は…上川君だったね。君がこの女性をここに連れてきたのかな?」

口を挟んできた上川に枢樹が反応する。

「はい。僕が連れてきました。今日の集会に参加して教祖様の語る教義に感銘を受けたそうで。本人のたっての希望で、案内しました。」

上川の言い訳は苦しい。

案の定、「軽率な行動は控えてほしいね」と枢樹は剣のある表情を浮かべる。更に…。

「それに、今、この女性は川島さんの名を呼んでいた。何か別の目的があるんじゃないかな?」

枢樹の勘は鋭い。このままではまずい。

「す、すいませんでした!」と上川は頭を下げる。さすがは元敏腕サラリーマン。頭を下げる姿勢が板についている。

「この場所は特別だ。本来であれば厳罰ものだよ。…しかし今回は多めの見よう。以後、気をつけたまえ。」

尊大な枢樹の態度であるが、上川は従うしかない。

「君はもう本来の仕事に戻りたまえ。この女性の事は私に任せて、ね。」

「…はい。解りました。」

枢樹の言葉に従い、上川はこの場から大人しく消える。

そのやりとりに、彩子はふと違和感を覚える。

ここは教団の暗部であり、施設本部の裏の顔。その秘匿を一般人に見せるなんて、教団にとって致命的な行動なはず。上川の行動は本来許されるわけがない。しかし、その上川に対して枢樹は、苦言は示しても咎めはしなかった。

なぜか、枢樹は上川に甘い。それは幽霊ビルの一件でも感じた事だった。

…いや。

今は葵ちゃんのことが優先だ。そう思い直し、彩子は枢樹と対峙する。

「さて、君がここにいる理由は…。」

薄笑いを浮かべながら、枢樹が言葉を続ける。

「おそらく君は、川島葵君に会いにここに来たのだろう。」

彩子の目的はすでにバレた。だがこの状況。誤魔化しは効かない。

「そうです。私は、葵ちゃんを連れて帰るためにここに来ました。」

彩子も嘘を語る事を辞め、目的を晒す。

その彩子の言葉に、枢樹は苦笑、いや失笑する。

「何がおかしいんですか?」

「いや、新興宗教から信者を取り戻そうと他人が無遠慮に介入し無粋に問題視する行為はよくある事だからね。君が珍しいわけじゃないよ。」

枢樹の薄ら笑いは続いている。まるでこの状況を楽しんでいるようだった。

こういった状況は、枢樹にとっては日常茶飯事なのだろう。

「しかし、どうだろうね。」

枢樹が、その長細い腕を伸ばして、親しげに葵の肩を掻き抱く。

「彼女は、ここにいる事を望んでいる。君はその彼女の意思を無碍にするのかな?」

その枢樹の行為に対して、葵は一切の抵抗を見せない。

その無遠慮な仕草を見て、彩子は嫌悪感を抱く。

つい、「葵ちゃん!」と大声を挙げてしまう

しかしその呼びかけに対しても、葵に動きはない。

反応に困っている、というように見える。

「葵ちゃん。ここから帰ろうよ」そう彩子は続ける。

彩子の言葉に葵は、「あのね、彩子…」そう何かを言いかけた。

その時、枢樹が葵の口元にそっと手を置き、葵の言葉を遮る。

「いいよ、彼女には私が説明しよう。」

「でも…」葵が枢樹を仰ぎ見る。

「いいから。君は黙っていたまえ。」

枢樹の言葉は葵に有無を言わせない。

葵の唇が貝のようにびたりと閉じる。

それっきり、葵が口を開くことはなかった。

「さて、彩子さんと言ったかな。」

葵の身を傍に置いたまま、枢樹が彩子に言葉を振る。

「…なんですか。」

「君は、彼女の幸せを考えた事はあるのかな?」

「は?」

「彼女はここで幸せに暮らしている。それのどこが駄目なのかな?」

枢樹の薄笑いは消えない。

相変わらず、枢樹は彩子を小娘だと舐め切っている。

まともに議論など交わす事なく、この場をやり過ごそうとする態度が透けていた。

…逆に考えれば、侮られている今であれば、彩子一人でこの場から逃げ出すことは容易であろう。危険に身を置いている状態から抜け出せる。

しかし。

今、この機会を逃せば、次に葵に会える時があるのか。

多分、もう無い。もう葵に近づけなくなる。そんな気がする。

このまま私が会話を止めれば、枢樹と葵ちゃんはすぐにでもこの場を去ってしまうだろう。

そうなるわけにはいかない。

なんとか、枢樹の興味を惹かねば。

彩子は覚悟を決める。

天祓過神教団教祖・枢樹蘭堂に踏み込む覚悟を。

「枢樹さん。」

「なんだね。」

「ビルの屋上。」

「ん?」

「黒づくめのマスク姿も似合ってましたよ。」

「!」

「あそこから帰るのは苦労しました。あなた達は随分と楽そうでしたが。」

幽霊ビルの屋上で見かけた黒づくめの格好をした男性。

ビル内の怪異を操れていたことからも、街の失踪事件との関係性は深いと思われる人間。

それは、目の前の枢樹蘭堂と同一人物なのだ。

「…面白い。君に興味が湧いてきたよ。」

そう彩子に言う枢樹の持つ雰囲気は、もう彩子を小娘と侮ってはいなかった。

「君と話がしたい。私の部屋に案内しよう。」

枢樹は、傍に佇む葵と、彩子を連れ立って、教団施設の最奥に向かって歩き始める。

天祓過神教団教祖・枢樹蘭堂の私室へ向かう中。

枢樹の傍にぴたりと寄り添う葵の姿を見て。

彩子は葵の事を想う。

葵ちゃんにとっての幸せとは、なんなのだろうか。

葵ちゃんは過去、何かの罪を犯した。以前にそう言っていた。

それが社会的な犯罪なのか、他人に咎められるような行為なのか。それは葵ちゃんにしか知り得ない、シビアで深刻な問題なのだろう。

葵ちゃんはその過去の罪悪感から逃れるために、人に認められようと足掻いていた。

人に、社会に求められる人間になりたい。ならなければならない。

言わば、葵ちゃんは承認欲求の奴隷になっていた。

両親が昔、私に教えてくれたことの一つに、『承認欲求を刺激すれば人は簡単に律すれる』というものがあった。

新興宗教の信者を増やす為の知識だ。

恋人から愛されたい。

他人に求められたい。

上司に褒められたい。

組織に必要とされたい。

『認められたい』。その感情は言わば本能であり、誰もが抱く感覚だろう。

だが、『認められたい』が『認められねばならない』に変わる時。それは危険な感覚となる。

『認められたい』は、まだ自分でコントロールができる。だが、『認められねばならない』となると、それはもう自分だけでは制御不能となる。

制御を失った感情は、ブレーキの利かない車に乗るようなもの。この状態は呪縛だとも言える。

他人に、社会に組織に認められようと、無意味に他者に頭を下げ、機嫌を取り、媚を口にする。その結果の相手の反応で、自分の感情を…『認められたい』という満足感を得る事はできるのかもそれない。

しかし、それが真に相手に『認められている』かどうかは、相手自身になってみないと絶対に判別は付かない。人は社会性の生物。真に自分が思っている事を容易に口にはしないし、できない。

それを認識してしまった時。人間は『認められねばならない』という強迫観念に曝される。自我ある人間であれば尚更だ。

そして、その強迫観念は絶対に解消されないのだ。自分と相手に想像力がある限り。

思ってもいない媚を口にして、相手の言葉に一喜一憂し、解りもしない他人の心情を省みる。そしてその行為そのものに唾棄するような嫌悪感を覚える。それは苦痛でしかない。

人間の中身…精神を完全に満たす行為は、物欲を満たす事などよりも遥かに困難なのだ。

しかし、『騙す』となれば、それは容易に行える。特別な訓練等受けずとも、人間は、簡単に嘘を付ける。

「あなたを愛している」「あなたが必要です」「私達はあなたを求めています」そう口にすることは誰にでもできる。

それを悪用し詐欺に活用する術もあれば、それを行い賛同者を増やす悪意ある集団もある。

この場所にいれば、葵ちゃんの苦痛は「満たされる」し「忘れられる」だろう。方法や手法はどうあれ、ここはそういう場所なのだ。

ここにいることが、葵ちゃんにとっての幸せなのか?

一時の承認欲に満たされて、苦しみを忘れることが、幸福なのか?

違うと思う。

…以前、葵ちゃんは私に言っていた。変わる勇気が欲しい、と。

ここにいれば、葵ちゃんは、その勇気を満たすことはできるのか?

やっぱり違うと思う。

葵ちゃん自身の生き方は、葵ちゃん自身が決めねばならない。幸福の形は、葵ちゃん自身が決めることなのだ。

それは直接、葵ちゃんに聞いてみなければ判らない。

そして、それはこの場所ではダメだ。

ここには、人の精神を狂わす魔力がある。

なんとしてでも、今すぐ、葵ちゃんをここから連れ出すんだ!

枢樹の私室に歩を進める中、彩子は再度決心する。

葵ちゃんをここから連れて帰る。その為にも、教祖と話をしなければならない。

彼と対話し、できるなら説得し、承諾がなければ、葵ちゃんをここから連れ出せるとは思えないからだ。

緊張の面持ちを浮かべる彩子は枢樹に伴われ、教祖の私室に到着した。

「葵君は部屋の外で待っていたまえ。」

「はい。枢樹さん」と、葵は逆らう事なく歩を止める。

「君は…彩子君と言ったかな。入りたまえ。」

彩子は枢樹に導かれ、部屋に足を入れる。

禍々しい邪神を祀る教団のトップの部屋。教団のシンボルとも言える教祖の私室。怪しい祭具や札、像なんかが並べられている…。部屋に入る直前まで、彩子はそんなイメージを抱いていた。

しかし、実際に部屋に入ってみると、そのイメージは覆る。

来客用のソファー。その奥の設置された机と椅子。壁にはファイルが並べられた本棚。

「…ずいぶん整った部屋なんですね。」

「ん、ああ。この部屋に人を招くことは滅多にない。無駄な装飾など不要だ。」

その部屋は、怪しい教団の教祖の部屋、というより、企業の重役の部屋。そんなイメージだった。

「そこに掛けたまえ。」

枢樹は彩子をソファーに座るよう促す。

「…はい。」

その声に従い、彩子もソファーに腰を降ろす。

「さて。単刀直入に伺うが、君は、何を、どこまで知っているのかな?」

自身の机のチェアーにゆったりと腰掛けた枢樹は、彩子を問いただす。

枢樹の質問の内容はシンプルだった。答えるのは簡単だ。しかし、せっかく教団の管理者との対話のチャンス。できる限り相手の情報を聞き出したい。そう思った彩子は、質問に質問で返した。

「枢樹さん。それを答える前に、私からも質問があります。」

「何を知りたいのかな?」

「この教団が目指すもの…宗教組織として運営についてです。」

その彩子の言葉に、枢樹は「ほう」と不敵に笑う。

「君は新興宗教の運営に興味があるのかな?」

「はい。」

この宗教団体への疑問。それは本当だった。

彩子はその幼少期を両親の利益目的の振興宗教団体の囲いの中で生きてきた。清濁抜きにしても、その身にも心にも、その集団の中での生き方が身に染みている。

故に、この教団の教義ややり方に歪さを覚えていた。

「世の数多の宗教が禁欲を戒律としています。欲を抱くことを禁じ、欲を発散することを禁じ、さも欲など存在しないように生きよ。清貧。幾多の宗教はそう諭しています。でも、ここは全く逆の教えを説いている。言わば現世利益の追求。その先にある真の幸福を得る。それがこの教団が目指す理想像なんですよね?」

「…驚いた。若いのによく勉強しているみたいだね。」

彩子の言葉に、枢樹は素直に感嘆を示す。

「現世利益の先の幸福。でもそれって、本当に可能なんですか?」

「ふん…。なかなか的を得た質問だ。」

「この施設に来て、この教団が信者の欲望を満たす為にどんな活動をしているのかも、おおよそ理解しました。」

彩子の質問に関心を惹かれた。それを表現するかのように、枢樹は机に身を乗り出し両肘を置く。

「続けたまえ。」

机の上の肘をついたままで、枢樹は両の手の指を組んで口元に持っていく。

「でも、欲望を満たすことが、本当に信者の幸福に繋がるのでしょうか?」

枢樹の権限を使えば、小生意気な小娘一人、施設の外に追い出すなど容易であろう。そうしないのは、枢樹自身が彩子との会話を楽しんでいるからに他ならなかった。

「欲望を満たす教義には不備がある。君はそれを言いたいのだね。それは何故だと思う?」

「人間の欲望を完全に満たす事は不可能だからです。」

「ふむ。それは、清貧や禁欲主義といったような道徳的な観点からの意見かな?」

「いえ、違います。もっと根本的な問題です。」

「続けてくれ。」

「何故なら、社会の資源は有限だからです。この教団の教義で言うところの、全ての人間の欲を満たすなんて、絶対に無理です。」

彩子の言葉に、枢樹は「ふっ」と口元を歪める。組まれた指で見えにくいが…枢樹は笑っていた。

その枢樹の笑みに、彩子は少し苛立つ。

「しかも、この教団が欲を満たす行為の根幹として用いている手段は違法取引。犯罪行為です。いつか限界が来ます!」

つい語尾を強めてしまった。

教団の裏の顔についての糾弾。彩子の言葉はそれだった。

彩子もそれを自覚していたが、犯罪行為を見過ごすわけにはいかない。

怒らせてしまっただろうか。追い出されてしまうだろうか。

彩子の脳裏に緊張が走る。

しかし枢樹は、彩子の言葉に感情を揺らす素振りなど露にも見せず、彩子の話の先を促す。

その態度は、なんというか、まるで、会社の後輩からの疑問に真摯に耳を傾けようとする先輩。そんな雰囲気であった。

そんな枢樹の態度に、彩子も少し困惑しつつ、言葉を続ける。

「例えば仏教においては、煩悩を断ち切る事を教義の一つとしています。しかし実際に煩悩を完全に立つなど不可能です。けれど代わりに、強い執着や感情を制御するなどの考えを持つことを説き、煩悩を悪いものと捉えず、前向きに捉えて正しくコントロールすることが大切だと推奨しています。それは当人の努力次第で達成可能な教義と言えます。けれど、あなたの教団の教義は違う。」

「この教団の教義は達成が不可能。なぜなら、思想を人の内面ではなく、他者や社会が関係する外面に求めているから。そんなものを信者に説いてどうしようと言うのか。それが君の疑問かな?」

「そうです。教団の管理者として、それをあなたがどう考えているか。それを聞きたかった。」

彩子の言葉に、枢樹の反応は無かった。そう見えた。

暫しの静寂の後。

枢樹の肩が震える。

「君との話は面白い。」

突然、枢樹は椅子から立ち上がる。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。

「人間の欲望を満たすなど、到底達成不可能な目標。まさしく君の言う通りだ。君がそこまでこの教団の教義を理解しているのであれば、私も君の疑問に真摯に応えよう。」

枢樹の態度には喜びがあった。出来の良い部下が現れた。そんな態度であった。

「…はい。お願いします」その枢樹の豹変に戸惑い、彩子の言葉もつい丁寧になってしまう。

「私にとってこの教団の教義は、言わば目的達成の為の手段。私の目的は、この教団を巨大な組織にする事のみ。」

「は?」

「新興宗教のマネジメント。それが私の行動原理だよ。組織の巨大化。現代を生きる社会人にとって至極真っ当な理由。そうだろう?」

「は、はぁ…。」

欲望を教義とする教団の教祖の目的。もっと悍ましい理由を想像していた彩子は、枢樹の言葉に戸惑う。そんな彩子の当惑を意に解する事なく、枢樹は両の腕を広げ熱く語る。

「組織としての『成功』とは、なんだと思うかな。私は宗教の運営とは、優れたビジネスモデルだと思っている。世界規模で躍進する一流大企業でもせいぜい4、50年の活躍だ。しかし宗教は違う。例えばキリスト教。数十年どころか2000年以上活躍し、20億人の信者を抱えている。それは強大な影響力を持つ組織であり、類まれなる成功と言っても過言ではない。企業でいうところのライバルも少ない。宗教運営は、言わば事業のブルーオーシャン。優れたマーケットなのだよ。」

「え、えぇ…。」

「私が組織をマネジメントする目的は、組織をより強く、大きくすること。信者を増やし、繋がりを強固にすること。私はこの教団に、その可能性を感じているのだよ。」

枢樹の語る内容は、まるで実業家や経営マネージャーにような言い方だった。

そして彩子にも、枢樹の言葉を理解できた。

「組織を大きくする。そのために、『欲を満たす』という教義を抱えたんですね。」

「その通り。君は理解が早くて助かるよ。」

彼の目的は、新興宗教のマネジメント。言わば宗教団体のプロデュースと言うべきなのだろう。

彩子も社会人として会社で仕事をしている。ビジネスという考え方は理解できる。

しかし、それだけの理由で、違法な行為を犯すのか。不幸な人が生まれても平気だというのか。それは彩子の理解…というか共感の範疇を超えている。

そして、大仰な態度で共感不可能な考えを嬉々として語る教祖・枢樹にも、胡散臭さを感じる。

嘘を言っている感じはない。しかし何か…、表向きの台本を喋っている。そんな手応えの無さを感じる。

しかし、これ以上枢樹を詰問しても無駄であろう。そう認識を改め、彩子は葵を連れ戻すという当初の目的に思考を切り替える。

「枢樹さん。教祖である貴方の考えは十分に理解できました。教団を信じる信者には聞かせられいような貴重なお話をありがとうございました。」

「…随分と慇懃な物言いだね。」

「はい。少なくとも、貴方が抱える教義では、葵ちゃんは幸せになれない事は解りましたから。」

「川島君の幸せか。君はそれをなんだと思っているのかな?」

「解りません。葵ちゃん自身の生き方は、葵ちゃん自身が決めるものです。それがなんなのか。それは直接、葵ちゃんに聞いてみなければ判りません。」

「ははは。なんとも悠長な話だね。」

「でも、以前、葵ちゃんが私に話してくれたことがあります。自分に必要なのは『勇気』だと。」

「…勇気?」

彩子の言葉に、枢樹が動きを止める。

「どんなに物欲が満たされようとも、どんなに他人から仮初の承認を与えられようとも、自分自身の勇気を満たすことには繋がらない。」

「…ほう」その表情からは笑みが消えていた。

「それに…」彩子はキッと枢樹を睨みつける。

「…何かね?」枢樹も真っ直ぐに視線を返す。

「この場所は駄目です。ここには、人を狂わすナニカがある。それは恐らく、施設内に香る花のような匂い…何かの花粉がその素なんですよね。」

「君は…」枢樹が眉を顰める。

「それは、本当は花粉なんかじゃなくて…。もっと醜悪な、人の精神を蝕み、判断力を狂わすナニカ。」

「…君は、どこまで知っているのかな?」

初めて、枢樹の表情が怪訝に染まる。彼女は何者だ。その疑問が頬筋に現れている。

「花粉…その何らかの粒子の正体。それにはきっと『死皇』が深く関係している。そうなんですよね。」

ここに来て、彩子は初めて、この教団の根幹的な存在と目される神…『死皇』の名を口にする。

枢樹は彩子を小娘と侮っている。邪神・死皇の名は、彩子が持つ反抗の手札の一つだった。

「君は…何者だ?」

まさか、こんな小娘から死皇の名が飛び出すとは!

完全に虚を突かれる形となった枢樹は動揺する。

「邪神を祀りあげるような場所に、大切な友人を置いておくわけには行きません。葵ちゃんは連れて帰ります。いいですね!」

と言い切り、彩子は枢樹に背を向け、部屋の扉に手を掛ける。

「どうやら、君は私の想像以上に真実に近い場所にいるようだね。本当に面白い。そんな君を、ここから無事に帰すと思っているのかな?」

…もちろん、素直に帰すわけがない。そんな事は想像できる。

彩子は二つ目のカードを切る。

「私は警視庁とも繋がりがあります。私に何かあれば、貴方達教団の手の届かない場所にある警察が動き出しますよ。」

もちろん、真実半分嘘半分のはったりだった。彩子は更に駄目押しを試みる。

「この教団は死皇を祀る団体なんですよね。そして教団の運営者は死皇の関係者。街で相次ぐ失踪事件も教団が暗躍している。」

枢樹の動揺からも、教団と死皇の繋がりは確実なのだ。

「教祖である枢樹さん。貴方の正体は邪神の眷属。そうなんでしょ?」

邪神の眷属。

その言葉に、枢樹は反応する。

しかしその反応は、彩子が初めて目にするものだった。

それは教祖的な傲慢さではなく。しかし管理者としての知的なものでもなく。

「君には、私が人外の眷属に見えるのだね。」

まるで、安堵したかのような、力の抜けた表情であった。

「それは何とも好ましい…話だ。」

「え?」

先程とは異なる、枢樹の、なんというか、…人間臭い様に、彩子は戸惑う。しかし今は葵を連れてここから逃れることが先決だ。

「私も葵ちゃんも、ここから帰ります。」

そう告げ、教祖の私室を飛び出た彩子は、室外で待つ葵の手を取る。

「帰るよ、葵ちゃん!」

「え、でも枢樹さんは…」驚く葵。

「教祖様の許可は得た。行くよ!」

とにかく、この場所から離れれば、葵ちゃんは正気に戻る。そう目論み、彩子は粟生の手を取り、強引に施設の外を目指し、通路を進む。

「枢樹様。あの娘達を逃して良かったのですか?」

彩子の去った後。私室の教祖・枢樹蘭堂の元に、一人の女性が現れた。

壇上での教祖の挨拶の際に、枢樹の傍らで。そして、枢樹と共に幽霊ビルに赴いていた、教団の幹部とも言える女性だった。

「大丈夫だよ。」

先程の動揺をおくびにも出すこともなく、枢樹は返事を返す。

「川島葵。彼女は既に手遅れだ。必ずここに戻って来る。」

「解りました。ですが、もう一人の小娘は…。」

「そうだね。彼女は面白い。少々手荒な手段が必要だろう。任せたよ。」

「はい」秘書然とした振る舞いで短く返事を返し、女性は部屋を辞去する。

私室に一人残る枢樹。椅子に深々と身体を預け、掌を額に翳し、彩子との対話を思い返す。

本当に、面白い娘だった。しかし、何故自分は、あの娘に真実を伝えてしまったのだろうか。

…自分は、あの娘と何処かで会った事がある?

「…まさか、ね。」

教祖の私室を離れ、彩子は葵の手を取り、教団施設の出口を目指す。

ハッタリが効いたのか、追手はかかっていない。

施設の間取りに迷いながらも、急ぎ教団施設の出口に向かう最中。

一つの階段の前で、彩子は急に立ち止まる。

それは、真っ暗な地下に続く階段。

嫌な予感が、彩子の背筋に奔る。

確信は、無い。

しかし、直感はあった。

この階段の先に、忌まわしい存在がいる。

はっきりと見えず、位置も定かではないが、その魂の輪郭を感じ取れる才能が、その存在をはっきりと捉えていた。

私は、またきっと再び、この場所に戻ってくることになる。

そして、この階段の先にいる死皇と対峙する時が来る。

これで終わりではない。

その予感を、彩子はひしひしと感じていた。



第九話へ続く

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