亡骸群落~第七話:『シニイキルモノ』その壱~
季節は冬の始まりの頃。雪が舞い散るにはまだ早いが、冷たい風が生い茂る樹々の隙間を抜けていく。
神懸彩子は墨黒色の喪服に羽織るコートの襟元を締め直した。
空を見上げれば、死者を荼毘に付す黒煙が曇り空に広がっている。
現代社会では、人が亡くなれば葬儀が行われる。そしてその身を荼毘に付す。
ここは、街から離れた山間に建てられている火葬場。葬儀に参加した多くの者が火葬場に同行し、互いに葬いの言葉を交わしていた。
故人と親しい間柄であった彩子も、葬儀に参加した一人であった。
「あ~、彩子の嬢ちゃん。」
ぼんやりと曇り空を眺める彩子に、男性の声が掛かる。
声の主は、刑事の葛籠鐡道。警視庁警備局警備部特殊心霊対策室所属心霊事案担当、通称『トクシン』の刑事である。
「まぁなんというか…。羽佐間さんからも聞いたよ。葵の嬢ちゃんのこと。…残念だったな。」
この場では話辛い話題だった。ばつが悪そうに葛籠は火葬場から立ち昇る黒煙に目を向けた。
「…いえ。」
そう答える彩子の声にも抑揚が無い。
「彩子の嬢ちゃんとは話がしたかった。なかなかタイミングが掴めなくてな。こんな時に、すまない。」
彩子への話は、無関係な者の前では、容易に口に出せない内容だった。
「あの…葛籠さん。」
「なんだ?」
「葵ちゃんの死の真相は、公表されないままですか?」
彩子のその疑問は当然だった。
川島葵。
彩子の同僚であり、大切な友人…だった。
「今はまだ難しい。本当に申し訳ない。」
葛籠が頭を下げる。
「例の教団と自治体の繋がりは深い。街の警察も自治体や教団の言いなりだ。だが俺は絶対に諦めない。葵の嬢ちゃんの無念は、俺が必ず晴らしてやる。」
静かだが、しかし確かに、葛籠の言葉には教団に対する怒りが篭っていた。
「葵の嬢ちゃんが言っていた、『街の住民は失踪事件が続いているのに誰もそれを気にしない』っていう雰囲気があるって話な。その原因は、街ぐるみの隠蔽工作だったってわけだ。」
そう。葵ちゃんが嫌っていた街の雰囲気。
その根幹にあったのは、事件を引き起こしていた教団による暗躍だった。自治体規模で警察の捜査を抑え、報道やニュース、ネットに圧力をかけていたのだ。
周囲の誰もが興味を持たずネットやニュースの話題に上らない。その上で、己に無関係なことならば、人は他人に関心を持たない。誰しもがそうではないが、人の心理にはそういう土壌がある。いわゆる関心領域というものだ。
両親が幼い彩子にそう教えてくれた。
「でもたぶん、街の雰囲気を作っていたのは、それだけじゃないと思います。」
「うん?」彩子の言葉に、葛籠は怪訝な表情を浮かべる。
「葛籠さん達が離れた後…。街は変わりました。あの街に蔓延るモノは、雰囲気とかなんて生優しいものじゃありません。あの街は今、怪異に呪われ…支配されています。」
「もっと早くに俺達『トクシン』が介入できていればよかったんだがな。本部に戻った時期も悪かった。すまんな。」
「いえ。葛籠さん達が街に来るもっと前から前兆はありました。でも、誰もそれに気付かなかったんです。気付いた時にはもう手遅れでした。」
「呪い。そして支配か。それも全て…。」
「死皇の能力が関係しています。」
「死皇…。あの教団が信仰しているヤツか。」
「はい。天祓禍神教が祀る神の力です。」
「はは。敵は神様ときたか。」
そう。彩子達の敵は、神と呼ばれる存在なのだ。
「その死皇とやらの事は、小夜さんから聞いたのか?」
小夜。神懸小夜。彩子の祖母であり、霊能者だ。
「はい。お婆ちゃんは今も、私の手の届かない場所で戦っているはずです。」
彩子のその言葉に、葛籠の表情が曇る。
「そうだといいな」空を見上げるふりをして葛籠は彩子から目を逸らす。
「それで、だ。こんな時にすまないんだが。」
「葵ちゃんのことですね。」
「ああ。俺は真実を知りたい。三日前、あの教団施設の中で彩子と葵の嬢ちゃんに何があったのか、教えてくれ。」
現地の警察は当てにならない。葛籠が川島葵の最後を知るには、彩子から話を聞くほか無かった。
「それだけじゃない。死皇とやらについてもだ。頼む。」
「解りました。私が知っていることと、葵ちゃんに起きたこと。全て葛籠さんにお伝えします。」
真実を話し始める彩子。
話の始まりは、彩子の祖母・神懸小夜との電話であった。
…
…
葛籠達刑事が、教団の捜査を進めるために本部に戻ったあと。
身近に味方を失い、葵の退院の目処も付かず、心細さを抱く彩子のもとへ、祖母から電話があった。
「街の怪異はあんたの手には負えない。」
「あたしが行くまで何もするんじゃないよ」
「彩子はあたしが必ず守護る。」
電話の先の祖母はそう彩子へ言った。
それでも不安な彩子の気持ちを察して、祖母は言った。
「『刃の欠片』を彩子の元へ送った。それがお前を守ってくれる」と。
肌身離さず必ず身に付けろ。そうも言っていた。
彩子は当然の疑問を口にする。
「刃って、何」と。
祖母は答える。
「あたしには、あまり時間が無い。だから簡単にしか伝えられないけどね、その『刃の欠片』はね…。」
電話口の向こう側で、祖母が一瞬押し黙るのが解った。
彩子に伝えて良いものか。そう迷ったのかもしれない。
しかし、話すことが彩子の身を守ることにも繋がるかもしれない。そう考えたのか、祖母は話を続ける。
「それは、神を殺す刃。その欠片なのさ。」
「…神を…殺す、刃?」
そんなものが実在すると言うのか?
「彩子。お前に我が家に伝わる伝承を教えるよ。」
そう言って、祖母は神懸家に古くから伝わる伝説を語り始める。
…
太古の昔。人間が未だ自然の神秘を敬い、奇跡を信じ、見える事の無い大いなる存在を無垢に讃えていた時代。
それらは遥かなる宇宙の彼方からか、又は此処とは異なる次元からか、地上に降臨した。
それらの姿形こそ生物的ではあったが、しかしこの星の生物とは大きく理を異としており、生命体の域を超越した強大な力を有していた。
同時に人の力では決して滅ぼすことの出来ぬ不滅の存在であったそれらに、太古の人間はそれに最も相応しい呼び名を与えた。
『神』。
神無き世界に真に神と呼ばれる存在が顕現したのだ。
それら神々の中に、他の存在に比べ一際強大な力を持つ者がいた。
その神の名は…。
『金色の皇子』。
それは後に『死皇』と呼ばれる者であった。
その神は、残酷であり、非道であり、支配を好んだ。故に、人々は、その巨大な存在に、跪き、敬い、従うしかなかった。
しかし、その神の支配から逃れる為に立ち上がった人々がいた。
人間達は『金色の皇子』を滅する為に、女神と呼ばれる『白雪の魔女』に協力を仰ぐ。
『白雪の魔女』は力無き人間達に、一つの刃を与えた。
それは、不滅の存在である神を人の手で唯一殺せる武器。
力無き人間達は『白雪の魔女』の助力により、『金色の皇子』を殺害せしめた。
「その神の殺害に用いられた神殺しの刃の名を、『黒き死の刃』と呼ぶ。」
「死の刃…。」
「彩子。あんたに送ったものはね、その刃の欠片さね。」
『黒き死の刃』により殺された『黄金の皇子』は、最初の神の死者として、他の神々により丁重に葬られた。この大地のどこかに埋葬されたという。
しかし、実のところ、『金色の皇子』は滅んではいなかった。
人の手で殺害できたのは、神の『魂』のみであり、神のその『肉体』は滅んではいなかった。殺しきれなかったのだ。
『魂』のみを殺されたそれは、不滅の『肉体』のみとなり、醜く成長し続け、もはや神であった頃の面影を留めない異形の姿へと変貌していった。
それから幾星霜が過ぎた。他の神々はこの星から去り、地上には人間と、神々の崇拝を続け神に近づこうと跋扈する眷属だけが残された。
神が去った後。この星に残された『金色の皇子』の肉体は、その成り立ちを変えて、今もこの世界に存在している。
こうして『死に生きる』状態となった神の肉体は、今ではこう呼ばれている。
『死皇』と。
「…じゃあ、この街の地下に巣食っているのは、神様なの?」
「それは違うよ、彩子。あたしに言わせればね、あんなものはもう神じゃない。魂を失い、神としての神性はとうに消失している。」
「で、でもお婆ちゃん。そんなもの、どう対処すればいいの?」
「あれはもう、ただ他の生命を貪るだけの異形の生物。邪悪なだけの怪物さね。あたしはそれを滅する為に、ずっと遣り合ってきたんだよ。」
今、あたしには時間がない。
あんたの事は、あたしが必ず守るからね。
祖母は最後にそう言い残し、通話が切れる。
それ以降、祖母との電話は繋がらなかった。
…
祖母との電話の後。
自室のベッドの上で、彩子は膝を抱えて考え込む。
死皇。不滅の存在。そんなものが本当に実在するなんて。
俄かには信じられない。
しかし、祖母が嘘をつく筈がない。
太古の神が存在し続け、現在社会に脅威をもたらしているなんて話、自身が祖母の孫でなければ、荒唐無稽な寓話と聞き捨てていただろう。
だが、彩子は実際に怪異を目にしている。葵ちゃんが見たものを聞いている。それが地縛霊とか悪霊とかのレベルを遥かに超えたものであろう事も察している。
信じないわけにはいかなかった。
彩子は、祖母が教えてくれた死皇について考え込む。
本来、不滅の存在であったはずの、神の殺害。
神に叛逆した人間達の手によって、それは成された。しかしその殺害は不完全であった。
魂を殺すことには成功したが…肉体だけは滅びる事なく生き残った。
結果、魂だけが滅びた不滅の肉体という矛盾を抱えた存在だけが残った。
祖母の話では、死皇の肉体は今も存在し続けているという。街の怪異も、それが原因であるとも言っていた。
そこで彩子は疑問を抱く。
魂を殺された結果、肉体だけで生き続ける死皇。
それは今、『どのような姿になっている』のだろうか。
それを祖母から聞く前に、通話はできなくなってしまった。
ここからは彩子自身で考えるしかない。
しかし、言わば神の身姿の変化に答えなどあるのか?
死皇。
魂を殺され、肉体だけで生きるモノ。
…不死と半不死が同居した存在。
ふと、過去の記憶が彩子を刺激した。
不死と半不死が同居した存在。それを以前、耳にしたことがある。
どこだったか…。
そうだ。思い出した。例の、幽霊ビルでだ。
羽佐間時雨刑事ともにそのビルが地面に消え去る場面に遭遇した時だ。
『木ってさぁ、″動けない″んじゃなくて″動かない″んだってさ。』
『エネルギーさえ得れる形状であれば″動物″みたいに必死になって全身を運動させる必要はないそうだ』
『決して″不死ではない″が、一つの個体の中で″死んでいる部分″と″生きている部分″が共存できるんだとさ。植物ってな、逞しい生きもんだよなぁ』
そう刑事である羽佐間が言っていた。
羽佐間の言葉は偶然だったろう。なんせ、盆栽で得た知識だったのだから。
しかし、羽佐間刑事が感じた印象は…当たっていた。
祖母が教えてくれた、不滅の肉体を持つ死皇の特性。
それから彩子が連想したモノ。
それは、…『植物』。
死皇を祀る教団の意匠、世界を食う樹木。
そして彩子がここまで見聞きしてきた、死皇の姿。
「今の死皇は、植物の特性を持っている…。」
それが、彩子の辿り着いた、現代の死皇の姿であった。
…
…
「死皇は植物の特性を得ている。」
現在の死皇の姿。そしてその能力。
死者を弔う黒煙を曇り空に吐き出す火葬場で、不滅の存在である死皇についての会話を続ける。その滑稽さに彩子は心の中で苦笑する。
「彩子の嬢ちゃんの考察では、その死皇とやらは、植物と同じような特性を持っているんだな。」
荒唐無稽な内容であったが、さすがは警視庁の心霊担当。葛籠は彩子の話を抵抗感なく受けれてくれていた。
「はい。死皇の不滅の肉体が現代まで存在し続けた結果、どのような形となって、どのような手段で人を襲っているのか。植物の特徴と合わせて見ると、紐解けてきます。」
祖母から死皇の話を聞いた後。
彩子は書店で植物に関わる書籍を買い漁った。
時間は少なく、得れる知識にも限界がある。しかし何もしないよりはマシだ。幸い、怪異についての想像力であれば自信がある。
その結果、得られた内容を彩子は葛籠に説明する。
…
「まず。植物の定義です。」
植物とは、自由に動ける動物と並ぶ生物の二大区分の一つで、その多くは一つの場所に固定されており、空気や水から養分を摂って生きており、草や木、藻、菌類などが植物に該当する。
「なるほどな」と相槌をする葛籠。彩子は話を続ける。
彩子が直接自分で目にしたもの。そして葵ちゃんが見聞きして教えてくれた怪異。それらは一つではなく、多様な形態で出現した。
地下に潜む黒い靄。
ビルを変貌させた歯朶の壁。
人を襲う畝り絡む触手。
それら全てが、一つの目的意識で活動していた。
それは、エネルギーを得る事。
即ち『喰う』事。
そして、様々な種類の植物がまとまりを持って機能している。
植物の世界では、異種な植物群が一定の環境・状況の中で互いに有機的な繋がりを持って生息している形態を、『群落』と呼ぶ。
「おそらく、死皇の亡骸はその形を変え、植物群の群落と化しているのだと思います。」
「死皇の、亡骸の群落…。」
亡骸群落。
それが現在の死皇の身姿なのだ。
…
「私が今まで見聞きした死皇の形態ですが…。」
今まで見聞きした死皇の特徴。それから察するに、植物といっても、それは唯一本の樹木という訳ではないだろう。
様々な特性を持つ植物群の集団。それが群落の特徴でもある。
まず、幽霊ビルで彩子が遭遇した『歯朶状の壁』。
ビルを覆うその姿は一見、樹木にも見えた。しかし実際は異なる。あれは、その特徴的な表皮で壁面を覆っていただけであった。
そして、その歯朶状の形状から察するに、恐らく『シダ型植物』に類するものなのだろう。シダ植物は植物の進化の系統的には古い型であり、胞子を散布して繁殖する。
また、シダ植物の中には、籠の網目のように蔓を伸ばしてその生息範囲を広げる種類もある。その蔓は時にアスファルトの隙間から生え伸びるほど頑強だという。
次に、アパートやビルで遭遇した『黒い靄』だ。
葵が見せてくれた写真に映っていた黒い塊。葵はそれを心霊写真だと言った。半信半疑だったが、彩子もそれを幽霊の類だと思っていた。しかし、実際は違った。
電灯の光をも通さない密度を持ち、その形も自由に変えられる。霊能者でもない葵にも見え、その上、その密度を濃くすれば生物に危害を加える事さえもできる。
煙のような、又は粒子のようなソレは、恐らく、『胞子型植物』の一種なのだろう。
胞子型植物。それは胞子と呼ばれる粒子を空気中に飛ばし増える植物群の総称である。シダ植物もその一種ではあるが、進化の系統的には新しく、古くは藻類型・苔類型植物が地上に進出した際に、その繁殖に寄与した太古から存在する植物群である。
三つ目は、葵がビルの階段で目撃した『顔型の瘤』だ。
シダ型植物が取り付いた壁から生えたソレは、多数の木質の鱗片が重なってできていたという。その形から、球果…『裸子植物』の果実が連想できる。
四つ目が、地下で葵を襲った『触手』だ。
粘つくその触手の束縛は強固であり、身を捩っても逃れることが困難だったという。
その能動的に獲物を捕らえようとする行動は、捕虫葉を想像させる。
捕虫葉。虫を捕らえる葉っぱ。そのような食虫という習性を持つ植物は『食虫植物』と呼ばれている。食虫植物の分類は多岐に渡り、その種類もハエトリグサやウツボカズラなど多種多様であるが、植物の分類としては、『被子植物』に属している。
被子植物。それは植物の進化の上では最も高等な分類にあたる。
…
歯朶状に絡み付く『シダ植物型』。
黒い靄の形状をとる『胞子植物型』。
球果の形を成している『裸子植物型』。
食虫植物の特性を持つ『被子植物型』。
「これらが一定の場所で一斉に捕食行動をしている。それが死皇の亡骸群落です。」
「…神様とやらは…なんでもありだなぁ…。」
彩子の説明に、葛籠が呆然とする。
神様の群落。そんなもの、殺し切れるのか?
一個一個、滅却していけとでも言うのか?
どうやって始末すればいいんだってんだ?
葛籠の顔には、そう書いてある。
そんな葛籠に対して、彩子は説明を続ける。
「でも、そんな多種多様な特性を持つ生命体なんて、有り得ない」と、彩子は言い切る。
「…生命体?。死皇は神様なんだろ?。不滅の存在なんだろ?」
「祖母は言っていました。魂を滅され死皇は、その神性を失ったと。それはもう神ではないとも言っていました。つまりそれは、残された肉体は一見不滅に見えるけど、生命体としての範疇を越えることができないということ。」
「…どういうことだ?」
「今の死皇は、群体としての特性を持ってはいるが、同時に生命体であるという特性にも縛られている。死皇の植物群は、言わば手足のようなもの。手足が別の生命体になれるなんて有り得ない。群落のようにバラバラになったままで生きているはずがない。必ず『本体』があるんです。」
「つまりだ。死皇は殺せる。殺し切れるということか。」
「はい。その通りです。」
…
死皇の肉体は植物の群落になっている。
しかし群落とは多種な生命体同士の集まりであって、一つの生命体ではない。
だから、生き物としての概念に囚われた死皇は群落ではあって群落ではない。
必ず本体がいる。それが彩子の想像。街に巣食う死皇の正体。
「本体かぁ。…その考察にも根拠があるんだな?」
「はい。葵ちゃんがビルの地下で見たという巨大な穴。それに事故物件のアパートも地下にヤツは巣食っていた。死皇は街の地下にいる。それは確かでした。」
「けれど、街の地下といったって、その広さは尋常じゃない。なんせ街ひとつ分の地面の中だぞ。どうやって探そうと思っていたんだ?」
「今、葛籠さんに説明した植物群には、ある特徴があるんです。」
「特徴だと?」
「それは、進化です。」
『シダ植物型』。『胞子植物型』。『裸子植物型』。『被子植物型』。
まず太古の地球の地上に現れた植物は、苔植物とその繁殖を支えた『胞子植物型』。
そして、その胞子をさらに進化させて『シダ植物型』が生まれた。
植物は進化とともにその複雑さを増大させていき、『裸子植物型』と『被子植物型』が誕生し、その繁栄は頂点に達した。
「それが、どう本体と関係あるんだ?」
「地下に近いほど、植物として高等に進化している、ということなんです。」
「は?」
「つまり、本体に近い程、植物としての複雑さが増している。そういうことです。」
「進化の過程を辿れば死皇の本体に行き着く。そういうことか。…でもなぁ。」
俺もあんたも植物博士じゃないんだぜ。そう言いたいのだろう。
だが彩子の説明はまだ終わっていない。
「生命体である以上、進化というファクターは切っても切り離せない。それは死皇も同様です。」
植物の進化。
胞子型から苔型へ。苔型からシダ植物へ。シダ植物から裸子植物・被子植物へ。それら植物が現代のような形態に変化する中で、重要な要素がある。
それ無くして、植物の進化はあり得ず、その存在が無ければ植物は苔レベル止まりであったと言われる程の、進化の重要なファクター。
「それは『維管束』の存在です。」
維管束とは、植物の根や茎、葉を貫く管束状の組織であり、取り込まれた養分を運ぶ役割を担っている。
進化の中でその機能を得た植物は、効率的に水分や栄養を運用できるようになり、その結果、陸上生物の巨大化・進化に大きく貢献した組織である。
それは植物の地上の繁栄に寄与する非常に重要な進化の一つであった。
「その維管束とやらは、人間でいうところの血管みてぇなもんなんだな。」
「獲物を喰らい、養分として得て、生きる。生命体である以上、必要な要素です。そしてそれは死皇も同様。つまり、エネルギーを運ぶ機能がある筈です。」
「それが維管束。死皇の亡骸群落は、その維管束と呼ばれる管で繋がっている。そういうことか。」
「はい。維管束を辿れば、地下にいる死皇の本体に辿り着ける。私はそう考えていました。」
…
「すげぇな。彩子の嬢ちゃんは。途中まで俺にはちんぷんかんぷんだったよ。」
「調べるのは大変でしたよ。私も植物博士じゃないですからね。」
しかしそれでも、まだ理解が追いつかない部分はあった。
葵ちゃんがビルの地下で見た『遺跡紋様の蠢く壁』。
その遺跡壁は『ビルの地下の巨大な穴』から生え出てきたという。
おそらく、遺跡壁は、死皇の本体の『枝』だろう。その枝を辿れば本体に近づける可能性はある。…しかしそれには、かなりの危険が伴う。掘削用のドリルと火炎放射器が欲しいところだ。
同時に、遺跡紋様の壁から飛び出ていた無数の『ヒトガタ』。
それは、死皇に喰われた…失踪した人達の末路なのだろう。
先程の維管束の話と合わせれば、その人達から、本体に伸びる管が発見できるかもしれない。しかしそれは、…被害者を見殺しにすることと同じなのだ。
なんとかこれ以上被害者を出さずに、本体を探し出せないか。死皇の事を調べていた当時。彩子はそう思い続けた。
…しかし今はもう、それも儚い理想と消えた。その最悪の結果に、彩子は後悔に俯くしかなかった。
「…葵の嬢ちゃんがあんな事になる前。嬢ちゃんの様子がおかしかったのも、死皇の群落が関係していたのか?」と葛籠が疑問を口にする。
「葵ちゃんが吸い込んでしまった花粉みたいなものも、死皇の特性の一つです。でも、人間の精神に作用する花粉なんて、書籍をどれほど調べても載っていなかった。」
「まぁ、そりゃそうだよな。」
「花粉によって精神を乱して獲物を捉えやすくする。そんな効果がある…。そんな程度に考えていましたが…。」
「違うのか?」
「はい。あの花粉は人間の精神を侵食する。あの花粉だけは、死皇が持つ特性の中でも特殊なものでした。それを私は、あの教団の施設に潜入して知ったんです。」
「…三日前、あの教団施設で彩子と葵の嬢ちゃんに何があったのか。俺はそれを聞きに来たんだ。もう一度言うが、俺は真実を知りたいんだ。」
「はい。葛籠さんには是非とも聞いて欲しかった。死皇の進化の理由と、その果てにあるもの。私はその答えを、あの教団の責任者…天祓禍神教団の教祖である枢樹蘭堂から聞きました。」
そして、彩子は過去の話を始める。
教団の施設に侵入した事。
そこで知った、死皇の真実。
それは宗教的な思想や教義を超越した、もっと物理的で、もっと怪異的で、もっと悍ましく不快な支配の形。
そして、その犠牲となった…、川島葵の最後を。
第八話へ続く