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亡骸群落  作者: yuki
11/11

亡骸群落~最終話:神刈狩戦争~

季節は冬の始まり。

冷たい風が山中の火葬場に佇む神懸彩子と葛籠鐡道の隙間を抜けていく。

彩子は墨黒色の喪服に羽織るコートの襟元を締め直す。

3日前。天祓禍神教の教団本部施設に潜入し、辛くも脱出した神懸彩子は、そこで起きた一連の出来事を、刑事である葛籠鐡道に話して聞かせる。

友人である川島葵を助けることはできなかった。しかし元凶である『死皇』に、そして教祖・枢樹蘭堂と対峙し、一矢報いる事は叶った。

だがその結果、あの街は死すら許されぬ呪われた街となった…。

空を見上げれば、死者を荼毘に付す黒煙が曇り空に広がっている。

今、彩子は故郷の町に戻ってきていた。祖母である神懸小夜の葬儀に参列する為だ。

かつて彩子は、祖母の導きにより故郷から逃げ出した。

だが、まさか再び、両親が運営する新興宗教団体の総本山が存在するこの町に足を踏み入れる事になるとは…。それも祖母の葬いの為に訪れる事になるとは…。思ってもいなかった。

だが、もうあの『呪われた街』には戻れない…。

「葵の嬢ちゃんは…本当に…残念だったな…。」

事の顛末を聞き終えた葛籠は、言葉少なく、それだけを伝える。

「はい…。行方不明扱いの葵ちゃんは…お婆ちゃんみたいに弔う事もままなりません。それがとても…悲しいです。」

「辛い話をさせてすまなかった」と葛籠は頭を下げた。

「いえ、もともとトクシンの葛籠さんには話すつもりでしたから。」

「そうか…。」

言葉を探して葛籠が押し黙る。

暫しの沈黙の後。彩子はふと、葬儀場に眼を向ける。

祖母の葬儀には大勢の人々が参列していた。

家族親族だけではない。

高名な霊能者であった祖母に救われた者。恩義を感じる者。仕事を共にする者…。多くの祖母の関係者が訪れていた。

しかし、参列者は祖母の関係者だけではない。

「たくさんの人が参列に訪れている。小夜さんは凄い人だよ。」

と葛籠。

彩子も「はい」と頷く。そして「ですが…」と言葉を続ける。

「参列に訪れる人達…。あの中には、祖母の高名さだけに惹かれて両親の新興宗教に入信した者も数多くいます。中には祖母と直接の面識が無い人もいます。それらの者は、祖母の名を利用した両親との繋がりで訪れた人々です。」

冷たい言い方だった。葛籠の知っている彩子とは思えない程、冷めていた。

「私の両親は、お婆ちゃんを利用していました。お婆ちゃんだけじゃない。両親は、娘の私も利用し続けてきた。」

「…嬢ちゃん?」

参列に並ぶ人々を凝視する彩子の顔を見て、葛籠はギョッとした。

それらの人達に目を向ける彩子のその瞳は、怒りとも悲哀とも言えぬ…漆黒が灯されていた。

しかしそれは一瞬のことであり、彩子はすぐに参列者達から目を離した。

彩子の口元が、僅かに動く。声は聞こえない。しかしその口元は、確かにこう語ってた。

「…私にはやる事がある」と。

二人の間に流れる微妙な雰囲気の沈黙。その空気を流すように、葛籠は口を開く。

「あの街は、これからどうなるんだろうな…。」

「あの土地で死んだ者の魂は、これからもずっと死皇に喰われ続けるでしょう。あの街は、死の神が支配する街になりました。」

「それが、枢樹蘭堂の言っていた『暴走』ってやつなのか?」

疑問を口にする葛籠。

「いえ。あれは恐らく、暴走というよりも、…変異ではないかと。」

冷静に答える彩子。

「変異?」

「多分、死皇の亡骸はもっと以前から進化の枷が外れ掛かっていたのだと思います。」

「進化の枷?」

「何らかの手段を用いて、枢樹蘭堂は死皇をコントロール下に置いていた。しかし、『死の刃』の一撃と火災が死皇に著しい損傷を与えた。その結果、死皇自身の修復機能が働き、進化の枷が外れ、変異を促進させた…。」

「変異…。それも死皇の亡骸の持つ植物の特性の一つなのか?」

「いえ。私が視た街中に生えた黒い腕の触手…。あれは、街中に蔓延る黴から生まれていました。」

「黴?」

「黴です。黴はそもそも植物ではありません。」

「そうなのか?」

「黴は、菌類です。かつて生物の分類は植物界と動物界…つまり動ける生物と動けない生物で分類されていました。しかし近代になり、研究と発見が進み、今は動物界と植物界、原生生物界と原核生物界、そして菌界に分別されています。」

「ほう…。」

「黴はもともとは植物由来の生物ですが、太古の海中で動植物から別れて誕生した、菌類種という生物群なんです。」

「黴は、植物ではなく、菌類…。」

「死皇も同様に、長い時間の中でその性質と特性をさらに分化させ、菌類型を生み出した…。」

「分化…。」

「そして、より効率的にエネルギーを得るために、生命体や物質だけではなく、幽体すらも捕食できるように変異した。」

彩子はさらに説明を続ける。

大地の下で蠢く死皇。その亡骸が巣食う土地は、あの街だけで無かった。

祖母が戦っていたように、他の土地の大地の下にも、別個体の死皇が巣食っている。

まさに樹木が根を張り延ばすかのように、大地にその侵食域を広げ続けている。

いや。植物が実を造り、鳥がその種子を蒔くように、死皇の眷属がその群生地域を拡張し続けているのかも知れない。

地下で見たあの巨大で醜悪な顔面。もしかしたら、あの顔こそが死皇の果実だったのだろうか。

あの顔面を開けば、その中身には柘榴の実の様な夥しい数の死皇の種子が詰め込まれていた…。そんな悍ましい想像を彩子は抱く。

「死皇の根が世界に伸び、地上の生命を喰らい、死と魂の存在すら許されぬ状態が世界規模で発生したらどうなるか。…想像もしたくない恐ろしい世界になるでしょう。」

「…そんな、馬鹿なことが…。」

彩子が語る悍ましい未来の光景に葛籠は絶句する。

「ですが、希望はあります。」

「!」

「幸い、その成長の速度は遅い。制御にも管理にも手間がかかる。エネルギーの供給源を絶てば、さらに成長を阻める。」

「そうなのか!」

「祖母は、遥か昔から死皇と戦っていました。成長の妨害は可能です。私はそれを祖母が残した資料と文献から知りました。」

「まだ時間はある。そう言うことか。」

「葛籠さん。私は死皇と闘います。」

「なぁ、彩子の嬢ちゃん。」

「はい?」

「…敵討ちが目的なのか?」

なぜ、嬢ちゃんが闘わなければならない?

それが彩子の嬢ちゃんの行動原理なのか?

「違います」と、彩子がはっきりと口にする。

「お婆ちゃんが残した資料。そして実家の文献を読んで、私は理解したんです。これが私の運命なんだと。」

「運命だと?」

「はい。私の一族…神懸の一族は、かつては神刈狩カミカカリと呼ばれていました。太古の邪神『黄金の皇子』…死皇を滅した人間の末裔なんです。そう伝承に記されていました。」

文献?

伝承?

「他の神々がこの地上から去った後。この地に残された神懸一族の使命は、死皇に正しい死を与えること。それが宿命。」

使命?

宿命?

「神よどうか正しく死んでください。それが私の一族の本懐。運命なんです。」

それが、嬢ちゃんの運命だと!

馬鹿げている。

しかし。

彩子の嬢ちゃんは…本気だ。

「だけどよぉ。彩子の嬢ちゃん。どうやってあんな化け物と戦うつもりなんだ?」

「私はもう、あの街には戻りません。両親の元に戻ります。」

「…え?」

「そして、両親の宗教団体を大きくします。」

「は?」

「両親の宗教団体には資金があります。協力者も信者もたくさんいる。今日の葬儀を見て、それを確信しました。」

「お、おい…。」

「そして、巨大な組織集団と豊富な資金で、枢樹蘭堂の天祓禍神教ごと…死皇を潰す。」

「…………。」

「葛籠さん?」

「なぁ。」

「はい?」

「彩子の嬢ちゃんは、そんなこと本当にできると思っているのか?」

「はい。できます。葛籠さんは宗教団体を大きくする最も効率的な方法って、知っていますか?」

「…?」

「一つ、信じやすい狭義を掲げること。二つ、信者を利用して布教すること。そして…。」

「…そして?」

「三つ。不安を煽ること。」

不安を、煽る。それはつまり、民衆の恐怖を掻き立てる。そういう事か。

「…本気なのか?」

「本気ですよ。だって目の前に死皇という本当の『世界の危機』があるんですから。」

「死皇の存在を公表するつもりか!」

「宗教なんて、恐怖を植え付けて不安を煽れば、勝手に簡単に人が集まるんです。子供の頃から両親がそう私に教えてくれましたから。」

ふと、その視線を葬儀場に集う人々の向けながら。

彩子は言葉を続ける。

「私はなんでも利用します」と。

「あそこに集まる祖母を慕う人達を」と。

「あそこに集まる両親の偽物宗教を信じる人達を」と。

「そして、私自身の才能を」と。

「だって、私は特別。普通の人が見えないモノが『視える』んだから」と。

そして最後に、彩子は言う。

「もちろん葛籠さんも私に協力してくれますね」と。

葛籠は何も言えなかった。

言うべき事ははっきり解っている。

馬鹿なことはやめろ。そう言うべきなのだ。

しかし、彩子は決定的に変わってしまっていた。

変異。そんな言葉が思い浮かぶ。

「…嬢ちゃん。あのな…。」

なんとか言葉を搾り出す葛籠。

その時。

「ああ、ここにいたんですか。」

「おう、葛籠。探したぞ。」

彩子と葛籠の間に割って入る二つの声。

二つの声の主は、上川拓也と羽佐間時雨。

共に彩子を窮地から救った者達だ。

「はい、葛籠さん」と、上川が葛籠にホットコーヒーの缶を差し出す。

「…ああ。ありがとよ」と熱い缶を受け取る葛籠。

所在なげに葛籠は彩子から視線を逸らす。

そんな葛籠に彩子は言う。

「上川さんも羽佐間さんも、私に協力してくれるって言ってくれたんですよ」と。

彩子の顔には笑みが浮かんでいた。

葛籠はハッとした顔を二人に向ける。

上川は言う。「あの教団は邪悪そのものです。僕は葵さんの仇を取りたい」と。

羽佐間も言う。「俺は追い先短い老人だ。残り少ない人生はせめて小夜の孫の為に使うつもりだよ」と。

小夜と葵の死は、確実にその影を二人に落としていた。

そんな二人の言葉に満足気に頷く彩子。そして。

「葛籠さんはどうしますか?」

その彩子の言葉に、葛籠はぞくりとする。

「葛籠さんも、当然、私に協力してくれますよね?」

再び繰り返される質問。

その彩子の質問に…。

葛籠は…。

「復讐。彩子の嬢ちゃんには一番似合わない言葉だな…。」

死皇を滅する。

文字通り、根絶やしにする。

それが一族の使命。

それが自分の運命。

彼女はそうやって、自身の復讐心を一族の責任と使命に置き換えている。

そうでもしていないと自分自身が壊れてしまうかのように。

あいつは、彩子の嬢ちゃんは、真面目過ぎるんだよ!

あんたに復讐は似合わない。

復讐なんて何も生まれない。

そんなものは正義ではない。

そう言えれば良かった。

しかし今の彩子の嬢ちゃんに、そんな台詞せりふは届かない。

何故なら、俺もそれが偽善の言葉だと知ってしまっているからだ。

かつて、俺は自分自身を缶コーヒーに例えたことがあった。

缶に詰め込まれたドロドロの苦い味。

手元の缶は、まだ熱い。

「…今は冷たいコーヒーが飲みたい気分だ。」

そう言いながらも、葛籠はその苦味を一気に飲み込んだ。

山中の葬儀場の、その端っこ。誰の目にも留まらない場所。

そこに彩子は一人佇んでいた。

手元には、かつては友人の肉体だった小さな木片。そしてマッチ箱。

地面に置いた木片に、彩子はマッチで火を灯す。

細く長い煙が、冷たい空に昇っていく。

これはもう、ただの物質。

ここにはもう、魂も精神も無い。

既にそれは消え去った。

だけど思い出は残っている。記憶は私の中にある。

死に引き摺られるとは。

死者に対して。そして死に至る過程に対して。

罪悪感。無力感。寂寥感。諦念感。

それらが底の見えない泥沼のようにごちゃ混ぜになって、自身を埋め尽くし、精神も、そしていずれは肉体すらも他者の死に縛られる状態を指す。

では、どうすればそれを乗り越えられるのか。

その答えは…月並みではあるが…死を糧にして、悔やむことの無いよう自身の生き様を尽くすしかない。

…そうだ。

これは誓いだ。

屈辱も、失敗も、後悔も、執念も、決断も、贖罪も、絶望も。

炎に焚べて高く狼煙をあげよう。

葵ちゃんと。お婆ちゃんの。

これが私の弔い。

これが私の戦い。

これが私の生きる道。

自分で選んだ『自分の道』を全うする。

遂げて、魂を、突き付けろ。

「邪神を根絶やしにする為であれば、私は神無きこの世界で神様にだってなってやる!」

[エピローグ]

かの街とは遠く離れた土地。地下深くに座す死皇の亡骸。

異形の巨躯。その巨顔が見下ろすその場所に。

枢樹蘭堂。彼は一人死皇の座に佇みながら、過日の彼女との邂逅を思い返す。

神懸彩子。

彼女との再会と、その因縁に、彼は沖融たる想いを抱きながらも、同時に一抹の有痛性を感じていた。

神懸彩子に抱く感情。それは言葉にするのは難しい類のものではあるが、それでも無理矢理に言葉にするのであれば…。

『憎しみ』であろうか。彼女ではなく…彼女の背景に対しての、だが。

しかし同時に思い返すのは…枢樹蘭堂、彼自身の過去への『後悔』と『罪悪感』…。

その二つが混ぜこぜになった結果が、神懸彩子に対する彼の感情の正体であろう。

…ふと、彼は彼は神懸彩子と共にいた男の姿を思い出す。

彼は…上川拓也と言っただろうか。

枢樹蘭堂自身は、上川拓也とは一切の由縁は持たない。

しかし、その巡り合わせに無理矢理にでも意味を見出すとするのなら…。

それは、旧懐の念。

懐かしさであろうか。

ビジネスパーソン。仕事に人生を捧げてきた者特有の立ち振る舞い。上川拓也の姿を見て、彼は自身の過去を思い返す。

組織に長く身を置き続け、自らを殺し続けた者が持つ、その苦痛。

枢樹自身も過去、その苦痛に懊悩を続けてきた。

枢樹蘭堂の過去。

それは。

一人の人間として人生を歩んできた者が。

邪神の信仰者となり。

自らの野望の成就の為に新たな道を生きる。

その過程の記憶である。

彼は常に、正しくあろうとした。

正義。

眩しい道を歩みたい。それが彼が目指す生き様。

それが正しいかどうか。それは彼自身にも解らない。

しかし、彼はその生き方しか知らなかった。

誠実。

そんな彼は社会に認められ、順当に出世した。そして、人材管理のマネジメント等の責任ある部門を任され、更にその人望と信頼を得ていった。

もちろん、うまくいかない事も数多くあった。それでも彼は現実を受け入れ、己を曲げず進み続けた。

誠心。

順調であった。

会社に尽くし部下を育て、リーダーとして実績や数値に拘り、人材育成や運営の仕組みを設け、組織の重要な意思決定にも参画してきた。

組織の管理。組織の成長。組織のマネジメント。

それこそが自分に任された命題。そう信じて邁進してきた。

誠意。

彼は、常に、『己に』正しくあろうとした。

しかし、物事には裏も表も…綺麗事な面もあれば黒く醜悪な面もある。

能力を認められた彼が、次に任された使命。

それは、組織の裏の役目であった。

更に彼にとって不幸であった事は。

元々の彼の仕事が、人間の持つ欲望の象徴とも言える『金銭』を扱う仕事だった事であろう。

組織の裏帳簿の管理。それが彼に任された新たな責任だった。

時には属する組織の発展の為の汚れた献金の用意。

時には国のまつりごとすら左右する政治資金の調達。

時には暴力によって組織の意を通す為に用いる報酬。

人は能書きでは説き伏せられない。動かない。

特に政治家や官僚といった権力を持つ老人は、強烈に欲深い。

権力だけは無駄に持つ、金に魅せられた老害ども。

いろいろ建前を口にしているが、とどのつまり奴らはこう言っている。

「お前は俺に何をしてくれる。まさかただで使う気じゃあるまいな。金か、権力か、利権か、なんだ?俺には何を回してくれる?」

結局、権力者達を黙らせるには、金がいくらあっても足りなかった。

人間は皆須すべからく欲望に囚われている。

際限の無い欲望を相手にし続けてた彼は、その濁りの存在を身に刻んだ。

だが…。

それでも彼は、真面目であった。

組織は清濁合わせ飲まなければ、発展できない。

清濁合わせ飲んで管理せねば、組織を大きくできない。

そう彼は悟り、決意を新たに、仕事に邁進する。

彼は常に、『組織に』正しくあろうとした。

しかし、清濁合わせ飲むストレスは、確実に彼を歪ませ始めていた…。

サラリーマンにとっての地獄とはなんだろうか。

それは、失敗ではなく、自分自身を信じられなくなった時だ。

そしてもう一つは、良くない仕事を良い仕事だと偽り、他人を巻き込み続けなければならない時だ。

「こんな仕事が、正しい仕事なわけがない。」

そんなことは解っていた。

そうは解っていても、私は与えられた責任を粛々と全うした。

それが為すべきことだと信じて。

他人の欲望に振り回され続ける中で、欲望に対する私の考えは変わっていった。

欲望を管理する。つまりは、欲望の支配。そのスキルを磨き続ける毎日。

いつしか私は、自分すら信じられなくなった。どれほど自分のスキルを磨こうが、私は正しい事をしていない。

私は自分の精神すら支配できなくなっていったのだ。

「全てが上手くいかなくなった。その原因は、私に人を支配する能力が足りなかったからだ。私自身も。仕事でも。家族ですらも。」

事態は急変する。

私には、家族がいた。

私を産み育んだ両親。

そして、最愛の妻。

私は妻を心から愛していた。

妻だけが私の心の支えだった。

仕事に精を出す目的も、家族に不便を掛けさせない為でもあった。

だが。私は家族との、妻との関わりを蔑ろにしてしまった。

私は、忙し過ぎたのだ。

…あぁ。それは言い訳だ。全ては私が至らなかった事が原因なのだ。

私は自分が持てる殆どの時間を仕事に費やした。

そうでなければ、精神と集中を維持できなかった。ストレスに耐えられなかった。

進み続ける事でしか自分を保てなかった。

休日も盆も正月も、プライベートな時間すらも仕事のために費やした。

当然、その反作用で家のことは疎かになった。

朝6時に家を出て、午前3時に帰ってくるか、会社に泊まり込むか。

休みがあっても疲労で1日中寝ていた。

その生活スタイルは、妻と結婚してからもほとんど変わらなかった。

子供はいない。それも妻の精神に追い打ちをかけたのかもしれない

ある日。

同居していた両親が、とある新興宗教に嵌った。

妻は、両親の変化に私に相談してくれていた。しかし私はその兆候を無視してしまった。話を聴く時間が無かったからだ。

徐々に、私と妻の関係に罅が入っていた。

妻との失われつつある信頼にも、私は気付かなかった。

そして。

それ程の長い期間を置かず…。

両親からの誘い…いや、勧誘か…。

妻はその新興宗教に心の救いを求めてしまった。

私の知らないところで、家族は宗教に染まっていった。

私の愛は、どこの誰かも知らないカミサマとやらに負けたのだ。

家族の中で、私の存在よりも、どこの誰とも知らないカミサマの存在が大きくなったのだ。

家族が嵌った新興宗教団体は、健全とは言い難い組織ではあった。

しかし、犯罪行為に奔ってはいなかった。

何故なら、暴力を伴うような強引な勧誘を控えていたからだ。

その新興宗教団体のやり口は…。

一つ、信じやすい狭義を掲げること。

二つ、不安を煽ること。

そして三つ。

信者を利用して布教すること。

主な勧誘の手段は、身内や友人からの誘いであり、表向きは、当人たちの意思を重視していた。それ故に訴えられる事もなく、警察沙汰になることも皆無であった。

ただ一つ悪質だったのは、『霊が視える』といったような霊感商法を巧みに利用し、多額のお布施を集めていた事だろうか。

しかし、私にとって金は重要ではなかった。

重要だったのは…信用である。

多額の金銭を失う事よりも、築き上げてきた信用を失うことが深刻であった。

悪徳な宗教団体は、個人情報を知りたがる。

私の家族は、私が自宅に保管してあった仕事のデータ…顧客の情報を、宗教団体に渡してしまったのだ!

その結果。

私は組織から責任を追及され…。

その責を取らされ、解雇…つまりクビとなった。

組織に責められ、会社という居場所を無くし、役割を失った私は、家族を責めた。

しかし家族は逆に、私が今まで家族を蔑ろにし続けていた行為を責めた。

そして。

私の家庭は…崩壊した。

両親と妻は、自宅を売り払い、新興宗教に身を寄せた。

もうとっくにあの家は、私の居場所では無くなっていたのだ。

私の家族は、今もあの宗教団体の中で暮らしているらしい。

私は全てを奪われたのだ。

実体の無いカミサマとやらに。

仕事も。家族も。妻も。

孤独となった私は、有り余る時間と残された貯蓄を用いて、その新興宗教団体を調べ上げた。

私に残されたモノは、その新興宗教団体への憎悪だけであった。

その調査の結果…。

その宗教団体の中心人物が、実在する生きた神…現人神であることを突き止めた。

そして、私の他にも、同じよう災難を被った者達がいることを知った。私と家族の関係にように、寂しさや愛情の不足に付け込むケースが数多くあったのだ。

この新興宗教団体の管理者は、余程、情に歪んでいるのであろう。

仮に子供がいたとしても、その子供を満足に育てることができるのであろうか。そんな不安を抱かせる程に。

そして、ある日。

私は、その新興宗教団体の本尊…現人神が大衆の目前に現れる日時を知った。街頭での広報活動の為らしい。

私から全てを奪ったカミサマへの復讐心を胸に、私もその場所に向かう。

擦り切れたビジネススーツのポケットに、石ころを忍ばせて。

混み合う街の中。

豪奢な神輿の上の台座に座るカミサマの姿が見えた。

群れ合う大衆を掻き分けて、私は神輿に座するカミサマに接近する。

カミサマは、白無垢とウェディングドレスを掛け合わせたかのような純白の衣装を纏っていた。

あと少し。民衆と警護員の群れを掻き分ければ、カミサマに辿り着く。手の届く範囲にカミサマいるのだ。

そのカミサマの表情は見えない。角隠しのような大きめのフードでその顔は隠されている。

…よく見れば、純白の衣装に包まれたカミサマ…現人神の背格好が、子供とも言える程、小柄な体格であった事に気付けたかもしれない。

しかし、その時の私は、名も知らぬ神への復讐心で視野狭窄に陥っていた。

『罪の無い者だけが石を投げよ』とキリストは嘯いた。新約聖書『ヨハネによる福音書』第八章の言葉である。

笑わせる。

私から全てを奪ったカミサマよ。

お前が罪を数える時だ!

私はポケットの中の石ころを投げつける!

その感情の刃を。

カミサマの顔面に向けて。

「きゃあ!」

私の投げた石ころがカミサマの頭に命中する。

名も無き神が、悲鳴を挙げた。

それは女性の…女の子の声だった。

額を押さえ、カミサマが蹲る。

白いフードに隠されたその表情は窺い知れない。

しかし、確かにその額から、人の証とも言える血が流れていた。

一度ひとたび振り下ろされた感情の刃。

その興奮と高揚感を抱きながら、私は血を流し続けるカミサマに近付く。

そして、カミサマに向かって、今まで掻き集めてきた資料…目の前のカミサマによって身を滅ぼした者達の資料をバサリと浴びせる。

罪悪感を、その身に刻め!

…しかし。

その時。

私は見てしまった。

カミサマの姿を

私から全てを奪った新興宗教団体の、現人神の身姿を。

顔を染める流血。血に染まる紙束。

その隙間に見える名も無き神の姿。

それは。

女の子だった。

まだ幼さを残す…。

少女だった。

…?

この子は誰だ?

まさか…運営者の…子供なのか?

「これが、神なのか?」

「これが、私の全てを支配した神なのか?」

…自分と妻に子供がいれば。

…これくらいの年齢だったかもしれない。

「…この幼い子供を支配しているモノは…なんなんだ?」

その疑問を抱いた、その瞬間。

私は醒めた。

目の前のカミサマへの報復心で真っ黒に染まっていた、その悪意から。

これは違う。

これは私が目指す復讐ではない。

突然の私の凶行に慄き驚く周囲の人間を掻き分け、私は必死でその場から逃げ出した。

そこで私の意識はプッツリ途切れる。

私に残されたのは…中途半端な神への復讐心。それだけだった。

再び私は全てを失った。

糸の切れたようになった私は、全てを捨てて旅に出た。

当ての無い旅だった。逃避行とも言える。

しいてその旅の目的を挙げるとすれば…。

真の神を探す旅であろうか。

国内各地の神に纏わる伝承を頼りに、全国を彷徨った。

長い時間を神を求める旅に費やした。

そして。

国土のほぼ中央に位置する山間地。

刃のように佇む峰を抜け。

ダムの底に沈んだ山村の遥か奥地に。

その集落はそこにあった。

とある神を祀る眷属が住む場所であった。

そこで私は遂に対峙する。

神に。

偽りの神ではない。

肉を持って実在する真実まことの神に私は辿り着いたのだ!

…例えそれが『死皇』と呼ばれる、人に仇なす邪なるものだとしても。

死皇を祀ろう眷属集団。

人間を害することを至上の喜びとし、その欲に支配された眷属達は、かつて私が仕事で相手をしていた老害どもによく似ていた。

本来であれば人間とは相容れぬ筈の眷属であったが、私が死皇に心酔する姿を見て、私を眷属の端くれとして迎え入れてくれた。

そして暫しの時を眷属と共に過ごす事となる。

居場所をくれたことには感謝している。しかし私自身は眷属達には全く興味がない。

興味があるのは、眷属が祀る邪神のみであった。

眷属に協力しながら、各地で死皇の栽培と繁殖を試みている中。

死皇の研究を続けるうちに、私は神から溢れでる粒子…人の精神を支配する物質を発見した。

私はその物質を利用し、眷属の中で地位を得るために『支配の仕組み』を構築する。

それが、天祓禍神教団。

私、枢樹蘭堂は、所謂『邪神の眷属』ではない。

ただ只管ひたすらに神・死皇を祀ろう、正真正銘の、『人間』だ。

彼の目的。

それは、『支配』。

そして、『偽りの神への復讐』。

彼の神は、支配を求めている。

彼には、支配の力が足りなかった。

少なくとも彼はそう思っている。

だから、神の力を利用しよう。

彼の願いは、ただ一つ。

宗教組織という存在への復讐。

世界中にあまねく宗教団体への報復。

そう。報復だ。

真に存在する神を利用して、全ての信仰を凌駕する宗教を作る。

奴らと同じ方法で。

「その為の、死皇の精神の利用。」

「その為の、死皇を遣った支配の構造。」

「その為の、死皇を用いた生殺与奪の権利の簒奪。」

「その為の、死皇を祀る天祓禍神教団の設立と巨大化。」

かつて彼が教団施設に潜入した『偽りの現人神であった彼女』に語った彼の目的。

そこには、何一つ、誤魔化しも、嘘偽りも、皆無であった。

「私から全てを奪った偽りの神を祀る全ての宗教団体。今度は私が貴様らから全てを奪ってやる!」

神懸彩子の一派と、枢樹蘭堂が属する天祓禍神教団。

片や、神無き世界で創造する偽りの神を擁して邪神を根絶やしに。

片や、神在る世界で偽神を祀ろう宗教団体に邪神を持って鉄槌を。

かくして、互いの神の大義を抱え、偽神を狩り邪神を刈り合う復讐劇が幕を開ける…。



亡骸群落

【完】

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