彼岸花屋 2~1
「彼岸花はいかがですか?」
店や民家が立ち並ぶ大通りの脇で、晴れているにも関わらず赤い唐傘を差した顔の見えない男性がいた。
通り過ぎる人々は、男性を怪しむ様に見ていた。
男性は、背負ってる篭から球根をこれ見よがしに取り出していた。
「彼岸花はいかがですかぁ?……」
◆
「けっ!気味が悪い! 親っさん!何なんだいありゃ!?」
斜向かいの蕎麦屋で平太郎は、忌み嫌う様に暖簾の隙間から彼岸花の男性を睨んだ。
「あいよぅ!つけ蕎麦ぁ!ん? あー、ありゃあ彼岸花屋つってなぁ。最近、巷で噂になってる正体不明の商人だな。妖怪が化けてるって話もあるが……まぁ見ての通り、あぁやって彼岸花を売ってるんだ。確か最近だと、刀鍛冶の芝吉が隣町でアレから彼岸花を買ったって話だぜ?」
「カーッ!縁起でもねぇ!芝吉は、変わってるからなぁ」
平太郎は、吐き捨てる様に言うと蕎麦を啜った。
「だはは!ロクに働きもしねぇで嫁の金で飯を食ってる野郎がよく言うぜ!」
店主の言葉に平太郎は、箸を止めた。
「あぁ?じゃあ払わねぇ!」
平太郎は、舌打ちしながら席を立つと出口へと足を進ました。
「へぇへい、今回は見逃してやんよ。その金で彼岸花でも買ってきな!」
店主は、そう言って器を洗い始めた。
◆
「彼岸花は、いかがですかぁ?」
「……やいお前!」
平太郎は、真っすぐ彼岸花屋に近付いた。
「おや、いらっしゃいませ」
彼岸花屋は、落ち着いた様子でゆっくりと平太郎にお辞儀をした。
「…近付きゃ余計に気味悪ぃなぁ、お前……」
平太郎は、唐傘を覗き込もうとしたが、口元までしか見えなかった。
「それ、彼岸花売ってんのか?」
平太郎は、彼岸花屋が持ってる球根を指差した。
「はい。そうでございます」
男性は、球根を平太郎に差し出して見せた。
「けっ!縁起でもねぇ。そんな気味わりぃ物、誰が買うんだよ?他所でやってくれや」
平太郎は、忌み嫌う様に身を引いて男性を馬鹿にする様に言った。
「気を害してしまいましたか……それは失礼致しました。貴方の言う通り、別の場所に行く事にします」
「とっとと一昨日行きあがれってんだ」
平太郎がそう言うと彼岸花屋は「それでは…」と平太郎に頭を下げると歩き出した。
その時だった。
「彼岸花屋ぁ!」
勇ましい大きな声がどこからか聞こえて来て平太郎と彼岸花屋は、声のした方向に振り返った。
「おぉ!?ありゃあ鍛冶屋の芝吉じゃねぇか!おうい!!」
袖の焦げた服を着てる頭にハチマキを巻いた芝吉が人混みを避けながら走って来ていた。
「うお!?平太郎じゃねぇか! はぁ!はぁ! お前も彼岸花買いに来たのか?」
「ああ!?なんで、ワシが買わなきゃいけねぇんだ!?彼岸花なんて縁起でもねぇ!」
そう言う平太郎を無視して芝吉は、彼岸花屋に食い付く様に近付いた。
「そんな事より!彼岸花屋の旦那ぁ!前にお宅で買ったあの彼岸花!何なんだいありゃあ!?」
芝吉の焦っている様子に平太郎は「そぉら見ろ、どうせロクでもねぇ目にあったんだろ?」とニヒル笑みを浮かべた。
「芝吉さん、落ち着きなさって下さい。私が売っている彼岸花は、普通の彼岸花では、ありません。購入した方の理想を叶える花。……そうですね。悲願…花。とでも言いましょうか」
「……へぇっ!?」
聞き流すつもりでいた平太郎は、彼岸花屋の言葉に思わずズッ転けそうになった。
芝吉と言えば、腰を抜かして、すっかり尻餅を付いていた。
「な、なんやと…!?」
「おいおま!なに言ってんだ!? 噓八百!!このペテン師が!そんなバカな話!ある訳がないやろ!!」
平太郎は、彼岸花屋を追い詰める様に近付いた。
「……ごもっともです。ですが、先ずは、芝吉さんの話を聞いてから疑ってみてはどうでしょうか?」
彼岸花屋は、少し困った様子で、転んでる芝吉に手を差し伸ばした。
芝吉は、彼岸花屋の手を掴んでよろけながら立ち上がった。
「……平太郎、噓じゃねぇ。おらぁ、隣町でこの旦那から興味本位で彼岸花の球根を買ったんや」
疑っていた平太郎だったが、齧り聞く様に聞き耳を立てた。
「おらぁ長い間、女房との間に子供が出来なく悩んでいた。町の医者に相談しても話にならんだ。でも、二週間程前に隣町で彼岸花を買った。そんで旦那に言われた通りに帰って植えた!したら今朝、彼岸花が咲いていたんや!そんで!妻が…女房が妊娠しとったんやぁ…!うっうぅっ!」
感極まった芝吉は、目柱を押さえて泣きながら彼岸花屋に振り返ると崇める様に頭を地面に着けた。
「ほんまに…ほんっまに感謝してる!あんたは、神様や!本当に…妻共々《ともども》、本当にありがとうございます…!」
その様子に平太郎は「んなアホな…」と言いはするが、既に疑う事すらどうでも良くなっていた。
「芝吉さん。どうか頭を上げてください。私達、商人は、お客様の支えがあってこそ。お客様こそが、神様なのです」
彼岸花屋は、屈み込むと芝吉を慰める様に背中を摩った。
「面目ねぇ…!面目ねぇ…!」
芝吉は、立ち上がりながら涙を拭った。
立ち上がった芝吉に彼岸花屋は、少し安心したかの様に息を短く吐いた。
「なぁ旦那!今度は、家庭を養う為にも金が必要なんや!だから頼むっ!オラに彼岸花をもう1つだけ!売ってくれねぇか!?」
芝吉は、祈る様に手を組んで見せた。
「はい!勿論ですとも。ですが一つ約束してください。必ず、今咲いている彼岸花が枯れてから植えてくださいね? 彼岸花には、毒がありますから」
彼岸花屋は、そう言うと篭から球根を1つ取り出して「お1つ50文でございます」と言った。
「ありがとう…!ほんまにありがとう…っ!」
芝吉は、目を腫らしながら銭袋から50文を彼岸花屋に差し出した。
「はい。……お代は確かに。お買い上げ、誠にありがとうございます」
彼岸花屋から球根を受け取った芝吉は、財宝を見る様な目で球根を見つめていた。
そして、啞然とする平太郎を見た。
「なぁ!お前も買ったらどうや?へへっ!花で50文は、少し高い気もするけど、花が咲きゃ夢心地。蓋を開けりゃ宝山や!よぅし!早速仕事じゃあ!」
芝吉は、嬉しそうに言うとあっという間に走り去って行った。
「な、何が起っとるんや……??」
ポカンと口を開ける平太郎の脇で彼岸花屋は、その場から去ろうとしていた。
「あぁ!お、おい!どこに行く!?」
すかさず、平太郎は、彼岸花屋を呼び止めた。
「はて?どこに…と? どこにでも行きましょう。それでは……」
平太郎の言葉に振り返る彼岸花屋は、平太郎にお辞儀をして再び歩き出した。
芝吉の話に平太郎は、自分が彼岸花屋に他所へ行くように言った事を忘れていた。
「ああ!ちょっ!ちょっと待ってくれい!!」
平太郎は、慌てて彼岸花屋を追い駆けた。
「わしにも!わしにも買わせてくれやぁ!」
平太郎は、急いで銭袋から100文を取り出した。
「おめぇ、次何時この町に来るのか分かんねぇから2つ買う!」
彼岸花屋は「これはこれは」と平太郎に振り返って篭から球根を2つ取り出した。
「それでは、注意を一つ。必ず1つずつお使い下さい。2つ目を使う際は、1つ目の彼岸花が枯れてからにして下さいね。彼岸花には、毒がありますから」
「へへっ!分かっちょる分かっちょる!あ、悪かったな!縁起でもねぇとか言ったりして。しっかし!彼岸花じゃのうて悲願花たぁ!こりゃあ良い!またこの町に来た時、奢らせてくれや!」
平太郎は、そう言うと2つの球根を両腕で抱えながら上機嫌で家に帰った。
◆
「あんた!ええ加減にしぃや!!」
家に帰った平太郎だが、家に入った途端に妻の節子に怒鳴られていた。
「うるっさい女や!わしゃ忙しいんや!!あっち行っとれ!シッシッ!」
平太郎は、球根を隠す様に背を向けて節子を手で払った。
「もう勝手にしい!!」
バン!!
節子は、乱雑に戸を閉めて家から出て行った。
「節子のヤツ、行ったな? へっへっへっ!よぉしよし…! はてなぁ?植えるのは、どこでも良いんかな!?」
ガラガラ!
平太郎は、家の前に手で穴を掘ると早速、球根を1つ植えた。
「あっ!水も必要やな!うひひひっ!」
平太郎は、ニヤ付きながら家の裏手の井戸から水を汲んで盛り上がった土に優しく掛けた。
ジョバジョバ!
「早う咲いてくれぇなぁ? あー!楽しみじゃ!わしにゃあ、どんな理想が叶うんやろかぁ!?」
◆
その夜。転た寝していた平太郎は、目を覚ましてゆっくりと起き上がった。
「んあ?……おーい節子ぉ?飯ぃまだかぁ? わしゃ腹が減ったぁ」
部屋は、すっかり暗くなって、節子が居ないのは、明白だ。
「何や、節子のヤツ。まだ帰っとらんのか。ったく、どこまでほっつき歩いてんだかなぁ……?」
平太郎は、溜め息を付きながら囲炉裏に火を付けて、自在鉤の鍋で米を炊き始めた。
◆
平太郎は、茶碗を置いて、床に大の字になり鼾を立てていた。
その日、見た夢は、平太郎が始めて節子と会った日の事だった。
隣町からやって来たと言う節子は、盗人に会って困っていた。
そんな節子を、当時漁師をしていた平太郎は、家に迎え入れ米と焼き魚をご馳走した。
「なんやと!?その盗人知っとるぞ!?」
平太郎は、節子から聞いた盗人の特徴から勇んで盗人の家に殴り込んだ。
節子は、そんな平太郎の姿に惚れて「あの…もし良ければお茶でも…?」と平太郎を誘うのでした。
それから、間も無く、二人は付き合い始めた。
町の祭り、打ち上る花火の下。
「お前、百まで。わしゃ九十九まで」
「共に白髪生えるまで」
二人は、互いの愛を誓い合ったのでした……。