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私はクラゲになりたい(3/8)

 それから何十分かかけて館内を一巡した私は、出入り口付近に設置されたベンチに腰掛けて、少しばかり疲労感を帯びた足を休めるのに時間を費やした。


 自販機で購入したミルクティーのペットボトルをちびちび傾けながら、これからどうしようか、と考える。

 もう四、五十分ほどしたら、屋外エリアでアシカとイルカのショーが始まる。それまで時間潰しもかねて二周目に突入するか。それとも売店に行ってウインドウショッピングとしゃれ込むか……。


「おい」


 不意に正面から低い声が飛んできた。

 おもてを上げると、先輩が立っていた。


「うおっ」


 目が合った瞬間、私はベンチの背もたれにしなだれかかるように仰け反った。

 今の今まですっかりその存在を忘れていた。


「勝手にはぐれるんじゃない」


 抑えられてはいるが、しっかり怒気の孕んだ口調だ。

 一瞬怯みかけたが、内心どうにも納得しかねるものがあって私は言い返した。


「それはこっちの台詞です。先にいなくなったのは先輩の方でしょ」


「いなくなったりなどするものか。お前、携帯を見ていないのか?」


「携帯?」


 私はカバンからスマホを取り出してスリープモードを解除する。待ち受け画面にメールの着信通知が表示される。送り主は先輩だ。メッセージは短い一文で『用を足してくる』とある。なんだこれは?


「こんなこと、わざわざメールしないで直接言ってくださいよ」


「言おうとしたさ。だがお前がやけにクラゲにシンパシーを感じている様子だったから、邪魔しちゃ悪いと思ってメールにしたんだよ」


 私は口を半開きにして呆れの意を示した。

 理屈は聞けばわからなくもないが、ちょっと常人には理解し難い発想である。クラゲに夢中になっていたことは事実だが、観賞中に一声かけられる程度のことを煩わしく思ったりはしない。


 ……まあでもこの人、私が気を遣ってあれこれ喋りかけた時、鬱陶しそうな顔してたしな。『自分がされて嫌なことは他人も嫌だと思うに違いない』という杓子定規な倫理観に基づいて気遣いとやらを発揮させたのだろう。


「まあ、今回は携帯を確認しなかった私にも非はあります。不幸なすれ違いだったということで、ご容赦ください」


「なんだその奥歯にものが引っかかったような言い方は」


「心からのお詫びですよハイ」


 心にもないことを言っていることを隠そうともしない私の口ぶりに、先輩は苦虫を噛み締めたような顔をする。が、これ以上口論を続けても埒が開かないと判断したのだろう、気を取り直すようにごほんと咳払いして言った。


「とにかく、隙あらば単独で行動しようとするんじゃない。何のためにお前を連れてきたと心得ている?」


「私にここのお魚さんたちを見せたかったからでしょ?」


 つんとそっぽを向いて、すっとぼけてみせる。散々蔑ろな扱いをされたことに対する意趣返しだ。


「全然違うし、何が『お魚さん』だ。お前のようなサブカル女が最も忌み嫌う言い回しで可愛い子ぶってんじゃねえ」


「誰がサブカル女ですかっ。それになんだその偏見は」


 いつもの理不尽な毒舌が炸裂したところで、私は声を荒げた。方々を敵に回すような言説をこのような公共の場で発するのはやめてもらいたい。周りの人たちに私もその一味だと思われたら、たまったものじゃない。


 周囲の注目を買っていないことを確認してから、私は昂ぶった気持ちを落ち着かせるべく深呼吸した。


 しらばくれたが、もちろん先輩が私を連れ回す理由は承知している。自分の感覚と他人の感覚にどれほど乖離があるかを確認するため。要は、先輩自身が見聞きして感じたものを、他人の私がどんな風に受け止めるかを知るためだ。

 だから個人行動に走って意思疎通が図れない状況になるのは、先輩の望むところではないと理解している。でも、今日ばかりは納得がいかなかった。


「私、要らないと思うんですけど」


「要るかどうかは俺が判断する。お前は常に俺のそばにいて、ただ俺の後についてくればいい」


 不覚にもドキッとする。よくもまあそんな小っ恥ずかしい台詞を臆面なく言い放てるものだ。本人は自覚がないのだろうが、そこがむかつく。


「じゃあせめて放置するのだけ止めてもらえますか? 紛いなりにも女の子を付き合わせてるんだから、退屈させないようにするのは男の義務だと思います」


 小っ恥ずかしい台詞を口にするのはお互い様だ。まあ私は照れ隠しに俯きながらの発言になったが。


「そういうのは、逆差別と言ってだな……」


 先輩の反論の歯切れが悪い。

 ちらと先輩の方を窺うと視線が交錯し、さっと目を逸らされてしまった。

 なるほど、こういうしおらしい態度に弱いのか。無頼漢といえど、この人も男ということか。


「まあいい。今回は引き下がってやることにしよう。一応、お前も女だ。退屈させないよう善処してやる」


「一応ではなく紛うことなき女ですが」


「ただし、入館料は全額俺が負担していることは努々忘れてくれるなよ。その分の働きはしてもらうからな」


「わーそういうこと言っちゃうの、小者っぽくて先輩らしいですねー」


 私は空笑を浮かべて言った。

 これだから先輩とのラブコメはありえない。


 誰も払ってくださいだなんて言ってないですけどね、と口走りかけたが、売り言葉に買い言葉になりそうだなと思い、踏み止まる。まあ珍しく譲歩してくれたのだから、私もこれ以上は口を噤んでおくことにしよう。

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