08話 「頼れるメイド」
ダンヘルガの不気味な笑みに、鳥肌が立つ。
奴の合図で、兵士たちが展開し武器を構えた。廊下の反対側からも兵士が押し寄せてくる。
俺と舞香。そしてトットンは兵士たちに囲まれる形になったのだ。
「あらあら、うふふ。せっかちな男は嫌われるわよ。ダンヘルガ」
「貴様は黙っていろ、トットン」
ダンヘルガに睨まれ、トットンは「つれないわねぇ」と溜息をこぼす。
ダンヘルガは俺たちから視線を外し、奥で伸びるプロロイトを見た。
「主殿たちがどうやってあれを倒したのかは存じませんが、3人でこの屋敷の兵士全員を相手にできる訳もなし」
「……ひとつ、教えてくれよ。ダンヘルガ」
俺は舞香の手を強く握り締め、口を開いた。
「なんですかな」とダンヘルガは答える。
「お前は、俺がこの屋敷から逃げ出すと予想していた。にもかかわらず、俺に自由を与えていた。俺が舞香を切り捨てないと高を括っていたからだな」
「その通りですね」
「そして、俺に協力するであろうトットンたちも好きに動かしていた。その理由のひとつはプロロイトが負けないだろうという信頼。そして、ふたつめが兵士たちの指揮権をお前が持っていたから」
「えぇ、その通りです。何かの間違いがあり、プロロイトが負けたとしても。吾輩が指揮する兵士が主殿たちより多ければ、逃げ出すことなど不可能」
なんという自信。圧倒的傲慢さがこの男にはある。
俺はごくりと息を呑む。
「なんで、俺たちをここで捕まえた。お前がその気になれば、俺が牢屋にたどり着く前に、全部を終わらせれたはずだろ」
「そんなことを気にしていたのですか。なぁに、簡単なことですよ。
主殿を今より従順にするため。出鼻をくじくより、希望を与えた後に嵌めて台無しにする。
プロロイトが先走り、吾輩の計画が狂うところはありましたが。まぁ、及第点でしょうかね」
「うわ、お前性格悪いな」
「ハハハハハ。そんなことは存じていますよ。さぁ、終わりです」
ダンヘルガの合図で、兵士たちが動き始める。
「あぁ、もう一つ。言わなきゃいけないことがあった」
「……くどいですぞ。主殿」
「時間稼ぎは終わった」
「――――なに!?」
俺の言葉に、ダンヘルガの表情が崩れる。目を大きく開き、時間が止まる。
その時だった。
「にゃはははははは」
と変な笑い声が屋敷全体に響く。そして、それは屋敷の廊下の奥からこちらに走ってきた。
まるで突風だった。気付けば、兵士が2人首から血を流して地面に倒れ、ダンヘルガも切り傷を負っていた。
「……ぐぬぅ、ニャルメ!」
「クソ執事。反応が遅くにゃったかにゃ?」
灰色のネコミミ吸血鬼が、そこに立っていた。
ニャルメという少女はかぎ爪に着いた血を舐め、ダンヘルガと向き合う。
恐らく、殺す気で攻撃したはず。それでも、命を刈り取るまでいかなかったのは、ダンヘルガの実力故か。
ロリの方の黒角。アリーシャの従者のひとり。彼女が援軍に来るように仕向けたからこそ、脱出を図ったのだ。
ニャルメが床を蹴る。それに対応するように、兵士が一斉に動き出す。
「――来てくれましたね」
「あぁ。本当に助かった」
トットンの言葉に俺は頷く。舞香だけがきょとんとし、目の前で起きていることに付いていけていない。
ニャルメの登場に一番驚いたのはダンヘルガだ。
予期せぬこちら側の援軍に、歯を食いしばり声を荒げた。
「――まさか、この領地を売ったのですか!?」
「頭の回転が速いな。でも、勘違いするなよ。俺はまだ領主じゃない。この地を売る、なんてことはまだできない。だからこそ、お前を売ったんだよ」
きっと、この世界で目覚めてから、ずっとダンヘルガの思惑通りだった。
そして、この先もその予定だった。
でも、ダンヘルガの予期せぬ事件も起きていた。
大領主様の訪問。きっと、あれだけはダンベルガの予定になかったものだ。あの時の驚きようは今でも忘れられない。
舞香を捨てて逃げるのなら、きっとその企みは成功していた。でも、俺はそれを選ぶわけにはいかなかった。でも、ダンヘルガの掌の上で踊るしかないこの現状で、俺は賭けに出た。
ノアジーノから得た情報を大領主に売った。そして、この屋敷への夜襲を仕掛けた。
それが俺の逃亡計画の全容。
まぁ、細かいところは煮詰めれず、出たとこ勝負となったが、結果として思い描いたものと繋がったので、結果オーライ。
不敵に笑う俺をみて、ダンヘルガは悔しそうに口を曲げた。
「ありえぬ。自由にさせていたとはいえ、この領地から出ることはなかったはず」
「あぁ、それはこれだよ」
と答え、俺は黒いカードを見せた。
この世界、いやこの時代におけるスマートフォンのような通信機器。
トットンのものを借りて、大領主と直接取引を行った。
「それこそ、ありえぬ。事前に通達なく、大領主様と話すなど……」
「通達はしたよ、現地に。まぁ、事前じゃなかったけど」
「なにを……」
ここまで言っても、ダンヘルガの中で答えは出ないらしい。俺はもったいつけるように答える、
「そう言えば、今日一日。道を舗装する音、聞こえてなくない?」
そこでダンヘルガは答えにたどり着く。
「今すぐ捕えろ!」
反対側に展開していた兵たちも一斉に動き出す。だが、ニャルメという予期せぬ敵に包囲網は崩れ、既に存在しない。一方向から迫ってくる敵にはトットンが相対し、迫る兵士数人をボコボコにしたところで、敵の足が止まる。
「行きましょう、主様!」
「ダンヘルガ。お前の必死な顔を初めて見た。どうした。いつものように、感動のあまり涙が出そうです、って吠えてみろよ」
最後に煽り、その場を後にする。
「く、……このまま逃がすわけにはいきませんぞ!」
「うるさいにゃ!」
追って来るダンヘルガを、ニャルメが足止めする。既に兵士は半分以上倒れており、ニャルメが邪魔をする以上、ダンヘルガは俺たちを追ってこれない。
この隙に、領地の外まで逃げる。
トットンの案内に従い、屋敷の外へ出る。
「幼馴染みちゃんは、あーしが背負うわ」
と言ってくれたので、舞香をトットンに頼み、俺はその後を付いていくだけだ。
最初に街に向かった時のように、木々が生い茂る山の中を進んでいく。
突き出した木の枝や葉っぱの先端で皮膚が切れて痛い。対するトットンは身体に傷をつけることなく、どんどんと進んでいく。
屋敷からの逃亡計画に、大領主様であるアリーシャの夜襲を重ねたところまでが俺の計画。
その後のことはトットンに任せていた。土地勘や、この時代における知識などを考慮し、ほとんどを丸投げしたのだ。
だからこそ、分からなかった。
「こ、こんなに急ぐ必要あるのかよ。屋敷はもう逃げ出せたし、少しはゆっくりしても、いいんじゃない」
体力が尽きてきて、俺は音を上げる。
「いえ、ゆっくりしていては手遅れになるわ」
「な、なんで?」
トットンはスピードを落とし、周囲を探りながら説明してくれる。
「主様とアリーシャ様が交わしたのは、夜襲の件のみ。つまり、今夜この領地はアリーシャ様のものになる可能性が高いわ。そうなった場合、ダンヘルガは恐らく死刑。次期領主である主様や、あーしたちは捕虜として扱われることになる。その際、人間である幼馴染みちゃんはどうなると思う?」
説明の中に出てきた舞香の存在に、俺はハッとする。
「……まさか」
俺が最後まで言葉にする前に、トットンは答える。
「食料として、大領主様たちに押収される」
その光景を想像し、ぞっとする。
この逃亡は、まだ終わっていない。
「でも、アリーシャ様とは顔見知りだ。なんとかならないのか?」
「ただの領主に、大領主様がかける温情などないわ。言ったでしょ。この世界は力こそがすべてよ。滅ぼされた側に待つのは、搾取か死のみよ」
「じゃあ、俺たちはダンヘルガの追手から逃げながら、アリーシャ様たちからも逃げなければならないってことか?」
「えぇ、その通り。まぁ、ダンヘルガの追手はもう来ないでしょう。あーしたちに回せる戦力なんてないもの」
俺は黙ったまま、トットンの後に続く。
そんな俺を見て、トットンは軽くケツを蹴ってきた。
「な、なに?」
「そんな顔をしなさんな。主様が領主にならず、ダンヘルガを売った時点でこの領地が滅ぶことは決まったわ。でも、それは主様に責任があることではないわ。この領地に力がなかっただけよ。主様がそれを背負う必要はない。主様は自分の命と、幼馴染みちゃんの事だけを考えればいいのよ」
励ましてくれるトットンの言葉に、俺は俯く。
そんなことはない。背負う必要がない、なんてダメだ。
俺は、この領地の主になるはずの人間だった。――いや、吸血鬼だった。
吸血鬼の始祖として、この領地を救わなければいけなかった。
この地に思いれがある訳じゃない。でも、街を見た。民を見た。やせ細り、食べるものに困る彼らを見た。ダンヘルガに対する不満を聞いた。
本来、俺が背負わなければいけなかったものを、俺は滅ぼした。
「……でも」
「あらあら、うふふ。主様は優しいのね」とトットンは目を細めて笑い、それから言葉を続けた。
「でも、気をつけなさい。この世界では、それは時に自身を蝕む毒となるわ」
「――え?」
「なんでもないわ。今は特に気にしない。逃げることだけを考えましょう」
トットンの明るさに、少しだけ気持ちが軽くなる。
「うん。ありがとう」
「お礼を言われるほどじゃないわ。あーしはメイドだもの」
トットンの背中を追い、山の中を走る。
後ろから追手が来る気配はなく、今のところ順調に山の中を進んでいる。
「止まってください、主様!」
と言われ、俺は身体を急停止させる。
だが足場の悪い中、急には止まり切れず、俺はその場に転んでしまう。
「痛っ!」
「し、静かに!」
トットンの言われ、俺は直ぐに口を閉じ、静かに立ち上がる。
すると、なにやら火の明かりのようなものがぽつぽつと視界の奥に見えた。
街の灯り、ではない。方向が違う。
「レインケル様。既に、敵の兵力は半分を削り切ったとのことです」
と、男の声が聞こえる。
「……アリーシャの奴め。仕事が早いな。だが、気を抜くな。ダンヘルガは勿論だが、兵士長のプロロイト、それにメイドのトットンが出てきたら、こちらの包囲網が崩される可能性は大いにある」
と、別の男の声が聞こえてくる。
その声を聴き、俺は息を呑んだ。
遠くて姿こそはっきりと見えないが、その声には聞き覚えがあったからだ。それに、その名前は忘れたくても忘れられない。
あのダンヘルガの腹を貫いた、男の大領主。
「……まさか、レインケル様まで出てくるとわね」
と、トットンが小さく呟く。
「ど、どうしよう」
「道を変えましょう。少し遠回りになりますが、彼らに見つかるよりはマシです。その分、スピードを上げますわ」
「わ、わかった。遅れずについていくよ」
「あらあら、立派ですね」
軽いやり取りを交わし、直ぐに移動を開始する。悟られることがないよう、最初はゆっくり音を消して進む。山の中であるがゆえに、完全に音を殺すことは出来ない。だが、なんとか気付かれることなく、その場を離脱できた。
その後は文字通り、スピードを上げて進んだ。
休憩なしで走り続けること6分。
漸く、トットンがスピードを落としたので、それに合わせる。
両肩で深い呼吸を繰り返し、山道に出る。
「や、やっと落ち着ける」
「この先が合流ポイントです」
「……だ、だれと?」
トットンについていくと、そこには軽トラが止まっていた。
その近くに人影がふたつほどある。
近付くにつれ、そのシルエットがはっきりとしてくる。
「旦那、待ってましたぜ。ギヒヒヒヒ」
「お待ちしておりました。とばり様」
と出迎えてくれるのは、顔見知りの2人だった。
「ノアさん。ククリカさん」
2人の名前を呼び、息をつく。酸素が美味しく感じる。脚が棒になりそう。痛い。癒しが欲しぃ。
「お飲み物です」
とククリカさんが血液パックを差し出してくる。俺は、喉の渇きから衝動的に手を伸ばす。しかし、舞香の存在でそれを躊躇う。
「ちょ、ちょっと。木陰に……」
木の陰に移動して、水分呼吸を行う。
運動後のスポーツ飲料のように、爽やかで甘い血だった。
その隙に、持ってきたリュックの中に入っている着替えを取り出し、ククリカさんが舞香を香替えさせる。
「ここに、軽トラがあるってことは……」
「足での移動はここまでです。ここからはこれで移動します」
とトットンが答える。
「ここから、バーミリオン領を抜けるまで、あっしが運びまっせ」
「ばーみりおん領って何?」
「アリーシャ様の領地の事ですわ」
「さぁ、乗ってくだせぇ。ゆっくりしてると、包囲網に捕まっちまいます」
舞香とククリカさんが乗り、俺もその後に続く。まさかの、荷台に乗る形だ。
運転中に荷台に乗るなんて、いけないことにワクワクする自分がいる。これぞまさに、血が騒ぐってやつだ。
さっき飲んだ血も喜んでいる気がする。
「荷物固定用の鎖をしっかり握ってくださいね」
とノアさんがエンジンをかける。
そこで俺はあることに気が付く。
「待って! まだトットンが乗ってない」
「いえ、そのまま行って下さい。主様、ここでお別れです」
「――え?」
それは、あまりにも唐突な別れの宣告だった。
「レインケル様まで出てきたのは想定外でした。この世界で一番の兵力を持つお方です。このままでは逃げきれません」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ! そんなの、関係ないよ!」
「駄目なのです。あーしはメイド。主様の危機を、見て見ぬふりは出来ません」
それは、今まで見たことのないくらい真剣な表情で、熱のある言葉に感じた。
今までの砕けた態度が、全て冗談に思えるくらいには――。
だからこそ悟った。その手を引いても、無駄だという事を。
どんな言葉を残そうと、彼女は止まらないだろう。
ならば、ありったけの想いを告げようと、決意した。
「――また、会えるかな?」
「ええ、きっと。主様の健やかなる成長を願っていますよ」
その微笑みは、美しいものだった。男だとか女だとか。そういうものを超えて、言葉では表すことのできない感動が、そこにあった。
熱く高鳴る胸の鼓動と、口から出かかるものを抑えて、俺は言葉にする。
「こんな、どうしようもない俺を、ここまで導いてくれてありがとう」
音を立ててトラックが走り出す。
頼りがいのある広い背中が、どんどんと小さくなっていく。戻ることは出来ない。送り出してくれた彼女の為に、絶対に逃げ切らなければならないのだ。