07話 「思惑の外へ」
俺は屋敷の中に入り、まずダンヘルガの元へと向かった。
ダンヘルガは領主代理として執務室にいることが多いことはこの数日で分かっていた。
執務室の扉をノックなしで勢いよく開く。
「おぉ、主殿。どうされましたかな?」
そう問うダンヘルガを無視して、詰め寄る。そして、奴の胸ぐらを掴んで引っ張りあげた。
「俺を使って何を企んでるか知らねぇが、舞香やみんなを巻き込んでんじゃねぇ!」
まず最初に、言うべきことを言った。
ダンヘルガの表情は崩れない。まるで、こうなることを予見していたかのように……。
「街で何かいい情報でも聞けましたかな?」
「他の4人はどこだ」
「……なるほど。聞けたようですなぁ」
「何処へ連れて行ったんだ!」
部屋の中に響き渡る怒号。それに1ミリも怯むことなくダンヘルガは答えた。
「既に吾輩の手から離れた事は分かりませぬ故、分かりませぬ」
我慢の限界だった。初めから我慢などする気はなかったが、コイツだけは許せないと、自分の中で何かが弾ける。
本能的に握りしめた拳が奴の顔面に向かう。
だが、衝撃を受けたのは俺の方だった。
グルっと世界が周り、奴の胸ぐらから手が離れる。まるで、縦向きにまわるコーヒーカップ。遠心力を受けながら俺は首から床に激突した。
「――――いっ、ぇぁ!!」
変な声が漏れた時には首に激痛が走っていた。
バクバクと心臓が高鳴る。何が起きたのか理解ができなかった。
……だが、予測はできる。
俺は今、反撃を受けた。
問題は、その動きが全く見えなかったこと。
俺はダンヘルガに殴りかかった。だが、その拳が奴に届く前に俺の身体は宙を舞い、半回転させられたのだ。
冷たい汗が肌の上に浮かび上がる。本能的に理解する。
この男が強い、ということを。
服の上からでも分かるガタイの良さ。それは奴の肉体が鍛え抜かれたものだと物語っている。
ただの執事ではなく、ただの胡散臭い吸血鬼でもない。
明らかに、武術の心得がある。
俺は床の上で上半身を起こし、奴を見上げる。
「いけませぬな、主殿。勝てぬと分かりきっている敵に挑むなど、馬鹿が行う行為ですぞ」
ギリっと奥歯が軋む。
こいつを前に、俺は何をすることもできない。
自分の無力さが苛立たしい。
「……みんなを何処へやったか答える気はない、ということか」
「言いましたでしょう。既に吾輩の手から離れた事は分かりませぬ」
乱れた衣類を正しながら、ダンヘルガは答える。
……この男から情報を得ることは出来ない。
まぁ、元々信頼はしていなかったが、ここに来て決定的となる。
ダンヘルガという吸血鬼は俺にとって、敵なのだと。
だが、立ち向かうことなんて出来ない。実力の差を測ることすら出来ないのだから。
残された選択肢は一つだけだ。
逃げるしかない。こいつの監視の目を掻い潜り、舞香を救出して逃げるしかないのだ。
そんな俺の考えを見抜いたのか、ダンヘルガは俺を見下しながら口を開く。
「変な気は起こさぬほうが懸命ですぞ」
「――――なに?」
「ここで吾輩の傀儡となり、政治を為す。それが主殿にとって一番いい選択肢ということです」
いつもの笑みを浮かべ、ダンヘルガは答える。
執務室を追い出される形で廊下に出された俺は拳を握り締める。
悔しさと憤りでどうにかなりそうだ。
今すぐに奴を無力化して殴りたい。奴の顔面の骨が粉々になるまで、殴りたい。
ハンマーとか金槌とかそういう道具を使ってではなく、この拳ひとつで、俺の腕の原型が無くなるまで、奴の顔面を殴って殴って殴って殴りたい衝動に駆られる。
だが、それは叶わない。敵わない、ということを体感させられた。
クソっと心の中で吐き捨てる。苛立たしい。苛立たしいが、今は衝動に身を任せている余裕はない。
「……先ずは情報の整理だ」
そう独り言を呟き、今日得た情報を整理しながら廊下を歩く。
メイドは折れに協力的。と言っても、この屋敷に居るメイドは2人だけだ。
……一人じゃなくなったというだけで精神的安心は大きいが、それだけで物事が解決はしない。
部屋へと戻る前に舞香に会いに行く。それは確定事項だとして、もう一つ明らかにしておきたいことがあった。
俺はトットンの姿を探し、廊下を進むスピードを速めた。
トットンは浴場に居た。
浴室の掃除を終え、浴室から撤退しようとしていたところに鉢合わせた。
「丁度良かった。探してたんだ」
「あら、なにかしら。もしかして夜のお誘いかしら」
「そう言う冗談はいいから」
とトットンの言葉をさらりと流す。トットンは「冗談じゃないのに」と口の端を曲げていた。
「……トットンは俺の味方、ってことでいいんだよな?」
まず最初にはっきりとさせるべきことを口にする。
本来ならばこんな聞き方は愚の骨頂だろう。だが、俺には高い演技力も駆け引きの術も持ち合わせてはいない。そもそも、一介の男子高校生には大人と駆け引きできるほどの力はない。
それにプラスしてこんな状況だ。この屋敷の事も、この世界……この時代の事も俺は何も知らない。
だからこそ、今はこの純真さで勝負すると決めた。
トットンは頬に右手を当て、俺の頭からつま先まで値踏みするように視線を移動させる。
そして、少し間を置いた後、「それは当たり前のことですわ。と言っても主様があーしを信頼できるかは別の話でしょうけど」
「……いや、その辺りを考えるとキリがないからな」
ここを間違えると致命的だが、運び屋の情報とこの屋敷で目覚めてから実際に関わってきた僅かな時間の中で判断するしかない。
「それで、主様が本当に聞きたいことは何ですか?」
俺は息を呑み、口を開く。
「トットンは強いのか?」
「まぁ、そうでしょうね。今、主様が一番に把握すべきなのはそこですよね。正解です」
とトットンは嬉しそうに口の端を釣り上げた。
「それでどうなんだ?」
「自分で言うのもあれですけど、こう見えて普段から身体を鍛えてるわ」
と胸を張って答えるトットン。その姿は自信に溢れていた。
こう見えて、というか……。
まぁ、その筋肉は鍛えてる人の筋肉だよね。としか言いようがない。
パツパツのメイド服が可愛そうというか、今にも悲鳴を上げて縦に裂かれそうだよ。
「鍛えてるのは分かるけど、その……」
「濁さなくて結構ですよ、主殿。要するに戦えるのか、という事でしょう?」
その言葉に、俺は首を縦に振る。
「えぇ、その辺にいる有象無象の兵士よりかは強い、という自負がありますわ」
それはなんとも心強い言葉だった。
「じゃあ―――」と開きかけた唇に、トットンの人差し指が静かに当てられる。
「でも、すみません。あーしだけではダンヘルガの持つ武力には敵いませんわ」
「……やっぱり、あいつは強いのか?」
「正直なところ、ダンヘルガ個人の強さについて、あーしから言えることは分からないの一言だけですわ。あの男は自分の目的も、力も隠している。そんな気がします。
あーしが言っているのはダンヘルガが使えるこの屋敷の兵力です。数だけでおよそ30人。島全体を含むとその倍近くと考えていいでしょう」
初めて手に入れる敵とする存在の兵力。
……そうだ。これは直ぐに把握しなければいけない事だった。
「兵の差が違い過ぎる。……あ、ククリカさんは? 彼女は戦えるのか?」
俺の問いに、トットンは視線を外す。
「吸血鬼として見た場合、戦える、とは言えないですね」
現状、俺の味方になってくれそうな存在はククリカさんとトットンだけだ。
トットンしか戦えない、となると正面切っての脱出は不可能に近い。
俺は自然と奥歯を噛み締めていた。状況を知れば知るほど不利になっていく。そんな気がする
それを見たトットンはそれに耐えかねたように、トットンは口を開く。
「マイナスばかりの話も気が滅入るだけですからね。ここはあーしからアドバイスを」
「……アドバイス?」
「えぇ。あーしらは主様の意思に従います。その役割は本来、導くものではありません。だから、この独り言は聞き流してください」
と前置きをした後に、トットンは俺に背を向けた。
「この現状で、失礼ながら主様にはダンヘルガの思惑を打倒する術はありません。でもそれはダンヘルガと主様だけを比べたらの話です。ダンヘルガの裏を掛けるかもしれないピースは既に出揃っているかもしれませんね」
コホんと、わざとらしく咳ばらいをしてからこちらを振り向くトットン。
「さて、独り言は終わりです。あーしは道具の片づけが残っていますので、失礼させていただきますわ」
軽いステップを踏んで浴室から去っていくトットン。その背中に心の中で感謝を告げる。
この屋敷で目覚めてからの事を思い出せ。
ここで起きたことのすべてが奴の思惑通りだった、という訳ではない。
俺は舞香に会いに西館の地下牢へ向かった後、自室へと戻った。




