10話 「鬼ごっこ」
ダンヘルガの不気味な笑みに、鳥肌が立つ。
奴の合図で兵士たちが展開し武器を構えた。廊下の反対側からも兵士が押し寄せてくる。
俺と舞香。そしてトットンは兵士たちに囲まれる形になったのだ。
「あらあら、うふふ。せっかちな男は嫌われるわよ。ダンヘルガ」
「貴様は黙っていろ、トットン」
ダンヘルガに睨まれ、トットンは「つれないわねぇ」と溜息をこぼす。
ダンヘルガは俺たちから視線を外し、奥で伸びるプロロイトを見た。
「主殿たちがどうやってあれを倒したのかは存じませんが、3人でこの屋敷の兵士全員を相手にできる訳もなし。ここから逃がしませぬぞ」
ダンヘルガの合図を兵士たちは待っている。号令がかかればすぐに兵士たちの攻撃が始まるであろう。そんな緊張感が漂う中、俺の隣にいた舞香がずいっと前に出る。
「他のみんなをどこへ連れて行ったの!」
と、声を荒げて。
「ほぉ、捕まっていた時とは違って威勢がいいですな」
「いいから答えなさい!」
「吾輩に答える義理などありませんよ。そもそもあれらは吾輩たちの食料。どこへ連れて行こうが貴女に関係ありませぬ」
表情を一切崩さずに答えるダンヘルガ。それを受けて舞香は更に声を荒げた。
「こんなことして許されると思ってるの!」
「ちょ、舞香」と抑えに入るが、舞香は止まらない。
「ははははは。どうやら頭の回転は遅いようだ。この時代は既に貴女がたの倫理の通じる世界ではない」
ダンヘルガの言葉に、舞香は反論に詰まった様子だった。吸血鬼相手に人間の方など通じない。そもそもこの時代が吸血鬼の時代だというなら、法の概念そのものが違う可能性がある。
俺は舞香の腕を掴み後ろへと引き寄せようとする。だが、意地でも後ろに下がらないようだ。
「ここで俺たちを待ち伏せするなら、どうして舞香を解放させるような真似をした」
俺は舞香の前に出てダンヘルガに問う。
だが、その問いに答えたのはダンヘルガではなく、トットンだった。
「主様。あーしらはダンヘルガに嵌められたのです。舞香様を助けてしまったことで、主様が取れる行動に限りが出てしまいました。それに……」
とトットンの言葉を遮るように、「やれ!」とダンヘルガが兵士に号令を出す。
それを受け、周囲に展開していた兵士が一斉に動き出す。
俺は強引に舞香を引き寄せ、トットンの背後に回る。トットンの立ち回りはすさまじく、俺と舞香に敵を近づけさせないように動いてくれた。
だが、それも一瞬の出来事だ。
トットンの動きはプロロイトの時と比べて明らかに悪い。それに数も違う。多勢に無勢。兵士の槍が俺の頬を掠める。
そこで漸く理解した。さっきトットンが言いかけたことを。
舞香がいることでトットンが守るべき対象が増えた。俺の行動を縛るだけでなく、こちらの機動力までも削ったのだ。
ダンヘルガは一歩引いたところでこの状況を眺めている。そんな最中、ダンヘルガと目が合った。奴は俺の頭の中を覗き見たかのようににっこりと微笑んだ。
見えない刃が背筋をそっと撫でていったように身がすくむ。
恐ろしいが本当に腹が立つ。
このままここで時間を食うわけにはいかない。俺と舞香がいる以上トットンは本気で舞えない。すべてが奴の思う壺だ。
「とばり」と舞香がこちらを振り向く。トットンだけではこの状況を解決に導けないことをどうやら察したようだ。
そして意を決したように口を開く。
「私が囮になるからとばりは逃げて」
と自信満々に。
俺は舞香の顔を見て目をぱちくりさせる。
本当に何を言っているのだこの女は。
こんな状況なのに笑いが込み上げてくるというか、逆に苛立たしいというか……。
彼女は本気だ。それが彼女の在り方だった。10年前から変わらない彼女の本質。だからこそ、俺は拳を舞香の頭に落とす。
「いたっ! 何すんの!」
「舞香こそ何言ってるんだよ」
頭を抑えながら涙目になる舞香。それを余所に、俺はトットンを呼ぶ。
「主様、すみません。少しばかり厳しそうですわ」
「分かってる。だから、舞香を連れて屋敷を脱出しろ」
俺はそう言いながら舞香をトットンに預ける。
俺の目を見て、本気度を察したらしい。トットンは黙ったまま舞香の身体を受け止める。
「ちょ、とばり! そんなの許さないから!」
どの口が言うのだ。まったく。
ため息を吐く。
「大丈夫だよ。俺だってこんなところで死ぬ気はない。トットン。例の場所で落ち合おう」
「……本当に、大丈夫なのですね?」
「あぁ。それに折角逃げ切るなら、あいつに頬面のひとつでもかかせたいからな」
それだけでトットンは身を引く。今にも暴れ出しそうな舞香の身体を軽々と抱きかかえ、そのまま走り去る。
「このまま行かせると思いですか」
「じゃ、俺も逃げさせてもらうわ」
と軽く手を上げ、トットンが走り去った方とは逆方向に走り出す。
単純な話だ。ダンヘルガにとって舞香やトットンは死んでもいい駒のひとつにすぎない。だが、俺は別だ。故に、俺がここで敵を引き付ける役が最も効率が高い。
「なるほど。自分を囮に使うつもりですかな」
ダンヘルガは兵に俺を追うように指示を出す。
「――――さぁ、鬼ごっこを始めようぜ。吸血鬼」
追って来る吸血鬼の兵たち。だが奴らのスピードは遅すぎる。
――――いや。俺が速いのだ。
学年3位の足の速さを舐めてもらっては困る。それにいつもより身体がやけに軽く感じる。敵の動きもよく見える。
プロロイトに空けられた腹の穴も、左手と同時に再生していた。先程まで悩まされていた頭痛もない。身体が羽のようだ。これなら、思ったより何とかなりそうだ。
「ダメだ。捕まえられねぇ」
「なっ、なんだこのスピードは!」
と兵士は様々な反応をこぼす。
兵士の猛攻を避けながら、屋敷の中を駆け巡る。兵士は俺に追い付けない。だが、タクミに先回りなどをしながら俺を追い詰めてくる。
出入り口や窓には近づけない。そのように立ち回りし、1階から2階。さらに3階へと逃げ道を誘導される。
流石にプロだ。簡単にはいかない。
「くそ。流石に疲れてきた」
約30分。全力疾走で兵士から逃げるも、先に体力が尽きたのはこちら側だった。
両肩で呼吸を繰り返し、肺に空気を取り込む。胸の奥で、心臓が暴れるように脈打っていた。
一拍ごとに、硬い拳で内側から叩かれているかのような衝撃が走る。
全力疾走の反動で、血液は熱を帯び、細い血管の隅々にまで無理やり押し流されていく。
窓とは反対側の壁に背を着ける。兵士たちは俺を囲うように並んでいた。
「まぁ、及第点というとこですかな」
兵士たちの真ん中をカツカツと靴音を鳴らし進んでくるダンヘルガ。
「……ひとつ、聞かせてくれ。ダンヘルガ」
俺はダンヘルガに向かって口を開く。
「なんですかな」とダンヘルガは答える。
「俺には結局お前の目的が分からなかった。この領地の独立なんて嘘なんだろ」
俺が聞くと、ダンヘルガはニヤリと笑みをこぼす。
「まったくの嘘、という訳ではございません。この地の独立というのは吾輩の目的を叶えるための複数ある手段のうちのひとつなのですから」
「……なるほどな。じゃあ、その目的ってのは何なんだ」
「うむ。今はまだ答えられませぬ。余計な邪魔が入られると困ります故。それに聞くのはひとつ、という話ではなかったですかな? まぁ、勿論主殿が吾輩の傀儡に屈するというのなら話は別ですが」
嘘つけ。ここで俺が傀儡になると言ったところでこいつは口を割らない。それに、そんなのは嫌だ。口が裂けても言いたくない。
だって俺は――――。
「やっぱり、嫌いだわ。お前」
「ハハハハハ。そんなことは存じていますよ。さぁ、終わりです」
ダンヘルガの合図で、兵士たちが動き始める。
「あぁ、もう一つ。言わなきゃいけないことがあった」
「……くどいですぞ。主殿」
「時間稼ぎは終わった」
「――――なに!?」
俺の言葉に、ダンヘルガの表情が崩れる。目を大きく開き、時間が止まる。
その時だった。
「にゃはははははは」
と変な笑い声が屋敷全体に響く。そして、それは屋敷廊下の奥からこちらに走ってきた。
まるで突風だった。気付けば、兵士が2人首から血を流して地面に倒れ、ダンヘルガも切り傷を負っていた。
「……ぐぬぅ、ニャルメ!」
「クソ執事。反応が遅くにゃったかにゃ?」
灰色のネコミミ吸血鬼が、そこに立っていた。
ニャルメという少女はかぎ爪に着いた血を舐め、ダンヘルガと向き合う。
恐らく、殺す気で攻撃したはず。それでも、命を刈り取るまでいかなかったのは、ダンヘルガの実力故か。
ニャルメはロリの方の黒角。王族であるアリーシャの従者のひとりだ。
俺とダンヘルガの兵力差には決して埋めることの出来ない差がある。ならば、第3の軍を出現させ、それをダンヘルガにぶつける。
これが俺の作戦の全て。陽動に陽動を重ね、彼らがここに近付くのをダンヘルガに悟らせてはいけなかった。
ニャルメが床を蹴る。それに対応するように、兵士が一斉に動き出した。その手前でダンヘルガは口を閉じ、大きく目を見開いている。
予期せぬこちら側の援軍に、歯を食いしばり声を荒げた。
「――まさか、王家を動かしたのですか!?」
「頭の回転が速いな。そして、ずっとその反応を見たかったぜ」
きっと、この世界で目覚めてから、ずっとダンヘルガの思惑通りだった。
そして、この先もその予定だった。
でも、ダンヘルガの予期せぬ事件も起きていた。
王家視察団の訪問。きっと、あれだけはダンベルガの予定になかったものだ。あの時の驚きようは今でも忘れられない。だからこそ賭けた。ノアジーノから得た情報。俺たちがこの世界に呼ばれた日の夜。あの運び屋は俺と舞香をこの領地の手前まで運んでいる。
そして、それは王家側が欲していた情報とも一致する。
ダンヘルガの罪状は主にふたつ。
マザーゲートと呼ばれるものの不正使用。
そして、本来王族に捧げるべき人間を秘密裏に保管していたこと。
やはり、この世界では生きた人間の血はとても貴重で、捕縛=王家に献上するというのが決まりらしい。
援軍のニャルメによって兵士が次々と倒されていく。その度に奴の顔の薄皮が剥がれていくようで。
見ていてとても気分のいいものだった。
だが、いつまでもここに居る訳にはいかない。王家の軍は敵では無いけど、味方でもない。
生きた人間である舞香。そして、ダンヘルガに使われようとしていた俺は奴らにとっても喉から手が出る欲しいもののはず。
「ニャルメを殺し、今すぐに主殿を捕らえろ!」
とダンヘルガが吼える。
兵たちが一斉に動き出す。その動きに躊躇いはない。だが、その程度ではニャルメの動きは止められない。
「吼えたな。それは王家への反逆と受け取ってもいいのかにゃ?」
「どう受け取ってもらっても結構ですぞ」
2人の間で火花が散る。逃げるならここが絶頂の機会だった。俺は足に力を入れ、床を蹴る。最後に一言くらいダンヘルガに浴びせたかったが、ニャルメの注意を引きすぎるのも良くない。
彼女以外の王家の軍が迫っているかもしれないこの状況で下手なことはできない。俺は振り返ることなくその場を後にする。
記憶を頼りに屋敷の中を走る。1階へと下りてそのまま屋敷の出入口に向かう。
だが、ガヤガヤと騒がしい。俺は足を止めて角からその先を覗き見る。
それは予測通りの光景だった。
王家側の兵士によって出入口は完全に塞がれている。ここからの逃亡者を出さないためだろう。
この屋敷の兵士と違い、煌びやかで華のある甲冑が光源を受けて光っているように感じる。
「正面の出入口は駄目だ」
と呟き、踵を返す。見つかる前に脱出をしなければならない。俺は人気がないことを確認して適当な部屋に入り、そのまま窓へと駆け寄る。
部屋の中から窓の外の様子を伺う。幸いなことにここまで王家の軍は来ていない様子だった。
……ニャルメが一人で先行。それに続いて本軍が正面出入口を封鎖。
その手は屋敷の周囲へとじわじわ広がっていることだろう。時間が経てば経つほど屋敷からの脱出は厳しくなる。
俺は意を決して窓を開けて屋敷の外へと飛び出す。
だが、間が悪かった。
窓の外にはちょうどこちらへ歩いてくる兵士が3人いた。
「逃亡者発見!」
「うわ、最悪!」
俺を見て兵士たちが槍やら剣やらを構えてこちらに突進してくる。
俺はすかさず地面を蹴り、反対方向へと走り出す。
再び吸血鬼との鬼ごっこが始まる。
屋敷の兵士とは練度が違うのか、王家の軍の兵士はそのスピードも桁違いのように思えた。
全然引き離せない。ジリジリと距離は縮まる一方だ。
このままでは直に捕まる。
不本意というか、締まらないというか。自分でもかっこ悪いと思うのだが、ここまで来て意地張って捕まるわけにもいかない。
俺は夜空を仰ぎ、息を吸って叫ぶ。
「助けて! トットン!」
俺が叫んだのと同時に、俺と兵士の間に入り込む影があった。その影は見事な舞のような動きで3人の兵士を難なく倒す。
俺は足を止めて、その影と向かい合う。
「ご無事ですか、主様」
と屈強なメイドの姿がそこにはある。
本当に出来るメイドだ。俺が声をあげるまでもなく、トットンはこちらに向かってきてくれていたのだ。
「あぁ、ありがとう」
呼吸を整えながらお礼を言う。
「落ち合う場所までもう少しのところでしたね」
とトットンが返してくる。
分かってる。自分でそこまで行きたかった。本音を言えば兵士を撒いて行けるのが最善だったと。
「とばり!」
そこへ舞香が走ってくる。その表情は安堵の色が広がっており、こちらへと飛び込んでくるのと同時に俺の鳩尾へ拳をかましてくる。
ゴフッと息を吐き、その衝撃を受け止める。
「なんで一人で残ったのよ!」
と。幼馴染の正拳突きはこれまでに受けたどんな傷よりも精神的に響くものだった。
「……舞香に言われたくないんですけど」
「私は別にいいけど、とばりは駄目!」
と無茶苦茶なことを言ってくる。
その目は湿っており、俺はそれ以上何も言うことが出来なかった。
「……ほんとに、よかった」
と彼女が俺の後ろに腕を回す。俺は戸惑いつつもそれを受け入れて抱き留める。
「コホン!」と咳払いがひとつ。
それで俺と舞香は離れ共に下を向く。
「まだここは領地の中です。お気持ちは分かりますが気を抜くことがないようにお願いしますわ」
トットンと協力し、地面で伸びている兵士を屋敷の周囲を囲む茂みの影に隠す。
そこからまた逃亡を再開する。
王家の包囲網が整う前に屋敷の敷地から脱出し、更にこの島からも脱出を成功しなければならない。
トットンの案内に従い、屋敷の敷地の外へ出る。
「幼馴染みちゃんは、あーしが背負うわ」
と言ってくれたので、舞香をトットンに頼み、俺はその後を付いていくだけだ。
最初に街に向かった時のように、木々が生い茂る山の中を進んでいく。
突き出した木の枝や葉っぱの先端で皮膚が切れて痛い。対するトットンは身体に傷をつけることなく、どんどんと進んでいく。
本当に凄いメイドだ。彼女の後ろ姿を見ながら、漠然とそんな感想しか抱けない。
後ろから追手が来る気配はなく、今のところ順調に山の中を進んでいるように感じる。
「止まってください、主様!」
と言われ、俺は身体を急停止させる。
だが足場の悪い中、急には止まり切れず、俺はその場に転んでしまう。
「痛っ!」
「し、静かに!」
トットンの言われ、俺は直ぐに口を閉じ、静かに立ち上がる。
すると、なにやら火の明かりのようなものがぽつぽつと視界の奥に見えた。
街の灯り、ではない。方向が違う。
「レインケル様。既に、敵の兵力の半分を削り切ったとのことです」
と、男の声が聞こえる。
「……流石は騎士団だ。仕事が早いな。だが、気を抜くな。ダンヘルガは勿論だが、兵士長のプロロイト、それにメイドのトットンが出てきたら、こちらの包囲網が崩される可能性は大いにある」
その声を聴き、俺は息を呑んだ。
遠くて姿こそはっきりと見えないが、その声には聞き覚えがあったからだ。それに、その名前は忘れたくても忘れられない。
あのダンヘルガの腹を貫いた、黒い角の吸血鬼。
「……やはりレインケル様も来てますわね」
と、トットンが小さく呟く。
「ど、どうしよう」
「道を変えましょう。少し遠回りになりますが、彼らに見つかるよりはマシです。その分、スピードを上げますわ」
「わ、わかった。遅れずについていくよ」
「あらあら、立派ですね」
軽いやり取りを交わし、直ぐに移動を開始する。悟られることがないよう、最初はゆっくり音を消して進む。山の中であるがゆえに、完全に音を殺すことは出来ない。だが、なんとか気付かれることなく、その場を離脱できた。
その後は文字通り、スピードを上げて進んだ。
休憩なしで走り続けること数分。
漸くトットンがスピードを落としたので、それに合わせる。
両肩で深い呼吸を繰り返し、山道に出る。
「や、やっと落ち着ける」
「この先が第2の合流ポイントです」
「……だ、だれと?」
トットンについていくと、そこには軽トラが止まっていた。
その近くに人影がふたつほどある。
近付くにつれ、そのシルエットがはっきりとしてくる。
「旦那、待ってましたぜ。ギヒヒヒヒ」
「お待ちしておりました。とばり様」
と出迎えてくれるのは、顔見知りの2人だった。




