第2幕 きっかけ
それから三時間後。
「どうしたの、未桜?」
どこか落ち込んだ様子の未桜を、雫が不思議そうに見つめている。
「アーセル様に笑われてしまったの。私はスライムしか生み出せないから……」
雫は、自分が出かけていた時に、アーセルが訪ねてきたと聞いた時の未桜の様子を思い出す。
「……そんなに笑われたの?」
未桜は雫の問いに、大きく頷いた。
☆彡 ☆彡 ☆彡
「あははははは」
アーセルはスライムたちを見て、それはそれは心から笑っているように思えた。
「……アーセル様……」
未桜が落ち込んでいる様子を見て、「す、すまない」と謝りつつ、堪えきれない笑いを耐えるのに辛そうに見えた。
「スライムを生み出せるのは、高等魔導術なんだが……召喚ではないんだろう?」
アーセルが淹れてくれた紅茶を飲みながら、未桜は落ち込んだまま小さく頷くしかなかった。
「召喚というのもよくわからないのですが……。でもなんか、どこから呼び出しているとかいう感覚とは違うと思います……」
「それなら君が作り出す…というより生み出しているということだろう。
呼び出すなら、召喚のための時空の道を作らないといけない。
先ほどはそんな様子はなかった。召喚よりも誕生の方が、『霊力』の消費量がはるかに大きいんだ。でも君はそれをなんなくやってのけ、今も疲れている様子もない。
本当にすごいんだ。誇っていい……なるほど。まったくもって問題ないな」
まるで実感がない。
アーセルは納得しているようだが……。
それにべた褒めされたのだろうが、そんなにすごいことなのか?
未桜が生み出したスライムたちは、五匹。
まるで遊んでいるように、未桜やアーセルの周りをポンポンと飛び回っている。
なんか私に似て、ぼーっとしているような子たちばかりのような……。
「やはり君は俺の……いや。私の見込んだ『種子』だよ」
「アーセル様。その『セーメ』というのはどういう意味なのですか?半年前に、私を助けてくれた時にも言っていましたよね?」
アーセルは口元に笑みを浮かべたまま、未桜の問いに答えた。
「そうだね。私たちのこの世界……『エル・アルプル界』では、この『メルヒの搭』のような搭のことを『樹』に例えているんだ。実際、樹のように見えるだろう?
この『メルヒの搭』のような『搭の主』……」
ここまで説明をしていたアーセルは、未桜が少し情けない表情をしているのに気がつき、
「……難しいか?」
「はぁ。もう半年はいるんですけど、色々と覚えることが多くて……その」
アーセルは未桜を落ち込ませないように、笑いを堪えつつ。
「まぁ、『搭の主』は、そうだな。簡単に言うと、女王のような存在だと考えてくれていい。君は、次期女王候補ということだ。しかし私が頼んだのは、『候補』になってほしいというだけで、女王になる必要はない。『セーメ』という言葉は、女王候補の別称だ。
初めて見た時に、君の中に光る……力強い力を感じた。だからお願いしたんだ」
「……はい。それはわかりましたけど……」
アーセルにそう言われると、未桜は頬が熱くなるのを感じていた。
アーセルが初対面の未桜の中に、力強い力を感じたのなら、未桜はアーセルに強いときめきを感じていた――かもしれない。
「アーセル様は、私に女王になる必要はないと言われていますけど、もちろん……その。
私は兄や友達を見つけたいから、女王にはなれませんけど……。
それなら、アーセル様は私になにを求めていられるのですか?
その女王様に嫌われるようなことをしてまで、私を候補にしなければいけないのは……」
それはずっと疑問だった。
今までは未桜自身が、この搭での生活に余裕がなくて、詳しくは訊いてこられなかった。
でもこれだけは、はっきりと知っておかないといけないことだと思っていた。
「……変わるきっかけ……かな。革命……と言えるかもしれない。でも、君を傷つけるようなことは絶対にさせない。君が教えてくれたお兄さんや友達の情報を元に、色々調べさせている。
君が無事に再会できるように、なんとしても探し出す。それは任せてくれ」
なんだろう。こんな時のアーセルは、どこか追い詰められているような……?
ものすごく必死さを感じている。怖いほどに……。
とても仕事が忙しい……というだけなんだろうか?
「それでもこうして出会えたことも、何かの縁だろう」
これは兄、大河がよく口にしていた言葉だ。
自分のためにここまで言ってくれるのなら、未桜もアーセルのために、何か力になれるはず……。
そうだった。その『力』が問題だった。未桜は今更ながらに思い出してしまった。
「君を見ていると本当に飽きないな。表情の豊かさには、心が癒される」
「……あんまりうれしくないような……」
再度未桜は落ち込み、大きく肩を落とした。
「そんなことはない。君の存在は、今の俺の支えだ」
「俺って……」
アーセルの一人称がいつもの『私』ではなく、『俺』と変わっている。
「……すまない。君といると、素の自分が出てしまう。
君は私を「王子様」なんて言ったけど、私はけっこう粗暴なところがあるんだ」
「そぼう?」
「ああ。乱暴なところもあるということだよ」
私に気を使ってくれているのだろうなぁ。でも。
女王候補には気品とか、教養とかも求められるはずだろう。
私みたいな無知の人間に務まるものなのか?そんな知識などまったくないし。
平民の出……という立場になるであろう自分に務まるものなのか?
こういう話は、歩葉の方が詳しかったはずだけど……。
アーセル様は謙遜して、自分に乱暴なところがあるなんて言っていたけど。
未桜は自分の不甲斐なさを改めて思い知らされた気がした。
「未桜。君は何も恥じることはない。その力があるなら、魔導術も問題ないだろう。
でも明日のことは、延期してもらった方がいいかもしれないな。
君にストレスになってしまっては申し訳ないからね。私の方からエカテリーナ様に……」
アーセルに助けてもらった時、この話をされて、未桜はとても悩んだが。
それでも『やる』と決めたのだ。だからここにもいられる……。
アーセルにここまで言わせてしまって、未桜はこれ以上、アーセルに迷惑をかけたくないと考えた。
それならば。
「明日、エカテリーナ様との謁見、ぜひやらせてください」
「……ミオ」
アーセルは未桜の申し出に、瞳を閉じて一呼吸のあとに、再度開くと
「ありがとう」
とだけ、口にした。感謝のほほ笑みを浮かべて。
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「雫。明日、エカテリーナ様に謁見することになったから」
そこまで思い出して決意すると、未桜は雫に言った。
「えっ!?あいつに会うの?」
突然の未桜の告白に、雫が驚く――というよりは、嫌悪感満ちた表情に変わった。
「私、あいつだいっきらいなんだけど。未桜だって、他の候補者との扱いが全然違うのを感じているでしょ。あんまり、未桜をあいつを会わせたくない」
雫はこの搭で一番偉い女王を「あいつ」よばわりしている。よほど嫌っているらしい。
AIが学習し、適切に判断して思考し感情を表す。主であるその人の性格や環境に応じて、最適な言動を選び出して表現する――それが自動人形だと聞いている。
あしかに雫は特別製だ。なにより戦闘機能まで持つ自動人形だった。
いつも驚くことだが、雫はほとんど人と変わらない。
『嫌い』という感情も、こんなにストレートに言うように作られているのだろうか?
未桜は漠然とそんなことを考えながら、エカテリーナという存在を考えた。
異世界人を嫌っているという女王。いや。たぶん、搭全体にそんな空気があるのあるのだろう。
アーセルのような存在自体、めずらしいに違いない。
それでも未桜はしばらくここに留まると、アーセルに約束しているのだ。
コンコンコンコンと忙しく扉をノックする音がした。
「はーい」
「グリシナです、ミオ様」
グリシナはアーセルが未桜につけた世話係の少年だ。
護衛も兼ねているため、腕はたつらしいのだが、せっかちで、のんびりとした未桜とは日常のテンポというものが合っていない。
「遅れてすみません。アーセル様から言われて、ミオ様の明日の謁見に着ていく衣装の相談に来ました。
と、俺、そんなこと全然わからないんで、知り合いの女の子連れてきました。
入れよ、チューニャ」
扉をあけていきなりの言葉。未桜が呆然としているにもおかまいなしに、どんどん話を進めていく。
口をパクパクとしている未桜をスルーしたまま、グリシナは一方的に未桜に報告しては、一人の少女を招き入れてしまった。
「あとでアーセル様に報告しとこ」
小姑のごとく、雫はグリシナのチェックが厳しい。
「……雫。と、グリシナさんとチューニャさん……」
雫にツッコミたいが、未桜は二人への対応を優先し、強張っているかもしれないが、笑顔でグリシナたちに話しかけた。
「ミオ様。私はどうぞ「さん」などとつける必要はありません。
私はこの『メルヒの搭』で魔導術を学ぶ『アーベ』……生徒というのでしょうか。で、チューニャと申します。どうか、以後お見知りおきを」
『メルヒの搭』では、魔導術を学ぶ学校としての機能もあった。
それは雫が調べて教えてくれたり、アーセルやグリシナも説明してくれた。
その学校で学ぶのは、十歳から十八歳までの少女に限定され、その生徒たちが『アーベ』と呼ばれているらしいということも。
『セーメ』と同じでなにか意味があるのだろうが、今はそんなことにこだわっていられない。
「困ったな……私はあなたをなんて呼べばいいんだろう?」
本気で困っている様子の未桜に、チューニャは思わず吹き出してしまった。
「異世界人の『セーメ』なんてどんな人だろうとずっと思っていたんですけど。こんなに気さくでかわいい人だと思いませんでした。
もっと狡猾で嫌な人かと……大変失礼いたしました。
私のことはチューニャとお呼びください」
チューニャは未桜と同じぐらいの歳だろう。少なくとも、『アーベ』というのだから十八歳以内というのは確実だ。未桜は同じ程度の年齢の同性と、ここ半年、ほとんど会話をしていない。
これは千載一遇のチャンスというものだ。
「チューニャ。だったら私のことも未桜って呼んでほしいな。やっと同じ年ぐらいの女の子とお話しできるんだもの。敬語もなし……でお願いしたいな」
「え……でも」
「いや……かな?」
困惑している様子のチューニャに、未桜は苦笑いで答える。
チューニャの視線が、グリシナに向かう。おそらくは許可を求めているのだろう。
「ミオ様が言われているのなら、いいんじゃないか?アーセル様も、ミオ様のやりやすいようにと
いつもおっしゃっているから」
「じゃ、決まりね」
未桜がうれしそうにチューニャに笑いかけると
「そういうことなら、わかりました。
じゃ、ミオ。改めてよろしく」
「ありがとう、チューニャ」
チューニャが握手を求めると、未桜もすぐに応じた。
「じゃ、ミオの服の好みを教えて。それからいくつか服を選んでみよう」
「うんっ」
チューニャの提案に、未桜は笑顔で頷いた。
グリシナは、そんな二人の少女の後ろで、暇そうにあくびをしていた。
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アーセルの姿は、エカテリーナの前にあった。
「アーセル。お前はあの汚らわしい異世界の女をまだあきらめていないの」
アーセルは頭をあげ、玉座のエカテリーナを見た。
「お言葉ではありますが、エカテリーナ様と相性の良い、強力な『水属性』の能力をもっております。
本来『搭の主』とは、この『メルヒの搭』自身が選ぶもの。
異世界の者であっても関係ないはずだと思いましたが。
実際、過去にもそのような例もありました」
互いに冷ややかな視線を送りあいながらも、アーセルの言葉に、エカテリーナは不快感を隠そうとしなかった。
「……そうやって五百年以上も、私の後継者は現れていないのだがな。
アーセル。こうしてお前のわがままを私が受け入れているのは、お前がこの『メルヒの搭』で最大の
『水の守護家』ノルテ家の人間であり、当主たる『水の管理者』の任にあるからだぞ。
アーセル・ノルテよ。それをわかっての発言であろうな?」
「……それを踏まえてのことにございます。エカテリーネ様」
アーセルは臆することなく、エカテリーナの圧力ともとれる言葉に正面から対抗していた。
「それならば、明日。昼食の時にミオとやらと会おう。お前がそれほど入れ込むなら、さぞすばらしい者なのだろう」
「エカテリーナ様……それは」
「嫌とは言わせぬぞ。お前があれを私の後継者として推してきたのだからな」
愕然とするアーセルを広間に残し、エカテリーナは「少し休む」と去っていった。