過去を背負う長女は、決意したらしい
「アンー! こっち行き止まりだったぞー?」
イチノー兄さんがヨンスを連れて引き返してきた。
「アンちゃん、あの道、壁が迫ってきて挟まれそうになったよ!? アンちゃん今朝ここに来た時、大丈夫だったの!?」
ヨンスが私を心配しながらぺたぺたと私の腕や背中を確認している。
「ん? こいつ誰?」
そんなやり取りを眺めていたイチノー兄さんは、転げまわっている不審者に目を向けて、不思議そうに聞いた。
「それは、四天王第三位のニッチ」
ニイラン兄さんがイチノー兄さんに答える。
「へえ。……で、なんでニイランはそんな怒ってるんだ?」
一瞬で四天王ニッチへの関心を失ったイチノー兄さんは、ニイラン兄さんに向き直る。
ニイラン兄さんの淡々とした話し方を聞いて、イチノー兄さんはニイラン兄さんの怒りを感じ取ったようだ。
「アンジェに聞いてみて?」
ニイラン兄さんはそう言うと私の方を向いて、話すように促してくる。
ツウッと冷汗が背を流れ落ちた。
「えええっと、ななななんだったっけなあ?」
私は思い切り挙動不審になった。
「アンちゃん、また無茶したんじゃない? ニイラン兄さんが怒る理由なんてそれくらいでしょ?」
「へえ。どんな無茶したのか、詳しく教えてもらおうか?」
そうして私は、ニッコリと(でも目の笑っていない)笑みを浮かべたイチノー兄さんに、四天王ニッチとの戦いの一部始終を吐かされた。
「ニイラン甘すぎだろ。アンには、やっぱ激マズ栄養剤一月がいいんじゃね?」
「まあ、それはそうなんだけどね~。アンも反省してるみたいだから~。あと、あの栄養剤はなかなか美味しいと思うよ~?」
「ニイラン兄さんの栄養剤、苦みと甘みとえぐみが絶妙な不協和音を奏でて、筆舌しがたい苦しみを味わうんだけど……?」
イチノー兄さんとニイラン兄さんの会話に、ヨンスも混ざる。
そうそう、その通りだよヨンス! あの栄養剤激マズだよねっ!
って、違う違う!
今大事なのは、ニイラン兄さんの口調が元に戻ってること!
怒りが解けかかってる!
イチ兄! ヨンス! そのままニイ兄の関心を引きつけといて!
そう心の中で叫んだのが悪かったのか、それとも、ちょっと口元が緩んだのが良くなかったのか。
ヨンスがのほほんと爆弾を投下した。
「アンちゃん。今、ニイラン兄さんの怒りが解けてラッキー、なんて思ってるでしょ」
それを聞きつけてイチノー兄さんとニイラン兄さんが振り向いた。
「アンジェ? それ本当?」
「そそ、そんなことないよ! ヨンちゃんの思い違いだよ!」
ニイラン兄さんから絶対零度の視線を受けて私は目を泳がせた。
「アンちゃんって、ほんと嘘つけないよね」
ヨンスが呆れたように言う。
ぐう。
涙目でヨンスを見つめると、ヨンスが呆れた顔から一転。
真剣な表情で私の目を見つめた。
「ねえアンちゃん。ここは、いつもの裏山じゃないんだよ? 何があるか、わからないんだよ? あのね、無茶しないっていうのはね、むやみに喧嘩売ったり、煽ったり、わざと攻撃受けようとしたり、自分の力ギリギリの攻防を楽しんだり、誰かの助けがないと生き残れないところに行ったりすることを全部しないことなんだよ? ……ねえ、アンちゃん。みんなアンちゃんを心配してるの、ちゃんと気がついてる? アンちゃんはすぐ自分のこと犠牲にしようとするけど、その度に僕たちがどんなにもどかしい思いをしてるのか、そろそろ、ちゃんとわかってよ……」
「ヨンちゃん……?」
いつも無邪気に笑っているヨンスの様子が普段と違い、私は困惑する。
そうしてまごついていると、ヨンスが俯き、地面に水滴が落ちた。
「えっ?」
目の前の光景がにわかには信じられなかった。
小さな頃から、一度も泣いたところを見たことのないヨンスが、ポロポロと涙をこぼしている。
それを見て、私はポカンとしてしまい、立ち尽くした。
そしてゆっくりと内容を理解して……私は、ガバっと頭を下げた。
「ごめんっ!! ごめんなさい! もう無茶しない! 本当に約束する! だから、そんな顔、しないで……」
「約束、してね? 絶対、だから、ね?」
しゃくり上げるヨンスの言葉に、イチノー兄さんとニイラン兄さんも頷いた。
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私は大きな隊商の中で、踊り子の母から生まれた。
父親は誰だか分からないらしく、母一人に面倒を見られながら生きていた。
母にとって、私は邪魔だったらしく、お荷物な私のことを母はしばしば殴った。
仕事が上手くいかなかったときは、私が口の中を切って血を吐くまで母の気は収まらなかったし、癇癪を起こす母が隊商の責任者から窘められた時なんか、お腹を蹴られて、数日食事が喉を通らなかったこともある。
でも、私にとってはその小さな世界が全てだったから、特になんの疑問も持たず、毎日母の機嫌が悪くならないことだけを祈りながら生きていた。
しかし、私が六歳のとき、その隊商は道中の山の中で魔物の群れに襲われ、私の日常は呆気なく崩れ去った。
魔物の襲来は、隊商の人々を大恐慌に陥れた。
護衛はとうにやられてしまい、非戦闘員たちは、大人も子供もただただ逃げ惑い、泣き叫び、引き裂かれていった。
そんな混乱の中馬車を飛び出した私は、覚えたての風魔術を使って全速力で走った。
途中、母に似た遺体が目に入ったけれど、特になんの感慨も湧かず、すぐにその場から離れた。
けれどしょせんは幼子の足。
すぐに魔物の群れのリーダーに追いつかれて。
その魔物が大口を開けて私に襲い掛かり、喉に噛みつかれそうになって。
そうして自分の生を諦めたその時、突如閃光が走った。
うっすら目を開けると、私の目の前には、群れのリーダーが倒れていて。
そのすぐ側には、隊商では見たことのない、冒険者と思われる二人組が立っていた。
そしてその冒険者たちは、瞬く間に魔物の群れを全滅させたのだった。
戦闘が終わり、私は冒険者たちに大きな怪我が無いことを確認されてから、その冒険者たちに連れられて馬車へ戻ってみた。
けれど、そこに生存者はおらず、魔物に食い破られた無残な遺体だけが辺り一面に転がり、血の臭いの充満したその場から私は動けなかった。
冒険者の男女二人組は遺品を回収し、隊商の識別番号の書かれた通行証を手に取った。
そして、ハンナと名乗った女冒険者が、私の親戚を探すために街へ連れて行ってくれることになった。
男冒険者のキースは、森の異変が気になるため一足先に子供たちの待つ家へ帰るとのことで、ハンナとキースは別々の方向へと歩き出したのだった。
ハンナは、街で犠牲者の遺品をギルドに預けると、私の親戚がいないか探してくれた。
探す際に、私の名前を登録する必要があったけど、私には名前と呼べるものがなかった。
『お前』とか『アレ』などとしか呼ばれたことがなかったのだ。
それをハンナに告げると、真剣な顔でなにやら考え始めた。
そして――。
「『アンジェ』。君の名前は、今日からアンジェだ。どう? もし嫌なら、また考えるけど」
「私の、名前……?」
「そうだよ。今日から私は君のことをアンジェと呼ぶ。だから君は自分のことをアンジェと名乗ればいい」
私は、その言葉に、なんだかふわふわと落ち着かない気持ちになった。
そうして、ハンナは、私の手を取り歩き出した。
でも結局、私の親戚だと名乗る者は誰も現れなかった。
困って立ち尽くす私の頭を、ハンナは優しく撫でた。
「行くとこがないならうちにおいで。兄弟が一人増えたところで、変わりないし、私、女の子も欲しかったんだよね」
ハンナはそうカラカラと笑った。
それからハンナは、家族についていろいろと教えてくれた。
ハンナとキースは夫婦で、二人には四人の子供がいて、一番上の子は十歳、それに続く双子は八歳、末っ子は三歳になったばかりで、全員男の子なのだと言っていた。
そして、ハンナたちの家は、魔物たちが襲ってきた山――レイシャル山の麓にあるということだった。
そうして私は、ハンナとともにレイシャル山の麓を目指し始めた。
途中までは、首都に向かうという商会の馬車に便乗させてもらって移動した。
そして、途中からは徒歩でハンナたちの家を目指した。
そうして、いよいよあと少しで麓に着く、といったとき。
突如、禍々しい気配を放つ強大な魔物が現れた。
その魔物の頭部には、様々な魔物の頭部が生えており、そしてその頭部の群れの中に、あの男性冒険者――キースによく似た顔が見えた。
ハンナは息をのみ、そしてその魔物の牙に引っかかっていたペンダントを見た瞬間、殺気を膨れ上がらせた。
「……夫の仇、取らせてもらう」
そう言うと、ハンナは魔物に向かって走り出した。
それからは、激しい攻防が続いた。
私には動きが速すぎて、なにが起こっているのかほとんど分からなくて。
でも次の瞬間、魔物が私の方をみてニヤリと笑ったような気がした。
「アンジェ!!!」
ハンナは私の前に立ち私をその背にかばいながら戦い、やがて魔物の口腔に長剣を突き刺して止めをさした。
走り寄った私に、ハンナは弱弱しく笑いかけた。
そこで気がついた。
ハンナの腹が切り裂かれ、内臓が飛び出していることに。
「ごめん、もう動け、ない。ゴホッ、あの麓に、家が、ある。これを、届けて」
そう言ってハンナは魔物の牙に引っかかっていたキースのペンダントを私に託した。
「イチノー、ニイラン、サンル、ヨンス……キース。愛して、る……」
それがハンナの最期の言葉だった。
そこからは、記憶が途切れ途切れだ。どうやって麓まで行けたのか、今でも分からない。
でも、ハンナから託されたキースのペンダントと、ハンナの長剣を持って、必死で歩いたことだけは覚えている。
そして、私はレイシャル山の麓の小屋の前で力尽きて倒れたらしかった。
私を最初に発見したのは外で遊んでいたヨンスだったそうだ。
年長者のイチノー兄さんとニイラン兄さん、サンル兄さんは、私の血だらけの服とペンダント、ハンナの剣を見て、なにが起こったのか察したと後から聞いた。
それなのに、兄たちは両親の命を奪う元凶となった私のことを懸命に介抱してくれた。
兄たちは、ショックで口がきけなくなっていた私に根気強く語り掛け、ようやく声が出るようになった私から、ハンナが「アンジェを引き取る」と言ったことを、半年かけて聞き出した。
そして、あろうことか本当に私のことを「妹」にしてくれたのだ。
状況がよくわかっていないヨンスも、「ねーね、ねーね」と言ってよく抱きついてきてくれて。
それからは、目の回るように忙しい、けれど、温かく幸せな日々が続いた。
それでも時折、私は自分の罪を思い出して消えたくなった。
私のせいで、皆の両親は死んだ。
きっとハンナもキースも、二人がかりだったならば、あの醜悪な魔物にだって勝つことが出来ただろう。
ハンナだって、私を守りながら戦うような、あんな不利な状況じゃなかったら負けなかっただろう。
でも、私のせいで二人は引き離され、私のせいでハンナは倒れた。
そして、二人ともいなくなってしまった。
私は、この温かい人たちの幸せを奪ってしまった。
そう思うとどうしようもなく胸が締め付けられた。
だから私は体を鍛えた。
兄さんたちに戦い方の基本を教わり、後はレイシャル山で文字通り血反吐を吐きながら実戦経験を積んだ。
この先、昔の私のように追い詰められた人に出会ったら、その人のために戦って、ハンナのように死ねたらいい。
そうすることが、私にできる、唯一の償いだと思った。
毎回大怪我をして帰ってくる私をオロオロしながら治療してくれていたニイラン兄さんには、治癒魔術の才能が開花した。
打ち漏らした魔物に庭先で食われそうになった時には、庭で遊んでいたヨンスが風魔術を無詠唱で発動させて魔物にとどめを刺した。それから、ヨンスは一心不乱に魔術を習得していった。
イチノー兄さんは魔物を一撃で仕留める方法を根気強く教えてくれたし、サンル兄さんは食材集めという名目で、狩りにこっそりついてくるようになった。
皆から大切にされているのは分かっていた。それでも、どうしても自分を大切にできなかった。
でも。
私のことが心配だと言って、ヨンスが泣いてくれるから。
いつだってイチノー兄さんが助けに来てくれるから。
ニイラン兄さんが叱ってくれて、サンル兄さんが私の好物をたくさん作ってくれるから。
私は、私を大切にすることを、今度こそ自分に許そうと思う。
そしていつか、ハンナとキースに伝えようと思う。
『ごめんなさい』ではなく、『ありがとう』と。