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ネコミミのメイドは踊る

彼と一緒に秋葉原へ出ても、僕は何かを買うわけではなかった。

駅前を行き交うコスプレの女性達には、萌えと言うか、恥ずかしい場所にできた痛々しい吹き出物を覗き見せられたような気分になることのほうが多く、それを取り巻き、写真を撮ろうと群がる男たちには思わず冷笑を浮かべずにはいられなかった。ただ、ここに来ると、日比野の目の色が明らかに変わるのが僕にはとても興味深かった。


大学で授業を受けている時や、同級生と話している時の彼は、寡黙で口数も少なく、落ち着いた印象を受けるのだが、ここへ来ると、内なる力に目覚め、自身が20代前半の若者であるということを思い出すようだった。秋葉原に来ると、彼のメガネの下の一重の小さな瞳は、生き生きと輝きを取り戻した。


「おお...、おお...!」

聞き様によってはきわどい、感嘆の声を発しながら、店から店へと、彼はストリートを渡るチョウのように飛びまわった。彼の目には魅力的に映るアイテムを見つけては、花に蜜を吸うごとく、ショーウインドウの前に立ち止まり、見入った。


僕はもっぱら彼の後をついて周り、何かにとりつかれたかのように彼が呟き始める解説を、手短に相槌を打ちながら、聞いている役だった。彼の説明というのは、いわば彼の中から湧水のように噴き出してくる関連知識が行き場所を失って、漏れ出てきた情報に過ぎず、合いの手を入れる必要などないのかもしれない。それでも、一応僕を想定して話されている言葉を無視して聞き流すのも悪い気がして、いわば自分の良心の呵責を静めるために、相槌を打っていたにすぎなかった。


約束の地にめぐりついた巡礼者が感激に胸震え、常態ではない、トランスの境地に達するように、秋葉原の日比野は体力を急速に消耗した。そうして、いい加減歩き疲れると、僕らは良く秋葉原あたりに多い、メイド喫茶に入った。


どうしてこういうときの選択がメイド喫茶だったのか、僕にはわからない。秋葉原だって普通の喫茶店はいくらでもある。表向きの理由として考えられたのは、どちらかというとそういうちょっと変わったお店のほうが、席が空いていることが多いということくらいだった。


その日入ったのは、まだ開店して間もない、ちょっと露地を入ったところにある一件の小さなお店だった。日比野によれば、この店の、ネット上での評判は悪くない、とのことだった。

「どういう評判なの?」

僕は日比野に聞いてみた。メイド喫茶の評判とは、何で決まるのか。見当もつかなかった。


彼は少し答え難そうにしていた。僕から視線をそらすと、何を見るわけでもなくあたりを見渡した。そして、小さな声で呟くように、

「...女の子が、みんなかわいいそうだ」と、言った。

「ああいう店の評価って、ほかに見るべきところがあるか?」彼は開き直ったように言った。

「いや、対応がいいとか、店内の雰囲気がいい、とかさ」

「...そうか。でもそれは、普通の喫茶店でもいいことじゃないか」

「...」

「別に、コーヒーが飲みたいから、メイド喫茶に行くわけじゃない」

僕には、返す言葉もなかった。


彼の言っていた店は、古びたビルの二階にあった。

「おかえりなさいませ!」

「おかえりなさいませ!」

「おかえりなさいませ、ご主人様!」

入り口のドアを開けると、たちまち甘ったるい黄色い声で僕らは歓迎された。戸のそばには、案内係らしい女の子がかしこまって控えている。

「おかえりなさいませ、ご主人様。お二人様ですか?お席へご案内いたします。」

女性はメイド服に、猫の耳を付けていた。彼女に案内されて僕らは窓に面した席に腰掛けた。先ほどまで歩いた通りが、眼下に見える。通りを歩く女性の、固く結われた緑色の二つお下げの頭頂の分かれ目から、地の頭皮の人間じみた薄い色が透けて見えた。

テーブルのわきに立った猫耳の女性は、過剰なレースに縁取られた実用性のない小さな前掛けのポケットから伝票を取り出すと、

「ご注文はいかがいたしましょう?」

と、大きな瞳をくりくりさせて答えた。取ってつけたような長いまつげで、そのふちは華々しく彩られていた。

僕はそれほどおなかも空いていなかった。コーヒーを頼んだ。向かいに座った日比野は手元のメニューをまじまじと眺めて、なかなか決められずにいた。

ややあって、一言、

「...“あまあま、るんるんここあ”、ひとつ」消え入りそうな声で言った。


「はい!、かしこまりました。ご主人さま、しばらくお待ち下さいませ、にゃん!」

女性は招き猫のように手頸を肩口でかしげて、満面の笑顔を見せた後、僕らを後に店の奥に去っていった。少し疲れていたのか、後ろの毛がほつれて、摺り足気味な歩みだった。


「...どう思う?」

日比野は鼻眼鏡の上からのぞき込むようにして僕の方を見ていた。

「どこにでも、いそうな感じじゃない?」

僕は言った。すでに日比野に何軒か連れて来られていたので、こういう雰囲気には慣れてしまっていた。本来の“鑑賞”の仕方とは違っているかもしれないが、コスプレをしていても、それを通り越して、一人の女性として相手を見るぐらいのことはできるようになっていた。

「そう」

日比野は見上げていた目を再びメニューに向けた。眠り猫のような半睡の瞳はそれを見るようで見ていないらしかった。

「...僕は、好きだな」


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