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変転

真樹と付き合いだして、5カ月が過ぎたころだった。

ある日の夕方、朱音さんから突然に、そして久々にメールがあった。


“祐介さん、こんにちは。

先輩とはうまくやっていますか?”


久しぶりのメールにしては要領を得ないメールだった。一体どうしたんだろう。そう思いながら、僕はメールを返信した。


“うまくやってるよ。ありがとう。

それもこれも朱音さんのおかげ”


ややあって、朱音さんからメールが来た。


“今どこにいます?”


“自分の部屋でテレビ見てる”


その日は大学の残っていた最後のテストがちょうど終わった日で、僕は早く家に帰ってきていた。真樹のほうは、看護師の国家試験が近づいていたから、自分の部屋で勉強すると言っていた。


朱音さんから、しばらくして返信が来た。


“遊びに行っちゃおうかな。場所

って、大学のそばですよね”


不意のことだったので驚いた。


どうして彼女が急に僕の部屋に来たいと思ったのか、全く見当がつかなかった。

理由の無い不安を感じた僕は、朱音さんに直接、電話してみた。


「...もしもし」少しためらいがちに、朱音さんの声がした。

「朱音さん?」できるだけ優しく彼女に語りかけた。

「どうした?」


「...へへ」はにかむような彼女の笑い声が聞こえた。「...ご迷惑、でした?」


「いや、いいんだけど、突然のことだからびっくりして...」

「今、先輩っていらっしゃいます?」

「いや、真樹、最近、国家試験の勉強が忙しそうで。今も、家で勉強してるはず」


ああ、そうですよね。

朱音さんが言った。


「いきなりで、すいませんでした、何だか....、少し祐介さんとお話ししたい気持ちになったもので」

「…何か、あったの」

いえ、何かあったというわけでも....。

電話の向こうの朱音さんは、何事か、言うのをためらっているようだった。


ええ、あの、なんというか….。電話の向こうで、彼女はそんな言葉を繰り返していたが、

「…祐介さんは、先輩のどういうところが好きですか」

唐突に、僕にそう質問してきた。

「どういうところって...、前にも言ったと思うけど、…少し不器用で、でも、いろいろ周りのことは考えていて...、女の子らしいところもあって…、そういうところかな。...なんで急に、そんなこと聞くの」

僕は恥ずかしくなって、照れてしまった。


「...幸せそう」朱音さんは言った。

「先輩も、今きっと、幸せですよね。最近、どんどんきれいになってる」

「そう?...だと、いいね」


真樹が、会うたびに少しずつ女の子らしくなってきているのは、僕の目にも分った。朱音さんに買ってもらった化粧品のほかに、いくつか自分に合いそうなものを買い足しているようだった。服装も、はじめはジーンズばかりだったのだが、先日は線の柔らかいワンピースを着て僕の前に現れた。髪も、僕と出会った時にはうなじがすっかり見えるほどに短く刈っていたのを、今では軽く肩に掛かる位まで伸ばしていた。


彼女の誕生日に僕が贈った安物のちいさなピアスは、まだ付けずに大事に仕舞っておく、と言った。


もう少し待って。これが似合うような女性になったら、私、これを付けて祐介の前に現れるから。

そう言って、楽しそうに笑う彼女を見ながら、僕はその日がそう遠からず来るような気がしていた。


朱音さんは、電話の向こうでふっと口をつぐんだようだった。

少しの間沈黙があった。

「...なら、いいんです」

「どうしたの!朱音さん、らしくないよ」

ふふっ、と朱音さんが小さく笑った声がした。

「...らしくない、ですか」

「うん。ずい分、らしくない」


「...らしくない、かあ」

吐き出すように朱音さんは言った。


「...私がやっぱり変なのかな」

「どうしたの、一体。何か、悩んでるの?僕でよければ、相談に乗るよ。朱音さんは、僕らの恩人なんだから」


「...ありがとうございます。もう、いいんです」

電話の向こうで、朱音さんは言った。


「ごめんなさい、急に、電話しちゃって。本当に...。じゃあ...」

朱音さんはそう言って、一方的に電話を切ってしまった。



電話が切れてからも、僕はしばらく真っ暗になった液晶画面を見つめていた。


付き合い始めた当初、僕はできるだけ早くに朱音さんのもとを再び訪れて、お礼をしなくてはいけないと思っていた。しかし、目の前のことにかまけているうちに、それは遅れに遅れ、結局あれから一度も朱音さんに合わないまま、月日が過ぎていた。


一方で真樹の方は、時々彼女と会っていたようだった。

真樹の話にはちょくちょく朱音さんの名前が出てきていたので、僕も彼女とずっとあっていないということを特に意識していなかったということもあった。


それでも、ここ一か月ほどは、彼女でさえも朱音さんとは会えずにいた。電話をしてもつながらないことが多く、メールの返事も遅れがちで、やり取りも途切れがちだったそうだ。心配になって部活に顔を出したこともあったが、後輩の部員には、最近彼女は顔を出していないと言われたという。


僕はどうしようかしばらく迷っていたが、やっぱり不安に思ったので、そのまま真樹に電話をかけた。


「どうしたの?祐介」

僕は朱音さんから電話があったことを真樹に話した。僕と彼女の間に、重い空白の時間が流れた。


「…そう」

長い沈黙を割くように真樹が口を開いた。

「….どうする?彼女、何かあったんじゃないかな」

「…」

真樹は何も言わなかった。ひょっとすると彼女はうすうす事情を知っているのかもしれない。そんな気がした。


「君は何か心当たりがない?朱音さんが元気がない理由に。」

「….ねえ、祐介」

電話の向こうから、真樹の抑えた声がした。

「何?」

「少し、時間をくれない?これから、朱音に会って、ちょっと話してくるから…。」


「それがいいと思う。僕よりきっと君の方が、相談に乗れると思うよ」

「…だと、いいね」

彼女は、あまり自信がなさそうだった。

「いずれにしろ、事情は必ず教えるから、心配かもしれないけど、待ってて」

「うん。…頑張って」

…へへっ、まかせて。真樹の返事が、受話器ごしに聞こえた。



それから僕は彼女からの返事を部屋で待っていた。返事は、夜半を過ぎても来なかった。明日になるのかな。そうは思いながらも、気になって眠れそうになかった。僕は気持ちを落ち着かせるため、CDラックから気に入っていた一枚を取り出し、ボリュームを絞ってかけた。


ワルツ・フォー・デビーいうピアノ曲だった。

作曲者の姪ために作られたというその軽快なメロディーは、川辺を跳ねる少女をの姿を連想させ、沈んだ心をいつも浮き上がらせてくれた。物音ひとつない、深夜の静かなアパートの一室で、追いすがる不安をかき消すには、破滅的な人生を送った作曲者が残した、かすかな未来への希望を歌ったこの曲が打って付けのように思えた。



時計が午前2時を回ろうとしていた頃、夜の静寂を引き裂いて、携帯が鳴った。


「真樹?」


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