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僕と彼女の『ロール』

後に、僕はまた日比野と久しぶりに秋葉原に出た時に、偶然その話題になったことがあった。

「それは違うな。愛情は必要だよ。」


彼は意外な答えを返してよこした。

「なんで、また。」

僕は常々の日比野を思い返して、その回答とのギャップに、思わず笑ってしまった。

「笑うなよ。...そう思って悪いかい」

「いや、あんまり意外だったから....。」

僕にそう言われると、日比野まで思わず苦笑してしまっていたが、

「君は、『偶像』に恋をしたことがあるかい」

ふと真面目になってそんなことを言った。


「『偶像』?」僕はその言葉に心当たりがなかった。

「そう。要するに、理想の女性を模したものだ。僕にとっては、フィギュアやアニメのキャラみたいなのが、それに当たるのかもしれないな。テレビのアイドルだって立派な偶像だと思うけれど」

「それに“恋”をするのかい?」

「...できなかったな、僕には」

彼は言った。


「...やっぱり、飽きるんだよね。できあがったものは、一つのパターンから抜け出せないから」

「オタクの君でもか」

「オタク、か」

彼は冷笑を浮かべた。

「そんなもの、本当に存在するのかな」


『街』は朝からじめじめとしていた。夏を迎えて、沿道を歩く人々はテレビアニメさながらの露出の多い格好をして現実的なアスファルトの道を行き過ぎる。細く鋭いシルエットのヒールのつま先では、虐げられた彼女らの親指が悲鳴を上げている。彼女らのモデルとなった、ハイヒールの美少女戦士達も、外反母趾に悩んだことが、あったのだろうか。そんなエピソードが物語中に挿入されていない限り、コスプレする彼女らは、そのことでうかつには泣けない。


「その瞬間に快楽が生じることにはそれでも変わりがないんだ。でもどうしてその後であんなに虚しい気持ちになるのか...。僕なりに考えたこともあったな」

日比野は話を続けた。行き交う人々を見つめながら。


「ある時、ふと気がついたんだ。ようするに、それは、相手に受け入れられているっていう、確信が得られなかったからだって。」

彼の手は、目の前に置かれた大ぶりのコーヒーカップの取っ手に掛けられていた。それを飲むでもなく、彼は深い褐色の液面をじっと見つめていた。


「『偶像』相手に恋をして、それをいつまでも追っかけていたって、そんなのは完全に一方的だ。そんな確信...、安心のようなものが得られることは、いつまで経っても無かった。僕が、恋愛や、セックスに求めていたのは性的な快楽もあるけれど、それよりむしろ、そういう安心感だったんだ。相手に、一番恥ずかしくて、大切で、繊細な部分まで、受け入れてもらっている、っていう」


彼はマグカップのコーヒーを口に含んだ。白い湯気が彼の小さな瞳の前で揺れた。

「だから...、相手がロボットだったら、いずれつまらなくなると思う。人間相手だって、あんまりワンパターンだと、倦怠期ってものがあるくらいだろ」


日比野の真剣な表情を見ていて、僕はふと、あることを思い出し、思わず含み笑いをしてしまった。アカネさんから聞いた日比野のグラマラスな彼女のことを思い出したのだった。じゃあ、恋人がコスプレしてくれてたら、文句がないってことか?真面目に話してくれた日比野には悪いと思ったが、そう思うと、笑いが抑えられなくなった。

「どうしたんだ」

突然笑い出した僕に、怪訝な顔をして彼が尋ねた。


「...いや...、実はこれ、ほんとは内緒にしてくれって言われてたんだけど...、」

僕は黙って隠し通せる気がしなくて、朱音さんから聞いた話を、正直に彼に話した。


「...あいつ、ほんとにおしゃべりだな」

「怒らないでやってくれよ、僕まで、嫌われちゃうよ」

「僕まで、は余計だ」

日比野はコーヒーを口に運んだ。


「...彼女とは確かに付き合ってるよ。でも...、」

「でも?」

「あれは、彼女の、『ロール』だからな」

「...『ロール』?」


聞き慣れない言葉に僕は戸惑った。

「ほら、ゲームであるだろ、ロール・プレイング・ゲームってやつ。」

「ああ、ドラクエとかかい?」

「そう。あれは、自分が勇者っていう、一つの『役』を演じるゲームなんだな」

それは僕も知っていた。幼い頃からそう言うゲームは好きで、良くやっていたから。


「で、それが君の彼女と、どう関係があるの?」

僕には解らなかった。いくら秋葉原がそうした空想と現実が入り交じった街だったとしても、それが、実在する彼と彼女の関係にまで関わってくると言うのはどうにも理解できなかった。

「彼女は…」


彼は言葉を選ぶようにゆっくりと説明を始めた。

「聞いたと思うけど、相当にコスプレに凝ってるんだ。それは、ちょっと凝りすぎてるくらいでさ。コスプレそのものが、ゲームやマンガの登場人物になりきって、それを演じている訳だけれど….。彼女はいわば、『オタクに恋されたコスプレ少女』っていうロールの中にいるんだな」

「まさか、そんな...」


「それは、そんな不思議なことじゃない。恋なんて、大なり小なり、そういうものだろ。映画のワンシーンを再現したような凝ったデートの演出を、俳優に似ても似つかない二人が恥ずかしげもなく、やっていたりするだろう。横浜辺りで」

「まあ、それは...、」

真樹とつきあい始めたばかりの僕にも多少、心当たりがあった。


「僕は最近、それを強く意識しているよ。彼女にとって僕は、演出の装置のひとつに過ぎないんだ」

「そんなことは...」

「彼女が本当に愛しているのは、究極的には、たぶん自分だけだ。もし、僕よりオタクらしいオタクが現れたら...、そんなの、いっぱいいると思うけれど...、彼女はそれと僕を取り換えても、そんなに気にしないだろうな。…要するに、僕、という人間でなくてもいいわけだよ。僕と同じ、『ロール』の人間であれば」一息に言った後、彼はいつか見せたような、覇気のないぼんやりとした表情を浮かべて、窓の外の往来を眺めていた。


「君は自分に自信が無さすぎじゃないか?…もっと、考えてみたらどうだい。彼女には、僕が必要だ、とかさ」落ち込んだ様子の彼を励まそうとして僕は言った。


「...君は幸せなんだな。」日比野は冷笑を浮かべた。僕の励ましの言葉は、彼には届かなかったようだった。何かを思い出すように、手元のコーヒーカップを見つめた。そして、そのカップを両の手で、静かに包んだ。




真樹と付き合いだして、5カ月が過ぎたころだった。

ある日の夕方、朱音さんから突然に、そして久々にメールがあった。


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