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星暦573年春。勢力図を書き換えた魔王軍は冬の間に準備を済ませ、アルガド地方に残る抵抗拠点の制圧に乗り出す。
砂漠の玄関口にして交易都市ヨルドガルド。南方大陸と西方海上貿易路の要所に位置する港湾都市アルノート。戦略上重要な位置に在る二つの都市を巡る攻防は、同地方での決戦を意味していた。
諸侯政府はこの二つの都市を死守するべく、大量の物資と人的資源を最前線に送る続けている。
前年の冬前から都市の要塞化工事を進めているが、度重なる空襲により完成が遅れていた。そのため時間稼ぎで前線に投入された部隊は、血みどろの遅滞戦術に捧げられるのだった。
高高度から飛行エグザムが落とす即席爆弾は、想定以上の戦果を攻略軍にもたらす。都市の要塞化を遅らせる目的で投下された爆弾により、一方的に諸侯軍は疲弊させられていた。
季節特有の増水した河川と、雨季によりぬかるんだ地面は諸侯勢力の輸送能力を低下させる。この場合適応性に富む魔獣軍団の方が有利なのは必然である。
(討ち漏らしは無い。上出来だ。)
その恩恵を受けているであろう第四小隊。支流を一群が渡河出来そうな地点を、見張っていた敵偵察部隊を排除した後だった。
「出る血は川に注げ。下流の敵に血入りの水を飲ませてやれ。」
休憩中の偵察部隊を包囲し殲滅し終え、川の浅瀬で食事を楽しむ第四小隊。体に泥水を掛け血を洗い流している。
血で染まった川に更に着色していると、作戦終了の合図が魔周波で小隊長に届く。
「任務完了だ。川を遡上し本体と合流するぞ。」
森の中で流れる川は、大河へ合流する前の支流である。
下流から第四小隊が遡上して来るなど、想定していなかった熟練兵等。仲良く魔物の胃袋で永眠するのであった。
北より流れる二つの大河が、アルノートの北部で一部合流する。それらは都市西方の湿原に流れ込み、複雑な水路を形成していた。
南方攻略軍は少しづつ広大な流域面積を狭めて南下する。大河を赤い体液で染めながら、巨大半島を目指す。
日に日に進軍速度を速める軍勢の中に、第四小隊の面々も見て取れる。異形の者達が群を成し南下する光景は、自然界の反乱を彷彿とさせた。
諸侯軍は傍観していない。雪解け水で増水した河川に複数の戦闘艦を侵入させ、沿岸や三角州等近隣の戦域に支援砲撃を行っている。
艦砲射撃に苦戦する魔王軍。侵入した海軍の遡上をこれ以上許すと、同地方に楔が打たれる事になるだろう。
夜、空を覆う雲の一部が光を漏らしている。光源を遮られ闇を深めた周囲に、増水した河川の轟音が響く。
アルノート周辺は二つの大河が形成する湿地帯が広がっている。橋が落とされ寸断された陸路を除いて、軟弱な土地を避け三角州等や上流へ補給線が伸びていた。
その三角州の一つに第四小隊が流れ着く。侵入した海上戦力の一部を無力化又は撃破する為、激流に身を任せて此処まで接近したのだ。
北側から上陸し背の低い木々に隠れる一団。増水した水が足元まで迫っており、狭い陸地が魔物で占拠された。
「手筈どうり始めるぞ。いいな、判断を誤るなよ。」
今回の作戦は準備する時間を貰えなかった。急場を凌ぐ為大胆な計画を思いついた小隊長は、開始を告げ再び入水する。
(結果がどう出るか、全く想像できない。まさに我々向きの仕事だな。)
魔照灯が水際を照らし甲板の見張りが闇を伺っている。駆逐艦を取り囲む様に戦闘艇が碇を下ろし、周囲を警戒していた。
広い川幅も停泊した船で狭く感じられる中、小隊長と配下が獲物へと流されている。大小の生物が進路を変えようと懸命に泳ぐ様は、闇と濁流に包まれ消えて行った。
軍団参謀は侵入した海軍を排除する為、第一魔獣軍団から戦力の一部を宛がった。選抜された即応部隊に第四小隊も洩れなく選ばれ、こうして濁流に揉まれる仕事の最中だ。
(碇の鎖か。運よく此処まで運ばれた様だ。)
僅かな光源は頼りないが、強化された視覚には駆逐艦の艦首が映る。青く塗装された船体は照明の光を反射していた。
(大きな船だが、あの時の戦闘艦に比べたら小型な方だろう。)
川底へ伸びる太い鎖は、濁流を掻き分け水飛沫を上げていた。そこに小隊長も加わり、更に激しい水の抵抗が発生する。
(このままでは直ぐに発見される。私一人で始めるか。)
金属製の船体に穴を開け浸水からの着底を想定するも、時間が掛かり過ぎると断念。甲板構造物の武装に狙いを移し、鎖を登り始めた。
縁に手を掛け巨体を甲板に乗せると船体が艦首へ傾く。白い魔照灯が黒い密航者を照らし出した。
(先制に成功した様だ。その主砲、潰させてもらう。)
甲高い警報が鳴り響く。戦隊が臨戦態勢に移る最中、冷静な黒い巨人は空高く跳躍する。
(魔導砲で弾薬を誘爆させ沈めるが、一緒に消し飛ぶ訳には行かんな。)
慣れた動作で圧縮魔導砲を発射。直上から放たれた光の槍が、主砲塔ごと細長い船体を貫いた。
爆炎に照らされた水面に着水し、更なる爆発や破片から逃れる。濁った水中から戦果を確認した。
(装甲は薄いな。兵装を優先した設計のようだ。接近できれば魔導砲で破壊可能だ。)
発射時の反動を生かし、水中へ難を逃れた対艦番長。役目を終え激流に巨体を任せる。
「一度の奇襲でほぼ無力化した様だ。この調子なら残りも一晩で片が付きそうだ。」
下流へと流される小隊長の視覚には、燃え上がる戦闘艇が多数映る。闇に乗じて行った奇襲作戦は、第一段階を終えた。
木々の向こうに複数の煙を確認する。空が赤く照らされ、時折爆発音が聞える。先程の戦闘から然程時間は経過していない。
「揃ったな。次もこの調子で終わらせるぞ。」
支流が曲がり大量の石が堆積した浅瀬に上陸した第四小隊。欠員の有無を確認し、次の獲物へ向かう。
黒の小隊長が入水し後続が続々と流される。水路を利用して次の戦場へ出荷されるのだった。
湿地帯方面から闇夜を照らす火災が至る所で発生している。勢力範囲内であるにも関わらず、今だ現場に救援部隊を差し向けていない。
水上戦闘の専門部隊を支流の至る所に配置した艦隊司令は、文字通り水門役を兼ねる浮き砲台に、直接水上戦闘を仕掛ける存在を見抜けなかった。湾内に停泊している戦艦、つまり艦隊指揮所は混乱していた。
彼等に詳細な報告が届いたのは、アルノートが絨毯爆撃されている真夜中頃だった。情報源は仲の悪い陸軍情報部からで、多数の艦艇と湿原の半分を失った事を知らされる。
半島の頂から太陽が顔を出す。打ち捨てられた木製の小船が並ぶ墓場を、眩しい朝日が照らす。
一晩中船舶と海兵隊を襲い続けた魔賊小隊。海岸まで茂る木々の間で休憩中だ。
(やはり我々は消耗品か。まあ、私が上の立場なら同じ様な事をさせるだろう。)
軍団参謀が何かを企てている可能性は有った。そう重々承知している筈だと、内心愚る。何時もの様に一仕事終えた小隊長は、脳内で反省会を開いていた。
(敵を騙すには味方からか。今回の攻略軍には、捻くれ者が混じって居る様だ。)
半年前に自ら燃やした街並みを、再び瓦礫に変えようと意気込んでいた巨人。空から焼夷弾を落とす同胞に先を越され、悔しい思いをした。
「定石なら掃討戦に移る頃だ。連中がどれ程粘るか見物だな。」
事実上役目を終えた小隊を率いる黒い巨人。不貞腐れ観戦を決め込もうと企み、海を眺めた。
「ようやく始まったか。遅いぞ寝ボスケめ、もう朝だぞ。」
湾内に停泊していた打撃艦隊が、一斉に艦砲射撃を始める。砲は都市方向に向けられ、巨砲が火を噴く。
寝ていた少隊員が叩き起こされ、周囲が慌ただしくなる。小隊長は怒号を発し黙らせた。
(戦局は決した。此方の出番は無くなった。)
撤退戦を告げる号砲が湾内に響き、立ち上る黒煙を観察する黒い勝者。また一つ勝利の光景を脳内に刻むのだった。
今回派遣された部隊で活躍したのは、同魔獣軍団の飛行部隊だ。邪魔者の居ない空を自由に行き交い、地上へ一方的に襲撃。文句の付け所の無い戦闘力を目にした諸侯軍兵士は恐怖を意識し、攻略軍は希望と勇気と嫉妬をそれぞれの胸に刻む。
事実上最後の砦を放棄した諸侯軍は、生き残った船舶を総動員して海へ脱出を図った。空から襲い来る攻撃を掻い潜り難所を突破した生き残りは、久々の平和を海上で味わうのだった。
海岸線を横目に都市から西方を探索している第四小隊。逃げ遅れたか逃げ切れなかった敵兵を追跡中だ。
アルノートから主力を海へ追い出した南方攻略軍。陸上戦力を分散させ敗残兵狩りを行っている最中である。
海岸沿いの岩山から犬の遠吠えが聞える。偵察に出ていた小型種が、追跡対象を発見したようだ。
「行け。発見次第、残らず始末しろ。」
早い段階から、西へ逃れた一団の痕跡を発見していた小隊。黒の隊長の命に従い、岩山へ魔物集団が走りだす。
(戦意旺盛だな。良い事だが、無駄な消耗は止めて欲しいものだ。)
隆起した断層を波風が浸食して出来た岩場に、人間の悲鳴が打ち付けられる。例の飛行種に嫉妬した部下達は、何時も以上の殺る気を出していた。
「多いな。休憩中だったのか。」
岩場を見渡せる位置から、侵食地形を眺める。軽装の魔導兵の亡骸が散乱していた。
「散れ。広範囲を捜索しろ。輸送部隊が残っている筈だ。」
散らばっているのは死体だけだった。簡単な移送手段の痕跡を即に発見していた以上、別働隊が何所かに潜伏している可能性が考えられた。
(討ち漏らしは許されない。徹底的に探し出す。)
更なる捜索を命じた小隊長は、散らかされた食い残しを漁る。軽金属で仕上げられたおやつを食べ、小腹を満たす。
兜ごと珍味を堪能しながら、切り立つ岩場の波打ち際へ向かう。予想したとおり崖沿いは、強烈な潮の香りと血の匂いが混ざり合う場所で、そこは絶好の隠れ家だった。
(匂う匂う。人間の体臭だ。)
長い年月削り出された岩場に、僅かな汗の匂いが漂う。香り付けされた匂いも含まれており、匂いの坩堝で隠しきれていない。
(狡賢く隠れた心算だろうが、私の鼻は誤魔化せなかったな。)
心中で高笑いする巨人は、不安定な足場を物ともせず駆け出す。雄叫びと共に海へ高所から身を投げ出す。崖上からでは、捜索し辛いと判断した巨人。波に揉まれながら荒仕事を始めるのだった。
「隊長が単独行動を始めましたが、我々も加勢しますか?」
四つ腕の子鬼が、纏め役の白い元狼に助言を乞う。黒い巨人の行動に慌てる様子は無い。
「その必要は無い。我々は与えられた仕事を全うするだけだ。」
二足歩行の狼は隊長の性格を熟知していた。比較的経験の浅い子鬼に捜索へ戻るよう促し、自身も持ち場へ戻った。
子鬼にとって黒の隊長は憧れの存在だ。軍団創設当初から活躍し、戦歴は総軍内でも有名である。
大きな背をよく観察し、何時かは同じ存在になりたいと考える。手には黒の英雄から渡された正体不明の金属片が握られていた。
一方の黒い勇者は、足元へ僅かに被る波打際の空洞で、食事と尋問を楽しんでいる。
「さぁ話せ、本体は何処に居る。お前もこう成りたいか。」
長い舌で兵士の心臓を、最後の生き残りに見せる。若い人間の雌は体を硬直させ、塗れた岩場に尻餅をついていた。
「どうした、言葉を忘れたのか。その口は何の為に有るのだ。」
心臓を咀嚼しながら触手で生き残りの首をつつく。恐怖で硬直した喉に他人の血液が付着した。
(処理する順番を誤ったらしい。如何すべきか。)
触手を首に回し、軟肉を潰さないよう声帯を揉む尋問官。情報を引き出す為、治療を開始する。
「は、放して。苦しぃ。」
行為が実をむすび、その口が動き出す。触手の拘束を解き尋問を再開した。
「分からない。私は難破した船から救助され、此処で休憩していた。それしか知らない。」
恐怖に支配され緩んだ声帯が、ぎこちない声を発する。巨人は女の衣服を観察する。薄い生地の衣服は汚れ、返り血に染まっていた。
(あの座礁した輸送船の生き残りか。完全にあてが外れた。兵士を残さなかったのは、失敗だった。)
助けを乞う残り物からは、これ以上の情報を聞き出せないと判断した巨人。腹も膨れ食欲が失せたので、残飯を海に捨てる。
「特別に見逃してやろう。有難く思え。」
波に翻弄される女はあざ笑う黒い魔物を睨む。海草等の浮遊物で身動きを封じられる彼女には、行き場を失い流れる漂着物と同様の未来が待ち構えているであろう。
乾いた気流が体中の隙間等に入り込む。後方から日光が照りつけ、巨体の表面温度が上昇していた。
(山岳地帯を抜けたか。下はサバンナ地帯だ。)
高空から見渡す地平線は僅かに湾曲している。進路上の大地から徐々に緑が姿を消して、代わりに砂漠世界が広がり続ける。
第四小隊を運ぶ飛行中隊は飛行型エグザムで編成されている。重い荷物を運ぶ輸送隊は、対空砲を警戒して高高度を飛行していた。
(今思えば、我々も今だ現役だな。試験用の飛行種中隊を任されるとは、考えもしなかった。)
苦戦している西方のヨルドガルドへ南部からの増派を決定したアルガド統合司令部。動かせる第一魔獣軍団から、複数の部隊を動員していた。
(上層気流に乗って居るとは言え、高速飛行船より遥かに速い、これが飛行種の能力か。)
風のが強く雲の多いこの季節、平時でも飛行船の往来は少ない。重い荷物を運ぶなら水道を利用するご時世に、高高度での貨物輸送とは常識外である。
(間も無く次の戦場が見えて来るだろう。長い様で短い空の旅だった。)
風きり音で煩い耳に戦闘の気配が伝わる。雲に遮られた地上から複数の黒煙が立ち上っていた。
サバンナに延びた戦線を眼下に、目的地を探す。雲の切れ目から姿を現したそれらは、指定された降下地点を探し出す目印になる。
(降下中に下から狙い撃ちされるのは御免だ。此処で翼を畳むか。)
摩周波で全隊に戦闘態勢を告げ、小隊の降下準備を始める。背中の固定具を解除し、飛行種の保持から巨体を解放する。
三体の翼を切り離した小隊長に続いて、一斉に自由落下を始める第四小隊。重力に引かれ加速する降下部隊には、専用の降下傘が支給されている。
アルガド南方を制した軍団の尖兵が今、砂塵が舞う戦場へ舞い降りる。戦力差三倍の精鋭軍団へ決戦を挑もうとしていた。
ヨルドガルドに近い隆起した台地に無事降下した第四小隊。都市防衛線の中心部に位置する、目当ての砲陣地へ向かう。
「飛行種が時間を稼いでいる間に、一帯の抵抗拠点を叩く。判断は任せる、素早く散れ。」
乾燥した大地には幾つかの岩山や、地殻変動の名残が点在していた。小隊を乗せた台地もその一つだ。
上空で黒い花が咲いていて、別働隊が行動を開始している。小隊を運んで来た飛行中隊は、航続距離を確保する為に爆装していない。魔導砲と思しき指向線に苦戦していた。
(あれだけの資材をどのような方法で運び込んだのだ。情報とは違うぞ。)
台地上には擬装陣地が端から端まで構築されていた。剥き出しの火砲や偽装砲が擬装網で隠されていて、地下へと続く入り口が多数確認できる。
背の低い草花が自生する台地上は、ほぼ無傷の要塞として機能していた。
「情報部は完全に騙された様だ。事前情報より都市の要塞化が進んでいる。」
巨人は今回の作戦を思い返し戦況と照らし合わす。冷静な思考が、作戦の失敗による総軍の潰走をはじき出した。
(我々の退路は初めから存在しない。結局何時もと何も変わらないな。)
危機管理意識が、数々の戦闘で麻痺している現状を意識した。
岩陰から伺う戦場は、部下の浸透攻撃が行われている。獲物等へ振りかざす致命の鉄槌が、確実に振り下ろされようとしていた。
「あの様子では雑兵の相手をする必要は無い。私も存分に楽しむとしよう。」
黒のエグザムは貴重な植生を蹂躙しながら、流れ弾が飛び交う巨大陣地へ向かう。両腕両足が岩場を跳ね背筋がうねる。唾液を撒き散らし何時もの餌場へ突入する小隊長。
天然の食卓を防衛する砲兵等は、舞い降りた食客へ新型の調理兵器で応戦。無人の魔導砲座が世話しなく稼動し、空と陸の敵を牽制する。突撃槍が大柄な多脚種を肉塊に変え、小型種が散弾の餌食になる。
戦局を左右する精鋭部隊の直接対決が幕を開けた。均衡を保つ両者は、。