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「やっと外れた。時間が掛かってしまいました。」
三本指で工具を使いこなした魔導士。精密に加工されている固定具を外し終わると、発掘品の解体を終えた。
「何か解った事はあるか?」
見物者の質問に、羊人の新米技師は答える。
「魔導炉の導力変換器に似ていますね。変換器とは得た導力を運動状態に変え保存する物です。」
説明を聞いたが、意味不明な単語に混乱する黒の巨人。想像通りに反応に、魔導士は笑いながら解説を続けた。
(魔導炉。導力保存。この小さい部品がか。)
魔導士曰く、何等かの本体に接続された部品の一部だったらしい。魔導技術は用いられていなく、とても古い旧世代の規格だそうだ。
「要約するとですね。私にもさっぱり解りません。」
結論を出した彼女は、間を置いて言い訳で取り繕う。まだまだ修行不足だった。
「これを師匠に報告すべきか迷いますが、今の所調査で師匠が危険視している遺構は見つかってません。」
雪人の聖地だった氷結迷宮。人間等に占拠された結果、改造され様変わりしていた。
「あれだけ氷河を削っていては、目ぼしい物は既に持ち去られた可能性は十分に有る。」
崩壊した氷河部分からは、保存状態が良く目ぼしい残骸は見つかっていない。確証を掴む為の証拠が不足している現状は、魔導士の決断を助長させる。
「こうなったら遺跡地下へ調査に向かいましょう。報告では氷に閉ざされた区画が複数残っている様です。」
遺跡である堰堤構造体は大部分が凍り漬けの状態らしい。諸侯政府が派遣した技術屋でも、遺跡全体を解凍する事は不可能だった。
「私の任務は迷宮の奪還だ。目的を達成した今、協力する義理は無い。」
遺跡内部で事故に遭い凍り漬けにされ、そのまま標本に成る事を恐れた元小隊長。遠回しに同行を拒否した。
「お、お願いしますぅ。雪人さんでは硬い氷を砕くのに時間が掛かります。その百獣の力が必要なんです。」
出鼻を挫かれた羊人は黒い巨体の足にしがみ付き、潤わせた目で見上げる。
「今回の調査は、師匠に同行を認めてもらう絶好の機会なんです。これを逃すと私の魔導師生活がまた遠退いてしまいます。」
本音を漏らす羊は、流線的な巨体をよじ登り始める。引き剥がそうとする大きな腕を回避し、素早く背中に移動した。
「私と遊ぶ暇が有るなら、別の方法でも考えたらどうだ。」
定位置で触手に抵抗を試みる魔導士。打開策を思いつき小声で話し始める。
「以前師匠が教えてくれましたが、遺跡内で正体不明の死骸を発見した事が有るそうです。」
かつて中央大陸東部と南方大陸に点在する遺跡を、片っ端から調査した老魔導師。魔族蜂起騒動が勃発するまでの短い期間、弟子に自らの体験談を語っていた。
(生態が変質した生物か。遺跡でも雨風凌げる以上、住み易い環境だろう。)
後頭部で囁かれる昔話に魔導細胞と言う単語が登場し、巨人は興味を引かれた。
「なので遺跡内には住み着い居た魔獣や魔物等の死骸が、何等かの方法で保存されているかもしれません。」
話の途中で触手を引っ込め、希少な魔導細胞に思いを馳せる。
(確かに氷漬けにされた生物の死骸が残っていても、何等不自然ではない。)
室内に保管された発掘品の数々と、説得力の有る体験談が妄想を膨らませる。
「これも師匠から聞いた話ですが、魔法文明時代にも貴方の様な生物兵器が存在したそうですよ。」
魔導士が更に囁き、複数の単語が巨人の頭の中で拡散する。冷静に情報を整理しながらも、この目で現物を確認したい欲求に駆られた。
「帰還を少し先延ばしにする。短い間だが、十分な支援を頼むぞ。」
巨人を見事説得した魔導士は、掛け声と共に行き先を指定する。
「隣の指揮所で準備をします。部下にも報告をしなければ成りません。」
格納庫を出た二匹は、焦る気持ちを落ち着かせ準備を始める。魔導士と魔導生物の主従関係は、欲望の枷でしっかりと繋がれていた。
巨体が空間を占有出来ない程大きな通路で、氷に閉ざされた無限軌道を掘り進める。自重で圧縮された氷の塊は予想以上の硬さだった。
「随分奥まで掘り進んで来たが、まだ続いている様だぞ。この調子では私の体力が先に削られて枯渇しそうだ。」
指揮所から持ち出した巨大な杭を片手に持ち、尖った先端を氷に当てる。振り下ろされた鉄拳が即席砕氷具の頭を叩いた。
「大丈夫です。こんな事も有ろうかと我が傭兵団では、多くの保存食を常備しています。」
兵站を重要視するのは常識です、と無い胸を張り自慢話をする魔導士。大抵腐り捨ててしまう物資の後始末を飼い物にさせる算段だった。
「おっと残りの魔素が半分まで減りました。次の魔導灯が最後の光源ですので、今日の作業はもう少しで終了です。」
背中に光源を持った飼い主を乗せ、氷を削る巨人。お宝を目指して砕氷作業を加速させるのだった。
監視塔の最深部に在る新設された中継拠点で体を休めた一行。一晩を明かし砕氷作業が再開される。
通路内では削り出した氷塊を運び出す雪人が行き交う。無限軌道の上を魔導改造された台車が走り、作業員や物資を最前線に運び込んだ。
「皆さん安全確認を怠らずに作業を始めて下さい。今日中に居住区画まで開通させましょう。」
閉所での作業に慣れているのか、皆に不安がる仕草は無い。隊長の掛け声に元気に応答する雪原猟熊達。
(私を乗せても問題なく走れるとは、魔導技術も侮れないな。)
先頭台車から降り、氷の壁に向かう黒い砕氷担当。前日の作業で確保した通路は体感していた距離より長く、台車での移動は時間が掛かった。
通路内に敷設された二組の無限軌道は、外気に晒された氷から溶け出た水に浸かっていた。
「遺跡自体に予想以上の断熱能力が有る様だ。この様子では水没するのに何日も掛からないぞ。」
先客等が幾つかの区画を調べなかったのはこれが原因だった。
「人間達が一部を調査しなかったのは、遺跡内の水没を想定していたからですか。十分合理的な判断ですね。」
背中の工事監督者が雪人に排水を指示する。彼等作業員は、人間から奪った排水装置を取りに戻って行く。
溶け出した氷の壁に近付き作業を始める。叩いた杭から前日より軟らかい感触が伝わる。
(混じり気の少ない水だ。座学では純水ほど溶けるのが速かったな。)
砕いた氷を味わう。通路自体に毒物が紛れて無いかを判別する為、簡単な毒見役を指示されていた。
「水質に異常は有りませんか?無いのならどんどん削って下さい。」
青色の魔導光は氷の層に反射せず、閉ざされた通路の奥を照らし出す。
(水が流入した時にゴミは押し流されたのだろう。目星の物が有るとしたら、瓦礫の吹き溜りだな。)
幻想的な光景に見飽きている二匹は、粛々と己の役目を全うした。
緩やかな坂を登り、ようやく通路出口まで到達した調査班。氷に覆われた足場と天井を見上げる。
「気温は氷点下に保たれています。一面に張っている氷の影響ですね。」
大空洞内の足元は一面氷が敷かれており、凍結した湖の様に平らだ。
「ここが居住区なのか、何も無いが。」
待避所と思しき空間に残されていた案内板から、読み取った情報ではこの区画に居住施設が在るらしい。
「下を見て下さい。何等かの構造物が凍り漬けにされています。」
青い魔導光が氷の中を進み、埋没した施設を映し出す。中央の道を挟み、向かい合って階段状に並ぶ居住棟。三段構造の建造物は大半が凍りに閉ざされていた。
「始めて見る建築様式だ。何時の時代の物か特定できるか?」
背中で浮かれている羊人に尋ねるが、曖昧な答えが返ってきた。
「見た事無いなら、とても古い時代の遺構だな。」
何らかの材質で固められた箱状の部屋が、整然と積み重なっている。構造物に巡らされた階段と通路が、建築物の境目を印象付けていた。
「小さな残骸の山が、幾つか有りますね。中に貴重品が残っている筈です。」
青く透き通った氷に眠る住居跡。見る限り保存状態は良好で、何者かが生活していた痕跡が垣間見える。
(相当な量の氷を取り除く必要が有るが、果たして可能なのだろうか。)
大空洞を埋め尽くした氷つまり、元と成る水は何処から流入したのか分からないのだ。悪戯に氷を削って内部の気温を上げると、地獄の排水作業が待っているのは明白だった。
「そうですね。先に周辺を調査しましょう。」
飼い物が背中から飼い主を降ろし懸案を伝えると、彼女は有名なことわざを用いて慎重姿勢を見せた。
「体温の高い私がこの場に留まるのは危険だ。一旦地上に戻る。」
踵を反し来た坂道を下り始める黒の巨人、用が出来たら呼べと言葉を残し去って行く。食事を我慢し一日中働き詰めた事により、一時的な飢餓状態に陥っていた。
(腹が減った。今なら不味い素材でさえ消化出来そうだ。)
巨人はまだ知らない。中継拠点に運ばれた食料は、凍結した乾燥野菜しか残っていない事を。
補給担当の雪人から備蓄食料の話を聞き、遺跡中央に在る監視塔まで戻って来た巨人。塔の地下に設けられた天然冷蔵庫の扉を開ける。
「肉類が少ない。大半は野菜類だ。」
扉を閉め中に入る。天井の空調設備からは氷点下の外気が流入し、開放空間を循環している。当然の様に吐く息は白い。
(あの芋類の山を平らげるか。)
部屋の隅を利用し乱雑に積上げられた山肌をすくい取る。
「何時から保管されていたのだ、変色しているぞ。」
強力な消化能力を持つ巨人は、空腹を満たす為に食事を始める。凍結し歯応えの有る前菜は程よく腐り、咥内で苦味と甘味を楽しんだ。
(すっかり忘れていたが、こいつを持って来てしまった。)
両手で芋を掴もうと左腕に意識を移すと、砕氷道具の杭を握り締めている事に気付く。栄養を補給したので、飢餓が解消され頭が回り始めた。
(あれだけ酷使してもひび割れや歪みも無い。想像以上の頑丈さだ。)
隆々とした魔導筋繊維が太い杭をしかっり固定している。若干傷ついた頭部分に比べ、先端部は無傷だった。
「この傷は。痛みは無い、装甲が被害を減らした様だ。」
材質不明の杭を観察していると、右手の装甲に付いた傷に気付く。杭を叩き続けている内に、無数のひびが発生していた。
「私の装甲より硬く強靭な材質で出来ている様だ。長さ重さ共に扱い易く丁度良い。」
食事の手を止め新しい武器を振り回す。氷河河口の指揮所に置いてあったそれを持ち出した巨人、良い拾い物だったと振り返る。
(恐らく他の場所へ運ぶ心算だったのだろう。似たような鋼材が一ヶ所に集積されていた。)
指揮所には優先度の低い研究用の残骸が保管されていた。幾つか錆びた物品が在ったものの、保存状態の良い此れを選んだ。
「材質が同じなら、手土産に幾つか持って帰るか。」
部下が戦場で専用武器を振り回す光景を思い出し、不気味な笑みを浮かべる巨人。武器として加工可能ならば、手持ちの第四小隊を強化できると考えた。
(今回の遺跡調査が終れば、直ぐに戦場に帰還出来る。この武器を生かす時は自ずとやって来る筈だ。)
氷の床に杭を刺し、食事を再開する。既に遺跡調査や魔導細胞の事など、気にも留めていなかった。
遺跡内の移動手段は新たに確保した魔導台車に置き換わっている。巨人が通れるのは無限軌道専用通路だけで、人間用の通路を使える筈も無かった。
食事を済ませた巨人は、担当の雪人から用意された巨人専用台車で居住区へ向かっている。呼ばれたら向かうと捨て台詞を吐いた事など飢餓が治まりどうでもよくなったので、暇を持て余していた。
緑色の光を放つ魔導灯で製作した即席魔照灯。前方に伸びた光の道が闇に続く軌道を照らした。
「軍の遺跡調査連中は、この様な画期的な移動手段を既に把握しているのだろうか。」
魔族支配地域に在る遺跡は、極東遺跡を筆頭に全て立ち入りが制限されている。どれ程小規模で損壊が酷くても、魔導師や専門技術者を派遣して調査していた。
(別の遺跡にも旧文明の遺産が残っている可能性は考えられる。)
アルガド要塞建設作業に従事していた時も、魔導士等の噂話をよく耳にした。軍内部の下っ端に知れ渡るほど、魔族議会が遺跡発掘に夢中であると伺える。
「魔法文明の復活とは都合の良い話だ。上は何を考えているのだろう。」
小刻みに振動する台車は重い荷物を居住区へ移送している。回転導力器がうなり、巨人の呟きと共に駆動音が通路に響いていた。
「丁度良い時に現れましたね。今から発掘作業を始めますので、しっかり働いて下さい。」
調査により居住区画の天井は完全に密閉されている事が判明した。台車で移動して来た通路がそのまま空調設備になっているらしく、作業場が溶け出した水で浸水する心配は無かった。
(壁をよじ登ったのか。随分器用な連中だな。)
どうやって設置したのか、高い天井から青い魔導光が区画全体を照らしている。既に除氷作業は始まっており、入り口付近に氷の残骸が置かれていた。
「他の採掘要員にも装備が行き渡りましたので、計画的に作業します。しっかりと私の指示を聞いて下さい。」
氷の地面を掘り下げられ拓いた窪地に降りる。足場の氷は平らに削り取られていた。
「私は背中から指示を出すので、肉体労働は任せますね。」
何時もの様に定位置から細かい指示を受け、氷の壁を崩し窪地を横に広げるように砕氷する。よく滑る足場に体勢を崩されるので、爪を立て体を固定した。
作業中の巨体に腰掛け、杖に固定された多用途水晶で他の場所に居る部下と通信を行った魔導士。水晶から顔を離すと機嫌が悪くなる。
「何か問題が発生したのか?」
嵐の前兆を逃さない巨人は、能動的に質問した。
「地上の監視所に魔王軍からの魔導通信が届きました。あと二日の距離まで味方の占領部隊が迫っています。」
唐突に迫った期限までに作業を終わらせようと、独り言を始める魔導士。巨人は違う考えだった。
(予想より早く到着したな。あと二日で私の役目も終わり、この労働から解放される。)
思えばと、アルガドからの旅路と遺跡内での生活を思い出す。戦場とは無縁な環境は、自身に何をもたらしたか考えた。
「そうだ。忘れていましたが、魔導生物は属性弾や魔導砲を撃てるらしいですね。」
魔導士の考えを簡単に見破った巨人。誰の入れ知恵かある程度予想出来た。
「確かに可能だが、この氷を吹き飛ばすには体力も食料も足りない。」
戦闘に特化した体を無補給で動かす事は出来なかった。
「足元に貴重な魔導細胞が眠って居る可能性が有るのですよ。私も協力しますから、一緒に無茶をしましょう。」
使えない部下に内心文句を垂れていると思われる魔導士は、背嚢から属性弾用の魔導結晶を取り出した。杖に填め込まれた多用途水晶を外している魔導士に、巨人が説得を試みる。
「無駄だ。体力を浪費するだけだぞ。」
制止を無視した魔導士は、作業を続けながら語り始める。
「雪原猟熊はこの場所で解散する事になっています。故郷を奪還したので、傭兵業を続ける必要はもう有りません。」
占領軍に遺跡を引渡し次第お役御免になる彼女は、合流予定の師匠を落胆させたくないらしい。
「この身は傭兵隊長です。ちまちました作業より此方の方が慣れているのですよ。」
ようやく杖の換装を終え、魔素を充填し始める。後が無い状況が魔導士を闘争に駆り立てる。
(そこまで言うのなら見せて貰おうか、傭兵隊長の実力を。)
騎乗生物が壁から一歩下がり腕で頭部を庇うと、背に乗る魔導士は充填された魔導結晶から属性弾を放つ。後ろがなにやら騒いでいるが、既に手遅れだった。
視界を遮り爆発を直視していないにも関わらず、衝撃波と氷の破片が体に衝突したのが判る。
「失敗したああああぁぁぁ。」
行き場を失った魔素の奔流と、膨張した空気の塊が一瞬で巨体を包み込む。属性弾が持つ分解効果は氷の内部に十分に浸透せず、結果的に表面と空間に作用した。
「派手な割には効果がいまいちだ。」
中途半端に崩れた氷の壁を確認し振り返る。水蒸気が漂う先に雪人に抱き止められた魔導士を発見する。
(気絶しているな。あの水蒸気の塊に押し出されたのだ。火傷で済めば幸運だろう。)
白目をむいている羊を介抱する雪人は、何故か尻を叩いている。白い毛に覆われ鋭い五つの爪が並ぶ掌で、優しく熊ビンタを繰り出す。
(部族特有の治療法なのか。)
熊の太い足にうつ伏せで乗せられ尻を何度も叩かれる彼女に、隣の衛生要員が怪我の有無を調べている。
周囲に群がった野次熊が口々に愚痴を零し、状況を見守っていた。
気絶している間に観衆の前で衣服を剥ぎ取られ、氷と包帯で火傷の応急処置を施された羊人。意識を取り戻してから周囲へ謝罪をしている最中だ。
「申し訳有りません。久しぶりに失敗しちゃいました。」
落とした杖を渡され、舌を出し反省の意思を示す。どうやら今回が初めてでは無いらしい。
「皆さん急ぎましょう。私には時間が有りません。」
苦言を述べている雪人達は既に諦めの境地に達している様で、隊長の無事を確認次第持ち場へ戻り始めた。
(負傷には慣れているのか、逞しいな。)
衣服の下に包帯を巻いている筈の魔導士は、何時もと変わらぬ挙動で走っている。その姿に怪我人である事等微塵も感じない。
(自発的に魔導細胞へ刺激を与え、身体を鍛錬する。相当な労力が掛かるが、有効に作用するかもしれない。)
此方に駆け寄ってくる爆破魔を見ながら、特殊な訓練法を思いつく巨人。自らも新たな境地に目覚めた。
「面白い考えが浮かんだ。それを試すついでに、氷の量を減らしてやろう。」
思わぬ収穫が有った巨人は、魔導士が懇願した魔導砲の使用を条件付で快諾する。出した条件は、大量の食料と紫色の元素石を提供する事だった。
「分かりました両方共に差し出します。」
背嚢から取り出した元素石を未練がましく見つめる魔導士。時間を無駄にしたくない巨人は、一本の触手を伸ばし強引に取り上げた。
「あ~もう、とても大事な物です。無駄にしぁぃ。」
名残惜しく騒ぐ口を触手で塞ぎ黙らせると、もがき続ける飼い主を無視して元素石を観察する。
(座学の情報では紫は炎の性質を内包している。加工品を食った事は有るが、原石は初めてだ。)
大小様々な形状をした小さい鉱石の集合体。濃淡の有る凹凸面は、青い魔導灯の光を吸収し黒く輝いていた
魔導士の拘束を解き避難するよう促し、観賞を終えた石を噛み砕き咀嚼した。
「大量の水蒸気が発生する、お前達では耐えられまい。この区画から速やかに退避しろ。」
捕食した元素石が吸収され、急激に反応する魔導細胞を感じる。
(間違い無い。魔素が爆発的に生成され、体中に漲っている。問題は発射口が耐えられるかだが、消し飛ばなければ大丈夫だ。)
赤く発熱している巨体を目にし、一目散に逃げ出す雪原猟熊。停車中の台車に群がり、争奪戦に発展した。
「体が熱いが限界まで酷使してやる。」
足元の氷を溶かしながら入り口の高台へ移動する炎の魔物。無限軌道が続く通路に取り残された者が居ないか確認する。散乱した機材を残し、傭兵団は連結された魔導台車で避難した後だった。
巨人に時間は残されていない。暴走し始めた魔素が身体に影響を与え、装甲が溶け始めていた。
(冷却機能が麻痺しているが、内臓器官は適応している。予想より早く成果が出た。)
実験の前段階を終えた巨人は、胸部のえらから空気を取り込み発射態勢と執る。体組織の一部が溶け出し、装甲の隙間から蒸気が噴出していた。
(頃合だ。始めよう。)
熱で骨が振動し魔素容量が限界に達する。口を開けると炎が吹き出て顎の皮膚を溶かし装甲関節と骨が露出する。
(一度に氷を溶かす訳にはいかん。持続的に撃ち出すか。)
蓄えの魔導細動で補強した発射機構に魔素が押し出される。通常出力を超過した奔流に対し、一部を吐き出し出力の調整を行う。口から噴き出る炎が縮小すると、変わりに紫色の細い魔導砲が放たれる。
氷を瞬時に昇華させ発生した水蒸気は、瞬く間に天井まで到達する。魔導砲を薙ぎ払いながら解凍を続ける。溢れた蒸気が圧縮され、入り口へ殺到した。
(視界は絶望的だが確かな手応を感じる。この調子なら大部分の氷を排除出来る筈だ。)
加熱された水蒸気により天井の光源が沈黙し、紫色の光線と蒸気のみが視界に映る。低下した視覚と聴覚からは、蒸発する氷の姿が容易に想像できた。
魔導細胞を酷使し魔素を失った巨人は、膝を折り両手で上半身を支えて燃え尽きていた。orz
「いやぁ慌てて避難して正解でしたよ。」
熱せられた蒸気流による強制調理を免れた雪原猟熊。遺跡から素早く脱出し、氷河上で噴き出る水蒸気をやり過した。
魔導士等は水溜りを歩きながらようやく戻って来る。青く照らされた衣服に付着した霜から、急激に冷却される遺跡内部が窺える。
新たに形成された氷の谷を魔導灯で照らしながら観察する魔導士。
「これはこれは、見事に氷が消えています。この分なら今日中に調査出来ますね。」
放熱中の巨人に通路から冷たい風が当たる。居住区画の気温が急激に下がり始めた。
「体温が下がるのにもう少し時間が掛かる。私で暖を取る暇が有るなら、食料を渡してくれないか。」
動けない巨人に対して、日ごろの鬱憤を晴らす羊人。曖昧な返事をして要求をはぐらかした。
「面白い事を教えてやろう。我々の魔導細胞には特殊な性質が有ってな、極度の飢餓状態になると自我意識に対し優先指示を出すのだ。」
焦げた元装甲部が剥がれ始め、異臭を噴出し躍動する筋肉が露出する。魔導細胞が生まれ変わろうと活性化していた。
「まずは食える物を探し栄養を補給する。もし無理だと判断したら、同化可能な魔導細胞を探す。」
脅しながら食料を再度要求する巨人。警告が効き通路の中に駆け込んで行く魔導士だった。
(活力が湧いてくる。実験は成功したようだ。)
台車から降ろされた大量の食料を貪る元飼い物。眼前に左腕を掲げ、生成される新たな外皮を観察している。
「やはり黒い。通常は吸収した細胞によって体色が多少は変化するのだが、私の魔導細胞は核まで黒く染まっているらしい。」
断崖に腰掛、眼下の発掘作業を見下ろす。氷に閉ざされていた居住区は一部が露出し、至る所の光源で除氷作業が継続されている。
大部分の氷を魔導砲で蒸発させた事により、建造物を封印する氷の層は施設表面部まで減少したのだった。
(あれだけ発生した蒸気は、殆んど遺跡外へ抜けた様だ。上へ続く通路は、結果的に煙突と同じ効果をもたらした。)
横に積まれた木箱や袋に詰められた食材の山を物色する巨人。眼下で働く労働者等の四日分の食料を、お菓子感覚で貪った。
大量の食料を失った事を忘れたかの様にはしゃいでいる調査班。居住棟どうしの隙間に挟まった残骸の山で歓声を上げている。
「ようやく目ぼしい物を見つけたようだ。」
食事中の巨人は断崖から騒ぐ集団を見下ろす。騒ぎを扇動しているのはやはり魔導士だった。
「発見したのは本か。さぞや価値の有る物だろうが、私には不必要だ。」
有史以来、文明は記録の保存の為に様々な技術を用いてきた。どれ程文明が発達しても紙媒体は使われ続けるだろう。
最低限の文字しか知らない巨人では、難解な旧言語を理解するなど到底不可能だ。したがって騒ぎが沈静化する前に興味を失い、食事を再開した。
(今思えば、奴の口車にまんまと乗せられていたな。魔導細胞の為だけに随分無茶をしたものだ。)
冷静な思考が此れまでの騒動に反省を促す。常軌を逸脱した行動の数々に、巨人の背筋に悪寒が走る。
「落命せずに来れたのは、運が良いと言わざる負えない。」
入り口から今も噴出す冷気が大きな背中を物理的に冷やしていた。肝を冷やし反省中の巨人は、寒さで体力が消耗すまでその事に気付けなかった。
物理的に肝を冷やす自虐行為に気付かない黒のエグザムは、今回の遺跡調査で新たな才能に目覚めた。取り込んだ炎の元素石が魔導細胞の活動限界を底上げし、任意で強力な魔素を引き出す能力を得た。
薬物や手術でしか操作出来ない魔素生成反応を、自らの意思で操る術を身に付けた以上、ある種の優位性を築き上げるだろう。
戦場の一兵卒として生み出された巨人は、自身に眠る可能性にまだ気付いていない。その身に宿る力が戦争とは違う闘争概念を生み出すとは、未だ知る由も無かった。
報告どうり派遣された占領部隊が迷宮に到着した。快晴の青空の下、魔導士は師匠に再会する。
老いた羊人に抱きついて再会を喜ぶ魔導士。その光景は見る者によって違って見え、黒の巨人は必死に媚を売る弟子に思えた。
居住区の調査を終え様々な貴重品を発見したものの、生物の死骸は無く後味の悪い結末だった。
(新たな可能性を見い出すことが出来た。今はそれだけで満足だ。)
氷河河口の旧発掘指揮所で任務の終了を告げられ、アルガドの原隊へ帰還を命じられた小隊長。背中に例の物を多数背負って歩いている。
「土産物と山越えの準備も終わった。天候が悪化する前に出発するとしよう。」
雪の上に置かれた様々な発掘品を紹介されている老魔導師。弟子の自慢話に欠伸を吐きながら聞いている。
(生活雑貨から嗜好品と思われる物まで結構な量だな。保存状態も良さそうだ、売ればいい値段が付くだろう。)
格納庫の脇で繰り広げられる品評会を素通りすると、後ろから老魔導師が呼び止めた。
「急ぎの用じゃな。手短に済ませてやるから話を聞け。」
振返ると自慢話に飽きたと思われる魔導師が、軽快に走り寄って来る。議論を突如中断され不満顔をした弟子も、もれなく付いて来た。
「聞いたぞ、元素石を取り込んだそうじゃな。感想を聞かせてくれ。」
熱心に見上げる羊顔からは、学者魂が感じ取れる。小隊長は自らの推論も混ぜ、詳細を語った。
「フッフッフッ。フッハハハハッ。」
話が終わると発作を起こした様に笑い出す魔導師。外科的な方法で治療しようと触手を出すと、真顔に戻り語り始める。
「まさか失敗作が適合するとは、想像以上の結果じゃな。フハハハッ。」
巨大な注射針で笑いを制止させ、気になる単語を問う。老魔導師は弟子を下がらせ、小声で事の始まりを教える。
「重要機密の一部を特別に教えてやろう。よいか、他言無用じゃぞ。」
魔導師は、片膝を地面に置き姿勢を下げた巨体によじ登り、巨人の耳に機密を洩らす。
この魔導師はかの極東遺跡で、魔法文明以前のある資料を発見したそうだ。旧言語で書かれた数枚の書類に、何等かの生物兵器と遺伝子情報が記載されていた。
秘密裏に編成された調査部隊と共に、魔都郊外に在る遺跡を利用した研究施設へ持ち帰った魔導師は、資料の解読を始める。
他の魔導師と共に解読した結果、その遺伝子は現代の魔導細胞に近い特性を持つ事が判明した。
更に詳しく調べると、その遺伝子は生体改造に用いられる為に生み出された物で、多用途を想定した遺伝設計が成されていたらしい。
研究者たちは偉大な発見に喜んだそうだが、その知識をそのまま形にする術を持たなかった。
「無論それは想定済みじゃった。当時の研究所では他にも魔導技術の研究を行っておったから、連中との共同研究が始まったのじゃ。」
魔導技術主体での再現実験が何度も行われたそうで、話が苦労話に移り始める。
「私が知りたいのは失敗作についてだ。結論を言え。」
急かす巨人は天気を伺う。中天から照りつける太陽光を遮る雲は無く、雪が解け始める頃合だ。
「分かった分かった。時間が無いのじゃったな。」
魔導技術を用いた新型細胞の研究は一時頓挫する。莫大な時間と経費が掛かる事が判明し、別の手段を模索せざる終えなかった。
「そんな時に例の遺跡から、新しい情報がもたらされたのじゃ。」
居残り組みの調査部隊が隠された区画の存在を確認したので、急遽極東遺跡に向かった魔導師。その目で封印された隔壁を見たそうだ。
「誰から見ても怪しい扉での。隙間を完全に接合して、物理的に封印されていおったわ。」
気密を保っていた隔壁部屋には、一騒動在った様で古代人の死体や旧式火器の残骸が散乱していたらしい。
「死体の中から手記が見つかっての、遺跡は魔法文明以前の物であると立証されたのじゃ。」
本題と離れ始めた内容に興味をそそられたが、誘惑を絶つ為触手を頭上で振り回す。しなやかに空気を切り裂く音が、魔導師の話を加速させる。
「その区画には肉片が封印されていてな。我々はその標本を使い、新型魔導細胞の研究を続ける事にした。」
全ては拾った手記のおかげらしい。手記には重要な手がかりが残されていた。
「実験用に培養された細胞集合体と推測された肉片は、何等かの生物の一部じゃった。」
手記には膨大な情報が記載されており、その中に肉片の情報が含まれていた。
先の資料情報とも照らし合わせ、肉片の本体を正体不明の生物兵器と推測した研究班。研究所で肉片の分析を本格始動する。
「特殊な溶液に沈んでいた肉片は、驚くべき事に生きておった。圧倒的な生命力を内包いたのじゃよ。」
新しい発見の毎日は、それまでが築き上げられた常識を覆すものだった。歴史でしか知る術の無い魔法文明以前の英知は、まさに神に相応しい存在だった。と熱く語る老魔導師。
「ある日、わしも含め凄腕の魔導師や研究者が分析した結果、一つの仮説に辿り着いた。」
遺跡から得た情報を用い、生物兵器の正体を導き出した老魔導師。伝説の存在を口に出す。
「お主は俗に神兵と呼ばれる単語を聞いたことがあるか?」
即座に否定する巨人。初耳だった。
「人間等が信仰する伝説上の存在じゃ。そう、あの時まで御伽噺の存在じゃった。」
方々の遺跡を探索し見聞を深めた老魔導師は、その手の話に詳しかった。神話上の存在を発見したのが嬉しかったのか、饒舌に語り始める。
「圧倒的な力を行使する人類の守護者であり、全ての統治者でもあったらしい。その類の宗教画には古くから人の姿で描かれてきた。」
夢中になり一人喋り始めた探検家。半信半疑で聞いていた失敗作は、話を整理し結論を述べる。
「成る程。我々魔導生物は復活させる新兵の失敗作と言う事か。」
優秀な失敗作が先に結論を出すと、老魔導師はしたたかに笑う。
「半分は正解じゃ。もう半分は不明としておこうか。」
歳相応の雰囲気に戻った魔導師は、小隊長の肩から降りる。雪を踏み締め腰を伸ばす。
「残りの半分は、何れ解る日が来るじゃろう。楽しみにしているぞ。」
収集物の整理をしている弟子の元へ去って行く魔導師の後姿に見切りをつけ、前へ進み始める小隊長。
(話が真実なら魔族議会連中は新兵の復活を目的に、遺跡を調査している事になる。)
腑に落ちない点が多々有るものの、別れ際の言葉をしっかりと記憶する巨人。凍結湖沿岸のあぜ道から、アルガドを目指し南下を始める。