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すまない遅れた。
飛行型エグザムが群を成し占拠した中央の城に飛んで行く。
「多いな、まだこれだけ残っていたのか。」
アルガド攻略戦で撃ち落とされた個体数を遥かに凌ぐ大群。海で見かけた小魚の群のように飛翔している。
「隊長、見上げてないで作業の続きをしてくれ。」
部下の一声が黒の巨人を現状へ戻す。運び込まれた残骸を解体し、部下へ流す。自身の眼前には炭化した瓦礫の山が在った。
壊滅した市街地の解体と整地作業に、第一魔獣軍団から多くのエグザムが召集された。比較的被害の少なかった第四小隊も作業に充てられていた。
「我らは今回の戦場で活躍した功労者だぞ。何故一般工兵の真似事をしなければならないのだ。」
折れ曲がり再利用不可能な木材を切断している部下が愚痴った。口には出さないが皆が同じ事を考えていた。
「今は我慢しろ。まともに活動できるのは、最早魔獣軍団しか残っていない。疲弊した奴等にこの作業を任せてみろ、それこそ後の作戦に影響が出るぞ。」
部下を嗜めつつ焦げた残骸を持ち上げると、潰れて焼けた死体を発見する。
(おお、なんと勿体無い。責任を持って私が処理してやろう。)
熱で一部が瓦礫と一緒に炭化しているが、内蔵含めこんがり調理されていた。見つからない様に巨体で隠し食事をする。
残念ながら死角で隠していても匂いは誤魔化せなかった。作業とは無関係な行動は、当然部下に見つかる。
「おい。隊長がつまみ食いしてるぞ。」
大人しく作業していた配下達が一斉に抗議を始める。喧騒のドサクサに紛れ、瓦礫山から食い物を探そうと近寄って来た。
「戻れ戻れ。隊長命令だ。」
自ら招いた不始末を指揮権限で揉み消し、事態を対処する。命令に忠実な僕達は、不平不満を口にしつつ作業に戻った。
(危ない危ない。わざわざ率先して解体役を務めているのだ。今更奪われてなるものか。)
初めから狙っていた役得を一人で独占したい隊長。体表と同じく腹まで黒く染まっていた。
整地作業は二日で完了する。当初より短い工期に作戦参謀等は驚いた。彼らは改めて魔導生物の有用性を実感し、技術者や魔王へ報告するのだった。
空から運び込まれる資材を、部隊総出で外周の要塞区画へ運んでいる。第四小隊の肉体労働は続いていた。
「隊長。我々はこのまま新都市の完成まで働かされるのですか?」
砂利を運ぶ後ろの部下がなげやりな質問をする。
「命令では物資の搬入だけだが、人間の出方次第ではそうなるかもな。」
良く響く重低音の声が、後方に続く配下の列に伝わる。死肉を漁れない部隊の士気は落ちるばかりだ。
比較的低燃費な第四小隊は、新都市建設責任者に目を付けられる。わざわざ部隊統括権を現場の兵站運用部へ移す程、気に入られていた。
「理解していると思うが、空腹で味方を襲うなよ。死体の備蓄は十分有る、腹が減ったら言え。」
部下へ聞えるように叫ぶと、自身の前を歩き部隊を先導する獣人が震える。歩く猫は非戦闘員の運搬責任者だ。
「じょ冗談に聞えませんので慎んで下さい。」
死神集団を率いる黒の親方に注意をする。魔都から派遣されて来た彼は、救世主の筈の化け物に慣れていなかった。
「何を心配している。我々は歴戦の精鋭だぞ、軍規を違えたりはしない。」
宣言し自らの戦績に思いを馳せていると、後ろから参謀部の直属将校が駆けつける。
「第四小隊長。作業を辞め速やかに司令部へ向かえ、召喚命令だ。」
黒の巨人を指名した鳥人の下級将校。部隊に作業を続けるよう命じ、飛び去った。
「諸君、任務を頼んだぞ。」
新設されたアルガド司令部からの召集を受け、止む終えず作業を中断する。担いでいた鋼材を余力がありそうな部下に押し付け、その場を後にした。
重厚な石材で築き上げられた城は、所々焦げて変色している。飛行エグザムの発着場に様変わりした旧市街に比べ、以前の造形は保たれていた。
王国時代の終わりと共に埋められた城の外堀。代わりに建てられた観光施設は無くなり、要塞の壁がそびえ立っていた。
「高いな、突貫工事でよくここまで大きくしたものだ。」
旧支配者の命で増築された要塞の屋上から戦場跡を眺める。商業都市の面影は消え、最新鋭の軍事施設へ生まれ変わろうとしていた。
(これでアルガド地方は我々の手中に入ったのも同然だ。)
気分転換を終え中央の本丸へ向かう。家財道具が散乱しているものの、建造物自体に大した被害は無かった。
「その巨体を通す訳にはいかない。代わりにあの地下入り口から入って、中央の昇降塔を目指せ。」
目と鼻の先にある城へそのまま進む事は出来なかった。渡された橋は重量制限で通れず、代わりに要塞内へ降りて城の地下に向かう。
(地下通路から城に出られる筈だ。中央へ向かおう)
等間隔に魔光が輝く通路を進む。城が建造された当初から変わらない通路は、幅を広く天井は高く作られている。
「成る程、外から見える天主はおまけだな。この巨大な要塞に後から付け足したのか。」
人工石材と硬い金属で仕切られた壁、通路自体が要塞を支える構造体として機能していた。
(これだけの大質量を支えるには相当硬い岩盤が必要になるだろう。)
戦う為に作られた構造物に親近感が湧く。天井に吊るされた案内板を辿り、上方へ向かう昇降塔へ辿り着いた。
「これを倒せばいいのか、簡単だな。」
係員の指示を聞き、動力部と一体化した棒を倒す。振動と共に拘束が解け、巨大な歯車が動き出した。塔内に伸びた軌道を、歯車が掴み昇って行く。重量物を物ともせず、音を立て歯車が回転していた。
飛び交う魔族の為に用意された天幕が、城の庭を独占している。敷地からはみ出した屋根を四方から吊るし、内部に臨時司令部が設置されていた。
「第一魔獣軍団第四小隊長が到着しました。」
鳥人の衛兵が天幕内へ声を上げる。昇降塔を出た先で待っていた彼が、第四小隊長を臨時司令部へ案内した。
「遅かったな、待っていたぞ。」
羊頭の魔導師が天幕から出て来る。長い髭を弄りつつ黒いエグザムを見上げた。
「報告どおり随分でかいの。重要な話があるんじゃが、中では無理だの。」
人払いをする魔導師。衛兵が居なくなったのを確認し、喋り始める。
「わしはお前達魔導生物を造った研究者の一人じゃよ。これからお前は在る場所へ向かう事になる。」
長話の予感がして腰を下ろす巨人。似たような光景に即視感が過ぎった。年老いた魔導師は話を続ける。
「氷結迷宮の話は覚えているか。」
生後間も無く受けた座学で、それらしい単語を聞いた気がした巨人。内容は覚えていないと答えた。
「しょうがないの、初めから説明してやる。」
学者気質の魔導師が唐突に講義を始める。大きな受講生は要点だけを覚える事にした。
氷結迷宮と呼ばれる遺跡が、アルガド地方北部の雪山地帯にあるそうだ。
その遺跡では全体を覆う氷が夏の間少しだけ溶け、遺跡内や周辺へ流れる水路が出来るらしい。季節が移り気温が下がると、水路が凍り道が出来る。こうした現象は毎年発生し、遺跡への侵入経路が頻繁に変わるらしい。
「でな、その遺跡なんじゃが。周りの自然現象のおかげか、探索が中々進んでないのじゃよ。」
何時しか迷宮の様な構造が形成され、遺跡は氷結迷宮と呼ばれるようになったそうだ。
(今度の任務は北か。極限環境を体験できるのは構わないが、遺跡探検は御免だぞ。)
話の流れから、自分が遺跡探索をする事にようやく気付き始める。
「昔は雪人等が守っていた地は、今や人間の支配化に置かれておる。かの地は我々学者からしても、神聖な場所なのじゃよ。」
現在も一帯は諸侯勢力に支配されているらしい。中央からの物流が途絶えた山岳地帯は、西からの細い生命線を頼りに活動していると予想された。
話を整理しながら教授の講義を聴き続けると、ようやく話が本題へ移る。
「兵士達は忙しくて手が出せないらしくてな、代わりにお前のみで現地へ向かってもらいたい。」
大きく省かれた内容に疑問を感じる。詳細を聞こうと魔導師へ質問した。
「心配ない、わしの弟子がな雪人の戦士を連れて来る。これを渡すから期日以内に合流してくれ。」
獣の皮で出来た背嚢を渡される。明らかに一般用のそれを、黒い巨体で背負う事は出来ない。指で器用に袋を漁ると、中には複数の道具が仕舞ってあった。
「地図と方位盤と指令書じゃ。わざわざ大きめの物を用意してやったぞ、しっかり役立ててくれ。残り物は向こうで弟子に届けてほしい。」
小さな袋をどの様に装備しようか思案していると、魔導師が小声で話し始める。
「詳しい話は此処では出来んのじゃ。年老いたこの体では、付いて行く事ができん。代わりに弟子に全てを伝えておいた、速めに合流してくれ。」
魔導師は周囲にばれない様に、紫色の謎の原石と封筒を手元の背嚢に隠した。同じく小声で合流時の目印だと教えられる。
「飛行魔導船を借りるのは無理じゃった。長旅になるが、徒歩で向かってくれ。」
後は頼んだと穴だらけのマントを翻し天幕へ戻る老魔導師から、視線を手元に移し指令書を凝視する。
(少数部隊での遺跡奪還か。内容の矛盾は無い。何か隠し事有る様だが、これだけの情報では考えても無意味だ。私も急ぐとしよう。)
地図の裏には指令書より早めの期日が書いてあった。
アルガド地方の北にはツンドラ帯と雪山地帯が広がっている。年中雪で閉ざされ山々は氷河を形成し永久凍土に降り積もった雪と共に溶け出し、遥か南の海へ続く河川へ流れていた。
もっともそれは夏の頃の話。高緯度帯に属する同地方は冬が長く厳しい。当然の様に北部は雪で覆われていた。
(本来の今頃は、西に在る砂漠の玄関口で活動している筈だろうに、何処で道を誤ったのだ。)
方位盤を頼りに北へ進んでいる黒の旅人?広大な針葉樹林を抜けた先は、高い台地へ続く銀世界だった。
「ようやく森を抜けたな。此処からが本番だ。」
遠方に隆起した台地を登り、永久凍土の高原地帯へ向かわなければならない。大きな腰ベルトに括り付けた背嚢から地図と方位盤を取り出す。
(順調に予定経路を進んでいる。このまま進めば、人間が切り開いた登山道へ合流できる筈だ。)
装備を背嚢に戻し、歩き始める。あっという間に膝まで雪に埋もれた。
(完全に足が地面に接している。こんな所で体力を消耗したくは無いが、止む終えないな。)
四足歩行で走り始める。手足に圧縮された雪が付着するが、丁度良い滑り止めとして機能する。雪上を黒い獣が疾走した。
雪を撒き散らしながら崖下を進んでいると、崖沿いに削り出された道が出現した。
(上へ続いている。此処に違いない。)
急勾配の坂に沿う様に作られた道を進む。遠方の崖で発生している雪崩を確認し、頭上に注意しながら雪道を踏み締める。
少しずつ見渡せる様になる景色には、これまで辿ってきた針葉樹の森が広がっていた。
(地図上ではまだ中央北部の筈だ。この様子では更に雪深い場所を進む事になる、森の中で腹ごしらえして正解だった。)
冬眠していた動物達を僅かな匂いを頼りに掘り当てた黒の狩人。あたかも自身が冬眠するかの様に、多くの脂肪を蓄えていた。
「数日は持つ。それまでに合流したいところだ。」
アルガド地方中央を失い大量の死者を出した諸侯勢力。発生する難民を抑える為、当初都市アルガドへ周辺都市の住民を集めたものの、南と西の地方境から近場の大都市へ大量の難民が発生した。
南は復旧作業で忙しいアルノートに、西は中央砂漠への玄関口ヨルドガルドが難民で溢れる。多くの者たちが魔族を恐れ、安全圏を求め移動していた。
ツンドラ地帯を北上し続け五日目を迎えた。前日の猛吹雪を穴の中で過ぎ去るのを待った黒いエグザム。快晴の青空の下、遠方の山まで続く雪原を走っていた。
(悪天候のお蔭で慣れない地形を走る破目になった。今頃部下共は如何しているのだろう。)
動かせない通常兵力の変わりに自身を指名した者を呪う。大よその目星はついていた。幾ら気にしようが無駄だと愚痴ると、思考を切り替え任務について考える。
(地図に小さい円で書くとは、かえって手間が増える。)
地図に書いてある大雑把な合流地点は広大な範囲を示していた。
「見つけたぞ、あの山の向こうだ。急な斜面は迂回して、緩やかな裾野へ向かうか。」
小高い丘から山の向こう側に立ち上る複数の煙を発見した。合流予想範囲内の有力な手がかりに期待が膨らむ。
(羊一人と熊複数だったな。此れまでの時間と労力が無駄に為らなければ良いが。)
氷の道を走る。底まで完全に凍結した川は、山の向こうの裾野へ続いていた。
「魔獣だ。黒い魔獣が出たぞ。」
冬山装備を着こなした白熊達が慌てふためく。凍結した川を遡上して来た怪物に対抗する為、置いてある武器へ走った。
「その程度の装備でエグザムとやりあうのか、無謀だな。」
山岳歩兵が好んで手にする魔導猟銃で、黒い魔獣の装甲や外皮を貫く事は出来ない。
「喋った、魔獣が喋ったぞ。」
「魔物か、どう見ても凶暴な魔獣にしか見えねぇ。」
「そう簡単に食われてたまるか。」
黒い獣が喋り荒い息が凍る光景に、雪人等は口々に喚いた。体格に見合わず肝の小さな個体が丸く縮こまる。乳白色の雪玉は獣の瞳に美味しそうに映った。
「私は魔王軍第一魔獣軍団の第四小隊長だ。ある魔導師からの依頼により、今回の遺跡奪還を支援しに来た
。お前達の代わりに人間を喰らうのが役目だ。」
雪玉の影から魔導杖を持った羊人が現れる。警戒しながらも小隊長と対峙する。
「専用部隊を送ると師匠に言われましたが、聞いた内容と違います。何が目的ですか。」
震える手で杖を構える小動物に業を煮やした巨人は、腰に括り付けた背嚢を彼女の前に投げる。短く確認しろと命令し、背嚢を調べさせた。
「これは師匠の元素石、こっちは手紙ですか。確認します。」
手紙を読み終え安全を確認した小さな魔導士は、小隊長を焚き火へ案内する。
「皆さん、問題ありませんでした。食事の準備を再開して下さい。」
炎で付着した氷を溶かしていると、件の弟子が隣に腰を下ろした。
「先程は失礼を。皆長旅で神経を尖らせているものでして。」
必死に侘びを入れる弟子に師匠の姿を重ねる。性別も年も違うのにどこか似ていた。
「詳細を知っているそうだな。全て話して貰おうか。」
彼女は炎を見ながら回想を始める。今度は弟子の身の上話を聞く破目になった。
「師匠は若い頃から遺跡の調査を続けて来ました。氷結迷宮にも何度か足を運んでいた様です。」
魔法文明時代の遺産を研究しているあの魔導師は、魔王軍蜂起の切っ掛けになった極東遺跡の探索に協力していた。
「手紙では軍内の遺跡再調査の情報を、師匠は知り合いを通して知りました。調査の為に魔王軍へ同行を求めましたが、断られてしまった様です。」
かの遺産がもたらす恩恵と危険性を熟知している魔導師、技術の無秩序な開発を危険視しているそうだ。
「代わりに私達で迷宮に駐屯する勢力を排除する事に決まったそうです。」
後に行われる大規模調査の前に、何としても弟子を使って独自の調査を行いたいらしい。
(その様な事情が有ったのか。私にも関係ある話だ。)
諸侯勢力も遺跡の調査を行っている情報は掴んでいた。軍規に反しない範囲で、自らも助力を惜しまないと伝えた。
「本来は知り合いの部隊を派遣させる予定でしたが、残念ながら用意できなっかた様です。」
精鋭部隊だと語った彼女。軍の実情を知る隊長は、事態を察した。
「この体で遺跡内部に侵入出来るか疑問だが、出来る限りの助力はする。」
後ろから吹き荒れる吹雪で背中が冷える。背の乗る魔導士が本体に迷宮の状況を伝える。
「人間の野営地を発見しました。百人程度が氷河上と山麓に分かれて野営しています。」
手筈どおり指示を済ませ、魔導通信器を仕舞う彼女。白い防寒具を着て、巨人の背に積もった雪を払った。
「相手は中隊規模の山岳兵だ。あの雪人小隊では厳しいと思うが。」
人間の武装構成から戦力差を割り出し、背中の指揮官に伝えた。
「大丈夫です。私達は山岳地帯の撤退戦で何度も活躍しました。あの程度の戦力で我々と互角に渡り合うなど不可能です。」
白い装備と羽毛は保護色に成り、集団で固まっても発見される事は無い。熟練の魔導兵でもある雪人等は、氷河の上を移動している。
「この悪天候で我等雪原猟熊を発見することは不可能です。」
無い胸を反らし笑う羊。山頂に響く風きり音に笑い声は掻き消された。彼女等は初期攻勢から魔都決戦までの軍事作戦に参加した傭兵集団だった。
「師匠と出会ったこの地に、私達は帰って来ました。あの防衛線の雪辱を今晴らしましょう。」
魔導通信で配下に攻撃を命じた指揮官。黒い巨人にも突撃を命じた。
「今突撃すると、私が発見されてしまう可能性が有る。大丈夫なのか?」
吹雪で悪い視界は辛うじて氷河の端が見える程度だ。魔導生物の強化された視覚で辛うじて全体が伺えた。
「問題ありません。手紙では貴方は歴戦の怪物と紹介されていました。私を庇いながら囮になる事など、造作も無く出来ますよね。」
さり気無く囮を命じられた元小隊長。怪物と評価された判断を妥当だと感じつつ、大きな咆哮を轟かせた。
船の汽笛の様な音が氷河へ響く。当直の兵士らは頂から聞える不自然な音に警戒した。
「おかしい、急斜面で雪崩は起こらない筈だが。」
口々に雪崩を警戒する兵士達に誰かが呟いた。その者の言うとおり、斜面から地響きは聞えなかった。
「おい、こっちに黒い岩が転がってくるぞ。」
白く霞む視界でもはっきりと判る物体が、山肌を転がり落ちて来る。雪を纏い直撃コースを執る落石を回避しようと、慌てて逃げ始めた。
「ぎゃぁぁぁぁぁっ。」
付近に悲鳴が響いた後に大小の細かい氷が飛び散り、隣接する氷の層に衝撃が走る。黒い岩は氷の地面に埋没した。
「おい、誰か巻き込まれたぞ。」
崩れた一角へ救助に向かう兵士達。所々崩落した足場に苦戦しながらも、開いた暗い穴へ呼び掛ける。
「無事か、返事をしろ。」
帰って来ない返答に兵士達は死を予感するが、手遅れだったのは彼等の方だった。
(衝撃で気絶している。障壁は役目を果たしたか。)
丸まった体を起こし体勢を立て直す。騒々しい上を無視し、左手で意識を失った魔導士を抱きしめた。
(駄目だ起きそうに無い。外傷は無いが、打ち所が悪かったのか。)
覚醒を促す揺すりは、加速度の掛かった絶叫機械に変わる。
「ううわぁぁぁぁぁっ。」
止めてくれと叫ぶ反応を確認し、回転動作を停止する。体を杖で叩く羊をなだめていると、上から綱が下ろされた。
「くっ。威勢よく登場する筈が、こんな事に成るなんて。」
敵から出された命綱を、悪態を付いて登る指揮官を見上げる。強引に起こされ混乱している姿は、とても滑稽だった。
(登りきる前に魔族だとばれるだろう。孤立する前に威勢よく飛び出すか。)
遅れて登場するのも悪くはないと、穴の底で思案している腹黒い真打。そうこうしている内に、上官が命綱ごと引き上げられた。
「人間じゃないぞ、羊の獣人だ。」
「蛮族が隠れて居やがった。一人で何をしていた、仲間は居るのか。」
銃を突きつけられ手を上げる魔導士。完全に覚醒した頭が、身の危険を回避する手段を模索した。
「命乞いをするのはお前達だ。直ぐにその体は怪物の腹に納まるだろう。出でよ獣の勇士よ!」
防寒具で覆われたまな板を反らし、天に向かって大声で勝利宣言をする羊。威勢良い発言に対し、なんの反応も無く雪が吹き荒れる。
「メェ。」
呆然と空を見上げる獣人を、可哀想な者を見る目で兵士達が見守っていた。
「まあ衝撃で頭が混乱しているんだ。さっさと綱で縛ってしまえ。」
登場機会を与えたにも関わらず、反応が無い暗い穴は不気味に静かだった。自身を引き上げた綱で拘束されつつ、傍観しているであろう部下へ再度機会を与える。
「人間諸君。あの穴の中から有毒な魔素が漏れ出している。危険だから穴を塞ぐんだ。」
潜伏してやり過そうとしていた腹黒巨人に、上から雪が降り注ぐ。
(寒さで体が鈍っている状態で、戦わねばならないか。)
脱出する為、熱の通り易い体に魔素を巡らす。素早く伏せた後に跳躍し狭い穴を突き抜ると、勢い良く氷上に露出した。
「落ちる、助けてくれぇ。」
穴の周りで作業をしていた者達が崩落に巻き込まれる。氷に着地した巨人は足場の氷を崩しながら拉致された指揮官へ向かう。
魔導士の元へ、何もかも崩壊させ闇の穴へ誘う怪物が向かって来る。
「来ないで、私までまき添いになる。こっちに来るなぁぁぁ。」
混乱に乗じ彼女は不自由な両手で杖を奪え還すと、連行した一人を裂け目へ突き落とす。残った一人は銃を構えるが、伸ばされた巨人の手に拘束された。
「お前で最後だ。美味しく頂いてやろう。」
残った獲物で体力を回復しようとした部下に、上官が声で遮る。
「待った待った。情報を聞き出さないと。」
食事を邪魔され不機嫌な黒のエグザム。獲物を握ったまま魔導士の眼前に差し出した。
「さて、色々喋ってもらいますか。」
杖の石突で捕虜の頬をつつく。彼女は部隊構成と具体的な活動内容を質問する。
「我々は雇われ者だ。下で何をしているのか知らされていない。」
助けを懇願する兵士は傭兵だった。尋問者は雇い主を問う。
「中央の魔導協会だ。組合から政府系の仕事を回されて此処に来た。」
捕虜の話では、毎年秋頃に出される依頼を受け、遺跡の監視任務にあたっていた。更に問いただすが、目ぼしい情報は無かった。
「そうか正規軍は居ないのか。折角報復してやろうと考えていたのに。」
助けを懇願し暴れる傭兵を捕食する魔導生物。冬山用の装備など関係なく噛み千切った。
「次はどう動くのだ、隊長。」
咀嚼しながら指示を乞う巨人。口から見える肉片に嫌悪感を感じた羊人は、視線を逸らし次の指示を出す。
「既に雪人さん達が遺跡への通路を確保している頃だから、私達も合流しましょう。」
獣人とは、元となった生物から人間のように進化した者達を指す。魔獣から進化した魔物とは違い、人のように手足を用い文明の中で生活していた。
厚い氷の層が緑色の魔光で照らされる。透き通った大空洞の天井が光を屈折させ、空間全体が緑色に輝いている。
「死体の運び出し完了しました。」
白熊の魔物が、上官の羊魔導士へ報告する。掘削機械が並べられた隅に、餌山が築き上げられていた。
「貴方には力仕事が待ってますから、食事は作業が終ってからにして下さい。」
迷宮内部に居た魔導師ら遺跡調査班は、崩落に巻き込まれ右往左往している所を、雪人達の手で残さず始末された。
「わかった。さっさと済ませよう。」
氷の壁面には遺跡内部へ続く入り口が確保されている。氷に覆われた隔壁は数年前から開けっ放しにされていた様で、内部通路にまで霜で覆われていた。
「先客達が作った発掘基地まで案内しよう。」
雪人に先導され、倉庫の様に広い通路へ出る。街の表通り程の幅が有る床には、二本の軌道が延びていた。
「これは何だ、何かの道か?」
材質不明な構造物を歩きながら観察する黒の巨人。詳しそうな羊人に尋ねる。
「これは無限軌道と言われる移動手段の一種です。師匠曰くこの上に台車を走らせ、様々な物を運んでいたそうですよ。」
楽しそうに力説する羊魔導士。小声で実物を見るのは初めてだと言う。
「この道の先に台車が複数保管されている場所が在る。幾つかは解体されているが、手付かずの物も残っているぞ。」
(此処を占領した人間達は、我々より長期間滞在していた。わざわざ氷河を削って専用の搬入口まで作ったのだ、目ぼしい物は持ち出された後だろうな。)
一行は人間の手で設置された照明に照らされた鉄道を進む。長い道のりは人工石材に似た物質で連続していた。
「もう直ぐ台車置き場に着くぞ。この曲がり道を越えた先だ。」
通路の先から眩しい光が目に入る。何かの作業場と化した一画は、枝分かれした無限軌道の上に複数の台車が置かれていた。
(城の昇降装置と似た部品が装備されている。あれも魔法技術で動いるのだろうか。)
「これは凄い。少しだけ時間を下さい。」
玩具を見つけ駆け出して行った上官。謎の台車を見上げる彼女は、未知の技術にご執心だった。
(城の昇降装置と似た部品が装備されている。あれも魔法技術で動いるのだろうか。)
魔導師に追い付き背後から台車を見下ろす黒の巨人。自身も遺構を観察し始める。
(私も極東遺跡から得た技術で生まれたのだったな。)
座学の内容を思い出していると、目の前に有力な情報源が居た事に気付く。遺跡の情報を引き出そうと、腕を曲げ手を出した。
「師匠から極東遺跡について何か知らされていないのか?」
肩を少し揺さ振っただけで盛大に転倒した羊に質問する。軟弱生物は文句を言いつつ尻を払った。
「師匠とは開戦以来会ってませんので、何も教える事は出来ません。残念ですが諦めて下さい。」
期待外れの返答に気分を害した部下に、更なる報復を行う傭兵隊長。
「捨てられた地に在る遺跡の事は、魔族へ広く流布されています。ただ、魔導師を目指す私からすれば、存在するかも怪しい話です。」
世間に流された情報は、魔法技術の復活を告げ新国家建設を目標とする内容だった。華々しい戦果を上げる魔導生物も、魔法技術を解析した成果だとしっかり宣伝されていたのだ。
「魔導生物は、従来の魔導技術を用いて作られた合成生物より異質な存在です。その体を見る限りその点は認めますが、魔導技術でも将来的には可能な筈です。」
小さな専門家曰く、本来の魔法技術は不要に成り既に忘れ去られた技術の事を指すらしい。魔導技術とは違った概念を基盤に発展した物で、魔導との互換性は無いそうだ。
「全部師匠から教わりました。多くの遺跡を見て回った数少ない魔導師の一人です。何を聞かされたかは知りませんが、異なる技術をそのまま融合させるのは不可能なんです。」
噂される遺跡の実情推測し、幾つかの推論を話し始める新米魔導師。突然の講義と説教による同時攻撃で沈黙した巨人は、記憶の空と思考の海の狭間を彷徨っていた。
遺跡を掌握した雪原猟熊は、方々に部下を配置し守りを固めていた。
「人間等調査隊は此処と南西にある凍結湖の近辺で、基地を建設していました。既に両方共に制圧完了です。」
遺跡の頑丈な部分を土台にし、氷の層を上下から削った空間に調査基地が建てられていた。氷河の表面に露出した最上階は降り積もった雪で隠されており、外から発見するのは困難だった。
「一応聞きますが、取りこぼしは有りませんね?」
窓から見える吹雪を眺め、臨時基地司令官は決め台詞を述べる。
「はい、問題有りません。命令どおり哨戒線を凍結湖に敷きました。以上で最後です。」
高い位置にある天窓から外の景色を堪能する司令官に、雪人の部下は全ての報告を済ませる。下がり際に重要な事案を思い出し、何時ものお願いを言った。
「構いませんよ。綺麗にしちゃって下さい。」
天守閣へ続く階段を降りて行く雪人。彼は仲間へ宴の始まりを伝えに向かった。
「で、何時まで私の肩に居るつもりだ自称司令官殿。そろそろ無意味な醜態を晒している事に気付いたらどうだ。」
司令官は、監視部屋の一部を占領している巨人の肩から窓の外を見ていた。頭には諸侯軍の幹部帽を被り、杖の代わりに吸う気も無い葉巻を握り締めている。巨人の言うとおり滑稽だった。
「もう少しだけ気分に浸らせて下さい。あと少しでいいから。」
駄々をこねる羊を捕食しようと首を回し顎を広げた。
「分かりましたよ今降りますから。」
至福の一時を邪魔された魔導士は、開いたゴミ箱に帽子と葉巻を投げ入れる。閉じる前に放り込まれたゴミは、口の中へ消えて行った。
「私は掃除係では無いぞ。」
本能的に飲み込んでしまった怪物に対し、ご褒美だと言い放つ獣人。肩から飛び降り華麗に着地を決めた。
「私達はこれから遺跡の調査を始めます。人間等がどの程度調べていたかも把握しなければいけません。」
円筒形の階層を下りて行く彼女を追って、自身も塔の最下層に向かう。人間用の階段を使える筈は無く、資材懸垂装置で悠々と底面に降りた。
無限軌道が続く通路を歩く傭兵隊長と魔導生物。大小の構造物で構成された壁の中を移動している。
「魔導士よ、報告にあった水力動力とは何だ。」
魔導照明具を片手に持ち、前方の通路を照らす。照明設備の無い通路は闇に包まれていた。
「そうですね。分かり易く説明すると一種の水車ですね。水の流れを利用し導力を得るのです。」
監視塔内での報告で聞いた単語を整理する巨人。遺跡の構造について自称専門家に見解を伺う。
「つまりこの遺跡は、水から導力を製造する施設だったのだな。」
魔導士は黒い巨人の考察に及第点を与えた。魔法技術を紹介する過程で、遺跡について自らの推測を語り始める。
「細胞や微粒子の活動から何等かの恩恵を引き出す魔導とは違い、魔法技術は対価の消費を原則とした発想で構築されています。」
貴方では理解できないでしょうと付け加える魔導士に、黒い巨人は続きを催促する。
「この遺構は堰堤として機能していたのでしょう。確保した水を様々な分野へ供給できる体制が敷かれていたと推測出来ます。」
巨人は理解できる解説から一つの可能性を導き出す。
「それならば、近くに都市が在った事になるが。ああ、凍結湖か。」
羊魔導士は又も及第点を出す。部下からの報告では凍結湖に目ぼしい遺跡は無く、氷漬けにされた何等かの残骸が残っていた。
「まあ残骸は複数確認されているので、もしかしたら破壊された都市が在ったかも知れませんね。本体が到着する前に、向こうも調べておきたいです。」
彼女曰く、渡した手紙には口答での報告が求められている様で、手抜きは出来ないらしい。
「この遺跡は脅威的な存在ではない様だが、魔法文明の生産活動に興味が有るのか?」
新米魔導師は黒い巨人の問いに答える。
「今の私は試されています。自らの威信を賭け、中途半端な報告をする訳にはいきません。」
軽く相槌をし、遺跡が健在だった時代に思いを馳せる。魔導技術より遥かに進んだ文明がどの様に崩壊したのか、詳しく知りたくなった巨人。後ろを歩く魔導士より詳細な情報を掴んでいるであろう老魔導師に、いずれ直接話を聞く事にした。
かつての多段式水力発電所は堆積した氷に完全に覆われた。上部構造物の小規模施設群は長い年月を掛け押し潰され氷の層に閉じ込められる。残骸となった一部は氷河に運ばれ元宇宙船発着場の氷結湖に運ばれた。
途切れた氷河の河口付近に建てられた指揮所に移動した二匹。季節を経て動く氷河を考慮した造りの坑道を眺める。
「人工凍土壁で覆われていますね。あれなら夏の間に溶けて崩れる事は無いでしょう。」
断面から氷河内へと続く穴は人間用に開けられていた。
「私では通れないな。入らなければ氷に押し潰される心配は、する必要もないか。」
戦闘による影響か、一部の道は崩れていた。
(冬の季節に崩落する事は無いだろうが、念の為に予防線を敷くか。)
黒の巨人が、これから穴の中へ単身調査に逝く犠牲者候補を後ろから優しく押す。心の準備を怠っている羊魔導士は、足を踏ん張り抵抗した。
「や止めて下さい。ここはそちらが氷を削って、新たな坑道を構築するべきです。」
明らかに力負けしている羊人は、手の届く範囲にある落下防止用の手すりに寄る。手足を金属体に絡ませ、体で徹底抗戦を主張し始めた。
「私は掘削作業を行う目的で製造されたのではない。部下が中で作業しているのだろう、羊が一匹増えても問題無い筈だ。」
黒い巨人が文句を言う下等生物を鎮めようと、左手で金属の支柱を一本ずつ切断する。大きな右手で拘束された羊は抵抗虚しく捕獲されてしまった。
「分かりました、私自ら現場に向かいます。雪人さん達と一緒に調査するので、役立たずはそこで待機していて下さい。」
諦めて準備を始める傭兵隊長と勝利した魔王軍小隊長。二人の下へ慌ただしい叫び声が届く。
(慌ただしい。重なった声では聞き取れないぞ。)
坑道入り口から複数の雪熊が現れる。幾つかの入り口から続々と脱出する雪人集団は、坑道の崩壊を叫んでいた。
やがて付近に地響きを響かせ氷河が崩れ始める。小さな氷の結晶が舞い、連続して割れる氷の層は圧巻だった。
「死者が出なくて良かったな隊長。我々のみで氷河の探索を続けるのは、崩壊により不可能に成った。さっさと他の場所へ向かおうか。」
厄介事から逃げる様に去ろうとした部下を呼び止める魔導士。安全帽を被り、準備を終えていた。
「何処へ行こうとするのですか、そちらは逆方向ですよ。まさか強戦士とも在ろう者が、戦場を前に逃げ出すのですか?まるで負けぇ。」
大声で負け犬と叫ぼうとした口を触手で捌きで封じる。尚さら続きを叫ぼうともがく上官を背中に乗せた。
「この身は戦いの化身。一度命令を受けたからには、己のやり方で解決するまで動き続ける。途中で変更は聞かないぞ。」
危険を察し、頑丈な皮膚へ歯を立て拘束を逃れようとする魔導士を触手で固定する。
「失言でした。取り消しますから降ろして下さい。」
背中で騒ぐ羊を無視し氷の断面へ跳びかかる。脆い壁に爪を突き立て体を固定した。
「貴方の重さでは無理ですよ。一緒に埋れるのは勘弁してほしいです。」
私の話を聞けと喚く悲鳴が、氷の渓谷に響く。巨人は黙々と跳躍を続け、三角跳びの要領で目星の場所に着地した。
「まずはこれからだ。さっさと調べないと何時崩落しても不思議ではない。」
膨大な年月を経て、久々に日に照らされた残骸の上に魔導士を降ろす。原型を留めた回転羽が印象的だった。
何等かの部品を触りながら独り言を喋る魔導士。目の前の宝物が彼女の態度を急変させる。
「先程まで氷に覆われていたばかりですよ。保存状態が良いので内部構造は無傷の筈です。」
興奮した彼女は巨人に残骸の移送を命じる。どう見ても一度に運べない質量に対し、分解して持ち出す事を提案した。
「材質が不明ですので、慎重に解体して下さい。持ち出すのは中央部分だけです。」
邪魔な部分の破壊許可が下り、解体を始める。薄い金属版は見た目以上の強度が有り、魔素で強化して捻じ曲げる。
「随分硬い。これだけ硬い材質なら、研究価値が有るのではないのか?」
露出した骨組みを叩き割る工作生物に魔導士が解説する。
「価値は有るでしょうが、今必要な物ではありません。」
彼女曰くこの金属は星屑鋼と総称される合金の一種で、遺跡の機械部品から多く発掘されている。希少価値は有るが、ある程度研究が進み解析されているらしく、学術的な価値は少なかった。
「稀にですが、魔法文明以前の物も発見されるので断言できません。特性は確認できるのですが、殆んどは原材料も製造方法も不明のままです。」
骨組みの一部を隙間に突き刺し、強引に内壁をこじ開ける。音を立てながら、自慢の怪力が中央部を露出させた。
すぐさま確認を行う魔導士。狭い空間に頭を入れ隅々まで観察した。
「隙間から中身を調べましたが、随分複雑な構造ですね。まったく解りませんが、この固定具を外せば抜き取れる筈です。」
長い年月と乱暴な扱いを耐えた中央部品。経年劣化を感じさせず、汚れ一つ無かった。言われた場所に手を伸ばす。
(小さく硬い。どう見ても専用道具が必要だ。)
細々な作業は不得意な巨人。助力を求め新米魔導師へ熱視線を送るも、欠伸をして無視される。
(白々しい。無理なら無理と言えばいいものを。止むを得ないが力技を使う。)
腕の魔導細胞に魔素を送り、高周波振動を発生させる。震える爪を固定具に当て切り裂いた。
「おお、流石ですね。噂どおりの高性能です。この調子で残りも頼みますよ。」
魔物使いの荒い魔導士は、歓声を上げながら作業を見守っていた。
(氷にも振動が伝わっている。不安定な場所から崩れる未来が見えるな。)
最後の固定具を切断していると、壁面に亀裂が発生する。不純物の少ない氷が限界を迎え様としていた。
「時間が無い掴まっていろ。」
夢中で見守る羊人を定位置に固定する。切断作業を中止して、強引に抜き取った。最後の衝撃が氷河へ伝わり崩壊が始まる。
「こんな所で死ぬ訳には逝きません、急いで下さい。」
杖で頭部を守る乗客が乗り者を急がせる。道をことごとく粉砕して来た為、新たな帰り道を探していた。
(今の体重で脆い足場を渡れるとは思えん。片腕も塞がっている以上、迂闊に行動出来ない。)
直立体勢を維持しなければ成らない巨人は、崩れる氷を回避しながら崩壊から離れる。
「あの分厚そうな壁に飛び移って下さい。あそこまで崩れる事は無いはずです。」
事情を察した魔導士が脱出方向を示す。側面の氷の柱が巨大な氷塊へ傾斜していた。
(後戻りは出来そうにない、一度きりだ。)
珍しく役に立った上官へ体を掴むよう指示し、短い助走距離を走る。氷を粉砕しながら空中へ身を投げ出した。
人間等の手で掘られた坑道は想定より奥まで続いていた。結果、氷河河口で発生した崩壊は氷河内部へ達した。
「行き止まりだと聞いていましたが更に坑道が続いていたとは、調査不足でした。」
氷の孤島から砕氷された海を見下ろす。大小の氷の塊がひしめき合っていた。
(今回の騒動に吊り合う成果が出れば良いな。)
費やした労力が無駄になる未来が脳裏を過ぎる。しっかりと左腕で抱えている発掘品を見た。
「崩壊は治まった。何時までも此処が無事である保証は無い。」
背中の乗客に帰路へ向かうと告げ、慎重に断崖を降り始める。崖下には深い亀裂が口を開けていた。
氷河を脱出した二匹は駆けつけた雪人の歓声の中、指揮所へと向かっている。
「今回の崩壊で露出した残骸が残っている筈です。速やかに発掘を再開して下さい。」
隊長の号令により雪原猟熊は宝探しに奔走する。一攫千金を夢見た彼等の願いは叶うのだろうか。
(何か企んでいるな。まあ、こいつを独占したいのだろう。)
隣接された退避用格納庫へ到着すると、魔導士が背中から飛び降り操作版を弄り始める。
「前の占領部隊が発掘した残り物が置いて在るので、注意して下さい。」
隔壁が導力で上がり壁に固定される。中部の空気が外気と混ざり独特な臭いが立ち込めた。
空いていた作業台へ慎重に降ろすよう命じられ、発掘品を台に置くが安定しない。
「支えを探しますので持ち上げていて下さい。」
何処からか部品を持ってきた彼女は、台の上で悪戦苦闘する。巨人は天井から吊り下げられた固定具を知っていたが、敢て何も言わなかった。
飽きた巨人は天井の高い位置に吊り下げられた固定具を降ろし、発掘品を空中に固定し始める。
「ちょっと。どうして教えてくれなかったんですか。」
死角に在った設備を見落としていた羊人は、頬を膨らませて抗議した。
「おやおや、機械には慣れていませんか。仕方ありません、私も手伝いましょう。」
人間用の規格を巨人が扱うのは難しい。結局共同作業で固定する事にした。
5話を執筆する前に、1,2話を再編集します。