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失地回復に成功した魔王は参謀達に諸侯領土内へ侵攻を命じる。賛否両論が飛び交い、紛糾した戦略会議は一つの戦略案を纏めた。
アルガド地方の中心に位置し、東西南北の交易拠点と接続された商業都市アルガド。魔王軍に奪われた東の要塞都市を除き、諸侯東部地域に張り巡らされた物流網の心臓部だった。
魔王軍戦略参謀等は疲弊した通常兵力を温存する目的で、大半を都市と街道の防衛に集中させた。
代わりに、再編成された第一魔獣軍団による敵地浸透作戦を提唱する。魔王軍は戦略目標をアルガドに設定し、その周辺都市で季節を跨ぐ数ヶ月間の遊撃作戦を、展開する運びになった。
直属の軍団運用部から新古参が混じる小隊を与えられ、アルガド南方での通商破壊と部下の育成を命じられた。
最初の戦闘から一週間が経ち付近を転戦しながら、この草原地帯で周囲へ網を張っていた。
草原を掻き分け小型のエグザムが偵察から戻り、黒い指揮官に報告する。
「隊長、岩山で大規模な隊商を確認しました。護衛も複数居ます。」
黒の隊長はすぐさま作戦を立案し、部下へ説明するのだった。
先の要塞都市攻略を生き残ったエグザム達は、多くが獣から知生体に相応しい思考能力を獲得した。
心身共に強化された魔導生物を見て、技術士官は再製造固体、つまり新入りの指導役を任せる案を上司に進言する。結果的に軍団長は了承し、今回の作戦運用に取り入れられていた。
「確認する。主力を先行展開させ獲物が接近次第、隊商を挟撃する。奇襲は一度きりだ、焦らず確実に対処しろ。」
小隊員は黒い小隊長の指示を聞いている。大小様々な姿形をしている死神等は、同じ個体同士とそうでない者に分かれていた。
「目付け役。下っ端を使うのは護衛を無力化してからだ。万が一先走りが居ても無視して構わん。」
目付け役と呼ばれた蜥蜴の様なエグザムは、直下部下の新入りへ向かった。
慣れた動作で持ち場へ移動する部下達を見送る。今回この巨人は参加しない。隠しきれない黒い巨体が、作戦の参加を阻んでいた。
今回の奇襲場所は、都市アルガドと小規模都市とを繋ぐ街道の中間地点だ。小高い丘と岩山が点在する一帯は、絶好の襲撃環境だった。
(勝利確定だ。単調な狩りばかりでも、そこそこ慣れてきたな。)
丘の上で岩に擬装して部下達の狩を観察する小隊長。街道で奮戦している隊商に下っ端が一斉に襲い掛かる。軍隊等の重装備でしか対応出来ない魔導生物の群に、隊商と護衛一行が物理的に飲み込まれた。
今回で五度目の狩に手馴れた動きで対処した部下。命令どおり軽装備の冒険者に群がる下っ端を見て、次の狩場へ移動する事を決める。
「喜べ。これより我々は更に南方の物流網を目指す。」
壊れた楽器の様な歓声が上がる。狩を始めてから獲物が激減し、新入りを中心に不満を募らせていた。
「我々の行動次第では、人間共の大規模軍事行動を阻害出来るかもしれない。他戦域で活動している同胞に遅れを取るつもりは無い。以上、行軍開始。」
士気を鼓舞し南へ移動を始める。道なき道を難なく進めるのは、元獣の魔物に許された特権だった。
偵察役を四方へ分散させ無休で行軍する。街道から離れ点在する森を越える。
時には腹を満たす為に野生の獣を狩る。狩りを行った痕跡を消し、追跡を防いだ。
翌日。林の中から偵察役のエグザムが魔獣を狩る集団を発見する。詳細を記憶し小隊長の元へ走った。
「報告。四人の武装集団を農場外周で発見。軽装備から冒険者と推測。」
食事で地下茎の天然食材を引っこ抜いていた上官に、部下が報告した。
「食事は中止だ。このまま作戦を開始する。」
進路上の問題を解決する為、配下を召集し即応部隊を編成する。森や草に擬態し易い個体を集めた。
「逃走させるな。痕跡は消し食えない物は埋めろ、決して襲撃現場を残すな。風下にも注意しろ、以上だ殺れ。」
待機中の全戦力を投入し、偵察役を使い付近の別働隊に伝令を出す。
「別方向に展開中の部隊を呼び戻せ、総員で行動させる。」
伝令役として走り去る偵察エグザムを見届け、自身も戦場へ向かった。
冒険者とは、都市間を往来する何でも屋だ。狩猟採取や護衛、私用に輸送依頼まで何でもこなす業種。
個人差があるものの、皆闘争環境に身を置いている。先の戦争でも多くの冒険者が志願兵として参戦していた。
「当たったぞ、止めを刺せ。」
逃げ回る最後の魔獣に、魔導ボウガンを撃ち込み転倒させる。追撃していた剣士が急所を刺し、息の根を止めた。
「片耳を持って来てくれ。最近物騒だからな、さっさと仕舞いにしよう。」
農作物を荒らす害獣の駆除を頼まれた四人組は、近郊農場の外縁に来ていた。
「肉を持って帰りたい奴は居るか?」
解体が得意な男が、肉を捌く必要が有るか聞く。他の三人は不要だと答えた。
「そうか、なら置いて逝け。」
人間離れした声が藪の中から聞える。振り返る男の瞳に鎌を振りかぶる魔導生物が映った。
「エグザムだ。逃げろ!」
首を切断され倒れる仲間より、噂の脅威存在に危険を感じ逃走を選ぶ冒険者。ただ残念ながら手遅れだった。
「囲まれぐふぅ。」
リーダー格の男は自らの胸から生える長い突起物に驚く、振り返った視界は闇に包まれた。
「早い者勝ちだ。」
リーダーの頭部をかじる虫型のエグザム。獲物を奪われた残りのエグザムは、残る二匹の獲物へ襲い掛かり、草地に押し倒す。手馴れた狩は悲鳴を上げさせる隙を与えなかった。
「早いな、もう終わってしまったか。」
魔獣の死体を拾い咀嚼する黒いエグザム。一口サイズの肉を飲み干した。
「腹を満腹にするな、やる事が出来たぞ。」
遊撃命令の内容は大雑把だった。端的に言えば人間とその営みを破壊する事だった。
「不必要に汚染するなよ。人間の腹に入るより先に、食うか肥やしにしてやれ。」
農場荒らしを命じる黒い小隊長。自身も野ざらしで開放型の畑を、作物ごと蹂躙する。
ある者は地下茎目当てで穴をほり、別の者は強引に引き千切り蝕む。腹が減っていたのであろう、作業していた老夫婦を襲い捕食する個体も居た。
「以前見た物より大きいな。所謂収穫時だったのだろう。」
丁度良い時期に畑荒らしをしている事に気付き、熟れた果実を口に放り込む。
(座学で紹介されていたな。何と言う名前だったか。)
その果実はこの地方の特産品だった。血の様な色をした果実が気に入り、一つでも多く貪る。獣の舌でもはっきりと判る濃厚な味がした。
色とりどりの楽園は魔導生物によって荒らさせる。
(付近の人間は、上等な物を食っている。美味しく超え太っているに違いない。)
鋼の如く強化された禁断の消化器官が、土地の営みを文字どおり根こそぎ破壊した。
「撤収だ。引き上げろ。」
広い面積を荒地に戻し、満足したのか撤退を告げる。決して報復を恐れて引き上げた訳ではなかった。
悪行の数々を達成し更に南へ向かう一行。同時期に活動しているエグザムを含めても対処しきれない程、アルガド周辺は広大で肥沃な大地だった。
それから二週間。南へ転戦しながら隊商や冒険者小さな集落を襲い、順調に諸侯文明圏を蝕む。漂う戦雲を察してか、別の地方へ逃れようとする避難民を、主要街道で次々に襲った。
一連の出来事は各地で同様に発生した事案の一つとして、アルガドの地方軍司令部に届く。先の東方征伐により減った兵力を大々的に動かす事が出来ず、周辺地域の治安は悪化する。地方政府の対応に、商業都市アルガドでも苛立ちと不安が燻っていた。
こうした事情は同地方内の至る所で発生する、エグザムによる破壊活動を助長させていた。
激流に掛かる橋の東側で、武装した冒険者集団と交戦するエグザム小隊。待ち伏せからの奇襲攻撃を成功させていた。
脅威存在を討伐する為に、近辺の小都市から集い編成された三十人程度の討伐隊。橋を渡りきった隙を狙われた。
「一旦距離を取れ。うっ」
上手く乱戦に持ち込んだ小隊長は、突撃槍を撃とうと離れる男を叩き潰す。
(上手く行った。畳み掛ける。)
作戦どうり主力で包囲し小型種を上手く浸透させた事により、状況は優勢に運んでいる。
「全力で潰せ、加減する必要は無い。」
黒い巨人が上げる雄叫びに、相対した魔導士は後ずさる。背後から赤いエグザムが、複数の爪で切り裂いた。
初撃で半数を無力化した小隊は、素早く残敵を掃討する。不完全な情報を信じ、高い報奨金に目がくらんだ冒険者達。仲良く魔導生物の胃袋に納まる事になった。
「早い者勝ちだ。さっさと処理しろ。」
部下に後処理を命じ、吊橋を落としにかかる。
(これで西からの流入は減る。邪魔も減り狩をし易くなるぞ。)
支柱を粉砕し支点が無くなり崩壊する。古くも頑丈な造りをしていた橋は、激流に飲み込まれた。
「集合しろ。重要な話をする。」
黒い巨人の前に整列する怪物達。相変わらず大小様々な固体がひしめき合う。
「この半月、南へ転戦しながら人間共に嫌がらせをして来た。結果的に多大な戦果と手応えを獲た。」
若干数が減ったものの、部下達は死神の名に相応しく成長を遂げている。
「既に気付いているだろう、今のやり方では我々が更なる高みを目指すのは難しい。」
少数でも圧倒的な戦力を有する彼らが、少ない獲物を取り合う現状は合理的でなかった。
「私の権限では認められて無いが、指定した期限まで部隊を解散する。」
部下へ対し、隊を離れ少数での狩を命じる。
「忘れるな、分不相応な敵を作るな。所詮獣である事を忘れるな。そして期限を守れ。」
期限と活動範囲を指定した事により、暴走を予防する。
「この程度で朽ち果てる者は魔王軍には不要だ。以上で解散する、集合地点で会おう。」
動揺は見受けられなかった。解き放たれた魔物達は、奇声を上げ方々へ散って行った。
暫らく佇む黒の巨人、今後の身の振り方を考える。
(近辺で活動すると、部下の取り分を奪う事になる。ここはやはり遥か南方まで進出するか。)
候補として挙げた地域は沿岸地帯だ。特に大河が海と合流する港湾拠点群はアルガド地方の最南端にして、海上貿易路の玄関口だ。
(他の同胞部隊がそこまで進出する可能性は低い。期限は冬までだ、長期間の活動は出来ない。)
他の個体と競合するのを避ける為、止む終えず沿岸部を目指す事にした。
一週間川沿いを走り続けた。時には水中を進み、人間に遭遇する事も無く南下する。道中発見した水棲魔獣を捕食しながら幾度目かの河川合流地点へ到達した。
(ここの水深は深い、頭まで水没する。流れも穏やかだ、海が近いのか。)
魔導生物が活動出来ない場所は少ない、当然水中への適性も備えている。今もこうして濁った水中を泳いでいた。
(座学の内容をを完全に把握する事は出来なかったが、今にしてみれば魔導生物とは恐ろしい存在だ。)
生まれたばかりの頃、能力を過信していた黒のエグザム。魔導師が行う講習を真面目に聞いていなかった。理解する能力も足りなかったが、知覚できる世界に夢中で、学習意欲が削がれていたのだ。
(闘争本能に身を任せ長らく意識して来なかったが、この肉体には多くの可能性を感じる。)
息継ぎの為水面を目指す。その巨体に浮力は無いので、強引に腕を回し水中を移動する。
(潜れる間隔が長くなった。水中生物を吸収したのが良かったのか。)
口に入れ消化出来る物は何でも摂り込んできた。結果的に多くの魔導細胞を得て、体つきも変わった。
「同胞とは争いたくない。」
息継ぎをし再び潜水する。心なしか潮の香りがした。
黒い漂流者は海面に浮いていた。濃度の違いにより浮力を得た巨人は、浜辺にある漁村を見つけた。
夕日が水平線に近づく。波打ち際で佇む少女は墜ちる太陽を眺めていると、沖から向かってくる黒い塊を発見した。
「あれって、ま魔獣だぁー。」
慌てて陸へ駆け出す。少女の悲鳴を聞いた大人達が武器を片手に向かってくる。この世界では珍しくない光景を夕日が照らす。
「なんだあれは、海洋生物では無いぞ。おい、試しに音響玉を投げてやれ。」
両腕で海面を掻き分け接近する化け物に、漁で使う道具を投げ付ける。水面に小さな水中が立つが、怯む様子は無い。
「おい人間共。大人しくそこで待っていろ。」
浅瀬に足が着くと、立ち上がり波打ち際へ移動する。歩いて上陸して来る巨人に村人等が慌てる。
「魔物だ。海から魔物がやって来たぞ。」
尻尾を巻いて逃げ出す大人達は口々に助けを求める。人語を会得した魔獣を人間は魔物と呼んでいた。
「町だ、港町の冒険者を呼ぶんだ。」
蜘蛛の子散らし去っていく光景に、上陸した巨人は胸が高鳴り感動を覚える。
「ゴホホホ。これだこれが欲しかったのだ。」
発声器官が耳障りな音を出す。黒い悪魔は笑っていた。捕食者としての快感を味わい、前身を再開する。村人が洩らした情報を頼りに、港町とやらへ向かった。
「その足で私から逃がれられると、本気で思っているのか。」
簡単に追いついた村人の一人を追いかける。悲鳴を上げ逃げる男を、敢えて捕らえたりしない。港町へ案内させる計画だった。
「早く戦える者に助けてもらわんと、退屈凌ぎに食べるぞ。」
洒落にならない脅しを受け、助けを叫びながら林の中を走る。混乱した男は自分が利用されている事に気付かない。
「助けてくれぇぇぇ。ここに居るぞぉぉぉ。」
荒い息ずかいで走る彼の持久力は高かった。鬼役は追い駆け回している男が、現役の潜水夫だとは知らなかった。
「こっちだ。町へ避難しろ。」
予想外の耐久レースは、騒動を聞き駆けつけた冒険者等によって終る。
「た、頼んだぞぉぉ。」
面倒ごとを専門職に押し付け逃げ去る潜水夫、交代した冒険者は素早く黒い魔導生物を取り囲んだ。
「遅かったな。待ちくたびれたぞ。」
周囲から危険を察知し上方に跳躍する。飛び道具と属性弾を回避し、空中で反転して牽制の属性弾をばら撒いた。
「防御する、隠れろ。」
二人の魔導士が魔導障壁を展開し、自身と仲間を守る。黒い巨人の攻撃は障壁で防がれた。
「着地するぞ、撃て。」
跳躍して包囲を脱出した巨人、一方方向からの攻撃を俊敏な動きで回避する。
(弾切れを狙うか。)
予想以上の挙動で肉薄する黒い怪物を前に、装填してある矢が無くなる。弾幕が薄くなったのを境に攻守が逆転し、獲物が狩られる時が来た。
「おい大丈夫か。」
素早いなぎ払いを生き残った一人が、属性弾に倒れる仲間を支える。ボウガンを連射するが、装甲と化した外皮に刺さらない。接近した怪物に対処できず捕獲された。
「くっ、ここまでか。」
捕食しようと顔の前まで獲物を持ち上げる。口に入れようとした時、後方から近づく魔素を認識した。
「ここいらに魔物が出るなど在り得ない。やはり魔族の手先だったか。」
不意を突こうとした強力な属性弾は、投げられた男と共に爆発した。現れた怪物を倒す為に、港町から討伐隊が到着したのだ。
「私が何者かお前達が知る必要は無い。大人しく我が糧に成るがいい。」
黒い悪魔は上手そうな食材の到来に歓喜する。鋭い牙が並ぶ口元が吊り上がると、生物離れした表情筋が盛り上がった。
「密集陣形、弾幕を集中させろ。」
十数人から繰り出される魔導弾や属性弾が化け物へ殺到する。黒い巨人は減衰膜を最大にし防御姿勢のまま突撃し、敢えて注意を引き付ける、腕で隠した口内に魔素を濃縮させた。
「まずい!」
腕を下ろし口元から放たれた脅威に気付くのが遅れた魔導士達。致命的な状況は回避など不可能で、集団は魔素反応に包まれた。
「他愛も無い。久々に楽しもうか。」
濃縮された魔素を浴び意識を失った魔導士と冒険者に齧り付く。封印していた欲求を開放した捕食者を前に、彼らの未来は閉ざされた。
「久々の人間は上手かった。魔素で調理したのが良く効いていたな。」
骨をしゃぶりながら足跡を辿る。討伐隊がやって来た方向に在る筈の港町を目指していた。
大きな巨体を動かすのに栄養補給は不可欠だ。平均的なエグザムより低燃費な黒の巨人は、脂肪を蓄える為に港町へ向かっている。
「質の良い冒険者だった。群から離れた集落の割に、良質な個体が混じっている。」
人間の習性から餌場の状況を推測する。捕食者として下位生物の生態を熟知しているので、経験則から答えを導き出す。
「はぐれ物は如何なる時にも出るようだ。」
黒いエグザムは高台から入り江に面した餌場を観察している。馬鹿正直に突っ込んだりせず、木陰から様子を伺っていた。
「浜辺に居たやつらの影響か、先に上手い飯にありつけたのは幸いだった様だ。」
港町は正体不明の魔物の出現により、警戒態勢が敷かれていた。町を守ろうと武器を持った住人が闊歩している
「活動しているのは少数か。じきに日が沈む、手っ取り早く始めるか。」
助走をつけ高台から跳躍する。空中で丸まりバランスを取ると、予定どおり民家の屋根へ衝突した。
「魔物だ、魔物が侵入したぞ。」
村に様々な叫びが響く中、緩衝材の屋根に穴を開け木造建築物に侵入を果たす。
「ち、近寄らないで。」
横から甲高い悲鳴が上がる。視線を向けると乳飲み子を抱いた母親が居た。
(幼年期特有の不純物の少ない魔素か、珍しい。)
強化された視覚には、独特な魔素を僅かに放出する赤子が映る。母親ごと触手で貫き魔素吸引を行う。
「あ、あぁ。」
あっという間に干からびて崩れる亡骸に、開いた口が塞がらない父親。扉の前で呆然としていた。
「その口から入れて欲しいのか、物好きだな。」
有無を言わせず触手を口へ押し込むと、太い異物に顎が外れ痙攣する。白目を出して気絶した。
(魔素に共通点が有る。父親か。)
細胞から生命活動の根源たる魔素を吸い出され、崩れる亡骸。残骸を一瞥すると壁を崩し家を出た。
「家族の仇だ。」
叫びながら斧を構えて突進して来る少年。
(面白そうな奴だ、利用してやろう。)
勢いを乗せた一撃は巨人に届く事無く、触手に絡め取られる。強力な締め付けに堪らず斧を落としてしまった。
口を触手で塞ぎ弄んでいると、武装集団に囲まれる。
騒ぎを聞きつけ急いで戻ってきたのか、肩で息をする冒険者と武装した漁民が家の周りに集まっていた。
「大人しく逃げれば良かったものを。」
人質を左手に握り人差し指を首筋に当てる。鋭い爪でいつでも切り裂ける状態にした。
「化け物め、何が目的だ。」
話の判る漁師が銛を突き出し問う、錆びた穂先は震えていた。多くの者が息を呑む状況で、化け物が答える。
「目的?そうだな。青い頭のおまえ、前に出ろ。」
人質をちらつかせ、一番魔素が濃い冒険者を誘き寄せる。
「しまったぁ。」
間合いに入った事を確認し、素早く触手を突き立てた。
「坊主、もっと美味くなれ。そしたらこんな風に食ってやるよ。」
拘束を解き少年を開放すると、串刺しにされ悶え苦しむ冒険者を近づける。
「に、にげろ。」
最後の言葉を残し、冒険者だった物が崩れ落ちる。腰を抜かす少年を尻目に晩飯の続きを始めた。
夕闇に赤く浮かびあがる村を、入り口から眺める少年。港町はたった一人の生存者を残し全滅した。
「ごめん、俺のせいで。」
冒険者が落とした青い鉢巻を額に巻き、斧を片手に燃盛る故郷を見つめる。動乱の時代に生まれた少年は、強さを求め旅に出る事にした。
「あの黒い魔物を討つ。その屍で墓標を作ってやる。」
泣き腫らした瞳に決意と復讐の炎が輝く、近い未来に少年は黒い死神の噂を耳にする事になる。
アルガド地方司令部にはエグザムの襲撃と思われる報告が連日のように届いていた。
「エグザムとみられる一個体が南の沿岸部に出現しました。」
女性仕官から報告書を受け取る中年男性。頻発する事案に頭を掻く。
「予想したより早く海まで到達したか。間違いなく此処を落とすつもりで妨害工作をしているな。地方自警団の展開状況はどうなっている。」
部下へ現状を問う。襟元の階級は将官を示していた。
「増員をかけましたが、目立った成果はありません。領内に浸透したエグザムに犠牲者が続出しています。」
芳しくない現状を報告する佐官の部下。表情を崩さない彼女に、地方軍の動向を聞いた。
「前線に動きは有りません。地方軍は領内の事案に対し後手に回っていますが、本格的に統制が執れはじめました。志願兵と予備役を動員し、本格的な掃討戦に移る様です。」
退出する情報将校を見送り思案に更ける。大陸中央から派遣された彼は地方軍と諸侯軍の連絡役だった。
「軍でも持て余す怪物を、冒険者等が対処出来る筈は無い。どうせ時間稼ぎの捨て駒にする算段だろう。」
隣接する地方への難民流入を嫌がるだろう諸侯政府。同地方で大規模な焦土作戦が予想された。
「血生臭くなって来たな。此処も潮時か。」
上陸戦術に味を占めた巨人は、洋上を行き交う魔導船を岬から眺めている。漁村を攻略してから三日経ち、大雑把な記憶を頼りに港湾都市アルノートを目指していた。
「記憶が正しいのならこの半島の向こう側に在る筈だが。」
遠征前に一度だけ見たアルガド地方概略図には、長い半島の内側に構築された港湾都市が描かれていた。
「部下共には悪いが、やはり美味しい所は独占するに限る。」
崖沿いを移動して来た巨人は、失った体力が回復したのを確認し海に飛び込んだ。
夜、灯台から伸びる緑色の光が遠方に伸びている。
日没を待ち人工漁礁に潜伏していた巨人は、石垣で出来た船着場に上陸した。積み上げられた木箱を使い、隠れながら周囲を警戒した。
(何処で暴れてやるか。考えるだけで疼いて仕方ない。)
古い木造の船や倉庫に放火する作戦を考えたが、合理的に狩りを行うには時期尚早と判断する。
(火を付けるのは後だ。先に市街地を襲うか。)
作業中の人間に見つからない様、倉庫の影に隠れる。黒い体は闇に馴染んでいた。作業音に紛れ要領よく進むと、大きな集荷場へ辿り着いた。
(山積みにされている鉱石や何等かの粉末は戦争にでも使うつもりか?)
砂の山が並ぶ光景は、諸侯勢力の生産能力を誇示していた。
(良く燃えそうだがここを炎の山に変えても、人間に大した痛手を与える事は出来ないだろう。)
白い魔光の光を避け、捨てられた小船の残骸に隠れた。巡回中の警備をやり過ごすと、面白い話が聞こえる。
「見たか新型の輸送船、でっかいよな。」
「ああ。小賢しい蛮族連中を絞めあげる為に本国から来たやつか。」
物陰に隠れながら世間話をする警備員を追跡する。
「実はさ、今朝に面白い物を見たんだ。荷下ろしを手伝っていると、その輸送船から台船で運ばれてくる積荷の中に大量の魔晶核が詰まってたんだよ。」
見間違いでは無いと興奮しながら詳細を語る相方を、声が大きいと注意する警備員。急に小声になった会話を逃すまいと、二人の後を追う。
「あの輸送船からか。確か精鋭魔導兵を部隊ごと運んで来たんじゃなかったのか?」
同様に巨人も、接岸した輸送船が大量の兵士達を荷揚げする光景を見ていた。
「わざわざ台船を渡してまで貴重品を大量に運んだんだぜ、兵士は偽装に決まってる。核一つで家が建つんだぞ、近々おお戦をするに違いない。」
思わぬ情報を手にした潜伏中の巨人は、もたらされた情報を頼りに目的地を絞る。
(高次元魔導技術の結晶か、間違いなく軍事目的に使用する筈だ。あの高台にある要塞が怪しいな。)
高い壁に囲まれた軍事施設は、魔導砲で守られた堅牢な造りをしていた。港町に隣接し内陸側に構築された防御陣地は、陸と海からの侵攻に対処可能な場所に在った。
「壁が邪魔で内部が見えない。これでは魔素を辿れない。」
街を抜け山伝いの丘から要塞を眺める。高い壁の向こう側を探る為にこの場所へやって来たが、無駄足に終わった。
(目測を誤ってしまった。一旦戻って騒ぎを起こすか、それとも此処から討って出るべきか。)
暫らく思案しが再考の余地は無く、結論が出る。
「見たところ地雷原を構築していない。このまま強行する。」
高い壁に飛び移る必要が有るので全力で疾走する。四足動物特有の走り方で要塞へ向かった。
「何だ。おい、あちらを照らしてくれ。」
同僚の指示を受け魔照灯を向ける。闇の中を走る魔物を強い光が照らし出した。
(見つかったが、ここまで近づければ上々だ。)
光を照射されながら走る怪物。要塞に警報が鳴り響き、当直の兵士らが魔導銃で対応する。対人用の魔導弾では迫る怪物を押し返す事は出来ない。
(光で見え辛い。邪魔だ。)
走りながら収束した魔導砲で上部構造物をなぎ払う。防衛要員と共に魔照灯が沈黙した。そのままの勢いで障壁に飛び移る。落下する残骸を払い除け、頂上を目指した。
「一体だけだ。急いで応戦しろ。」
障壁の上で整列し兵士が魔導銃を斉射した。近距離から放たれた事により、装甲の一部が砕ける。
「助けに来たぞ。」
狭い場所を利用し体当たりで押し潰した。次々に沸く兵士を、自慢の装甲と体力で押し通す。閉所で展開する屠殺劇に兵士達は悲鳴を上げ退却し始める。
(成る程、外壁から見えないわけだ。規模からして地下に主要施設が埋没しているのだろう。)
高い外壁に囲まれた敷地内には、申し訳程度の監視所と背の低い倉庫及び兵舎が並んでいた。黒い襲撃者は地下への入り口を探して敷地内を駆けずり回る。
(人間用の通路は使えない。物資搬入用の入り口が在る筈だ。)
弾幕を潜りながら残敵の掃討を始める。多くの防衛兵器は外壁の上に設置され、内側を狙う事が出来ず使用不能だった。
「恐らく此処だろう。破壊するしかないな。」
装甲化された倉庫内の一区画に厳重に閉じられた隔壁を発見した。正規の解除手段を執らず、強制的にこじ開ける。
「オラァ。」
衝撃波と共に打ち出された鉄拳が重厚な扉を吹き飛ばす。非常用の警報が鳴り響き、潜伏していた残存兵による抵抗を受けた。
(通路は十分に広い。邪魔が居るが問題無く通れそうだ。)
金属製の棚等で即席の障害をつくり応戦する兵士達。難なく接近し触手の餌食にする。
「さ、下がれ。なんとか時間を稼ぐんだ。」
装甲服を着た指揮官が、部下と共に部屋の中に隠れる。爆発物などの戦術物資が貯蔵されている部屋は、防爆用の人口石材で覆われていた。
(武器と弾薬類が多い。たしか安全装置が施されいる筈だ。)
保管してある火器を取り出し、反撃の狼煙を上げる人間達。携行爆発物や飛翔体で牽制を続ける。埒が明かない状況に業を煮やした黒い巨人は、圧縮生成した属性爆弾を放り込んだ。
「終わったか。」
煙に包まれた通路から顔を出し中を伺う。対爆壁が崩れ瓦礫の山が出来ていたが、天井は崩れていなかった。
「おおお、新鮮な輝きだ。」
一本道の通路の先に、目当ての物を保管した区画が在った。建築用資材と共に布を被せ保管されていた。
(これだけの量にも関わらず、隠す様に置いてある。単なる横流し品にしては用途が限られる、本当に戦闘に使うつもりか。)
専用の箱に並んだ一つを手に取る。人間の頭より若干小さいが通常より大きく高純度な球体は、無数の光る粒子で輝いていた。
(濃い魔素の固まりだ。本来膨大な手間が掛かる筈だが。)
疑問に思いながらも迷わず口に放り込む。吸収され張り巡らされた魔導組織に活力を感じた。
「美味い。五感から何かが溢れ出しそうだ。」
味を占め次々に口へ入れる。何時の間にか夢中になり、我を忘れて貪った。
「オオオオォ。」
驚いて魔晶核を落とす。命令を無視して体組織が突如躍動を始める。自我を飲み込みそうな奔流が食いしん坊の意識に干渉する。
(感じる。この時が。待っていたぞ。)
視界が青く染まる。身体が青白く強烈に輝いていた。内部から改変される感覚に包まれ意識を失うと、強烈な振動を発した。
仕事が終わり酒場で談笑している船員達、陽気に語られる美談を爆発音が遮る。
「んん、なんだ事件か?」
店内に居た全ての者たちが作業を止める。刹那、彼らを揺れが襲った。
「おいあれを見ろ。」
突発的な揺れが収まり外に異変を感じる。急ぎ店を出ると通りは多くの野次馬で溢れていた。
「たしかあそこには海軍要塞が在るよな。」
月の光に照らされたきのこ雲が、街の外から生えていた。
意識が戻り視界に周囲の様子が映る。薄っすらと月の光が斜面を照らしていた。
(体が軽い、浮遊している!)
視線を足元に移すと地面から足が離れていた。慌てて自身を調べると、以前より体が細く小さく成っていた。
(重力いや、磁力干渉魔導が働いている。浮遊魔導術は会得していない筈だが。)
記憶から自身に何が起きたか察する。
「そうか、無事進化する事が出来たようだ。」
魔導生物は一定の魔素や遺伝情報等を取り込むと、何等かの固体へ変化する事が可能だ。魔導師達はこれを変態と呼んでいた。
(個体差が有ると言っていたな。情報不足なのは同感だが、生まれた時の大きさに戻ってしまった。)
何処か懐かしい手を見る。違和感無く動作する事に安堵した。
「空が見える。地下に居た筈だが、成る程吹き飛んだか。」
要塞を攻略してから港町を炎に沈める算段が狂う。間も無く駆けつけるであろう存在も含め計画を練り直す。
(以前より思考が捗る、要らぬ妄想まで思考出来るとは驚きだ。)
初めから決定している事を、いちいち蒸し返すのは愚問だと判断する。とりあえず爆心地を脱出した。
体と触手をくねらせ海中を進むと、大型魚類を腕の触手で突き刺し口元まで運ぶ。食事をしながらも獲物の群を追いかけまわしていた。
(単調で飽きて来る。早く人間を喰いたい。)
血の臭いに連れられて後方から海洋魔獣の群がやって来る。気付いた黒いエグザムは反転し、向かって来る鮫型の魔獣へ触手を伸ばした。
(他愛も無い。得体の知れない新参者に向かって来るのは当然か。)
手加減せず触手から電流を放つと、群ごと感電し浮き始める。死んだか気絶した肉体へ牙を突きたて捕食し始める。怪物は異常な飢餓を感じていた。
(代謝が早い、喰っても喰っても直ぐ剥がれ落ちる。確かな成長を感じるが、空腹が治まらない。)
海面に浮かぶ鮫を平らげる。自身の体組織が変化するのを感じつつ、次の個体に取り掛かる。以前より小さな体は流線型で水の抵抗を受けにくかった。
(このままこいつ等の様に海で暮らすのも悪くない。以前の体では想像もしないだろう。)
体を動かしながら取り込んだ細胞を馴染ませる。魔導神経が魔素を取り込み活性化した。
それから一週間ほど近海で狩を続ける。旺盛な食欲を満たすほど、近海の水産資源は豊富だった。
その夜、人肉が恋しくなった海の怪物は再びアルノートに上陸した。多くの海産物を荒らし回った漁師の敵は、何時かの様に物陰に隠れる。
(匂う。人間が近くに居る。)
風をあたりに来た酔っ払いが、蠢く闇に引きずり込まれた。
(腐った臭いが酷い。これは使えそうだ。)
人体を貪りながら地面に酒を注ぐ。気化した成分が体表の血の臭いを隠した。獲物を狩り続け身体が元の大きさに戻っている、丸みを帯びた体格に以前の面影は無かった。
(以前より大胆に行動するか。すぐに此処も火の海に成るのだからな。)
我慢できず口から火花が散る。大気を焦がし独特な臭いがした。
海軍要塞の消失騒ぎで一時物流に混乱が見られた。やれ戦争だ、蛮族だと何処も逃げ出す人々で溢れかえる。混乱を鎮めたのは商業組合長の名で発信された爆発事故の詳細情報だった。結果的に事故で済まされ騒動は終息する。後に残ったのは爆心地と残骸処理だった。
何時もどうりの平穏を取り戻したアルノートで不穏な影が暗躍している。市街地の裏通りを駆け抜け見つけた獲物を片っ端から捕食していた。時折響く悲鳴は喧騒に掻き消され、物音は裏通り特有の喧嘩だと認識される。
(計算どおりだ。風もいい此処から始めよう。)
鉄骨で出来た頑丈な鉄塔から眼下の市街地を見る。合成油や魔光の光で眩しい一画を意識し、風上から周囲を熱線でなぎ払う。
瞬く間に燃盛る建物、大半が木造建築で火の通りが早い。鉄塔から降りると、すぐさま別の場所を燃やし始めた。
「逃げろ、逃げ惑え。」
人外の声は悲鳴と放射熱の層に掻き消される。軟な屋根を壊しながら逃げ遅れた獲物へ狙いを定めた。
「魔獣だ、こっちに来るな。」
絶叫し捕食される男を見て腰が抜ける幼い兄弟。炎に照らされた黒い魔物は嘲笑った。
「叫べ喚け、より美味しくなれ。」
両手で二人を捕まえ、大きい方を丸呑みにした。体内から短く悲鳴が漏れると残った弟は体を強張らせた。
「緊張しては駄目だ。旨みを逃してしまう。」
頭上へ投げられ焼かれる町並みが見える。迫る脅威に目を閉じ恐怖に喰われた。
「化け物が来たぞ。逃げろぉ。」
荷下ろしも兼ねる船着場へ人の波が打ち寄せる。狩人は炎で獲物を包囲し、大半の人間を波止場に集める事に成功した。
海へ飛び降り湾内から脱出しようとする者を大小の戦闘艦が支援する。街中の怪物目掛け艦載砲が火を噴いた。
「目標が障壁を展開しました。効力射無し。」
双眼鏡から戦場を観察する年老いた提督。眉間の皺が寄り苦渋の決断をする。
「動ける船を全て湾外へ退避させろ。動けない船は砲撃処分し、収束魔導砲の射線を確保するんだ。」
彼は沿岸で抵抗を続けている配下の精鋭陸戦隊を民間人もろとも見捨てることにした。
「閣下。まだやつは船着場に到達していません。まだ救助活動を続けるべきです。」
配下の一人が反論する。非常な判断に納得出来なかった。
「やつの指向性の魔導攻撃を見たか、あれは我々の対艦兵器と何等遜色ない威力だ。やつが湾内に居る我々に向け障害物越しにあれを撃ったら半殺しに遭う。今は少しでも距離を開けておきたい、なんせ数は此方の方が多いからな。」
燃盛る物資集積場で自警団と海軍陸戦隊を相手に圧倒する黒い悪魔。遠目からでも散って逝く仲間を傍観する事しか出来なかった。
時折重なる軌道を読み、飛来する対艦榴弾を避ける。無事な建物をことごとく破壊する艦砲射撃に動じる事無く獲物を追う。
「やはり気付くか。残念だが波止場は諦めるとしよう。」
足を負傷し取り残された魔導士を爪で串刺しにする。力を使い果たし弛緩した肉は不味かった。
抵抗部隊を血祭りに上げた悪魔は、逃げ遅れた残り物を探している。当初は波止場で暴食する予定だったが、予想以上の艦隊の動きに考えを改めた。
(実験を兼ねて様々な能力を試したのが裏目に出たな。向こうの魔導砲は脅威だ。距離も離され対処できない。流石に戦闘艦に取り付く無茶は出来ない。)
本来の今頃は海中で捕食生物の真似事をしている筈だった。己の招いた結果に不満を漏らし、打つ手を考える。
(潮時だな、内陸部へ向かおう。)
燃盛る炎を潜り炭化した残骸を踏み締める。市街地は完全に赤く埋め尽くされ一種の溶鉱炉と化していた。頑丈な外皮に熱を感じる。自ら炎を纏い煉獄を走った。
港湾都市アルノートはその日の夜に炎に没した。日を跨ぎ燃盛る街並みは数日燃え続けた。
季節は冬に移る。アルガド地方は高緯度帯に属し四季の移り変わりが顕著に現れる。東方征伐が成功していれば今頃冬篭りの準備も終わっている筈だが、エグザムの遊撃戦術により多くの営みが停滞していた。
魔導生物の増産と性能維持に成功した魔王軍は、再編し増強した一般地上軍と共に商業都市アルガドへ進撃を開始。国境に展開した一万の守備隊を粉砕し諸侯勢力内へ進出した。通達されていた期日が迫り、広域に分散しているエグザムが一斉にアルガドを目指し移動を始めた。
星暦572年初冬、アルガド攻略戦が迫る。
商業都市アルガドの南にある小都市の廃墟で黒の巨人は部下と合流した。整列する異形の群を前に功績を労う。
「正直に言おう遅れてすまない。これほど多くの同胞が捕食者としてこの地に集い大変嬉しく思う。諸君が忠実に命令を達成しえた事に感謝する。」
一時的な解散命令を出したとき集結地点をこの元都市に設定していた。目の前の部下にかつての面影は無い。皆変態を経て次の段階に進んでいた。
「既に人間共から聞いたかもしれないが、我ら魔王軍の動向が活発になっている。アルガダ攻略に動き始めている可能性がある。」
予想より早く人類側は行動を開始していた。黒いエグザムは北上する最中に幾つもの放棄された集落や都市跡を発見した。避難している一団を発見し襲撃をかけた時に、アルガドか西の交易都市への退避勧告が出ている事を知った。
「人間共は生存圏を即座に見放したりはしない。発生する難民や混乱を考えてもアルガドを死守する筈だ。西部に展開した同胞達がどうなっているか知らんが、これから遭遇戦が発生する可能性がある。今の内に敵を疲弊させたい。」
いつの間にか始まっていた演説が終わる。待ちくたびれた配下へ北進の号令を出した。向かう北の戦場を意識し行軍が始まる。
方々からアルガドへ接近する敵を向かい打つため、東西南北に前身拠点が一日の距離に設置された。行軍速度で劣る連合軍は最低限の偵察を出しアルガド近郊に一大防衛線を敷いた。中央政府からの命で付近の冒険者や自警団を強制徴発し、更に多くの現地住民を土木作業に従事させた。都市の生産能力を無視した収容数に対し、西と近隣の都市から動かせる全ての物資を注ぎ込んだ。総兵力は八万人を超え、非戦闘員の軍事訓練が行われる。彼らの目的は中央からの増援が来るまで都市を守りきる事だった。
アルガダ攻略戦は次回に持ち越します。なので次話の文字数が少なくなるかも知れません。