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幕間その二 身代金要求

 美鈴が暴行を受けている映像に恵理依が気付いたその日のうちに、警察は野伊木家へと押しかけてきた。彼らは、電話の盗聴をする機械や逆探知のための機械などを応接室に大量に持ち込んだ。しばらくは居座るつもりのようだった。

 学校に行くことも許されず、実質軟禁状態の恵理依にとって、彼らのしていること、得ているであろう情報は垂涎の的だった。時々応接室を覗いては進展がないか訊ねる恵理依に、初めは丁寧に答えていた刑事たちも、そのうちぞんざいに応じるようになっていった。

 それなら、と恵理依は応接室に盗聴器を仕掛けた。もちろん、彼らが使っているものとは周波数がぶつからないように慎重を期す。よもや自分たちが中学生に盗聴されているとは、夢にも思わないだろう、という恵理依の期待は、全く大当たりといってよかった。警察の得た情報は、間接的ながらも全て恵理依の元へと集まってくるようになった。

 その日の夜までに恵理依が掴んだのは、何ともじれったい状況だった。

 動画のアップロードを行った者は合計で十三人いることが判明。警察は彼らに事情聴取を行い、慎重に身元を捜査したが、互いの関係は全く見つからない。彼らの供述は皆一様に同じで、どこで動画の入ったディスクを入手したかわからないという。彼らの供述に共通するのはただ一点、昨日、首都圏にある、特定の大規模電器量販店で買い物をした帰りであり、ディスクはその袋の中に入っていた、ということ。

 なぜこのような非常識な動画をアップロードしたのか、という問いに対しても、みなほぼ同様の答えを返した。ディスクに一枚の紙が入っており、『現在、宗教団体『みすず』ではこんな酷い行為が修行の一環として行われています。これを見た方は、動画共有サイトにアップして、できるだけ多くの人に知らせて下さい。』という文言が綴られていたためであった。

 一日でここまで掴んだだけでも、警察はよくやっている方だと言えよう。だが、それでも恵理依にとっては、心配のあまり息苦しさに喘ぐ時間が続いた。

 その日の夜、玲子と二人だけの夕飯を終え、何気なくネットを回っていて、とある掲示板での短い書き込みに目を奪われた。

『例の誘拐事件の映像、最後に一瞬だけ文章が入ってる』

 見ている数分の間にも、次々に書き込みが増えていく。それらは、一様に内容を肯定するものばかりだった。その中の一つが、その文章も一緒に書き込んでいた。それは、次のようなものだった。

 野伊木グループ会長野伊木浩一に告ぐ。娘の命が惜しければ、身代金として一億円を用意しておけ。

 まさか、と思いながらも、恵理依はいまなお複製を繰り返して出回っているその映像を再生する。目を背けてスライダを最後まで持っていってみるが、気付かなかった。おかしい、嘘だったのかと再び再生してみて、ほんの一瞬だけ文字のようなものが画面に現れたのがわかった。フレームを送って、どうにか例の文章を画面に出す。それは、ほんの二フレーム、時間にして六十ミリ秒ほどの間だけ表示されるようになっていた。

 何て狡猾な、と恵理依はため息をついた。

 てっきり身代金を要求する電話でもかかってきて、警察がそれを逆探知して、犯人の居所か、せめてその手がかりが判明するのだと考えていた。だが、犯人は、すでに昨日のうちに、映像の中に潜ませる形で身代金を要求していた。手がかりとすべきものは、動画入りのディスクを入れた人間だけであり、警察の地道な捜査に期待するしかなかった。

 とはいえ、身代金を要求するその文章は、恵理依にほんのわずかな安堵をもたらした。少なくとも、犯人は美鈴を身代金を取るための人質として考えている。これならば、美鈴がこれ以上酷い目に遭うこともないだろう。すでに酷すぎる扱いを受けているとはいえ、これ以上はないと信じたい。

 警察にこの文章について告げるべきか迷ったが、間もなく応接室にいる刑事たちに同様の内容を告げる電話が掛かってきた。刑事たちは、パソコンを開いて確認し、してやられたな、などと口々に悔しげな言葉を交わし合っているようだった。本当にこいつらに任せて大丈夫なのか、心配になってくるが、今は自分にはどうしようもないのだと自分自身に言い聞かせた。

 翌日になっても、状況は好転しなかった。警察は、ディスクの入れられていた電器量販店の店員を徹底的に調べ上げた。その数は、優に百人を越えており、全員を聴取するだけでも一日がかりであった。その結果、そもそも誰もそうしたディスクを見たことさえないということだけがわかった。

 警察はこう結論した。犯人は、その店の袋を持って人混みを歩いている人に、無差別にディスクをこっそり投げ入れたのであろう、と。言い換えれば、その線から犯人を突き止めることは不可能になったということであり、丸二日経っても、犯人の素性は見当さえつけられない状態だった。

 恵理依の苛々は次第に高まっていた。早く犯人を突き止めて美鈴を助けてください、と直に刑事たちに言ってやろうかとも思った。だが、焦ったような、余裕のない表情で連絡を取り合う彼らを見ていると、彼らが手を抜いているわけではないことは明らかだった。

 その日の夕方、恵理依は家の人間には内緒で家を抜け出し、二日ぶりにテニスコートに立った。どうしたのか、と訊いてくる者たちもいたけれど、適当に笑って、今日はどうしてもテニスをしたくなって、といってひたすらテニスに集中した。その、ほんの二時間ほどの運動は、ささくれ立った恵理依の気分をどうにか少しだけ、穏やかなものにしてくれたのだった。

 テニスからの帰り、薄暗くなってくる時間に家に着いた恵理依は、何気なくポストを開いてぎょっとした。中にあった封筒がどこか茶色く薄汚れていたから、ということもあったけれど、宛名書きが美鈴の字で書かれていた、ということが何より恵理依を動揺させた。

 慌ててポストから出して家に飛び込む。リビングに走り込んで、封筒の表や裏をじっくり見つめていると、一人の刑事が近づいてきた。

「咲州さん、その封筒は?」

「今、ポストで見つけまして」

「見せて頂いてよろしいですか?」

 丁寧ながらも、有無を言わせない口調だった。かちんときた。何もできないくせに、何様のつもり?

「これ、旦那様宛ですので、わたくしの一存では決めかねます。旦那様にお尋ね下さいませ」

 そう言って軽く会釈してからその場を立ち去ろうとすると、ぐいと肩を掴まれた。

「君、それが何かわかって言ってるのかい?」

 恵理依は振り向いて、何の感情も込めずに掲示の顔をじっと見つめた。刑事が気圧されたように顔を逸らせた瞬間、恵理依は淡々と告げた。

「中身が何であろうと、あなた方に盗み見る権利は認められていないと存じますが?」

 口をつぐんでしまった刑事を冷たく一瞥してから、恵理依はその場を立ち去り、二階へと駆け上がった。浩一の書斎へと走り込み、鍵をかけてから机の上にあるペーパーナイフをとった。おそらく、浩一は今日も深夜まで帰ってこないことだろう。美鈴が誘拐されてから、浩一はほぼ会社詰めになっていた。恵理依の見たところでは、別に仕事が忙しくなったためではなく、仕事をしていないと落ち着かないためだ。

 封筒の端をそっとナイフで切る。中には、紙が一枚と、何かの鍵だけが入っていた。それにしても、この封筒や中の紙に付いている茶色いものは、いったい何だろう。どこかで泥の中にでも落としたのだろうか。

 高鳴る鼓動を抑えるように深呼吸してから、恵理依はぱっと紙を開いた。そして、絶句した。

『たすけて。ころされる。こぎっていちおく、もってきて。くろさきえき、こいんろっかー、さんじゅうにばんのはこのなかにいれて。けいさつには、いわないで』

 美鈴の字だった。まるで字を習ったばかりの子供が書いたような乱れた字、けれども間違いなく美鈴の書き癖を宿した字。それは、ちょうど美鈴がままならない手で震えながら書いたかのような――そこまで考えたところで、あることに気付いた恵理依は心の底まで凍りついた。

 封筒の汚れ。そして、中の白い紙の汚れ。茶色いしみ。泥のようにも見えるそれ。所々、指紋のように見える模様を作る、茶色い液体。

 血、だ。

 誰のものか、考えるまでもなかった。ただの紙きれに過ぎないそれが、急速に生々しい重みを持ち始める。指から力が抜け、ひらり、ひらりと紙が宙を舞う。

 たすけて。たすけて。たすけて。たすけて。

 美鈴の悲痛な叫びが聞こえるような気がした。その声は、恵理依を責めているようにも聞こえたし、恵理依のことなど少しも考えていないようにも感じられた。

 何でもっと素直になれなかったのだろう。機会はいくらでもあったはずなのに。

 浩一の書斎で立ち尽くす恵理依の心を占めるのは、ただその思いばかりだった。


 翌日、浩一は封筒だけを警察に渡し、捜査を要求した。手紙の投函された場所は、ここから百キロ以上離れた街であることが明らかとなった。警察はその周辺での捜査を開始したが、めぼしい目撃情報を得ることはできなかった。


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