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七 反撃開始

 今後も美鈴さんの発見に全力を尽くします、といって警察は引き上げていった。

 彼らが美鈴の救出から、美鈴の遺体の発見へと捜査の方向をシフトさせたのは明らかだった。あんなものを聞かされれば当然の反応かもしれないが、恵理依にとっては腹立たしい態度だった。最初は、必ずお嬢さんを救出してみせます、と意気込んでいたくせに。

 あの音声ファイルを聞くなり、浩一は廃人のように呆然としてしまい、すぐさま書斎に引きこもった。玲子はといえば、一見するとこれまでと何の変化もないように見えた。だが、玲子は笑わなくなり、代わりに何かを見つめてぼうっとしていることが多くなった。何を見ているのかと恵理依が視線をたどると、それは美鈴が好んで来ていた服であったり、靴であったり、あるいは髪留めであったりした。二人とも、計り知れないダメージを負っていた。家の中で一番変わらずにいるのは林崎だったが、その林崎でさえ、時折お茶をこぼしたり、食器を割ったりするようになった。

 とはいえ、それらは恵理依が直接見たものではなかった。そんな余裕は全くなく、全ては林崎から、夢うつつに聞いた話ばかりだった。恵理依は、一日のほとんどの時間を自室のベッドの上で過ごしていた。

 人に魂というものがあるなら、恵理依はその大部分を失ってしまったような、そんな有様だった。何をする気も起きなかった。食事でさえ億劫だったし、風呂に入るなどもってのほかだった。林崎が持ってきてくれる食事を、ほんの何分の一かだけ口にし、そんな少量でさえ吐きそうになった。林崎が持ってきてくれる濡れタオルで、どうにか身体を拭くのが精一杯だった。

 もう死にたいと思う日もあった。けれど、美鈴のあの苦しげな声を思い出すと恐怖で身体がすくみ、自分は死ぬことさえできないのだと絶望した。

 涙が溢れて仕方ない日もあった。美鈴がかわいそうで仕方なかった。自分の彼女への接し方が悔やまれてならなかった。

 あまりはっきりとしない時間感覚の中、何日かが過ぎた。そんなある日の昼下がり、茫洋とした思考の中で、携帯電話が鳴る音を聞いた。

 電話が鳴っている、と思いながらも、手を動かすことさえ億劫で、机の上できらびやかな光を放つそれを、ぼんやりと見つめていた。電話はしつこかった。いったい何分経っただろう。何十分経っただろう。電話は鳴り続けていた。

 あまりの耳障りさに、ついに恵理依はベッドから身体を動かして、机の上の携帯電話を手に取った。電源を切ってしまおうとも思ったが、ほんのわずかな好奇心が、いったいどこの誰がこれほどしつこく電話をかけてくるのかと、知りたがっていた。通話ボタンを押す。

「もしもし……」

「もしもし、私、神崎香奈と申します。突然のお電話、失礼いたします」

「は、はぁ……」

 神崎香奈? 全く聞き覚えのない名前だった。声からするとかなり若い、おそらくは中学生か高校生くらいのようだったが、学校関係の知り合いの中にそんな名前は聞き覚えがない。

「実は、咲州恵理依さんから頼まれていることがありまして」

「咲州恵理依は私ですが……」

 自分は何か頼んだだろうか、と記憶を振り返るが、そもそも知りもしない人間に何か頼んだことがあるはずなどない。

「……嘘、ですね? あなたは、咲州恵理依ではないはずです」

 その声は、あまりにも確信に満ちていた。それが自然の理だと言わんばかりの、何の迷いもない口調だ。はっとなる。この人は、もしかして知っているのか。もしかして、誘拐犯の仲間か、と疑問が頭をもたげた。

「私は咲州恵理依です。あなたが何を言いたいのか、全くわかりません」

「嘘ね。だって、私、本当のエリィに、一週間前に会ったもの。あなたこそ、何で咲州恵理依を騙っているの?」

 そのどんな言葉より、「エリィ」という言い方に、「恵理依」とはほんの少しだけ違う発音に、恵理依は雷に打たれたような衝撃を受けた。

 本当のエリィ――それは、今の美鈴だ。もう死んでしまった美鈴の、かつての呼び名だ。

 美鈴が、一週間前に誰かを訪ねていた? そして、何かを頼んでいた? 

 俄に興味が湧いた。

「何を頼まれたの?」

「一週間後に、エリィからのボイスメッセージが届いているはずだから、それを聞かせてもらってほしい。そして、その上でエリィがやろうとしていることを、止めてみせてって」

 衝撃のあまり、しばらく言葉が出なかった。美鈴は、一週間前にすでに自分が殺されることを知っていた? いや、それはおかしい。そもそも、殺されると知っていて、やろうとしていることを止めてみせてなどと頼むはずがない。

 何かがおかしい。

 全身に氷水を浴びせられたように、頭がすっきりと覚醒していた。電話を固く握りしめる。

「神崎香奈さん、だったわね。もう一度最初から詳しく聞かせて欲しいんだけど」

 恵理依は、それから、エリィが香奈の元を訪れたというそのときの様子を詳しく聞き、確信した。美鈴はたしかに一週間前、それも彼女が誘拐された翌日に、香奈の元を訪れている。それも、ジーンズとジャケットという男物の服装でだ。そして、その時点ですでに、あのボイスメッセージが恵理依の手元に送られることを知っていた。

 これはどういうこと? 

 不意に黙りこくった恵理依に、香奈が恐る恐る声を掛けてくる。

「あの、それで、メッセージ、聞かせてもらえますか?」

「……それは構わないといえば構わないんだけど、少し、待ってもらえる? 私、今、混乱してて。少し考えをまとめてから、直接あなたと会うのがいいと思うの」

「あ、はい、それはありがたいですけど……」

 香奈は訝しげにしながらも、ある病院の名前と病室番号を告げた。この辺りで最も大きな、総合病院だった。

「入院してるの?」

「ええ」

「みす――エリィは、あなたの病院に直接来たのね?」

「そうよ。何でも兄の知り合いだとかで」

「……そう」

 どういうことか、全くわからなかったが、一つだけ確かなのは、恵理依には事態の一側面しか見えていなかったということだ。

「じゃ、後でいくから。たぶん今日中にいけると思うけど、もしかしたら明日になるかも」

「ええ、待ってるわ」

 香奈の電話が切れるのを待ってから、恵理依はこれまでの状況と、香奈から聞いた話とを付き合わせていた。恵理依や浩一に見えていたのは、身代わりに誘拐された挙げ句殺されてしまった憐れな少女の姿だった。だが、香奈の話は、全く別の姿を示唆している。誘拐され、監禁されているはずなのに、病院まで見舞いに来ていること。一週間前に、すでにあのメッセージが恵理依の手元にあることを知っていたこと。そして、何より、その時点で何かをやろうとしていると表明していたこと。それを止めるように、入院している少女に頼んでいること。

 まるで少しもかみ合わない歯車のように、著しい齟齬がある。だが、香奈の語った特徴的な容姿からして、病院を訪れたのは美鈴本人であることは間違いない。

 一から見直してみるべきだ、と直感した。最初のきっかけになった、美鈴が暴行を受けている映像をパソコン上で再生する。

 あまりにも痛々しい姿だ。

 だが、じっくりと何度も見ているうちに、この時点ですでに何かがおかしい、と気付いた。何かがおかしい。違和感がある。

 ロープで椅子に固く縛り付けられている。アイマスクを付けられているので表情はわからない。顔にも腕にもすでに暴行を受けたような痕がついている。服装は、失踪したときのまま、学校の制服だ。ブラウスにもスカートにもしわや汚れがついている。靴や靴下も、恵理依が覚えている限り、失踪したときのままだ。そして、額の上、左側には、美鈴のお気に入りの髪留め。

 髪留め? 疑問が浮かぶ。

 それは、美鈴の二番目のお気に入りの、エーデルワイスをあしらったものだ。六片の純白の花弁に、中央には黄色い花粉の模様が入っている。

 だが、美鈴は滅多にそれを身につけない。なぜなら、一番のお気に入りは、桜をあしらったピンク色の髪留めだからだ。一週間前のあの日、喧嘩別れしたあのときまで、美鈴はたしかにそれをつけていた。

 だが、誘拐された翌日に撮られた映像には、別の髪留めを付けて映っている。

 どういうこと?

 美鈴は誘拐されて、監禁されて、そして暴行を受けていたのではないのか?

 美鈴は一番目のお気に入りから二番目のお気に入りに付け替えた?

 そう、彼女は、自分の意思で髪留めを付け替えたはずだ。誘拐犯がそんなことを考えるわけがない。だが、それでは、いったい彼女はいつ付け替えた? よもや恵理依と別れた後、ピアノのレッスン中に髪留めをいじっていたとも思えない。誘拐されてから、が一番疑わしい。

 そもそも、これは誘拐だったのか?

 あの映像が撮られたのはいつだろう。もし、香奈の元を訪れる前であるとすれば、あの凄まじい暴行は美鈴の身体には何のダメージもなかったということになる。だが、さすがにそれは考えにくい。最もあり得るのは、香奈の元を去ってから、映像が頒布されるまでのほんの数時間だ。その間に、美鈴はわざわざジーンズとジャケットという姿から汚れた制服へと着替えたことになる。これは、いくらなんでも不自然だ。

 恵理依に見えている側面だけを並べるとこうなる。美鈴が帰ってこなかった。美鈴の携帯電話が家の近くに落ちていた。美鈴が暴行を受けている映像が頒布された。身代金の要求がなされた。そして、美鈴の遺言と共に絞殺されていると思しき音の入ったファイルが送られてきた。

 だが、これまで恵理依に隠されていた側面を並べればこうなる。美鈴は失踪後、どういうわけか一番前のお気に入りの髪留めをなくし、二番目のお気に入りをつけた。自分で髪留めをつけるだけの自由と余裕があった。ジーンズとジャケットという装いに着替えた上で、初めて会う少女のお見舞いに来た。その時点で、一週間後にボイスメッセージが送られることを知っており、何かをやろうとしていた。それから間もなく、再び制服に着替えた上で暴行される映像に映った。

 次第に出来事の全体像が浮かび上がっていき、そして夜が明けて朝日が差したかのように、突然全ての仕掛けがわかってしまった。

 呆気にとられた。まさかそんな、と思う。だが、それで全て説明がつく。

 おかしさがこみ上げてきた。初めは小さな衝動でしかなかったそれは、次第に膨れあがっていき、ついに恵理依は腹を抱えて大笑いしていた。いくら笑っても笑っても笑い足りない。ベッドに飛び込んで、転げ回って、ひたすら笑った。

 おかしくて、うれしくて、たのしくて。

 エリィが帰ってきた。あの性悪で、悪魔のようなエリィが、あの頃とは比べものにならないくらいに凶悪になって、帰ってきたのだ。

 それは、二年前、エリィと再会してから恵理依がずっと首を長くして待ち望んでいた瞬間だった。まさかこんな形で、と思う一方、こんな形こそが彼女にふさわしいとも思う。

 ひとしきり笑ってから、念のための確認に、と浩一に電話する。

「もしもし、父さん?」

「ああ、恵理依か。もう大丈夫なのか?」

「うん。あのね、ちょっと確かめてくれない? ロッカーに入れてあった身代金と、車のトランクに入れておいた身代金がどうなってるか」

「ん? ああ、そういえばそうだったな」

 浩一は今の今まですっかり忘れていたようだった。

 一時間ほどして、浩一から電話がかかってきた。かなり慌てているようだった。

「もしもし、恵理依か? ないんだ、どっちも。俺、たしかにトランクに入れたよな? それに、お前もたしかにロッカーに入れたよな? いったい誰が」

 やはり、と思いながら、恵理依は何も答えずに電話を切った。言えるわけがない。

 いったい誰が盗んだのか。

 決まっている。もちろん、美鈴だ。

 全ては最初から完璧に計画されていた。警察や恵理依たちの目を完全に欺いて、身代金を盗み取るための、あまりにも用意周到な計画だ。身代金を預けさせる。警察が見張っている間は何もしない。そして、人質が死んだ可能性が高い、となって警察も誰もかもの目が逸れた瞬間に、素早く身代金を奪い去る。

 おそらくは、最初の小切手も全く同じようにして美鈴が盗み去ったのだろう。彼女は、身代わりとして誘拐され、ついには殺された憐れな少女という立場を装いながら、さらりと三億円を野伊木家から盗み取ってみせたのだ。

 その悪魔性こそ、まさにかつてエリィと呼ばれていた頃の美鈴が持っていたものだ。あの当時は自らの生死まで利用するような、あくどさはなかった。そもそもが、子供のいたずらだった。だが、六年経て大人になりつつある今、彼女は世間も警察も家族も何もかも騙して、大金を盗んでみせるようになった。

 恵理依にとっても今なおわからないのは、きっかけだ。少なくとも一週間前まで、そんなことをしそうな予兆は全く感じ取れなかった。単に彼女の持つあざとさによって隠し通していたのか、あるいは本当に一週間前のあの日に起こった、何かの出来事によるのか。

 もう一つわからないのは、美鈴が香奈に語ったという、「これからやろうとしていることを止めてみせて」という言葉の意味だ。彼女の計画を考えれば、香奈がメッセージを聞いた時点で身代金をせしめるという大きな目標はすでに達成されていることになる。つまり、まさにこれから、さらに何かをしようとしている、と考えなければならない。

 とりあえず、香奈の元に行ってみよう、と立ち上がったとき、ふと机の上の携帯電話に着信があることに気付いた。メールだ。

 携帯電話を開いて、恵理依は一瞬凍りつき、そしてまた笑ってしまった。そこには、こんな文字が並んでいた。

「私、美鈴よ。お願い、助けに来て。私の死体と一億円を交換してくれるって誘拐犯が言ってる。ただし、恵理依が必ず一人で来て。時間と場所は、明日夜九時、高野西小学校跡よ」

 なるほど、と恵理依は深く納得した。やろうとしていることというのは、つまり、さらに一億円を奪うということだ。三億円は確保した上で、追加の一億円の獲得ゲームを香奈との間で繰り広げようとしている。

 それにしても、実に狂った内容のメールだ。助けに来てと言っておきながら、私の死体と一億円を交換とは、いったい何を意図しているのか、さっぱりわからない。こんなおかしなメールにさえ応じて、お金を持っていってしまうほど恵理依は馬鹿だと思われているのだろうか。そして、そんな頭の悪い恵理依を香奈が引き留められれば香奈の勝ち、ということなのだろうか。

 馬鹿にされたものだ。

 今までは、美鈴が自分をどう見ているかなど些事だと思っていた。何より、彼女に恵理依はミリィなのだと気付いてほしかったし、昔のようにまた一緒に楽しい時間を過ごしたかった。けれども、今、むしろそれこそどうでもいいと感じている自分がいる。大事なのは、昔のことではなく、今のことだ。美鈴と恵理依の間の、本当の関係だ。

 美鈴は恵理依の妹であり、大事な家族だ。美鈴を大事に思う者たちをここまで虚仮にし、心配させ、絶望させ、苦しめた報いはきちんと受けてもらわれなければなるまい。

 誰を敵に回したか、教えてあげよう。今まではお互い言いたいことも言わずに過ごしてきた。きっとそれは間違いだった。

 立ち上がって、服を着替え始めた。今のところ、どんな手が使えるか、まだわからない。ただ、恵理依の中で燃えるように熱い想いがたぎっている。


 清潔に磨き抜かれた床を、そっと歩いていく。時折すれ違う看護師たちは、恵理依には一切目を向けずに、忙しそうに通り過ぎていく。

 教えてもらった部屋の前に立ち、そっと中を覗き込んだ。が、そこは六人部屋で、入り口から見えているのは、お年寄りばかりだった。なぜだか足を忍ばせるようにして部屋に滑り込み、ベッドを確認しながら一歩ずつ奥へと進んでいく。

 神崎香奈は、病室の一番奥、窓辺のベッドで、上半身を起こして手元の本に目を落としていた。

 はっとするほどきれいな少女だ。ほんの数瞬とはいえ、何かも忘れて魅入ってしまった。

 香奈がふっと顔を上げ、視線が交錯した。咲州恵理依です、と名乗る前に、香奈が目を丸くして口を開いた。

「あなた、ミリィね? たしか、本名は、何とかミスズ、じゃなかったっけ?」

 今度こそ、恵理依は呆気にとられて言葉を忘れた。驚いたような顔をしている香奈の前で、恵理依はしばらくそのきれいな顔に、黒曜石のような瞳をじっと見つめていた。

「あの、違った? 違ってたらごめんなさい」

 香奈が不安げに発した言葉で、恵理依ははっとなった。何をぼうっとしている、と自分を叱咤する。

「違ってないわ。ちょっと驚いただけ。何でわかったの?」

「それはもちろん、外見ね……」

 外見、と言われて、恵理依は自分の顔や髪をぺたぺた触ってみたり、自分の服装を見下ろしたりしていた。エリィが去ってからは自然と普通の女の子のようになっていったし、したがってミリィと呼ばれていたのはもう六年も前の話だ。あれから、自分の外見はあまり変わっていないのか、と落胆して視線を落とした瞬間、けたたましい笑い声が上がった。

 ぎょっとして目を上げると、香奈が腹を抱えて大笑いしていた。一生分の可笑しさが押し寄せてきた、とばかりの笑いようだ。大人びた少女だが、そうしていると小さな子供のようにさえ見えた。

「……何でそんな大笑いするわけ?」

 恵理依の不満一杯の問いかけにも、香奈は笑いのあまり応じることができずに、ただひたすら笑い続けていた。

 香奈が笑い転げ、腹を抱えて苦しむ姿を見ること五分ばかり、いったい何なの、とついに不満が爆発しそうになるその寸前に、ようやく香奈は言葉を発した。

「ごめん、なさい……ほんとに、私、おかしくておかしくて」

「だから、何がって訊いてるの」

 恵理依が改めて問いかけると、香奈は突然笑いをすっと消し去って、鋭い眼差しを向けてきた。まるで、恵理依の中にある全ての思いを見極めようとするかのように。

 言葉に詰まった恵理依に、香奈が少しだけ唇の端を上げる。うっすらとした笑いがまるでどこかの魔女のようだ、と感じた恵理依を、衝撃が襲った。

「ね、あなたたち、実は血が繋がってるんじゃない?」

 違うともそうだとも言えずに、凍りついていた。香奈が楽しそうに笑う。

「当たり、ね」

「……なんで、そう思うの?」

「だって、あなたたち似てるもの。雰囲気というか、何というか」

「私、あの子には全然似てないっていつも思ってるんだけど」

「まあ確かにぱっと見は正反対だけど、反応がね……まあともかく、ミリィとエリィは実は姉妹だった、ってことね」

 それから、香奈は一週間前の出来事をつぶさに語ってくれた。

 エリィの訪問は、香奈にとって本当に楽しい出来事だったようだ。彼女は、会話の一字一句に至るまで精密に記憶していた。

 話し終わって、香奈は物欲しげに恵理依の目を見た。すぐに気付いた。ボイスメッセージを聞かせてほしい、と要求している。だが、この大人びているようであどけない少女に、あんなショッキングなものを聞かせてよいのか、恵理依には判断がつかなかった。

 逡巡していると、香奈がついに口にした。

「ね、聞かせてくれるんでしょ? 持ってきてくれたのよね?」

 そのきらきらした目の輝きに、恵理依は負けた。後から説明すればいいことだ。手にしたバッグの中からノートパソコンを取りだして、香奈の前に開く。

「聞かせてあげるけど、その前にまず、見てもらわないといけないものがあるの」

「見る? どういうこと?」

 訝しげにする香奈に、恵理依はまず、最初の脅迫映像を再生してみせた。

 アイマスクで目が隠されていても、それが美鈴であると香奈にはすぐにわかったようだった。美鈴の容姿を考えれば、当然のことだろう。無音のまま繰り広げられる激しい暴行の様子に、香奈は色を失い、布団をぎゅっと握りしめていた。映像が終わっても、香奈はしばらく画面を凝視したままだったが、やがて今にも泣き出しそうな顔で恵理依を見た。

「なに、これ、どういうこと……?」

「あの子は、身代金目的で誘拐された。この映像がしばらくして公開された」

「そん、な……」

「そして、あなたが聞きたがっていたメッセージは、これよ」

 恵理依は間髪を入れずに、音声ファイルを再生した。

 真摯な眼差しで画面上のソフトを見つめて、耳を澄ませていた香奈だったが、やがて布団を握る手が震え始めた。あの喉を絞められるような音の辺りに差し掛かり、香奈は目をぎゅっと瞑って俯いていた。その目尻には、涙が溜まっていた。

 音声の再生が終わっても、香奈はしばらくその状態で全ての動きを停止していた。

 やがて、目を瞑ったまま、呟いた。

「エリィは、どうなったの? もう、その、遺体が……」

 それ以上は口にできないようだった。

 恵理依は、答えずにベッドに腰掛けた。さて、これから色々と説明しなければならない。こうしてみると、話さなければならないことの多さに辟易する。いったいどこから話したものやらと思いを巡らせ、やはり二年前の本当の誘拐の話からかな、と決める。


 一時間近くにも及ぶ話の間、香奈は黙って俯いていた。

 美鈴がまだ生きているに違いない、とわかっても、香奈は少しほっとしたような表情を見せただけだった。その顔色は、次第に悪くなっていくようにさえ見えた。

 話し終えてみて、香奈のあまりに暗い表情に、恵理依は疑問を覚えた。なぁんだ、といって笑う姿さえ想像していた。

「どうしたの? これは、あの子の心底性悪ないたずらなのよ? ほんと趣味悪いっていうかなんていうか」

「……ええ、それはわかったわ。でも、私は、あなたに謝らなければならない」

「え? 謝る?」

「何で誘拐なんてことになったか、あなたはわからない、と言ったわね。でも、私には、一つだけ、心当たりがある」

 香奈がそう言って、真っ直ぐに恵理依の目を見た。思わず黙った恵理依に、香奈は両手を揃えて深々と頭を下げた。

「ごめんなさい。たぶん、それは、私の手術のため。私が、もっと生きたい、なんてことを言ったせいだと思う」

 訳が分からずにいる恵理依に、香奈はゆっくりと自分の境遇を語った。もう数ヶ月しか生きられないであろうこと。手術のためには莫大な資金が必要になること。家族には迷惑をかけたくないこと。けれども、一週間前、突然訪れた美鈴の投げかけてきた質問には、もっと生きたいと答えてしまったこと。おそらく、美鈴の誘拐には兄やその友人たちが関わっていること。

 申し訳なさそうに俯いている香奈に、恵理依はどう言葉を掛けてよいか、わからずにいた。きっかけは香奈かもしれない。その兄や友人たちかもしれない。だが、美鈴が自由に動ける状態でいる以上、あの悪魔のように狡猾なやり口は美鈴が自ら進んで考え、遂行したものであるに違いないのだ。それは、香奈の負うべき責任ではない。

 なぜ、もっと生きたい、と願ったことを謝らなければならない?

 こんな悲しい謝罪をさせる今の状況を、恵理依は許さない。今、謝らなければならないのは、香奈ではない。

「ねぇ、香奈。私、あなたに謝ってほしくて来たわけじゃない。それはわかるでしょう?」

「……ええ、だけど、あなたやご家族の気持ちを考えたら申し訳なくて」

 心底申し訳なさそうにしている香奈に、ついに恵理依は言わずにいたとある推測を告げることにした。身内のこういう話は本当に恥ずかしい。

「私、思ってるんだけど、あの子、たぶんこのまま家に帰ってこない気よ。まあ死んだと思わせてるんだから当然といえば当然なんだけど。これがどういうことかわかる?」

「……家出?」

「そう。つまりね、何だかんだ言っても、要するにあなたの病気も何かも、うまいこと利用されてるのよ。元々あの子は、うちに嫌気が差していた。それは私や私の家族のせい。そして、本当に誘拐されたのか、あるいはそういう話を聞いたのか、これはちょうどいいと思って、うちからお金を巻き上げてそのまま逃げてしまおうと思ってるんだと思うわ。だって、いくらなんでも三億円も手術にかかるわけないじゃない? 半分くらいは美鈴が持ち逃げするつもりなのよ」

 そうは問屋が卸さない、と心の中で決意を新たにする。絶対に逃がすものか。

 香奈はしばらくぽかんとしていたが、不意にふふふっと笑い始めた。それは最初に見せたような大笑いというほどでもなく、けれども止めどなくあふれ出てくるというような、幸せそうな笑いだ。

 ころころと楽しそうに笑う香奈を見ているうちに、恵理依の中に不意に一つのアイディアが形を成していた。

 あの可憐な悪魔を懲らしめるための、とんでもなくあくどいアイディアだ。あの極めつけの性悪とて、この仕掛けの前にはへこまずにはいられまい。

「ね、香奈。私、今いいこと思いついちゃったんだけど」

「なになに?」

「私が思うにね、」

 それから、恵理依は自分の思いと、それを実現するための仕掛けについて、一つ一つ説明していった。一言ごとに香奈の目が輝いていくのがわかる。

「どう? いけると思う?」

「うん、絶対いけると思うよ、あの様子なら。私気に入った!」

「じゃ決定ね」

「ミリィもたいがいワルねぇ。あのエリィがどんな顔するか、楽しみ」

 香奈がわくわくといった表情を満面に浮かべて言う。

 恵理依は、頭の中で算段を始めた。これをやるには、結構色々なものが必要になる。その上、かなりの数の人間に手伝ってもらわなければならない。あれはここで、これはそこで、と調達の目処をつけていく。さらに、この役はあいつに、あの役はあいつに、と役の振り分けを行っていく。

 その仕掛けの完成形を思い浮かべながら、一方では美鈴のことを考えていた。どこかで三億円を手にしてほくほくと逃走の算段でもしているであろう美鈴に、そっと呼びかける。

 待っててね、美鈴。

 今、再起不能なくらい、ぎたぎたに痛めつけてあげる。

 私があなたにされたように。

 あなたには、私の想いを知ってもらわなければならない。

 それが、新しい私たちの始まりになる。


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