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1.目覚めれば悪役














「……つまりこの世界では、俺が姉で姉さんが弟ってわけ?」




豪奢な金の巻き毛を持つ見目麗しい令嬢は、そんな頭の悪い小説みたいな台詞を口にした。

つり上がった大きな瞳に柳眉、メリハリのついた体型は令嬢の物憂げな雰囲気と合わさって見るものを陶酔させる艶がある。


ここはとある王国の伯爵邸。

その伯爵令嬢であるダリア・ノヴァは現在頭を抱えんばかりに悩んでおり、逆鱗姫と噂される普段の苛烈さが嘘のように意気消沈していた。



「つまるところ、そうなるねぇ」



彼女に返事を返したのはこれまた華やかな容姿の少年だった。

重々しい空気を放つダリアとは逆に、のんびりとした仕草でティーカップの紅茶を混ぜている。

彼はダリアの腹違いの弟、ユリウスである。

まだ15歳という年齢であるのにすらりと伸びたしなやかな体躯に、どこか傷つきやすそうな影がある中性的な美少年だった。

テーブルを挟んで向かい合う少年と少女の顔はよく似ており、誰が見ても血を分けた姉弟だとわかる。

揃いのつり上がった緑の瞳は同じ問題を抱えながらも、一方は困惑し切って弱々しく、一方は好奇心に輝いていた。


「…まるで漫画みたいだ。日本の平凡な姉弟だった俺達が、突然西洋風の異世界に飛ばされて、令嬢と伯爵家嫡男になるなんて…しかも俺が姉で姉が弟…こんなアホな話があるかよ」

「ほんとねー困っちゃうよねぇー。あ、紅茶美味しい!アキラ、この紅茶美味しいよ!」

「姉ちゃん!ちょっとは真面目に考えろよ!」


元・弟(現・姉)は、呑気に紅茶を勧めてくる元・姉(現・弟)に柳眉を逆立てて一喝した。


そう、この姉弟は日本で暮らした記憶を持っているのだった。

誰がどうやってそうなったのかはわからない。

気づけば二人は西洋風異世界の令嬢と嫡男になっており、しかも姉弟が逆転していた。

姉はズボンをはいており、弟・アキラはドレスを着込んでいる。

この異常事態に気がついてすぐにトイレで色々確認した時も、アキラは死ぬかと思うほどショックだったのに、元・姉の方はといえば気にした様子もない。


「だってさー、なっちゃったもんは仕方ないじゃない?原因も治し方もわかんないんだからさ。気をもむだけ無駄だよ」

「仕方ないで済ませられるかぁ!」


伯爵邸の中庭に甲高いアキラの声が響いた。

今は少年の体になっているとはいえ、アキラの姉はやっぱりアキラの姉だった。

鷹揚で物事に頓着しない性格は日本にいた頃と全くかわりがない。

自分ばかり動揺して取り乱しているのがアホらしく感じられて、積年の恨みが口をつく。


「姉ちゃんはいつもそうだ…!父さん達が離婚する時も、俺と母さんが家を出て行く時もそんな風に平然として!一度でも真剣になったことがあるのかよ!」

「いやーだって、あの時は私も小さかったし、生きてればまた会えるかなぁって思ってたんだもん」

「考え方が大雑把すぎる!」


ダリアは髪を振り乱して絶叫した。

少し離れた場所に待機している眼鏡のメイドが一瞬肩を震わせたが、よく教育が行き届いているのだろう、静かに目を伏せて聞こえなかったふりをした。

元・姉である、弟のユリウスが宥めるようにダリアの手に手を重ねる。


「まあまあ、落ち着いてよ我が弟よ…あれ、今は我が姉だっけ?」

「どっちでもいいよもう…」

「こうなった以上、アキラは姉、私は弟の体のまま、この世界で生きていくしかないよ。わかってるんでしょう?日本の私たちの体はきっともう死んでいるって」

「……」


沈黙は無言の肯定だった。

今にも泣き出しそうな令嬢に、少年が優しく語りかける。


「むしろ私、こうなって良かったって思ってるんだ」

「今の状況のどこをみて良かったなんて…」

「良かったのよ私には。生きてるあんたにまた会えたんだから」

「……」


元・姉の言葉に、アキラは胸が詰まった。

日本で生きていた時の最後の記憶を思い返す。




所謂、押し込み強盗というやつだったんだろう。

日本の片隅の狭いアパートで、姉は働きに出て、アキラは大学受験の勉強に励みながら二人慎ましく暮らしていた。

その日、アキラが模試で第一志望の大学のA判定を貰ったので、二人はささやかな祝杯をあげる予定だった。

大喜びでケーキを買って家路を急ぐ姉は、夜道をつけてくる三人組の男に気がつかなかった。

姉がドアを開けるなり玄関に引き倒され、お土産のケーキが箱ごとつぶれる。

一人は姉を抑え、後の二人が土足で家に侵入すると、物音に気づいて奥の部屋から出てきたアキラと鉢合わせた。

玄関の惨状に、普段はおとなしい性質のアキラが激昂。

姉の上に乗る男を殴り飛ばし、姉を助け起こそうとした所で、横腹を別の男にナイフで刺された。

刺された場所が悪かったのか驚くほど血が出て、辺り一面を赤く染める。

なんとか姉を庇おうと動かした足に力が入らず血だまりの中に沈む。

アキラは自分の命が急速に抜け落ちて行くのを感じたのだった。

姉が言うとおり、あの血の量なら自分はおそらく生きてはいまい。

刺した男の驚愕した間抜け面が、アキラが最後にみた光景だった。



そして気づけばこの屋敷にいたのだ。



「あんたったら、私が逃げろって言ってるのに三人相手に向かって行くんだもんね。無茶だよ…」

「ごめん……」

「……もう終わったことだよ。それに私だってアキラが刺された事に怒って反撃して、結局そのまま、だもん」

「そっか…」


あの時アキラが窓から脱出して外に助けを求めれば、二人は死なずに済んだかもしれない。

もしかしたら押し込み強盗達も命まで取るつもりはなく、アキラが騒がなければ姉弟は今でも普通に暮らしていた可能性すらあるのだ。

普段は姉より冷静で嗜める側にまわっていたアキラが、感情を抑えられずに行動した結果、こんなことになってしまうなんて。

大学に入り資格を取ってゆくゆくは姉に恩を返すつもりだったのに、姉を巻き込んで死なせてしまった。

アキラの胸中に後悔の念が渦を巻く。

ダリアの体を持つアキラは、その美貌を苦渋にゆがめて堪えるかのように目を伏せた。




「あ、アキラ!このマフィンすっごい美味しいよ!甘さも焼き加減も超好み!」

「…ほんっとシリアスが長続きしないな姉ちゃんは」



マフィンの美味しさに一瞬で気持ちを切り替えた姉は、以前の彼女とは似ても似つかぬ少年の顔に以前と同じような間の抜けた笑顔を浮かべる。

その笑顔にアキラは肩の力が抜けるのを感じた。

少々大らか過ぎるが、アキラの姉は頼れる姉だった。

進められるままマフィンを食べて小腹が満たされると、アキラにもようやく前向きに頭を切り替えられた。


「まずは現状把握だよねー。アキラはこの世界に心当たりとかある?」

「…心あたりはまるでないけど、この体になってからなんとなく…この体の以前の持ち主?だった女の子の記憶が流れ込んでくる感じがする」

「私もー。転生したのか、憑依したのかはわからないけど、ぼんやりこの男の子の過ごした記憶が思い出してきてるみたい。この記憶を辿れば、少しはここの事、わかるかな?」


少しの間瞼を閉じて、体の持ち主の記憶を辿る二人。

やがて目を開けると2人してテーブルに肘をつき、長いため息を吐いた。


「なんかこの女の子…伯爵令嬢のダリアちゃん?って言うのかな?…すっげぇロクでもない事してきた子っぽいんだけど…?」

「ユリウス君の方もなかなかハードな人生送ってるっぽいよ…?」

「……」

「……」

「…第三者の意見も聞いてみようか」


ユリウス(の体に入ってる姉)は後ろを振り返って、壁際に控えていたメイドを呼び寄せた。

漆黒のロングスカートに控えめにフリルのついたエプロンのまさにメイドといった装いの女性が、音もなく二人のいるテーブルに近づく。

銀フレームのメガネが理知的で、いかにも仕事ができそうなメイドさんだ。

お腹の前で手を組みあわせ静かに姉弟の言いつけを待っている。


「お呼びでしょうか?」

「あ、はい、ええと、その…」

「お仕事中ごめんねー。ちょっと聞きたい事があるんだけどさ、私とこの子ってどんな人間だった?」

「姉さ…!じゃなくて、ユリウス!」

「ご質問の意図が私にはわかりかねますが…」

「ほら、私達ってさっきこの屋敷の玄関ホールに倒れてたじゃん?多分大階段から二人して落っこちたんだと思うんだけど、それから記憶が混乱してるんだよね。確認の意味でもここがどんな所で、私達がどんな立場なのか性格や人付き合いはどうだったのか聞いておきたいなぁって」


いまだ女言葉に慣れないアキラはがしどろもどろになる横で、姉はいけしゃあしゃあと間違っちゃいないが正確でもない理由をあげてメイドに尋ねはじめる。



この屋敷で目覚めた当初、アキラは自分達の安アパートではなく豪邸に倒れていることに酷く混乱した。

刺された筈の脇腹に触れば血の跡もなく、肌触りのいいドレスの感触に一層驚く。

動転するアキラに、この屋敷の従僕であろうメイドや執事が知らない名前を叫びながら引き起こそうとし、容態をあれこれ確認しようとするので反射的に飛び退いた。

飛び退いた先でこれまたフロアに倒れている少年の背中を踏んづけたら、笑袋のようにアキラー…と鳴いた。

自分の名を夢うつつで呼ぶ少年は、目を開けるとアキラの姉だと名乗り、アキラは半信半疑ながらも自分はその弟だと告げた。

一瞬で住む世界どころか性別すら変わってしまった姉弟は、とにかく自分達のアパートに帰ろうと医者を勧める従僕達に抵抗し、場は混乱を極めた。

その混乱を収めたのが目の前のメイド・リールである。

”ダリア様とユリウス様は先程、行き違いからもみ合いになり、階段から転げ落ちました。”

”お二方ともまずはお茶でも飲んで気を落ちつかせてからお医者様に診てもらいましょう。”

従僕達はメイドの鶴の一声にひとまず追い回すのをやめ、二人は伯爵邸の中庭に用意された茶席につくことになった。

そして冒頭のやり取りに至るのである。



「私の口からお嬢様方について申し上げるのは、はばかられます」


メイドは発音も美しくそう告げた。

彼女の横顔を見ながら、少年(元・姉)がからかうように口角をあげる。


「貴女だから聞いてるんだよ。さっき、玄関ホールで混乱を納めてくれたでしょう?あの場を納められるなんて、貴方はきっと有能で、周りからもそう思われているんだと思う。そんな貴女なら冷静で的確な意見を言ってくれるんじゃないかなって思うんだ」

「私は従僕の勤めを果たしたに過ぎません」

「なら、主人である私の質問にも答えられるよね?従僕の務めを果たしてよ」

「……」

「私の事について教えてくれる?」


メイドの頬がぱっと赤くなる。

ダリアは(そろそろまどろっこしくなってきたので元弟のアキラはダリア、元姉はユリウス表記で統一します)権威を盾に迫るユリウスの物言いにメイドが怒ったのかと固唾を飲んだ。


「……それでは、おそれながら申し上げます。ユリウス様はこの伯爵家のご嫡男であらせられます。お姉様のダリア様とは2歳違いの御歳15歳、勉学においても、また剣の腕においても10年に1人の才をお持ちです」

「わぁお」

「ダリア様とは腹違いのご姉弟で、10の歳までユリウス様のお母様のご実家…花街でお過ごしになられました。その為か、いささか貴族社会を嫌悪されているようにお見受けしておりました」

「そらそうなるよねぇ」

「俺めっちゃ同情する…頑張れユリウス」


ユリウスは脳内で、知っている限りの記憶と照らし合わせて間違いがないか確認していく。

10年に1人の天才かは知らないが、ユリウスに流れる記憶には貴族の世界に負けまいと日々研鑽を積む努力の跡がある。

実は貴族の生まれでした!ラッキー!なんて思う怠惰なみにくいアヒルの子であったなら、この若さでここまで高スペックにはならないだろう。

女の子みたいな顔してるのになかなか骨のある子だと元・姉は心の中で褒め称える。

感情豊かな反応を返す二人に、メイドは淡々と話を進める。


「ただ生まれついての貴族であるお嬢様とは折り合いが悪く、始終言い合いになっていらっしゃいました。…今日のお昼にお二人が階段から落ちましたのも、ユリウス様のご執心である令嬢に、ダリア様が嫌がらせをしているなどと言い出したのがきっかけでございます」

「そうそう、口喧嘩に負けてかっとなったユリウスがダリアの肩を押して、ダリアが死なば諸共とユリウスの袖を掴んで一緒に真っ逆さまーーだったよね」

「うわー!うわー!!!ダリア、令嬢とは思えねえ根性!こええええええ!!!!」


ダリアの中に入った弟は頭を抱えた。

その様子をメイドは慈しむように見つめ、ユリウスにダリアの事を説明するように求められると元の無表情に戻った。


「それじゃあダリア姉さんについても教えてくれるかな?」


少年が面白がって姉さんと呼ぶのが癪に障って、元・弟のダリアは彼を横目でにらむ。

話しを振られたメイドは、いいにくそうに顔を伏せた。

彼女のしとやかに組みあわされた手が震えている。


「ダリアお嬢様……ダリアお嬢様は…!……ああっ!」

「な、何?何だよ、どうしたんだよ!?…いや!わかってる!さっきユリウスの好きな令嬢にダリアが嫌がらせをしているとか言ってたし、俺の持つ記憶と照らし合わせてもヤバい女の子だって事は知ってる!」


ダリアの記憶は思い返すほどに冷や汗が流れる、ろくでもないものだった。

伯爵令嬢ダリアといえば、男性から人気のある令嬢にノリノリで嫌がらせをする、そしてその事を特段恥じてもいないという、とんでもない生き物だ。

シンデレラを虐めた姉たちだってここまではしないだろう。

さぞ従僕達からの評判も悪いに違いない。

アキラは聞きたいような、聞きたくないような複雑な気持ちでメイドの言葉を待つ。

決死の思いで告げるメイドの白い頬は、熟れたリンゴのごとく真っ赤になっていた。


「私などの口から申し上げるのをお許し下さいませ…!だ、ダリア様は…!」





















「ダリアお嬢様は…このしけた伯爵邸に舞い降りた女神にございます…!」

「嘘だろ!?」

「真実にございます」

「マジかよ!?」

「ぶははははははは!!」


たまらず爆笑したユリウスと、自分の耳が信じられないダリアは興奮で震えるメイドを前に顔を見合わせる。


「私がここにご厄介になって早5年…初めてお会いした時からダリア様のお美しさは変わらず…いえ、日を追うごとに輝きを増しております。立てば芍薬、座れば大輪の薔薇、歩いた後は辺り一面焦土と化す、令嬢の中の令嬢にございます!」

「それ、褒めてる!?褒めてるんだよな!?」


それはターミ〇ーターかス〇ローンを形容する言葉であって、女の子に使う言葉じゃねぇ!とアキラがほえる。

アキラ(ダリア)の視線を受けて、メイドは恋する乙女のようにうっとりと笑った。


「ダリア様はすばらしいお方でいらっしゃいます。…むしろ、お二人の言い争いの元となった件の令嬢のほうこそ、ダリア様に目をかけてもらえるという栄誉にも気づかず泣きわめき、しまいには弟君であるユリウス様を誑かす大悪女。ダリア様の御手を煩わせる愚か者でございます」

「いやダリアが悪いだろ!?イジメよくない!」

「虐めではありませんよ!むしろ殿方が嗜まれる狩りのようなもの。自信を持って下さいませ!」

「何の自信だよ!」

「ダリア様の追い詰め方はそれは素晴らしいものでした!蝶のように舞い、雷のように落ちる!火事のように全てを焼き尽くす!」

「そこまでわかっていて、なんで大絶賛なんだよー!この人怖いよー!!!」


すっかり泣きが入ったダリアはテーブルの上に突っ伏した。

だが己の主の素晴らしさを語るメイドの口は止まらない。


「あの令嬢…クランプトン家のマリア様はダリア様と初めてお茶会で同席したおり、身の程知らずにもダリア様より先にナプキンを取ったのです。本来なら、高位の者から取るのがマナーのはず。その場に同席した全ての令嬢とメイドが眉をひそめる中、ダリア様は眉一つ動かさずおっしゃいました…〝本日のお茶会は予定変更よ。リール、あの令嬢のバッグを持ってらっしゃい。投げナイフで的当て遊びをするわよ〟」

「うわああああ!ダリアの方が怖ええーー!!!??」

「日の元で煌めく白銀のナイフ…!ダリア様の麗しき横顔…!芸術家ならこの瞬間を絵に留めるべく筆を走らせたことでしょう!」

「折れ!!そんな筆は折っちまえ!」

「これはほんの始まりでございました。ある時は下剤を混ぜたマフィンを、〝美容にいいハーブが入っていてよ〟と断れないのを承知で勧めてトイレの住人にしたり、舞踏会にておもむろに靴を脱ぐように言いつけてヒールを片方だけ折ったり!…ああ、あの時は最高でしたねえ!あの令嬢がとある夜会でこの国の第二王子を誑かし、二人っきりで夜の庭園の散歩に出かけたとお耳にしたダリア様が参加者の殆どを引き連れて現れ、公開処刑した時は胸のすく思いでした!」



「       」



「あははー。もう言葉もないなー。それってさ王子、怒ったんじゃない?」


我が弟はとんでもない令嬢になってしまったもんだと、ユリウスは苦笑いする。

リールという名のメイドは拍手喝采送らんばかりだが、二人の常識から言って、ダリアはまさに悪役そのものである。


「平等で誠実と評判の王子で、本人もそれを心得ているかたですからねえ。ダリアお嬢様に不敬だぞ!と怒るよりも、話に夢中で気づかなかったーごめんねぇーって誤魔化すほうがダメージ少ないと思われたんじゃないですかぁ?それに第二王子の婚約者はダリア様の幼馴染。その婚約者を壁の花にして、他の女に手を出そうとするなど、失礼ながら軽挙妄動と存じます。ダリア様はお友達のために軽率な振る舞いを窘められたのです!」


どうやらメイドはダリアお嬢様激推し、単推し、同担拒否のようで、巷で評判の第二王子等どうでもいいと思っているようだった。


「でも人伝に忠告するとかさー、もっと他にやり方あるんじゃないの?」

「そこがダリア様がそんじょそこらの令嬢とは違うところですわ。ダリア様は影でこそこそ手を回すような方ではございません!その全てを自らの手で下されるのです!堂々と!誰に恥じることなく!」

「そこは恥じて欲しかった…」


どんなにアキラが嘆こうとも、伯爵令嬢ダリアの苛烈さは明白だった。

体に残っている記憶では、ダリアは虐めていたマリア嬢のことをうっとおしい羽虫のように見ていたのがわかる。

いまやその悪役令嬢ダリアになってしまったアキラは、マリアに心底同情しながらもできることなら恨んでくれるなと願った。


ひとしきり笑い終わったユリウスが、おもむろに立ち上がる。


「リール、悪いけどダリア姉さんの面倒を見ててくれる?まだ上手く頭が働かないみたいだし、今日は安静にさせておいてよ。」

「かしこまりました。ユリウス様は、どちらに?」

「私の記憶が確かならば、これから友人たちと集まる予定があるからさ、出かけてくるよ」

「姉さ……ユリウス!?何考えて…!」

「現状把握のうちのひとつだよ。交友関係も調べとかないと、後で困るじゃない」


倫理観がヤバいメイドと良く知りもしない場所に置いていかれると知って、慌てるダリア。

そんな彼女にひょいと手を上げると、ユリウスは悠々と中庭を去って行った。


「いってらっしゃいませ」

「ユリウスー!!覚えておけよー!!」














男達の燻らす煙草の煙が細い筆で線をひくように室内に漂っている。

貴族達が各々の領地を離れ首都におしよせる社交シーズンに、紳士達が息抜きに立ち寄るクラブの中でも一等高級な会員制クラブだった。

遊戯室・読書室・音楽室等様々な用途に合わせた設備と上等の酒や紅茶、軽食が用意されており、熟練の店員達が行き届いたサービスを提供する大人の社交場。

高級クラブの会員にはそれ相応の地位と財産が要求されるため、客層はおのずと老年の男性に偏る。

だが、今しがた店員達が下にも置かぬ丁重な扱いで出迎えた人物は、猫科の獣を連想させるような、しなやかな少年だった。

美しい若者の姿に誰もが視線を奪われるが、彼はその一切を黙殺してクラブ内を横切って行く。

少年の背中が最奥のvipルームに消えると老年の紳士達は止まっていた呼吸を再開し、感嘆のため息をこぼした。

生まれながらに上に立つものとしての気品が備わっている、あの少年こそが飛ぶ鳥を落す勢いで力を付けているノヴァ家の嫡男。

天才と名高いユリウス・ノヴァは、このクラブに入ることを許された数少ない若者だった。

ノヴァ家に恨みがある者や若年であるのにクラブに出入りすることに眉をひそめる者がいたとしても、少年の堂々とした態度にはケチのつけようがないだろう。

夏の稲妻のような少年が去った店内は元の落ち着きを取り戻し、静かに歓談する声や新聞をめくる音に包まれた。



ユリウスが通された歓談室には、彼と同等かそれ以上に高貴なる生まれの若者達が集っていた。

三人がけのソファに赤髪と銀髪の青年、ユリウスの左隣にある一人がけのソファに眼鏡の男、ドア近くの壁際に従者のように立つ大柄な黒髪の男が一人。

そして上座にはユリウスにも負けぬ金の髪をもつ青年がかけていた。

ユリウスは話を聞いてるふうを装って、その素性を思い出すことに集中した。


まず三人がけのソファに座る赤毛の青年だが、彼は現王の王妹が降嫁したほどの名門公爵家の次男、ルドルフである。

いかにもご婦人に人気のありそうな遊び人の風情漂う優男で、要領のいい世渡り上手。

彼の創る詩は文学者も高い評価を出していた。

他にもトランプ等のテーブルゲームが大好きで、お遊びでやっているうちは弱いのだが、賭け試合になった途端底知れぬ強さを見せる。


ルドルフと同じソファに人一人分あけて腰掛けるのは、長い銀髪を一括りにまとめた子爵家嫡男レイスである。

この場の誰よりも明るく笑い、重々しい空気を楽しくユカイなものに変えようとがんばっている。

レイスの家は元々子爵家の中でも中の下くらいの位置にいたが、つい先ごろできた港のおかげで河川貿易が栄えて、非常に潤っていると評判だ。

レイス自身にも商才があるようで、今では領主である父親の仕事を手伝っては目を見張る程の成果をあげている。


一人がけのソファに座るのは、若き司祭クラークだ。

父は教皇であり、一族揃って神職に関わる家系のクラークは、仲間に囲まれている今も背筋をピンと伸ばしていて神経質な彼の性質が見て取れた。

眼鏡が映える知的な美貌に寄ってくる令嬢もいたが、彼の話すことと言えば神学上の学説だとか教会のあり方についてだと面倒な話ばかりなので、同い年の人間にはいつも遠巻きにされていた。


その身に騎士の血を持つヘイズは、話にも加わらずに室内を見つめている。

いつ何時侵入者があらわれてもとすぐさま対応できるように油断なく立つその姿から、要人を守るよう教育されてきただろうことが読み取れる。

同年代においては負け知らずの剣の腕、すでに従騎士として訓練を受けている彼は、貴族というよりも軍人の色が強かった。


最後にユリウスは、やんごとなき身分の青年らのなかでも一際威厳のある佇まいの青年に視線をうつした。

獅子王と呼ばれた父親にそっくりな金の髪。

第二王子ではあるが、年の離れた王太子は体が弱く子供がいないため、ゆくゆくは王弟から王になるだろうと噂されるアルフレド殿下である。

頭もよく人望もあり、物語の中の王子様もアルフレドには勝るまい、そう歌われる人物だった。

いまはこの集まりの主催者として皆の訴えに鷹揚に耳を傾けている。



どの青年も人目をひく容姿を持ち、家柄、能力ともに申し分ない、将来を期待される若者達だ。

年頃のお嬢さん達のために、一番上から順に連れてきました、と言っても納得できる面々である。

5人の若者を見るユリウスの目がいつもよりも楽しげに輝く。

彼の体の新しい住人はこの集まりが何のための集まりかも忘れて、好奇心でいっぱいだった。


「ーーユリウス殿はどう考える?」

「ふぁーーーっ!?なんでしょう??」


ハリウッドスターばりの美形だなあなんて殿下の横顔を眺めていたユリウスは、突然その顔がこちらを向いて声を発したので面食らってしまった。

いつもどこか皮肉げな微笑を浮かべるているユリウスが間抜け面で答えたので、青年たちは不思議そうな顔になる。


「ユリウス様、どこかお加減が悪いのですか?奇声をあげるなど貴方らしくもない」

「いや失敬。少し考え事をしていたもので…申し訳ありませんが、何の話をされていましたか?」


素直に詫びるユリウスに、一同は更に困惑した。

常ならば口を開く度に王子相手だろうと三つや四つ、皮肉を言う少年がどうしたことだろう。

しかし金の王子はあえて指摘せずに、話を繰り返した。


「…邪悪な振る舞いを平気で行う人間には、それ相応の罰が必要ではないかということだ」

「ああ、ああ。そうですねえ。悪いことしたらこんな目に合うぞってのは教えないといけませんかねぇ」

「やはり身内から見ても、そう思うか」

「は??」


ユリウスの適当に返した愛想笑いが固まる。

アルフレドはゆっくりと足を組換えた。


「ダリア・ノヴァの邪悪さは、その弟の目から見ても明らかである。殺人のようの重大な犯罪を犯した訳ではない…が、そのような事になる前に即刻排除するべきではないだろうか」




「え…?」




突然出てきた弟の体の名前。

見渡せば彼以外の全員の目の奥に、決意を秘めた暗い炎が灯っていた。

友人同士の親密な空気が嘘のように霧散して、5対の目がぎらぎらと光る。


ユリウスはここに来てようやく、この会合の意味に気づいたのだった。

そして本当のユリウスが自分の姉をどうするつもりだったのか悟って血の気がひく思いがした。


ユリウスの驚愕をよそに、青年達はダリアの罪状を告げる。






「あれにはおおよそ、人の情けというものがない」


この日初めてヘイズが口にした言葉は、ユリウスの心臓を冷たくさせた。



「その地位を鼻にかけるばかりで、貴族としての義務を知らない」


ルドルフが笑う。

ユリウスのこめかみに汗が流れる。



「方法が間違っていると非難されても、己の非を認めない」


クラークが吐き捨てた。

ユリウスを通してダリアを睨むような強い眼差し。



「自分が何でも出来る、特別な人間だとうぬぼれている」


レイスだけは、非難するというよりもどこか恥じ入った面持ちでつぶやいた。






アルフレドが組んだ手を天井にむけて大きく広げる。




「そして、ああ……可哀想なマリア嬢」

「彼女はあの女からの仕打ちに、健気にも耐えしのんで来た」

「心優しく、人の気持ちを思いやる事のできるあの子を、どうしてああまで憎めるのか」

「邪悪だからさ。自分の心が汚いから、美しい者を汚したくてたまらないんだ」

「悪魔は聖なる者をことのほか憎みますからね」

「マリアとダリア、一文字違うだけで何故こうも違うのか」


可憐なマリアと邪悪なダリアを思って、ユリウス以外の全員が感情のこもったため息を吐いた。

その顔はさながら、姫と王国のためにドラゴンに戦いを挑む騎士のようだ。

アルフレド王子が全員を見渡して満足げに頷いた。


「決まりだな」


「もはやうら若き貴婦人だからと、大目に見ることはできない。」



アキラの姉であるユリウスは考えた。

ダリアのしたことは確かにひどい。

彼らがダリアのいじめを見て憤る気持ちもわかるし、ユリウスも、ダリアがアキラじゃなければ適当に同調したかもしれない。

しかし、何の権限もない彼らがどうして彼女を裁くような事を口にするのだろう。

この青年たちは、ダリアという一人の令嬢に”邪悪”というレッテルを貼ることで断罪する免罪符にしようとしている。

まるで相手が加害者で邪悪なら、同じ人間扱いをしなくてもいいとでも言うようだった。




「我々の手でダリア・ノヴァに制裁を与えるのだ」


今すぐに全員はったおしてまわりたい気持ちを抑えてユリウスはじっと正面を見据えた。




















大急ぎで伯爵邸に帰ってきたユリウスは、出迎えに出た執事にコートと帽子を押し付けて、邸内へと滑り込んだ。

昼頃、自分とダリアが転げ落ちた玄関ホールの大階段を三段飛ばしで駆け上がり、長い廊下を走る。

二つ目の角を曲がったところで、ダリアの面倒を託してきたメイド・リールとかち合った。

リールはぶつかった反動でふらふらと壁にもたれる。

色をなくた頬は、整った顔立ちも相まって蝋人形のようで、心が抜け落ちた痛ましい表情をしていた。


「リール、アキラ…じゃなかった、ダリア姉さんは部屋にいる!?」

「ダリア様は……ダリア様は!」

「リール?」

「ダリア様はここにはいらっしゃいませんっ!!!!」

「え?ちょっと……!」


メイドはそう叫ぶなりロングスカートのすそをひるがえして走り去って行った。

何がなんだかわからないが、あの状態の彼女に事情を聞いているのは手間だ。

今はメイドを追いかけることよりも弟に緊急事態を告げる事を優先し、少年は記憶に残るダリアの部屋へと急ぐ。







「アキラーー!!大変、大変!!ダリアちゃんってば、なんかやばいことになっちゃってるよ!!さっきクラブに顔出したらさぁ、ダリア処すべし!ってお偉いさんのご子息達が息巻いて……」


扉を開けるなり息せき切って捲し立てたユリウスだったが、室内の惨状を見て、思わず口をつぐんだ。

床には一面の色とりどりのドレスが形が崩れるのも構わず投げ散らかされ足の踏み場もない。

部屋の左手奥に据えられた天蓋付きベッドだけは海に浮かぶ小舟のように、ぽっかりと浮き出ていた。

天蓋にとり付けられた薄い紗のカーテンが、ベッドの上で横たわる頼りない背中を映している。


「……どうしたの?」


ユリウスがそっと声をかけると、細い体がかすかに震えた。

ゆっくりと身を起こしたダリアは、少年に近寄ってくるでもなくベッドに腰掛けたまま動こうとしない。

夕闇が迫るこの時刻に、ベッドサイドに置かれたランプの明かりだけでは上手く表情が読み取れなかったが、静かな涙の気配を感じてユリウスから近づく。


「アキラ……どうしたの、何かあった?」

「姉さん………」

「うん、姉さんだよ」


少年はそういって少女の前に膝をついた。

顔にかかっていた髪を手櫛で整えてダリアの顔を覗き込むと、やはり瞳には薄い膜がかかっていた。

ユリウスは、かつて姉と弟だった頃にもこんな風にアキラを慰めた事があったなと思った。


「姉さんだよね?……じゃあ、俺は?」

「アキラ」

「でもアキラは弟だよね。なのになんでドレスを着ているの……?」

「それは……」

「違う、違うよ!こんなの俺じゃない…俺は伯爵令嬢でもないし、ダリアでもない」


茫洋とした瞳からぽろぽろと涙の粒が零れる。

少年が少女の震える肩を掴むと、あの頃とは違う頼りない体つきをしていることに気づいた。

心がアキラで、体がダリアの少女は唇を震わせて叫んだ。



「俺は女の子じゃないよ…!」


「アキラ……」








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