仕方がないね
あの人に初めて会ったのは、私が中3のとき。
学校見学も兼ねて、兄の通う高校の文化祭を訪れた。駅からは少し歩いたけれど、途中の並木道が気持ちよかった。
正門付近でパンフレットをもらい、兄のクラスを目指す。パンフレットによれば、校舎の最上階。兄のクラスが喫茶店をしている教室にたどり着く頃には、私の両手は勧誘と宣伝のチラシで塞がっていた。
ーーー疲れた。マジで。高校怖い……。
「あの……」
「いらっしゃーい。何々?中学生?」
出入口に立っていた手作りらしいエプロンをつけたお姉さんに声をかけると、テンションが高くてびっくり……っていうか、ちょっと引いた。
「三上、祐司、いますか?」
「あれ?ミカミンの知り合い?あ、もしや妹ちゃん?」
「え、あ、はい」
み、ミカミン……?いや、そんな可愛らしいあだ名をつけられるようなキャラだったか?
「ミカミーン、可愛い妹ちゃん来てるよー」
よく通る声だな、と思った。
「さ、さ、中に入って。何でも頼みなさい。もち、お兄さんのおごりで」
「え、え、はぁ」
背中を軽く押され、教室の中に入る。ペンションみたいに飾り付けられた室内にはそれほどお客さんもいなくて、ゆったりした雰囲気だった。
「おま、“ミカミン”って呼ぶなっつーの。ったく。……響、迷わなかったか?」
「あ、うん。平気」
っていうか、地図読めるし。わかんなかったら人に聞くし。
2個年上の兄は、結構心配性である。
席に案内され、兄がアイスティーを持ってきてくれた。暑い中歩いてきたので、冷たい飲み物はありがたい。
ストローで一口飲み、ぷはっと小さく息をついた。
「で、どうだ?うちの高校は」
「んー」
まだ校内を見て回ったわけじゃない。駅からの並木道も、何となくの校内の雰囲気も、悪くない。1年だけなら、兄だっている。
「まだわかんない」
行儀悪く肘をつきながらぼそっと言った。最上階のせいか、窓の外にはきれいな青空が広がっていて、たぶんかなりやばい明日の模試のことがちらりと頭をよぎった。
「じゃ、校内歩くか。パンフ持ってるか?どっか行きたいとこあるか?」
「んー、お兄の彼女のクラスは?」
「んな!おま、何」
「いるんだよね?」
「……」
「いる、よね?」
「……はい」
観念したように兄は小さくなった、ように見えた。ぶっちゃけキモい。
「えーっと」
軽く頭をかきながら、教室を見渡した兄は、「あ、部活のほうか」とこぼした。同じクラスだったらしい。
「同じバスケ部なの?」
「あー、そう。マネージャー」
あらあらあら。マネージャー!王道じゃん。
アイスティーを飲み干して、席を立つ。……どうしてだろう。周りの視線が生温かかった気がするんだけど?
お兄、あなた、クラスでどんなポジションなの……?
バスケ部は体育館の半分を使って、景品付きのフリースロー大会を開催していた。
「で、どの人?……あれ?あの人、さっき教室の入り口にいた」
「あー、そう。マネの水澤トモ」
「マネ?」
「そう」
「……」
「……」
「あの人?」
「……そう」
いやいやいやいや、お兄。何でそんなに意気消沈してるの?彼女だよね?彼女なんだよね!?
「お!ミカミーン、と妹ちゃん」
水澤さんは制服に“籠球部”と書かれたジャージを羽織って、小走りに近づいてきたと思えば……
「とりゃ」
「なっ」
お兄に飛びつきました。
「おま、離れろ」
「にゃははは、照れるでない」
「暑いんだよ!」
「あははははは」
あー、クラスの人の生温かい視線の理由がわかった気がする。
一騒ぎして落ち着いたらしい水澤さんと私は、体育館の隅に座っていた。
フリースロー大会の景品がなくなり、飛び入りウェルカムで始まったミニゲームをする中に、兄の姿があった。
「びっくりしたでしょ」
「え、っと」
あなたに、とは言えない……。
「祐司はさ、面倒見がいいじゃん?あたしのこともそうだったみたいで」
ちょっと懐かしむような感じで、水澤さんは続けた。
「バスケ部内ではさ、祐司、そんなに目立つ選手じゃないけど、後輩にもマネにも優しくってさ」
何となくわかる気がした。両親が忙しくて、夕食はだいたい2人で食べることが多かったけど、私は兄がいたから平気だった気がする。
「優しさにつけこんじゃった」
と、水澤さんはちょっと照れたように言った。
しばらくミニゲームを観戦していると、ぱっと立ち上がって、水澤さんは誰かを呼んだ。
「あ、佐山!」
ちらっとそちらを見上げると、ツンツンした頭が見えた。
「あ、この子ねー、ミカミンの妹ちゃん。えっと」
「響です。三上、響」
……怖いです。それが第一印象。
目の前に立つ佐山さんは、目が鋭くて、睨まれている気がした。背が高いから余計に、見下ろされてて、怖い。
それが出会い。
それから、1年が経った。
私は兄のいる高校ではなく、少し遠い女子高に進学した。文化祭の見学に来て、こちらのほうが雰囲気に合っているような気がしたからだ。……結構頑張らなきゃならなかったけど。
水澤さんと兄のお付き合いは続いているようで、家へも遊びに来るようになった。相変わらず水澤さんがお兄を振り回しているような関係みたい。まぁ、見ていて微笑ましい。たぶん、私は兄のクラスメイトと同じような、生温かい視線を兄に向けているんだろうな。
さて、私のほうはというと……。
「響~、またお迎え来てるよ」
「いいなぁ。年上の彼氏。愛されてるねー」
窓の外を見ると、校門のところにツンツン頭。はぁ……。
「彼氏じゃないから」
「はー?」
そう、彼氏じゃあない。好意は持たれているらしいけど、直接言葉をもらったわけでもない。
「じゃ、帰るね」
「オイ、こら、響 。どういうこと?」
「そうだよ!詳しく話せ!」
「……また今度」
後ろでわーわー言ってる友達を置き去りにして、下駄箱へ向かう。何でこんなことになっているのか、私が説明してほしい。
いや、マジで。
下駄箱でとんとんと靴を鳴らしながら考える。初対面のとき、私、何かしたんだろうか。……思いつかない。
校門のところに立っている後ろ姿はもう見慣れてきた。女子高だから、お迎えってのは憧れらしい。結構な目立ち具合だ。
「……佐山さん」
「ん」
「……お待たせしました」
「ん」
会話しようよ!お願いだから!
心の中で泣きそうになるのをこらえながら、ゆっくりと歩き始めた佐山さんの隣を歩く。歩くスピードを合わせてくれているのには、何度目かに気づいた。
駅までの道を、ただ無言で歩く。ほんっと空気が重い。勘弁してほしい。
「……今日、水澤さんが家に来るそうです」
「ん」
駅のホームで電車を待ちながら呟く。何だ、この報告。でも他にネタがない。
「あ、響ー」
反対側のホームからクラスメイトに叫ばれた。ビビるからやめてくれ!
「いちゃついてんじゃねーぞ。明日、尋問だから!」
「違うから!」
えー、とか言う声が聞こえたけど、ホームに滑り込んできた電車にかき消された。明日、学校行きたくない。のらりくらりとかわすのも、結構大変なんだぞ。
電車は結構混んでいた。ドアのすぐ脇に立って、かなり恥ずかしいけど、佐山さんと向かい合う。顔はうまく見れないから、車内に釣り下がってる広告を眺める。やばい、見すぎて内容暗記しそう。
そんなとき、電車がいきなりブレーキをかけた。重力の流れで体が揺れる、と思ったけど、実際は佐山さんに突進しただけだった。
「ご、ごめんなさい」
「ん」
慌てて体を離すけど、今の衝撃で足場をなくしてしまったらしい。バランスが取れない。うわー、私、運動神経よくないから!
「……」
「わっ」
無言で、佐山さんは私の後頭部に手をやって、体重をかけさせる。いや、楽になるけど、楽になるけど、私重いですから!
もう、頭の中は沸騰しそう。最近佐山さんと一緒にいると、こんなのがしょっちゅう起こる。
自分では動けないので、佐山さんに甘えることにした。……恥ずかしいけど!
電車の時間が、いつもより長く感じた。
そんなこんなで、また1年が経った。
お兄は東京の大学に進学して家を出た。引越しの荷造りをしている最後まで、私に「大丈夫か?」と何度も聞いた。「全然平気だから」と強がって言ったけど、新幹線を見送るとき、ちょっと泣きそうになったのは内緒だ。
水澤さんは地元の短大に進学した。相変わらずな性格で、周りを巻き込んでいるらしい。家にもしょっちゅう遊びに来ているので、もしかしたらお兄に私の様子を見るよう、頼まれているのかもしれない。ちなみに呼び方は“妹ちゃん”から“ひーちゃん”になった。
……佐山さんは地元の専門学校に進学した。アルバイトと学業で忙しい中、だいたい週1回はお迎えに来る。もう学校では完全に私の彼氏扱いだ。
「ひーちゃん、お迎えだよー」
佐山さんが迎えに来る日。校門に行くと、珍しいことに佐山さんと水澤さんが一緒にいた。佐山さんは水澤さんのテンションが苦手なのか、極力近づかないように思ってたのに。
「水澤さん……どうしたんですか?」
「にゃはは、いやー、駅でさ、佐山見つけて尾行してきたらココに着いたってわけだ」
尾行って……。
「……」
佐山さんの目が怖い気がするのは気のせいだと思いたい。
「ねね!佐山ってどうなの?」
「どうなの?って、何がですか?」
「えー、こいつと会話って難しくない?」
それ本人の前で聞きますか!?
ちらりと視線を向けると、いつもよりむっつりと黙りこんだ佐山さんの姿があった。
あー、機嫌悪いな。
「あの、佐山さん、優しいですけど」
「は?佐山が、優しい?」
「はい」
目をぱちくりさせて、水澤さんが繰り返す。
またちらりと視線を向けると、佐山さんの機嫌は幾らか直っていたようだった。んー、単純?
「ね、ひーちゃん」
「はい」
「あたしが誰か紹介してあげようか?」
「へ?」
何を言い出すんですか!?
「いや……」
「もったいない!佐山にひーちゃんはもったいない!」
2回も言わなくていいです……。
いつの間にか着いていた駅のホームで、水澤さんが力説し始めた。
「だってね、ひーちゃん。こいつ、目つき悪いでしょ?人相悪いでしょ?背が高いでしょ?見下ろされるでしょ?怖いでしょ?しかも喧嘩っ早いんだよ?悪い奴じゃないのは知ってるけどね、ひーちゃんみたいに可愛い女の子だったら、他にも選べるじゃない?今はほら、出会いが少ないだけで」
「え、っと」
ぶっちゃけすぎです……!
「だからね……あ、電車来た」
ふわり、と水澤さんの髪の毛が揺れた。2年前よりも伸びて、パーマのかけられた髪。雰囲気で言えば、水澤さんは“大人”に見えた。
水澤さんに続いて電車に乗り込むと、後ろから手を掴まれた。……佐山さんだ。たぶん。じゃなきゃ痴漢だけど、佐山さんと一緒にいて、そういう目に遭ったことはない。
『まもなく、電車が発車いたします』
ぐいぐいと中に入り込んだ水澤さんに続こうとするのを、佐山さんの手が留める。そうして、ドアが閉まりそうになるとき、ぐい、と手を引かれた。
目の前でドアが閉まり、窓越しに水澤さんと目が合った。納得いかない、という顔をしていたけれど、私は笑っておいた。
……だって、2年、ですよ?
走り去っていく電車を眺めながら、掴まれたままの左手が気になって仕方なかった。
待ちくたびれて、水澤さんの誘いが魅力的に思わないわけではなかったけれど。
「仕方がないですよねぇ」
この不器用すぎる人から目が離せないなんて、一体全体どういうことなのだろう。
恥ずかしいお迎えには来てくれるのに、肝心の言葉は何もくれない。……ズルい人。
でも、引き止めてくれたから。ちゃんと、私の手を引っ張ってくれたから。
……よしとしてあげる。
「それじゃあ、佐山さん。次の電車には乗りましょうね」
「ん」
「ホームで水澤さんが待ってたら、ちゃんと説明できますか?」
「……」
「じゃ、私がします。だからーーー」
きゅっと、左手に力を込めた。見上げると、少し戸惑った佐山さんの視線とぶつかった。
「手、離さないでくださいね」
「……ん」
わかりやすい人だなぁ。でも、もう少し、会話もしようね。
視線を外さずに微笑んだら、佐山さんは似合わないくらい可愛く笑った。
〈おまけ〉
電話でお兄に報告したら、「怖れていたことが……トモは何やってたんだ……いや、いっそのこと、今からでも……」とぶつぶつ言い出したので、そのまま電源を切ってやった。