三、縞衣綦巾之娘(二)
窓辺に腰掛け、彼女は赤くなりつつも訊ねた。
「あの、陛下。あたし……陛下に何かしましたか?」
ふうっと小さなため息をつくと、彼は向かい合うように紅榴の隣に座った。
「……何も」
窓の外を見たまま、彼はそれだけ言った。
何も。何もって……。そんなあっさり、しかもたいして興味なさそうに……。いやいや、でも陛下がお呼びっていうんだから、きっと何か……。
「あの、だったらなんであたしなんかお呼びになったんですか。あたしはただの薬屋です」
陛下は意外と無口な方のようで、今のところ挨拶以外には「何も」しか喋っていない。普通自分から呼んだらもっと話しかけたりするものでは……?
その時、彼は紅榴を見た。
「そなた、エートスにいなかったか」
シャルトレーズ王都エートス。一年ほど前、たしかに彼女はそこにいた。たまたま街で薬を売っていたが、その時初めて今この目の前にいる人物を見た。王が街に散歩に出かけていたのを、人垣に埋もれるようにして見たのをよく覚えている。金の髪に緑の目。印象的、というか、ほとんど一目惚れだった。
「多分、一年くらい前だったと思います。初めて……初めて陛下にお会いしました」
少し頬の火照るのを隠し、彼女は答えた。
緑の目がまっすぐこちらを向いている。
「その時、私も初めてそなたを見た」
「へ……?」
陛下が?たかが一市民にもすぎない私を?見た?そして、覚えていた?
アイオロスは色々と言葉を迷っているかのように、口を少し開けたまま黙っていた。しかし、一度口をつぐむと、ぽつりと呟いた。
「好きだ」
……はい?
紅榴は固まった。やだ、遂に幻聴かしら?ここ数日ろくに眠れていなかったから……。疲れが出てるのかも。
すると、彼は少し考えた後、同じことをもう一度呟いた。ただ一つ違ったのは、先程よりも明らかに赤い頬を背けるようにしていたことだった。
その時、蝋燭が消えた。部屋は暗くなった。窓から射し込む街の灯りや、月の灯りがぼんやりと明るい。
「そなたには選ぶ権利がある。この旅館に部屋はちゃんととってあるのだから、そちらで休んでも構わない」
彼はやはり何かを考えているようで、暫く黙った後、頷きながら彼女を見た。
ええと、何も伝わってこないんですけど。さっきの近衛兵さんみたいにあたしはあなたの心は読めませんから。どうやらこの方は、経過を自己完結させて結果だけを話すみたいだ。側近の人は苦労してるんだろうなあ。
それでも、顔が熱くなる。蝋燭が消えて良かった。きっとみっともないほど真っ赤になっているだろう。
「あの……陛下……」
「よく考えろ。後戻りは出来ない。一夜の仮寝かもしれないのだぞ?そなたには否定する権利がある」
その顔はどこか寂しそうだった。今日街で見たような、堂々とした顔ではない。もしかしたら、この方はあたしに否定されるのを望んでいる?
そりゃあそうだろう。彼は一国の王なんだから。こんな身分の低い、しかも異国の女を抱いたと分かればいろんなものに傷がつくはずだから。
それでも彼はこうして紅榴を探しあて、呼んだ。わざわざ想いだけを伝えるために?それならずっと黙っているか、そもそも探したりなど手間なことはしないだろう。黙っていても良かった。自分の想いに嘘をついて、この心を否定しても良かった。でも、出来なかった。体の奥底から湧き上がるこの想いには―――。
「陛下……あたしも……ずっと、お慕いしておりました……!」
涙が溢れてきて、紅榴は顔を覆った。
「でも、いいんですか……!?あたしは玉蘭の人間だし、身分も低いし……犯罪だってやったことあるし、あたしは半分海賊です!国王がそんな汚い女となんて……!」
少々困ったようで、アイオロスは紅榴の手をとった。
「汚くなどない。あなたがいいんだ」
呼び方が変わった。なんだか急に彼に近付いた気がして、紅榴の胸は高鳴った。
「……初めて自分から望んだ」
そういうと彼は、紅榴をそっと引き寄せた。しっかりと体温を感じた時、もう何も考えられなくなった。
思った通り、彼には翌日からはもう会わなかった。紅榴も南門に戻り、アイオロスもシャルトレーズへ帰った。それから少しして、紅榴は懐妊した。分かった時、どうしようもない喜びと後悔の板挟みとなった。
シャルトレーズ王都のエートスへ移り、彼女はそこで黒髪の男の子を産んだ。そしてある夜、アイオロスが彼女を訪ねてきた。




