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紫星海風伝  作者: 沖津 奏
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二、縞衣綦巾之娘

 空は灰色に曇り、小雨のぱらつく玉蘭ユイラン帝国の都、霞都シヤトゥー。友好条約更新のため、シャルトレーズ国王アイオロス五世はこの地を訪れていた。条約関係はもう済んだのだが、遊覧という名目で彼はこの地に留まっていた。


 その日、霞都で紅榴ホンリュウは薬を売っていた。異国の王が来るということだから、たいそう人も集まるはずだと思ったのだ。なにより、以前一度遠くから見たことのある王を、もう一度見たいと思ったのだ。いつも頭から焼きついて離れなかったその人に、もう一度会えるのだと。それでもなぜか隠れるように笠を被り、目立たぬ薄汚れた白い服を着ていた。

 行列が来た時、紅榴は人の後ろの方で眺めていた。その近くには、街で可愛いと評判の娘もいた。

 まばゆいほどのお仕着せに身を包んだ人々は、まるで見せつけるように歩いていた。その行列には玉蘭の役人もいたが、彼らはなんとも田舎くさかった。あれでも一応大貴族だったのだけれど。

 一際大きな歓声と人々の歓迎の声に包まれ、馬に揺られながら彼は来た。太陽の光のような金の髪に、春の若葉のような緑の目。紅榴は半分口を開けて見とれていた。

 なんて堂々として、美しい王なんだろう。冷たいくらいの目で、何を見ているんだろう。手綱を握る手は大きい。あの手で頬に触れられたら、どんな気持ちだろう。

 手を組んで、まるで祈るような格好で彼女は見惚れていた。だが、仮にも彼は国王である。こんな見ず知らずの、汚ならしい娘にどうして目を向けてくれよう。その時だ。

 シャルトレーズ国王アイオロス五世が、こちらに目を向けた。何かに驚いたような表情だ。そして、彼は近くの従者にこそこそと耳打ちをした。紅榴はどきっとしたが、すぐに首を横に振った。

 だって、いくらこちらを見たからといって、あたしを見たわけじゃない。一番前の方には可愛いと評判の娘もいるし、彼女に目を留めたんだろう。

 なんだか急に悲しく、そして空しくなり、紅榴は薬入れを持ってその場を去り、離れたところで店を広げた。




 夕方になると、雨は止んだ。やれやれと一安心し、客の相手をしている紅榴のところに、シャルトレーズの紋章をつけた人が来た。赤い軍服、金の肩飾り、整った顔立ち。それに、あのバッジはシャルトレーズ第二近衛兵?


チュワン 紅榴ホンリュウというのはそなたのことか」


 怯えた紅榴は、少し後退りした。


「答えよ」


「は、はい。あたしのことです」


 白い馬に乗った近衛兵は歩兵に何やら話をした。歩兵は走って行ってしまった。


「あの、あたしに何か……?あたしなんにもしてません!ただ、王様を見ようと思って、お邪魔にならないよう後ろの方で見てただけなんです!本当です!」


 すると近衛兵は馬を降り、紅榴に落ち着くよう言った。


「シャルトレーズ国王アイオロス五世陛下が是非、そなたに会いたいとおっしゃっています。よろしければ、我々と」


 紅榴はきょとんとした。

 そうよ、これは何かの間違いだわ。だいたいあたしの名前をなんで知って―――。


「失礼ながらお名前は調べさせていただきました」


 このくらい朝飯前だとでも言いたげなふうだ。この人、心読めるのか?いや、たとえ名前を調べるといっても―――。


「あの、お間違えじゃありませんか?街で一番のお嬢様は、ほら、あのお屋敷にいらっしゃいます」


 いえ、と兵は首を横に振った。


「あなたに間違いございません。陛下はたしかに、笠を被り、白い服を着て、赤の紐で黒髪を結った娘とおっしゃっておりました。また、その者は薬の入った竹籠を持っていると」


 ああ、それ、ばっちりあたしです。

 紅榴は無駄に否定するのを止めた。


「たしかにあたしです。でも……でもなんでですか。あたしは陛下のお目にかかったこともないし、ただの貧民です」


 さあ、と彼は首を捻った。


「そういうことは我々は詮索いたしませんので。どうぞご自分でお確かめください」


 そう言うと彼は軽々と紅榴を抱えあげ、白い馬に乗せた。周りを他の兵が固め、ゆっくりと歩く。

 うわあ、これ、かなり拷問。なんか罪人晒し中みたいな。

 自然に顔が赤くなった。


「あのっ、すみません!」


 紅榴は馬を引く兵に声をかけた。どうしました、と兵が訊ねる。


「降ろしてください、あたし歩きます!なんか、逮捕されて連行されてるみたいで……」


 すると兵は笑った。


「大丈夫、あなたは何も悪いことはなさっていないのだから、堂々としておればよろしい。それに、歩いた方が罪人っぽくなりますけど」


 それでも歩きますか、と彼は訊ねた。紅榴は丁重にお断りして、前を見た。





 着いた先は、宿だった。それも超のつく高級旅館で、普通は貴族や大金持ちが泊まる。紅榴には縁の無い場所だ。

 随分と待たされ、辺りはとっぷり暮れている。だが豪華な食事に彼女は満足していた。おまけに綺麗な白い絹の衣まで着せられている。

 つい性で、その器や果物を見てしまう。これなんか桂安嶺のいい赤皿だし、食事に出された蜜柑だって、高級なものだ。あと、この服は貰ってもいいんだろうか。結構値ははる。

 そう思った時、襖が開いて、シャルトレーズ近衛兵が跪いた。東洋風のこの空間に、西洋風の人物。似合わないにもほどがある……。


「お仕度が整いました。どうぞこちらへ」


 通されたのは、最高級の部屋だった。赤い木で作られたテーブルに肘をつき、物憂げな表情でその人は椅子に座っていた。障子を開けて、外を眺めている。服はシャルトレーズのものだが、この空間にいることに違和感がない。


「あっ、あの……」


 紅榴の言葉を遮るように、彼は言った。


「トルエンセ。今日はもうよい。皆によく休むよう言っておけ」


 は、と返事があり、兵は退がった。


「あの、陛下……」


 紅榴が呟くと、アイオロスは彼女の傍に来た。金の髪に緑の目。ああ、あの人なんだ。胸が痛い。


「ご足労感謝する、紅榴」


 彼はぼうっとしたままの彼女を窓辺に誘った。


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