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紫星海風伝  作者: 沖津 奏
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十七、花信風来

「ほんと、バカって扱いやすいねえ」


 酒を瓶のまま飲みながら、ジル=エグモントは独り言を呟いた。

 いくら大きな海賊をまとめる男とはいえ、所詮人間。あとはアルダン=カルヴォと名を変えた男を潰せば、海は掌握できると思った。だが、アルダン=カルヴォの首を獲ってみたところで、もはや戦争ではないのだから誰も賞金など払ってくれない。もっと早くに始末しておけば良かった。


「でも、厄介なの残ったな……早いうちに潰しておきたいのに」


 海賊なので、探すのも困難だ。それに、奴は剣の腕は立つ。世界が平穏な時に殺してしまおうとすると、面倒事になりそうだ。


「ちっ、ツメが甘かったか」


 だが、所詮人間。生きてさえいれば機会はある。いつだって殺ろうと思えばできるということだ。

 まあいい。せいぜい退屈にならないよう楽しませてもらおう。

 不敵な笑みを浮かべるエグモントの足元には、真っ赤に染まって倒れたままの彼のキャプテンがいた。





 雲花ユンホワがまだシャルトレーズの港をぶらついていたある黄昏時、彼を訪ねて来る者がいた。雲花はその時船長室に籠っていた。


「頭、お頭!」


 騒々しい部下の声に、半ばうんざりしながらも彼は出た。


「んだよ畜生。宵の口からうるせえっての、バカ!いったい何で……」


 強引に部下に引きずられて船から下ろされた雲花は、そこで言葉を切った。後が続かなかったのだ。半分開いた口はそのままだ。崩れかけた着物を直そうともしない。動かないのは、相手も同じたった。


「あんたは」


 雲花が呟いた。視線だけで部下に下がっているよう合図し、改めて相手に向き直る。そして、慇懃に跪いてみせた。


「殿下、この度の大勝利おめでとうございます。しかし、こんなご時分にこんな私めにいったい何のご用でしょうか?」


 薄暗がりの中、相手は正気にかえったようだ。慌ててさらりと金の髪をかきあげる。雲花の義弟だった。名は、アラルという。シャルトレーズ王国の正統なる唯一人の継承者だ。


「お止めください、立ってください、義兄上!」


「兄上ぇ?」


 アラル王太子の言葉にねちっこく反応したのは、彼の従者だ。中年で、見るからに頑固そうだ。まるで嫌味のような言い方だった。


「ええ。公表はしていないけど、私の義理の兄です」


 あくまで真面目に王太子は答える。だが、従者はまともに取り合おうとしない。


「いくら殿下でも、妄想の過ぎるというものです。こんな汚ならしい海賊が王家の血を引いているなど、馬鹿馬鹿しい!いったい誰にたぶらかされたと言うのです!」


 呆れたように王太子を見ると、次に従者は挑発的な目で雲花を見た。


「おい、貴様!」


 彼は立ち上がっていた雲花をにらんだ。雲花も不敵ににらみ返す。


「なんだか知らぬが、王太子殿下の御前で立つとはいい度胸だ!頭を下げよ!」


「止めなさい!」


 王太子が止めようとする。雲花はそれを半ば哀れみに近い目で見た。

 ああ、鬱陶しい。なんでこの義弟は。王子のくせに頭足りねえのかよ、お可哀想に。お前が俺を庇ったって、いいこと一つもねえくせに。

 だが、不思議なことに怒りは湧いてはこなかった。なぜか、穏やかな気持ちになる。


「王族に向かって無礼だろうが、たかだか一従者の分際で頭を下げよなどとは」


 ひぇっと情けない声がする。たしか、以前にも似たようなことがあった。学習しない人間どもめ。


「義兄上、二人だけでお話ししたいことがございます」


 ついて来な、と雲花は顎をしゃくって見せた。

 連れていったのは彼の船長室だった。気味の悪いものもたくさん置いてある。王太子は少々怯えた様子を見せながらも、ちゃんとついてきた。

 灯りをともし、椅子に腰掛けて、改めて二人はお互いの顔を見た。


 金の髪、宝石のような緑の眼。父親と同じ色。……同じ血を分けた兄弟でありながら、こうも違うのか。

 聞こえないよう、雲花はため息をついた。


「で、話とは?」


 臆する様子はもう見せず、アラルは手を組んだ。


「実は、父王陛下のことです。……戦争で怪我を負いました、だいぶ酷いようでもう手がつけられません。今はまだなんとか政務をこなしてはおられますが、医師の話だとそろそろ寝たきりになりそうです。私が摂政となるつもりです。……いえ、私が近々即位することになるでしょう。スキロス二世を名乗るつもりです。……こんなことを申し上げるのもどうかと思いましたが、どうかこれを機会に義兄上とお近づきになりたく……海軍将軍の位を、と思いますが、受けていただけますか」


 義弟のまっすぐな目を見て、雲花は即答した。


「嫌だ」


 なぜです、と決まった返事が返ってくる。


「俺は犬じゃないし、今更そんなことを言われたってあの宮殿へ行こうとも思わない。何より、お前の周りが許さない」


 己の存在は、シャルトレーズ王国の恥そのものだ。海賊以外の何者が、自分が上に立ってもなお認めてくれるだろう。どうせ王位を狙う算段があるとかで暗殺されるのがオチだ。


「悔やむな、義弟。お前には国をまとめる義務がある。俺にはこいつら海賊を生かす義務がある」


 王太子の震える肩に手を置き、雲花は船の外へつれて出た。だいぶ暗くなっている。星が綺麗だ。


「義兄上、生きてくださいね。一番血の繋がった者は、もはやあなたと父上の三人だけなのです」


 義弟の母は数年前、たしか流行り病で儚くなっていた。雲花は、そうか、と呟いただけだった。


「義兄上、今日はお会いできて良かったです。では、またいつか」


 簡単に言い残し、彼は従者を連れて去っていった。後ろ姿はすぐ人に紛れて見えなくなった。


 馬鹿馬鹿しい。空を見上げて雲花は思った。例えばあのまま父が認めて、エートスで王子として育っていたら、今頃俺はどうなっていたんだ。いっぱしの将軍にでもなれたのか?

 義弟は即位に際してスキロスを名乗ると言っていた。スキロスという名は、現在のシャルトレーズの王朝、ユスキュダル朝の王の中の一人だ。彼の御代にシャルトレーズは力を増した。そして彼はたいへん強く、情け深い人柄だったという。以来、あまりの畏れ多さに歴代の王はスキロス二世を名乗れずにここまで来たのだ。だが、あの義弟はそれを背負おうというのか。

 ふざけるな。見たかよ、あいつのあの緑の眼。何も知らない無知な眼だ。だが非常に誠実で穏やかだと聞いている。だからこそ、「いい王様」になれそうだ。

 百歩譲って足掻いてみても、俺にはなれそうもねえ。全く、誰が仕組んだ世の中か知らんが感謝するよ。


 再び船に戻り、彼は酒を求めて階段を降りていた。部下が騒いでいる。

 相変わらずうるせえな、と呆れながらも階段を昇ろうとした時だ。どうやら街に出ていた部下だろう、得意気に話しているのが聞こえた。


「ほんとだぜ、銀の髪の子どもがシャルトレーズで産まれたんだってよ」


 雲花の動きが止まった。思わず耳を傾ける。


「へえ、にしても可哀想だな。玉蘭ユイランには銀の髪の持ち主は生まれ変わる伝説があるとか言うが、こっちにゃそういう話はねえぞ。それどころか、悪魔の子って言うじゃねえか」


「そうなのか。知らなかったぜ。けど、そりゃひでえな。玉蘭なら歓迎される色なのによ」


「かなり前は、どっかの国で追放令まであったとか」


「とんでもねえな……。けど、あの子はいいとこの貴族令嬢らしいし、そこまで苛められるこたあねえだろうよ。ってか、なんで俺らがそいつの心配をせにゃなんねえんだよ」


「お頭には内緒だぜ、そんな姫様を掻っ拐うなんて言われたらたまったもんじゃねえ」


 喧騒を背中で聞きながら、雲花は階段を昇っていった。


 言わねえよ。今更未練がましく銀狐なんか追いかけるもんか。きっと関係ねえ奴だ。銀の髪の奴なんて、探せばもっといる。たまたまだ。

 それに、貴族令嬢なら会うことなんてない。もう、一生関係ねえことだ。

 全く、誰が仕組んだ世の中か知らねえけど。


「感謝するぜ、カミサマ」


 そう呟いて羅針盤を持つ彼の手は、小刻みに震えていた。


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