十五、流星光底之宴(三)
「頭、武器の調達も……」
「ああ、頼んだ」
ラクスは暗い部屋に灯りをつけた。暫しの間、相手に見とれた。
豊かな長い黒髪。日焼けした肌。桜の柄の白っぽい着物。片耳に茶色い鳥の羽の耳飾り。死んだような目はそれでも澄んでいる。そして、この国の王であるアイオロス五世と似た顔。俯き加減にしているせいで、髪がかかっている。
雲花がまた弦を弾く。その音に、ラクスは現実に引き戻された。
「頭、しっかりしてくれ。あんたが俺達の命を握ってるんだからな」
雲花がゆっくりと顔をあげた。ラクスが一歩さがる。
雲花の目は控え目に、だが強い意思をもって訴えていた。どうすればいいのか分からないと。辛いのだと。
「頭、辛いのは皆だ。俺達はいろんなものを奪われる……でも、それが俺達の世界なんだ。頭、よく言うだろ。止まない雨はない。明けない夜はない、ってな」
早口な言葉に、雲花は目を逸らした。そして鋭く呟いた。
「間違っている」
え?とラクスが間抜けな声を出した。雲花は今度は悲しみに満ちた力強い目でラクスを捉えた。
「間違っているよ、お前は……。この世には止まない雨もある。明けない夜だってある……。そして……そして、その世界では「晴れ」や「朝」という言葉はない」
ラクスは口を半分開いたまま、なにも言えないでいた。雲花が微笑む。
「そうだよ、ラクス……そういうことなんだ」
するとラクスは歯を食いしばり、主を見た。
「頭、絶望するな!こんな時だからこそ、俺達はあんたが必要だ」
必要か、と雲花は笑った。
「もう俺は……要らないんだよ。最初から要らなかったんだ。災いの子は……死んでおくべきだった。誰にも迷惑をかけないうちに、殺されるべきだったんだ。存在自体が許されない存在なんだ……」
王家の血が流れているのに捨てられた。父は、母を見殺しにした。さらに今回の襲撃作戦は父が関与しているという。
父は何を憎み、なぜこんなことをした……?母は許せと言った。だが、許せない。許せるわけがない。なぜ、許せるんだ?
「どうせ要らないと分かっていたら……始めっから殺してくれれば良かったのに……」
「間違っている」
「え?」
否定の言葉を口にしたのは、ラクスだった。
「頭、あんたは俺たちには必要だ。あんたは海の王者となる。あんたは必要なんだよ。少なくとも俺は……あんたについて行くぜ」
雲花目を見開いて彼を見た。ラクスが笑った。力なく雲花も返す。
「なあ、頭、知ってっか?エルメンには伝説がある。恋人たちは別れても、巡り巡ってまた会うんだ。一度の人生の間だけじゃない。生まれ変わってもまた、だ」
くすっと雲花が笑った。
「ありがとう……」
災いの子、孤独の呪い。だが、独りではない。
「ラクス、商売の方はうまくやってくれ。たしかカルナック諸島にいくつか船を隠していたな。売っていいぞ。船を失った海賊もいる。儲けられるだろう」
威勢よくラクスが返事をする。少しだけ、空気が軽くなった気がした。
ラクスが出ていってしまうと、彼は耳を澄ませた。船室から、ばか騒ぎが聞こえる。自分だけが闇に閉じ込められている気がした。
酒を飲んで楽しもうなんて、そんな気分にはなれない。だけど。
「楽しそうだな。何してるんだ」
「あっ、お頭。いや、またこうして酒が飲める祝いを……」
雲花の足はその賑やかな空間に向かっていた。
「呑気だな。海軍に襲われたんだぞ。頭が殺されたんだぞ」
不謹慎の文字が全員の頭に浮かんだ。雲花の言葉に、一気に場が冷める。しかし、それを掻き消すように雲花が言った。
「まあいい……この世は生きてる奴のもんだ。今夜は飲むぜ。忘れたいことがありすぎる」
再びわっと場が盛り上がった。
「ようし、それじゃあ、今生きてることに乾杯!」
海賊達は、雲花の声に合わせて口々に乾杯を言い、酒を飲み干した。
『Je veux, je veux regarde la mer...』
舟唄を誰かが歌っている。がらがらの声だ。しかも、かなり調子外れの。皆、それに合わせた。調子外れの唄は、もっと狂っていった。唄には聞こえない。ただの怒鳴り声だ。しかし皆、笑っていた。
「忘れてえんだよ……何もかも……」
その喧騒の中、雲花は誰にも聞こえないよう、小さな声で呟いた。
港の襲撃からわずか三日後のことだ。深夜に雲花を訪ねてきた人がいた。彼らは港の桟橋に向き合って立っていた。
「何の用だ」
睨みつけながら、吐き捨てるように言ったのは雲花だ。相手は臆する様子もなく微笑んでみせた。
「ふん、まだ生きていたのか……」
その一言に、雲花の眉間に皺が寄る。
「何の用だと聞いている」
極めて感情を殺して訊ねた。相手はなおも挑発するようにせせら笑う。
相手の隣にいた男―――海軍准将の制服の男―――が、一歩進み出た。
「無礼であろう!この方はシャルトレーズ国王であらせられるぞ!」
小声で諫めると、今度は雲花が笑った。
「……准将風情が、貴様こそ無礼であろう。私にはシャルトレーズ王家の血が流れているのに」
准将が情けない声をあげて、一歩さがる。彼は震えながら主君を仰ぎ見た。国王アイオロス五世は、横目で興味なさそうにそれを見た。
「ならば王子として我が命を聞くか。この度、シャルトレーズはアストレーズとカルディリアと戦争をすることとなった。お前には是非、海を任せたい。悪いことは言わない。公にお前の存在を知らしめ、お前に将軍位を授けよう」
「王子……?俺がか、笑わせんな。俺はお前と血の繋がりがあるのすら嫌なんだ。この上なぜお前と父子ごっこをせねばならない」
アイオロス五世が難しい顔をした。それは私の命令を受けないということか、と睨みつける。
暫くの間、二人の間に沈黙の亀裂が走った。
「そうか……ならば、戦の間はくれぐれも邪魔をするな。そして、シャルトレーズに近づくな。撃ち沈めるぞ」
「言われなくとも、こっちは好きにさせてもらう。帰れ、ここはお前がいていい場所じゃない」
アイオロス五世は少々面食らったような顔をし、不敵に笑うと踵をかえした。准将も国王に従う。
暗い海の音を聞きながら、雲花は一人、そこに立ち尽くした。
あいつがやったんだ。全て、あいつのせいなんだ。殺そうと思えばできた。たかが准将一人、いたところでなんの障害にもならない。やればよかったのか?
彼は静かに目を閉じ、ゆっくりと開いた。相変わらず目の前には暗闇ばかりだ。
「俺は……俺は自由だ……」
顔を覆い、空を仰ぐ。彼の呟きは星にも届かない。
それから暫くして、シャルトレーズとアストレーズ・カルディリアは戦争状態に突入した。それまでの間にカルディリアからも使者がきた。海軍に入らないかというものだ。だが、雲花はそれをつっけんどんに断った。
「頭が良い奴って、馬鹿なのか」
酒を煽りながら彼は呟いた。
アストレーズではもともと酒の密売をするつもりだったが、戦争になってから、アストレーズは貿易によって金をかけて仕入れていた殆どの酒を規制してしまった。だから、密売すると高価で、かつ飛ぶように売れたのだ。かなりの儲けだ。
「俺はもう関係ない……切り捨てたのはあいつなのに、なんで巻き込まれなくちゃいけないんだ」
今日もどこかで繰り広げられる戦い。今も戦火は夜空を照らす。アストレーズやカルディリアに今のシャルトレーズに完全に対抗できる戦力はない。 だから、早期に終わるだろう。
風の噂で聞いたことだが、彼の弟も初陣として指揮を執るらしい。まだ十五歳のはずだが、陸軍の一司令官としてカルディリア国王カヴール二世に手傷を負わせたということだ。
同じ血を分けた兄弟でありながら、なぜこうも違うのか。
「……俺が守らなくちゃいけないものは、あいつらとは違って単純だからな」
一人呟き、彼は目を伏せた。




