十四、流星光底之宴(二)
「俺が、お前の妹を?…… 梦话(寝言だ)!」
呆れたように雲花が吐き捨てる。
「殺る理由がねえだろ」
しかし、梅鈴は断固として首を横に振った。
「あんたはアストレーズで酒の密売するんでしょ!桃鈴も目をつけていた!邪魔だったから、だから!……リーラに頼んだんでしょ?……名前を言うのも穢らわしいわ」
そう言うと、梅鈴は腰の刀に手をかけた。音もなく抜くと、月の反射光が闇に踊る。彼女の瞳は潤んでいる。暗闇の中でだってそれが分かる。
「あたしの目も曇ったのね……あんたがこんな裏切り者だってのに、気付かない……」
声が震えている。彼女は刀を構えたが、雲花は動こうとしなかった。切っ先が彼の心臓を見つめる。
どうやら彼女は自分の考えに飲まれている。いや、自分だって人のことを言えないだろうが……。雲花は説得を諦めた。自分の頭の中ですらぐちゃぐちゃだ。考えるのにも疲れてしまった。
「梅鈴、落ち着け。俺を信じたくないのは分かった。でも本当に俺はやってない……俺はお前を信じるよ、無条件に。証拠もないけれど……。疑って悪かった。だから、お前も信じてくれないか」
梅鈴は優しく微笑んだ。雲花は安心しかけた、だがそれはすぐに打ち砕かれた。
「無理よ」
彼女は銀狐。目は爛々と輝き、目の前の獲物を狩ることに悦びを覚えている。言葉が届かない。
「だいたい……あんたにあたしの何が分かるって言うの?」
「分かるよ……」
袖を握り、雲花は呟いた。梅鈴はますます彼を睨む。一言も発さないが、彼女の瞳がなぜ分かる、と問いかけていた。
「分かるよ。経験することは違っても、痛みは分かる。どんなにか辛くて、死にたいかっていう気持ちは分かる。経験することは違っても、痛みは分かるんだ」
一人ぼっちになった時のこと。大切な存在を、理不尽な理由で失ったこと。思い出しても胸がむかつく。過去に引きずられる。呑み込まれる。
梅鈴は一瞬目を見開いた。だが、すぐに憎しみを滲ませる。
「うそ!あんたの言うことは全部でまかせだ!人間なんて、もう信じるもんか!」
「梅鈴!」
その雲花の言葉を合図にするかのように、辺りの景色が変わった。色彩が踊る―――なんだこれは。
「軍だ!」
シャルトレーズ海軍の奇襲だ。辺りで呑み、馬鹿騒ぎをしていた海賊達が剣を抜く。一気に酔いを覚ます冷たい風が海から吹く。広がる炎が辺りを紅く照らす。煙の匂いが鼻につく。足音で地面が揺れる。
「あんたの客ならあんたがもてなしなよ!」
梅鈴も剣を抜き、鬱陶しそうに雲花に吐き捨てた。
「俺の知り合いにこんな奴ら、いねえよ!」
彼も乱暴に答える。
刀を抜いた。囲まれている。道を開かなければ。だが、多すぎる。多勢に無勢だ。
「畜生、やるしかねえのかよ!」
誰に聞かせるともなく声を荒げ、雲花は手近な兵に斬りかかった。あっという間に辺りは別の赤に染まった。
血の匂いに酔いそうだ。どうせなら酒に酔いたいのに。腹の底から何かがこみ上げる。必死に堪えて剣を振るった。
ふと梅鈴を探すと、兵に囲まれてはいるが闘っている彼女が見えた。返り血を拭いながら、彼は自嘲気味に笑った。
あんなに嫌われたのに、憎まれたのに―――まだ求めているんだな。馬鹿馬鹿しい。心の中で舌打ちした。
「聞け、ドブネズミども!」
後ろの声に、雲花が振り向く。年配の将校が立っていた。少将の階級。鋭い眼光。偉そうな態度。ふんぞり返るようにしている。きっといつも司令官室でそうしているのだろう。
「なんだ貴様」
向き直った雲花の顔を見て、将校ははっとした。口が半分開いている。
「なんだって聞いてんだよ、てめえの耳は飾りか?削ぎ落とすか!?喜べ、ブタの餌にしてやるぜ」
雲花の罵声を咳払いで鎮め、将校が一歩進み出た。
「私はユリウス=バジリス=ラ=キール少将だ。この度、国王アイオロス五世の命令により、ガカダンピカの港を浄化することとなった!よって貴様らを始末する!」
アイオロス五世の名が出たとき、雲花は一瞬顔をしかめた。だが、すぐに不敵な笑みに隠される。嫌な笑い方で彼は口の端をつり上げた。
「撤回するなら今のうちだぜ」
将校よりも先に、雲花が動いた。火花が散るほど刃がぶつかる。幾度か刃を交え、その度に形勢は雲花の方が有利になった。
キール少将は表面は笑いながらも、焦りを隠した。
さすがアイオロス五世陛下の子だ。王者の目をしている。口ばかりではない、強い。
だが彼自身、ここで死ぬわけにもいかない。目で合図して、部下を集めた。いくら強くても、数がいればいつかは負けるだろう。例え卑怯と言われようが、シャルトレーズ国民の安全のためなら、そんな汚名は安いものだ。
「やれ!」
キール少将の一声で、雲花はぐるりと囲まれた。刀を構え、人数をざっと数える。十五、二十、いやもう少し。面倒だ。もう何も考えたくないのに。
斬る度に手が痺れそうになる。目が霞む。闇に喰われそうだ。
梅鈴、梅鈴―――!
彼はもはやそれしか思わなかった。
そして、そんな彼の耳に届いたのは、ひどく鈍い音だった。
紅。
その一言に尽きる。
世界がゆっくりと倒れていく。彼女は薄い焦げ茶の瞳で、遠くを見ていた。
「梅鈴!」
雲花が彼女の名を呼び、囲んでいた兵をがむしゃらに斬りつけ、殴り、蹴倒した。そのまま道を開くと、まっすぐ梅鈴の方へ走る。しかし梅鈴も囲まれているし、他の海賊達も暴れている。なかなか進めない。
梅鈴を囲んでいた兵を斬りつけた。また殴り、蹴倒す。海軍は戦況をみて、キール少将の合図で場所を移り始めた。
「どけ、乌龟蛋!」
悪態をつきながら、彼自身も真っ赤に染まりながら梅鈴に駆け寄った。地面に無惨に転がる身体につまずき、痛む身体に鞭を打つ。生き残って逃げる海賊が、お前も早く逃げろ、と声をかける。だがその言葉すら風のように吹き抜けるだけだった。
梅鈴は首を切られていた。しかも、中途半端に深い。抱え起こす雲花の白い着物が紅くなる。
「梅鈴……!」
その呟きに、梅鈴が微かだった意識を取り戻した。そして、獣のような唸り声をあげ、短刀を掴んだ。
「やめろっ……!」
目をぎらつかせ、狂ったように叫びながら梅鈴が短刀を降り下ろした先は、雲花の右腕だった。鈍い音、鈍い感触。雲花は口の端から漏れる声を圧し殺し、短刀ごと彼女を抱き締めた。暑い。熱い。あつい。
「放せぇっ……!」
がらがらに掠れた声が腕に閉じ込めた中から聞こえる。だんだんと抵抗がなくなる。そして遂に彼女は刀から手を離した。右腕が脈打つように痛む。
「ごめん……梅鈴。どんなに俺のこと嫌いでも……俺はお前が好きだ。信じたい―――」
右腕から血が川のように流れる。彼女の首からも流れ出る。着物がまた紅くなる。血と想いの分だけ重くなる。
「あたしは……」
ほとんど聞こえない微かな声がした。
「あたしは……あ……あんたが、憎いのにっ……」
憎いのに―――。
その先を、彼女は言わなかった。自然に身体の力が抜け、体重を雲花に預ける。
小さく彼女の名前を呼んでみても、彼女は答えなかった。抱き締める手に、少しだけ力を込めた。だが彼女は何も反応しない。
こんなものなのか?永遠の別れは。いや、彼女は銀の髪。玉蘭の伝説では、銀の髪の持ち主は生まれ変わるはず。だが、生まれ変わってもまた、憎まれたままなのだろうか。
憎いのに―――。
言わなくても、その先は分かった。なんとなくだ。根拠などない。同じ気持ちだったから。
もし彼女がリーラを殺していたなら、雲花も彼女を憎んでいただろう。心の底から恨んだかもしれない。だが、どんなに恨んでも憎んでも、やはり―――やはり、好きだ。その愛しさに、嘘はつけない。
銀の髪が紅くなっている。血が少し乾いて固まっている。雲花の着物も固くなり始めていて、気持ち悪かった。
一度彼女を放し、彼は右腕を見た。刺されたところは血が止まりかけている。迷わず抜いた。
「―――っ」
鋭い痛みに鳥肌が立つ。再び血が溢れだし、慌てて布切れで止血した。以前梅鈴に最初に会ったときも刺された。そして今回刺されたのも同じ場所だ。なにも同じところを刺さなくてもいいのに。
短刀は懐へしまいこんだ。
辺りはいつしか静寂に包まれていた。海軍はどこへ行ったのだろう。
出来るだけ優しく梅鈴を抱き抱え、雲花は立ち上がった。海へ。海へ彼女を返そう。風の噂に聞いた。彼女は妹を海へ返すよう頼んだらしい。だから、波間をさすらって妹に会えるように。
そっと髪飾りを外す。螺鈿細工の髪飾り。まさか、本当に形見になるなんて。笑えもしない。はらりと銀髪が流れる。その隙間から、彼女の耳に茶色い鳥の羽の飾りがあるのが見えた。
そして彼は、ふらつく足で前を目指した。
頭であるアルダン=ラスツァの船に辿り着いて、また愕然とした。
なんだ、ここもか。ここも紅いのか。
重なる屍、こだまする呻き声。なんて汚い世界。
「狗!生きてたのか……。大変だ、頭がやられた。早く診てくれ」
頭が?
無表情のまま、彼は船長室へ向かった。
生き残った海賊が、その周りを囲んでいた。雲花が歩くと、道ができた。
横になっているアルダン=ラスツァを見て、確信した。助からない。
「どうだ、狗。なんとかして助けて―――」
「やるだけ薬の無駄だ」
その言葉に、何人かが呻いた。すると、殆ど死んだようにしていたアルダンが薄目を開け、口を動かした。
「狗……俺はお前に殺られたかったんだがな……まあいい……次の頭はてめえだ……俺と同じ、名を名乗りな……カルヴォってな……」
「見殺しするのも殺すことだ、頭」
雲花の一言に、アルダンはふっと笑った。そして、最期に意味のない呻き声をあげ、静かになった。何人かが息を飲む。ただ、雲花の耳には、その呻きは「紅榴」と言ったように聞こえた。
雲花も無表情を装っていた。だが、駄目だった。涙が一筋、頬を伝う。
悲しくなんてないはずだ。こいつは母を殺した。いつか殺そうと思っていた。なのに。皮肉なことに、生きる術はすべてこいつから学んだ。
真っ赤になった着物の袖を握りしめ、雲花は呟いた。
「てめえら聞いたよな。俺が頭だ。……文句あるやつは?」
皆、首を横に振る。
アルダン=カルヴォ……。どんどん名前が変わっていく。頭、俺はてめえの何なんだ。
「この死体を海に捨てろ。敬意を込めてな」
あっけない別れだ。憎み、恨んだ奴なのに。なぜ寂しさや悲しみを感じなければならない。
血で固くなった着物を着替えた。水浴びくらいしたいが、まあ文句は言えないだろう。桜の柄の白っぽい着物に手を通す。
「頭、これからどうなさるんで」
部下の一人が口を開いた。
「ここにとどまる。船にある余分な品物のなかで……布でもさばいてろ。金が出来たら港を出る」
海賊達が返事する。
彼はそれ以上は何も指示を出さず、一人で船長室に籠った。灯りをつけていないので暗い。そっと琴を手に取った。玉蘭の伝統的な楽器だ。弦を弾く。透明な音が、まるで雫の滴るかのように聞こえる。彼はまた弦を弾いた。
闇が重い。いつも潜み、楯にし、利用してきたこの空間が。
知らぬうちに、彼は玉蘭の故郷、南門に古くから伝わる民謡を口ずさんでいた。琴を掻き鳴らす。
「頭……?」
声にはっと振り向くと、そこにはエルメンの海賊であるラクス=ユゴーが立っていた。いつからいたのか。分からない、それほどまでに心が乱れていることを自覚せざるを得ない。
「……どうした……?」
抑揚のない新しい頭領の声に、ラクスは眉を寄せた。




