十、六鶃退飛
「アストレーズは今、酒に規制がかかってるんだとよ」
闇夜に揺れる海賊船の上で呟いたのは、アルダン=ラスツァだった。隣では雲花が聞いていた。潮風が闇と同じ黒髪を弄び、しなやかに風に流れる。
「ふうん……で?俺に何をさせようってんだ、お頭」
アルダンはちらりと彼を見た。そして、口を開いた。
「密売。狗、お前に任せようかと思ってな。これからアストレーズのケルーニャへ行って武器を買って、部下に渡して一回エルメン王国の隠れ家へ運ばせる。俺らはその後シャルトレーズ王都エートスへ行ってからアストレーズ王都イーストラへ行く。そこで密売するんだ。儲かるぜ」
雲花は疑惑に満ちた目で彼を見た。何が目的だ、と低く唸る。アルダンは怯えた犬をなだめすかすように笑った。
「まあ、睨むな。お前には随分と恨まれて当然だとは思うがな。……そう、儲かるんだ。お前はそこから金をとっていい、俺が許す。金さえあればな……一所に住むことだって出来るし、商売の元手になる。家族だって養える」
雲花ははっとした。頭に一人の女性が浮かぶ。銀髪の美しい―――。
「どうだ?孽。悪い話じゃねえぞ」
雲花はまだ信じられないといった目付きで海賊王を見ている。
「ほんとに―――ほんとに?」
ああ、と海賊は頷いた。
心臓がどきどきした。これで上手くいけば、あの人を迎えられる。生まれ育った玉蘭の南門に帰って、母のように薬屋でもやろう。紅榴の直伝だと宣伝すれば、きっと飛ぶように売れることだろう。
高鳴る胸を抑え、彼は出来るだけ笑っていないふうを装って答えた。
「分かった、お頭。約束だな」
「ああ。約束だ。先に商人に連絡だけはしておくか」
ケルーニャという街は、赤茶色の煉瓦で出来た家に、同じような煉瓦で出来た道が通り、とても綺麗な街だった。もちろん、雲花も幾度か訪れたことはある。
「よし、俺は武器を買ってくるからな。お前らは補給をしろ」
アルダンが出掛けると、船員達は次々に街へ繰り出した。雲花も薬や青物の並ぶ方へ歩いていく。ケルーニャはカルディリアに割りと近い街で、冬は寒いところだ。ひどく寒い冬は、海が凍ることもあるらしい。この季節はたいしたことはないが、シャルトレーズに比べれば涼しいだろう。
街を歩いていると、一人の女性が目にとまった。
「リーラ?リーラじゃねえか?」
栗色の髪を一つに三つ編みにした女はくるりと振り向いた。快活な青の瞳が見開かれる。彼女は雲花と同じくらいの年齢のようだ。
「あ、あなた……!どっかで見たことあるわ!」
「ほら、俺だよ。紅榴のガキだ」
ああ、と彼女は手を叩いた。しかし、どうやら名前までは思い出せないらしい。雲花は今の彼の名前である小瀧を教えた。そんな名前だったかしら、と首を捻る彼女に、無理矢理納得させる。
「何年ぶりかしら、十年くらい?」
「そうだな」
彼女は紅榴のもとを訪れる女海賊にくっついていた少女だ。二人の母親は友達で、その女海賊が紅榴のもとに泊まったりなどして、二人は幼い頃から顔馴染みだった。話を聞けば、今は母とは別れて海賊をしているのだという。しかし雲花は、自分のことは喋らなかった。彼女も深くは聞かなかった。
そしてそこには、物陰から二人を眺める一人の男がいた。だが、二人は全く気付かなかった。
ケルーニャを出て海を行くと、エルシャンデル海でアルダンの配下の船が待っていた。船にはアルダンの直接的な配下の中でも最も若い海賊、ラクス=ユゴーという者がいた。アルダンと彼はエルメン王国の言葉で会話していた。
「お頭、あんたエルメン語話せたのか」
ああ、と彼は頷いた。エルメン王国は辛うじて、発達しているヴローラ文化圏に入っている島国だ。海を渡って大陸へ行けば、そこはもう植民地という本当にぎりぎりのところにいた。
「話せるもなにも、俺はエルメン人だぜ。ちなみにあいつもだ。なんだ、さすがにお前でもエルメン語は喋れねえってか?」
いや、と雲花は首を横に振った。
「エルメン語も喋れるけど」
可愛くねえの、とアルダンはパイプを吹かし始めた。
「俺の名前な、アルダン=ラスツァってえの。これ、古エルメン語なんだぜ」
へえ、と雲花は彼を見た。アルダンは得意そうに話した。
「アルダンは『海の子』―――アルドってのが『海』って意味だ―――で、ラスツァが『第一の』って意味だ。つまり俺は、一番の海の子ってことだ」
そう言って彼は大笑いした。嘘くせえ、と雲花が笑った。
「ラスツァが『第一の』、カルヴォが『第二の』、それからトレドゥが『第三の』……とまあ、こんな具合に続くわけよ。まあ、俺は考古学者じゃねえから詳しくはねえけどよ」
ふーっと煙を吐き出すと、白いもやは潮風に掻き消された。
エートスに着いたのは、それから数日経ってからだった。そこで雲花は思いもかけなかった人物に出合い、胸を高鳴らせた。
「梅鈴!」
銀髪の海賊。くるりと振り向いた彼女の顔を見た瞬間、胸に熱いものが込み上げた。ほとんど無意識に、彼女を両腕の中に閉じ込める。腕の中から嬉しそうな悲鳴がする。
お互いにふふっと笑って体を離した。
「偶然ね!私、一昨日ここへ来たのよ」
「そうか、俺はついさっきだ」
またこんなに早いうちに会えるなんて―――。
「なあ、今晩また会える?ここで待ってる。渡したいものあるんだ」
にこっと笑って彼女は頷いた。
「ええ、楽しみにしてる」




