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『ふりちりすべる』を読もう

作者: はのじ

いわゆるレビューです。

『ふりちりすべる』 作:ぱじゃまくんくん男


 『キモオタの国盗り物語』(※)に続くシリーズの第二弾である。


 まずは前作『キモオタの国盗り物語』から簡単に紹介しようと思う。


 『キモオタの国盗り物語』は、浅い歴史知識しかもたない二次元大好きキモオタ巨漢デブ男が、戦国の世に――織田信長が台頭する直前――タイムスリップするところから始まる物語である。

 ひょんな事から織田信長に見出され、歴史を追体験していく。女に惚れて、桶狭間で勲功第一位、女にふられ落ち込む。女に惚れて、戦で死にそうになる。女にふられてふさぎ込む。女に惚れて、子供が出来て、女にふられ、利用され、家臣団に、子供に、女に、皆に馬鹿にされる。

 一喜一憂と喜怒哀楽が激しく思い込んだら周りの声を聴かない。やっとのことで魔法使いを卒業したかと思えば、ハニートラップ。呆れた信長がパワハラで鬼嫁を押し付けるが、床すら一緒に出来ない。職場では上司に殴られ、家庭では子供と嫁に諌められ萎れる。

 なんだこれ?ろくでもない人生、物語である。


 文体は一人称。地の文に「w」が多用され、本格小説を好む人には納得できないかもしれない。途中でつらくなるかもしれない。だが兎に角読むべし。物語りはここから始まる。『キモオタの国盗り物語』は『ふりちりすべる』につながる大きな序章…ではない。『キモオタの国盗り物語』自体が物語として非常に面白いのである。

 ふられてもふられても、失敗しても失敗しても、殴られても殴られても、死に掛けても死に掛けても、何度も奮起して立ち上がり、立ち向かって…いってるかもしれない「牛太郎」の姿を追いかけて欲しい。マジでw


 タイムスタンプも見て欲しい。恐ろしいほどの更新速度である。作者の物語に対する執念すら感じられる。

 文章の構成・表現・台詞回し。一度読み終わり、再度読み返した時に明らかな変化に気が付くはず。リアルタイムに拝読していた時には分からなかった。それは箪笥が日々1ミリメートル動いてもなかなか気が付かないのと同様である。表現が微妙であるが、主人公「牛太郎」の成長と共に作品自体が成長していたのだ。作者は狙って徐々に文体を変更していったのだろうか?それとも執筆している間に作者が成長したのか?文体の成長は『ふりちりすべる』に到っても終わらない。どこまで成長するのがろうか。楽しみの一つである。兎に角読むべし。


そんな『キモオタの国盗り物語』に続く『ふりちりすべる』であるが主人公「牛太郎」の特徴を簡単に説明すると以下の点が上げられる。


・キモイ

・オタク

・童貞

・デブ。但し事情により痩せる。

・調子乗り

・猪突猛進。ただし一生懸命

・女好き。但し一途

・情けない

・弱い

・情に厚い。ただし斜め読みでは読み取れない!

・ヘタレ

・引きこもり

・威張りん坊

・泣き虫

・独占欲が強い

・金儲け大好き

・強運

・恐妻家

・時に冷酷。ただし事情あり


 ざっと挙げただけでもこれだけある。「なろう」の作品群にあるまじき主人公である。最強?チート?そんなものは一切ない。この作品にそんな無粋な要素が加わった時、この物語は陳腐化する。そして読者は間違いなく離れていく。

 唯一「なろう」の主人公に共通する要素と言えば強運くらいだろう。ただし、その強運は振り返ってみればといった程度のものでしかない。ご都合主義は存在しない。


 何度も言うが本当にろくでもない主人公である。

 だが、そこが良い。

 あなたは自分は「牛太郎」の様に情けない人間じゃないと言えるだろうか?

 本当にそう言えるだろうか?もう一度自問して欲しい。本当に上に挙げた要素で貴方に当てはまらないものは無いだろうか?

 誰しも相対的にキモイ部分があるだろう。誰もが童貞だったはず。情けない部分もあるだろう。泣いたことが無い人間がいるだろうか?お金はいらないか?寂しい夜に異性を求めた経験はないか?長いものに巻かれたことは一度や二度はあるだろう。


 当初、「牛太郎」は作者を投影している人物だと思っていた。少なからずそういった部分はあるのではないかと。しかし途中で気が付いた。「牛太郎」は「私」だ。「私」の情けない部分を投影しているのだと。この時から「牛太郎」への感情移入が始まる。


 「牛太郎」は兎に角一生懸命である。見方によっては健気なくらいである。下心や打算は勿論ある。だって人間だもの。これほど人間らしい人間は「なろう」では「牛太郎」しかいない。

 「牛太郎」が泣けば「私」も泣き、「牛太郎」が喜べば「私」も喜ぶ。そして「牛太郎」の失敗する場面や情けない場面を覗けば……申し訳ない。笑った。ニヤニヤと……。

 だからだろう。牛太郎は多くの読者に愛されている。毎日数千人の読者が「牛太郎」に会いに来る。

 あなたがお気に入りに入れている作品は、泣けるか?笑えるか?切なくなるか?


 ―――感動するか?

 

 何やら褒めてるのか貶しているのか分からなくなって来たので少し軌道修正して『ふりちりすべる』の魅力を更に紹介したい。




◆存在感を放つ登場人物

 この物語には多くの魅力的で個性的な人物が登場する。

 主人公である「牛太郎」こと簗田出羽守政綱を筆頭に、頼りない父を支える養子の簗田左衛門太郎。

 家臣団では「牛太郎」の一の子分、ハチマキこと馬丁の栗之介。堺で商売に勤しむ中島四郎次郎。簗田家与力の佐久間玄蕃允盛政と、もと忍の大石新七郎。宿屋七左衛門と弟の治郎助。「牛太郎」をオヤジと慕う森家の当主森勝蔵。生意気で理屈をこねる小姓の大蔵新三(長束利兵衛)。太郎の叔父の簗田弥次右衛門。食客、本多弥八郎。元信長の乱波、篠木於松。

 綺麗どころでは、鬼梓ことあずにゃん。さゆりことさゆりん。あいりことあいりん。彩ことあーや。お市様。お犬様。茶々、江、初の三姉妹。孫の駒(TT)、たま、すえ、お貞(?)、かつ(?)。

 掲示板ではお犬様派が多いが、私はあずにゃん派である。しかしながらさゆりんも捨てがたい。だがお犬様との差は僅差である。つまりは甲乙丙丁付けがたい。

 登場するのは人間だけではない。簗田家の軍馬。狂い馬にして猛獣の愛すべき栗綱と黒連雀。そして黒連雀の子クロチビ(暫定)。『ふりちりすべる』には馬にも素晴らしいエピソードが用意されている。


 物語の多くは彼彼女達を中心に進んでいく。

 当然多くの武将も登場する。織田信長、羽柴秀吉、徳川家康、明智光秀、竹中半兵衛、前田利家。有名所でもこれだけある。多すぎて列挙しきれない。

 敵役も豪華である。浅井長政。武田信玄。人生を掛けて命のやり取りをする山県昌景。そして、第三部につながる最大の敵と思われる……。


 『ふりちりすべる』の大きな魅力の一つとして彼彼女達全員に背景が用意されていることであろう。薄っぺらに登場して名前と大まかな容姿だけを列挙しているだけの物語とは一線を画している。そしてこれだけの登場人物を配置して、破綻することなく見事に書きあげている。 登場人物を活き活きと、細やかに内面まで描いている作者の巧みな文才は尊敬に値する。ただひたすら敬服する。



◆生々しく泥臭い

 不条理に怒鳴られる。気分次第で殴られる。居たたまれない程の白い目で見られる。随所に理不尽さがにじみ出ているがこの時代に人権などない。上が白と言えば烏も白い。パワハラここに極まれり。

 上司の命令で日本各地を飛び回り陰謀を張り巡らすが、息子には白い目で見られ、鬼嫁には頭が上がらない。手下に威張ろうとするが、失態を繰り返し締まらない。

 だが、いざという時、息子は父を助け、嫁は夫を支え、手下は命を掛ける。

 テレビの時代劇では現代アレンジがなされ、妙に人権思想が伺えどこかそらぞらしい。『ふりちりすべる』には理不尽で生々しく泥臭さがあるせいか、実にリアリティを感じる。どいつもこいつも、実に人間臭い。戦国の世に生きる人間とはこうあるものかと、実に腑に落ちた。


 彼らは物語の中で生きている。血と汗と鼻水と泥とに塗れ、生と死が交互に行き交う戦場で泥臭く、生々しく生きている。きれい事だけではない。むしろ人間の裏の汚い部分をこれでもかと言わんばかりに表現する。殴る蹴る怒鳴る。そして簡単に死んでいく。その中で必死に生を求める者、足掻き苦しみながら死んでいく者がいる。戦国の戦は現代の戦争の様に人道的な規定など存在しない。しかし戦場の狂気の中、男達は愛する家族の為、名誉の為、主君のため、栄達の為、命を掛ける。そして死の瞬間に眩いばかりの輝きを放つ。



◆物語を彩る華

 物語には実に多彩な華が登場する。中でも印象に強く残るのが、あずにゃん、さゆりん、お犬様の三人であろう。勿論魅力的な女性は他にも多く登場するが、あえて、いや読めば貴方もこの三人の魅力に取り付かれるだろう。


 「牛太郎」は女好きである。優しくされると簡単に惚れる。一途に。

 一途に惚れるからこそ、失恋した時に「牛太郎」は激しく落ち込む。そして立ち上がり出会った女性に惚れる。そんな「牛太郎」を皆は笑う。だが、先に挙げた三人。この三人だけは「牛太郎」を男性として真剣に向き合っているのである。


 私の一押しはあずにゃんこと梓である。

 鬼梓。柴田権六の妹。

 「牛太郎」は梓に頭が上がらない。権六も梓に頭が上がらない所が面白い。「牛太郎」どころか、簗田家の誰もが梓に頭が上がらない。

 簗田家の女帝である。

 梓が「牛太郎」に暴力を振るう時には必ず理由がある。主に妬心からであるが、いかに梓が「牛太郎」を愛しているかが暴力を以って伝わってくる。不器用なのである。今までの生き方から、普通に「牛太郎」に接することが出来ない。それでも健気に「牛太郎」を支えようとする姿に心を打ちぬかれたのは私だけではないはずである。(物理的に)殺人的な暴力と対照的な(私の精神を持って行かれるほどの)デレ具合。梓は作者の女性の好みを投影していると思っているが、これは究極のツンデレである。


 エピソードを一つ。

 小姓から離縁を勧められるほどの暴力を梓から受けるが、とある理由から離縁は出来ない。だが離縁しない理由はそれだけではない。結局お市様の口添えで和解する二人。好きな挿話の一つであるが、二人の関係を表す実に素敵な結末となっている。

 私もあずにゃんの様な嫁が欲しいものである。



◆成長物語

 何度も言うが「牛太郎」は格好悪い。隠し事が露見し痛い目にあう「牛太郎」を見て何度笑ったか。だが、失敗を、経験を、年齢を重ね「牛太郎」の格好の悪さは凄みに変わった。

 信長の家臣団に「牛太郎」の活躍を知るものは少ない。業績を知るものは共に行動をした人達だけである。その中には後の天下人徳川家康がいる。いまや「牛太郎」の評価は信長の家中より外部の方が高くなっている。家康が孫同士の結婚を本気にするほどに。


 馬にも乗れなかった「牛太郎」が戦場を一騎駆けし、武田の赤備えを相手に堂々と暴れる。荒くれの若武者達を唖然とさせるほどに。兵棋は信長を瞠目させ、諜略は敵味方を唖然とさせた。狂気は読者の度肝を抜いた。何度も鳥肌が立った。最初から出来た訳ではない。戦場を死ぬ思いで駆け抜け、数々の失敗、経験を繰り返し「牛太郎」は成長した。そんな「牛太郎」だから感情移入してしまい私は涙するのである。



◆圧巻の時代描写

 この作品を執筆するにあたり作者はどれほどの資料を用意したのだろうか。

 私は日本史の知識を一般常識程度しかもたない。故に作中で登場する人物を知らない事も多い。おまけに尾張や堺、甲斐、越後、三河といった地方で起こった出来事にも詳しくない。故に読みながらインターネットを利用しつつ時代背景を同時に調べたりしている。

 故に驚くのだ。作者の歴史への深い造詣に。

 綿密なプロット無くして執筆は不可能と思っているがあまりの更新の速度にプロットを練る時間があるのだろうかと邪推すらしてしまう。

 当然物語はフィクションである。登場人物や出来事もはっきりと出自や背景が分かっていないものもある。だが作者はその膨大な歴史の知識を利用して実に面白く歴史の隙間を埋めていく。大体にして主役の簗田「牛太郎」政綱自体が出自がはっきりとしていない。あずにゃん、さゆりん、あーやは作者の創作人物であるが、篠木於松といった誰それ?的な人物も正確かどうかは別として調べればしっかりと名前とプロフィールが出て来る。まるでパズルの様に歴史に埋もれた人物を配置していく作者の手腕にはただただ脱帽する。



◆確かな文章力

 面白い設定も表現力あってのものである。斬新な物語りも文章が拙いといずれ飽きてしまう。『ふりちりすべる』の文章は実に美しく洗練されている。自然の情景、季節、人物描写、心情の機微。これらが表情豊かに表現される。まるで詩の様に。作者の瑞々しい感性が伺える。一例を引用して紹介したいくらいである。まさに作家を目指す人にこそ呼んで欲しい。


 「なろう」の作品群には、主人公が一人称、三人称と飛びまくり実に読みづらいものもある。読者が第三者視点なるものを希望し作品の質を落とす愚行を作者に強要する風潮もある。『ふりちりすべる』を読んで欲しい。愛憎も狂気も苦悩も憂鬱も歓喜もこれでもかとばかりに訴えかけてくる力を持っている。それは本気で作家を目指す人達が渇望する要素ではないだろうか?あまりの凄みに衝撃を受けるだろう。しかし本気で目指すならそこから立ち上がって欲しい。「牛太郎」の様に。


 『ふりちりすべる』は連載を重ねる毎に表現が素晴らしくなっていく。これは前作『キモオタの国盗り物語』から継続している。だがここで私は反省する。正直、作中「天地鳴動編」で表現力は頂点を極めたと思った。これ以上の作風、構成、文章を超えるのは難しいと涙しながら思った。しかし天地鳴動編は通過点でしかなかった。以降に続く章でやられたと思った。まだ先があったのかと。

 いまだ「牛太郎」と共に成長を続けるぱじゃまくんくん男氏の到達点は見えない。回を重ねる度に次が待ち遠しい。


 賛否あるかもしれないが、個人的に日本が誇る歴史作家である、司馬遼太郎氏・池波正太郎氏・安能務氏・陳舜臣氏・浅田次郎氏・井上靖氏・海音寺潮五郎氏・藤沢周平氏の作品と比べてもなんら遜色がないと思っている。反論は認めるが聞く気は無い。


 作中、だた一度のみであるが作者の自作の短歌が「牛太郎」を通じて詠われている。情景に合ったいい歌である。探してみるのも楽しみの一つではないだろうか。



◆最後に

 私の拙い文章で『ふりちりすべる』の魅力が少しなりとも伝わっただろうか?もちろん感性は人それぞれ、感じ方は千差万別。合う合わないも当然ある。歴史に興味のない人は見向きもしないかもしれない。残念ながら魔法は出てこない、チートも無い、最強ですらない。だがこれはただの歴史小説ではない。恋愛要素もたっぷりと詰まっている。タイムスリップすることからある意味SF要素もあるだろう。君たちの大好きな美女、美少女も出てくる。他にタグがあるとすれば、ツンデレ、青春、妖怪(ばばあw)、復讐、切ない、美形、シリアス、コメディ、友情、歴史、中世、感動、剣、歳の差、少女、etcetc。勿論作品はR15相当。過激な表現もたっぷりとある。実に素晴らしいエンターエイメントではないか。少しでも興味がわいたなら是非読んで欲しい。そして面白さが伝わったなら二度読みをして欲しい。一度通読し再度読み返すことで一度目には気が付かなかった何かが見つかるはず。ちなみに私は既に三週プレイに突入している。


『ふりちりすべる』マジでお勧めです。





 2012年4月8日に『キモオタの国盗り物語』のリメイクとして『不快な男の戦国リストラクチャリング』が発表された。第一話を拝読した限り構成の変更はないようであるが、大幅に文章が変更されている。


 現在『キモオタの国盗り物語』はシリーズ名として変更されている。

 構成は当初の三部構成から四部構成として変更された。ファンとしては非常に喜ばしい限りである。



『キモオタの国盗り物語』シリーズ

  第一部 『キモオタの国盗り物語』(『不快な男の戦国リストラクチャリング』としてリメイク中)

  第二部 『ふりちりすべる』

  第三部 『六月二日。因中にて果は有り』2012年4月27日スタート予定

  第四部 『タイトル未定』


壮大だ……

『六月二日。因中にて果は有り』早く読みてぇ……


4/11

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[良い点] これがレビューとするならば、私は認識を改めねばならない。 ここまで詳細に分析し、考察しているか? できるか? と、問いかけねばならない。 かくも緻密に読み解く姿勢に驚愕せざるをえない。 […
[一言] はのじ様 良い小説をご紹介下さりありがとうございます。 まだ読み始めて、10話程です。 ぱじゃま様の最初の作品にも戻って読んでみました。 多少色合いが違うので少し驚きましたが、ぱじゃまくんく…
[一言]  どうも、ぱじゃまくんくん男です。  いつも僕の作品を読んでくれ、また、このように絶賛してくれてありがとうございます。  前からこのレビューがあったのは存じていたんですが、気恥ずかしくてノー…
2013/06/27 00:16 退会済み
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