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お嫁さんとバーゲンセール(前編)

 『魔王の花嫁』という素晴らしい作品とクロスオーバーする光栄を与えてくださった藤戸様に感謝いたします。

 しかし、藤戸様の描くフリーシャのかわいさの半分も描ききれない自分の力量の低さが情けないやら悲しいやら。

 と、ともかく多少でもお楽しみいただけたら幸いでございます。

 では、本編をどうぞ。


 ※当然いうまでもないことですが、この作品に登場する『魔王』と『フリーシャ姫』はカブト仕様となっていますので何卒ご了承くださいませ。

 本当の『魔王』陛下はもっとかっこいいですし、『フリーシャ』姫は可憐なのですが、カブトにはそこまで力量がないので・・お願いですから許してくだされ(泣)

 グライデル王国の北方に、ナウジス山という一際高い山が存在している。

 年がら年中突風が吹きすさび、見たこともないような不気味な形や色をした草木が生い茂るそこは人が住める場所では決してない。

 しかし、人は住まずとも人とは異なる者達がそこに居を構え暮らしていた。

 

『魔族』


 人とは違う異形の姿、人が持ちえぬ異能の力を持つ種族の者達。

 額から角の生えた者、背中から翼を生やした者、鋭い牙や爪を持つ者、あるいは人の形ではなく、狼や虎、獅子や竜の姿をした者もいる。

 その種族名にある『魔』の力を操る彼らは、風に乗って空を飛び、雷を操り、嵐を呼ぶことさえできる者もいるという。

 他にも地震を起こす者、電光の速さで動ける者、炎を生み出す者と強大な力を持つ一騎当千の者達が存在しているわけであるが、そんな彼らの頂点に立ち彼らをまとめ上げている一人の超越者がこの地に君臨していた。 


『魔王』


 『魔族』達の王にして、人ならざる者達の救世主、そして、人類最大の脅威。

 

 『魔族』の中には人知をはるかに超えた優れた力を持つ者達が多数存在している。

 彼らはたった一人で数千の人間の軍勢を相手にすることができ、小さな都市程度なら一瞬で滅ぼすことが可能なほどの力を持つ。

 だが、そんな彼らですら到底及ばぬ圧倒的な『魔力』を保持している者がいる。

 他でもないそれこそが彼らの頂点に立ち、彼らを統治している『魔王』その人である。


 しかし、『魔王』について人が知っていることと言えばそれくらいしかわかっていない。


 どういう経緯でこの世に『魔王』が生まれたのか、はっきりとしたことは何もわかっていない。

 いや、そもそも彼の一族とされる『魔族』そのものも、いったいどこからきて、なぜこのナウジス山に居を構えたかについてもまるでわかっていないのだ。


『魔王領』


 周辺に存在している人間の列強諸国と比べると、その領土はあまりにも小さく、またそこに住んでいる魔族の人口はあまりにも少ない。

 辺境の小さな小さな一地方の領土。

 普通に考えれば弱小中の弱小勢力に過ぎないのであるが・・実際には全くの逆。

 ここにある戦力が間違いなく世界最強であることを、近隣諸国の統治者達は嫌というほどよく知っていた。いや、統治者だけでなく、国政に関わるもの、経済に関わるもの、それどころか末端の一般市民に至るまで、そのことを本当によく理解していたのである。

 何故なら過去の歴史がそれを物語っていたから。

 魔王と魔族の力を恐れた人間達は、これまで幾度となく『勇者』という名の刺客を魔王領に送り続けてきた。

 だが、その目論見は一度として成功することはなかった。送り込んだ勇者達はみな返り討ちにあって二度と祖国に戻ってくることはなかったのだ。

 何年も、何十年も、そして何百年もそれは続けられたが、結局、どうやってもどんな手段を用いても魔王と魔族達を滅ぼすことはできなかった。

 幸いにも、彼らは北の大地から積極的に出てこようとはしなかったので、やがて、隣接する人間の諸国は勇者を送り込むことを断念し、静観という名目で、魔王領を無視することに決め込んだ。

 こうして現在の魔王領は小さな小さな勢力でありながら、他国からの侵略行為にあうこともなく、平和で穏やかな日々の続く人外の者達の楽園となっている。


 が、しかし。


 だからといって、争いやいざこざがないわけではない。

 頂点に君臨する『魔王』に対して絶対的な忠誠を誓い、彼の元で一致団結している彼ら『魔族』であるが、時に、外敵である人間の軍勢と戦うとき以上の激しさでぶつかりあうときもあったりするのである。


 そして、今、『魔族』達は血で血を洗う、凄まじい抗争を繰り広げていた。


 それも、『魔王城』城内、中央広場の真っただ中で。



「いやあああっ!! それは私が狙っていた口紅なのにぃ!!」


「ちょっと、そのワンピース私が先に取ったのよ、放しなさいよ!!」


「うっさいわね、おばはん、こんなの早いもの勝ちでしょ~・・って、ちょっと、あんた、私がキープしていたスカート持って行かないでよ!!」


「早いもの勝ちだもんね~」


「やだ、これもうすっごい安い、まとめて買っちゃおうかな」


「お、御客様、お一人様一個でお願いします、三十個はちょっと・・」


「レジが大変混雑しております、お急ぎの方は奥のサービスカウンターのほうでって、押さないでください、押さないで、きゃああああっ」


「あ~ら、レイヴンの奥様、今日は一段と羽が毛羽立っていてガサガサですわね。そんな状態になってしまったら美容液は必要ないんじゃありませんこと?」


「いやですわ、ローレライの奥様ったら。奥様こそ、鱗がところどころ剥げ落ちてとっても素敵ですわよ。ひょっとして鱗の内側に塗っていらっしゃるのかしら? 熱心ねえ、無駄ですのに」


「あらあらあら」


「まあまあまあ」


「「お~~ほっほっほ」」


「うわ~ん、うわ~ん。今日のママはいつものママじゃな~い!!」


「こわいよ、こわいよ~~!! ママの目が人殺しの目になっちゃってるよ~~」


「しっ!! 今日は・・今日だけはママと目を合わせちゃダメ!! いい子だから今日はパパと一緒にいようね。でないと意味もなくママのヒステリーが爆発するからね」 


「あなた・・ちょっと、こっちにきてくださるかしら?」


「ひいいいいっ!!」


「これからタイムサービスを開始します。先日告知いたしました、抜群の美肌効果を誇る『詩聖堂製美容液エリクサー スペリオール』通常価格八千八百ルーンを、三十個限定でなんと八百八十ルーンでご奉仕させていただ・・お、御客様の皆様、武器はいけません!! 武器の使用は禁止です!! 魔法もダメです!! 絶対ダメです!! 力づくでどうこうするかたには販売いたしませんので、くれぐれもよろしくお願いいたします!! ってか、言っているそばから隣の人を襲わないでください!! スタッフ止めて止めて!! すたっふ~!! すたっふ~!!」  


 魔王城中央広場のあちこちで繰り広げられている凄まじい激闘の様子を、唖然とした表情で見詰めている一人の少女の姿がある。


 彼女の名は『フリーシャ』


 魔王領の絶対的支配者にして、この城の主でもある『魔王』の妻。

 つい最近この地に嫁いできたばかり、新婚ほやほやのお嫁さんである。


「え~~、なになに、いったい何の騒ぎなの? お祭りでもやってるの?」


 宝石のように美しい大きな瞳を更に大きく見開いたフリーシャは、きょろきょろと周囲を見渡して喧騒に包まれている広場のあちこちに視線を走らせる。

 ある場所には、女性の魔族達が無数に群がって、何かを巡って凄まじい争いを繰り広げているし、またある場所に建てられている大きなテントの前にはたくさんの人々がズラリと列をなしてならんでいる。

 そして、またまた別の場所に視線を移してみると、そこには大量の荷物を抱えた男性の魔族達が、やたら疲れ果てた表情で座り込み、何かの戦いを繰り広げている女性魔族達の姿をうんざりした表情で見詰めていたりしているし、更に別の場所に視線を移すと子供の魔族達が見たこともない食べ物を片手に持って食べながら歩いているのが見えた。

 

「なんなの、なんなの? ぜんっぜんわかんないんだけど?」


 賑やかな周囲の様子を飽きることなくしばらく見詰め続けていたフリーシャだったが、やがて焦れたように隣に立つ人影へと視線を向け直し、そのかわいらしい桜の花びらのような唇を開く。


「ね、ねぇねぇ、これってなんなの? みんな何しているの?」


 美しい鈴の音のような声で幼い少女のように問いかけてくるフリーシャ。そんなフリーシャのなんともかわいらしい姿を、どこかうっとりと、しかし、強い優しさと愛情のこもった夜空の色のような黒い瞳でしばらくの間見つめ続けていた人影だったが、フリーシャのリンゴのようなほっぺが膨れはじめ、唇が尖りだしていることに気がつくと、苦笑を浮かべてゆっくりと口を開いた。


「バザーだ」


「バザー? 何かを売ってるの?」


「ああ、俺の古い古い友人が経営している特殊なキャラバンでな。半年に一度、珍しい商品を売りに来るんだ」


「ええええっ!? わ、私、そんな話聞いてないよ!? どうして教えてくれなかったの!?」


「いや、扱っている商品のほとんどが一般市民向けのものばかりらしいのだ。王族や貴族向けの物はほとんど扱っていないと言っていたからな」


「あ~、そうなんだ。・・でも、さあ、あそこに大量の荷物を持って座りこんでいるのって、あなたの側近達のような気がするんだけど。あなたの側近達って一応貴族や王族待遇じゃなかったっけ?」


「あ・・う、うむ。そう言われたらそうだな。と、いうか、あやつらあんなところで何をしているのだ?」


 フリーシャが指し示す方向に視線を向けた背の高い人影は、そこに自分がよく知る面々がいることに気がついて顔を顰める。

 広場の端っこのほうにあるベンチの前。その前には奇麗に包装された何かの商品が山のように積まれており、さらにその周囲には複数の男性魔族達が疲れ果てた表情でぐったりしながら座りこんでいる。

 どうみても家族サービスに疲れ果てたお父さん達の図であるが、一応そのお父さん達は、この魔王城の中枢を担うかなり偉い人たちでもあった。

 が、今の彼らにはそういう威厳は微塵も感じられない。それどころか『早く家に帰りたい。帰っていっぱい飲みながらごろごろしたいのよ、ボク達は』オーラがでまくっている。

 そんな彼らの様子をなんとも言えない表情でしばらく見つめていた二人だったが、やがて顔を見合わせるとそちらに向かって仲良く歩き出して行った。


「おい、貴様らここで何をしている? 仕事はどうしたんだ?」

  

「何って、そんなの決まっているだろうが。嫁さんの買物に付き合わされて・・って、ま、魔王様、それにお妃様!?」


 最初、声の主が誰だかわからず、座りこんだままぶっきらぼうに答えを返してた魔族だったが、声の主が誰なのか気がつくと、慌てて立ち上がり直立不動の状態で敬礼する。

 声を返していた魔族だけではない、同じように疲れ果てた表情で座りこんでいた他の魔族達も一斉に立ち上がり、自分たちよりもはるかに小さなフリーシャと、そして、彼女を守るようにして立つ青年、いや、この城の主にしてこの地に住む全ての魔族の頂点に立つ絶対支配者たる尊き存在、『魔王』その人に、真摯な態度で敬礼を行う。


「陛下、そして、妃殿下、し、失礼を致しました」


「いや、まあ、よい。よいが、なんなんだ、この買物の量は。こんなに買ってどうする気だ。商売でも始める気か?」


「いやそれが、その」


「それに仕事はどうした? 西の大陸の魔帝や、南の地の魔神から、何か手紙が来ていたようだったが・・貴様達のボスはどうした? この件に関しては奴に一任していたはずだが」


「陛下、実はこれも仕事なのでございますよ。確かに便乗させていただいて私用も兼ねていたりしますが」


 そう言って最初に口を開いた魔族の男性が何かを説明しようとしたのだが、誰かが近づいてくることに気がついて口を閉め、そちらに視線を向ける。

 魔王とフリーシャもそれに気がつき、その視線を追って自分達もそちらへと視線を向ける。

 すると、背中から美しくも大きな鷲の翼を生やした二人の人型の魔族がこちらへとやってくるのが見えた。

 男性と女性のカップルで、二人とも実に見目麗しい美男美女・・なのであるが。

 どちらも両手に抱えきれないほど荷物を持っており、片や疲れ果てた表情、片や真剣勝負の真っ最中のような表情で、折角の美しさが完全に台無しになっていた。


「な、なあ、奥さん、提案なのだが。そろそろこれくらいでいいのではないだろうか? もう十分ご期待に添える程度には買付られたと思うのだが」


「何言ってるんですの、あなた!! 全然全くダメですわ、ダメダメのだめ~~~っですわ!!」


「えええええ~~~っ!!」


「西の帝妃様のご依頼である詩聖堂の化粧品はまだ半分しか買えていないんですし、南の妃女神(ひめがみ)様からご依頼のあった夏物衣料品も全然足りてません。男爵夫人様に子爵夫人様方、うちの使用人達もフル稼働で走らせていますけど全然買えていないじゃありませんか。ってか、なんですかあの公爵夫人様や侯爵夫人様の態度は!! 自分のところの分ばっかり確保して!! 私ももっと買いたいのを我慢して、先に外交先の皆様の分を買っているというのに、こっちの邪魔ばっかりしてくるんですのよ!? あなた。今すぐ公爵様と侯爵様に抗議してきてください。そして、買い控えするように言ってきてくださいませ」


「無理無理無理。絶対無理」


「なんでダメなんですの!! あなたは魔王様の側近中の側近ではございませんか。ガツンと一言言ってやってくださいませ!! ガツンと!!」


「そんな無茶を言わないでくれないか、奥さん。側近とは言っても、それは名前だけで、どちらかと言えば雑用係というほうが正しいから」


「もう~~。かつて魔王様不在の魔族危機存亡のとき、恥知らずにもその隙を狙ってこの城に人間の勇者達が攻めよせてきたことがありました。そのとき、たった一人で彼らを退けた強者、それがあなた様ではありませんか!! その強者の中の強者ともあろう方がなんと弱気なことを仰いますか」


「そんなこと言われても、私なんか中間管理職だし。それに勇者と戦ったなんていうのも所詮過去の栄光というやつだよ。歳はとりたくないな~、ごほごほ」


「わざとらしいからやめてくださいませ。それよりも荷物を置いたら次は衣料品コーナーに参りますわよ」


「ま、まだ行くのか、本気でもう勘弁してほしいのだが」


 闘志満々でいきり立つ美しい妻の姿を苦虫をかみつぶしたような表情で見つめていた男性魔族だったが、やがて諦めたような表情になってなんとも切なげな溜息を吐きだした。

 そして、魔族の男性達が集まっているところへと近づいてくると、そこにある荷物の山の中に今自分達が持ってきた商品を山が崩れないように絶妙なバランス位置に置く。その後、もう一度溜息を吐きだしてがっくりと肩を落とし、疲れた足取りでその場を後にしようとするのだった。


「ちょ、ちょっと待って待って」


 美男美女の魔族カップルが織りなす怒涛の夫婦漫才をしばらくぽか~んと見つめていたフリーシャであったが、目の前の魔族が立ち去ろうとしていることに気がついて慌ててその手を掴んで止める。

 すると、手を引かれて止められた魔族の男性は、フリーシャのほうを振り返ると、しばしぼ~~っとその顔を眺めていたが、それが誰なのかに気がついてそのどんよりした瞳に生気を蘇らせ慌ててその場に跪く。


「こ、これは妃殿下。し、失礼をいたしました」


「あ、いいのいいのよ。忙しい時にごめんね、呼び止めちゃって」


 フリーシャは自分の目の前に跪く男性魔族の慌てて手を取って立ち上がらせると、優しい笑顔を浮かべて見せる。かつて、魔王がフリーシャと姉のマーシアと間違えて誘拐した時、姉を取り返しにきたフリーシャの言葉をすぐに信じて魔王の元へと連れて行ってくれた美しい魔物。それがいま、目の前にいる彼であった。

 その彼は、フリーシャが魔王の花嫁になってこの城に住むようになってからもなにくれとなく世話をしてくれている。


「あのあの、別に立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど、西の帝妃様や南の妃女神様のための化粧品とか衣料品とかって」


「ああ、左様です。どういう経緯で知られてしまったのかわからないのですが、ここのバザーで売られている商品のことを、なぜか他の大陸の王家の方々がご存知でして・・都合をつけてくれないかと書面を送ってこられたのです」


 美しい顔に苦悩の色を滲ませながら、なんとも言えない表情で更に大きなため息を吐きだす魔族の男性。


「そんなにいい商品なの? 一般庶民向けとか聞いたんだけど」


「はぁ、男の私にはなんともわかりませんが・・ぐおっ!!」


「もう、妃殿下がお聞きになられているのに、なんですかそれは!! あなたはちょっとどいていてくださいませ!! 妃殿下、私が説明を代わりますね。このバザーで売られている商品は、それはそれはもう、かなりいい商品ですのよ!!」


「わっ!!」


 フリーシャの問い掛けに対し、肩をすくめて見せる魔族の男性。

 しかしそんな男性を突き飛ばして割って入ってきた魔族の女性が、興奮気味にフリーシャに説明を始める。

 

「値段は本当に庶民が買うような値段なのですけど、その質は非常にいいんですよ。特に化粧品、衣料品はこの世界のどこにもないようなものばかりで、その効果も抜群なんですの」


「えええっ、そんなに!? 例えばどんな風に?」


 突然話に割り込んできた女性の姿にびっくりしたフリーシャだったが、年頃の女の子らしく化粧品や衣料品の話には興味津々であったので、すぐに立ち直って目の前の女性に問いかける。


「そうですわね・・たとえば、ほら、これなんかそうですわ」


 そう言って魔族の女性がスカートのポケットから取り出したのは小さな小さなスティックのようなもの。


「なになに。なんなの、これ?」


「これ、口紅ですわ」


「へ? く、口紅?」


 驚くフリーシャに対し、いたずらっぽく笑って見せた女性は、スティックの上部の円形の蓋を取ると、フリーシャの目の間にまで持って行って底の部分をくるっ廻して見せる。   


「わ、わ、口紅の塊なの、これ? それがこの小さな筒に入っているの?」


 スティックから押し出されるようにして出てきたのは、棒状になった鮮やかな紅色の塊。フリーシャはそれを不思議そうに、しかし、興味深そうにしげしげと眺め続ける。


「そうなんですよ。我々の感覚で口紅といえば、小皿に半分固形になったものを少量入れて売っているものですよね。それを指ですくって唇に塗るようになっているんですけど。これはですね、御后様ちょっと失礼いたしますね」


「え、え、えええっ!?」


 スティック状の口紅を飽きもせずに見つめているフリーシャに、女性魔族はそっと近付く。そして、器用な手つきでスティック状の口紅をフリーシャのさくら色のかわいらしい唇に走らせた後、驚いているフリーシャに小さな手鏡を向けて見せるのだった。


「うわあっ、すごいすごい!!」


「よく御似合いですわ」


「なんか・・大人っぽい」


「でしょ~。この口紅のすごいところは、持ち運びが簡単な上に唇に塗るのも勿論簡単、でも一番すごいのは、身体に害がないってことなんです。普段我々が使っている口紅って、その材料の加減で毒素と無縁でいられませんけど、この口紅はそうじゃないんだそうです。製法はわからないんですけど、身体に無害な材料で作られているそうですよ。実際、この口紅を使うようになってから、中毒症状とかでることがなくなりましたしね。ほんとすごいんですよ!!」


「へえええ~~~っ、そうなんだぁ!!」


 さくら色のかわいらしい少女向けの唇の色から、大人の女性を思わせる艶やかな紅色に変わった自分の唇を見て、興奮気味にはしゃぐフリーシャ。

 ちらっと、横に立つ愛しい連れ合いに顔を向けてみる。もじもじと身体を揺すりながら上目遣いで愛しい人に視線を向け続けてみると、彼女の思い人はなんとも言えないびっくりした表情でしばらくフリーシャを見つめ続け、そして、苦笑を浮かべながら口を開いた。


「うん、まあ、よく似合ってる」


「ほんと?」


「ああ、ほんとだ。しかし・・」


「しかし?」


「・・複雑だ」


 絞り出すようにしてボソリと口にしたその言葉通り、本当に複雑そうな表情を浮かべる魔王。その表情を見たフリーシャは、不安そうに表情を曇らせながら魔王の顔を覗き込むが、魔王はすぐに優しく穏やかな表情となってフリーシャを引き寄せて抱きしめる。


「どうして? やっぱり似合ってない?」


「いいや、そうではない。ただ、そんなに急いで大人にならずともよいのにと思っただけ。もう少しだけ小さいフリーシャのままでいてほしいと思っただけだ」


「な~にそれ? 私が子供っぽいってこと!?」


「うむ、いや、まあ、そういうわけではなきしにもあらずんば虎児を得ずというか、なんとかいうか」


「もうっ!! どうせ私は童顔で、幼いです!!」


 魔王の腕の中でぷくっと頬を膨らませて拗ねるフリーシャ。そんなフリーシャの姿がかわいくて仕方ないのか、身内の魔族達にすら見せないような慈愛に満ちた表情になってフリーシャの柔らかい髪を魔王は撫ぜ続ける。


「そう拗ねるな。そなたがどんな姿であろうとも我が想いが変わることははない」


「姉さまと私を間違えたくせに」


「あれは不幸な事故だ。忘れよ」


「都合が悪くなるとすぐそんなこと言うんだから」


 悪びれる風も反省する風も全くなく、むしろ胸を張って傲然と呟く魔王の姿を呆れ果てた表情で見つめていたフリーシャだったが、結局最後にはしょうがないな~という表情になってその胸に顔を埋めようとする。

 しかし、その途中、とてつもなく生暖かいいくつもの視線が自分に集中していることに気がついて、フリーシャは慌てて魔王の腕から抜け出て離れる。


「にゃ、にゃあああ!! な、なんでみんなこっちを見てるのよぉ!?」


「あ、こ、これは失礼致しました。あまりにも陛下と妃殿下がお幸せそうでしたのでつい見とれてしまいました」


「あわわわわっ!! そ、そういうときは見てないで注意してよ、お願いだから!!」


 顔を真っ赤にして両腕をバタバタさせながら涙目になって叫ぶフリーシャ。そういう姿がかわいらしくてさらに人目を引きつけてしまうのであるが、勿論当の本人にそういう自覚は全くない。


「いえいえ、そう仰らずどんどん陛下と仲のよろしいところを我々に見せてくださいませ。御二人の幸せそうな姿、それ即ち我ら魔王領の平和と繁栄の象徴でもございますれば」


「そうですわそうですわ。是非是非お願いしますわ」


「も、もう、夫婦して人のことからかって!! ほんとに似たもの夫婦なんだから・・って、あ、あれ? ご、夫婦で間違いないわよね?」

   

 背中から大きな鷲の羽を生やした目の前の美男美女のカップルに、今更ながらの質問をしてみるフリーシャ。

 そんなフリーシャの言葉を聞いた夫婦は、一瞬お互いの顔を見合せた後、よく似た苦笑を浮かべて見せ、そのあともう一度フリーシャのほうに顔を向け同時に跪く。


「紹介が遅れて申し訳ありません、妃殿下。妃殿下の仰る通りこの者は私の妻にございます」


「エーデルワイスと申します、妃殿下。いつも夫がお世話になっております」


「ああ、ううん。むしろどっちかいうと私のほうがお世話になっているわ。よろしくね、エーデルワイス。というか、二人とも立って立って。一々跪かなくていいってば」


 慌てて二人に駆け寄ったフリーシャは、それぞれの手で二人の腕を取って立たせる。


「それよりも、エーデルワイス。もっとバザーで売られている商品の話を聞かせてくださらないかしら? 口紅の他にももっといろいろとあるの?」


「あります、あります。マスカラやら、アイシャドウやら、乳液やら、美容液やら、それはもう、私達が今まで目にしたこともないような化粧品がいっぱい売られていますわ。化粧品だけではございません。衣料品とかもすごいんですのよ。ドレス類はもちろんですけど、普段着だけでも何百種類もありますし、下着類もすごいんですから!! あと、日曜雑貨もおもしろいものがいっぱいだし、屋台で売られているものはどれを食べても何を食べても安くておいしいものばかりですわ。ああ、もう説明するのも大変なくらい、というか、こんなところでは全然説明しきれませんし、落ち着いたところでも全部は無理。むしろ実際に見ていただいたほうが早いかと存じます」


「えええ~~、そんなになのぉ? 見てみたいなぁ」


 エーデルワイスの説明をじっと聞いていたフリーシャは、目をキラキラと輝かせながら後ろを振り向く。そして、物凄い感情のこもった瞳で最愛の夫にその視線をぶつけるのだった。

 普段から溺愛している新妻の必殺の視線をモロに受けた夫は若干たじろぐ様子を見せたが、溜息をひとつ吐きだしながら苦笑を浮かべて口を開くのだった。


「好きな物を好きなだけ買っておいで。我の名を出せばいちいち金を支払う必要はないはずだからな」


 魔王の言葉を聞いたフリーシャは、大きな目をこれでもかと見開くと、心の底から嬉しそうな笑顔で夫の身体にむしゃぶりつく。


「ありがと~、私の黒騎士。大好きよ!!」


「まったく、現金なやつだ。しかし、そういう子供っぽいところを見るとちょっと安堵する」


「むう、また、子供扱いしてるっ!! 見てらっしゃい、このバザーで手に入れた化粧品であなたが驚くような大人の女性に変身してやるんだから!!」


 ちょっとむっとした表情で魔王から離れたフリーシャは、いつにない闘志をメラメラと燃やし、目の前の魔王にかわいらしい小さな指を突きつけながら宣言する。

 そして、やれやれと幼い子供を見守る父親のような表情をしている魔王に背を向けると、魔族の女性達が群がっている場所めがけておもむろに突撃していってしまったのだった。


「あ、ちょ、妃殿下!! いけません、そこは!!」


「いっくわよおおおっ!! いざ、化粧品コーナーに出陣!!」


 『てけてけてけてけ~~っ』と女達の戦場へと勇ましく突撃していくフリーシャに気がついたエーデルワイスが、慌てて声をかけて止めようとしたのだったが。


「ちょっと、あんた邪魔よ!!」



 どんっ!! ごろごろごろごろ・・



「あうっ!!」


「ひ、ひぃっ、妃殿下ぁ~~~!!」



 バタン、きゅ~~~


 

 壮年と思わしき太ったおばちゃん魔族の容赦ない一撃を食らったフリーシャは、化粧品コーナーの中に辿りつくどころか、はるか手前で迎撃されてはじき出されてしまった。

 蹴られたボールのような勢いで青々と茂る芝生の上をおもしろいように転がった末に倒れ、ぴくりとも動かなくなるフリーシャ。それを見たエーデルワイスは真っ青になりつつも、彼女を助けるべく駆け寄って行こうとしたのであるが。


「負けない・・私、こんなことくらいじゃ負けたりしないわ!!」


「おお、妃殿下が復活なされた!!」


 エーデルワイスが辿りつくよりも早く、不死鳥のように蘇って立ち上がったフリーシャは、芝生だらけになってしまった身体をはらいもせずに仁王立ちすると、再び眼前の女達の戦場へと視線を向ける。

 そして、両手で自分の頬をパンパンと叩いて気合いを入れたあと、もう一度突撃を開始したのだった。


「ちょ、妃殿下、無茶ですってば!! 安くていいものを買い求める主婦パワーを舐めちゃダメですわ!!」


「今度こそ、今度こそ、突破して見せる!! そして、私の黄金郷(エルドラド)に辿りついてみせるわ!!」


 エーデルワイスの制止の声が聞こえていたのかいなかったのか、先程以上の闘志と覚悟をその瞳に宿し、再び『てってけて~~』と突撃していくフリーシャ。


 しかし。


「もう、ほんと邪魔な子ね!!」


「子供はあっちいってなさい!!」



 どんっどどんっ!! ごろごろごろごろ・・



「きゃうっ!!」


「ああっ、妃殿下が、妃殿下がああああっ!!」



 ぐるぐるぐる・・バタン、きゅ~~~。

 

 しくしくしくしく



 今度は二十代と思われる年若い魔族女性達の容赦ない連続攻撃を食らってしまったフリーシャ。化粧品コーナーの中に辿りつくどころか、先程よりももっと手前で迎撃されてはじき出されてしまった。

 蹴られたボールのような勢いで青々と茂る芝生の上をおもしろいように転がった末に倒れ、ぴくりとも動かなくなるフリーシャ。

 エーデルワイス達がなんとも言えない気まずい雰囲気で見守っていると、聞いているだけで物悲しくなってくる小さな泣き声が聞こえてくる。


「ひ、妃殿下、なんとおいたわしい」


「っていうか、妃殿下に対してなんということを!! あなた、あれは公爵様と侯爵様のところの侍女達ですよ!! 本当にもうしつけがなってないというかなんというか、やっぱりガツンと言ってくださいまし!!」


「うむ、流石にこれは看過できぬ。すぐにも公爵家、侯爵家に抗議することにする」


「いいのよ、二人とも・・誰が悪いわけでもないわ。ただ、私に力がなかっただけ。戦いに敗れた者はただ黙って立ち去るのみよ。『死して屍拾うものなし』なのよ・・ぐすん」


 怒り心頭な様子で王宮に走って行こうとする魔族の夫婦を、なんとか立ちあがって止めるフリーシャ。そして、やたら何かを悟ったような表情で、よよよと悔し涙を流しながらとぼとぼとその場を立ち去ろうとする。

 その様子をしばし黙って見つめていた魔王であったが、溜息をひとつ吐き出すと、滑るようにしてフリーシャの側に近づきその小さな身体をひょいと抱き上げる。


「・・みっともない顔してるから、こっちみないで」


「夫が妻の顔を見て何が悪い。それよりも、我が妻のくせに夫に泣きついてこないとはいったい何事か。我はそれほど頼りない夫か?」


「・・だってだってぇ。あれだけ啖呵切ったのに、あっさり挫折しちゃったから、格好悪いんだもん」


「人間の身で魔族に対抗しようというのが土台無理な話なのだ。別に格好悪くもなんともないわ。それよりも、バザーで売られている物を見てみたいのあろう? そしてそれが欲しいのであろう?」


「・・うん。・・見たい。・・見たいし、いいものだったらほしい」


「最初から素直にそう言わんか」

 

「だって、だって」


 魔王の腕の中でバツが悪そうにちょんちょんと可愛らしく指をつつき合わせて小さくなっている最愛の妻の姿を、嘆息しながら見つめ続ける魔王。しかし、すぐに表情を和らげるとフリーシャを抱き上げたまま周囲に視線を走らせ始める。


「先程も言ったがこのバザーの主催者は我の古い古い友人でな。我が口をきけば大概融通を利かせてくれるはずなのだが。はて、どこにいるのやら」


 そう言ってキョロキョロとバザーの主催者を探し始める魔王。だが、いくら探しても探し人はみつからず、だんだんその表情が険しくなっていく。


「むう、おかしいな。いつもなら忙しそうに店と店の間を渡り歩いていて、すぐに見つかるのだが、どうしたことか今日は全く姿が見えん」


「へ、陛下、怖れながら申し上げます」


「どうした?」


「今回の催し、スクナーキャラバンの主たるジン・スクナー様、エキドナ・スクナー様共々不参加でいらっしゃいます」


「む、なんだと? あやつら今回は来ていないのか?」


「はい、なんでも本業のほうが忙しいとのことで、今回は代理の方を派遣されたとか」


「代理だと?」


「はい、左様にございます。たしかその方々は」


「あなた、あそこでエステコーナーの整理をしていらっしゃる方がそうですわ。お呼びしますね」


 怪訝そうな表情で魔王が問い返すと、側近の魔族は魔王にこっくりとうなずきを返すと、夫の側で先程の魔王と同じように周囲を見渡していたエーデルワイスが、探し人を見つけて二人に指さして見せる。

 

「玉藻さん!! 玉藻さん、忙しいところ申し訳ないんですけど、ちょっとこちらに来てくださらないかしら!?」


「あらあら、エーデルワイスさん? 何かございましたか?」   

 

 エーデルワイスの声に答えた者の姿を見たフリーシャは、驚いてその目を大きく見開く。


 その者は人間のような姿ではなかったから。


 その者は大きな大きな一匹の狐だった。


 



 <後編に続く>

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