表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王降臨 奈落都市ネザリアから始まる人類征服戦記  作者: たゆたう
第一章 争いの無い世界を目指して

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/27

第8話 配置変更

バルバロスが去ったあと、執務室には静けさが戻った。


扉のひび割れだけが、さっきの騒ぎが幻ではなかったことを主張している。

あの獣じみた足音も、乱暴な叫び声ももうない。代わりに、紙とインクと、魔力灯の微かな唸りだけが耳についた。


「……さて」


机の上の封書を、もう一度指先で叩いた。

黒い封蝋には、ルクスベルク王家の紋章。見慣れたそれが、今日は妙に重く見える。


第一次会談、無事終了。

数十日以内に、聖都で条約締結と和平式典。

次期魔王として、俺の出席を求める――。


文字としては短い。だが、その一文の向こうに広がっているものの大きさを思うと、胸の奥でじわじわと冷たいものが広がっていく。


「こっちの手駒も、並べ直さないとな」


独り言を落としてから、呼び鈴を鳴らした。


「アバドを呼べ。それと、前線連絡用の魔導鏡を」


「はっ!」


文官が慌てて駆け出していく。

その背中が扉の向こうに消えるより早く、壁際の影がすっと濃くなった。


「お呼びでしょうか、ルシアン様」


黒衣の魔人が、影からにじみ出るように姿を現した。

影喰いのアバド・ネリウス。いつ見ても、足音というものが存在しない。


「早いな」


「“呼ばれそうだ”と思って、近くの影にいましたので」


本気か冗談か分からないことを、いつもどおりの抑揚で口にする。

そういうところも含めて、こいつは「影」という言葉がよく似合う。


「「第一次会談の報告は聞いているか」


「ええ。現地でお供していましたから。剣も魔法も交わさずに終わったところまでは」


「そこまではそのとおりだ」


封書を軽く掲げて見せる。


「だが、その先の話が増えた。数十日以内に、聖都セラディアで正式条約の締結と和平式典。

そこに、魔王と――次期魔王である俺の出席が求められている」


「……なるほど」


アバドの目が、わずかに細くなる。

その細め方は、何かを疑っているときのそれだ。驚きよりも、予想の一つが現実に近づいたことを確認しているような。


「“あの場”では、そこまで踏み込んだ合意はまだ口にされていませんでした。

続きは、こうして封書で伝えてきた、というわけですか」


「“聖都”ということは、会場はおそらく大聖堂か、王城中枢のどちらか。

人も、神も、政治も……全部ひと所に詰め込むつもりでしょうね」


「詰め込みすぎて、何かこぼしてくれれば分かりやすいんだがな」


「こぼさないように“隠し蓋”を用意するのが、あちら側の得意技でして」


淡々と返しながら、アバドは机の上の地図に視線を落とした。

魔王領と人間世界が描かれた羊皮紙。その上に落ちるアバド自身の影が、じわりと濃くなる。


「ご命令は?」


「先行して、聖都に潜り込め」


ためらいなく言い切る。

この男に任せなければならないことは、最初から決まっていた。


「お前たちは、式典の少なくとも十日前には聖都に入っていてほしい。

聖堂周辺の出入り、人の流れ、臨時で増えた兵の数、“いないことになっている聖職者”の顔ぶれ――

お前が洗える限り、全部洗え」


「十日前……」


アバドは小さく復唱した。

細い指先が、自分の足元に伸びる影を軽くなぞる。


「移動日数と、中継地点での潜伏を考えると、二、三日中には発ちたいところですね」


「必要な人員は?」


問いかけると、アバドは少しだけ目を伏せて考えるふりをした。

実際には、もう答えは決まっている顔だ。


「私の本体は聖都へ潜ります。《影残し》で分身を三つ。

そのうち二つは私と共に聖都に入り、もう一つはネザリアに縫い付けておきましょう」


「ネザリア側に残す“影”か」


「はい。城下と城内の情報網の結び目として。

もし聖都側でこちらの“腕”をすべて落とされても、その影だけは最後まで生き残るように仕込んでおきます」


さらりと言うが、それはつまり――何かがあったとき、聖都側のアバド本体と影二つは切り捨てる前提、ということだ。


「……自分を、簡単に捨て駒みたいに数えるな」


「捨てるのは“影”だけですよ、ルシアン様」


アバドは、わずかに口元だけで笑った。


「本体は、そう簡単には死にません。死ぬときは、きっと陛下かルシアン様のすぐそばです」


軽口とも、誓いともつかない言い方だった。

だが、その目は冗談を言っている色ではない。


「式典の少なくとも十日前には、聖都に入っていてほしい」

俺は気持ちを切り替えて続けた。


「聖堂周辺の出入り、人の流れ、臨時で増えた兵の数。

“いないことになっている聖職者”の顔ぶれ――お前が洗える限り、全部洗え」


「承知しました。聖都は“光”が多すぎて、影の質がいい。

歩きやすいはずですよ、影喰いには」


アバドは胸に手を当てて一礼すると、そのまま足元の影へと沈んでいった。

執務室の空気が、彼の気配だけを置き去りにして、静かに落ち着いていく。


残ったのは、魔導鏡と、沈黙だけだった。



魔導鏡の表面に、黒い魔力を落とす。

中心からじわりと波紋が広がり、ぼやけた戦場の空が映し出された。


『……ルシアン様か』


低い声とともに、画面の向こうに黒鉄の兜が現れる。

八枚翼の影が、鏡越しにも重く見えた。


「アスモド。前線の状況は」


『予定どおりだ。ヴァルン側は、こっちの兵を見てしっぽを巻いている』


兜の奥から、くぐもった笑いが漏れる。

その笑いには、いつもの戦場の空気と同時に、どこか張り詰めた響きも混ざっていた。


『で、その顔を見るに、ただの“様子見”の通信じゃなさそうだな』


「父上から報せがあった。第一次会談、無事終了。

数十日以内に、聖都で条約締結と和平式典だそうだ」


『……なるほど』


短い沈黙。

アスモドの魔力が、鏡越しにわずかに揺らいだ気がした。


「その席に、俺も出ろとさ。次期魔王として」


『そうか』


それきり、アスモドはしばらく何も言わなかった。

重い鎧の内側で、何かを噛みしめているような沈黙だった。


『――で、俺は?』


ようやく出てきたのは、それだけだった。


「父上の護衛として合流してくれ。

中立地帯の砦から聖都に向かう途中で、陛下の一行に合流する形になるはずだ」


『前線は?』


「一時的に、ベリアルドに預ける。

お前とベリアルドを入れ替える。……前線にお前を貼り付けておくのは、今回は得策じゃない」


鏡の向こうで、鉄の指がコツ、コツと何かを叩く音がした。


『俺を、ルシアン様と陛下のほうに回すか』


「不満か?」


『いや』


即答だった。


『不満はない。ただ――』


「ただ?」


『ルシアン様と陛下、ふたりまとめて“同じ場所”に置くって判断は、どうにも、な』


アスモドの声が、わずかに低くなる。


『戦場じゃ、絶対にやらねぇ配置だ』


「分かってる」


それは、俺も同じだ。

冷静に考えれば考えるほど、悪手にしか見えない布陣だ。


「だが、向こうが“そうしろ”と言ってきている。

次期魔王を出さなければ、“不誠実”だと騒ぐ口実を与えるだけだ」


『あっちに騒がせて、こっちがそれを叩き潰す、って手もあるがな』


「それをやる場合でも、その場に俺と父上がいないと話にならないだろう」


アスモドは、ふっと息を吐いた。


『……そうだな。ルシアン様がそこまで言うなら、俺がどうこう言う話ではないか』


ほんの少しだけ、兜の中の目が柔らかくなった気がした。


『分かった。じゃあこっちを片付け次第、中立地帯に向かう。

ルシアン様が聖都に着く頃には、陛下の護衛は俺が仕切ってるようにしておく』


「頼む」


『一つだけ、命令してくれ』


「命令?」


いつになく真面目な声音だった。

戦場の指示を求めるときの声に似ている。


『俺の“仕事”を、はっきりさせといてくれ』


アスモドの紅い瞳が、鏡の向こうでこちらを射抜く。


『陛下を守るのか。ルシアン様を守るのか。和平を守るのか。

全部は、たぶん守れない』


喉の奥が、ひやりと冷えた。


全部は守れない。 魔王軍最強の男、八枚翼のデーモン種の頂点に立つ男の言葉は、俺の心に深く強く突き刺さった。


「……父上だ」


少しだけ間を置いてから、答える。


「和平でも、俺でもない。

お前の“仕事”は、何よりもまず父上を守ることだ。

そのために和平を壊すことになっても、構わない」


一度、言葉を飲み込みかけてから、続けた。


「俺の代わりは、まだいくらでもいる。

けど――父上の代わりはいない」


言葉にしてしまった瞬間、胸の奥が鈍く痛む。

それでも、撤回するつもりはなかった。


『了解した』


アスモドは何かを言いかけるような顔をしたが、

声は、いつも通り低く、揺れなかった。

それが逆に、この約束の重さを際立たせていた。


アスモドは、それ以上何も言わなかった。

ただ、戦場の空気をまとったまま、魔導鏡の像がゆっくりと薄れていく。



次に呼び出した魔導鏡には、静かな部屋と、本棚の影が映った。


黒い液面に、ゆっくりと輪郭が浮かび上がる。

積まれた書類、壁にかけられた簡易地図、油ランプの淡い光――即席の前線司令室らしい光景だ。


『……ルシアン様』


長髪の男が、鏡の中で振り向く。

常闇剣将、ベリアルド・グレイヴ。


いつもの軽く眠たそうな目つき。だが、その奥には戦場で研ぎ澄まされた光がある。

この男が視線を向けるだけで、周囲の空気が少しだけ引き締まるのを、俺は知っていた。


「今どこだ」


『ヴァルン側の砦をひとつ借りてる』


ベリアルドは、肩をすくめて見せる。


『アスモド将軍の“重い足跡”のあとを片づけながら、補給線の整理中だよ』


魔導鏡の向こう、背後の地図には、いくつもの印が打ち込まれている。

矢印と線。砦の位置。補給路。退路。

アスモドが「力」で押さえた戦線を、ベリアルドが「形」に直していく――そんな役割分担が、そこにははっきりと刻まれていた。


淡々とした言い回しだが、声にはわずかに楽しげなものが混じっている。

戦線の整理は、彼にとっては「仕事」であると同時に、「自分の出番」なのだろう。


「悪いが、その“掃除役”を、もう少し広い範囲で頼みたい」


魔導鏡の縁に、指先で軽く触れる。

冷たい魔力の膜越しに、自分の声が少しだけ低く響いた気がした。


第一次会談の結果、聖都での条約締結と和平式典。

魔王と次期魔王の出席。

アスモドを前線から引き上げ、父上の護衛へ――。


必要なことだけを、簡潔に伝える。


『つまり、前線の全体指揮、俺に振るってことか?』


ベリアルドの口調は変わらない。

驚きも、不満も、表には出さない。


だが、わずかに視線が横へ流れた。

鏡の端に、積み上げられた報告書と、戦況図の束が映る。


今抱えている仕事が、さらに倍以上になる――その現実を、一瞬で計算したのだろう。


「そうなる」


短く答えると、ベリアルドはほんの短い沈黙のあとで、淡々と頷いた。


『了解』


それだけ言って、彼は背後の地図に視線を戻す。


『“戦線を維持しつつ、いつでも再開できる形で緩めておけ”――そういうことだな』


「話が早くて助かる」


『ルシアン様が考えそうなことなんて、だいたい決まってるからな』


冗談とも本気ともつかない口調。

ほんの少しだけ口角を上げて言う、その軽さが、逆に心地よかった。


俺が何度も頭の中で組み立ててから口にした判断を、彼は一拍で受け取り、整理し直してくれる。

そういう男だからこそ、前線を任せることができる。


『ただ、ひとつだけ』


ベリアルドの指が、机の上をとん、と軽く叩いた。

そのリズムには、躊躇いというより、「言うべきかどうかを選んでいる間」が滲んでいる。


「何だ」


『和平が成立したあと、“戦場が必要なくなった場合”のことも、少しは考えておけよ』


あまりにも自然に出てきた言葉に、一瞬だけ返事が遅れた。


戦場が必要なくなる――頭では何度も想像しようとしてきた未来。

だが、実感を伴う形で口にされたのは、これが初めてかもしれない。


「楽観的だな」


反射的にそう返す。

自分の声が、わずかに硬いのが分かった。


『剣士は、いつも最悪は想定してるさ』


ベリアルドは、穏やかに言う。

その目は、笑ってはいなかった。


『そのうえで、“最悪にならなかった場合”の居場所も用意しておくもんだ』


指先でなぞった戦況図の上で、ひとつの砦に軽く触れる。

そこが、戦場でなくなった未来を、彼は本気で思い浮かべているのかもしれない。


『最悪になったときは、俺が剣を振るう』


言葉に、鋼の芯のようなものが通る。


『ならなかったときは、剣を下ろす場所を作っといてやるよ』


それは冗談めかした言い方だったが、そこに込められた意味は軽くない。


剣を振るう場所と、剣を下ろせる場所。

その両方を用意する――


俺が今、うまくイメージできない未来を、この男は代わりに描こうとしてくれているのだ。


「それも、頼んだ」


短くそう答える。

鏡面に映る自分の顔が、思っていたよりも固いことに、そこでようやく気づいた。


ベリアルドは、それ以上何も言わない。

ただ、軽く顎を引き、いつもの薄い笑みを浮かべる。


『任せとけ。

誰もいなくなった戦場ってのも、一度くらいは見てみたいからな』


魔導鏡の光が、静かに消えていく。

残されたのは、暗くなった鏡と、自分の映った影だけだった。


戦場の指揮を預ける相手がいる。

それでも、胸の奥の重さは、すぐには消えなかった。


和平の準備と、戦争の準備。

両方が同時に動き始めた。


聖都セラディアでの式典。

そこに至るまでの日々が、静かに転がり出した――。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


もし少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価で応援してもらえるととても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ