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魔王降臨 奈落都市ネザリアから始まる人類征服戦記  作者: たゆたう
第一章 争いの無い世界を目指して

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第6話 思い出す三つの背中

城門が閉まる音が、深淵に沈んでいった。

しばらくその場に立ち尽くしてから、俺はひとり、ネザリア城のテラスへ向かった。

底の見えない裂け目の上に張り出した石の床。深淵から吹き上がる風が、頬を撫でる。

父上も、マルシエルも、ベリアルドも、アバドも――今はいない。


「……静かだな」

思わず、独り言が漏れた。

戦場の喧噪でもなく、城内のざわめきでもない静けさ。その中で、昔の声だけが、やけにはっきりと耳の奥で蘇る。



「ルシアン様、足が止まってるぞ」

まだ木剣が体より重く感じていた頃。訓練場で、アスモドが低い声を飛ばした。


俺は見透かされた苛立ちを、言葉にして吐き出した。

「止まってないだろッ!」


「止まってる。頭で考え始めた瞬間、足は止まるもんだ」

巨体を少しだけかがめ、アスモドは俺の腕と足の位置を直す。ごつい手なのに、力はちゃんと加減されている。


「剣は頭で振るんじゃねぇ。体で覚えろ。体が勝手に動くまで、何度でもやる」


「……難しいよ」


「難しいからやるんだ」

短く言い切って、アスモドは一歩下がった。


「楽なことだけやってる奴から、先に死ぬ。ルシアン様が“楽なほう”ばかり選ぶなら、そのときは俺が止める」


「止めるって?」


「こうやってだ」

ドン、と額に軽い衝撃。アスモドの指先が、俺の額を弾いていた。


「いった……!」


「いまので済むなら安いもんだろう」

そう言いながらも、アスモドは汗だくの俺に水筒を投げてよこす。


「飲め。休むときはしっかり休め。その代わり、立ったらまた振る」


「ずっと?」


「ずっとだ。俺が“もういい”って思った頃に、やっと“まとも”になる」


「……じゃあ、俺は死ぬまで木剣振ってることになるな」


「それならそれでいい。死ぬまで剣を振れるなら、十分だ」

子どもだった俺には、半分も理解できない話だった。

ただ、父上よりも先に、汗だくの俺の背中を叩いてくれたのは、いつもこの男だった。



「ルシアン様、“聖王国”の“王”が潰れてますよ〜」

執務室の隅の小さな机。字の練習をしていた俺の前で、マルシエルが赤インクでバツをつける。


「読めるだろう」


「読めますけど、“一文字違う”で戦争始められるのが人間ですよ〜?」


「めんどくさい」


「めんどくさがった結果が三百年戦争です」

口調はふざけているのに、目だけ笑っていない。


「いいですか、ルシアン様。『領土線』『信仰の自由』『保護』『異端』――このあたりの言葉は、

人間相手の交渉で一生つきまといます」


「剣のほうがまだ楽だ」


「だからマルシエルがいるんです。ルシアン様は、

堂々と“めんどくさい役目”をマルシエルに押しつけてください」


「押しつけていいのか」


「もちろん。好きな人に押しつけられる苦労は、ご褒美です」

さらりととんでもないことを言いながら、彼女はペンを走らせる。


「ほら、“聖王国”もう一回。“王”はこう、もう少し真っ直ぐ」


「……マルシーがやればいいじゃん」

ふてくされた俺を見つめながら

マルシエルは一瞬だけ目を丸くして、ふわりと笑う。


「はい、“マルシー”が見本を書きますから、ちゃんと真似してくださいね〜」

紙の端に、整った文字が並ぶ。マルシエルの字は、彼女の性格とは違って無駄がなくて綺麗だった。


「マルシー」


「はい?」


「父上はどうして、マルシーに俺の勉強を任せたの?」


「ん〜……そうですねぇ」

マルシエルは、少しだけ考えるふりをしてから、いたずらっぽく笑った。


「“お前ならあいつは遠慮しないだろう”って、陛下が言ってました」


「遠慮?」


「はい。陛下には言いにくいことも、マルシーには言えるでしょう?」

彼女は、俺の手を軽く取って、もう一度ペンの持ち方を直した。


「だから、嫌だと思ったことはちゃんと“嫌だ”って言ってください。

戦場でも交渉でも、それが言えないと、いつか飲み込まれます」


「……嫌だ」


「何がです?」


「この字の練習。めんどくさい」


「はい、可愛くてよろしい」

マルシエルはくすくす笑いながら、またバツ印をつけていく。




「おい、こら坊っちゃん。お前、また城下に抜け出そうとしてんだろ」

裏階段の踊り場で、首根っこを掴まれたこともある。


「してない」


「その顔は“これからする顔”だ」

バルバロスが、片手で俺をひょいと持ち上げる。獣の耳がぴくぴく動き、牙を見せて笑う。


「ちょっと見てくるだけだって」


「“ちょっと”って言って、アスモドの野郎に怒鳴られるのは俺なんだよ!」


「じゃあ、お前も来ればいい」


「ガッハッハ、言いやがったな」

バルバロスは豪快に笑って、俺を肩に担ぎ直した。


「よし、分かった。ついてってやる。その代わり、

変なとこ行こうとしたら尻尾つかんで引きずって帰るからな」


「俺、尻尾ないし」


「イメージの話だ、イメージの」

結局その日は、バルバロスに付き添われて城下の市場を回った。

深淵の縁に並ぶ屋台。魔族も亜人も人間も、同じように飯を売り、物を買っている。


「な、悪くねぇだろ」

帰り道、バルバロスが言った。


「戦ってんのは国と国であって、こいつらじゃねぇ。税が高ぇだの、聖堂がどうだの、

貴族がどうだの――めんどくせぇ話は全部“上”の事情だ」


「じゃあ、めんどくさい“上”はどうすればいいの?」


「ガッハッハ、そりゃあ決まってんだろ」

バルバロスは、深淵のほうを顎でしゃくって笑った。


「ぶっ壊すか、殴って分からせるかだ。……まぁ、坊っちゃんが“壊さないで済む道”を選ぶなら、それもありだがな」


「壊さないで済む道?」


「そうだ。壊すのは簡単だ。殴るのもな。でも、“殴らなくてもいいようにする”のは、そっちのがよっぽどめんどくせぇ」

バルバロスは、そこで俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「その“めんどくせぇほう”を、いつか選べる魔王になれ。それができなかったら、

そのときは俺が一緒に

邪魔なもんをぶっ壊してやるからよ」


子どもだった俺は、その言葉をほとんどそのまま信じていた。

この国がどうにもならなくなったら、この男が全部ぶっ壊してくれる――そんな、都合のいい保証のように。


深淵から吹き上がる風が、現在に引き戻す。

欄干に置いた手のひらに、石の冷たさがじわりと染み込んできた。


「……アスモドも、マルシエルも、バルバロスも」

その名を一つずつ、噛みしめるように呟いた。


父上が忙しくて側にいられなかった時間を、埋めてくれていたのは、あいつらだった。

剣の振り方も、字の書き方も、街の歩き方も、守るべきものの見方も――その多くを、あいつらに教わった。


今、そのうち半分は、ここにいない。

ネザリアは、いつもより静かだった。


その静けさを、“何も起きない前触れ”だと信じきれるほど、俺は幼くなかった。

ここまで読んでくださってありがとうございます。


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