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魔王降臨 奈落都市ネザリアから始まる人類征服戦記  作者: たゆたう
第二章 魔王の帰還

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第19話 呪いの森

アバドの気配が、完全に消えた。


影渡りの余韻だけが、足もとでゆらりと揺れ、やがてそれも土に吸い込まれるように薄れていく。


静かだった。


聖都の城壁は、もう木々の向こうにしか見えない。

朝日を受けて白く光る石の輪郭だけが、遠い異国の城のようにぽつりと浮かんでいた。


そこから東へ。

畑とも荒野ともつかない痩せた土地を抜けて――一行は、森の縁に立っていた。


まっすぐ続いてきた陽射しが、ここで唐突に途切れている。


黒檀のように暗い幹が、ぎゅうぎゅうに肩を寄せ合って立っていた。

枝と枝が絡み合い、空を覆う巨大な天蓋をつくっている。


土は湿って黒く、そこから何かの匂いが上がっていた。

腐葉土と、古い血と、魔力が一緒くたになったような、濃い匂い。


その手前に――ひび割れた石柱が、等間隔に並んでいた。


一本、また一本。

どれも背丈より少し高いくらいの高さほどで、頂点には掠れた聖印が刻まれている。


「……聖印柱せいいんばしらだな」


ルシアンは、一本に手を触れた。

かつて刻まれていたであろう聖句は、半分以上黒く焼け焦げている。


「これ、です」


ルナが、おずおずと彼の袖を引いた。


「ここから先が、“呪いの森”って……みんな、そう呼んでて……

子どもは、絶対入っちゃいけないって……」


茶色の耳が、不安そうに伏せられている。


ブランも、喉を鳴らした。


「前の村でも言われてた。

“聖騎士でさえ迷って帰ってこない森だ”って……

ぞろぞろ兵隊が入っていって、誰も戻らなかったっていう話、何回か聞いた」


「戻ってきたやつは?」


ルシアンが問うと、ブランは首を振る。


「聞いたのは……一人だけ。

でも、目が真っ黒になってて、何も喋らなくなったって……」


マーヤが、鱗の混じる頬をかきながら、ふうと息を吐いた。


「聖王国側からは“呪いの森”ね」

マーヤが前を見据えたまま言う。


「魔王領の地図でも――ここのことは記されていたな」


ルシアンが応じると、マーヤはちらりとこちらを見て、肩をすくめた。


「おや、さすがはルシアン様。ちゃんと知ってるんだね」


「名前だけだ」


ルシアンは、鬱蒼とした木々の根元へと視線を落とす。


「“人の手が届かない魔獣の領域”って説明を受けただけで、詳しい話は聞かされていない」


「じゃあ、豆知識をひとつ」


マーヤは、指で輪を作りながら続けた。


「ずっと昔の魔王が、森そのものと契約を結んだって話さ。

“人間の手が伸びない避難所をよこせ。その代わり、森の奥には干渉しない”――そういう取り引き」


「……だから、人間が入ると呑まれるのか」


ルシアンは、小さく呟いた。


聖王国にとっては“呪い”。

魔王領にとっては、“盾”。


同じ森に、違う名前がついているだけだ。


褐色の肌に長い耳を持つラガンが、一歩前へ出た。

森のほうを眺め、細い目を細める。


「ダークエルフの間でも、《呪いの森》の噂はあった。

日が差さず、道が勝手に変わり、夜には“数えた頭数より一つ多い足音”が聞こえる森……」


「縁起でもないこと言うなよ」


ガルネが、腰に手を当てた。


「森がなんだろうが、進むしかないんだろ。坊――」


そこまで言って、彼女の黄色い瞳が一瞬だけ揺れる。


「……いや、ルシアン様」


言い直された呼び名に、ルシアンはわずかに眉を動かした。


さっきまで「坊主」とか「坊ちゃん」とか好き勝手呼んでいた女だ。

本人に自覚があるのかないのか、その口調だけが、ほんの少しだけ改まっていた。


「聖都には戻れねえ。

前線に行くにも、この森を抜けないと話にならねえ。

なら、行くだけだろ?」


その言いぐさはいつも通り乱暴だが、瞳だけは、真っ直ぐこちらを見ている。


ルシアンは、息を吐いた。


「そうだな」


石柱から手を離す。


ひび割れた聖印柱の列の間を、片足で跨いだ。


その瞬間――


森の空気が、揺れた。


風が吹いたわけではない。

ただ、木々の葉が、ざわりと一斉に鳴った。


土の中で眠っていた何かが、ゆるりと目を開けたような気配。


鳥の声はしない。

代わりに、どこか遠くで低いうなり声がした。

それに呼応するように、別の場所で枝が軋む。


森全体が「こちらを向いた」ような感覚だった。


ルシアンの背筋を、冷たいものが這い上がる――が、それは恐怖ではなかった。


むしろ、妙な種類の“視線”だった。


――見られている。


血の中を流れる何かが、森の魔力に触れてざらりと逆立つ。


値踏みされている。

そんな感覚。


「……今の、感じたか?」


小さく問うと、先に聖印柱を越えたラガンが、眉をひそめた。


「魔力の流れが、少しだけ変わった。

まるで、森の内側の“目”が、こっちに向いたみたいだ」


「お、お、俺は……なんか、背中がぞわっとした……」

ブランが尻尾を丸めながら言う。

「気のせいだよな……」


「気のせいじゃないさ」

マーヤが、土をつまみあげて指先で揉みながら言った。


「森の魔力が、あんたの血に反応してるんだろう。

……さすが、魔王の“血筋”だね」


苦笑混じりの言葉に、ルシアンは肩をすくめる。


「だったら利用するだけだ。

この森にとって俺が“よそ者じゃない”なら、その分、マシだろう」


そう言ってから、後ろを振り返る。


「行くぞ。列を乱すな。

ルナ、先頭は俺だ。お前は二番目だ。妙な匂いを感じたらすぐ言え」


「は、はいっ……!」


ルナは慌てて耳を立て、小さく深呼吸をしてから、彼の背中のすぐ後ろについた。


その後ろにブラン。

マーヤとラガンが中央に位置し、ガルネが殿しんがりにつく。


六人の影が、濃い緑の闇に飲み込まれていった。



森の中は、想像していたより、静かだった。


風の音も、鳥のさえずりも、ほとんどない。

代わりに、湿った土を踏みしめる音と、葉が重なり合って擦れる微かな音だけが続いている。


頭上の枝が空を覆い隠しているせいで、昼だというのに薄暗い。

陽光は、ところどころの隙間から、細い柱になって差し込むだけだ。


その光芒に、湿った空気の粒が浮かび上がる。

まるで、水の中を歩いているようだった。


木の幹は太く、どれも人間三人で抱えても腕が回らなさそうだ。

根は地表を這い、そこかしこに小さな段差をつくっている。


足もとには、見慣れない苔や、青白い菌糸体のようなものが光っていた。

素足で踏めば、じわりと魔力が皮膚を通して入り込んできそうな感触。


「……本当に、気に入らねえ森だな」


殿を務めながら、ガルネがぼやいた。


「音が少なすぎる。

獣がいるなら、もっとガサガサ動いてもいいだろうに」


「動いてないんじゃない。様子を伺ってるだけさ」


マーヤが、低い声で答える。


「こっちを“試して”る。

どこまで入り込むつもりか、ね」


ラガンは黙ったまま、時々、足を止めて周囲の魔力の流れを確かめているようだった。

長い耳が左右に揺れ、その都度、進む方向を少しだけ修正する。


「道は変わってるか?ラガン」


ルシアンが問うと、ラガンは短くうなずいた。


「感覚的には、さっきから同じ方向に進いでいるはずなのに、

魔力の“流れ”が少しずつねじれている。

普通の人間の隊なら、もうとっくに同じところをぐるぐる回されてるはずだ」


「俺たちは?」


「……何かが、まっすぐ押し広げてくれている感じがする。

“あんたのせいだ”としか言えないな」


ラガンの視線が、ルシアンの背中に刺さる。


ルシアンは小さく鼻で笑い、足を止めなかった。


森は確かに彼らを囲んでいる。

だが、閉じ込めようとしているのではない。

どこか、遠巻きに付きまといながら、距離を測っている。


――魔王の匂いがする。


そんな声を、木々と獣たちがひそひそと交わし合っているような気がした。


どれくらい歩いただろう。


時間の感覚が、じわじわと薄れていく。

陽射しも空の色も見えない森の中では、足の疲労だけが、唯一の時計だった。


「……一度、休むぞ」


大きな倒木と、その近くにせり出した根を見つけ、ルシアンが声をかける。


「水と、息を整える時間が必要だ」


「賛成だね」


マーヤが、ほっとした顔を隠しもせずに腰を下ろした。

鱗の混じる膝に手を当てながら、指先で術式を組む。


「ちょっと離れてな。」


彼女は、地面に片手を押し当てた。


次の瞬間、足もとの空気がふっと冷たくなる。

見えない風が渦を巻き、黒土の中からしっとりとした冷気を押し上げてきた。


マーヤの手のひらの前に、小さな水の球が生まれる。

最初は拳ほど。くるくると回転しながら、周囲の湿気を吸い込むように大きくなっていく。


やがて、それは両手で抱えるほどの透明な塊になった。

マーヤが指先をひと振りすると、それはぺたりと落ちて、地面のくぼみに溜まる。


澄んだ水面が、木漏れ日の筋を映した。


「飲める?」


ルナが、おそるおそる尋ねる。


「飲めるようにしてあるよ」


マーヤが笑った。


「元は、この森の空気と土の水分さ。

余計なものは、風で吹き飛ばしておいた」


彼女の周りの空気が、まだ微かに震えていた。

風と水――二つの属性が、彼女の指先で器用に絡まり合っている。


「うわ……すげえ」


ブランが身を乗り出し、両手ですくって一口飲む。


「冷てえ……!ちゃんと、水だ……!」


「水じゃなかったら困るさ」


マーヤが肩をすくめる。


「さ、順番にね。飲み過ぎてお腹壊すなよ」


ルナも、両手を合わせて水をすくい、小さく口を付けた。


「……おいしい……」


茶色の耳が、ほんの少しだけ嬉しそうに動く。


ラガンも、静かに水を飲み、それから周囲を見回した。


「ここなら、しばらくは大きな魔獣も寄ってこないはずだ。

この倒木の裏に“境界線”みたいな魔力の層がある。うまく選んだな」


「偶然だ」


ルシアンは、倒木に背を預ける。

ほんの少しだけ、足の重さが和らいだ。


ガルネは、水を一気に飲み干すと、乱暴に口元を拭った。


「はーッ、生き返る……。

あたしらだけなら、とっくに道に迷って餓死してるところだぜ」


そう言いながら、がさつな動作でルシアンの隣にどかっと腰を下ろす。


「……おい」


「なに。細え腰してんだから、ちょっとくらい譲んなよ、ルシアン様」


あっけらかんとしたその呼び方に、ルシアンは苦笑とも溜息ともつかない息を吐いた。


いつの間にか、“様”がすっかり板についている。


少しの間、皆、黙って水を飲み、息を整えた。


森の音だけが聞こえる。


遠くで、小さく木が軋む。

小枝が折れる音が一つ、また一つ。


ルシアンは、無意識に右手で自分の影に触れた。


地面に落ちた影が、ほんの一瞬だけざわりと揺れたように見える。

その奥底に、かすかな“眼差し”が潜んでいるのを感じる。


(……見てるか、アバド)


呼びかけても、返事はない。

だが、完全な孤立ではないと分かるだけで、わずかな安心があった。


やがて――沈黙を破ったのは、ルナだった。


「……ルシアン様」


小さな声で呼ばれ、ルシアンは顔を向ける。


ルナは両手で空になった水のくぼみを弄りながら、視線をあげたり下げたりしている。

茶色の耳が、落ち着きなくぴくぴくと動いていた。


「なにか聞きたいことがあるなら、言え」


促すと、ルナは一度ぎゅっと拳を握ってから、決心したように言った。


「ルシアン様は……その……」


言い淀みながら、しかし目だけはまっすぐだった。


「魔王様になる、んですか?」


倒木の上に座っていたブランが、ぴくりと肩を跳ねさせる。


マーヤも、ラガンも、ガルネも。

誰も口を挟まないまま、その一言の行方を見守っていた。


ルシアンは少しだけ目を閉じ、息を吐いた。


「……“なるのですか”か」


自分に向けられた問いとしては、やけに他人行儀な響きだった。


「本来なら、答えは決まっていた。

魔王アルドランの息子として生まれた時点で、俺の行き先は半分以上決まっていたからな」


父の厳しい横顔が、脳裏をよぎる。

断罪の光の中で、最後に向けてきた眼差しも。


「でも――今は、正直、分からない」


ルシアンは、ゆっくりと目を閉じた。


「父は燃やされた。

和平は裏切られた。

前線では、今この瞬間も誰かが血を流しているはずだ」


声に、無意識に怒りが混じる。

それを押さえ込むように、拳を膝の上で握った。


「“魔王になります”って軽々しく名乗れば、教皇や連合諸国にとっては、都合のいい的でしかない。

“新しい怪物が現れました、さあまた聖戦です”って、旗にされる」


そうなれば、父の望んだ“争いのない世界”からは、ますます遠ざかる。


「……じゃあ、ならない、んですか」


ルナが、不安そうに首を傾げる。


ルシアンは、少しだけ息を吐いてから、かすかに笑った。


「違う。

“ならない”とも言えないし、“なる”とも今は言えない」


言葉を選びながら、土を爪でなぞる。


「俺は――父上が目指したものを、簡単に捨てたくはない。

争いの火を広げるためだけの魔王には、絶対になりたくない。

けど、今までのやり方じゃ何も変わらなかったのも事実だ」


マーヤが、口元だけで笑う。


「だからまず、ネザリアに戻って、べリアルドやバルバロスと話して、

前線で何が起きているのか、自分の目で見る。

魔王領の兵や民が、どんな顔で戦ってるのかも」


言いながら、自分自身にも言い聞かせる。


「そのうえでだ。

俺が“魔王”を名乗るのか、別の何かになるのか――それはその時、自分で決める」


ルナの琥珀色の瞳が、ぱちぱちと瞬いた。


「……」


しばらくの沈黙。


やがてルナが、そっと微笑んだ。


「なら、私……ルシアン様が“どんな魔王様”になるのかを、見たいです」


「おいルナ」


ブランがあわてて小声で制した。


「勝手にそんなこと――」


「いい」


ルシアンは遮った。


「見ていろ。

“うそつきだ”って思ったなら、そのときは好きなだけ呪え」


ルナはこくりとうなずいた。


「……はい。

でも、今は信じてます。

だって、首輪を取ってくれたから」


茶色の耳が、ほんの少しだけ誇らしげに立った。


「ま、ルシアン様がどんな魔王になるにせよ」


ガルネが、わざとらしく肩を鳴らした。


「そっちに付くかどうかは、“どれだけ面白え世界にしてくれるか”次第だね。

つまんねえ魔王だったら、そのときはあたしがぶん殴る」


「面白いだのつまらないだの、基準が雑だな、お前は」


「雑くらいでちょうどいいのさ」


ガルネは白い牙をのぞかせて笑った。


「でも今のところ――悪くないぜ、ルシアン様」


ルシアンは、小さく息を吸った。


聖都では、魔王の名は“怪物”と同義だった。

ここでは――“いつか鎖を断つ存在”として語られてきた。


同じ“魔王”という言葉が、まるで違うものを指している。


胸の奥で、亡き父の横顔が、ふと柔らかく笑ったような気がした。


「そろそろ、行くか」


ルシアンは立ち上がった。

森の空気が、またわずかにざわめく。


水のくぼみは、もう半分ほどに減っている。

マーヤが軽く指を振ると、残りの水は地面に吸い込まれた。


「……気づいてるか?」


ラガンが、進行方向を見つめたまま問う。


「さっきから、ひとつの気配がずっと並走してる。

風も草も揺らさない、妙な足取りだ」


「分かってる」


ルシアンもまた、その気配を感じていた。


森の外縁で“こちらを向いた”ものたちとは違う。

もっと濃く、もっと古い気配。


好奇心と警戒と――ほんのわずかな、懐かしさのようなものを混ぜ合わせた視線。


森そのものが、彼らの一挙一動を見守っている。


「逃げる気はないのか?」


ガルネが、腰の武器に手をかける。


「向こうが襲ってくるならぶちのめすだけだ。

こっちは、それまで進む」


ルシアンは、聖印柱の列と反対側――森の奥を見据えた。


前線まで三週間。

ネザリアまで、同じくらいの距離。


時間は、残酷なほど少ない。

だが、一歩ずつ進むしかないのも事実だ。


「行くぞ。

《魔樹海》が本当に“魔王の避難所”なら――

まずは、その資格があるかどうか、確かめてもらおうじゃないか」


六つの影が、再び長く伸びて、暗い木々の間に飲み込まれていく。


その少し先――

誰の目にもまだ映っていない場所で、黒い毛並みの巨大な獣が、静かに身を起こした。


黄金色の瞳が、森の奥でひとつ、ゆっくりと光る。


魔獣は、鼻先をひくつかせ、かすかに空気を嗅いだ。


――魔王の匂い。


低い喉鳴りが、誰にも届かないほど小さく、森の闇に溶けていった。

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