表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王降臨 奈落都市ネザリアから始まる人類征服戦記  作者: たゆたう
第二章 魔王の帰還

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/27

第二章 プロローグ 聖都の闇

鐘は、まだ鳴り続けていた。


大聖堂の塔からこぼれ落ちる鐘の音が、夜の聖都を震わせる。

「魔王討伐」と「平和の勝利」を告げる祝福の音――

少なくとも、そう呼ばれていた。


だが、その下で鳴っているのは、もっと生々しい音だ。


酒瓶がぶつかる音。

歌と笑い声。

酔った市民たちが「魔王の死」を肴にして叫ぶ声。


「万歳!勇者万歳!」

「魔王は地獄へ堕ちたぞ!」


夜空を赤く照らすのは、聖火台だけではない。

路地に並ぶ焚き火、打ち上げられた火柱の魔術、

あちこちで上がる火花が、聖都全体を一つの巨大なキャンプファイヤーみたいに照らしていた。


その中心で――大聖堂だけが、妙に静かだった。



カインは、石造りの小さな部屋にいた。


「勇者の控え室」と呼ばれるその部屋は、典礼用の豪奢な装飾が施されているはずなのに、

今はただ、冷たい石壁のざらつきだけがやけに鮮明だった。


床に置かれた聖騎士用の鎧。

壁に立て掛けられた聖剣。

テーブルの上には、誰かが置いたままの祝杯用のワイン。


どれもこれも、別の世界のものみたいに見えた。


カインは両手を見つめていた。


細い指。血管が浮き上がった手のひら。

聖光に焼かれているはずなのに、目に見える傷はほとんどない。


――この手で、魔王の首を落とした。


あの瞬間の感触だけは、どうしても消えてくれない。


刃が骨に触れたときの抵抗。

その下に隠れた、奇妙な「軽さ」。

切断の瞬間、聖剣のほうから「正しい」と告げてくるような、冷たい確信。


これは神意だ。躊躇うな。


剣を握っていた腕の奥で、加護が囁いていた気がする。


「……世界の意志です」


あの時、自分はそう答えた。

そう答えるしかなかった。


扉の向こうで、誰かの足音が止まる。


「入るぞ、カイン」


落ち着いた低い声。

ガイウス枢機卿だ。


「どうだ。聖剣は、重かったか?」


「……軽かったですよ」


カインは、自嘲気味に笑った。


「驚くほどに、です」


ガイウスの視線が、一瞬だけ、彼の手に落ちる。


「それは“正しく振るわれた剣”の証だ。

神の意志に逆らって振るう剣は、どれだけ鍛えた戦士でも腕がもげそうな重さになる」


「そう、教わりました」


「教わっただけではない。さっき、肌で理解したはずだ」


ガイウスは部屋の中に入り、静かに扉を閉めた。


外の鐘と歓声の音が、わずかに遠のく。


「……あのとき、教皇猊下が囁いた言葉」


カインは、顔を上げた。


「覚えていますか?」


ガイウスは、微笑を崩さない。

「どの言葉のことかな?」


「命令に従わなければ――」

カインは喉を鳴らし、言葉を絞り出した。


「――“あの村は守れない”と。

そう、おっしゃった」


ガイウスは、それを否定しなかった。

ただ、静かに肩をすくめる。


「あれは脅しではない、事実だよ」


「……」


「セラディア北境の避難村一つを、聖務院が“魔族協力者の巣”と認定するのは簡単だ。

調査官を二、三人送り込んで、“疑わしい証言”を拾ってくればいい」


カインの背筋が、ぞわりと粟立つ。


あの村――戦火で家を失った者たちの避難所。

彼自身も、そこで拾われた一人だ。


「君にとって“世界”とはなんだね、カイン?」


ガイウスはあくまで穏やかな声で問う。


「大陸全土か?聖王国か?この聖都か?

それとも――あの小さな村と、その周りの森か?」


返す言葉はなかった。


「教皇猊下は、君にそれを問われたのだよ。

“君の剣は、たった一つの村さえ守れないのか?”と」


ガイウスは、ゆっくりと目を細める。


「“世界の代わりに罪を背負う”とは、そういうことだ……とね」


カインは拳を握りしめた。


違う。


そういうことじゃない。


本当はそう叫びたかった。

だが、喉の奥で何かが絡まり、言葉にならない。


胸に刻まれた“勇者の聖痕”が、うっすらと熱をもって疼いていた。


契約だ。

祝福と呪いが裏表になったもの。


聖剣を振るう力を与える代わりに、神の意志から外れた剣を許さない枷。


「君は、よくやった。今や魔王を屠った偉大な勇者様だ。」


ガイウスは、それだけ言って部屋を出た。


扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。



聖堂の別棟、静かな小礼拝堂。


聖堂の喧騒が、厚い石壁の向こうで遠くに霞んでいた。

人々の歓声と祝宴の音のあいだに、低く重たい鐘の音が、なおもゆっくりと街を叩いている。


聖女アナスタシアは、小礼拝堂の片隅で両手を組んでいた。


指先には、まだ震えが残っている。

祈りの言葉は口を離れたはずなのに、聖剣が振り下ろされる瞬間の光が、瞼の裏から消えない。


「――ここに、いたのですか」


柔らかな声が、背後から降ってきた。


レオニウスだ。


金と白で縁取られた祭服から、香油と血と煙のおだやかな匂いがした。

振り返る前から、誰か分かる匂いだった。


「……教皇猊下」


アナスタシアは立ち上がり、膝を折って頭を垂れた。


「顔を上げなさい」


細い指が顎に触れ、強制的に視線を上げさせられる。

レオニウスの瞳は、相変わらず穏やかだった。穏やかすぎて、何も映っていない鏡のようだった。


「よくやりましたね、聖女アナスタシア」


その言葉に、胸の奥がきしりと軋む。


「……私は、何もしておりません。

祈りを、唱えただけです」


「祈りは、世界を動かす鍵ですよ」


レオニウスは、彼女の胸元――聖痕の刻まれた位置へと視線を落とした。


「勇者の剣が“罪を断つ”のなら、

聖女の祈りは、“世界にその罪を認定させる”役目を持つ。

君の『祈り』がなければ、今日の“奇跡”は完結しなかった」


奇跡。

その一言に、胃の辺りが冷たくなる。


「……本当に、あれは“奇跡”なのでしょうか」


気づけば、声が漏れていた。


レオニウスの眉が、わずかに動く。

叱責の気配――ではない。興味を持ったときの目だ。


「どういう意味です?」


「魔王は……最後まで、憎しみではなく、問いを投げかけていました。

“いつまで憎しみを継ぐのか”“その先に平和はあるのか”と」


アナスタシアは、握りしめた指を見下ろした。


「私の中の“声”は、あの時――少し、静かになりました。

まるで、答えを待っているように」


ほんの一瞬。鐘の音と、遠くの笑い声の隙間に、別の静寂があった。


レオニウスは、それを聞いても表情を変えなかった。

ただ、彼女の頬に付いた涙の跡を親指でなぞる。


「それは“試練”ですよ、聖女」


優しい声だった。


「神はときに、信仰を試される。

君の“声”に沈黙が訪れたのだとしたら、それは

『自らの意思で、正しい側に立てるか』――その確認にすぎません」


「……正しい、側……」


「そうです」


レオニウスは、彼女の手を取った。

その指には、古い銀の指輪――聖遺物の石が埋め込まれている。


触れた瞬間、アナスタシアの胸の聖痕が、微かに熱を持った。


ささやき声が、かすかに脳裏をかすめる。

〈よくやった〉〈断罪は成った〉〈これは救いだ〉――幾重にも重なった、小さな囁き。


彼女は、無意識に息を呑んだ。


「聞こえますね?」


レオニウスの声が、耳元で低くなる。


「神の御声が。

君が選んだ道は、間違っていないと、おっしゃっている」


違う――と叫びたかった。

だが、聖痕の熱と、あの囁きが、それを飲み込ませる。


レオニウスは、手を離さないまま続けた。


「思い出しなさい。アナスタシア」


あえて“聖女”ではなく、昔の名で呼ぶ。


「君の村が、あの夜どうなったかを」


視界の端が滲む。

炎。崩れる家。泣き叫ぶ声。

自分だけが、何も燃えない中心に立っていた夜。


「君の“奇跡”は、制御されなければ世界を乱す。

あの村は、その証だ。

……君は、それでも二度と同じことを繰り返したいのですか?」


「違います……」

「そうでしょう?」


レオニウスは、穏やかに微笑む。


「だからこそ、私は君を連れ出した。

焼け落ちる村から、一人だけ。

神の奇跡を“正しい形”で捧げられる場へと」


孤児院で初めて与えられた白い服。

彼の手の中にあったパン。

泣き疲れた自分の頭を撫でる、柔らかな掌。


その記憶が、“救い”と “焼けた夜の映像”を、ぐちゃぐちゃに混ぜている。


「君が今日したことは、あの村の罪を少しだけ軽くしたのです」


レオニウスの声が、そっと胸に染み込んでくる。


「魔王という“根”を焼き、戦火の連鎖を断った。

君の祈りのおかげで、これから救われる命がある。

……それは、君が一度守れなかった命への、ささやかな償いではありませんか?」


そう言って、彼はアナスタシアの額に軽く口づけた。


祝福の仕草。

聖堂で幾度も見てきた、“聖女への感謝”の印。


それなのに、彼の指輪が触れた場所から、冷たいものがじわりと広がっていく。


「忘れてはなりません、アナスタシア」


耳元で囁く声だけが、急に鋭くなった。


「君は“聖女”だ。

神と、この聖都と、私に選ばれた器だ。

君が迷えば、その迷いごときが、国境の村一つを焼くこともある」


セラディア北境の避難村――カインの村が、何度も頭をよぎる。

噂に聞いた、別の孤児たち。

“戦火から逃れた者たちを守る聖なる集落”という名目の、半ば宗教的な保護区。


あの村も、自分の祈り一つで「救う側」にも「切り捨てる側」にもなるのだ、と、

彼は何度も教え込んできた。


「……分かりました、猊下」


アナスタシアは、ゆっくりと膝を折る。

心からの納得ではない。

だが、“そうしなければ、誰かがまた焼かれる”という恐怖だけは、本物だった。


「私は、祈ります。

どうか、この選びが――世界にとっての救いとなるように」


「ええ。君が祈り続ける限り、世界は正しく導かれるでしょう」


レオニウスは満足げに頷く。

去り際、扉の前でふと振り返った。


「それと――」


微笑みは崩さぬまま、声だけが冷たく落ちる。


「さきほどの疑念は、ここだけに留めなさい。

ガイウスや他の枢機卿の耳に入ると、彼らは“不安要素の除去”を提案するかもしれない。

君のために、ね」


“君のために”という言葉に、ぞくりと背筋が震えた。


扉が閉まる。

また鐘の音だけが、礼拝堂に戻ってくる。


アナスタシアは胸に手を当てた。

聖痕の熱は、まだ引かない。


そこから微かに聞こえる囁き声が、

“本当に神のものなのか”、

それとも“あの指輪を通した何か別のものなのか”――


彼女には、もう判別がつかなかった。



大聖堂の地下、さらにその下。


一般の聖職者すら近づけない「聖堂基幹術式室」。

石の壁一面に刻まれた紋様が、淡く光を脈打っていた。


中央には、透明な立方体の水晶柱が一つ。

内部に浮かぶ無数の光点が、夜空の星のように瞬いている。


「状態を」


レオニウスが低く告げると、傍らの術技師が慌てて魔術式を起動した。


水晶柱の表面に、淡い光文字が浮かび上がる。


【聖剣契約・断罪儀結果】

・主対象:〈深淵王〉アルドラン・ルクスベルク ― 魂核消滅

・側近シグネチャ #01 ― 魂核消滅

・側近シグネチャ #02 ― 処理未完了(魂核パターン分散/保留層推移)

・関連戦力シグネチャ ― 構造崩壊

・浄化率:99.97%

・残滓反応:極微(タグ:〈深淵王家〉)


そこまでは、ほぼ想定どおりだ。


レオニウスの口元に、僅かな笑みが浮かぶ。


「……“処理未完了”?」


長い指先で、その行をなぞる。


術技師が、喉を鳴らした。


「は、はい。主対象と側近の一人――深淵将軍アスモドと思しきシグネチャの

“魂核パターン”は完全消滅と判定されていますが……

もう一人の側近シグネチャだけ、焼却層まで落ち切っておりません」


「外れた、ということですか」


「はい。焼却経路の途中で分散し、上位の保留層に引きずり込まれた形跡があります。

位置特定は不可能です。“この大陸のどこか”というよりも、もはや座標を持たない階層に……」


術技師は、おそるおそる付け足した。


「おそらく悪魔マルシエルのシグネチャかと推測されますが、基幹術式から先には干渉できません。

ただ、“世界側の記録”上は、すでに〈魔王一党・完全浄化済み〉として刻印が終了しておりまして、

この残滓反応や保留層への推移は、あくまで基幹術式層に残った誤差として――」


「誤差で結構ですよ」


レオニウスは穏やかに遮った。


「民が必要としているのは、“魔王が滅んだ”という記録だ。

それはもう刻まれた。消えません」


水晶の内側で、他の光点とは色の違う、わずかに濁った光が揺れている。


「問題なのは、現実のほうです。

記録に従うかどうか、という点において」


術技師の額に、じわりと汗がにじむ。


「基幹術式が拾った“微かな燻り”は、いずれどこかで炎になるかもしれない。

……ならば、灰ごと払い落としておいたほうがいい」


「猊下。その“灰払い”をどこまで――」


問いかけかけた術技師の声を、レオニウスのひとことでねじ切った。


「“名前のない聖職者たち”を呼びなさい」


部屋の奥の暗がりが、わずかにざわめく。


白と黒の法衣。

顔の下半分を覆う薄い仮面。

胸には聖印だけが刻まれ、階級章も名札も何もない。


彼らには、名前がない。

記録にも、名簿にも載らない。

ただ、教皇の命だけを刻まれた“聖職者”。


人は影で、彼らをこう呼ぶ。


――名前のない聖職者たち、と。


その先頭にいた一人が、音もなく進み出て、片膝をついた。


レオニウスは、水晶から目を離さぬまま命じる。


「目的は“魔族残党狩り”だ。

特に、魔王の息子ルシアン・ルクスベルク、およびその配下の者たちを優先すること」


仮面の下から、低い声が短く返る。


「聖都近郊の森、地下回廊、奴隷市場周辺。

影の出現報告があった地点はすべて洗いなさい」


「御意」


「それと――」


レオニウスは、今度は別の闇へと視線を向けた。


黙示庁もくしちょうから、一人借り受けましょう」


術技師が小さく息を呑む。

名前を出すだけで、空気が一段重くなる言葉だった。


黙示庁。

“神の黙示”の名のもとに、王国の裏面をすべて引き受ける闇の機関。

その中枢に座する七人――**黙示七官もくししちかん**は、

どの聖騎士よりも、どの審問官よりも、タチが悪いと恐れられている。


「……どなたを」


おそるおそる問う声に、レオニウスは微笑を崩さず答えた。


「“解体司祭かいたいしさい”――イグナティウス・ローレンス」


名が呼ばれた瞬間、奥の闇が、ぬるりと形を取った。


淡い色の法衣。

ただし袖口と裾だけが、乾いた赤黒い染みでまだらに汚れている。

やせこけた指には、外科器具とも拷問具ともつかない銀の器具が、指輪のようにいくつも絡みついていた。


男は、楽しげに目を細める。


「魔王の“残りかす”探し、ですか」


舌の裏で笑いを転がすような声だった。


「よい標本になりそうだ。

骨の破片でも、焼け残った神経線維でも見つけられれば……

まあ、きれいに解剖して差し上げられます」


術技師の顔色が、目に見えて青ざめる。


レオニウスは、水晶の濁った光点を見つめたまま、満足げにうなずいた。


「頼みますよ、イグナティウス。

神の記録に逆らう“誤差”を切り出して、揃えて瓶に並べるのは、あなた方の得意分野でしょう」


「ええ、猊下」

解体司祭は、くつくつと喉を鳴らした。


「誤差は放っておくと、すぐに“逸脱”に育ちますからね。

芽のうちに摘み取って、ラベルを貼って、静かに棚に並べておくのが一番です」


「名前のない聖職者たちよ」


レオニウスは、仮面の群れに向けて言葉を投げる。


「この“誤差”の行き先を探しなさい。

森でも、地下でも、奴隷檻でも構わない。

見つけたなら――報告は不要です。“浄化”しなさい」


仮面の列が、一斉に頭を垂れた。


水晶の中、ひときわ濁った光点が、まだ消えずに揺れている。


レオニウスはそれを見つめ、静かに呟いた。


「世界は、“魔王が滅んだ”と記憶している。

であれば、現実のほうが従うべきだ」


解体司祭が、愉快そうに笑う。


「では猊下――“記録に追いついていない現実”を、これから少しずつ、解体しに行くとしましょう」



聖都の城門近く。


祝宴の喧噪が少しだけ遠のく、石畳の広場に、黒い列が組まれていた。


鎧の意匠は聖騎士団のものに似ている。

だが、肩章にも胸元にも部隊章はない。

顔の下半分を覆う薄い仮面。

腰に下げられた聖印だけが、彼らが「聖職者」であることを示していた。


名前のない聖職者たち。


「出立準備、完了」


先頭に立つ一人が、低く告げる。


号令に応じて、数十の黒鎧が一斉に剣を掲げた。

剣身のすき間から漏れる聖光は、聖騎士団のそれよりも、ずっと冷たく見えた。


「目的は“魔族残党狩り”」


隊長格の男が、仮面越しに声を響かせる。


「聖堂基幹術式から、“〈深淵王家〉に紐づく残滓反応”が報告された。

魔王の息子、あるいは、その配下の者が、聖都周辺に“焼き残っている”可能性がある」


騎士たちの口元が、仮面の下でわずかに歪む。


「確認は不要だ。

地下回廊、奴隷市場周辺、“呪いの森”と呼ばれる一帯――

影と魔族の気配を見つけたものは、すべて“邪悪”とみなし、浄化せよ」


「了解」


声が揃う。


黒い列が、静かに城門へと歩み出した。

祝宴に沸く聖都の灯りから離れ、夜の外界へ溶けていく。


その様子を、少し離れた回廊から眺めている二つの影があった。


アナスタシアと、カインだ。


「……また“狩り”が行われるですね」


アナスタシアが、ぽつりと呟く。


「魔王はもう、焼かれたはずなのに」


「“平和”のため、だそうですよ」

カインは、乾いた声で答えた。


「残った火種を、一つ残らず踏み潰すまでが“浄化”だと」


アナスタシアは、胸元の聖印をぎゅっと握りしめる。

細い指が白くなるほど力がこもっていた。


「本当に……これで世界は良くなるのでしょうか」


問いかけられているのは、隣に立つ勇者ではない。

彼女自身がずっと信じてきた、“神”そのものだった。


だが、神は何も答えない。


代わりに、大聖堂の鐘がまた鳴り響く。

「……分からない」


カインは、正直にそう言った。


「ただ一つだけ分かるのは――

今日、あの光の中で斬られたのは、“ただの怪物”じゃなかった、ということです」


アナスタシアの肩が、小さく震える。


カインはそれ以上、言葉を継がなかった。

ただ、広場を出て行く黒鎧の一団を、黙って見送る。


どこかでまだ燻っているかもしれない“何か”を、

徹底的に踏みにじるための軍勢。


「……もしも」


アナスタシアが、かすかな声で言った。


「もしも、まだ――、生きているのなら」


カインは、横目で彼女を見る。


「……いえ」


アナスタシアは首を振った。

「ただ、そうだったら……

この鐘の音が、いつか止まればいいと、思っただけです」


祝福の鐘のはずなのに、その響きはどこか、処刑の合図みたいに聞こえた。


カインは目を閉じる。

光の柱の中で、魔王が最後にこちらを見たときの、あの眼差しが脳裏から離れない。


――背負え。決して、誰かのせいにするな。


拳を握る。


もしも、本当にあの魔王子が生きているのなら。

それは、“世界の意志”とやらが取りこぼした罪なのか。

それとも――ここで斬り伏せさせられた、自分自身の罪なのか。


答えはまだ出ない。


ただ、鐘の音だけが、しつこいほど夜空に響き続けていた。


「魔王討伐の勝利」を高らかに謳い上げながら。

同時に、「焼け残った何か」を追い詰めるための祝祭の鐘として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ