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魔王降臨 奈落都市ネザリアから始まる人類征服戦記  作者: たゆたう
第一章 争いの無い世界を目指して

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第10話 和平の条文

中立地帯の古い砦は、ひとまずの“平和の場”に化けていた。


灰色の石を積み上げただけの無骨な城壁。

外側には、魔王領側の旗とセラディア聖王国の旗が、風の向きも合わないまま並んで揺れている。

両方とも、今は槍の穂先ではなく、砦の上空に向かって掲げられていた。


「ルシアン様、こちらへ」


魔王軍側の案内役が一礼し、砦の奥へ続く廊下を指し示した。


内側の廊下は、外の冷気を遮っているはずなのに、妙に空気が重い。

石壁には、人間側の紋章と魔王領の紋章が、奇妙な間隔で交互に掛けられている。

どちらの陣営も、「ここはまだ自分たちの城だ」と言い張りたいのだろう。


――この先に、父上がいる。


そう思うだけで、足が少しだけ速くなった。

戦場から戻ってきたときとも、奈落都市ネザリアの玉座の間で顔を合わせるときとも違う、胸の緊張があった。


廊下の突き当たり。

両開きの扉の前には、深淵のアビスガードの兵が二人、槍を立てて立っている。

どちらも四枚翼のデーモンだ。翼を畳み、表情ひとつ動かさない。


「ルシアン様。陛下がお待ちです」


一人がそう告げ、扉に手をかけた、そのとき――


「ルシアンさまぁぁぁぁーーっ!」


どこかの角を曲がった先から、肺いっぱいに空気を詰め込んだ叫び声が響いた。

案内役のデーモンがびくりと肩を跳ねさせるより早く、赤い魔導服が廊下の向こうから飛び込んでくる。


「そんな叫ばなくても、聞こえてるよ」


思わず小さくため息をつくあいだに、マルシエル・ヴァラクが外套の裾をばさばささせながら駆け寄ってきた。

いつもよりきっちり閉じた胸元も、今は息で上下している。



「やっとですねぇ……! 前線から帰ってきたって聞いたと思ったら、今度はマルシエルだけ陛下と一緒に先に中立砦入りで、マルシエルには“書類番”を押しつけて!」


詰め寄る勢いのまま、俺の顔を覗き込んでくる。

金色の瞳が、あからさまに“寂しかった”と訴えていた。


「いきなり罪状の羅列やめてくれないかな」


「罪状どころか、一部は事実ですよ〜?ルシアン様抜きで第一次会談の準備も、条文の仮案も、ぜーんぶマルシエルが――」


「それは、助かってるよ」


口を挟むと、マルシエルは一瞬きょとんとしてから、ふわりと笑った。


「ずるいですねぇ、そういう言い方するの。

……でも、はい、助けるためにやってるので、もっと褒めてもいいですよ?」


軽口の調子はいつもどおり。

ただ、笑ったときにほっとしたように息を吐いたのを、俺は見逃さなかった。


「中立砦の暮らしはどうだ?」


「サイアクです」


即答だった。


「人間側の魔導師たちと“共同作業”なんてさせられてるんですよ?

魔術陣の読み合わせとか、“聖堂側の術式構造の説明会”とか……」


最後のあたりだけ、露骨に眉間に皺が寄る。


「……聖堂?」


「はい。今回の条約案、見ましたよね?」


マルシエルは俺の腕を軽くつつきながら、廊下の先――扉の向こうを顎で指した。


「詳しい話は中で陛下も交えて、ってなるでしょうけど。

セラディア側、“新しい聖堂を建てさせろ”って条件、しっかり入れてきてますから」


「……やっぱりか」


聖堂。

セラディア教会の本拠であり、聖魔術の拠点。

そこに建てられる巨大な建物は、ただの祈りの場所ではない。


マルシエルが、ぐっと身を寄せて、声を少し落とす。


「聖堂がひとつ建つと、その周囲の魔力瘴気が薄くなるんです。

“聖属性の魔術場”でマナの流れを矯正しちゃうから、魔族にとっては住みにくい土地になる」


「浄化、ってやつか」


「向こうの言い方だとそうですねぇ。

こっちからすると、“魔族の生態系ごと追い出すための土壌改造”ですけど」


さらりと言いながらも、その声色には刺があった。

聖堂が増えるたび、魔族がじわじわと住処を失ってきた歴史を、彼女は書庫で腐るほど読んできたのだろう。


「……中で、詳しく聞く」


「はい。マルシエルも、だいぶ赤いインクを無駄遣いしましたから、ぜひ見ていってくださいね〜」


彼女はそう言って、くるりと身を翻す。


「さ、陛下をお待たせするわけにはいきません。行きましょう、ルシアン様」


さっきまでの愚痴を切り替えるように、動きはきびきびとしている。

その背中を追いながら、俺は一瞬だけ、軽く息を整えた。


扉の前に立つと、アビスガードの兵が槍を鳴らし、静かに開いていく。



会議室の中は、外よりもさらに静かだった。


長い楕円形の卓。その片側に、魔王領の旗。反対側には、今は巻かれているセラディアの旗。

壁には、地図と条文の写しが何枚も貼られている。


卓の奥。椅子に腰掛けていた男が、ゆっくりと顔を上げた。


黒髪に、わずかに混じる白。

深い紅の瞳。鎧は脱ぎ、黒マントだけを肩にかけているが、その体躯が戦場向きであることは誰の目にも明らかだった。


魔王アルドラン・ルクスベルク。

俺の父だ。


「戻りました、父上」


卓の手前まで進み出て、片膝を折る。

ほんの一呼吸の間があってから、落ち着いた声が降ってきた。


「顔を上げろ、ルシアン」


言われたとおりに顔を上げると、紅い瞳と視線が合った。

戦場のような圧はない。ただ、底の見えない深さだけがある。


「無事の到着、何よりだ。……ネザリアのほうは?」


「前線の再編案、ネザリアの防衛、難民の扱い……できる限りのものは整えました。

アスモドは中立砦へ向けて移動中。ベリアルドが前線の総指揮、アバドは聖都潜入中です」


一気に言い終えたあと、父上はしばらく黙って俺を見つめていた。

叱責でも指示でもない、その静かな視線に、逆に背筋が伸びる。


「……そうか」


低く穏やかな声が落ちる。


「短い時間で、よくここまで整えたな。前線も奈落都市も、お前がいたから持ちこたえている」


父上はゆっくりと椅子から立ち上がり、卓の手前まで歩み寄る。

言葉と一緒に、大きな手がそっと俺の肩に置かれた。


戦場で幾度も剣を振るってきた手なのに、その力加減は驚くほど優しい。


「負担をかけているのは分かっている。ルクスベルクの名に甘えず、よく務めてくれた」


胸の奥が、きゅっと締めつけられるように熱くなる。

幼い頃にかけられた言葉と、同じ響きがそこにあった。


「……ありがとうございます、父上」


ようやくそれだけ返すと、父上は満足げに小さく頷き、再び自分の席のほうへ戻る。

椅子には腰かけず、卓の奥に立ったまま、視線を卓の上へと落とした。


そこには、厚みのある羊皮紙の束が置かれている。

表紙には、セラディア聖王国の紋章と、魔王領ルクスベルクの名。

その端には、見慣れた赤インクがびっしりと踊っていた。


「――これが、セラディア側の“正式な条約案”だ」


父上が指先で軽く押しやると、羊皮紙の束が俺のほうへ寄ってくる。

マルシエルが、隣でそっと身を乗り出した。


「一次会談のあと、セラディア側でまとめられた案です。

こちらが返した条件も、ある程度は反映されていますが……」


言葉を濁すようにして、彼女は自分の赤字の部分を指先で叩いた。


「すべてが“そのまま飲める”わけではありません」


父上が椅子から立ち上がり、卓の反対側へ回り込む。

俺の肩越しに、条文の束を見下ろした。


「読んでみてくれ」


短い指示。

喉の奥にたまっていた緊張を、ひとつ飲み込んでから、俺は一枚目に目を落とした。


――第一条。この条約締結をもって、セラディア聖王国と魔王領ルクスベルクは、互いの主権を認め、継続的な武力衝突を停止する。


「……“主権を認める”」


思わず、そこだけを声に出していた。


三百年、“魔王は絶対悪。討たれるべきもの”と教え込んできた国の条文に、それが書かれている。

紙の上とはいえ、その文言の重さは理解できた。


「第二条。両者は、新たな国境線を本案別図のとおりとし、互いにその越境を武力行使の理由としない」


地図の写しには、いくつもの赤い線が引かれている。

三百年かけて塗り替えられてきた“前線”の傷跡の上に、新たな細い線が走っていた。


……少しずつ、こちらにとっても悪くない位置だ。

マルシエルの赤字には「※魔王領に不利ではない」「※補給線的にも許容」といった簡潔な注釈が書かれている。


「第三条。捕虜となった者、その遺族、戦場に残された遺体と遺品について、相互に返還の手続きを行う」


マルシエルが小さく息を吐く。


「ここは、だいぶがんばってもらったところですねぇ。

向こうの最初の案だと、“聖戦に殉じた者の遺体は聖堂に収める”って書いてあって。こっちの死者も、まとめて」


「……それは、さすがに認められないな」


「はい。それはちゃんと引っ込めさせました。

死んだあとの扱いは、宗教と同じくらい“揉める種”ですから」


第四条、第五条と読み進める。

税、交易路の管理、難民の扱い。

問題はあるが、今までの“降伏勧告”と比べれば、確かに別物だった。


そして――


「第七条。セラディア聖王国は、新たな国境線近傍に、平和と祈りの象徴として、大聖堂を一座建立する権利を有する」


そこだけ、赤線が三本も引かれていた。


「……これが、さっき言っていた聖堂か」


「そうです」


マルシエルが、身を乗り出してくる。


「“平和の象徴”って書いてありますけど、実際には“聖魔術の拠点”です。

大聖堂レベルの施設になると、常時、第五階梯以上の聖魔術が発動しているのと同じ状態になりますから」


「……階梯、か」


聞き慣れた単語ではある。

だが俺にとっては、あくまで書類の上で見る“人間側の物差し”でしかなかった。


「念のため、もう一度整理しておこう。向こうの基準で言うと、どうなっている?」


そう言うと、マルシエルは「あ、そうでした」と手を打った。


「人間側の“魔術”の段階分けです。

第一階梯から第七階梯まであって、第四・第五階梯が“大魔術師級”、第六・第七が“勇者級”ですね」


「勇者級……」


その単語だけで、頭のどこかに、“人類の勇者”と呼ばれる男の影が浮かんだ。

まだ会ったこともない相手の名なのに。


「魔族の“魔法”は、ルシアン様もご存じのとおり、自分の魔力を核にして周囲のマナを引き寄せて使いますよね?」


「ああ」


俺の《黒槍》も、《墜星》も、そうだ。

体の中にある魔力を起点に、外のマナを巻き込んで形を与える。


「でも、人間の“魔術”は逆なんです。彼らは魔力をほとんど持たないですから、

“術式”っていう、マナの流れを縛る“設計図”を先に用意して、そこにマナを流し込んで発動させる」


マルシエルは、卓の上に落ちていたインク壺をつまみ上げ、指でぐるりと円を描いた。


「この円が術式。ここに適切な量のマナを注ぎ込めば、誰がやっても“同じ結果”が出る。

――上手くできれば、ですけどね」


「つまり、魔族は“自分ごと”動かす。人間は“仕組みごと”動かす、か」


「そんな感じです。

で、大聖堂というのは、その“術式”を建物ごとに埋め込んだようなものなんです」


マルシエルは、眉を寄せて続けた。


「聖堂を建てると、その周囲一帯のマナの流れが“聖属性寄り”に固定される。

魔力瘴気が薄くなって、魔族にとっては“呼吸しにくい空気”になるんです」


「だから、国境沿いに聖堂を建てたがるのか」


「はい。

“聖戦”の大義名分にしながら、じわじわと魔族を押し出す――今までの三百年も、ずっとそうでした」


マルシエルの赤いインクには、『※“象徴”といいつつ実質的な軍事拠点』『※国境線からの距離、要調整』と書き込まれている。


父上が、静かに口を開いた。


「とはいえ、聖堂を完全に認めぬ、と言い張れば、この条約案そのものが破談になる」


紅い瞳が、条文と俺の顔を交互に見た。


「ルシアン。お前は、どう見る」


問われ、俺は一度だけ目を閉じた。


聖堂の“浄化”は、魔族にとって毒だ。

だが、主権の承認、新しい国境線、捕虜と死者の扱い――それらは、今まで一度も手に入らなかったものだ。


「……聖堂そのものを消すのは、難しいでしょうね」


ゆっくりと口を開く。


「だが、“場所”と“規模”と、“そこから先に手を伸ばさせない条文”で、毒を薄めることはできるかもしれません」


「具体的に?」


「国境線からの距離を、もっとこちら寄りに制限する。

聖堂から一定距離以内に新しい要塞を建てない、という条件は飲めませんが――」


マルシエルの赤字を指で追いながら、言葉を選ぶ。


「“聖堂の周囲一定距離内では、双方とも新しい軍事施設を建てない”とする案なら、まだ対等です」


「それなら、互いに“聖堂を軍事拠点にしない”という形になる」


父上が、静かに頷いた。


「魔族の生活圏にどこまで影響するかは、マルシエル、お前のほうがよく知っているな」


「はい。別紙で、マナ流の観測図を作ってあります。

“ここまでなら、ギリギリ住める”“ここから先はもうだめ”って線を」


マルシエルは、少し得意そうに胸を張った。


「聖魔術が第五階梯程度なら、このくらいの範囲。

もし第六階梯以上を常時展開するつもりなら、そのときは“条約違反”って胸を張って怒れます」


「勇者級の魔術を、常時展開する余裕があれば、の話だがな」


父上の口元に、わずかな苦笑が浮かんだ。


「他の条項は、おおむね“今までで最もまし”だ。

完全ではないが、ここで線を引く価値はある」


そう言いながら、父上は条文の束を軽く叩いた。


「この案を元に、セラディアの聖都へ向かう。

そこで正式に条約を結び、公開の和平式典を行う――それが、向こうと交わした合意だ」


その言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなる。


聖都セラディア。

“人間の神”と聖堂と聖騎士たちがひしめく場所。

そこに、魔王と次期魔王が揃って立つ。


「準備は、お前のほうも整っているか」


父上の問いに、俺は短く頷いた。


「ネザリアはバルバロスに任せてきました。

“壊さなくて済むように殴る”のが、自分の仕事だと、本人も理解しています」


父上は、小さく目を細めた。


「アスモドは、まもなく中立砦に到着する。セラディアへ向かう行程では、あいつに護衛の主を任せる」


「……父上」


口を開きかけて、言葉が喉で止まる。


“全部は守れない”――アスモドが魔導鏡の向こうで言った言葉が、頭の中で重なった。


「セラディアとの和平は、魔王領の勝ち負けではない」


父上が、静かに続けた。


「この戦いそのものを、どこで終わらせるかを決めに行くのだ。

その場に、お前も立て。ルクスベルクの血を継ぐ者として」


紅い瞳と、視線が交わる。


恐怖がないわけではない。

疑いも、不信も、まだ消えてはいない。


それでも――


「……分かりました」


はっきりと、そう答えた。


「聖都で、条文を読み、条件を確認し、父上とともに立ち会います」


マルシエルが、横で小さく息を吐いた。


「では、聖都行きの準備、最終段階ですねぇ。

アバドからの“聖都レポート”も、そのうち届くはずですし」


彼女の声には、不安と同じくらい、職人としての好奇心が混じっていた。


人間の“最高級の魔術構造”――聖都の聖堂と、その周囲の術式。

それを、悪魔の魔導士として解析する機会など、そうそうないのだろう。


「出立は、いつでしょうか?」


俺が問うと、父上は迷いなく答えた。


「明朝だ」


窓の外を見る。

中立砦の上空には、薄い雲が流れている。

その向こうに広がる西の空の先に、聖都セラディアがある。


「魔王領代表としての行列となる。

儀礼も、警戒も、両方を忘れるな」


「承知しました」


会議室を出ると、廊下の石床が、さっきよりも重く感じられた。

一歩進むたびに、“聖都に向かう”という事実が、足の裏からじわじわとせり上がってくる。


「……いよいよですねぇ」


隣でマルシエルが呟く。


「『魔王と次期魔王、聖都に入る』なんていう見出し、向こうの教会新聞、きっと大喜びで刷りますよ」


「こっちは、見出しより中身のほうが気になる」


「もちろん。

だからこそ、“中身で騙されないように”、マルシエルが横にいるんですからね?」


悪魔の笑みを浮かべながら、彼女は赤インクのペンを胸元に差し直した。


和平の準備と、戦争の準備。

両方を抱えたまま、俺たちは中立砦を出ることになる。


明朝。

魔王アルドラン・ルクスベルクと、その嫡男ルシアン・ルクスベルク。

そして深淵のアビスガードの一部を連れて――


魔族側の行列は、三百年殺し合ってきた相手の“聖都”へと、足を向けるのだった。

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