6 "胡蝶の傷痕"
5話ペタペタ。
自室のベッドできくりは目を覚ました。
うすぼんやりした室内を不思議に思って時計を見れば、普段の起床時間より二時間程度も早いようだ。
昨日の哨戒任務訓練で予想外のアクシデントがあったためその気疲れで眠りが浅くなったのかと考え、すぐ否定する。
私の体に昨日の疲れなんて残るわけないし、そもそも昨日の哨戒任務訓練で気疲れなんてしていない。
試験が終わって学校から帰ってきても、別段休むこともなく、普段通りの生活をこなしてほぼいつも通りの時間にベッドに入った。
眠りが浅かったのは夢のせいだ。
忘れかけたころに必ず見る嫌な夢。
夢の中で私は今と同じぐらいの女の子になっている。
小柄で痩せぎすで、少し目じりが垂れている少女だ。
目の下にはいつも隈があってそれを化粧で隠すことが日課としていて、知識を得ること、技術を習得すること、成果を出すことに追われ、切羽詰まったぎりぎりの生活を強いられていた。
『みかげ。いくら世が変わろうとも、我が龍仙家は民の手本とならねばならぬ。民の安寧を守らねばならぬ。民を正しき道へと導かねばならぬ。我らはその役目を果すため、ただ人として生きることは許されぬ』
この少女は前世の私だ。
前世での名を龍仙みかげという。
地方で一二を争う家格を誇る龍仙という大家に生まれた女だった。
古き血筋でありながら今もなお政経両面から強大な力をもって社会に動かす家で、家系図を見れば少々やんごとない筋にも行き当たる。
そんな家の次期当主候補としてみかげに求められたことはただ一つ。龍仙として相応しい人間になること。
『お父様! わたくし、クラスで一番になりました!』
『みかげ、よくやった。それでこそ龍仙の娘だ』
幼少時から家のため、両親の期待に応えるため、自分のすべてをなげうって龍仙みかげは生きた。
最高成績で学力を修めることは当然のこと。寝る間を惜しみ、自らの体を顧みず、必要だと言われた技能を学び尽くし、求められたすべてにおいて相応しい成果を上げていった。
そんなおり、一人の少女と会うことになった。
自分とは違い、目鼻立ちが整った、幼くとも将来の美しさを約束された少女だった。
『おはつにおめにかかります、ねえさま!」
詳しく聞けば、どうやらみかげの下には三つ年の離れた妹がいた、らしい。
「ねえさま、わたくしがんばりました!』
子供だったみかげの目からしても、天稟を持って生まれた天才としかいいようのない結果を残していく妹。
「姉様、わたくしちゃんとできました!」
みかげが上げた実績を次々と、軽々と塗り替え、あどけなく喜ぶ妹の姿にまだ子供だったみかげは自分も妹に負けないようにと一層奮起して努力した。
「みかげお姉様」
そして、受験において最難関と言われる大学に”トップ合格した妹”と共に合格したことによって、その立場をいとも簡単に奪われることになる。
終わりは唐突に訪れた。
両親が龍仙家の後継をたった一言で妹に変えた。
龍仙みかげが与えられていたすべてがその日から妹に引き渡された。
いいものも悪いものもあったがすべて妹が背負うことになった。
代わりにみかげが得たもの。
それは膨大ななにもない時間。
生活の場を今まで使っていなかった別邸の一つに移され、不自由のない生活を与えられ、改めて両親からは自由に生きることをみかげは許された。
困惑、混乱。そんなものでは問うて言い表せない動揺と恐怖の中、みかげは両親に言われた通り自由に生きようとした。そして、気づかされることになる。
自分がなにも持っていないことを。
自由に生きるために必要な、自分という個を一切持ち合わせていないことを。
友達も、思い出も、夢も。
好きなものも、嫌いなものも、興味ないものも。興味あるものも、欲しいものも、いらないものも。
どれもこれも両親のため、家のための学習や鍛錬で忙しく、考える暇などなかったものだった。
考えてみれば、これまでずっと家のため、両親のために生きてきたのだ。
そんなものあるわけがない。
だが、そんなことにもこれまで気づけなかったことにみかげは愕然として――初めて自分のために小さく笑うことができたのだった。
多分このときに私は人として大事ななにかが捻じれてしまったのだろう。
別邸で家政婦の人たちに傅かれながら健康的な生活を送っていた私だったが、以降、徐々に睡眠時間が延びはじめ、原因不明の体調不良によって床に臥せるようになっていく。
病院で検査までしたが病状すら突き止められず、一年もたたずに床から起き上がることもできないようになり、そのまま眠るように息を引き取った。
死の直前、次の人生では私のためだけの人生を生きようと強く思いながら。
そしてあるとき前世の世界と似て非なる世界に生まれ変わっていることに気づいたのだ。
ファンタジアを統べる王の一体として。
死ぬ前に強く願った通り、自分の思うがままに生きられる無限の力を手に入れて。
――どうして私がこの世界に転生したかはわからない。
だけど、せっかく与えられた人生ならば、今度は私自身のためだけの人生を送ろうと心に決めたのだ。
私はゆっくり体を起こした。
カーテンを開けば、相変わらずの曇り空が窓一杯に広がり、室内を控えめに浮かび上がらせる。
部屋の中に光が差し込み、不愉快そうに顔を顰めたのは木製のベッドの上で寝そべる一匹の狼だ。
私より大きな体に冷気を纏わせ、毛の端々に氷の粒をぶら下げている。
ベッドの脇には主を待つかのように伏せる翼ある雄ライオン、そして、翼を綺麗に畳んだライオンに圧し掛かるみたいにとぐろを巻く角ある蛇の姿もある。
きくりはタオルケットを除けて自分を囲むようにはべる三匹の頭を順番に撫でていった。
「おはよう、皆」
片目を開いたり、小さく吠えたり、舌をちろりと出した眷属たちが誰彼ともなく立ち上がると、きくりの体の中へと入って消えていく。
彼らは私の一部でありながら、私ではない。
普段は自由気ままに私の中から出たり入ったりしているが、私の意向を敏感に感じ取り、その通りに動いてくれる。また、お願いすればなんでも絶対に聞いてくれる。
眷属とでも呼べばいいのか。
そういう子たちが私の中に何千何万匹と存在する。
彼らの命の脈動を自らの内に感じるたび、私は自分が化け物なのだと自覚する。
白峰きくりの正体はファンタジア。
そして転生者でもある。
化け物として生まれ、だけど人の身が恋しくて人の社会に入り込んで暮らしている。
まるで冗談みたいな話だ。
必要なものだけが整然と揃えられた室内の木造ベッドの上から降りた私は、大きく背伸びした。
身支度を整えて改めて時間を確認すれば時間は七時半を少し回ったぐらい。
そろそろ部屋をでなければ学校に遅れる時間だ。
私は寝室を出て居間を通り過ぎ、玄関を開ける。
木造の大きめな公民館のような建物や二階建てのアパートが整然と並んだ景色が目に飛び込む。
ファンタジアが現れた当初に被災した人々を受け入れていた避難者受け入れ特別地区――星城町の南側の一角の景色だ。
実際ここが使われていたのは今となっては20年以上前のことであり、もう誰も住んでいない。
薄汚れ、破損し、生活に適さなくなった建物も数多く、行政により居住が禁止されてかなりたっている。
当然解体も決まっていたが、財源的な問題により解体作業は滞り、星城町では時の止まった廃墟群の一つ。
私が住んでいるのは、それらの仮設住居の中で一番大きなアパートの一室である。
当然無許可だ。
私が勝手に住み込んでいることを町も気づいているはずだが町の方から退去を求められたことは一度もない。
実際に解体がはじまるまでは放置しておいてかまわないという判断が下っているのかもしれない。
いくら行政がボロボロであったとしても今だ国の形は崩れていない。
ファンタジアに壊された世界であっても未だ機能する社会の仕組みをごまかすことはなかなかに難しく、孤児でなければ人間社会に潜り込むのが難しく、こうでもしなければ一人暮らしは無理だった。
いいやんって思ってもらえたらうれしい。




