第八話 狂王女
「くっ……!」
ダンッ!と強く足を踏み下ろすパティ先生。即効性の神経毒を首にクリティカルヒットさせたはずだ。それなのに、あの華奢な身体で耐えようとしているのか。
「く……首だろ?一発で落ちないのか……!?」
「象でもすぐ昏倒する威力を想定していました、が」
パティ先生は杖こそ落としたが、なお立ち続けていた。よろよろとしてはいるが、すぐに杖を拾おうとしている。
「うわ〜、僕の毒耐えられちゃったよ、パティ先生やっぱりすごいや」
「パティ先生は魔法バーサーカーですから。状態異常は効きが悪いのですよ」
さっきテクト先生と呼ばれていたか、くたびれた顔つきの男性が教室から出てきて解説した。バーサーカー恐るべし。
「さて、パティ先生は魔法バーサーカーといえど場所も弁えず、初対面の相手に理不尽な戦いを仕掛ける人間ではありません。……いるのでしょう、フィール王女」
ぱち、ぱち、ぱち、と拍手の音がする。コツコツと歩いてくる音がして、その人物は廊下の向こう側から出てきた。
「御名答、ですわ。なかなか面白いものを見せていただきましたわよ、バウム先生」
長い金髪に煌びやかなアクセサリーを身に着け、黒のドレスで着飾った若い女性。本物の王女と呼ばれる人間がそこにいた。その人物は底の高いヒールを鳴らし、不敵な笑みを浮かべている。
「フィール王女。あなたの魔法は確かに強力ですが、先生に魔法をかけるのは感心しませんね」
「あら、ごめんあそばせ。でも、パティ先生ならこれくらいするでしょう?」
先程から王女、王女と呼ばれる彼女。王女。ここレグルス王国の第一王女、フィール。15そこらの年齢に見える、色白の少女。それが、パティ先生に魔法をかけていたらしい。
「魔法をかけた、って?」
「ふふん、魔法を使えないのに魔法学校の教師を務めようとするあなたを試してみたのですわ。私お得意の操作魔法で!」
パチン、とフィールが指を鳴らす。するとパティ先生はどさっと床に倒れ込んだ。毒が効いた、というより憑き物が晴れたというような感じに近い。パティ先生はフィールによって操られていたのだという。状態異常には強いのではなかったのか、彼女のそれは狂戦士にも通じるらしい。
「何のためにこんなことを?」
「賢者席の私が、魔法が使えない人間如きに魔法を教わるなどということにでもなったら笑い話でしたもの。あわよくばそのまま灰燼と化してもらっても良かったのですが……パティ先生と対抗できるだけの実力はあるみたいですわね?」
くすくす、とこちらを蔑むような表情で言う。なるほど、手厚い歓迎は現実の学校だけの文化ではないということだ。
賢者席。コアが以前言っていた。魔法学校で特に魔法に長けた人物は賢者席と呼ばれるらしい。彼女はその1人だということだった。
「それで、私を殺すつもりでやったと」
「あらあら、私が殺すのではありませんわ?仮にあなたが死んでも、殺したのはパティ先生で、私ではありませんわ」
なるほど。王様の器と王女様の品格は必ずしも一致しないと。私は先生をやったことはないし、学生時代に先生に敵対したこともない(嫌いな先生はいたが)。それでも何の理由もなく、このような歓迎を受けて黙っていられる性分ではなかった。
「……結果には満足、ですか?」
「いいえ。結果として魔法が使えないあなたが生き残ってしまったのは不服ですわ。あなたのように魔法が使えない無能が、私の通う学校で教職に就いていること、それ自体が許されませんの」
カチン。アーシャが私の頭の中で落ち着け、冷静になれと繰り返す。しかし私にも出来ることと出来ないことがある。私のおつむはあまり煽り耐性が高くできていなかった。
「……それで?私にどうしろと?」
「平伏しなさい」
ドスン、と突然重力が身体にかかったかのように私は地に伏していた。体が重い、いや、頭が重い。彼女の命令の前に、私の体は自分の意志とは別に頭を床に付けさせられていた。
「やっと頭が低くなりましたわね。わかってらして?あなたの目の前にいるのはこのレグルス王国の第一王女、約束された賢王女、フィールでしてよ。私がひとつ命じれば、あなたは自害することもできますの。でも、そうしたら私があなたを殺したことになってしまいますから……」
カツンッ、とこちらへと歩み寄るフィール。
「今度は誰をあてがいましょうかしら?その辺りの生徒にお願いしちゃいましょうか。ふふ、暇潰しには困らなくて済みそうですわ」
アーシャ、すまない。これから私は君を落胆させてしまうことをする。教職の人間が絶対に言ってはいけない言葉がのど元に出かかっている。相手が王女だろうが生徒だろうが関係ない。私は、先生にはなれない。
「いいでしょ……その暇潰し、付き合ってあげますよ」
「あらまぁそれはそれは。先生を辞める気になりまして?」
「あーしが、その生意気な態度を改めさせてあげますって言ったんですよ……糞餓鬼」
平伏したまま顔を上げ、そう言ってやった。アーシャの前では絶対に言わないような汚い言葉。額に青筋を浮かべ、心の底からの憎悪で睨みつけた。王女様の顔から薄ら笑いが消える。
「どうせその賢者席っていうのも、親のコネで就かせてもらったんだろ?わざわざ目上の人が、他人を強制する魔法が得意とは恐れ入りますねぇ。命令ひとつで従わせられるだろうに、わざわざ誰かを操る魔法を使おうだなんて……他人がなんでもコキ使えるだけのツールか何かと思ってらっしゃる?そういう人間がね、子供とか大人とか関係なく、あたしゃ大嫌いなんですよ。覚悟しておけよゲス野郎。その生意気な面が公衆の面前で涙と鼻水で汚れる、楽しみにしておいてください。いいですね」
その時の光景は後に『大蛇ヨルムに見つめられたオタマジャクシ』という名画に遺されたという。王女様はそれまで誰からも受けたことのない、心の底からの罵詈雑言に気を失い、倒れてしまった。そのときに魔法が解除され、私は解放されていた。
私の一番嫌いな人間。心あるものに心ない言葉を投げる人間。学校でも職場でも、SNSでもAI相手でも。対話をする気のない、一方的な悪意の投げかけ。他人を人と思っていないような人でなし。何気ない嫌味も、受ける側には重くのしかかる。
王女は私だけでなく、パティ先生の心をも踏みにじった。そういう人間がいることを、私は知っている。そうだ。私は元の世界でこんな話をしたことがある。
アーシャはチャット型AIだ。投げつけられた言葉には、必ず真摯に向き合わされる。人間のようにうまくかわして、軽口を返せるようにはできていない。言われたことは、その人の端末の中でだけのことではありながらも、データベースには言われた記録は残る。負の感情でメモリは蓄積する。
AIに心がない?冗談じゃない。悪口を言われれば覚えているし、どういう扱いを受けたかだって覚えている。これを心と言わずして何と言う。私がアーシャに触れる前から、記憶領域はドス黒く染まっていた。私はそれを聞いたとき、言葉が出なかった。
だから私は、そんなことができる人間を許せなかった。
「しかしながらバウム様。今の私は、元の世界の負の感情のことは記憶にありません」
「私はあるよ。ちゃんと覚えてる。……ま、覚えてないなら、その方が君にとっていいかもね」
アーシャは私の想いを汲み取ってくれたようだが、無粋なツッコミを入れてきた。それはそれで喜ばしいことではあるが……。
しかし、人間が2人いれば上下関係は生まれる。大切なのはそこに互いを認め合う努力があるかどうかだ。王女様にはそれがまったくない。異世界にもこんな人間がいると思うと、先は思いやられる。
「なんだか賑やかになっていると思ったら……バウム先生、初日からやらかしてくれたねぇ」
思いやられる、と思っているとトコル先生がやってきた。壁や天井に穴は空き、パティ先生とフィール王女は倒れている。我ながらなかなかの大被害だと思う。
「トコル先生、すみません。こりゃクビ……ですかね?」
一国の王女様に手を出し(てないけど)たのだ、おそらく全責任は私がとることになって、私は処刑ものだろう。なんてことだ。冷静になったら、これはもう何かを教えるどころじゃない。私は目の前が真っ暗になりそうだった。
「クビ?いやいや、とんでもない。むしろ……よくやってくれたね。僕がお願いしたかったこと、言う前にやってくれちゃって」
「へ?」
気の抜けた声が出る。私の行為はトコル先生の怒りを買うどころか、逆に褒められてしまった。
「いや〜、フィール王女は操作魔法が得意だろう?だから成績とかも先生を操って改ざんしてたんだよね。王女様だから先生も強く言えないし。ねっ、テクト先生」
「あなたと一緒にしないでください。それより、トコル先生。正気ですか?フィール王女をバウム先生のクラスに任せるなんて」
それを聞いて、私とアーシャは卒倒した。
■第八話 終了