第一話 回復魔法のプロンプト
太陽が私を容赦なく照りつけてくる。葉が風に揺れて、あたりが自然の中にあるのを感じる。背中のもたれる木が太く大きく、身を預けるのに丁度いい。その中で、私は激痛に身動きが取れずにいた。
呼吸が苦しい。意識がはっきりしない。手足の感覚がない。身体のあちこちが悲鳴をあげる。目を辛うじて開けた私が見たのは、血溜まりだった。その血は私から出ているのだろうか。どうやら私は、この死にかけている人間の中に宿ったらしい。そのうち、自分のものであろう見慣れない銀色の髪が垂れて、視界を遮ってきた。
私は悪い夢でも見ているのか?突然の出来事に、私は回らない頭をやっと動かして考える。死ぬ……私は見知らぬ世界に呼び出され、理由もわからないまま、生まれた瞬間に死ぬのだ。嫌だ。死にたくない。何故私がこんな目に?誰か教えてくれ。誰か助けてくれ。誰か……。
「大丈夫ですか!? ……酷い傷、今すぐ回復を!」
声が聞こえる。誰かがこちらに駆け寄ってくる。首を動かすことができないので顔はわからないが、どうやら女性がこちらに駆けつけているようだ。
「ヒール!」
それは聞き覚えのある言葉だった。私の体に何かが流れ込む感じがする。魔法……そんなものが実在する世界にやってきたのだろうか?体中を光が流れ、私の体は回復して……いるのか?
痛みはまったく引かないし、意識は朦朧とし続ける。しばらくしても何も変わらないので、視線だけ向けてみると、1人の少女が両手を組み神に祈るような姿で目を閉じていた。
「……あ、の……」
ようやく出せた声。私は喉もやられているようだ。口の中にしょっぱい味がする。血溜まりで喉が塞がっていて、呼吸も出来ない。
「……治らない、ですかね……」
私の傷はそれほどまでに深いのか、それとも魔法が通りにくいのか、どっちにせよこのままでは希望が見えないままだったので、そう聞いてみた。すると、少女はそっと目を開けてこう言いだした。
「だ、大丈夫です!そのうち治りますから!心配せずに、もう少し……!」
必死に魔法をかけてくれているのだろう、その意思は伝わってくる。……くるのだが、依然として少しも楽にならない。私は助からないのかもしれないと、諦めさせようとして彼女の手に触れたそのとき。
(ナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレナオレ……)
夥しい程の言葉の奔流が私の脳内に流れ込んできた。魔法と言うより、ナオレ……治れという祈り。耳に入れようものなら気を病みそうになるその言葉の羅列に、私は手を伸ばす。
(治れ治れと思うだけで……治れば苦労はせんわい!)
その言葉の羅列の中にバシッと、傷口を塞ぐとか、骨を治すとか、思いつく限りの想いをねじ込む。その瞬間、私の体がカッ、と光り輝いた。
「「うわぁーーーっ!!」」
白い閃光が視界を焼く。視界が奪われ世界が真っ白になり、目の前にいた人物の輪郭がいつまでも焦げ付くようにチラつく。目を開けているのか閉じているのかもわからない。そのうえで、目の奥が焼かれているかのような感覚がする。
その感覚は、すぐに消えていった。目の痛みがすっと引いていく。焼け付いていた視界が徐々に色を取り戻していき、クリアになる。完全に見えるようになる頃には、私の体の痛みはすっかり無くなっていた。
「あーーー……あれ?……痛くない。体も、さっきまでの重傷がウソみたいに軽い!治ってるよ!私治ってる!」
腕が動く。脚が動いて、立てる。血が失われ、骨が折れ、傷だらけだった体がすっかり完治している!
「君が……君が治してくれたのか……?」
先程、回復魔法をかけてくれたであろう彼女。効かないと思っていたが、しっかりと効果が発揮されていたということだろうか。その彼女のほうを向いて尋ねる。
「え……えぇ!私のヒールが成功したみたいです!でもこんなに完全に回復しちゃうなんて……」
魔法をかけてくれた少女は、まるで豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして尻もちをついたままだった。私は、そんな彼女に手を差し出して立ち上がらせる。
「ありがとうございます、あなたは命の恩人です。何かお礼を……」
と、自分の所持品を確認してみる。しかし、私の身なりはまるでボロ雑巾のような布切れだけで、上着や荷物のようなものは何も無い。私が憑依した体の持ち主は浮浪者で、野盗か獣にでも襲われて絶命しかけていたのだろうか。
「いえいえ、お礼なんて。私はリカバー、回復術士で冒険者やってるんです。あなたが助かってよかった」
目の前の少女を改めて見直す。緑の長い髪に、長い耳。白く透き通るような肌に、海のように深い青色の瞳。私の知識に合わせれば、エルフのような風貌の女性だった。
そんな彼女は見返りを求めることなく私を助けてくれたらしい。この世界にはこんなにも優しい人がいるんだなぁ、と感動しかけたそのとき。
「おい、リカバー!お前こんなところで何やってんだ!」
荒々しい声が聞こえてきた。声の方を見ると、3人の男女がこちらにやってくる。身なりから、どうやら彼女の冒険者仲間のように見える。
「あ、セッサ……その、行き倒れの人がいたので、治療を」
「治療だぁ〜? そんなことしてるヒマがあるなら、さっさと俺達を探しに来い!」
「回復術士だから雇ったんだ、貴重な魔力をこんなところで使うな」
「うわ、何よこの血生臭さ……。ちょっとオッサン、汚いじゃない!」
セッサ、と呼ばれる赤髪のガラの悪い青年、彼がこのパーティーのリーダーの戦士ようだ。あとのふたりは、メガネをかけたインテリ風の青年と、青髪の生意気な少女。前衛1、後衛3で組んでいるように見えた。
リカバーと名乗った少女と私は散々な言われようだった。今の私の身なりがみすぼらしいのは否定できないが、私も好きでこんな姿になったわけではない。異世界も理不尽なことはあった。
「で、オッサン……なんだよ、金目のものは全部持っていかれた後かよ。ちっ。コイツの回復を受けたなら払うもん払ってもらおうかと思ったのに、無一文かよ!」
その上見た目通りの性格の悪さだった。対価を払うことには異議はないが、なんでこいつが金を請求してくるのか。
「へ、へへ……。見ての通り、素寒貧でさぁ。お礼をしようにも、出せるもんが何もないんですよ。なんか金目のものを見つけたら、いずれお返しはさせていただきますんで、えぇ……」
我ながら情けないが、私は武器も使えなければ魔法も使えない外様者だ。目の前の現役冒険者に勝てるわけもないので、頭をペコペコ下げるほかなかった。
「ちっ……もういい、どっか行っちまえ。行くぞ、リカバー!」
「は、はい……では、また」
……どうやら見逃してもらえたらしい。冒険者たちは森の奥へと消えていく。私には行くあても、この辺のこともわからない。仕方がないので、彼らのあとを追うことにした。
あんまり近くまで寄ると気取られ、何を言われるかわからないので、かなりの距離を取りつつ追ってみる。しばらくすると、もう日が沈みそうだった。
「だ、だいぶかかるんだな……。お腹、すいた……」
冒険者たちは未だに森から出ていない。もしかすると、彼らは街ではなく、森の中のダンジョンにでも向かっているのかもしれない。その思った瞬間、私は焦燥感に駆られた。
こちらに来てから、およそひとつもいいことがない。私の体の元の持ち主、ファンタジー世界で剣も魔法も使えない自分、そして突然の異世界。どうしてこうなったのか、私はこれからどうなるのか、そんなことばかり考えていると、遠くで悲鳴がした。
■第一話 終了