結婚します、事後承諾で
──それは、一ヶ月前の事であった。
「レオ、父上からの命令で一ヶ月後にお前は結婚することとなった。ちなみに拒否権はない」
兄の暴言に等しい物言いを前に、レオ、もといレオノーラ・ゼルツは、黒髪に染み付いた青い返り血を拭いつつも、瞬きを一つ。
そんな妹へ、兄である青髪の青年ジョアンは、同じように魔物の返り血を拭いつつ、先程まで振るっていた剣を侍従へ拭わせている。
戦いが終わった戦場、自陣の天幕へ戻ってから告げたその言葉に、しかしレオノーラはまったく興味を惹かれない様子で「はぁ」という、気のない返事を返した。
……ここはクレストール王国の西方に位置する辺境地、かつて聖女が張ったという東西を隔てる大結界の境目。結界の向こうより侵略してくる人非ざる魔物や魔族共を食い止める防波堤。それがこの辺境、ゼルツ領の役割であった。
大結界が薄れる事で侵略してくる侵入者達との戦に明け暮れ、川よりも血が流れるのが当然とも言うべき前線都市を支配する領主は、類まれなる戦いの才能を持つ超人が据えられる。
その超人、ゼルツ家のレオノーラは御年18歳、この辺境地を治める若き領主その人であったのだ。
「そう言っても兄さん、そもそもこんな土地にやってくる婿が居ないって話じゃないの。婚約を打診してもお断り返信が来るか、ここに来てお断り返信が来るかの、どっちかだったでしょ」
「レオ、いつも言っているが辺境伯としての言葉遣いを心がけておけ」
「残念、アタシはまだまだ花盛りの18歳なんですよ。ちょっとばかり言葉遣いが乱れてても許されるお年頃ですんで」
「貴族の女性としては、その年齢で婚約者すらいない時点で悲観する筈なんだがな。まあ、お前が男性から好意を寄せられない程に暴れ竜な時点で、諦めるべきではあるが」
ため息混じりな兄ジョアンの言う通り、レオノーラと言う少女はこの地で暴れまくる超人の中の超人である。
十代で女だてらに剣を振り、結い上げた長い黒髪を振り乱して戦場を駆け、岩のような化け物相手に臆しすらせず、一振りで真っ二つに両断する怪物。
それが彼女、レオノーラ・ゼルツという少女が辺境伯として選ばれた理由でもあった。
「歩く物品粉砕機だの、辺境地のオークロードだの、失礼すぎる噂が流れまくってるアタシと、誰が結婚するって言うの? 聖女様でも現れないと無理なレベルよ、まあアタシ女だけど。そりゃ貴族だから子供をこさえろってのはわかるけどさ、アタシは子供を作る気はまだまだ無いわよ?」
侍女達が慣れた所作で鎧を外し、鎧の下にまで染み込んでいる血をタオルで拭う。
同じく鎧を外す兄は、帰り支度を指示しながら嘆息を一つ。
「戦場に出たら腹が邪魔だから、とか、子供が流れるから、とか、明らかに貴婦人の物言いでは無いな……いや、魔物共の攻勢が激しくなっている昨今の情勢から見て、お前が居なければ犠牲者が増えるのは事実だが。私としても、お前に抜けられるのは困ると思っているし、父上も同じ気持ちだろう」
「じゃあ、なんで?」
「話によれば、契約結婚のようなものだと」
契約結婚、貴族の家同士の結婚とは、基本的に契約結婚である。
しかし、この辺境地は王都での貴族たちの権勢とは無縁であるし、そういう契約を過去の国王と交わしている。ゼルツ家は軍事貴族として、魔物を相手にすることのみを義務としている。ゼルツ家の領地である前線都市が落ちれば、すなわち後方の諸国全てが魔物・魔族達の攻勢に晒される。
猛々しい山脈を背負うゼルツの都市は、諸国全てにとっての防波堤でもある。
そんな大陸最強の軍を率いるゼルツ家と縁を結びたいと思う貴族は多いが、されども超人一族に籍を入れれば同じく戦場へ引っ張り出される。男は戦場で剣を持ち、女は後方で荒くれ共を纏める。超人過ぎる故に自由気質なそれを、受け入れられない者は多い。
「その契約結婚って、どんな相手で、どんな理由で? まさかアタシに一目惚れをしたなんて言わないでしょうね」
「安心しろ、そんな事は天地がひっくり返ってもありえない。……話に聞けば、相手は侯爵家の長男だった男だ。子供が作れない身体であるからと婚約破棄され、当主候補の座から転落したらしい」
「あらま」
どこの世界、どこの家にでもある話だ。そして肉親同士で蹴落とし合うのも世の常。
「有能な人物だったらしいが、婚約破棄とその後の事故のせいで足を悪くしているらしく、長らく屋敷に引き籠もっていたのだと」
「……ああ、それでウチで療養させたいって事? 温泉で」
ゼルツ家の名物、治癒効果をもたらす不思議な温泉の存在は、若返りと持病を癒そうとする貴族たちがこぞって欲しがるものではあるのだが、日常茶飯事的に魔物の侵攻によってヒャッハーしてしまう土地なので、彼らが長居することはない。
「でも療養だけなら長期滞在で良いじゃないの、今までだって来る機会があったはずじゃない。それがなんだって結婚まで飛躍するの?」
「結婚を提案したのは父上だ。つまり、いつまで経っても婿の一人も現れないお前の結婚相手を押し付けたかったから、だな」
「え~、面倒くさいわねぇ。軟弱な男が相手だったら魔物の群れに放り込んで叩き直してやろうかしら」
「だから相手に逃げられるんだぞ、お前。……で、父上としては、相手を婿養子として受け入れるが別に子供は作らなくても良いから、家のためにその侯爵家と縁を繋げ、と。あの家は良質な鉱石と武具を産出している土地だから、今後の買い付けの出費も目減りするし、魔物素材や魔道具の取引窓口としても期待できる」
「結局はお金ってわけ? ま、戦いに資金は必須だけどねぇ」
これだけ毎日のように暴れまわってもゼルツ家が傾かないのは、王家や縁を繋いだ貴族の後援があるからだが、全ての貴族が率先して寄付をしてくれる訳ではない。皆でお手々を繋いで魔物の侵攻を防いでくれるほど、人間は優しい生き物ではない、とレオは認識している。自分たちが魔物の刃の前に晒されるまで、彼らは金を動かすことは無いだろう。
結局、この地の尻拭いは自分たちでするしかないという、物悲しい現実だけがある。
「話を総括すると、アタシはその旦那と子供を作る必要は無くて、今まで通りに暴れまわってもいいけど、その旦那を療養させてあげなさいって事? っていうか、引き籠もりって事は本人は確実に結婚なんて認めないわよね、結婚の事後承諾の説明もこっちでやれって? そこまで侯爵家はお荷物と思ってるって訳で、お邪魔な存在の投棄場所ってことも含んでるわけね」
「お前、もうちょっと物言いをな……」
「ゴミ捨て場扱いされるのには物申したい気分だけど、まぁいいわ。その軟弱そうな旦那様とやらは、いつ来るの?」
ざっくばらんな妹の発言に、ジョアンは眉間を揉んでいるが長年の付き合いだ、今更ではある。
頭痛がしそうなため息を吐きつつ、防具一式を脱いで家紋の入った上着を着たジョアンは、投げ槍に告げた。
「お前が、迎えに行くんだよ」
「はぁ?」
「引き籠もりの婿殿を引きずり出して、ここへ連れてこい、とさ」
父親の呆れ果てた物言いに、レオは快活に笑い飛ばしてから、困った様子の侍女達と顔を見合わせた。
「新しい旦那様は随分と、甘えん坊のようねぇ」
ゼルツの流儀として迎えてあげなきゃね、と、レオは不敵に笑った。