売れられた喧嘩は買ってやる
その夜、王国の首都で開かれるそれは、社交界を賑わせる王家主催の一大パーティであった。
国王の生誕祭であり、在位三十年という祝儀であるそれは、国中の高位貴族たちがこぞって王城へと招かれ、綺羅びやかな社交という影を落とす。誰も彼も、敵対派閥の者達の後ろ暗い汚れを見つけようと目を光らせ、後ろ手に隠した言葉のナイフを研いでいる。そんな場所だ。
祝い事の中心人物である国王夫妻は壇上にて座り、王太子達もまた並ぶように佇み、貴族たちの挨拶に首肯を繰り返している。
高位貴族から名を呼ばれ、家格の高くない者達へも至る最中、遅れてきた者達が現れた事を侍従達が高らかに告げた。
「レオノーラ・ゼルツ辺境伯様、ルドウィグ・ゼルツ様、ご来場です!」
その名に、貴族たちは思わず驚きを隠せない。あの、社交界から遠く離れた蛮族の大親分のようなゼルツの首魁が、このような華やかな場に出たのだから当然だ。
そして現れた姿に、誰もが思わず目を見開く。
長い金の髪を撫でつけた美麗の男性と、それにエスコートされているのは……長い黒髪を結い上げた、男装の騎士姿の女性であった。
もちろん、男装なぞこの社交界ではお目に掛かることなぞ、まず無い。
男性のような鋭い空気に珍しい赤い瞳、微笑みを称えながらもまるで触れれば切れそうな程に隙のない空気を纏う女性は、美青年と間違われても可笑しくはない。しかし服の上からでもわかる流線は女性の物で、見るものが見れば鍛え上げられたその佇まいに、思わず喉を鳴らしたかも知れない。
そして、そんな彼女を先導する男性は、人形細工のような造形美を見せる無表情の顔で、本当に生きている人間なのかと疑問視してしまうほどであった。
そんな変わった組み合わせは、早々に名を呼ばれて国王の元へと挨拶に向かった。
「我が国の頂きに御わす国王陛下、王妃陛下へ、ゼルツ辺境伯、レオノーラ・ゼルツがご挨拶申し上げます」
「同じく、我が国の頂きに御わす国王陛下、王妃陛下へ、ルドウィグ・ゼルツがご挨拶申し上げます」
「うむ、両名とも顔を上げよ」
レオノーラもまた見事な騎士の礼をしてのけるものだからか、国王は実に楽しそうに笑って口端を持ち上げた。
「ゼルツ辺境伯、ゼルツの継承式以来か。暫く見ぬうちに随分と大きくなったものだなぁ。先代がお主を拾ってきた時はどうなるかと思ったが、立派に育ったものだ」
「お恥ずかしい限りです。我が養父の教育の賜物にて、野猿から人間程度の礼儀をわきまえる事が出来るようになりました。つくづく頭が上がらぬ思いです」
「はっはっは! ジェストーザ殿も何かとお主の事を自慢しておったからなぁ、可能ならば息子を婿に取らせたいと思った程だったが」
「御冗談を」
「いいや、冗談ではないぞ? それほどまでに、ゼルツの血は我らにとっても重要だからな」
王家が特別視しているというパフォーマンスに、周囲の貴族たちの一部がザワザワとざわめいている。一方、名家や王家と縁深い高位貴族たちは当然のように受け入れているが。
国王は次にルドウィグへ視線をやり、目を細めて声を掛けた。
「して、ゼルツ辺境伯よ。そちらがお主の婿殿か?」
「左様です。私が生涯唯一愛する、伴侶です」
竜の瞳を持つ者の宣言に、今度は高位貴族達がざわりと囁いた。ゼルツを知る者ならば、その意味を知らぬ高位貴族は居ない。
一方、国王はホクホク顔で頷いている。
「そうかそうか、遂にお主にも伴侶がなぁ。先代辺境伯夫人もそうだが、ゼルツ辺境伯は良い相手を選ぶものだな」
「あいにくと美醜の区別が付きませんので」
さりとて、そんなレオの言葉もなんのその、国王は若かりし日の英雄ジェストーザとティアナの一目惚れ騒動という馴れ初めを延々と語り始め……かけたところで、王妃が横合いから口を出して待ったをかけた。
「陛下、お戯れもほどほどになさって下さいませ。他の者達が悲しげにしておりますわ」
「おお、すまんすまん。老人は話が長くなって困るなぁ」
カラカラと笑い飛ばす相手へ、レオとルドウィグは苦笑するように礼をして下がった。
リハビリの甲斐あってか、軽い歩行程度は出来るようになったルドウィグを、労わるようにレオがそれとなく支えつつ、壁際へと歩く。
「……本当に陛下と親しかったのだな、君は」
「あら、信じてなかったの?」
王の前を辞して気が抜けたようなレオへ、ルドウィグが小声で囁く。それに、レオは擽ったそうに肩を竦めた。
「父さんと陛下は戦友だって言ったでしょう? それどころか、王太子時代にやんちゃをやった悪友同士だったし」
まだ魔族との戦いが激化していなかった頃、ゼルツのジェストーザは王都の学院に一年だけ通っていた。伴侶探しも兼ねての留学だったが、その際に王太子であった若かりし国王と親交を結び、まるで兄弟のように意気投合したのだという。
天上に等しい位置に座する相手が、もはや親戚のおじさんのような感じで話しかけてくる事に、ルドウィグとしては面食らうしかない。
「しかし、君に参加要請の王命が来た時は驚いた。生誕祭と同時に、ゼルツ辺境伯のお披露目会とはな。まあ実態は、高位貴族たちからの要請、との事だが」
嘆かわしいことだ、と内心でルドウィグは呟く。西の防波堤の辺境伯を祭りを理由に呼びつけて、見世物にしたいのだろう。魔王が現れた現状、そんな隙は晒せない状態だと言うのに。
「うまく挨拶は出来たでしょう? 王都の社交界は初めてだけど、悪い空気じゃないわね。殺し合い一歩手前のピリピリとした殺気、嫌いじゃないわ」
「……そう言える君が羨ましいことだよ」
社交から遠く離れたゼルツ故に、レオの存在は特に謎に包まれた存在として目されている。本当に存在するのかすら怪しく見られている中、伴侶を得た事を契機に、こうしてデビュタントの如く社交の場へと躍り出ることになったのだ。
ジェストーザの次代、新たなる竜の英雄がどんな存在なのか、それを知らせる為にレオ達は呼ばれたのだろう。特に、魔王らしき存在と交戦した現状、今後の後方支援は重要になってくるのだ。社交界での一層の影響を強める為の、王家からの要請でもある。
とはいえ、レオは担がれている神輿のようなもので、社交関係はもっぱら養い親のティアナ夫人やジョアンの役割。王命に眉を顰めれども、華のある若い者を人寄せに、社交界の話題を攫おうという意図なのだ。レオにとっては他人事の戦場でしかない。
その後、挨拶回りが終われば舞踏会が本格的に始まる。楽団が音楽を流す中、結婚相手を探す若い紳士淑女が声を掛け合ってダンスを交わし、噂を囀る貴婦人や紳士がそこかしこで何事かを囁きあう。誰も彼も、まず気にしているのは辺境伯の話題である。
しかし、当の辺境伯はそんな周囲を欠片も気にする様子も無く、旦那と共に立食形式の食事を摘んでは駄弁っている。社交など知ったことではないかと言わんばかりだった。
ルドウィグも本当にいいのかこれで、と内心で呟きつつも、表向きは気にする素振りもなく相槌を打っている。過去の醜聞を蒸し返されるかもと思ったが、ゼルツの名が余程怖いのか、誰も近寄っては来なかった。
「あらぁ、そこにいらっしゃるのはルーヴェ子息ではありませんの」
来ないはずだったのだが、喧嘩を売りに来る輩は居たようだ。
レオが振り向いた先には、厚化粧ながらも過剰に着飾った美麗な女。美麗ではあるが、妖艶とも言えるそこには、どこか油断ならない蛇のような印象を受けさせる。
とはいえ、人の美醜なぞ欠片もわからないレオは、もぐもぐと飯を摘みつつ伴侶に丸投げをすることにしたようだ。
全くの関心を払わないレオに、内心でため息を吐きながらルドウィグが相対した。微かに痛みを誤魔化すように青い瞳を細める。
「ご機嫌よう、イェレス夫人」
「まあ、夫人だなんて。余所余所しい物言いをなさるのねぇ。元・婚約者様?」
女は扇子越しにクスクスと笑う。悪意に満ちたそれに、ルドウィグの瞳は冷え切っていく。
「わたくし、貴方の事を心配しておりましたのよ? あのような事が起きて、長らく静養なされていたとか」
「お陰様で」
「ええ、貴方が窓から飛び降りたと聞いた時は、わたくし倒れそうになりましたのよ!」
聞き耳を立てている周囲へ聞こえるように、大仰に女は宣う。まるで舞台役者のように。
「わたくし、ずっと後悔しておりましたわ。貴方との婚約を慚愧に堪えぬ思いで破棄する事になった結果、貴方は二度と家から出られぬ身となった、と。自分の愚かな行動がどれほど貴方を傷つけたのか、今更ながらに思い知りましたの」
まるで自分は悪くないと言わんばかりのそれに、レオが口端を歪めた。
「けれども、貴方も貴方ですわよ、ルドウィグ? まさかわたくしに破棄された程度で自殺などと、あいも変わらず思い込みの激しい方ですのねぇ」
「…………貴方がそれを仰るか」
「まあ、まるでわたくしが悪いかのような目で見るのね。本当に貴方ってつまらない男だこと、都合が悪くなれば女側が悪いとでも言わんばかり。ねぇルドウィグ、貴方まだ女性が怖くて触れられないの? 隣の、女性かどうかも怪しい相手でなければ触れられないとか?」
密やかに笑うそれに、ルドウィグは一瞬だけ目を伏せてから、
「レオノーラ」
隣の伴侶の名を呼んで、青い瞳を近づけて、その頬に口付ける。
……周囲から微かに上がった黄色い悲鳴など、他人事のようにルドウィグは言った。
「……改めて、君に出会えて良かったと思う。女性が怖いと思い続けていた私を救ってくれたのは、君だけだった」
白い肌を微かに染め、煌めく青い瞳は一心に赤い瞳を見つめている。
薄く称えられた微笑みは、まさに天使の如き造形美を浮き上がらせていて。
「あら、知ってるわよ、そんなこと」
されども、そんな美の暴力なぞ欠片も気にせず、レオノーラはルドウィグの後ろ頭を引き寄せて、
…………先程よりも大きな歓声。
「誰だって、異性に襲われたり裏切られたりすれば、信じられなくなるのも当然だわ。ねぇ?」
見せつけるように、困ったように恥じらう相手の頬を撫でつつ、レオは女へ勝ち誇るように獰猛な笑みを広げた。
──お前は、アタシに女としても負けているのだ。
そう、宣うかの如く。
それにカッとなる女が口を開く前に、横合いから口を出す者が。
「なんという不埒な行為をしておるのだ、この馬鹿者が! ルーヴェ家の恥さらしめが!!」
「…………前侯爵」
ルドウィグがボソリと呟き、レオはやってきた夫妻が前ルーヴェ侯爵だと察する。ついでに、ルドウィグの弟の現当主も、困った様子で後ろから着いてきている。
先代は、怒り心頭な様子でルドウィグへ指を突きつける。
「少しは女々しい性根が治るかと思えば、衆目の前で何をやっている! 貴様を勘当したのはやはり正解だったようだな!」
「まったく、慎みすら持てない等と、こんなのが次期侯爵だったとは思えません。恥ずかしい」
怒る夫妻に、イェレス夫人はふてぶてしい笑みで追撃する。
「ええ、そうですわねぇ、慎みなんてあるわけがありませんものね? ルーヴェ家の醜聞のせいでわたくしは貴方との婚約を破棄したのですから! そうじゃありません? わたくしは貴方に騙されていただけですものねぇ!」
「……」
「イェレス夫人、謝罪は後ほどしますが、しかしこれ以上の騒ぎは控えて頂きたい」
「まぁ! 不誠実な事をなさった身で有耶無耶にしようと? 宜しいですか、前侯爵閣下。貴方は我が家を謀ったのです、嫡男様が、子を成せぬ身だと、黙ってわたくしと婚約をさせていたではありませんか!」
周囲から、ざわざわと声が響く。
それすら遠く、ルドウィグは能面のような顔で拳を握った。
「それは以前も説明した通り、こやつが黙っていたのが原因だ。発覚してさっさと話してさえいれば、すぐに弟とすげ替えたものを」
「ええ、そうです。こんな出来損ないの方よりも、能力的には劣りますが弟の方が立派な当主になりました。まったく、家の事を何も理解していないのですもの。本当にその節は申し訳ありません、イェレス夫人」
「いいえ、過ぎた話ですから。いつまでもそのような醜聞、引きずる方が不健全ですものねぇ」
「うるさい、黙れ。クズ共が」
しん、と静まり返る広間で、場にそぐわぬ暴言を吐き散らした辺境伯は、持っていた皿をテーブルに置きながら大きく息を吐く。
「下半身が緩いアバズレ女の嫉妬と、それに便乗して子供を道具扱いする親未満のクズ。まったく、ルドウィグ。貴方って本当に周囲に恵まれてなかったのねぇ」
「……レオ」
「言ってやりなさいな。そこのなんとか夫人は、裏で男相手に好き勝手に振る舞ってた寝取り女だって。仕事を生業にしている街娼と違って、自分の性癖のために男性を使い捨てる性根からアバズレなんだってね」
「な、な、なんてことを……!? こ、このわたくしにそのような」
「あら、例の婚約破棄騒動で、貴方の愛人が乗り込んで告発したんでしょう? 彼女は僕と愛し合ってるんだーとか宣って、叶わないと知るとこの売女が、って詰ったとか? ちょっと見てみたかったわねぇ」
「……レオ、趣味が悪いぞ」
ケラケラと笑うレオを嗜めるルドウィグ達を横目に、当時を知る貴族達がヒソヒソとさざめく。
「だいたいねぇ、婚約者に媚薬を盛って襲うとか、淑女としてあり得ないじゃない? それとも、それが王都流の既成事実の作り方なの? あらあら、野蛮だこと。ゼルツでも思わず舌を出して追い払う雌犬だわぁ」
「そ、そ、そんな証拠がどこに……!?」
「あの婚約破棄の前日、私を招いた茶会で入れただろうに。隣国から輸入した特製の媚薬を、夜会でも使用して楽しんでいたらしいな。君の常套手段だと聞いていたが」
「当時、この女に引っかかった男なら知ってるんじゃないの。或いは寝取られた女性側とか? ま、こんな場所で声を上げないだろうけども」
それでも、後日の社交界ではまた囁かれることにはなるだろう。過去のゴシップを掘り起こして嘲笑するのは、暇に飽かせた貴人達の嗜みだ。
「へ、辺境伯! 横合いから下品な口を出さないで頂きたいですな! そもそも人を指さしてクズなどと何たる侮辱か!?」
「クズをクズと言い切って何が悪いのよ。さっきから聞いてりゃ子供を道具だ出来損ないだと言いたい放題だけど、その貴方達曰くの出来損ないの、親側は? 子供を、まともな身体として生むことが出来なかった自分たちを棚上げして、何言ってるのよ。良識が足りてないんじゃないの?」
「親が子供を選ぶことができんのは当然だろう!?」
「そうね、子供も親を選ぶことは出来ない。道具扱いする親と相性が合う子供なら良かったのかもしれないわねぇ。ま、そんな人間、居ないと思うけど」
飄々と宣うレオへ、ギリギリと歯を噛み鳴らしながら、先代はルドウィグへ怒声を浴びせる。
「ルドウィグ! 貴様は自身の伴侶を抑えることもできんのか!? だから貴様は出来損ないなのだ! 貴様のようなクズを産み落としたのが我が人生での一番の恥で、過ちだった! 作るべきではなかったぞ!!」
「…………」
ルドウィグは、ふっと目を伏せてから、背に回された隣に佇む相手の掌を感じて、顔を上げる。
そこにはもう、何の感情も乗っていなかった。
「失礼ながら、前ルーヴェ侯爵閣下。私と貴方はもはや何の縁もない関係ですので、馴れ馴れしく指図するのを辞めて頂けませんか。不快だ」
「なぁ……!? 何を」
「私を、仮とは言えルーヴェ家から勘当したのは貴方でしょうに。貴族籍は既にゼルツへと移っていますので、私と貴方は既に他人だ。近づかないで頂けませんか」
「この、親に向かって何と言う口を聞くつもりだ!?」
「親?」
はっ、と、ルドウィグは初めて口端を歪めた。嘲笑するような、憎悪にも似た美しくも悪意の笑みだ。
「あいにくと、私の人生の中で最も希薄であった人間関係は、貴方がたですよ。幼少期から顔すら合わせることもなく、公的な場でしか会話もしない。その程度の関係性を貴方は親子、と称するのですか」
「血の繋がりは確かではないか!!」
「血が、絆を作るわけでは無いのですよ。絆とはあくまで人間関係だ、関係構築を放棄した時点で切れてしまう程度の縁。そして私は貴方から、当主としての教育以外の何かを貰った覚えはありません。いえ、教育と軒のある場所で健やかに過ごせた点だけは感謝しておりますが、それはゼルツを縁を結んだことで与えた、魔道具類への関税緩和というルーヴェ領への利益でも十分すぎる。……親は子を選べないように、子もまた親を選べない。されども、捨てることは出来る」
ルドウィグは、初めて、自身の父母であった者達を見た。
そこにはもはや、何の興味も見いだせない無関心しか無い。
「貴方がたという血肉が、私を生み出した事は感謝しています。祖先への感謝と同程度ですが。しかし、私は貴方がたという人間には、何の感謝も抱きませんし、親族という情すら持ちません。心底から、どうでもいい」
「どうでも、いい……?」
「ええ、どうでもいいです。貴方達が捨てた時点で、私はもはや、貴方達を親とも思いません」
「な、にを……貴様、親に向かって……!!」
「あ、そうそう。アタシも言いたいことがあるんだけどねぇ?」
にこやかなレオはルドウィグの前に出て、薄い笑みを、ブチリ、と切れるかのように、獰猛なものへと変えた。
それと同時に、赤い瞳の瞳孔が縦に裂け、ピキピキと皮膚の上から鱗のようなものが生えてくる。
両手を軋ませながら、周囲四方を平伏させるかのような威圧感と殺気を乗せながら、王者のように低い声で嗤う。
「誰の許可を得て、アタシの愛する伴侶を罵倒しているんだ、貴様らは」
シャンデリアの火が陰り、空気が燃えるように震える。
不意に放たれた圧倒的な殺気。人々は竜の怒りの気配に、冷や汗を流しながら思わず膝を折った。竜の眼前に放り出されたかのような威圧感に、近衛兵ですら即座には動けない。
「ひっ!? な、なぁ……!?」
真正面からの殺気に悲鳴をあげて腰を抜かした先代夫妻や、失神寸前のような過呼吸を起こすイェレス夫人へ、一歩一歩近づき、獰猛に嗤うレオは続ける。
「この、アタシの前で、伴侶を傷つけた。愛しい旦那様を罵倒した。万死に値する所業、塵も残さず轢き潰してやろうか? それともドラゴン共の餌にでもしてやろうか? 今までどれほどルドウィグを苦しめて来たんだ、自殺を選ぶ程に心を傷付けて、今尚、寄ってたかって嘲笑った。皆殺しても飽きたらないクソ忌々しいクズ共が、条約など関係なく今この場で貴様ら全員を」
「レオ」
死の体現のような、怒り狂う竜へ、後ろからルドウィグが抱きしめた。
歩みを止めた相手へ、ルドウィグは囁くように、慰めるように言う。
「大丈夫だ、私は気にしていない。だから、君が怒らなくて良い。殺す必要など無い」
「………………、こいつらは貴方を辱めようとした。既にゼルツの一員である貴方を。ではそれは、ゼルツへの宣戦布告に等しい。殺すべきだわ」
「それに関してはしっかりと、対処しよう。だから怒るな。人間の返り血に染まる君など、見たくはない」
「…………わかった」
ふっと、広間中に広がっていた異様な威圧感が霧散する。誰もが何も言えぬ中、レオノーラはふわりと、風のように柔らかな笑みを浮かべてルドウィグを見上げた。
「貴方がそう言うのなら、殺さないでおくわ。でも報復はするわよ」
「……わかった。イェレス伯爵家と、ルーヴェ家へは正式に抗議文を送ろう。……というわけだ、アラン。まだまだ苦労をかけさせるようだ」
なんとか立っていたルーヴェ侯爵は、兄の言葉に大きな息を吐いてから、困ったように笑った。
「……兄上、いつから竜使いになられたので?」
「アタシが惚れた時から? それとも貴方の方が先だったかしら?」
「ノーコメントだ」
手を振るルドウィグは照れているようで、それに侯爵はやはり驚いてから、しみじみとした様子で笑い、レオノーラへ向き直る。
「ゼルツ辺境伯、貴方に兄を託して良かったと、今は思いますよ。……そして、親を諌められない愚かなこの身を、お許しください」
「ん、いいわよ。家それぞれに事情があるんだろうし。でもねぇ、いい加減、家の実権を取ったらどう? 貴方が当主なんだし、いつまでも隠居したジジイの尻拭いに奔走するなんて人生の損でしょう?」
「…………考えておきますね」
とはいえ、今回の事で思うところは降り積もっていたのか、侯爵は薄く笑みを浮かべている。どこかルドウィグとよく似た笑みであった。
最後に、レオは勝ち誇るように笑みを広げてルドウィグを抱き寄せ、喧嘩を売った連中へ宣言する。
「貴方達には感謝しているわ。貴方達の目が節穴だったからこそ、アタシは最愛の伴侶と出会うことができた。ゼルツが認める有能な人材を手に入れることができた。貴方達が文字通りのクズで助かったわ、本当にありがとう!」
高らかに、吐き捨てるそれは、敵意しか滲んでいない。
怒れる竜の挑発に、答えられるだけの度量を持つ貴族は、誰もいなかった。
……と、そこで楽しげな笑い声が響き渡った。
「まったく、お主ら親子は血の繋がりが無いのにそっくりだな! 何かと騒動を起こして周囲を戦々恐々とさせるところまでな!」
「あら、陛下」
玉座から降りてきた国王は、楽しげな様子でやって来ていた。ざわざわと人々が動き始める中、王はレオノーラ達へ話しかける。
「肉に宿る血を否定は出来ぬが、魂という絆を捨てることは出来る。子を捨てる親が居れば、親を捨てる子が居るのも道理。離れたほうが互いに良い親子も、居るだろう」
そして、王は未だに蹲まっている先代夫妻と、イェレス夫人へ目を向ける。
「ちなみに、私も子を授かりにくい身体でな。王太子が生まれるまで実に苦労したものだ。……で、お主らは私をも出来損ないと罵倒するつもりかね?」
それに、夫妻達は二の句を告げられなかったようだ。
「馬鹿よねぇ、これだけ大勢の貴族が居るのに。不妊で悩んでる貴族も居るって想像できないのかしら?」
レオの呟き通り、彼らへ鋭い目線を向けている者達は一定数居るのだ。誰しもが健康な身体を得られる訳では無い。
よくこんなので侯爵家を存続できたな、と人のことが言えない辺境伯へ、国王は居住まいを正して向き直る。
「ところで、辺境伯よ。このような場でのやんちゃは多少は大目に見るが、次はないと思うのだぞ?」
「もちろんでございます、陛下。次がある時は爵位を返上して隣国の公爵位をいただくことにしますわね!」
「……少しは悩まぬか」
ゼルツ辺境伯はクレストール王国に属してはいるが、実は周辺諸国からも様々な称号を与えられている。他国はゼルツの技術を喉から手が出るほどに欲しているのだから、クレストールを見限ったと聞けば、こぞって勧誘に来ることだろう。
魔族や魔物と唯一、やりあえるのはゼルツだけなのだから。大陸の諸国はゼルツへ不可侵条約を結んでいるし、その力を人間の争いへ向けさせる事は絶対に許さないし、互いに監視し合っている。……もっとも、伴侶を傷つけられた辺境伯が人間社会へ目を向けてしまう事は、稀にあるのだが。
「竜にとって伴侶を馬鹿にされることほど、逆鱗に等しい行為はありませんから。我が父、ジェストーザを見ればご存知だとは思いますが」
「そうであるな。昔、ティアナ夫人の美貌に嫉妬したある伯爵夫人が策を弄し、夫人の顔を焼こうとした事がある。即日、先代辺境伯が飛竜で伯爵領を包囲し、開戦一歩手前の状態になったのだったな」
一晩でゼルツから軍を率いて伯爵家へ迫り、潰そうとしたらしい。条約破り一歩手前の状況に慌てて国王自らが飛竜を飛ばしてジェストーザを説得しに行ったのだ。怒れる竜をなだめるのは本当に大変だった、と国王は回顧する。
「ゼルツ辺境伯、もし伴侶殿が隣国の者に害されれば、お主は如何いたす?」
「え、潰しますよ。国ごと」
「冗談ではなく?」
「本気ですが」
「もし我が国との同盟相手で、潰すと困ると私が懇願しても?」
「それ、ゼルツに関係ありますか?」
あっさりと、思考すらせず平然と宣うそれに、今度こそ人々は戦慄する。いざとなれば自国を見限って他国の手を取ると、冗談ではなく本気で述べているのだと気付いたのだ。
生まれ持った貴族ではないが故に、この国すらも捨てかねないほどの無頓着さは、ジェストーザをも上回る。伝承の通り、竜の呪いを持つ者は国すら平然と敵に回すレベルでヤベェのだと貴族達は理解した。
……ティアナ夫人が辺境伯領ではなく王都で過ごしているのは、ゼルツにとっての首輪に等しい人質にして、絶対に傷つけてはならない貴人として扱われる為だ。
元来、ルドウィグもそうなるべきではあるのだが、
「…………半竜となれるほどの怪物を止められるのは、お主しか居ないようだな。伴侶殿」
理性というストッパーがぶっ壊れているレオノーラの規格外の強さと、魔王との激化が予測される今後を想定し、国王はその案を脳裏で捨てた。ルドウィグが側にいないと、いつかレオノーラは暴走するだろうし、先日の報告にあった魔王の転移の魔法によって王都にドラゴンが攻め込めば、守り切れる自信は無い。
『ゼルツ辺境伯、戦争中にドラゴンとなって大暴走』という文言が脳内でリフレインしていたので、竜化を阻止できる唯一の存在に縋るしかないと察したのだ。
「ルドウィグ・ゼルツよ。辺境伯をよく支え、道を正し、危険な時は止めてやってくれ。おそらく、お主にしか出来ぬ事だろう」
故に、レオノーラの理性として、ルドウィグにストッパー役を押し付けることにした。丸投げとも言う。だって理性がぶっ壊れたゼルツを止めるのなんて無理だしぃ、と国王は脳内で匙を投げていた。
「心得ました。ゼルツはこれからも忠臣として国に仕え続け、一層の努力を心がけて参る所存です」
「うむ、この国の未来は、お主に掛かっておる。くれぐれも、頼んだぞ。いや本当に頼んだぞ、この大陸の未来のために!」
凄まじくスケールのでかい頼みであった。
バンバンと肩を叩かれる現状に、ルドウィグは遠い眼差しでため息を一つ吐いたのである。




