はっきりと、自覚する
「ルドウィグ、傍に居て良い?」
就寝前、共用スペースの暖炉前にあるクッションソファにもたれて読書をしていれば、やってきたレオが小首を傾げて尋ねる。
それに、少し眉を顰めてから「好きにしろ」と投げやりに答えれば、相手は楽しげに笑って隣に座った。
気を利かせたのか、使用人たちは一礼の後に颯爽と部屋から出ていく。ハリーが最後にウィンクを送って来たのを横目に、ルドウィグは隣の女性に意識を戻した。
……下ろした長い黒髪、横顔は暖炉の明かりに反射して、どこか剣先のような鋭さを秘めているように思える。
宝石のような赤い瞳がこちらを見て、縦割れの瞳孔のそれに、ルドウィグは思わず相手へ手を伸ばしていた。
「何を、そんなに不機嫌なんだ」
頬に触れれば、相手の熱い感触が掌を撫ぜる。
上気するような、血に飢えたかのようなそれに、ルドウィグは無性に胸の内が掻き乱された気がした。
ゆっくりと、レオは目を細めて、薄く微笑みを浮かべている。
「別に不機嫌ではないわ。ただ、落ち着かないだけ」
「何が、そこまで落ち着かない? 魔王という存在に関してか?」
「それもある。あの男、たぶんアタシと同じ竜の力を持っていて、半竜化していたから。本能でわかるのよ、アタシかあいつ、どちらかがどちらかを食い殺すまで戦いは続くだろうってね」
レオの語るところ、太古の竜王の呪いは、一つへと戻ろうとする性質があるらしい。呪いが点在し散っている現状、その中でもっとも強い力を持つ存在が竜となり、他の呪い持つ者を食らって元の一つ、竜王へ戻ろうとしているのだと。
「竜王……太古のドラゴンに?」
「竜王は、竜の神の化身、故に不死の力を持つらしいわ。その力こそが、この呪い。いつか、誰かが竜王の呪いを完全な状態に戻せば、その者が竜王となる。……まあ、目覚めた者の竜化も減って来ているから、竜王に戻れるのは何百年も先でしょうね」
「私の力で、それを抑えることは可能か?」
「そうね、貴方と共にいて、浄化の光を浴びると気分がマシになるわ。呪いに効果があるっていうのは本当みたい。貴方が居てくれると本当に心強い、うん、居ないと、変な気分になる。貴方が狙われたと知った時から、ずっと変な感じだわ」
ふと、レオは身を乗り出して、ルドウィグへ顔を近づけた。
間近なそれに、彼は青い瞳を見開いてから、戸惑うように瞬く。
「貴方が居なくとも、アタシはアタシで居られると思っていた。一人でもゼルツを背負って、戦場を駆け抜けられるって信じていた……でも、貴方が目の前でドラゴンに殺されかけたのを見てからずっと、アタシは落ち着かない。貴方が心配で堪らない」
赤い瞳は真っ直ぐに、青い瞳を射抜いている。
「アタシ、貴方に執着しつつあるみたい」
それは愛の告白というには、些か乱暴な言葉だ。しかし、情緒が偏っているレオなりの言葉に表せば、そう表現するしか無い。
思わず固まるルドウィグの、床に付いている手へ、自らの掌を覆うように触れさせる。
指先でなぞり、柔らかく掴み、指の合間に自らの指を絡める。
まるで、相手を求めるかのようなそれは、情熱的な感情を宿していた。
「……ま、待て、レオ……いや、その、少し、待ってくれ」
思わずルドウィグが待ったを掛ければ、レオは目に見えて傷ついたように眉尻を下げた。それに、思わず胸が痛むようにルドウィグは目を逸らす。
「わ、私は、君の好意全てを返す事は、出来ない……こんな身体で、君を十全に愛する事は出来ないだろう」
「別に身体の触れ合いを求めている訳じゃない。アタシは、貴方の心の傍に居たい」
「しかし、私は……君を、君を……男として、愛する事ができる身体じゃないんだ……」
「構わない、アタシは貴方の魂に触れていたいだけ。肉欲なんてどうでもいい」
「いやだからその……」
グイグイと迫ってくるレオは、遂にルドウィグを床に押し倒した。
ルドウィグが見上げれば、上から見下ろすレオは悲痛に顔を歪めて、泣きそうですらあった。
それを見て、ルドウィグは自身の臆病さが相手をどれだけ傷つけているかを、ようやく察した。
「…………レオ」
執着しつつある、それはレオなりの表現だ。そうとしか言えないのだろう。彼女は、人間の言う「愛」という物を、完全には理解していないのだ。ただ、焦がれるようなその胸の内を表現するには、執着としか表現できない。
「君は、私に執着しているのか?」
「ええ、貴方の事ばかりを考える。戦っている合間ですら、貴方の姿を見たいと思う。夢の中ですら、貴方に触れていたいと思うの」
「今こうして、触れているように?」
指を絡め、握りしめれば、相手の指はより強く、離したくないと言うかのように、固く結ばれる。
「それは、伴侶としての愛だと思うのか?」
「わからない、アタシにはわからない……でも、貴方が居なくなればアタシは、生きていけないと思う……きっと、緩やかに死んでいくに違いない」
泣きそうな、顔。
それに、ルドウィグは観念するように目を伏せて、息を吐く。
向き合わねばならないのだ、エルディス医師が前に言っていたように、自身と戦わねばならない時がやって来たのだ。
故に、今まで目を逸らし続けてきた自身の心へ、変化を恐れる臆病な自分を叱咤して、向き直る。
(…………私は、この娘をどう思っている?)
初めて、自身の話しを聞いてくれた相手。馬鹿にするでもなく、嘲笑するでもなく、静かに話を聞いて、出来損ないと罵倒しなかった。むしろ、憤ってくれた。共感し、こちらを詰る父母を殴り飛ばしてやったのに、と心から残念そうに言ってくれたのだ。
彼女は女性だ。女性は怖い。自分を手に入れようと、形振り構わず近づいては、気色の悪い言動を取る。情欲に満ちた目を向けられるだけで、あの食人鬼の恐怖を思い出すし、媚薬で朦朧とするこちらを襲った元婚約者の侮蔑の瞳を思い出す。引きこもっている間も、メイドが慰めようと寝所へ忍び込んできた事すらある。そんな、こちらへ傷を与える事しかしてこない、悍ましい存在。怖いと、そう怯えるべき相手だった。
しかし、今は。
(……怖くはない、触れていると安心する……暖かい)
彼女は嫌なことをしなかった。
彼女は出来損ないだと蔑まなかった。
彼女は、この身体を受け入れてくれた。
そして、命を掛けて、守ってくれたのだ。
真っ赤な血に染まってまで、こんな愚かな男を、救い出してくれたのだ。
(…………嗚呼、認めるしかないな)
この感情に名を付けねば、きっとレオは、理解できない感情から永遠に苦しみ続けるだろう。
愛し方がわからない彼女へ、それを教えるのはきっと、自分の役目なのだ。
ルドウィグは静かに手を伸ばし、相手の顔に触れてから、意を決するように体を起こして、音もなく顔を近づける。
……暖炉越しの影、交わる2つの陰影は、しばしの後に余韻を感じるように、離れた。
「…………私は、臆病者だ。いざとなれば逃げ出して、君を傷つけるかもしれない。十年前のように、全てを奪われてしまうのが怖いんだ」
「……うん」
「だが、君が私を救ってくれた、様々なものを、与えてくれた……この地も、君も、周囲の者達も皆……私にとって、掛け替えのない存在になろうとしている」
失ってしまう事が怖いから、何かを得る事に足踏みをする。裏切られた人間ほど、その痛みはトラウマとなって心身を蝕むものだ。
そのトラウマは、しかしルドウィグにとって、超えねばならない過去の傷だ。
それを直視して受け入れねば、眼の前の女性を支える事なぞ、出来ようはずもない。
「……レオノーラ、私にとって君は、掛け替えのない……唯一無二の、大切な人なのだと、そう思いつつある」
「……」
「だから、約束してくれないか? ……どうか、どんな姿でも良い、死ななければ私が必ず癒やしてみせるから、だから……死なないでくれ、必ずここへ、戻ってきてくれ。どうか…………居なくならないで、ほしい」
「……ルドウィグ」
青空のような瞳から涙を零し、懇願するように呟く相手に、レオは熱を宿す赤の瞳を寄せた。
「約束する、必ず貴方の元に戻ると、竜の名の下に、そう誓う。貴方を守り、貴方の為に命を掛けて戦い、必ず生き残ると、誓うわ」
「…………愛している、レオノーラ」
その言葉を贈られた瞬間、レオの魂は満ち足りるかのような、濁流のような幸福の渦に包まれる。
嗚呼、と、レオは言葉にできなかったその感情を、ようやく理解したのだ。
──赤いゆらめき、二度目の影が交わり、今度は離れる事はなかった。
「……アタシも、愛しているわ、ルドウィグ」




